凍てつく楔と春招く蝶 後編
薄明かりが照らす殻の中をマルクとハルは交わり続けていた。粘膜同士がこすれあう水音は絶えず、お互い半ば意識を朦朧とさせながらも唇を重ねて唾液を交換させあっている。
「んぐ……ぷはっハルちゃん、ハルちゃん!」
「おいしぃ、もっと、もっと飲ませてマルク!」
そんな朦朧とした意識の中でマルクはふと違和感に気が付く。それは決して自分がいつの間にか下になり、ハルを突き上げる体勢になっていることや食事をせずとも空腹が来ないといったことではなく、もっと根本的な違和感。
(あれ、ハルちゃんって……髪の毛金色だったっけ……?)
それだけではない。まだしっかりと意識をもって交わっていた時には手とも足ともつかない突起のようなものでしがみつくだけだったハルは今はしっかりと腕を脚を絡ませ更に身体を密着させんとマルクの身体にしっかりとしがみついていた。
(わからない、わからないけど……この優しいにおいと柔らかい身体は絶対にハルちゃんだよね……)
感じた違和感を振り払い、再びマルクはハルとの交わりに没頭していく。
「おお……あったまるのう……冒険者の方もすまんな、肩たたきまでしてもらって」
「いえ、俺にはこれ位しかできませんでしたから」
ようやく震えが収まった村長はゆったりと椅子に腰掛け、悠貴からの適度に力の入った肩たたきにうつらうつらし始める。
「えっと、それでハルちゃんと村長さんに何があったんですか?」
「うむ……」
村長は一呼吸置き―
「恐らくは不完全だった春の祈りの綻びに過剰なストレスが溜まったものが楔のような状態で突き刺さっており、ワシが確認のための魔術をかけたことが刺激になり吹き出た……といったところかのぅ」
「過剰なストレス……」
「マルクには言っておらんがハルちゃんは恐らく人攫いに会い、何らかの理由で取り残されていたところをマルクが助けたのではないかとわしらは思っておる」
「人攫いってそんな!」
「残念じゃがこの辺では結構あることじゃ。まして将来見目麗しくなる魔物娘たちともなればのう」
悠貴はぞっとした。人攫いなど元の世界でも確かにあったが、それはどこか遠くの世界の話のように思っていたし、他人事のニュースという認識しかなかったものが現実に自分の目の前で起きているという事。理由はわからないが取り残されなかったらどうなっていたのか、その先のことまで考え陰鬱な気分になる。
「ほっほっほ、お若いのに随分と優しいんじゃの」
「え」
「わしらのことなどそれこそ他人事であろう。これからここに住むというでもなくそれこそ街中ですれ違う程度の関係じゃろうに」
「そんな、昨日あれだけ盛大に歓迎会までしてもらってそれこそ見知らぬふりなんてできませんよ。それに俺の住んでいた地域では『袖振り合うも他生の縁』って言葉がありますし」
「聞いたことないのう」
「なんというかどんな出会いも大事にしましょうって感じです」
「そんな言葉もあるのか、まだまだ世界は広いのぅ」
ほっほっほと笑いながらおちゃをすする村長。悠貴も肩を叩く手を止めて出された暖かいお茶に口をつける。
「それでえっと、あの白い卵というかマユみたいなのってどうなるんですか?」
「マルクも若いからの、そりゃあ中ではお盛んじゃろう」
「お盛んって……」
「まじめな話をするとグリーンワームという種類からパピヨンという種族に変化するのじゃ」
「へえ……」
そのまま夜も更けるまで待っても変化はなかったため宿に帰ろうとした悠貴であったが村長の厚意によりそのまま一晩泊めさせてもらうこととなった。
「本当に、本当にうちのコハルなんですか!?」
「わからない。だから確認をしていただきたいんだ」
「わからないってそんな……!」
「落ち着いてください貴方。今はコハルの無事を信じましょう」
遠くの山々が赤く照らされ、遅い日の出の寒空の下を翼の生えた銀色の淫魔、エステルと一組の夫婦―パピヨンと男性は雪の積もる村を目指し飛んでいた。
