プロローグ
とある魔界の中心。
妖しげな色彩の薄明かりに包まれた城の中、その女は一人微笑んだ。
「……ようやく、この時が来たわ」
抜けるような純白の髪に、妖しく光る赤い瞳。整った顔立ちと豊満ながら引き締まった体は完成された芸術品のようで、その肌はまさしく白磁の如く滑らかで染み一つ見えない。
身を包む黒く高貴な、しかしどこか淫らさを感じさせる服装もその美しさを際立たせている。
例えるならばまさに傾城。破滅的とすら思わせる美貌を持った彼女はしかし、間違いなく人の身ではなかった。
「私の悲願、この野望を現実の物とする時が」
頭に生えた、黒光りする二本のねじくれた角。豊かな臀部のやや上から生え伸びる、逆棘のついた白い尾と同じく純白の一対の翼。悪魔、あるいは淫魔といった言葉を人に想起させるその異形はしかし、彼女の美しさを損なうどころかむしろより完成されたものへと押し上げている。
……彼女の種族は、リリム。全ての魔物の頂点に君臨する、魔王の娘たる存在である。
「新たな世界が、また淫らに、美しく染まっていく……なんて、素敵なのかしら」
窓の外に広がる魔界の景色を見つめながら、彼女は微笑む。片手にワイングラスを揺らし、うっとりと目を細めながら。
その脳裏に浮かぶのは、自らの思い描く楽園の姿。全てが魔に染まり、全ての存在が愛と欲望の任せるままに交わる、快楽と幸福に満ち満ちた世界。
そして自らもその中心で、まだ見ぬ理想の「彼」と交わる。それが彼女の望みである。
甘美とも不気味とも言える、彼女の存在感。豪華な城内の一室を、それだけが埋め尽くす。どこか危うげな雰囲気が、そこにはあった。
「私の理想郷、お母様の理想郷。それが一足早く、私の物に……」
「なんなんですかエリス様。私だって忙しいんだからいきなり呼びつけないでくださいよ」
「……最悪のタイミングで入ってくるんじゃないわよ!」
が、その空気は一瞬で崩壊した。
「全くなによもう。こっちは妄想に浸っていい気分になってたのに」
ノックの一つもなしに入ってきた不躾な侵入者に食ってかかる女が一人。身振り手振りも大げさに口を尖らせて自分勝手に不平不満を言うその姿は、どうもさっきまで玉座に着いていた高貴な女の物とは思えない。
……しかし悲しいかな、彼女は間違いなくあのリリム。魔界第37王女、エリスである。
「急ぎの用があるから大至急来なさいって言ったのはエリス様じゃないですか。というかいい歳して妄想ってなんですか中学生ですか」
それにやる気なさげにツッコミを入れる侵入者、もとい小悪魔が一人。彼女の名はエミー、小柄な見た目に似合わず強い力を持った上位魔族・アークインプであり、エリスの使い魔である。
「いいじゃないの別に。こちとらまだ花も恥らう2500歳よ。大体私たちって生まれてから死ぬまで思春期みたいなものじゃない」
「エリス様の頭が万年春爛漫なだけです。大体花も恥らうってエリス様に恥じらいなんてあるんですか?」
「そりゃあもう。男を見つけても青姦だけはするまいと固く心に誓ってるわ」
「自慢になりませんよそんなの。あとエリス様、確かお酒は嗜まれませんよね」
「奈良漬けでも酔えるわ」
「じゃあ、そのグラスに入っているのは?」
「10年ものの葡萄ジュースよ」
「……大丈夫なんですか?衛生的な意味で」
「いいところに目を付けたわね。なかなか刺激的な味よ、お腹が鳴るくらいに」
「……悪い事は言いませんから医者にかかってください」
「大丈夫よ、自前で治癒魔法使えるから」
「いえ、お腹じゃなくて頭の病院です」
本気とも開き直りともつかない妙な主張をするリリムと、いちいち棘のあるやる気のない口ぶりでそれに反応する使い魔。微笑ましいと言うべきか馬鹿馬鹿しいと言うべきか、なんとも言えない微妙な空気が部屋に蔓延する。
「……はあ。で、結局用事っていうのは何なんです?」
ぐだぐだとした問答に蹴りをつけたのはエミーの方であった。大体にしてこの馬鹿な主人の思いつきというのはロクなものではないが、自分が彼女の使い魔である以上その意に背く事は出来ない。魔族の契約というのは割合厳しいものなのである。
となればやる事は一つ。さっさと用件を聞いてさっさと済ませる。これに尽きる。
