連載小説
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そのに
 自己紹介を済ませた後、二人は改めて観光に乗り出した。
 
「デオノーラさんはどこかおすすめの場所とかありますか?」

 観光客の男が問う。彼はドラゴニアにおけるデオノーラの地位を知らなかった。
 デオノーラもそこを指摘しなかった。彼女は一人のガイドとして男と相対していた。
 
「うむ。まずは腹ごしらえといこう。ドラゴニアは食文化も旺盛なのだ」

 ガイドがそう言って指し示したのは、竜翼通りにある一軒の店だった。逆鱗亭と呼ばれる、この辺りでは有名なレストランである。
 男もその店の存在を認識し、それを見ながらデオノーラに尋ねる。
 
「あそこですか?」
「そうだ。月並みな表現だが、ここは良い所だぞ。腹が減って困った時はここに行け、という程に良い所だ。ドラゴニア魂を感じられて、実に良い」

 デオノーラが力説する。前日に竜騎士団長アルトイーリスと共に考えて生み出した、必殺の褒め言葉である。
 この日のために国の重鎮二人がこっそりガイドスキルを磨いてきたことを、観光客の男は知る由も無い。
 
「そんなに凄い所なんですか?」
「勿論だ! だがこの素晴らしさは言葉には出来ん。喰らってみればわかる。貴様もあの店の良さがわかるはずだ。特にステーキが絶品だ!」

 予想通り食いつく男に、デオノーラが嬉々として反応する。なお前日の会議中、件のアルトイーリスは竜丼という別の料理をおすすめしていた。
 ここは意見の相違が如実に表れた。
 
「そういうわけで行くぞ人間よ。竜の国の味覚を存分に味わわせてやろう」

 その点に関して、デオノーラは己の意見を曲げなかった。アルトイーリスの気持ちもわかるが、ここは自分の考えを貫かせてもらう。気高きドラゴンの矜持である。
 
「はい。お願いします」
「良い返事だ。ではついて参れ!」
 
 そんなわけで、デオノーラは意気揚々と男を逆鱗亭へ引っ張っていったのであった。
 
 
 
 
 店内に入ると、すぐに奥から従業員がやってきた。今更言うまでもないことだが、やって来たのはいわゆる竜系の魔物娘である。
 デオノーラよりも小柄で、肘から先が翼になっている。おそらくワイバーンという種族の子だろう。男は自前の知識を元に、目の前に来た従業員の種族を予想した。
 彼の推測は当たっていた。
 
「いらっしゃいませ! お二人様ですか?」

 ワイバーンの従業員が男とデオノーラに声をかける。はきはきとした、元気のよい声だ。その後彼女はデオノーラの方を見て一瞬目を丸くしたが、すぐに平静を取り戻して案内を続けた。
 
「ただいま窓際のテーブル席が空いておりますが、そちらでよろしいでしょうか?」
 
 男はその数秒の変化に気づいたが、何故そんな事をしたのかまでは分からなかった。
 そしてデオノーラがいつもの調子で言葉を投げたのも、また彼の邪推を妨げた。
 
「うむ、よしなに頼むぞ」
「かしこまりました。こちらへどうぞ!」

 デオノーラの返事にワイバーン娘が応答し、二人を先導するように前を歩く。デオノーラが男の手を握ってそれに続き、男が最後尾について二人の後を追う。
 何かデオノーラに秘密があるのだろうかという男の疑念は、この時には完全に霧散していた。
 
 
 
 
 テーブル席についた二人は、早速料理を注文することにした。と言っても男は勝手を知らなかったので、素直にデオノーラにお願いすることにした。
 
「おすすめを教えてほしいとな? よかろう。では私に任せるがよい」

 デオノーラは男からの頼みを快諾した。そして慣れた素振りで店員を呼び、言い淀むことなく注文を伝えた。
 この時応対をした店員は、最初に出会った子とは別のワイバーン娘だった。しかし最初の子と同じように、彼女もまたデオノーラを見て数瞬驚きの表情を見せた。
 
