「俺には兄がいたんだ。両親と兄弟の４人で旅商をしていてな」
「数年前に流行り病にかかって死んじまってさ。あっけないもんだった」
「葬式の後兄貴の日記をみて、そんな話もあったなと思いだしたんだ。」
そんな話をしても、サクラは何も言わず、頷きもせず、ただ下を向くばかりだった。
「……すまないな、こんな事になるとは思わなかったんだ。あいつの墓に行こう。花でも手向けてやれば、きっと喜ぶだろう」
ポタリ。
何かが零れ落ちる音がした。続いてサクラの小さく啜るような声。
最早何を言ったらいいのか分からなくなった俺は黙って部屋を出た。
下の酒場降りると、薄暗い部屋の中に笑い声がこだましていた。堪えきれずに閉じた口元から溢れ出すような、不愉快な小さな笑い声。
「ククク、死んだ兄貴ねえ。ちょっと苦しくないか？そんな舌でバーの店主なんて勤まるのかい？」
「盗み聞きなんて、あんたも人が悪いじゃないか、ジェフさんよ」
光の届かぬカウンターの隅から、ゆるりとジェフがその姿を見せる。右手には空になった蜂蜜酒の瓶。
「許せや。聞くつもりはなかったんだ。ただ、この酒屋は壁が薄いからなぁ。それに、今日は用があって顔を出したのよ」
俺は苛立ちを抑えて、箒を手に掃除に取り掛かる。
「だったら店の開いてる時間に……」
「酒の話じゃねえ」
ジェフの声色が低くなり、俺は反射的に動きを止める。
「急ぎの話だ。場所はいつもの倉庫。時間は夕刻、いいな。
「……ああ、分かったよ」
返す声に感情はこもらなかった。機械的と言うに相応しい返事をすると、ジェフは満足そうに笑って店を出て行った。


店には「CLOSED」の看板を立て、俺は約束の時間に港の真新しい倉庫の前に立っていた。サクラには上手くいっておこうと思ったが、ドア越しに声を掛けても返事が無かったので、何も言わずに出て行った。
倉庫の重たい扉を叩くと、音を立てながらゆっくりと開いていく。俺は何も言わずに、足を踏み入れる。
窓を目張りしている内部では、ポツポツとついているランプの明かりだけが頼りで、足元は良く見えない。靴音が倉庫の中を反響している。
少し歩くと、白く細長いテーブルが一つ。側面には男達がずらりと座っている。帽子を深くかぶっている者。寒くもないのにコートを羽織る者。不気味な連中がろう人形のように行儀よく座っている様は、テーブルの真ん中に等間隔で置かれている燭台とのちぐはぐさが相まって、一層の不気味さを醸し出していた。
「来たな」
テーブルの奥の奥から、低い声が聞こえた。声の主の傍らには、蜂蜜酒。
「お前が最後だ。座れ」
琥珀色の液体を揺らしながら、ジェフは言った。


昔話をしよう。聞くも涙、語るも涙。だけどありふれた少年のお話。
昔々、魔物がはびこる時代に勇敢にも旅商で銭を稼ぐ夫婦の間に少年は生まれた。
少年は旅を通じて色々なものを見てきた。かつて栄え、今は砂の山に埋もれた王国。聖なる獣が守っているという伝説がある神秘の森。魔王の娘リリムが支配している城の横を過ぎ去ったりもした。少年は馬車に乗りながら、そんな移り行く景色を眺めるのが両親の次に大好きだった。
ある時、少年と両親はジパングを訪れ、可愛い雪童と出会い、そして別れ、海を出た。またいつものような冒険が始まる、少年はそう思っていた。
しかし、襲われた。海賊。魔物の仕業に見せかけ、金品を奪い取る残虐な連中に、不幸にも一家は目をつけられた。
父と母は少年を樽の中に隠し、海へ放り込んだ。海賊に捕まって奴隷にされるよりは、魔物になる方が遥かにましだろうと考えたのだ。
少年は樽から顔を出し、燃え盛る船を見えなくなるまでじっと見つめ続けた。二人の叫び声も大勢の笑い声も、荒波の音にかき消されていった。
少年が入った樽は運よく港へ流れ着いた。しかし、それで物語は終わる事は無かった。天涯孤独となった少年を助けてくれる程、その町に余裕はなかったのだ。少年の居場所は、そこには無かった。
金もない、家もない、今日食べるものもない。少年は路地や下水道を彷徨って、ネズミや魚を生のまま齧り付いた。そんな獣ような生活を送っていた彼の前に、一人の中年の男が現れた。
男はギャングだった。少年のような親なしの子を引き取って子分として育てていたのだった。彼はその方法で莫大な利益を得て、巨大な蜂蜜酒工房を手に入れる。いつしかそいつは『蜂蜜酒のジェフ』と呼ばれることになる。
少年は盗みたくなかった。脅したくなかった。騙したくなかった。
ただ、生きたかった。生きて、自分の居場所が欲しかった。


