連載小説
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そのいち
 魔物娘が治める国に未婚の男性が足を踏み入れる時は、少なからぬ覚悟を決めることが必要となる。愛に飢えた彼女達にとって、まだ「女」に染まっていない男は金銀宝石以上に希少な存在であるのだ。もし独身男性が無防備で道を歩こうものなら、その者はたちまち魔物娘の餌食となってしまうだろう。
 それはここ、ドラゴニアでも同じであった。かの国は竜と人が共存する平和な国であったが、「特定の人間」にとって危険な場所であることに変わりはなかった。流石に命の危険は無いが、代わりに余生を異種族の伴侶と共に歩むことになるリスクは常に付き纏う。危険なことに変わりはなかった。
 だが逆にそれを承知で、ドラゴニアや他の魔物娘の国に進入する独身男性も存在した。彼らは魔物娘に襲われることを脅威と思わず、むしろそれを期待していた。襲撃上等、結婚上等、魔物娘と同じくらい愛を求める、奇特な人間達である。
 
「やっと着いたな。ここがドラゴニアか」
 
 この男もその一人だった。齢は二十五。中肉中背。髪質は潤い、瞳は澄み、肉体には活力が漲っていた。全身を若さで満たした、まさに熟した果実である。
 そして奇人であった。男は魔物娘に惹かれていた。特にドラゴンやワイバーンといった、「鱗で覆われた翼」を持った魔物娘に恋をしていた。ハーピーのような羽に覆われたタイプの翼は守備範囲外だった。
 とにかくそんなわけで、男は自身の願いを叶えるために、ここドラゴニアにやって来たのであった。なお彼は同性の友人は引き連れず、本当に独りでこの国を訪れた。人と魔物娘の融和は進んではいるが、大多数の人間にとって異種族間の恋愛はまだまだ特殊性癖の域を脱していなかった。
 男の周りに、その男の性癖を理解できる人間はいなかった。
 
「えーと、まずはガイドを探すべし、か」

 もっとも男の方は、それを苦と思ったことは無かった。自分の価値観が歪んでいるとも思わなかった。好きなものを好きになって何がいけないのかと、彼は常に堂々としていた。
 ドラゴニアの訪問に難色を示す彼の友人は多かった。やかましい。俺は行くと決めたら行くのだ。
 
「すいませーん。ちょっといいですかー」

 男はブレなかった。彼は恐れることなく、ドラゴニア公認の観光案内所に向かった。
 
 
 
 
 ドラゴニアでは特殊な例外を除いて、初めてやって来た人間は観光案内所に在籍する「ガイド」に案内を頼むのが推奨されている。山の斜面に沿って築かれた山麓国家であるドラゴニアは、非常に広大かつ複雑な造りをしており、何も知らない人間が無策で歩き回るには適していない環境下にあった。領内を行き来する際に過酷な登山を強いられることもざらである。
 故にまずはガイドを伴い、ガイドの指示に従って行動するべし。安全に――「比較的安全」にドラゴニア観光を楽しむためには、彼女達ガイドの存在が不可欠なのである。
 
「失礼する! 今日は私が貴様を案内することになった。よろしく頼む!」

 男もそれに従った。観光案内所でガイドを頼むと、すぐにガイド役の魔物娘がやってきた。例によってドラゴン族の女の子であり、男の期待値は早速急上昇した。
 そのドラゴン族のガイドは自分より背が高かった。赤みがかった鱗を持ち、声には威厳が満ち、顔は自信たっぷりに笑みを浮かべていた。強者の余裕である。語調や言葉遣いが若干荒々しかったが、男からすればそこも好ポイントだった。
 