「かしこまりました。少々お待ちください」

 だがこちらも最初のワイバーン娘と同様に、すぐ平静を取り戻して普段通りのスタイルに戻った。やっぱり何かあるんだ。男が興味半分怪訝半分で立ち去る店員の後姿を見つめていると、そこにデオノーラが声をかけてくる。
 
「私の正体が気になるようだな?」

 デオノーラは男が何に疑念を持っているのか、既に気がついていた。心を見透かされた男が驚愕し、申し訳なさそうに背を丸めると、それを見たデオノーラは快活に笑って言葉を続けた。
 
「そう怖がるな。怒っているわけではない。悪いのは隠し事をしている私の方なのだからな」
「じゃ、じゃあ、それを教えてくれたりとかは、してくれるんですか?」
「本当の私についてか? もちろん教えてもよいが、今は教えたくないのが本音だ」
「なぜ?」

 顔を上げて男が反応する。それを予想していたかのように、デオノーラがすぐさま頷いてそれに答える。
 
「今の私は貴様のガイドだ。だから今はガイドとして、このドラゴニアを案内したいのだ」
「何か違いがあるんですか」
「あるとも。ガイドの目線に立って初めて見えるものというのがあるのだ」
「じゃあ、普段のあなたはガイドではない?」
「そうだ」
「そうですか」

 デオノーラの告白に対する男のリアクションは、ある種淡白なものだった。予想した通りの展開だったからだ。
 それでも疑念の火が消えたわけでは無い。男がすぐに言葉を投げる。
 
「それじゃあ、ガイドが終わったら、あなたの本当の立場を教えてくれたりするんでしょうか」
「そうすることもやぶさかでない。貴様がそれを知りたいと望むならな」
「……いいんですか?」

 控えめな態度で男が問う。自分はもしかしたら、ここから禁断の領域に踏み込もうとしているのではないか。そんな恐怖心が彼の心に芽生えていた。
 デオノーラはそれを一笑に付した。
 
「そんな大袈裟なことではない。私の正体を知ったからと言って、貴様が死ぬようなことは絶対に無い。安心するがよい」
「そうなんですか?」
「そうだとも」

 男の反応に対するデオノーラの応対は、真剣そのもので、同時にどこか楽しげであった。デオノーラは男の初々しいリアクションを好ましく思っていた。
 しかし、そればかり話してもいられない。ここに来た本当の目的が、ややもしないうちに向こうからやって来たのである。
 
「おまたせいたしました」

 先ほど注文を取りに来た子が、そう言いながら二人の前に料理を置いていく。置かれたのは鉄板の上で香ばしく焼き音を立てる、一枚のステーキだった。
 前にデオノーラが言っていたのはこれのことか。得心する男の横で、料理を運んできた店員がはきはきとした声でそれの名前を告げる。
 
「こちらドラゴンステーキになります。お熱いので、気をつけてお食べくださいね」

 そしてそこまで言ってから、店員がデオノーラを見て小声で告げる。
 
「頑張ってくださいませ」
「任せるがよい」

 デオノーラが自信たっぷりに答える。二人の声量は非常に小さく、男が彼女達の囁き声を知覚することは無かった。
 そうして男が気づく間もなく、仕事を済ませた店員がそそくさと去っていく。さらに男の意識が店員に向かないよう、デオノーラが先制して男に話題を振る。
 
「見よ。これがここの名物、ドラゴンステーキである」

 純粋な男がそれに反応する。言われるがまま、手元に置かれた料理を改めて見やる。
 重厚長大。肉の塊。それがドラゴンステーキを観察した男の抱いた、素直な感想だった。こんな肉厚で巨大なステーキが出てくるとは思いもしなかった。鉄板で焼かれる肉が持つビジュアルの暴力に、男はただただ圧倒された。
 
「素晴らしいだろう?」

 その様を見て、デオノーラがニヤニヤ笑って言い放つ。彼がそのような反応をすることを前もって予想していたかのような、速攻の問いかけだった。男が二重の意味で面食らったのも無理はない。
 その上から更にデオノーラが追い打ちをかける。
 