「あ、そうね。じゃあ本題に移るけど、まずはちょっとこれを読んで頂戴」
エリスの方も取り留めのない話には満足したのか、腰を上げるとその足元に転がっていた紙の束を拾い上げ、エミーに手渡す。
「魔界日報?あぁ、今日付けの新聞ですね」
エリスが手渡したのはハーピー種の魔物たちが中心となって作っている新聞であった。社会から芸能まで、彼女たち特有の行動力と耳の速さで集められた記事が紙の上に踊っている。記事を書いたのが魔物であるがゆえかゴシップ的な内容こそ多いものの、 そこを除けばごく普通、特に魔物からすれば何の変哲もない凡庸なものであった。
「これがどうかしたんですか?」
「その一面の記事よ。読んでみなさい」
怪訝そうな顔をするエミーを促すエリス。示された記事には、次のような事が書かれていた。
『宗教国家・レスカティエ教国陥落 魔界国家へ
昨日未明、世界でも有数の勇者輩出国として知られる宗教国家、レスカティエ教国にてクーデターが発生。本拠地である王城の内部から魔物によって構成された反乱軍が攻撃を仕掛け、一気に中枢部を陥落。それから一夜にして全域を制圧し、レスカティエ一帯は完全に魔界と化した。これによってレスカティエは教会の支配下を外れ、魔界国家としての再スタートを切った。
今回のクーデターについて、首謀者であり現レスカティエの実質的指導者でもある第四魔界王女・デルエラ様は「ついカッとなって犯ってしまった。未だに反省も後悔もしていない。被害者の方をお祝いしたい」とコメント。新女王であるローパーのフランツィスカ・ミステル・レスカティエ女史も「この体になってから持病も治り、好きな人とも結ばれることが出来てとても幸せです。これからはデルエラ様の指導のもと、レスカティエをより幸福で淫らな国にするため努力致します」と喜びの意を示した……』
「へぇ、おめでたい話じゃありませんか。でも、これがどうしたんです?」
記事を一通り読んだエミーは、何となく嫌な予感を過ぎらせつつエリスに問い返す。
確かにレスカティエの陥落は、彼女たち魔物にとっては吉報といえる。(「ついカッとなって」で実行に移せてしまえるあたりエリスの姉だなぁ、と思わなくもないが)デルエラの手腕は間違いなく賞賛すべきものだし、教団勢力側でも一二を争う強国であったあの国が魔物の手に落ちたと言う事は、現魔王の理想の実現に大きく近づけたという事でもある。
……しかし、だがしかし。エリスにはこういう時に発揮される悪癖がある事を、エミーは長い付き合いの内に知っていた。
それは。
「決まってるじゃない。私も何処か堕としたいの」
人がやったことを、よく考えもせずに自分でやりたがる事である。
「……お言葉ですが先に申し上げます。エリス様には無理です」
「な、何よちょっと失礼な!私だってリリムの端くれよ、デルエラ姉様みたくどーんと大きなことして、皆にちやほやされたいの!」
「お言葉ですが先に申し上げます。エリス様には無理です」
「二回言うな!」
無論速攻で却下しようとする使い魔と駄々をこねる主。かたや年端もいかない姿の小悪魔、かたや女の魅力溢れる絶世の美女。しかし精神年齢はどう見ても反対。嫌にシュールな絵面がそこにはあった。
「だいたい堕とす堕とすって何処を堕とすんですか。国一つ堕とすなんてただでさえ難しいのに、レスカティエの陥落で反魔物国家は何処もかしこも警戒バリバリですよ?いきなり行ったって返り討ちにあうのがオチですよ」
「大丈夫よ、問題ないわ。楽なターゲットを選んだから」
「楽なターゲット?」
もっともな意見を出したエミーに、エリスはいかにも自信満々といった風情で答える。エミーが怪訝そうに問い返すと、エリスは手のひらの上に魔力幻燈を展開した。
「……これは?」
そこに移されたのは、彼女たちにとって見たこともない街の風景。石造りとも何ともつかない奇怪な高層建築が立ち並び、変わった身なりをした人間たちがその間をせわしなく歩いていく。
「これはね、私達とは違う歴史を辿った世界。魔物も魔法もない代わりに、モノが発達した世界よ。確か……チーキュとか言ってたかしら」
「……何でそんなことエリス様が知ってるんですか」