「時期、場所、種族を考えればまずあなたたちの娘さんで間違いはないと思うけれど」
「コハル……!今すぐ助けに行くからな!!」
一組の夫婦はおよそひと月前にまだ雪の降っていなかった近くの丘へとピクニックに来ていた。寒そうにする娘に母であるパピヨンはこれから先の寒い冬でも暖かさを忘れないようにと自分の魔力すべてをかけて大切な祈りをささげた。動きこそのんびり出会ったがもしゃもしゃと目を輝かせながら食事をする娘。慈しむようにその頭をなでながら微笑む最愛の夫。すべてが幸せに満ちていた。
だが家族は知らなかった。この近辺で悪質な野盗集団がのさばっていることを。まだこの近辺に住み始めたばかりで近所付き合いもこれからというタイミングで襲われた家族は金品こそ持っていなかったが、魔力を使い果たしてしまった状態の妻と戦うすべを持たない農家の夫ではとても太刀打ちできずにあっという間に大切な娘を攫われてしまったのだ。
それ以降昼夜を問わず二人の耳には絶えず娘の助けを求める声が響き続けていた。悔やんでも悔やみきれない思い。非力な自分を呪う夫。娘を思い涙を流し続ける妻。夫婦が限界を迎えつつある中、一つの光が差し込んだ。突如現れたリリムという種族の魔物。そして―貴方たちの娘らしき女の子が保護されていると。
夫婦は歓喜に震えた。そして一刻も早く娘と再会し、今度こそ守り抜くと固く誓い合う夫婦。リリムは優しく微笑みそして最愛の夫―ノアのいる場所へとすぐさま移動を開始した。
白い殻は溶けるように、ほどけるようにゆっくりと消えていき、二人を二人だけの世界から解放した。
「あれ、ボク……」
「おはよう、マルク」
隣から聞こえる優しい声に顔を向けるマルク。そこにはハルの姿はなく、美しい金色の髪を持ち、暖炉の火で照らされ輝くような羽をもった極上の美女がいた。一瞬マルクは誰かわからず、またそんなきれいな女性と裸で寄り添っていることに顔を赤らめたがすぐに誰かがわかったようだった。
「えっと、もしかしてハルちゃん」
「半分正解で、半分間違い。私はあなたがハルちゃんって呼んでくれた子だけど、私がお父さんとお母さんからもらった本当の名前はコハルっていうの」
「コハルちゃん……」
ふと気が付く。小さな身長の自分と比べて頭一つ分くらいコハルのほうが大きいことに。
「こ、コハルさん」
「言い直さなくてもいいのに」
そういい微笑む彼女の顔は花が咲いたようであった。そのまま目を閉じ少し離れていた身体を密着させてコハルは囁く。
「ありがとうね、マルク。私を助けてくれて、私を守ってくれて、私を……大人にしてくれて」
「コハルちゃん」
ありえないと思った。信じられなかった。あれほど冷たい、感情を感じさせないような態度だったコハルが今はマルク無しでは生きられないといわんばかりにべったりとくっついていること。それ以上に
「コハルちゃん、ボクは」
「大丈夫、私と家族になろ?」
「え」
もう家族なんてできないと思っていた。コハルの家族を探すことを早々に放棄して縛り付けていた自分は恨まれていると思っていた。悪いことをしていると思っていたからこそコハルの底なしの食事に付き合い、助けていると自分をごまかしていた。だからいずれ来る別れの時は恨み言を言われ、罵声を浴びせられ、暗い冬の夜のように冷たい心のままずっと生活をしていくと思っていた。なのに彼女は一番望むことを、家族になることを望んでくれている。
だがそれは自分の後ろ暗い打算を知らないからだ。いわなければきっとこのまま彼女と幸せに暮らせる。でも言わなければならない。もう独りにならないための存在ではなく、心から大切に思える本当の家族になりたいと思えた彼女につまらない言い訳と嘘をつかないために。
「あの、コハルちゃん!」
「?」
「ボク、ボク……!コハルちゃんのお家をわぷっ」
そのまま豊かな胸に顔を埋めさせられ、しゃべられなくなるマルク。