「無骨な肉。ひたすらに肉。これこそドラゴニア。この猛々しさこそドラゴニア流よ。ちなみにドラゴンステーキと言われているが、別に本物のドラゴンの肉を使っているわけではない。そこは安心して食すとよい」
「なるほど……ところでこれ、これで一人分なんですか?」
「そうだ。だが食べきれなくなっても安心するがいい。責任をもって、私が貴様の分も食べてやろう」

 注文したのは私だからな。堂々と言い放つデオノーラに頼もしさを感じつつ、男が重ねて問いかける。
 
「ところで、これを食べる時に何かマナーのような物はあるんですか?」
「いや、ない」
「無いんですか?」
「一般的なテーブルマナーというのもあるにはある。だがこれを食べる時に、そのようなものに拘る必要はない。豪快に、一息に、獣らしく喰らう。それが全てだ」

 手にそれぞれフォークとナイフを持ちながら、デオノーラが得意げな面持ちで言い放つ。男はそれを素直に信じ、「ほう」と納得したように声を上げる。
 純粋な男だった。好きになりそうだ。デオノーラも頷く彼の姿を見て、満足そうに笑みを浮かべる。純朴で誠実。忠告を素直に聞く。実に良い。
 笑いながらガイドが催促する。
 
「さて、そろそろ食べるとしよう。喋ってばかりでは冷めてしまうからな」
「あっ」

 言われて、そこで改めて男が気づく。自分達はここに食事をしに来ていたのだ。
 指摘されるまでデオノーラの方に意識が行ってしまっていた。凛々しく気高い新人ガイド。なんて美しい。全身からオーラのようなものを放ち、輝いて見える。
 自分は何を考えている? デオノーラの言葉で我に返った男は、それまで心中に抱いていたものを再認識し、恥じらいを覚えた。
 
「何を赤くしている? はやく食べるぞ」

 デオノーラの声が飛んで来る。それが男を正気に戻す。男も慌てた調子でそれに応え、二人揃って食事を始めた。
 
 
 
 
 ステーキは美味かった。実に美味だった。男は周りにいる他の客や従業員も、目の前のガイドも意識の外に追いやり、ひたすら肉を頬張った。完食するまでの間、彼の世界には自分とステーキしかなかった。
 
「すごい……!」

 その最中、思わず言葉が漏れる。それほどにドラゴンステーキは美味しかった。
 そこに外から声が聞こえてくる。
 
「どうやら気に入ってくれたようだな」

 件のガイド、デオノーラの声だった。自分と肉しか無かった世界に、新人のドラゴンガイドが堂々と入り込んでくる。
 嫌な気分はしない。他人に土足で踏み込まれたと言うのに。むしろ安心さえ感じる。どうしてだろう。
 自身の心の動きに、男は適応できずにいた。
 
「そこまでがっついてくれると、私も招いた甲斐があるというものだ。ドラゴニアに生きる者として、これほど嬉しいこともない」

 気にせずデオノーラが続ける。個人が抱く感想にしては、無駄にスケール感が大きい文言だった。
 大袈裟な表現が好きな人なのだろうか。男はそう思った。ガイドが再度口を開く。
 
「しかし、そうか。そんなに美味いか。美味かったか。そうかそうか」

 心の底から嬉しがっているようだった。もしかしたら、このガイドさんは元々この店で働いていたのかもしれない。男はそう思った。
 
「それは違う。私はここで働いたことはない」

 男が問うと、ガイドはきっぱり否定した。それを聞いた男は、再び彼女に尋ねた。
 
「じゃあなんでそんなに嬉しそうなんですか?」
「それは……あれだ。私がガイドとして、このドラゴニアを愛しているからだ」
「ガイドとして」

 男が反芻する。デオノーラがそこに食いつく。
 
「そう、ガイド! 今の私はガイド! いちガイドが自分の国を誇らずしてどうする! 私は何も間違ってはいない!」
「は、はあ」

 新人ガイドの気迫に押され、男が困ったように声を上げる。一方のガイドもそこで周囲の視線に気づき、ひとつ咳払いをして男に向き直った。
 
「そういうわけなので、私は全くミスをしていない。いたって普通のガイド。いいな?」
「あっはい」
「よろしい。ところで改めて聞くが、ステーキは美味であったか?」

 男が頷く。直後、デオノーラの表情が柔らかくなる。
 
「それは良かった。これでまた一つ、我がドラゴニアの美点を知ってくれたというわけだな」

 そして優しい声で言い放つ。そんな大げさな。男はそう思ったが、口には出さなかった。
 が、デオノーラは彼の心の声を気配で感じ取った。鋭い直感を見せた新人ガイドが笑みを浮かべ、実に嬉しそうに答える。
 
