連載小説
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あなたを知る
 結論から言うと、全員元の世界に帰ることが出来た。終わってみればほんの少し迷惑を被っただけであり、実害らしい実害は受けずに済んだ。
 精神面では色々あったが無視する。人でない妹が出来ただけで何の問題も無い。
 
「なんか、かなり簡単に終わりましたね」
「それはそうだ。こういうことは何度もやってきたからな」
「え?」
「言ってなかったが、君達のように別の世界から人が来ることはたまにあるんだ」

 頻繁に起きることではないが、起きる時は起きる。疑問に思う佑に、グレイリアはそう説明した。
 佑以外の全員がクロフェルルの作った裂け目を通り、「向こう側」に帰った後のやり取りである。
 
「稀に良くある、というやつだ」
「そうだったんですか……」
「前例があれば対策も講じられる。簡単な話だ」

 さらにグレイリアは、その「異世界対策」が魔物娘のほぼ全てに行き渡っていることも告げた。曰く、自分達は人間の安全を常に優先する生き物だから、とのことである。
 
「どんな人でも、いきなり知らない所に飛ばされれば混乱する。心細くもなるし不安にもなるだろう。それが我々には我慢ならないのだ」
「だからすぐに帰せるように?」
「そうだ。だが帰るまでの間に、少々つまみ食いをしてしまうこともあるがな」

 クロフェルルが佑の問いに答える。回答権を横から取られたグレイリアが、面白くなさそうにジト目でクロフェルルを見据える。
 無視してクロフェルルが続ける。
 
「だが忘れないでほしい。これも全ては汝らを救いたいがため。我らは常に、人間の安全を第一に考えているのだ」
「じゃあなんで襲ったり攫ったりするんですか?」
「愛を教え欲望を解き放つため。これは救済だ」
「兄様。あまり深入りしない方がいいぞ」

 グレイリアの助け舟が入る。佑がそれに乗って話を切り上げる。クロフェルルはどこか残念そうだったが、すぐに思考を切り替えて澄まし顔を取り戻す。
 それを横目で見てから、佑が気を取り直してグレイリアに問う。
 
「とにかく、これで全部解決したってことなんですよね」
「まあそうなる。彼らは元いた場所に戻り、彼らの世界は安定を取り戻す。身体的にも精神的にも平静を手に入れ、真の意味で健康を掴むだろう」

 満足そうにグレイリアが言う。その言葉を聞きながら、佑が寂しげな口調でぽつりと呟く。
 
「でも、これでグレイリアさんともお別れなんですね」
「ん? なぜ?」
「だって、あれを通れば元の世界に帰っちゃうんですよね。それってもう離れ離れになって会えなくなるってことで……」
「何を言ってる。どうしてそうなる?」

 悲しげな佑にグレイリアが眉を顰める。お前は何を言っているんだ。訝しそうに細められたグレイリアの両目は、如実にそう語っていた。
 それを佑が不審に感じる。すぐさま理由を聞く。
 
「つまり?」
「なぜあれを閉じる必要があるのか、ということだ」
「えっ」
「まさか兄様、私達ではあの扉を一定時間しか維持できないと考えていたのか」

 心外だと言わんばかりに驚いた様子でグレイリアが言い返す。隣にいたクロフェルルも肩を竦め、「過小評価されるとは悲しいなあ」と言ってのける。実にわざとらしい物言いである。
 そんな二人を佑が交互に見る。次に「扉」の方の変化に気づき、佑が素早くそちらを見る。
 グレイリア・サバトとクロフェルル・サバトの構成員達が一列に並び、次々裂け目の中に入っていくのが見える。こちらからあちらへ、「扉」を潜って世界の境を越えていく。
 
「何してるんです」

 佑が唖然として尋ねる。グレイリアとクロフェルルが顔を見合わせ、目線でどちらが話すか決め、グレイリアが彼に答える。
 
「決まっている。伴侶の下に向かっているんだ」
「えっ」
「まさか兄様、私達はこのまま離別しておしまい、とか本気で考えていたのか?」

 心外だな。今度は口に出してのける。クロフェルルが口元を手で覆い、噛み殺すように笑い始める。
 天丼だ。
 
「えっ。あっ。えっ」
 
 虚を突かれた佑は全く笑えなかった。
 その佑の頬に、グレイリアがそっと手を添える。
 
「ついでだ。私達の世界のルールを教えておこう」

 手を添えたまま、グレイリアが顔を近づける。
 互いの顔が一気に近づく。吐息がかかるほどの至近距離で、グレイリアが熱っぽく佑に告げる。
 
「バッドエンドは許さん」
「え」
「絶対条件だ」

 すぐに顔を離す。手も頬から離す。
 きょとんとする佑に向かって、グレイリアが続けざまに言う。
 
「私も君のところに行くぞ。覚悟するように」

 その顔は茹で蛸のように真っ赤だった。
 クロフェルルは笑いを噛み殺すので精一杯だった。
 
 
 
 
 その後グレイリアは佑に、ついでとしてもう一つの「事実」も教えた。
 自分達魔物娘が「佑達の世界」の存在を知っていて、そちらに「移民」しているということである。
 
「どれだけの同胞が兄様のいた世界に移ったのか、正確な数は把握していない。きっとクロフェルルやバフォ様でもわからないだろう」
「うむ、見当もつかぬ」
「だが確実にいる。それは確かだ」