最近仲間で行方をくらました奴がいるとか、魔物娘が頻繁にこの港に訪れているとか、俺たちの威厳を保つ為にも魔物娘を追い払うよう各自で努力しろとか、そんな話を黙って聞いていた。
ジェフの話が終わり、他の連中が次々に席を外し、ついには俺とジェフだけになった。
「何か用があるなら」
ジェフが口を開いた。
「早く言ったらどうだ。ミドレ」
「………………」
俺はまだ言うかどうか考えていた。言っても言わなくても、悲しいことが起きるのには変わりがない。いや、このまま何も言わずに立ち去れば、少なくとも生きていける。あのバーで働いていられる。あのバーで……
何故だか、サクラの涙が頭をよぎった。
「ジェフさん。俺、辞めてもいいかな？」
「……なんだって？」
「もうあんたのとこで働いて随分たつだろ。そろそろ、足を洗いたくなったんだ……。店も結構繁盛してるの、知ってるだろ？みかじめ料も払うからさ……」
ジェフは何も言わない。が、やがて静かに、喉を鳴らす音が聞こえ、それが徐々に大きくなっていった。
そして。
「ふざけるな」
突如、脇腹目がけて強烈な一撃。内臓がシェイクされたように痛い。振り向くと、暗闇に紛れていた何者かが棍棒を振りかざしていた。見事な不意打ちに防御することもできなかった。
激しい痛みに呼吸が出来ず、ドタンと地面に転がる。ジェフはゆっくりと俺に近寄る。
「誰が飯を食わせてやった？誰がここまで育ててやった？居場所のないお前を生かしてやった恩を忘れたのか？」
おい！と蜂蜜酒の瓶を俺の頭に叩きつける。瓶は粉々に砕け、俺の顔は血と蜂蜜酒はべたべたになった。
「おい、こいつを外に連れ出すぞ。この恩知らずの若造にはもっと仕置きが必要だ」


