君のとなり
「.........♪......♪.......」
風に乗ってどこからか音が聞こえてくる。
俺には音楽に対する経験も知識もないが、聞こえてくるこの音が心地良いという事だけは分かった。
ここは住宅街から少し離れた場所にある小さな公園。
置いてある遊具も小さな滑り台に二つのブランコ、それとこれまた小さな砂場だけ。
俺は二人掛けベンチに腰を下ろし、目を瞑っていた。
そうしている事に特に理由はない。
世間は大晦日の喧騒に包まれ、仕事も年末年始の休みに入った。
実家に帰省する予定もなく、一人で住んでいるアパートで寝ているのも飽きたので何となく散歩をしていたのだ。
『にしても、年の瀬には合わない感じの曲だな・・・』
先ほどから耳に入ってくる音楽はしっとりとした曲調だった。
恐らく弦楽器であろう事は辛うじて判断できたが、その種類まではさっぱり分からない。
「俺には関係ないか」と零し、コートのポケットに入れたホッカイロを握りこむ。
厚手のコートにマフラー、ポケットにはホッカイロの重装備ではあったが、やはり外は寒い。
『・・・・・ん?音が大きくなったか?』
そんな気がした。
少しだけ、ほんの少しだけだが耳に入る音が大きくなった気がした。
外で演奏しているのかと思ったが、こんなクソ寒い中で楽器を演奏するなんてよっぽどの馬鹿か自分大好きナルシストくらいだろう。
『・・・いや、やっぱり音が近くから聞こえる、よな?』
気のせいではなかった。
俺の耳に入ってくる音は最初よりもはっきり聞こえるようになっていた。
『マジかよ・・・こんな季節に外で楽器演奏するなんて。。。』
住宅街から離れているせいもあり、子ども連れもめったに来ないこんな場所で演奏するなんてナルシストではないだろう。
と言う事は・・・
「よっぽどの馬鹿だな」
そう思うと笑いがこみ上げてくる。
「...♪.........♪...#....」
『あ・・・今、音外れた』
それまで流暢に続いていた演奏だったが、俺にも分かるくらい明らかに音がおかしかった。
『寒い中で演奏なんかしてっからだよ』
多分だが、寒さで指が悴むのだろう。音が外れて以降、演奏は止まった。
「ガサガサ・・・」
ベンチの脇の草むらが揺れ、奥の方から誰かが公園の中に戻ってきた。
演奏してた奴だなと思い、俺は目を瞑って寝たふりをする。
しかし、そいつの足音は俺の方まで来ると目の前で止まった。
相手に気付かれないように少しだけ目を開けて、相手の様子を探る。
頭の触覚を揺らしながら眉を八の字にした女が、俺に声を掛けようか掛けまいか迷っている様子だった。
「結構かわいいな」
それが俺の第一印象だった。
手には楽器の入っているであろうケースをぶら下げている。
しかし、こんな時期に外で楽器を演奏する「よっぽどの馬鹿」が次はどんな行動に出るか興味が沸き、俺はそのまま目を閉じ寝たふりを再開する。
『ぁ......あのっ.....』
は、話しかけられた。
しかし、声が小さいな。・・・やり直し!
『あ......ぁ、の......』
お、おいおい・・・さっきより小さくなってるじゃねえか。
また少しだけ目を開けて相手の様子を盗み見る。
そいつは体を震わせ、顔を真っ赤にして目には涙を浮かべていた。
いや、そんなになるなら無理して声掛けるなよ!