「私知ってるよ、マルクがここの誰よりも早く起きて道の雪かきをしてたこと」
「ぼ、ボクにはそれくらいしかできないし」
「私がお腹がすかないようにいつもお腹いっぱいに食べさせてくれたことも知ってるよ」
「それは村のみんなが」
「薬草を摘んで、お薬も作って売りに行って」
「ボク……」
「私のほうこそゴメンね、その、冷たい態度取っちゃって」
「別にそんなことないよ!」
「本当は私、すごく怖くて、不安で、それでもマルクは私を大切にしてくれて嬉しかったんだ」
今まで話せなかったこと、思っていたこと。埋まらなかった心の距離を埋めるように時間を忘れて話し続けた。会話も一区切りついた頃に二人は服を着て、村長へお礼を言うために村長のいた部屋へ向かうと―
「コハル!!」
「お父さん!?お母さん!?」
もう会えないと思っていた両親が勢いよく抱きついてきたのだった。感情の整理が追いつかぬまま流れ出す涙。
「どうして?どうしてお父さんとお母さんが?」
「ああコハル!本当にコハルなのね!」
「えと、あの、これは……」
呆然とするマルク。二人で話し、村を出て一緒にコハルの両親を探すための旅を出ようと決心したところであった。
「君が僕たちの娘を、コハルを保護してくれていたマルク君だね」
「え、は、はい」
「本当にありがとう。何とお礼を言っていいか」
深々と頭を下げるコハルの両親。マルクもコハルもいまだ状況がつかめない状況だが構わずに両親は話を続ける。
「君がコハルを助けてくれたから、守ってくれたから私たちはまた会うことができたんだ」
「本当にありがとう」
「待って待って!お父さんお母さん!どうしてここがわかったの!?」
「それは……」
二人の目線を追ってマルクとコハルはその人物を見る。腰まで届く美しい銀髪と豊かな胸。昏い輝きを持つ―
「「え、本当に誰ですか?」」
「失礼なヤツらだな。私の嫁だ」
「ノアさん!!」
やっと知った顔が出てきたことに安堵し、そして尊敬するノアの顔を見たマルクはノアに駆け寄る。
「悠貴に聞いたぞ。よく頑張った。お前が頑張ったからハル……いや、コハルは助かったんだ」
「そんな、ボクは……」
「大丈夫だったかマルク」
ノアの後ろからひょこっと顔を出す悠貴と村長。
「あの、ボク、ボク!」
「まあまあ落ち着いて。……えっとノアさん。俺も怒涛の急展開で状況がわからないので説明してほしいんですが」
フム、と顎に手を当て
「私がここら一帯の野盗集団を片っ端から潰して、その間に私の嫁がコハルの両親をここに連れてきた。以上だ」
「簡潔すぎる!!」
「え、野盗集団を捕まえてくださったのか!?」
しれっと地域全体の問題になっていた野盗集団を潰したことを言ってのけるノアに流石に村長も驚きが隠せないようであった。
「大方討伐隊を編成してもらうにも多額の謝礼が必要になるとかで頼めなかったんだろ?」
「仰る通りで。ありがたやありがたや」
ノアの手を取りぶんぶん降って感謝の意を示す村長。残るは―
「さてマルク君。君にはいろいろとお礼がしたいところだけども一ついいかな?」
「お、お礼だなんてそんな……」
おもむろにマルクの両肩をしっかりと掴み、ギリギリと音がしそうなほど強く握るコハルの父親。
「い、痛……あの、痛くて」
「君、コハルをキズモノにしてくれたね?」
「え」
思ってもみない発言に場が凍り付く。マルクはいまいち意味が解っていないようだったがコハルが耳打ちで教えて理解ができたようだ。最初は顔を真っ赤にしたが、相手がコハルの父親という事を思い出したのか血の気が引いたように真っ青な顔になるマルク。
「す、すみません……」
「言い訳をするでもなくすぐに謝るという事は認めるんだね?」
「い、言い訳できませんから……」
だんだんウルウルと涙目になるマルク。涙がこぼれ落ちそうになったその瞬間思わぬ助け舟が入った。
「貴方、皆さんの前でやめてください。それにマルク君はコハルを助けるためにしてくれたのよ」