「ヒマだったから幻燈弄ってたら偶然繋がったのよ」
芝居がかった口調で、自慢げに自分の見付けた新しい世界について語る彼女。そんな事してるヒマがあるなら私にばっかり仕事渡さずに働けよ、とエミーは内心思ったものの、見慣れない世界に対する興味はやはりあるのか、幻燈の向こうに広がる世界をじっと見つめている。無論、主がその世界の名を盛大に間違えていることに気付こうはずも無い。
「……んでね、私はこう思ったのよ。魔法も魔物も無い世界なら、勇者や主神だっていないはず。だったらいくら堕としたって邪魔は入らないんじゃないかな、って」
「……エリス様。それってまさか」
続く言葉に、エミーはまた嫌な予感を覚える。
「ええ。今回のターゲットは、このチーキュよ」
その言葉と共に、足元に巨大な魔方陣が浮かび上がった。
エリスの強大な魔力によって起動したそれは、異音を立ててそこに刻まれた術式を実行に移す。
その役割は……転送。
「……ちょっ、エリス様!?何でこんなとこだけ準備いいんですか!?何時の間にこんなデカデカした魔方陣用意されたんですか!」
「私が一晩でやってくれました!」
「ドヤ顏でわけわからない事言わないでください!あとさっきも言いましたけど、こんな事するヒマがあったら別にもっとやるべき事があるでしょうに!」
「うるせえ!いいから!」
「よくありません!私まだ何も準備してませんよ!?荷物の用意とかその他諸々!」
「奇遇ね。実は私もなのよ!」
「なんで!?計画立てたのエリス様ですよね!?」
大声で二人が揉めている間にも、転送は無慈悲に進んでいく。二人ともゆっくりと、その足の先から順々に異世界へと送り込まれていくのだ。
「うわっもう転送始まってる!嫌だ!まだ、まだ行きたくないです!私まだ行きたくないのに!せめて、せめて前準備だけは!」
「煩いわね、腹を括りなさいエミー!さぁ……」
なんとも締まらない企み顏で、彼女はこう宣言した。
「チーキュにヤキ入れにいくわよ!」
妖しげな色彩の薄明かりに包まれた城の中、その女は一人微笑んだ。
「……ようやく、この時が来たわ」
抜けるような純白の髪に、妖しく光る赤い瞳。整った顔立ちと豊満ながら引き締まった体は完成された芸術品のようで、その肌はまさしく白磁の如く滑らかで染み一つ見えない。
身を包む黒く高貴な、しかしどこか淫らさを感じさせる服装もその美しさを際立たせている。
例えるならばまさに傾城。破滅的とすら思わせる美貌を持った彼女はしかし、間違いなく人の身ではなかった。
「私の悲願、この野望を現実の物とする時が」
頭に生えた、黒光りする二本のねじくれた角。豊かな臀部のやや上から生え伸びる、逆棘のついた白い尾と同じく純白の一対の翼。悪魔、あるいは淫魔といった言葉を人に想起させるその異形はしかし、彼女の美しさを損なうどころかむしろより完成されたものへと押し上げている。
……彼女の種族は、リリム。全ての魔物の頂点に君臨する、魔王の娘たる存在である。
「新たな世界が、また淫らに、美しく染まっていく……なんて、素敵なのかしら」
窓の外に広がる魔界の景色を見つめながら、彼女は微笑む。片手にワイングラスを揺らし、うっとりと目を細めながら。
その脳裏に浮かぶのは、自らの思い描く楽園の姿。全てが魔に染まり、全ての存在が愛と欲望の任せるままに交わる、快楽と幸福に満ち満ちた世界。
そして自らもその中心で、まだ見ぬ理想の「彼」と交わる。それが彼女の望みである。
甘美とも不気味とも言える、彼女の存在感。豪華な城内の一室を、それだけが埋め尽くす。どこか危うげな雰囲気が、そこにはあった。
「私の理想郷、お母様の理想郷。それが一足早く、私の物に……」
「なんなんですかエリス様。私だって忙しいんだからいきなり呼びつけないでくださいよ」
「……最悪のタイミングで入ってくるんじゃないわよ!」
が、その空気は一瞬で崩壊した。
「全くなによもう。こっちは妄想に浸っていい気分になってたのに」
ノックの一つもなしに入ってきた不躾な侵入者に食ってかかる女が一人。身振り手振りも大げさに口を尖らせて自分勝手に不平不満を言うその姿は、どうもさっきまで玉座に着いていた高貴な女の物とは思えない。