 クロフェルルの相槌を挟みつつ、グレイリアがそう話を締める。佑はただ呆然とするだけだった。
 暫し呆然とした後、佑が恐る恐る尋ねる。
 
「それってやっぱり、男の人と結婚したいから行ってるんですか?」
「その通り。新しい出会いを、愛を求めて、彼女達は世界の境界線を越えるのだよ」
「汝達の言葉を借りれば、『婚活』というものが近いな。世界を跨いだ婚活である」
「へ、へえ……」

 二人のサバトの長の回答を聞き、佑は言葉を失った。スケールが違う。恋愛のためにそこまでするのか。
 これは勝てない。佑の精神が無意識下で確信する。魔物娘の貪欲さは、人間が太刀打ち出来るものではない。
 
「だから私もそちらに行く。私も兄様と結婚したいからな」

 そこへグレイリアがストレートを投げ込む。ほんの少し頬を赤らめた幼女の放つ、小細工無しの剛速球。
 佑の精神がまた一つ敗北を悟る。ああ、この人には勝てない。
 そんな顔でそんなことを言われたら、負けるしかないではないか。
 
「それとも兄様は、無理矢理ついてこられるのは嫌か……?」

 答えを寄越さない佑に、グレイリアが不安そうな表情を向ける。
 それが佑の背中を押す。もうロリコンと謗られようが構わない。
 
「いいえ。俺もあなたと一緒にいたいです」

 結局それが決め手となった。佑とグレイリアは仲良く手を繋ぎ、揃って裂け目を通って帰還した。
 元の世界に戻るのは一瞬だった。一瞬で目の前の光景が見慣れたコンクリートジャングルに変わっても、佑は特に感慨は覚えなかった。
 今の彼にとっては、隣の妻が――グレイリアが自分の世界の全てだったからだ。
 
 
 
 
 あとこちら側の世界では、自分達が消えたのはほんの数分程度のことでしかなかった。道に迷ったんだろう、ということで片づけられ、特に問題にはならなかった。
 グレイリアが佑の学校に「転校」してきたのは、その翌日のことだった。海外から飛び級でやってきた超天才児、という理由での到来である。言いたいことはわかったが、やはり無理がある設定だった。
 なおそれを無理と捉えたのは佑だけだった。彼以外の全員が、グレイリアの転入理由を自然と受け入れた。グレイリアの席が偶然佑の隣になったのも、誰も疑わなかった。
 
「こちらに住んでいる知り合いに頼んで、ちょっとな」

 何か細工をしたのか、と訝る佑に、グレイリアはそう答えた。
 
「愛のためなら悲劇にならぬ程度にルールも変える。それが私達だ。覚えておきたまえ」

 妻たる幼子がひそひそ声で告げる。それに対して言いたいことも少なからずあったが、一時間目にシロクトー・サバトの制服を着た魔女――当然幼女だ――が教師としてやってきた時に、佑は考えるのを止めた。
 
 
 
 
 教団に拉致され、魔物娘に助けられ、異なる世界を知り、佑の環境は大きく変わった。否、二つの世界を知った佑に遠慮する必要が無くなり、彼女達が秘匿のヴェールを脱いで本来の姿を曝け出したと言うべきか。
 それまでファンタジーの存在としか考えていなかった人外の存在が、今では我が物顔で道を闊歩している。上の学年の教師や団地の隣人が、耳やら尻尾やらを堂々と生やして見せている。昼休みに自分のクラスにやって来て、「夫」に手製の弁当を手渡しする魔物娘を見たのも一度や二度ではない。彼女達の場合は存在そのものを消していた。
 近くのコンビニや地元の駅前でも同じことだ。一日の中で魔物娘に出会わない瞬間は無い。それほどまでに、彼の周りは魔物娘で溢れていた。
 話には聞いていたが、ここまで侵食されていたのか。佑は驚くばかりだった。
 
「これほど流入しているとは思わなかっただろう」
「うん」
「薄気味悪いか?」
「全然。そんなことないよ」
 
 だが佑はそれを拒絶しなかった。ただありのままを受け入れた。
 今の彼にとっては、魔物娘も世界の一部だからだ。
 もちろん、自分の隣に座るこの女の子も。
 佑は全てを受け入れる気でいた。
 
「それは良かった。では兄様、次を見よう。次のサメを準備してくれ」
「わかったわかった。ちょっと待っててね」

 来月結婚することになったグレイリアの催促を受け、佑がソファから立ち上がる。この日はグレイリアが佑の家にお邪魔して、そこで映画観賞会を行っていた。この屋内デートはグレイリアのリクエストであり、佑はそれを二つ返事で了承した。
 ちなみに佑の両親も、息子とグレイリアの関係を認知していた。佑の真剣さとグレイリアの聡明さの勝利である。
 
「ふははっ! なんだこれは! 本当に五つになったぞ!」
「頭六つのやつもあるよ」
「よし、次はそれだ! 頭六つのやつも見たい!」

 画面に映るサメと思しき物体の姿を見て、愛する人が無邪気に笑う。それを気兼ねなく、すぐ隣で見つめることが出来る。
 
「幸せだなあ」

 チープなサメを堪能するグレイリアを邪魔しないよう、小さい声で佑が呟く。彼女達を知れて良かったと、彼は心から思えた。
 願わくば、この幸せが永遠に続くことを――。
 
「続くぞ」
「えっ」
「中断は許さん。私と兄様はずっと一緒だ」

 聞こえていた。心の声も筒抜けだった。
 画面でなくこちらを見ながらグレイリアが言う。
 
「ずっと、ずっと一緒にいてほしい。私の手を離さないでくれ」
「……」
「兄様」




 佑がグレイリアを抱きしめてキスをする、一秒前のことである。
19/12/13 21:20更新 / 黒尻尾
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