「そうだよ!ひどいよお父さん」
「そんな!二人とも!」
ショックを受けるコハルの父親。本人の立場を考えれば大事な一人娘が誘拐された挙句折角再会したと思ったら助けるためとはいえどこの馬の骨ともわからぬ少年にキズモノにされていたら確かに仕方ない反応ではあるが、少なくともこの場では味方はいないようだった。
「あ、あのコハルちゃんのお父さん、お母さん」
「うう……なんだいマルク君」
「どうしたの?」
「その、あの……」
「こ、コハルちゃんと、ボクを結婚させてください!!」
「なん……だと……!」
「あらあら」
あまりにも酷いショックだったのか膝から崩れ落ちる父親に対し、すでに予想は出来ていたのか穏やかに応じる母親。コハルは流石に照れるのか顔を真っ赤にして俯いてしまっている。
「だ、ダメだ……それはまだ早い……!」
「お父さん……」
完全に拒絶を示すかのような態度を崩さない父親だったが
「だって君の年齢ではまだ法律的に結婚できないだろう!!」
「「あ」」
完全にマルクの年齢を失念していた一同。正直なところ魔物娘と結ばれる場合あまり年齢は関係ないとされているし、そこまで気にすることでもないだろうがやはり変な勘繰りを避けるのならばある程度の年齢までは結婚はしないほうがいいとこの地域ではされている。
「だから、その時まで私たちと一緒に暮らしてみないかい?マルク君」
もちろん君さえよければと更に加えるコハルの父親。そして優しく差し出される大きな手。きっとまだ自分の父親が生きていたら父親の手とはこれほど大きく見えたのだろうか。
「行くがよい、マルクよ。どのみちコハルちゃんと結婚するならばこの村から出ねばならぬじゃろう」
「村長さん、でも……」
「まさか『今までお世話になったのに村を出るのは裏切るようなこと』などとは思っておらんな?」
「それは」
図星であった。早くに両親を亡くしたマルクは今まで村の人たちの支えがあったからこそ今までせ活してこれた。常日頃そう考えているマルクには表立って村を出るとは言いづらいものがあったのだ。
「マルクよ、わしらを家族と、親と思うのか?」
「もちろんです!」
「ならば一つ教えよう。子が親にできる最高の孝行は元気で幸せに生活することじゃよ。できるか?マルク」
「……ボクは」
「ボクは、コハルちゃんたちと一緒にいきます!」
「家族、家族か……」
「彼、すごく悩んでいるけど放っておいていいの?だんなさま」
「子供じゃないんだ。自分で答えを出すだろう」
雪の積もる道を帰路につく一行。悠貴は元の世界にいる家族を思い、果たして村長の言う親孝行ができていたのか、できるのかを考えていた。
「……ねえだんなさま。私もそろそろ子供が欲しいな」
「私はまだしばらくは二人の時間を楽しみたいが?」
「もう!だんなさまったら!」
いつになく惚気ているノアとエステルだが悠貴にはそんなことは耳に入ってこない。これまでのこと、これからのこと。今住む街に帰ったらしっかり自分を見つめなおそうと考え、歩みを進めるのだった。
「お客さーん、そろそろチェックアウトの時間だよー」
「くあああ……仕方がない。そろそろゆーきのところに行くか」
「ん?悠貴?ああ、あの冒険者かい?依頼が終わったとかで朝一で街に帰っていったよ」
「おお、悠貴殿のお連れさんか、この村の者一同、いつでも歓迎しますとお伝えくだされ」
「……」
「なぜ置いていったゆううううきいいいいいぃぃぃぃぃぃ!!!!!」
哀しき乙女竜の咆哮は地平の彼方まで届いたという―
「んぐ……ぷはっハルちゃん、ハルちゃん!」
「おいしぃ、もっと、もっと飲ませてマルク!」
そんな朦朧とした意識の中でマルクはふと違和感に気が付く。それは決して自分がいつの間にか下になり、ハルを突き上げる体勢になっていることや食事をせずとも空腹が来ないといったことではなく、もっと根本的な違和感。
(あれ、ハルちゃんって……髪の毛金色だったっけ……?)