どれくらい時間がたったか。いつの間にか辺りは真っ暗で、月明かりが照らすのみだった。
最早感覚がない。口は鉄の味でいっぱいになり、目も開けてられない程顔は腫れ上がっていた。倒れたいが、周りを囲むジェフの手下たちはそれすら許さず、攻撃の手を休める事はない。
「おい、そろそろやめてやれ」
自分のトランクケースに腰かけていたジェフの一声で、全員の手が止まる。俺は糸の切れた人形のように地面に倒れこむ。
「全く、何がいけなかったのかなぁ。酒場をさせたり、多少の我儘も聞いてやったのになぁ」
ゆっくりと酩酊してるような口調で喋るジェフ。しかし、ジェフが本気で酔った事など一度もない。相手を油断させる為の演技に過ぎない。どこまでも狡猾な男だった。
「ミドレ、いい加減頭を冷やしたらどうだ？」
ジェフは俺の髪を乱暴に引っ張り上げ、笑顔で言った。
「お前は一生俺の下で働くんだ。お前の居場所はここだ」
……いや、多分俺に居場所なんてない。ジェフに従ってそんな気になっていただけだ。もし居場所があったのなら……、サクラの気持ちに、素直に答えられたはずだから……。
「そこまでです」
凛とした、透き通った女性の声が通った。浴衣をまとった艶髪の乙女、サクラがそこにいた。
「その人を解放しなさい」
いつもの物腰柔らかな彼女とは違う、人を畏怖させるような凄味を漂わせていた。
「おっとぉ、白馬の王子様登場ってか？」
いや王女か、とジェフは指を鳴らす。部下たちはサクラの方を向き、構えた。
やめろ！彼女には手を出すな！そう言いたいのに、唇もうまく動かない。
「私の大事な人を傷つけた事、どうやって償っていただきましょうか？」
「強気だねぇ雪女。しかしどうする？魔物娘といえど、この数を相手に出来るかなぁ？」
ヘラヘラと下卑た笑い声。しかし、サクラは臆するどころか、静かに微笑んでいた。
「ええ、確かに私一人で貴方達を相手にするのは骨が折れます」
私だけ、でしたらね。サクラは袖をふわりと宙に舞わせた。
一瞬の事だった。サクラの後ろの闇がもぞりと動いたかと思うと、闇は幾重にも拡散し、男達に襲い掛かった。
「ひっ！」
悲鳴も上げる間もなく、影はならずもの達に覆いかぶさり、衣服を乱暴に剥いで無力化していく。
「や、やめろ！離せ！」
「抵抗するな！すぐ気持ちよくしてやる……ん……」
目の前の男が襲われている様を見て、その影が魔物娘だとようやく気付いた。彼女らがおもむろに黒い衣服を脱ぎ捨て、白い素肌をあられもなくさらけ出したからだ。
激しく腰を振るクノイチをはじめ、ザラザラの舌でキャンディをしゃぶる様にペニスを味わうネコマタ。相手を糸で絡めとり、捕食する如く凌辱するジョロウグモ。ぐるぐるに巻き付き、首筋から毒で相手を侵し犯す大百足。ジェフの部下の数を上回るジパングの魔物達によって、波止場は一瞬のうちに肉山脯林と化した。
「い、一体どうなってやがる！？どうしてこれだけの魔物が……」
「私が連れてきました」
サクラはにっこり笑う。
「ジパングからよんだのです。まだ相手のいない子達を、暫く前から少しずつ……」
サクラはゆっくりとジェフの方へと歩みよる。ジェフはサクラから目を離さずに引き下がる。だが、後ろは海。五歩も下がらずジェフは立ち止まってしまった。
「お……」
震えながらも必死に唇を動かすジェフ。
「お前は……何者なん、だ……！？」
「同業者ですよ。少し勢力を広げようとここまで来たのですが、思わぬ収穫というやつですね」
「お、俺達をどうする気だ……」
カチカチとジェフの歯が音を立てて震えている。
「そうですね。ええと、先ず以て貴方の工場はいただきます。そして、貴方の部下たちはあの娘達の旦那さんになっていただきましょうか。ああ安心して下さい。みんな気立てのいい子達ですから」
サクラとジェフの距離は１メートルもない。ジェフはサクラを凝視して、全身をブルブルと震えさせたまま硬直している。
「ですが」
そっと、サクラがジェフの顔に両手を添えた。
「貴方は許しません」
ジェフの耳元に寄せたサクラの唇から、ふーっ……と白い吐息が漏れた。
「あ……」
快感に身悶えたようなジェフの声。
しかし。
「あ、あああ、ああああああああ！ああああああああぁああああ！！あああああぁあ、ああああ！？」
絶叫。脳髄を破壊されたように狂い叫ぶジェフ。それをじっと見つめるサクラ。その表情は、吹雪のように凍てついていて、俺はただ震えているだけだった。

やがて。
彫刻のように動かなくなったジェフ。サクラがジェフの胸をちょこんと押すと、彫刻はぐらりと傾き、黒い海の中へ落ちて行った。ふと、ジェフが残したトランクケースに気付いたサクラは、まるで手向けというように海へと放り投げた。しかしケースは主人を追わず、海面をプカプカと浮きながら、潮に流されて消えて行った。
くるりと踵を返し、サクラはこちらを振り向く。いつものサクラだ。
その表情に一瞬やすらいだが、ここでようやく全身に響く鈍い痛みを思い出した。
そして、意識が遠のいていく。


雪のように白い髪をなびかせた女が一人。月夜に照らされて、それは美しく輝いていた。
一歩、彼女が俺に近づく。体が凍り付きそうな位寒い。
「ねえ、知っていますか？」
また一歩近づく。寒い。体はピクリとも動かない。
「雪女に見初められた男の人は……」
さらに一歩近づく。寒い。心臓も動くのを止めてしまいそうだ。寒い。
「絶対に逃げられないんですよ……？」
ああ……誰か……助けて……
雪女はかがみ込む、顔はもう目の前にあった。
雪女は、
サクラは、俺の頭を右手で優しく撫でた。
「もう、大丈夫です」
その声で安心してしまったのか。次の瞬間、俺の意識の糸はふつん、と小さな音を立てて切れた。


