私の迷子くん
私の拾った迷子の旅人は、臆病だ。
いつも何かに怯えて、びくびくと身を縮こまらせている。
とにかく物音に敏感で、風に揺られて草が鳴るだけでびくりと体を跳ねさせる。
見ていてちょっと面白い。
ただ、度を越した臆病者だからと言って、重騎士でもないのにタワーシールドを持ち歩くのは、ちょっとどうかしてると思う。
私の拾った迷子の旅人は、魔術士でもあるらしい。
空間がどうとか結界がどうとか言うのが得意らしく、媚薬の雨も、発情キノコの胞子も、そもそもこの不思議の国に漂う魔物の魔力でさえ、彼のバリヤーに弾かれてしまう。
食べる物飲む物に関してもやたら慎重で、不思議の国で手に入るアレな形の果実や、卑猥な形の果物や、ヤらしい副作用のある水やらドリンクやらを、絶対に口にしない。口に入れるもの全てを、持参してきていると言う非常食で賄ってしまう。
聞いたところによると、三ヶ月分は用意してあるらしい。彼が背負っているリュックのどこにそんな量の食べ物が入るのか、私にはさっぱり分からない。
私の魔力をたっぷり乗せたとびきりのやらしい言葉にも、彼は居心地悪そうに顔をそむけるだけだ。
ただ、全く反応が無いわけではないようで(下方向を見ながら)。
その辺りは、これからの発展を期待すると言うことで。
私の拾った迷子の旅人は、度を越した臆病だ。
だからなのかどうかは知らないけれど、他人の気配に敏感だ。
彼と一緒に歩いていると、ふと空を見上げて、
「……来る……」
とか、なんだかカッコいいんだか痛いんだかわからない事を呟く。
「何がくるんだい?」
「こないだの……ぴんくとかげ」
ピンクトカゲ。私の古い知り合いであるジャバウォックのことだ。
最近、頻繁に会いに来るようになった。
「どっちから?」
「あっち……」
と、方角を指差すと、
「じゃ、じゃあ……僕は、か、隠れるから……」
そう言って、ふっと消え失せてしまう。
隠行術なのだと彼は言うが、術というからには、何かしら魔力の残り香なり痕跡なりありそうなものだけど、全然ない。
消えてしまうと、どこに行ったのか、私には全然分からない。
ちょっとむかつく。
彼が消えてからちょっとして。
「はぁい、ごきげんようにゃんこ」
さっき彼が指差した方向から、ジャバウォックが飛んできた。
「やあごきげんようピンクトカゲ」
「は?」
「ん?」
いつものやり取りを済ませると、彼女は辺りをきょろきょろと見回して、
「男は?」
これである。
「いたよ。さっきまで」
正直に答える。
「いたよねぇ」
見ても無いのに何故か断言するジャバウォック。
「アタシもあんたの所に男がいると思って来たんだけど」
「どうしてそう思ったんだい?」
「いや勘で」
「君の頭の中せーししか入って無いんじゃないか」
「頭の先からつま先までせーし詰めてくれる旦那が欲しい」
「私もだよ」
「ねー」
彼女は、ふんふんと辺りの臭いを嗅いだ。
「……ほんとに男がいたの? 臭いも何も残ってないんだけど?」
訝しげに眉をひそめる。
私は小さく肩をすくめるしか出来なかった。
「本当だよ。というか、多分今もいるよ。その辺に」
「ホント?」
また辺りを見回すジャバウォック。
「……ホント?」
「……まあ、いないかもしれないけど……」
私にも、今どこにいるのか分からないのだから。
「ふーん……」
ジャバウォックは何かを考えるようにあごに手を当てた。
「……待ってたら帰ってくると思う?」
「無いね」
即答した。
「君がいる限り、絶対に出てこないと思う」
「なんで!?」
「君を避けてるからだよ」
「会っても無いのに避けられてる!」
「彼、人見知りだから」
「だったらアンタはどうやって知り合ったのさ」
「初対面だったから不意打ちが効いたんだよ」
「アタシも不意打ちすればなんとかなる?」
「君の気配は完全に読まれてるみたいだから多分無理」
「なんっでだよぉぉぉぉ!!」
不思議の国の絶対強者であるジャバウォックが地団太を踏む姿というのは、なかなか珍しいんじゃないだろうか。
なんだかその姿がとても哀れに見えて、私は思わず迷子の彼――テルに向けて声をかけた。
「ねえ、テル。君が人見知りなのは知っているけど、こうして君に会いに来た彼女のために、一目で良いから姿を見せてあげてはどうかな?」
「お願い! おーねがーい! ちょっとだけ! 先っぽだけで良いから!」