それだけではない。まだしっかりと意識をもって交わっていた時には手とも足ともつかない突起のようなものでしがみつくだけだったハルは今はしっかりと腕を脚を絡ませ更に身体を密着させんとマルクの身体にしっかりとしがみついていた。
(わからない、わからないけど……この優しいにおいと柔らかい身体は絶対にハルちゃんだよね……)
感じた違和感を振り払い、再びマルクはハルとの交わりに没頭していく。
「おお……あったまるのう……冒険者の方もすまんな、肩たたきまでしてもらって」
「いえ、俺にはこれ位しかできませんでしたから」
ようやく震えが収まった村長はゆったりと椅子に腰掛け、悠貴からの適度に力の入った肩たたきにうつらうつらし始める。
「えっと、それでハルちゃんと村長さんに何があったんですか?」
「うむ……」
村長は一呼吸置き―
「恐らくは不完全だった春の祈りの綻びに過剰なストレスが溜まったものが楔のような状態で突き刺さっており、ワシが確認のための魔術をかけたことが刺激になり吹き出た……といったところかのぅ」
「過剰なストレス……」
「マルクには言っておらんがハルちゃんは恐らく人攫いに会い、何らかの理由で取り残されていたところをマルクが助けたのではないかとわしらは思っておる」
「人攫いってそんな!」
「残念じゃがこの辺では結構あることじゃ。まして将来見目麗しくなる魔物娘たちともなればのう」
悠貴はぞっとした。人攫いなど元の世界でも確かにあったが、それはどこか遠くの世界の話のように思っていたし、他人事のニュースという認識しかなかったものが現実に自分の目の前で起きているという事。理由はわからないが取り残されなかったらどうなっていたのか、その先のことまで考え陰鬱な気分になる。
「ほっほっほ、お若いのに随分と優しいんじゃの」
「え」
「わしらのことなどそれこそ他人事であろう。これからここに住むというでもなくそれこそ街中ですれ違う程度の関係じゃろうに」
「そんな、昨日あれだけ盛大に歓迎会までしてもらってそれこそ見知らぬふりなんてできませんよ。それに俺の住んでいた地域では『袖振り合うも他生の縁』って言葉がありますし」
「聞いたことないのう」
「なんというかどんな出会いも大事にしましょうって感じです」
「そんな言葉もあるのか、まだまだ世界は広いのぅ」
ほっほっほと笑いながらおちゃをすする村長。悠貴も肩を叩く手を止めて出された暖かいお茶に口をつける。
「それでえっと、あの白い卵というかマユみたいなのってどうなるんですか?」
「マルクも若いからの、そりゃあ中ではお盛んじゃろう」
「お盛んって……」
「まじめな話をするとグリーンワームという種類からパピヨンという種族に変化するのじゃ」
「へえ……」
そのまま夜も更けるまで待っても変化はなかったため宿に帰ろうとした悠貴であったが村長の厚意によりそのまま一晩泊めさせてもらうこととなった。
「本当に、本当にうちのコハルなんですか!?」
「わからない。だから確認をしていただきたいんだ」
「わからないってそんな……!」
「落ち着いてください貴方。今はコハルの無事を信じましょう」
遠くの山々が赤く照らされ、遅い日の出の寒空の下を翼の生えた銀色の淫魔、エステルと一組の夫婦―パピヨンと男性は雪の積もる村を目指し飛んでいた。
「時期、場所、種族を考えればまずあなたたちの娘さんで間違いはないと思うけれど」
「コハル……!今すぐ助けに行くからな!!」
一組の夫婦はおよそひと月前にまだ雪の降っていなかった近くの丘へとピクニックに来ていた。寒そうにする娘に母であるパピヨンはこれから先の寒い冬でも暖かさを忘れないようにと自分の魔力すべてをかけて大切な祈りをささげた。動きこそのんびり出会ったがもしゃもしゃと目を輝かせながら食事をする娘。慈しむようにその頭をなでながら微笑む最愛の夫。すべてが幸せに満ちていた。
