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第四話(後編)
 クランの父は厳格ではあったが、悪い意味で適当な人間だった。奔放で、自分の主張を何より第一とし、細かい事は気にしない主義でもあった。それは恋愛観においても同様であり、いついかなる時も自分の意見が優先されると本気で思っていた。 
 その日の彼も、そう思っていた。彼はその日、自分の横を通り過ぎたある女性――側室ですらない、ただの王族関係者の女性である――を不意に捕まえ、無理矢理私室まで連行し、そこで己の権力を盾に無理矢理犯したのであった。
 
「は?」

 そこまで聞いた段階で、レモンが全身から魔力を放つ。その幼い体を包み込む漆黒のオーラは怒りにまみれ、今にも爆発寸前だった。実際、あちこちにある本棚が悲鳴を上げるように軋み始め、やがて図書室全体が地震に襲われたかのように揺れ始めた。
 
「す、すいません! 話は始まったばっかりです! 落ち着いてください!」

 慌ててクランが止めに入る。全力で請われたバフォメットはすぐに我に返り、「すまぬ」と謝りながらオーラを消した。
 図書室の震えが止まる。クランが肩を落とし、安堵のため息を吐く。
 
「それで、その後どうなったのじゃ?」

 一つ咳払いをした後、気を取り直してレモンが尋ねる。クランも頷き、話を再開させる。
 
「とにかく、僕の父はそうして、一人の女性と関係を持ったんです。でもそれは、父にとっては遊びでしかなかったんです」
 
 たまたま目についたその女性が美人だったから、つい手が伸びてしまった。それ以上でも以下でもない。一夜限りの些細な遊び。
 国の所有者たる、王者の特権。些細な戯れである。
 
「でも、遊びでは済まなかった」
「なぜ?」
「僕が出来たからです」
 
 しかしその女性は、そのたった一度の「戯れ」で孕んでしまった。父はたった一回で受精するはずが無いだろうと高を括っていたが、後の祭りだった。
 当然、それを知った父は動転し、すぐに廃嫡を求めた。己の汚点を残すわけにはいかない。彼の行動は迅速だった。
 しかしその時には、既に彼の正室――父の本妻に知られてしまっていた。彼女はどこからか漏れてきたその情報を、ばっちり耳にしていたのだ。
 
「正室……つまり現女王陛下は、それを知って大層お怒りになりました。そして女王陛下は、僕を身籠ったその女性と、お腹の中の僕を殺さぬよう命じたのです」

 全ては王の不手際によって起きたこと。その者らに罪はない。
 その女王の命令によって、クランとその母親は一命を取り留めた。しかしクランが不義の子であり、また王族の血を継いでいる子であることも事実だった。簡単に世に出していいものではない。出せば、王家の権威は少なからぬダメージを受ける。
 だからクランと母親は、揃って城内の一角に軟禁された。表の世界でも情報統制が敷かれ、クランという王族はいないことになっていた。
 
「城下の者共はそなたを知らんのか?」
「はい。僕が王族に連なるものであることを知っているのは、王城で暮らす人の中でもごく僅かの人だけです」

 クランからの言葉を聞いたレモンは、すぐに顔を怒りで歪めた。そして怒りのまま、吐き捨てるように言葉を放った。
 
「今まで無かったことにしておいて、今になってクランを王族として売り込んできたのか。大した面の皮の厚さよの」

 レモンの怒りは、まだ見ぬ王へ向けられていた。クランはそれを見て、どこか捨て鉢な態度で笑いながら口を開いた。
 
「僕に王らしく振舞うように命じてきたのは、女王陛下なんです。希望を捨ててはいけない。いつか役に立つ時が来るから、その時に備えて王の知識を身につけておけと、女王陛下から直々に命じられたんです」

 クランの元に毎日教育係を寄越したのも、そしてクランの護衛役にミラを任命したのも、全てその「女王陛下」だった。そうしてクランは豪華だが閉じ切られた空間の中で、ミラに守られながら王の勉強を進めていった。
 
「外にも出られなかったし、世界で何が起きてるのかもわからなかった。勉強漬けの毎日には息が詰まりそうだった。でも、辛くはなかった」
 
 窮屈だが、決して寂しくはなかった。自分の傍らには、いつもミラがいた。護衛役のミラが、いつも自分の寂しさを紛らわせてくれていた。
 ミラがいたから、自分は王としての勉強も続けられたし、軟禁生活にも耐えられた。
 
「僕にとって、ミラはただの護衛騎士じゃない。もっと大きくて、もっと大切な存在なんです。だからそんなミラを、僕の都合で汚すことなんて出来ない」

 汚い父のように、王の権利を振りかざしてミラを押し倒すこともしたくない。クランの悲痛な訴えが図書室に響く。
 
「ミラは僕を信頼して、僕のことを守ってくれている。妾の子、王家の恥とも言えるこの僕を、全身全霊で守ってくれる。そんなミラの信頼を、僕は裏切りたくない」

 クランが真面目な顔で言い切る。
 
「だから、僕はこの気持ちを墓まで持って行きます。僕のミラを傷つけたくないから」

 彼の意志は固かった。まさに鋼だった。
 それを見たレモンは、思わずため息をついた。これを崩すのは一筋縄ではいかない。
 
「……強情じゃのう」

 呆れたようにレモンが呟く。クランは顔色一つ変えない。
 どこまでも頑なである。二人は見つめ合ったまま、その場を動かなかった。
 にらみ合いは数秒続いた。先に折れたのはレモンだった。
 