瞼を開いてみると、白くて四角いベッドの上だった。
「お目覚めですか？」
サクラが隣で椅子に腰かけていた。
「もう二日も寝てたから、ずっと起きないんじゃないかと思いましたよ」
リンゴ食べます？サクラはナイフを器用に使って剥き始める。
「……なんで、俺の事を助けたんだ。嘘ついてたのは知ってたのか」
「いいえ。ただ、気付いただけです。運命の人なんて言ってましたけど、結局私、適当な理由を付けて貴方と結ばれたかっただけなんだって」
可愛いウサギ型のリンゴをフォークで刺すと、こちらに向けて差し出した。
「はい。あーん」
気恥ずかしくて少し躊躇ったが、周りに誰もいないことを確認すると、あーんと口を開いた。うん。甘くて瑞々しくておいしい。意中の女性に食べさせて貰えるとなれば一入である。
シャリシャリと黙々リンゴを味わっていると。
「ところで……。どうして、私に嘘をついたんですか？」
「ごほっ」
危うく喉を詰まらせるところだった。慌ててサクラの顔を見る。
「…………………」
ダメだ。目が笑ってない。どう見ても言い逃れできそうになかった。俺はリンゴを飲み下して告白する準備をした。
「……巻き込みたくなかったんだよ。俺が魔物娘とデキてるなんてあいつに知られたら、あんたが何されるか分かったもんじゃないからな」
「全く。そんな事だったんですか」
サクラは呆れたようにため息をついた。
「そんな事って、俺は……」
「その後どうなるかなんて、後で考えれば良いのです。実際、どうにかなったでしょう」
何を当たり前のことを、みたいな調子で彼女は答えた。この肝っ玉の強さは本当に驚き入るばかりである。
「流石、ジパングのギャングボスってことか」
「あっちでは姐さんかお嬢って呼ぶんですよ」
「なるほどな」
そっちの方が可愛らしくていい。お嬢と呼ばれてるサクラをイメージしてなんとなくしっくりきた。
コンコンと、会話が一段落ついたのを見計らったようにノックの音が響く。
「あら、何かしら」
と、サクラがドアを開けてると。
「どうも！狸の商い屋です！」
威勢のいい声の刑部狸がずかずかと病室に入ってきた。
「こちらに怪我をされた方がいるとお聞きしまして、伺った次第で御座います！」
怪我人と病人以外が病室で寝てる訳あるか。と野暮な突込みは入れないで置いた。
「そんな方にジパングから取り寄せたお薦めの品がございましてですね」
「まあ」
サクラの瞳がキラキラ輝く。こういうの好きそうだなぁ。
「今回の商品はこちら、ジパングの湯の素！！」
テーブルに置かれた緑色をした紙製の箱には、青い山が描かれていた。まさに絵に描いたようなジパングデザイン。
「ジパングと言えば優れた効能の温泉！この為だけにわざわざ足を運ぶ人もいるくらいです。でも床に伏せったこの体じゃ、そんな力もない……。そんなあなたの為に作りました！！」
「本社が研究に研究を重ね、温泉成分の固形化に成功！この錠剤を一つ湯船に投げ込めば、あっという間にお家のお風呂が温泉に早変わり！」
「この湯に浸かれば全治３か月だろうと一週間で元通り！さあ気になるお値段ですが……」
「まあ、温泉ですか。いいですねぇ」
饒舌な狸の言葉を遮り、サクラが呑気に喜んでいる。もう値段などどうでもよいのだろう。
「それ、頂きます」
「毎度！サービスで美肌石鹸とジパング酒をつけさせていただきます！」
「まあ」
ますます上機嫌なサクラ。
「高いんだろうなぁ……」
「まあまあ、良いじゃないですか。一緒に湯治と洒落込みましょう」


ちゃぷん

「はふぅ……」
大きく息を吐くサクラ。背中を俺の胸にくっつける形で湯に浸かっている。病院の小さい風呂を借りているので、結構密着している。
「どうです、ミドレさん。気持ちいいですか？」
「ん、あ、ああ」
不思議なことに、体の痛みが徐々に和らいでいった。温泉の効果なのだろうか。

ちゃぷ　ちゃぷ

「そ、それにしてもサクラさん」
「何ですか？」

ちゃぷ　チュプン　ヌチュプ

「風呂に入りながら、するっていうのは、その、行儀が悪くないか？」
「あら、じゃあやめてしまいますか？」
腰の動きを止めるサクラ。冗談じゃない。こんな生殺し耐えられる訳がない。
「いや、俺が悪かった」
サクラはころころと笑いながら、またゆっくりと上下に動き始めた。