だが家族は知らなかった。この近辺で悪質な野盗集団がのさばっていることを。まだこの近辺に住み始めたばかりで近所付き合いもこれからというタイミングで襲われた家族は金品こそ持っていなかったが、魔力を使い果たしてしまった状態の妻と戦うすべを持たない農家の夫ではとても太刀打ちできずにあっという間に大切な娘を攫われてしまったのだ。
それ以降昼夜を問わず二人の耳には絶えず娘の助けを求める声が響き続けていた。悔やんでも悔やみきれない思い。非力な自分を呪う夫。娘を思い涙を流し続ける妻。夫婦が限界を迎えつつある中、一つの光が差し込んだ。突如現れたリリムという種族の魔物。そして―貴方たちの娘らしき女の子が保護されていると。
夫婦は歓喜に震えた。そして一刻も早く娘と再会し、今度こそ守り抜くと固く誓い合う夫婦。リリムは優しく微笑みそして最愛の夫―ノアのいる場所へとすぐさま移動を開始した。
白い殻は溶けるように、ほどけるようにゆっくりと消えていき、二人を二人だけの世界から解放した。
「あれ、ボク……」
「おはよう、マルク」
隣から聞こえる優しい声に顔を向けるマルク。そこにはハルの姿はなく、美しい金色の髪を持ち、暖炉の火で照らされ輝くような羽をもった極上の美女がいた。一瞬マルクは誰かわからず、またそんなきれいな女性と裸で寄り添っていることに顔を赤らめたがすぐに誰かがわかったようだった。
「えっと、もしかしてハルちゃん」
「半分正解で、半分間違い。私はあなたがハルちゃんって呼んでくれた子だけど、私がお父さんとお母さんからもらった本当の名前はコハルっていうの」
「コハルちゃん……」
ふと気が付く。小さな身長の自分と比べて頭一つ分くらいコハルのほうが大きいことに。
「こ、コハルさん」
「言い直さなくてもいいのに」
そういい微笑む彼女の顔は花が咲いたようであった。そのまま目を閉じ少し離れていた身体を密着させてコハルは囁く。
「ありがとうね、マルク。私を助けてくれて、私を守ってくれて、私を……大人にしてくれて」
「コハルちゃん」
ありえないと思った。信じられなかった。あれほど冷たい、感情を感じさせないような態度だったコハルが今はマルク無しでは生きられないといわんばかりにべったりとくっついていること。それ以上に
「コハルちゃん、ボクは」
「大丈夫、私と家族になろ?」
「え」
もう家族なんてできないと思っていた。コハルの家族を探すことを早々に放棄して縛り付けていた自分は恨まれていると思っていた。悪いことをしていると思っていたからこそコハルの底なしの食事に付き合い、助けていると自分をごまかしていた。だからいずれ来る別れの時は恨み言を言われ、罵声を浴びせられ、暗い冬の夜のように冷たい心のままずっと生活をしていくと思っていた。なのに彼女は一番望むことを、家族になることを望んでくれている。
だがそれは自分の後ろ暗い打算を知らないからだ。いわなければきっとこのまま彼女と幸せに暮らせる。でも言わなければならない。もう独りにならないための存在ではなく、心から大切に思える本当の家族になりたいと思えた彼女につまらない言い訳と嘘をつかないために。
「あの、コハルちゃん!」
「?」
「ボク、ボク……!コハルちゃんのお家をわぷっ」
そのまま豊かな胸に顔を埋めさせられ、しゃべられなくなるマルク。
「私知ってるよ、マルクがここの誰よりも早く起きて道の雪かきをしてたこと」
「ぼ、ボクにはそれくらいしかできないし」
「私がお腹がすかないようにいつもお腹いっぱいに食べさせてくれたことも知ってるよ」
