連載小説
[TOP][目次]
田辺さん(その1)・林さん(その2)
休日の朝、シャワーを終えて、リビングに行くと、刑部狸の【田辺】さんが、リビングのソファに座って一人算盤を弾いていた。田辺さんは、普段、人間に化けて生保かなにかの勧誘をしているらしい。ちなみに彼女は2階のシェアルームに一人で住んでいた。本来なら二人で住む部屋である。何かウラがあるに違いない。僕はそう踏んでいた。

「にっしっし、見込み客へのアポイントは取れた。後は、アプローチじゃ。奥さんから攻め落とすか、それともご主人からか。奥さまは家庭菜園が趣味で、ご主人はゴルフじゃったなぁ。にしし、事前調査に抜かりはないわ。…まてまて、今後、紹介も貰えるように印象をよくせねばならん。ならば、何か手土産でも持っていくか」

おそらくは、真面な商売をしているはずなのだが、なぜか田辺さんの言葉を聞いていると、悪徳セールスをしているような気がしてくる。彼女は鞄から札束を取り出して、えげつない表情で数えている。「ししし、お釣りは多めに持っていかなければのぉ。万が一の事態にも備えるのがセールスウーマンというわけじゃ。にっしっし」田辺さんは、誰もいないリビングで、一人「取らぬ狸の皮算用」をしながら高笑いをしていた。と、田辺さんが、やっと僕の存在に気が付く。

「おぉ、これはこれは、昇太郎殿ではないか。恥ずかしいところを見られてしもうたな。それはそうと、今日はそなた休日か?」
「えぇ、そうですが」
「にしし、実はのぉ、そなたにいい話があるんじゃが」

田辺さんがまた悪い顔をしている。僕は嫌な予感しかしなかった。無視しようとすると、彼女が僕の腕を掴んで引き留めようとする。と、いきなり、彼女は僕の手を取り、僕の手の平をまじまじと見つめた。そして、鞄から何やら古びた本を取り出し、ぱらぱらと捲ると、青ざめた顔で言った。

「しょ、昇太郎殿、そなた、大変じゃぞ!なんと、右手に大転機の相が出ておる。おぉ、しかも、これは近々大変なことが起こるぞい!」

僕は、一体この人は何がしたいのだろうと思った。まぁ、大方予想はついているが。彼女によれば、今年が20年に一度の大災厄の年であるらしい。手相を見ても、生年月日を見ても、人相学でも同じような結果がでていると。ちなみに、「タロットと、星占いをするか?オプション料金がかかるが」と聞かれたが、僕は断った。そして、本来なら災厄がどこからか降ってきて、僕はとんでもない事態に追い込まれるらしいが、袖振り合うも他生の縁。田辺さんの魔力でそんな負のエネルギーを浄化すると同時に、今なら僕にあった総合保険でトータルに人生をサポートしてくれるらしい。

「えぇーっとじゃなぁ、厄払いが本来なら、1万円のところ、今なら半額以下の4980円(税込)じゃ。これは特別価格じゃぞい!それから、月々の保険料が、なんと、財布に優しい2000円じゃ!ほれ、昇太郎殿、これだけのサポートで、一か月に2000円じゃぞ。2000円などどこかに遊びにいけば、ぽーんと消えてしまうではないか。それだったら、必ず役に立つ保険に入っておくのが吉じゃ。分かったら、さっさと通帳と印鑑を…」

立て板に水を流すように話す彼女の言葉をとりあえず聞き流していた僕は、この腹黒狸、さすがに抜け目がないと思った。そして、何気ない顔でキッチンまで行くと、冷蔵庫から天かすを入れた小袋を取出し、小皿に少量出すと、田辺さんに差し出した。

「よく、説明できたね。ご褒美あげるから、もう、帰っていいかな?」
「…うん!!」

田辺さんは子供のように目を輝かせてそう言った。



クノイチの林さんは、毎朝、四時に起きる。その後、一時間かけてトレーニングをする。主に筋力トレーニングだ。忍としての毎日の欠かさない鍛錬が明日の自分を作る。そう信じている。その後、30分ほどランニングもする。ゲストハウスの裏手には大きな公園があるので、そこを走る。たまに、犬の散歩をしているご老人と会うので、会ったときは、挨拶を交わす。帰ってくると、熱いシャワーを浴びる。運動後のシャワーというのは、とても気持ちのよいものだ。

最近はシャワーが終わると、朝食を作っていた。忍びの里にいたときは、料理はそれほど得意ではなかったが、今、少しずつ勉強をしているのだ。今日の献立は焼き鮭と味噌汁。それから、卵と納豆、海苔を用意した。鮭は昨日魚屋で買ってきたものである。腕をまくり上げ、エプロンを身に着けると、既にさばかれている魚を丁寧にグリルで両面を焼く。皮は少しパリッとした方がいい。味噌汁、わかめと豆腐にした。ちゃん煮干しで出汁から作ったものだ。お玉で味を確認する。「うん。これなら、大丈夫」。ご飯のタイマーは、昨日セットしてあるので、そろそろ炊き上がる頃だ。林さんは、器を用意した。

炊飯器のアラームがなり、ご飯が炊きあがる。味噌汁もできた。鮭も上手く焼きあがった。それぞれ器に丁寧に盛り付け、リビングのテーブルに置く。すると、林さんは2階に駆け上がった。ドミトリーの部屋の扉を静かにあけて、中に忍び込む。部屋の中には、四つベットがある。その中の左上に昇太郎が眠っている。そっとベッドの梯子を上る。案の定彼はぐっすり眠っていた。起こすのがもったいないので、林さんは、昇太郎の隣に添い寝をしてみた。

…しばらくして、彼の肩を揺らす。すると、うぅと唸りながら、彼が起きる。林さんは即座に隠密モードに入る。顔を洗いに1階に降りる昇太郎。リビングにはもう朝食ができている。そこに文が一通置いてある。昇太郎はそれを開けてみた。そこには墨でこうしたためられていた。≪昇太郎へ 心をこめてつくりました 召し上がってください お仕事がんばってね ヾ(≧∇≦*)ノ〜〜いってらっしゃーい≫昇太郎はそれを読むと、丁寧に便箋に戻した。そして、ソファに座ると、手を合わせて、食事を食べ始めた。

七時。スーツを着て、仕事に出る昇太郎。その背後で(誰からも見られないように)見送る林さん。昇太郎は全部残さず食べてくれたようだ。「…食器洗わなくても、私が洗ったのに」そんな事を思いつつ、彼女はエプロンを外す。こうして、今日も林さんの一日が始まる。彼女はくノ一。忍びの道に生きる女性だ。
12/04/24 23:21更新 / やまなし
戻る 次へ

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33