…………。
「…………」
「…………」
…………。
「……いないかも」
「ちっくしょぉぉぉぉ!!」
怨嗟の叫びと共にジャバウォックは翼を開いて飛び立つ。
「覚えてろー! 絶対に、絶対にアンタの男とチョメチョメしてやるからなー!!」
そう捨て台詞を残して、彼女は空の彼方へ去っていった。
その後ろ姿を見届けて、
「……行ったよ、テル」
彼に声をかける。
…………。
「……テル?」
返答が無い。
「……本当にいないのかい?」
「……いるけど」
「――――っ!?」
思わぬ所から声をかけられて、変な声が出そうになったのをギリギリ飲み込む。
慌てて空を見上げれば、膝を抱えたテルが宙に浮いていた。まさか頭上から声がするとは思わなかった。
膝を抱えたまま、スーッと、音も立てずに上から下りてくる姿は、なんと言うか、とても不気味だ。
「……飛べたんだ?」
驚きでバクバクと早鐘を打つ心臓をなんとか落ちつけて、彼に尋ねる。
「いや……物理結界……透明なやつを作って……乗ってただけ」
「そうかい」
彼は地面に降り立つと、ジャバウォックが飛び去った方を見やった。
「……あの人……飛んでった振りして、たまにこっち見てるから……」
「ああ、そうだったんだね」
彼女が完全に去ってしまうまで、迂闊に出てこれなかったということか。
どうにもこうにも用心深い。
そういえば、と思い立って、先ほどの話を聞いてみることにした。
「君もさっき聞いていたと思うけど、ジャバウォックの彼女に君のことを紹介しようと思うんだけど」
「………………」
ものすごく嫌そうな顔をされた。
「……どうかな?」
「絶っっっっっ対に嫌」
力強く即答されてしまった。
「……どうしてそこまで嫌がるんだい? 話したことも無いのに」
「……あの人の、何かに飢えたようなギラギラした目が……嫌」
男に飢えているからね。
「彼女と私で、それはもうとろけるような快楽を提供すると言っても?」
そう言うと、彼は小さく眉をひそめて、ふいと顔をそむけてしまった。
「……そ、そういうの……いいから……」
彼は性的な話を振られると弱い。ただしあんまりすると、しばらく口を聞いてくれなくなったりする。
あんまりつついて拗ねられても困るので、これくらいにしておこう。
「まあ、そう言うなら、無理強いはしないよ」
「ん……そうして」
小さく息を吐くと、彼はリュックとタワーシールドを背負い直した。
「……この辺はもう、いいかな……」
ぼそぼそとした声に、小さな落胆の色を交えて、呟く。
「ん? もういいのかい?」
「うん……この辺りには……ない」
彼が言うには、空間のゆがみを探しているらしい。空間がゆがんだ所から、外への道をこじ開けようということだ。この辺りでは見つからなかったらしい。
「そうかい。じゃあ、次はどこに行こうかな」
そう言えば、帽子屋のお茶会がもうすぐあるはずだ。
私の拾った迷子くんは、臆病で、人見知りで、性的に非常に奥手。
いつも目に見えない何かに怯えているけど、慎重で、真面目で、正直。
セクハラをすると反応が面白くて、可愛い。
彼が、この不思議の国から出られるかは、私は知らないけれど。
その時が来るまで、一緒にいてあげようと思う。
+ + +
迷子だった僕を拾った、案内人を自称するピンクい猫。
彼女はどうしようもない痴女だった。
初対面から馴れ馴れしくて、やたらぺたぺたして来て、セクハラをしてくる。
どこへ逃げても、どこからともなく現れて、ついてこようとする。
この不思議の国を案内すると言って、どうにかして僕をエロい罠にハメようとしてくる。
油断のならない猫。
なんだかんだ、僕の意思は酌んでくれるし、土地勘はあるし、ぼっちは寂しいので、一緒にいる。
不思議の国と呼ばれる異空間に落ちてきたのは僕だけらしい。
三人の友人たちは、きっと『外』にいるんだろう。
出来るだけ早く、彼らと合流したいから、出来るだけ早く、この不思議の国を出てしまいたい。
ただ、ちょっとだけ。
彼女と一緒にいるのは、楽しいと思っている自分がいる。
セクハラさえなければもっと……うーん。
まあとにかく。不思議の国を出るまでは、彼女を頼ることになりそうだ。
だから、その時が来るまでは、出来るだけ仲良くしていようと思う。
おしまい
20/08/15 18:13更新 / お茶くみ魔人