「それは村のみんなが」
「薬草を摘んで、お薬も作って売りに行って」
「ボク……」
「私のほうこそゴメンね、その、冷たい態度取っちゃって」
「別にそんなことないよ!」
「本当は私、すごく怖くて、不安で、それでもマルクは私を大切にしてくれて嬉しかったんだ」
今まで話せなかったこと、思っていたこと。埋まらなかった心の距離を埋めるように時間を忘れて話し続けた。会話も一区切りついた頃に二人は服を着て、村長へお礼を言うために村長のいた部屋へ向かうと―
「コハル!!」
「お父さん!?お母さん!?」
もう会えないと思っていた両親が勢いよく抱きついてきたのだった。感情の整理が追いつかぬまま流れ出す涙。
「どうして?どうしてお父さんとお母さんが?」
「ああコハル!本当にコハルなのね!」
「えと、あの、これは……」
呆然とするマルク。二人で話し、村を出て一緒にコハルの両親を探すための旅を出ようと決心したところであった。
「君が僕たちの娘を、コハルを保護してくれていたマルク君だね」
「え、は、はい」
「本当にありがとう。何とお礼を言っていいか」
深々と頭を下げるコハルの両親。マルクもコハルもいまだ状況がつかめない状況だが構わずに両親は話を続ける。
「君がコハルを助けてくれたから、守ってくれたから私たちはまた会うことができたんだ」
「本当にありがとう」
「待って待って!お父さんお母さん!どうしてここがわかったの!?」
「それは……」
二人の目線を追ってマルクとコハルはその人物を見る。腰まで届く美しい銀髪と豊かな胸。昏い輝きを持つ―
「「え、本当に誰ですか?」」
「失礼なヤツらだな。私の嫁だ」
「ノアさん!!」
やっと知った顔が出てきたことに安堵し、そして尊敬するノアの顔を見たマルクはノアに駆け寄る。
「悠貴に聞いたぞ。よく頑張った。お前が頑張ったからハル……いや、コハルは助かったんだ」
「そんな、ボクは……」
「大丈夫だったかマルク」
ノアの後ろからひょこっと顔を出す悠貴と村長。
「あの、ボク、ボク!」
「まあまあ落ち着いて。……えっとノアさん。俺も怒涛の急展開で状況がわからないので説明してほしいんですが」
フム、と顎に手を当て
「私がここら一帯の野盗集団を片っ端から潰して、その間に私の嫁がコハルの両親をここに連れてきた。以上だ」
「簡潔すぎる!!」
「え、野盗集団を捕まえてくださったのか!?」
しれっと地域全体の問題になっていた野盗集団を潰したことを言ってのけるノアに流石に村長も驚きが隠せないようであった。
「大方討伐隊を編成してもらうにも多額の謝礼が必要になるとかで頼めなかったんだろ?」
「仰る通りで。ありがたやありがたや」
ノアの手を取りぶんぶん降って感謝の意を示す村長。残るは―
「さてマルク君。君にはいろいろとお礼がしたいところだけども一ついいかな?」
「お、お礼だなんてそんな……」
おもむろにマルクの両肩をしっかりと掴み、ギリギリと音がしそうなほど強く握るコハルの父親。
「い、痛……あの、痛くて」
「君、コハルをキズモノにしてくれたね?」
「え」
思ってもみない発言に場が凍り付く。マルクはいまいち意味が解っていないようだったがコハルが耳打ちで教えて理解ができたようだ。最初は顔を真っ赤にしたが、相手がコハルの父親という事を思い出したのか血の気が引いたように真っ青な顔になるマルク。
「す、すみません……」
「言い訳をするでもなくすぐに謝るという事は認めるんだね?」
「い、言い訳できませんから……」
だんだんウルウルと涙目になるマルク。涙がこぼれ落ちそうになったその瞬間思わぬ助け舟が入った。
「貴方、皆さんの前でやめてください。それにマルク君はコハルを助けるためにしてくれたのよ」