チュプ　チュプ　プチャン　ポチャ　クチャ　

「ん、ふふ。こういうのも、趣があって、いいですね」
お風呂のせいか、それとも快感か、サクラは気持ちよさそうに腰を振リ続ける。
サクラの腰に手をやる。流れるような背筋に、きゅっと小ぶりに盛り上がったヒップ。折れてしまいそうな華奢な体を、いたわる様に愛撫する。

ニュチュ　チヤプ　チュク　クチュ　チャプ　ニチュ　チュニュ

徐々に速度を増す腰の動き。温泉の温かさと、サクラの中の温かさ。２種類の温もりに包まれてると、どうしても我慢が出来ず、容易く絶頂まで上りつめてしまう。
「うっ……くぅぅ……」
ビュクリ、と小さく淫棒が暴発した。
「あ、はぁ……あつぅい……」
サクラもそれを膣で感じ取り、身を震わせた。昨日の射精とは違う、とても穏やかな絶頂に、思わず吐息を零してしまう。
驚いたことに、負傷の身でありながらペニスはまだ溌剌として、サクラの中で反り返っていた。
「ふふ、この温泉、性欲増進、精力増強等の効果があるらしいですよ」
ジパングの温泉、おそるべし。
「まだまだ、いけそうですね」
今度はサクラがこちらを向き、首に腕を回す姿勢になった。
「ミドレさんは動かないでくださいね」
そう言って、ゆっくりと長いストロークで動き出す。俺になるべく負担をかけない配慮、なのだろうか。
「い〜っぱい、楽しみましょうね」
のぼせないか、心配になってきた。


その後、俺達は風呂場の中で何度も愛し合った。湯は元々濁っていて分からないが、湯の香りと行為の残り香が混じって、淫らな香りが部屋一面に充満していた。
「「はふぅ」」
二人そろって、吐息を一つ。
「申し遅れましたが」
サクラは更に俺によっかかって、此方に顔を向けた。
「こんな女ですけれども、よろしくお願いしますね。旦那様」
……しれっと旦那様と呼ばれた。驚いたが、悪い気はしなかった。
ちゃっかりしてて、強かで、度胸があって、怒ると怖い雪女。はじめは何とも思ってなかった彼女の事を、今はどうしようもないくらい愛おしく想っている。
「……こちらこそ」
そっけない言葉で返しても、サクラはとてもうれしそうだった。


それから。
ジェフから奪い取った工場は本当にサクラの物になり、魔物達の雇用先として一役買っているようだ。
工場で作った蜂蜜酒はうちの酒場にタダで卸してくれてるので、上質な蜂蜜酒をどこよりも安く提供している。
お陰で、我が酒場「フロストフラワー」は美味い蜂蜜酒と雪女の作るおいしい料理で有名なお店となり、そこそこに繁盛した。
色々と本業が忙しいだろうに、サクラはそんな素振りを見せることなく、店を手伝うのを止めようとはしなかった。ギャングよりもこっちの仕事の方が好きなんだとか。
今日もサクラと二人で店を掃除していた。モップをかけながら、この間まで悩んでいたことを思い出した。
『自分の居場所はどこなんだろうか』と。
それは酒場？でも、これはジェフから譲り受けたもので、言わばお古だった。行商の度に移り住んでいたから、故郷と呼べるものもなかった。
結局いくら考えても答えは出なかったが、それを悲しむ事は無かった。そういうものだと思ってた。彼女を意識するまでは。
彼女のお陰で気づいた。自分に必要だったもの。
ジェフの死によって解放された俺は、自分の居場所を手に入れられたのだろうか。
テーブルを拭いているサクラに問いかけた。
「俺の居場所はここでいいのか？」
サクラは、俺を見て少し考えた後、にっこり笑った。
「貴方の居場所は、ここにありますよ」
サクラは寄り添い、俺の胸に顔を埋めた。
「その言葉、酔っぱらいのじじいも言ってたなぁ」
これが俺の居場所か。なんて小さくて、か弱そうな場所だろう。両手で抱え込んでしまえる。
いやしかし、なるほど。これほど守り易く、愛し易い居場所も他にはない。
俺はサクラを抱きしめ、ぎゅっと強く抱きしめて、ずっとこの居場所を守っていこうと一人で誓った。
抱き付いた感触が心地よくて、俺はあともう少しだけこのままでいようと思った。


こうして雪女に見初められた俺は、身も心も彼女に奪われてしまった。
だけど別にいいのさ。貰った物に比べれば、俺の人生なんて安いもんだ。

■作者メッセージ
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。