……しかし悲しいかな、彼女は間違いなくあのリリム。魔界第37王女、エリスである。
「急ぎの用があるから大至急来なさいって言ったのはエリス様じゃないですか。というかいい歳して妄想ってなんですか中学生ですか」
それにやる気なさげにツッコミを入れる侵入者、もとい小悪魔が一人。彼女の名はエミー、小柄な見た目に似合わず強い力を持った上位魔族・アークインプであり、エリスの使い魔である。
「いいじゃないの別に。こちとらまだ花も恥らう2500歳よ。大体私たちって生まれてから死ぬまで思春期みたいなものじゃない」
「エリス様の頭が万年春爛漫なだけです。大体花も恥らうってエリス様に恥じらいなんてあるんですか?」
「そりゃあもう。男を見つけても青姦だけはするまいと固く心に誓ってるわ」
「自慢になりませんよそんなの。あとエリス様、確かお酒は嗜まれませんよね」
「奈良漬けでも酔えるわ」
「じゃあ、そのグラスに入っているのは?」
「10年ものの葡萄ジュースよ」
「……大丈夫なんですか?衛生的な意味で」
「いいところに目を付けたわね。なかなか刺激的な味よ、お腹が鳴るくらいに」
「……悪い事は言いませんから医者にかかってください」
「大丈夫よ、自前で治癒魔法使えるから」
「いえ、お腹じゃなくて頭の病院です」
本気とも開き直りともつかない妙な主張をするリリムと、いちいち棘のあるやる気のない口ぶりでそれに反応する使い魔。微笑ましいと言うべきか馬鹿馬鹿しいと言うべきか、なんとも言えない微妙な空気が部屋に蔓延する。
「……はあ。で、結局用事っていうのは何なんです?」
ぐだぐだとした問答に蹴りをつけたのはエミーの方であった。大体にしてこの馬鹿な主人の思いつきというのはロクなものではないが、自分が彼女の使い魔である以上その意に背く事は出来ない。魔族の契約というのは割合厳しいものなのである。
となればやる事は一つ。さっさと用件を聞いてさっさと済ませる。これに尽きる。
「あ、そうね。じゃあ本題に移るけど、まずはちょっとこれを読んで頂戴」
エリスの方も取り留めのない話には満足したのか、腰を上げるとその足元に転がっていた紙の束を拾い上げ、エミーに手渡す。
「魔界日報?あぁ、今日付けの新聞ですね」
エリスが手渡したのはハーピー種の魔物たちが中心となって作っている新聞であった。社会から芸能まで、彼女たち特有の行動力と耳の速さで集められた記事が紙の上に踊っている。記事を書いたのが魔物であるがゆえかゴシップ的な内容こそ多いものの、 そこを除けばごく普通、特に魔物からすれば何の変哲もない凡庸なものであった。
「これがどうかしたんですか?」
「その一面の記事よ。読んでみなさい」
怪訝そうな顔をするエミーを促すエリス。示された記事には、次のような事が書かれていた。
『宗教国家・レスカティエ教国陥落 魔界国家へ
昨日未明、世界でも有数の勇者輩出国として知られる宗教国家、レスカティエ教国にてクーデターが発生。本拠地である王城の内部から魔物によって構成された反乱軍が攻撃を仕掛け、一気に中枢部を陥落。それから一夜にして全域を制圧し、レスカティエ一帯は完全に魔界と化した。これによってレスカティエは教会の支配下を外れ、魔界国家としての再スタートを切った。
今回のクーデターについて、首謀者であり現レスカティエの実質的指導者でもある第四魔界王女・デルエラ様は「ついカッとなって犯ってしまった。未だに反省も後悔もしていない。被害者の方をお祝いしたい」とコメント。新女王であるローパーのフランツィスカ・ミステル・レスカティエ女史も「この体になってから持病も治り、好きな人とも結ばれることが出来てとても幸せです。これからはデルエラ様の指導のもと、レスカティエをより幸福で淫らな国にするため努力致します」と喜びの意を示した……』
「へぇ、おめでたい話じゃありませんか。でも、これがどうしたんです?」
記事を一通り読んだエミーは、何となく嫌な予感を過ぎらせつつエリスに問い返す。