「わかった、わかった。儂の負けじゃ。これに関しては、儂からはもう何も言わん」

 投げ遣りにそう言いながら、レモンがクランから視線を離す。一方で競り合いに勝ったクランは、それでもなお表情を硬くしたままだった。
 
「ミラは、僕の大切な人なんだ……僕の……」

 自分に言い聞かせるように、淡々と呟き続ける。レモンはそんなクランの姿を見て、再びため息をついた。
 
「阿呆。痩せ我慢しおって」




 その日の夜。城主ヴァイスの私室。
 
「駄目じゃ駄目じゃ。全然なびかん。あ奴め、テコでも動かんわ」

 クラン達に宛がわれた部屋を二回り狭くしたようなせせこましい空間に、レモンの声が虚しく響き渡る。それからレモンは前に向き直り、自分と同じテーブルを囲む面々を見やりながら、疲れた調子で言葉を続けた。
 
「あの王子様、自分からは全く動かんつもりじゃぞ。こっちから粉掛けてもびくともせん」
「こっちも同じ感じっすねー。あの騎士様、あれこれ言い訳つけて本心誤魔化しまくりっすよー」

 レモンの言葉に合わせて、卓を囲む別の魔物娘が声を上げる。この日の昼過ぎ、ミラと共に通路の掃除を行った銀髪のサキュバスである。彼女もレモンと同じように、ミラへの不満をここぞとばかりにぶちまけていた。
 
「火傷は、まあ、不憫だなとは思いますけど。でもあれくらいで断るほど、あの王子様は絶対ヤワじゃないっすよ」
「その通りじゃ。儂の見立てでは、あの王子は心から騎士を好いておる。それくらいの障害、屁でもなかろうに」

 サキュバスの言葉にレモンが同調する。すると銀髪のサキュバスも「そうっすよ、絶対そう!」と強く同意し、そして強情な騎士に思いを馳せては本日何度目かもわからないため息をついた。そんな光景を、部屋の主であるヴァイスは微笑ましげに見つめていた。
 今この部屋には、ヴァイスとレモンと件のサキュバスの三人がいた。ヴァイスが今日の午後に例の二人と深く絡んだ彼女達を呼び寄せ、近況を報告させていたのだ。
 彼女達の最終目的はもちろん、あの王子と騎士をくっつけることである。
 
「脈があるのは確実。両想いと言ってもいい。しかし一線を踏み越えるギリギリのところで、忌々しくも踏み留まっておる。無駄に意地など張りおってからに」
「人間って本当面倒くさいっすよねー。それくらいでウジウジ悩むなんて、理解不能っすよ」
 
 愛と肉欲と堕落を至上とする彼女達にとって、ミラとクランは是非ともくっつけたい二人組であった。新たな愛の成就する瞬間が見たい。その想いが彼女達を動かしていた。
 もっとも、実際は成果などあろうはずも無いのだが、そこはそれ。二人はヴァイスに対して、正直に事の顛末を報告したのであった。
 
「ところで、グレイはどうしておる? まだあの遣いと一緒か?」
「ええ。今は対面座位に挑戦してるところらしいっす」
「伴侶と愛の睦事か。羨ましいのう」

 そうしてあらましを離し終えた後、思い出したようにレモンが尋ねる。それに関しては銀髪のサキュバスがそう答えた。竹馬の友の近況をサキュバスから知らされたレモンは心底羨ましそうに呟き、銀髪のサキュバスも明後日の方向を見つめながら「私も結婚したいなー」とうそぶいてみせた。
 
「騎士様もグレイ様と同じくらい積極的だったらいいのになー」
「もしそうならここまで苦労はせんよ」
「ですよねー。はあ……」
 
 これといって成果の無い、実りの薄い報告会。しかしヴァイスとしては、彼らの情報を聞き出せただけでも万々歳だった。
 
「そういうことになってたのね。ありがと。よくわかったわ」

 二人の報告――あと己の「右腕」の爛れた現状――を聞き終えたヴァイスが、二人に労いの言葉をかける。この時のヴァイスは二人と異なり、今の状況に悲嘆しているような素振りは見せなかった。
 
「まったく、強情な人間達ね。事情はわかるけど、それくらいで恋心を腐らせてしまうのは勿体ないわ」

 困った、と言うより、呆れたような口ぶりで、ヴァイスが言葉を紡ぐ。それに気づいた銀髪のサキュバスとレモンが、同時にヴァイスに視線を向ける。
 
「ならここは、私達が一肌脱ぎましょう。人間の理性を脱ぎ捨てさせて、真の恋に目覚めてもらうのよ」

 二人の配下の視線を受けながら、ヴァイスが愉しげな口調で言い放つ。
 配下共の目の色が変わる。その気配の変化をヴァイスは見逃さない。
 
「どうする? 一緒に楽しむ?」

 城主が不敵な笑みを浮かべて問いかける。
 その悪魔の誘惑に、彼女の部下は二つ返事で乗ったのだった。
17/07/18 19:14更新 / 黒尻尾
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