「そうだよ!ひどいよお父さん」
「そんな!二人とも!」
ショックを受けるコハルの父親。本人の立場を考えれば大事な一人娘が誘拐された挙句折角再会したと思ったら助けるためとはいえどこの馬の骨ともわからぬ少年にキズモノにされていたら確かに仕方ない反応ではあるが、少なくともこの場では味方はいないようだった。
「あ、あのコハルちゃんのお父さん、お母さん」
「うう……なんだいマルク君」
「どうしたの?」
「その、あの……」
「こ、コハルちゃんと、ボクを結婚させてください!!」
「なん……だと……!」
「あらあら」
あまりにも酷いショックだったのか膝から崩れ落ちる父親に対し、すでに予想は出来ていたのか穏やかに応じる母親。コハルは流石に照れるのか顔を真っ赤にして俯いてしまっている。
「だ、ダメだ……それはまだ早い……!」
「お父さん……」
完全に拒絶を示すかのような態度を崩さない父親だったが
「だって君の年齢ではまだ法律的に結婚できないだろう!!」
「「あ」」
完全にマルクの年齢を失念していた一同。正直なところ魔物娘と結ばれる場合あまり年齢は関係ないとされているし、そこまで気にすることでもないだろうがやはり変な勘繰りを避けるのならばある程度の年齢までは結婚はしないほうがいいとこの地域ではされている。
「だから、その時まで私たちと一緒に暮らしてみないかい?マルク君」
もちろん君さえよければと更に加えるコハルの父親。そして優しく差し出される大きな手。きっとまだ自分の父親が生きていたら父親の手とはこれほど大きく見えたのだろうか。
「行くがよい、マルクよ。どのみちコハルちゃんと結婚するならばこの村から出ねばならぬじゃろう」
「村長さん、でも……」
「まさか『今までお世話になったのに村を出るのは裏切るようなこと』などとは思っておらんな?」
「それは」
図星であった。早くに両親を亡くしたマルクは今まで村の人たちの支えがあったからこそ今までせ活してこれた。常日頃そう考えているマルクには表立って村を出るとは言いづらいものがあったのだ。
「マルクよ、わしらを家族と、親と思うのか?」
「もちろんです!」
「ならば一つ教えよう。子が親にできる最高の孝行は元気で幸せに生活することじゃよ。できるか?マルク」
「……ボクは」
「ボクは、コハルちゃんたちと一緒にいきます!」
「家族、家族か……」
「彼、すごく悩んでいるけど放っておいていいの?だんなさま」
「子供じゃないんだ。自分で答えを出すだろう」
雪の積もる道を帰路につく一行。悠貴は元の世界にいる家族を思い、果たして村長の言う親孝行ができていたのか、できるのかを考えていた。
「……ねえだんなさま。私もそろそろ子供が欲しいな」
「私はまだしばらくは二人の時間を楽しみたいが?」
「もう!だんなさまったら!」
いつになく惚気ているノアとエステルだが悠貴にはそんなことは耳に入ってこない。これまでのこと、これからのこと。今住む街に帰ったらしっかり自分を見つめなおそうと考え、歩みを進めるのだった。
「お客さーん、そろそろチェックアウトの時間だよー」
「くあああ……仕方がない。そろそろゆーきのところに行くか」
「ん?悠貴?ああ、あの冒険者かい?依頼が終わったとかで朝一で街に帰っていったよ」
「おお、悠貴殿のお連れさんか、この村の者一同、いつでも歓迎しますとお伝えくだされ」
「……」
「なぜ置いていったゆううううきいいいいいぃぃぃぃぃぃ!!!!!」
哀しき乙女竜の咆哮は地平の彼方まで届いたという―
21/01/14 21:32更新 / noa
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