確かにレスカティエの陥落は、彼女たち魔物にとっては吉報といえる。(「ついカッとなって」で実行に移せてしまえるあたりエリスの姉だなぁ、と思わなくもないが)デルエラの手腕は間違いなく賞賛すべきものだし、教団勢力側でも一二を争う強国であったあの国が魔物の手に落ちたと言う事は、現魔王の理想の実現に大きく近づけたという事でもある。
……しかし、だがしかし。エリスにはこういう時に発揮される悪癖がある事を、エミーは長い付き合いの内に知っていた。
それは。
「決まってるじゃない。私も何処か堕としたいの」
人がやったことを、よく考えもせずに自分でやりたがる事である。
「……お言葉ですが先に申し上げます。エリス様には無理です」
「な、何よちょっと失礼な!私だってリリムの端くれよ、デルエラ姉様みたくどーんと大きなことして、皆にちやほやされたいの!」
「お言葉ですが先に申し上げます。エリス様には無理です」
「二回言うな!」
無論速攻で却下しようとする使い魔と駄々をこねる主。かたや年端もいかない姿の小悪魔、かたや女の魅力溢れる絶世の美女。しかし精神年齢はどう見ても反対。嫌にシュールな絵面がそこにはあった。
「だいたい堕とす堕とすって何処を堕とすんですか。国一つ堕とすなんてただでさえ難しいのに、レスカティエの陥落で反魔物国家は何処もかしこも警戒バリバリですよ?いきなり行ったって返り討ちにあうのがオチですよ」
「大丈夫よ、問題ないわ。楽なターゲットを選んだから」
「楽なターゲット?」
もっともな意見を出したエミーに、エリスはいかにも自信満々といった風情で答える。エミーが怪訝そうに問い返すと、エリスは手のひらの上に魔力幻燈を展開した。
「……これは?」
そこに移されたのは、彼女たちにとって見たこともない街の風景。石造りとも何ともつかない奇怪な高層建築が立ち並び、変わった身なりをした人間たちがその間をせわしなく歩いていく。
「これはね、私達とは違う歴史を辿った世界。魔物も魔法もない代わりに、モノが発達した世界よ。確か……チーキュとか言ってたかしら」
「……何でそんなことエリス様が知ってるんですか」
「ヒマだったから幻燈弄ってたら偶然繋がったのよ」
芝居がかった口調で、自慢げに自分の見付けた新しい世界について語る彼女。そんな事してるヒマがあるなら私にばっかり仕事渡さずに働けよ、とエミーは内心思ったものの、見慣れない世界に対する興味はやはりあるのか、幻燈の向こうに広がる世界をじっと見つめている。無論、主がその世界の名を盛大に間違えていることに気付こうはずも無い。
「……んでね、私はこう思ったのよ。魔法も魔物も無い世界なら、勇者や主神だっていないはず。だったらいくら堕としたって邪魔は入らないんじゃないかな、って」
「……エリス様。それってまさか」
続く言葉に、エミーはまた嫌な予感を覚える。
「ええ。今回のターゲットは、このチーキュよ」
その言葉と共に、足元に巨大な魔方陣が浮かび上がった。
エリスの強大な魔力によって起動したそれは、異音を立ててそこに刻まれた術式を実行に移す。
その役割は……転送。
「……ちょっ、エリス様!?何でこんなとこだけ準備いいんですか!?何時の間にこんなデカデカした魔方陣用意されたんですか!」
「私が一晩でやってくれました!」
「ドヤ顏でわけわからない事言わないでください!あとさっきも言いましたけど、こんな事するヒマがあったら別にもっとやるべき事があるでしょうに!」
「うるせえ!いいから!」
「よくありません!私まだ何も準備してませんよ!?荷物の用意とかその他諸々!」
「奇遇ね。実は私もなのよ!」
「なんで!?計画立てたのエリス様ですよね!?」
大声で二人が揉めている間にも、転送は無慈悲に進んでいく。二人ともゆっくりと、その足の先から順々に異世界へと送り込まれていくのだ。
「うわっもう転送始まってる!嫌だ!まだ、まだ行きたくないです!私まだ行きたくないのに!せめて、せめて前準備だけは!」
「煩いわね、腹を括りなさいエミー!さぁ……」
なんとも締まらない企み顏で、彼女はこう宣言した。
「チーキュにヤキ入れにいくわよ!」
11/11/18 11:18更新 / 早井宿借
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