「はい、よろしくお願いします」

 だから男は、至って自然体で返事をした。期待と興奮から、声の中に喜色さえ混じらせていた。
 
「ほう?」
 
 それを聞いたドラゴン族のガイドが目を細める。何か機嫌を損ねることをしてしまったか。男は一気に不安になった。
 
「違う違う。私を前にして全く怯まぬ貴様の心根に好意を抱いたのだ。悪感情を抱いたわけではない」

 そんな男の心の動きを察したか、ガイドが先手を取るように口を開く。男はそれを聞いて幾分か安心した。
 そこにガイドが追い打ちをかける。
 
「寧ろ私のようなドラゴン族と相対して全くたじろがぬその姿勢、実に気に入った。率直に言って、好きだ」

 裏のない、純真な告白だった。異性との付き合いに慣れていなかった男は、それだけで面食らった。
 
「えっ、あの、うっ」
「ふははっ、貴様面白い反応をするのだな」
 
 そうして直球の「好き」を受けてたじろぐ男を見て、ガイドのドラゴンが愉快そうに笑う。それからガイドは笑ったことを謝罪しつつ、男に向けて手を差し出す。
 
「――すまない。私にここまで隙を見せてくれた者と出会うのは初めてなものでな。つい気持ちが軽くなってしまった」
「は、はあ」
「貴様を弄んだこと、まずは謝罪する。済まなかった。そしてもし良ければ、このまま私に案内をさせてほしい。貴様にこの国をもっと知ってほしいのだ」

 謝罪の言葉も提案の言葉も、共に含みのない素直なものだった。このドラゴンはどこまでも真っ直ぐだった。
 それを聞いた男もまた、襟を正してガイドと向き直った。困惑は既に無く、彼は目の前のガイドを彼女と同じくらい真っ直ぐに見つめた。
 
「……はい。お願いします」

 そしてドラゴンの手を取り、静かにそう告げる。彼もまた、目の前のガイドを好きになり始めていた。
 迷いのない立ち姿と二心のない物言いが彼の心を掴んでいた。言葉には出さなかったが、惚れていたこと自体は態度で丸わかりだった。
 ガイドが感激したのは言うまでもない。
 
 
 
 
 ガイドは自ら新入りと名乗った。その名乗りに偽りは無く、持参してきたパンフレットを広げておすすめスポットを確認する有様であった。
 
「えーと、ここがこれで、次に……」

 隠すことすらしない。いっそ潔い。
 何事かと思い、男がじっと見つめる。視線に気づいてガイドがパンフレットから目を上げる。

「――ああ、情けない姿を見せてしまって済まない。だが私としても、失敗することなくドラゴニアの名所を紹介したいのだ」
「はあ」

 それに関して、ガイドは素直に謝罪した。次いで彼女は「なぜそうするのか」についても端的に説明した。それを聞いた男も、素直にそれを受け入れた。言い訳がましいと感じることはなかった。
 今の男の中では、疑念よりも期待が勝っていた。
 
「うむ、うむ、最後はここを……うむ、我ながら素晴らしい……」

 期待に胸膨らませる男の視線を浴びながら、ガイドがプランを練っていく。その様は、言ってしまえば行き当たりばったりである。
 だが男は、それさえも不満に思うことは無かった。寧ろ眼前でプランを組み立てていくガイドを見て、彼の期待値は上がるばかりであった。
 数分後、ガイドがパンフレットから目を離す。
 
「待たせたな。では向かうとしよう」
「もう完了したんですか?」
「うむ。時間を取らせてしまってすまないな」
「いえいえ、構いませんよ」

 改めて謝罪するガイドに、男がにこやかに答える。ガイドもそれを聞いて笑みを浮かべ、自然な所作で手を差し伸べる。
 
「少しまごついてしまったが、ガイドを始めるとしよう。貴様にドラゴニアの素晴らしさをあますことなく紹介してみせようぞ」
「はい!」

 男が差し出されたガイドの手を取る。ガイドがその手を引き寄せ、流れるように二人横並びになる。実に無駄のない、手慣れたムーブである。
 
「まずは竜翼通りだ。我がドラゴニアの壮麗さ、とくと見るがよい!」

 ガイドが喜色満面に言い放つ。それに触発されるように、男もまた顔に笑みを浮かべた。
 お楽しみはこれからだ。
 
 
 
