連載小説
[TOP][目次]
第四話(前編)
 ミラが掃除に勤しんでいたのと同じ頃、クランは城内にある図書室にいた。そこで彼は城主ヴァイスの「左腕」――バフォメットのレモンから、魔物娘の歴史についての講義を受けていた。
 
「二人の視線が絡み合う。男と女が、共に裸体を曝け出し、ベッドの上で見つめ合う。後はもう、するべきことは一つだった――」

 レモンが手にした教本の中身を朗読し、クランもまた彼女の持つものと同じ本を広げ、バフォメットの朗読する部分を目で追って行く。幼い王子の顔は真っ赤だった。
 お構いなしにレモンが朗読を続ける。
 
「本当に、俺でいいのかい。男が躊躇うように問いかける。その男の口を、女が自分の口で塞ぐ。唇が重なり合い、やがて卑猥な水音が室内に響き合う。二人の唾液が混ざり合い、それを互いに分け合って嚥下していく。ナメクジのように下を絡ませ、口の中を貪りあう」

 情緒たっぷりに、レモンが文章世界を言葉で表現していく。声変わり前の幼女が放つソプラノボイス、広大な図書室に滔々と響いていく。レモンによる世界の構築が、初心なクランの股間を滾らせていく。
 まだやめない。
 
「やがて二人の唇が離れる。名残惜しむように、互いの唇の間で糸が引かれる。そうして顔を離した後、女が寂しそうに笑いながら男に言った。今更でございます、旦那様。もう私の躰は、全てあなた様のものなのです……」
「あ、あの」
「どうか旦那様の熱で、私を包み込んでください。旦那様の精で、私の心を癒してください――」
「あの、ちょっと」

 疼きに堪えられなくなったクランが、声色を1オクターブ高めて待ったをかける。大声で遮られ、朗読を中断されたバフォメットはあからさまに不満げな表情を浮かべ、本から目を離してクランを見つめた。
 
「なんじゃ、なんじゃ。これからいいところであったと言うのに。無粋な奴じゃのう」
「いや、そのなんていうか」

 非難囂々なバフォメットの視線を正面から受け、若干しどろもどろになりながら、それでもすぐに彼女に向き直ってクランが尋ねる。
 
「これ、歴史の授業ですよね」
「そうじゃ。立派な歴史の講義じゃ」
「でも今読んでるのって、その」
「これか? 見てわからんか? 成人向けの創作小説じゃ」

 自信満々にレモンが答える。さらにレモンは本を閉じ、表紙のある一点を指差しながら、席に座るクランに詰め寄っていく。
 
「この儂が書いたものじゃ! タイトルは『焼けつく海』。魔物娘と人間の男の恋愛模様を描いた、ちょっぴりエッチな大人の本じゃ」

 レモンが指さしたところには、作者の名前が書かれていた。レモン・キャステロール三世。それが作者の名前だった。
 
「知り合いに物書きのリャナンシーがおってな。そやつに触発されて、儂も真似して書いてみたのじゃよ」

 レモンは見るからに楽しそうだった。クランは楽しんでいいのかわからない微妙な表情を見せた。
 そこにレモンの言葉がかけられる。
 
「それで? この本がどうかしたのかの?」

 バフォメットの問いに、まずクランは一度首を縦に振った。それから自分も本を閉じ、腹を括ってレモンに尋ねた。
 
「これ、歴史の授業と関係あるんですか?」
「無論じゃ」

 レモンは即答した。クランはまさに開いた口が塞がらないと言った有様だった。
 そこにレモンの補足が入る。
 
「魔物娘とはどういう存在なのか。魔物娘とは何を目的として活動しているのか。それを知るために、この本はまさに最適な教材なのじゃ。小難しい教本なんかよりも、こっちの方がずっとわかりやすいしのう」
「自分の書いた本を宣伝したいってだけなんじゃ……?」
「それもある」

 レモンは正直だった。その人間臭い性質を見て、クランは完全に毒気を抜かれていた。魔物娘は思っていたより「柔らかい」のではないのか? そんな思いが心の隅に芽生え始める。
 気を取り直してクランが再度尋ねる。
 