「大袈裟ではない。前も言ったが、私はこの国を本当に愛しているのだ。どんな小さな部分であれ、そこを外から来た者に気に入ってもらえるというのは、私にとっては喜び以外の何物でもないのだ」

 その声には力と気品が満ちていた。座った姿からも堂々たる威厳が感じられた。まるで地位の高い人物の演説を聞いているようだった。
 だが男はそれ以上の追及も推測もしなかった。彼はここに至り、余計な詮索は失礼な事であると考えを改めた。気になるのは確かだが、先方が言いたくないことを無理に問い質すのはやはり良くない。
 
「デオノーラさんは本当にこの国が好きなんですね」

 それだけはとてもよく分かった。そしてそれこそが今もっとも重要なことであり、自分はそんな立派なガイドと旅が出来ることを幸運に思うべきだ。男はそう結論づけ、自ら抱くガイドへの懸念に決着をつけた。
 
「それがわかっただけで満足です」

 無論、いくらか妥協も混じっていた。しかし同時に、それはウソ偽りのない気持ちでもあった。きっと向こうにも事情があるのだ。今はそれを追求せず、観光そのものを楽しもう。
 
「デオノーラさん、次はどこを紹介してくださるんですか?」

 迷いのない口調で男が問う。そこから彼の決心を感じ取ったデオノーラは一瞬目を丸くし、そしてすぐに柔和な微笑みをたたえて言った。
 
「ありがとう。貴様には感謝しかない」

 それもまた、彼女の本当の気持ちであった。
 
 
 
 
 決意を新たにした二人は、その後一緒に店を出た。並んで会計に進む二人の距離は、最初よりも幾分縮んでいた。
 しかし最後の最後でボロが出た。
 
「ここは私が払おう。こんなこともあろうかと、軍資金は多めに持ってきているのだ」

 会計の前で財布を取り出した男を制し、デオノーラが自信満々に言ってのける。その姿、迷いのない口振りは、男にとって非常に頼もしいものだった。
 ここまでしてくれるガイドが他にいるだろうか? やっぱり自分は幸運だ。気持ちを切り替えた男はそう思い、またデオノーラの意思を尊重した。
 そうして男が身を引くのと同時に、デオノーラが代わって会計の前に立つ。そしてレジ担当である若いワイバーン娘と相対し、堂々たる口調で言い放つ。
 
「そういうわけだ。支払いを頼む」
「おひとりで全額払われるのですか?」
「そうだ。まける必要も無いぞ。今の私はいちガイドなのだからな」
「わかりました。頑張ってくださいね、デオノーラ様!」

 うら若いワイバーン娘が笑顔で言う。そこに嘲弄や陰謀の気配はなく、純粋な応援の気持ちに満ちていた。
 彼女に悪意は無かった。ただ空気を読み違えてしまっていた。
 
「……様?」

 後ろから男の声が聞こえる。封じ込めた疑念が再び鎌首をもたげる。
 デオノーラの額から脂汗が流れ落ちる。後ろを振り返るのが途轍もなく怖い。
 
「デオノーラ様、どうかされましたか?」

 若いワイバーン娘が重ねて問う。両の瞳が純真な輝きを放つ。
 店の奥から上司と思しき大人びたワイバーン娘がこちらに駆け寄ってくる。店内の空気が瞬時に生暖かいもの――子供のお遣いを見守る親のような気配だ――に変わる。
 なんだ。何が起きた。状況を把握できない男が一人狼狽する。眼前に立つデオノーラの雰囲気が目に見えて委縮する。
 何が何だかわからない。
 
 
 
 
 男に責任は無い。
 強いて彼の落ち度を挙げるとするならば、予習をせずにドラゴニアに来たことだった。
20/04/04 21:53更新 / 黒尻尾
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