 
 竜翼通りはドラゴニアのメインストリートであり、ドラゴニア観光の際には必ず赴くことをおすすめされる重要スポットである。多種多様な店が軒を連ね、多くの人間と魔物娘で賑わう――そして彼らの大体はカップルである――その通りは、いつ訪れても活気に満ちていた。
 男とガイドは、その賑わいの只中に降り立った。
 
「おお……!」

 そして真っ先にガイドが声を上げる。その声は歓喜に満ち、目は童心に帰ったようにキラキラと輝いていた。
 足音と翼のはためく音。道を行き交う人々のざわめき。息遣い。甘い囁き。男を放り出し、ガイドが全身でそれを感じる。
 
「いつ見ても素晴らしい場所だ。賑わいを肌で感じる!」

 一歩前に出て男に背を見せ、ガイドが心底嬉しそうに言い放つ。そして振り返り、喜びの表情のまま男に向き直る。
 
「どうだ、貴様も感じるだろう? 人々の息吹、国の活力を!」
「あ、はい」

 その迫力に気圧された男が、若干引き気味に答える。ガイドも彼を見て興奮を自覚し、咳払いをして昂ぶりを抑える。
 
「……すまない。少し浮かれてしまった。落ち着くとしよう」
「い、いや、大丈夫です。それより」
「ん?」

 男の言葉にガイドが反応する。少し恥ずかしそうにしながら男が続ける。

「ガイドさん、ここが好きなんだなってわかって。嬉しくなりました」

 本心から言った言葉だった。何かを期待して放ったものではない。
 だがそれはガイドには効果大だった。顔面から笑みが消え、数瞬呆気にとられた姿を晒す。
 
「――そう見えたか?」
「はい」
「変に見えたか?」
「いいえ」

 即答する。これも本心からの言葉。
 男の目には、この時のガイドはひときわ輝いて見えた。
 
「そうか……そうか」

 それに対するガイドの反応はシンプルだった。
 一度目は簡素に。二度目は照れくさそうに。
 
「そう見えるか? そうか、そう見えるのか」
 
 三度目はさらに喜びを露わにする。少しはにかんだ、威厳を持った少女の如き笑みだった。
 
「嫌でしたか?」
「違う。嬉しいのだ」

 笑みを浮かべたガイドを見て男が申し訳なさそうにする。対するガイドは穏やかな表情でそれを否定する。
 男と同じく、こちらも本心から出た言葉だった。
 
「うむ。とても嬉しい。貴様に会えた私は幸運だ」
「いきなりなんですか? ちょっと大袈裟ですよ」
「大袈裟なものか。それよりほれ、早く行くぞ。貴様には見せたいものが山ほどあるのだ」

 これも本心から出た言葉。ガイドは早くこの国を紹介したくて仕方なかった。
 
「わかりました。では案内をお願いします」
「おうとも」
 
 そんな彼女の気持ちは、男にもちゃんと伝わっていた。故に男はそれ以上追求をせず、歩き出すガイドの指示に素直に従うことにした。




「おお、そういえば」

 その直後、唐突にガイドが足を止める。同じく足を止め何事かと訝しむ男に、ガイドが向き直って声をかける。
 
「まだ貴様に名乗っていなかったな。我が国のガイドが出来ると聞いて浮かれてしまっていた。申し訳ない」

 名無しのままでは都合が悪かろう、というのが、ガイドが立ち止まった理由だった。そうして小さく頭を下げた後、ガイドはまっすぐ男を見て静かに言った。
 
「私はデオノーラ。見ての通りドラゴンだ」

 ガイド――デオノーラが己の名を告げ、威厳たっぷりに微笑む。そして男を見据え、期待を込めた眼差しを向けながらデオノーラが問う。
 
「次は貴様の名前を教えてくれ」
20/03/16 19:36更新 / 黒尻尾
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