「でも、本当にそうなんですか? これが一番の教材っていうのは」
「もちろんじゃ。ここには魔物娘の望むもの全てが入っておる」
「つまり?」
「愛じゃよ」

 そう答えて、レモンが得意げな顔を見せる。完全に決まった。そう言いたそうな顔だった。
 しかし当のクランは、彼女が何を言いたいのかいまいち理解できなかった。故に彼は何も言わず、ただ鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
 今度はレモンが渋い顔をする番だった。
 
「ま、まあつまり? 魔物娘は愛を一番に考えて行動する存在ということじゃ。人間の男を愛し、その愛した者とまぐわい、種をもらって子を孕む。それを至極の幸せと考え、それを成就させるために行動する。それが魔物娘なのじゃ」
「へえ……」

 気を取り直して、レモンが注釈を加える。クランにとってそれは初耳もいいところだった。生まれてから今までずっと城に閉じ込められ、まともに外出も出来なかった彼は、「その程度」の知識すら掴むことが出来なかったのであった。
 
「魔物って、人を襲って食べるような者じゃないんですか?」

 自分の持つ唯一の知識を明かしながら、クランがレモンに問いかける。それは彼が故郷の王城にある図書室から仕入れた知識であった。その図書室にあった魔物関係の本は、旧時代のそれに関して記述されたものしか無かったのだ。
 そしてそれを聞いたバフォメットは、やれやれと言わんばかりにため息をつき、首を横に振った。
 
「それはもう昔の話じゃ。今の儂らは、言うなれば恋の奴隷。恋に生き、恋に果てんとする、まさに乙女なのじゃ」
「乙女……何がどうなってそうなったんですか?」

 クランが食いつく。相手が自分達のことに興味を持ってくれたことに、レモンが少なからぬ喜びを感じる。
 
「聞きたいかの?」

 レモンが問いかける。クランが大きく頷く。
 
「では、簡単に説明するとしよう。本当の歴史というのをな」
 
 それを見たレモンが声高に宣言する。その後彼女はたった一人の生徒に対して、自分達が「そうなる」までの経緯をかいつまんで説明した。
 歴史の授業は三十分で終了した。
 
「すごい……!」

 レモンから魔物の歴史を聞き終えた後、クランは目を輝かせてそう呟いた。自分の知らない未知の事象。それを前にして、彼の心は躍っていた。
 すっかり好奇心の虜である。
 
「本当に、そんなことが起きたんですか?」

 虜のままにクランが問う。レモンは己の知識を披露することに喜びを感じながら、大きく頷いてそれに答えた。

「もちろんだとも。そうでなければ、儂らは今こうして歴史の授業などしておらん。愛の素晴らしさに気づけたからこそ、儂らは今のように、人間と歩み寄ることが出来るようになったのじゃ」

 歩み寄った分、相応の対価はいただくがの。レモンが意地悪そうにクツクツと笑う。その悪どい笑顔を見たクランは、しかし彼女を可愛いと思ってしまった。どのように男性を口説き落とすのだろうと考えたりもした。
 それはいけないことだと考え直すこともしなかった。
 レモンが口を開く。
 
「つまり、人と魔物の愛を濃密に描いたこの本は、立派に教本として成立するわけじゃ。この本に書かれているように、魔物の中ではあらゆる愛が肯定される。痛みを伴うのも、まあやり過ぎない範囲であれば良しだ。とにかく儂らは、全ての愛を認めたいと考えておるのじゃ」

 そこで一旦口を閉じ、レモンがクランへ顔を近づける。耳元に口を寄せ、小さい声でそっと囁く。
 
「当然、そなたの愛もな」

 クランが目を剥く。咄嗟に顔を離し、驚きの形相でレモンの横顔を見つめる。好奇心は全て吹き飛び、そこには焦りと一抹の恐れだけがあった。
 レモンが眼球だけを動かし、そうやって驚くクランを横目で見据える。
 
「もう皆気づいておるぞ」

 そう言って、意地悪そうにバフォメットが笑う。クランが生唾を飲み込む。心の内を見透かされた気がして、喉が一気に渇いていく。
 
「どうして……?」

 干された喉から言葉を捻り出す。そう返すので精一杯だった。
 
「気づいたかって?」

 彼の言葉の後を継ぐように、レモンが聞き返す。驚きの顔のまま、クランが無言で首を縦に振る。
 直後、レモンが景気の良い笑い声をあげる。
 
「そんなもの、気づいて当然じゃ。そなたがあの騎士に惚れておることくらい、そなたらを一目見た瞬間からお見通しじゃよ」

 そして顔を離しながら、レモンがきっぱりと言ってのける。それを聞いたクランは、一転してその顔を羞恥で真っ赤に染めた。
 それまでひた隠しにしていた己の恋心を、あっさり見破られてしまった。恥以外の何物でもなかった。
 
「土下座までして己の部下の身の安全を頼み込む王など、普通はおらんからのう。いや、好いた女子を命に代えても守らんとするその姿、あっぱれであったぞ」

 一方のレモンは、そんなクランの恥などお構いなしに話を進めていた。彼女の良く通る声――称賛と喜びに満ちた声は図書室中に鳴り響き、クランの耳と脳を否が応にも揺さぶった。
 クランの顔がますます赤くなっていく。無言で俯き、必死で羞恥に耐える。
 そのクランに、レモンが再び顔を近づける。
 
「それで? いつ告白するのじゃ?」

 レモンが興味津々に尋ねる。クランの体が一瞬跳ねる。
 休むことなくレモンが口を開く。
 
「さっきも言ったが、ここでは全ての愛が許されるのじゃ。王と臣下、身分違いの恋も同様じゃ。気負うことも、責任を感じることもない。ただ肉欲のままに、好きな者の体を貪れば良いのじゃ」

 ウキウキとした口調でレモンが尋ねる。まさに悪魔の誘惑だった。
 一人の少年を愛に堕とす。自分がしていることを再認識し、レモンの顔がさらに喜悦に緩む。
 
「躊躇うな。やってしまえ。我々がそなたらを襲わなんだのも、全てはそなたに愛する者がいた故なのじゃ。そなたの愛は、ここでは何より尊重される。誰もそれを責めたりはせぬ。欲望のままに動くのじゃ」

 渋るクランの面前で、レモンが一気呵成にまくしたてる。彼女はこの時、所謂「悪役ロール」に徹していた。言うなればそれは、道ならぬ恋に悩む少年を闇に誘う悪い魔女の役である。
 もっとも、レモンはそれが悪徳であるとは微塵も思っていなかったが。それでも彼女はノリノリだった。
 
「……僕は」

 その内、ようやっとクランが口を開く。決心がついたか。レモンが言葉を止め、じっとクランを見つめる。
 顔を上げ、クランが再びレモンを見つめる。二人の視線が重なり、自分と同年代に見える外見をした魔物娘の顔が視界に映る。
 レモンの顔をじっと見ながら、クランが口を開く。
 
「出来ません」

 クランの言葉が耳に刺さる。
 直後、レモンは己の頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を味わった。
 
「何故じゃ!? 儂の話を聞いておらぬのか!」

 混乱しきりに、レモンが詰問する。クランはそうして慌てふためくバフォメットを見つめながら、静かに答える。
 
「僕は、本物の王様じゃないんです。父である現王が、愛人との間に作った、不義の子なんです」
「なに?」

 突然の告白にレモンが目を白黒させる。クランはその後伏し目がちになり、チラチラと上目遣いでレモンを見つめてきた。
 
「構わぬ。理由を申してみよ。おおかた、そなたの過去に関係があるのじゃろう?」

 意図を察したレモンが許可を出す。クランは頷き、ありがとうございますと小さい声で言った。
 
「僕があの人に告白できないのは、あなたの仰る通り、僕の過去に関係しているんです」
「つまり?」
「……あの人は、僕にとって一番大切な人なんです」
17/07/18 19:14更新 / 黒尻尾
戻る 次へ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33