そんな事を考えたが、悪戯心が疼いてしかたなかった俺は再び目を閉じる。
『ぁの....、あ、あのっ....あっ.....の......』
何これ楽しい。
俺の目の前の女は今にも泣きそうな顔をしている。
いや、もう若干泣いていた。
その証拠にケースを持っていた右手を離し、目を拭っている。
そうする様子が可愛くて可愛くて仕方なかったが、さすがに人間性を疑われそうなのでそろそろ起きてやるか。
・・・・・・・・本音は、あと10分くらいはこうしていたかったが。
『ふぁ〜、何ですか?』
俺はワザとらしく欠伸をしてみせ、そいつの小さな声に返事をしてやった。
女はようやく俺に声が届いたのだと安堵した顔を見せたが、すぐにまた目に涙を浮かべ始める。
『ぉ..おきて、..ました、よね..?』
『・・・・ネ、ネテマシタヨー?』
よっぽどの馬鹿の癖に、意外に鋭いな。
『だ、...だって、こんな季節に、....外で寝てるなんて、..変、です』
「変なのはアンタだ!」と言ってやりたかったが、それを言うと起きていたという事がバレてしまうので口を噤む。
『いや、俺は寒いのが好きなんですよ。防寒もちゃんとしてますし』
かなり苦しい言い訳だったが、馬鹿相手ならこれで十分だろう。
『そ、うなんですか?....ほんとに、...寝て、ましたか..?』
尚も俺に疑いの眼差しを向ける女に「はい、本当に寝てましたよー」と適当に答える。
『楽器の音.....うるさく、なかったですか....?』
なるほど、その事を気にしていたのか。
確かに聞こえてはいたが、決して耳障りではなかった。
『私、.....下手だし....』
『ああ、さっきも音外してたもんな!・・・・・・あ、』
しまった。
女は、先ほど俺が寝たふりをしていた時以上に顔を赤くし、目には零れんばかりに涙を溜め、頬を膨らませて俺を睨みつけていた。
『や、やっぱり、起きてたんじゃ、..ないですかっ...!』
や、やばい!
本当に泣かせちまう!
『い、いや、今のは言い間違い!』
先ほど、寝たふりして意地悪したが、本気で泣かせるつもりはなかった俺は慌てて取り繕う。
なんとかこいつを宥めて、泣かせることだけは阻止しなくては!
しかし、そんな心配を他所に、女の口から出たのは予想外の言葉だった。
『・・・へ、変な人の、くせにっ..!』
『は、はあぁぁぁ!?いやいやいやいや!馬鹿に言われたくねえよ!』
まさか、ここにきて「変な人」呼ばわりされると思わなかった俺は、宥めようと思っていたことも忘れ思ったことを口にする。
『ば、..ばか!?ばかって..わ、私の、ことですかっ..!?』
「変な人」に「馬鹿」呼ばわりされた女は目を丸くして声を上げる。
『そうだよ!こんな季節に外で楽器演奏なんて、よっぽどの「馬鹿」じゃなきゃしないだろ』
俺はわざと「馬鹿」にアクセントを置いて強調する。
『ば、ばか...ばかって、...』
言いたい事を言って少しすっきりした俺は、目の前の女の体が震えていることに気付いた。
やっちまった・・・
見ず知らずの人間にとんだことを言ってしまった。
しかし、後悔先に立たず。
女はそのままひっくひっくと泣き出してしまう。
『あ、あああ、悪い!言い過ぎた!ば、馬鹿じゃない!アンタは馬鹿じゃない!むしろ偉い!こんな寒い中、楽器の練習してるなんて見上げた根性だ!』
何とか泣き止ますべく立ち上がり、女の周りをうろうろしながら元気付ける。
「頼む!な、泣き止んでくれ・・・」心の中でそう祈りながらそうしていると女の声が聞こえた。
『ひっくひぐ..ほ、ほんとに、ひっ..ば、ばかじゃ、...ひんっ、ないですか...?』
嗚咽交じりで何を言っているのか良く分からなかったが、取り合えず「君はとても偉い子だ!」と言ってやった。
家族からも「お前は人の気持ちを少しは慮れ」と言われていたが、今日ほど痛感したことはない。
『と、取り合えず!ベンチに座った方がいい!ほら、楽器は一旦横に置いて』
さっきまで自分が座っていた箇所を手で払い、女をそこに誘導する。
女は右手で涙を拭っていたため、左手一本で持つのはしんどそうなケースを受け取り、ベンチの上に置く。
『ぅん....』
女は俺の言葉に頷くと、よろよろとした動きでベンチに腰掛けると、今度は両手で涙を拭い始めた。
女を泣かせるなんて小学校以来だからどうしたら良いか分からず、俺はその様子を見ているしかない。
そうやって観察していると女の吐く息が白いのに気付く。
『あ、あんた!ちょっとここで待ってろ!』
そう告げて俺は公園の入り口に走る。
目的の物はそこに設置されている自動販売機だ。
『ホットはどれだ、ホットは・・・・』
売られている商品の見本が三段に分かれて並んでいたが、ホットは下の一段だけだった。
しかも、その殆どが「売切」のランプが表示されている。
『ね、年末だから商品の補充されてないのか!?』
売り切れじゃないのは・・・・・・・
『お、おしるこ・・・だと・・・・?』
普通こういう時は格好良くコーヒーか、無難にお茶だろう!
どこに見ず知らずの女を泣かせて、お詫びにお汁粉渡す男がいるんだよ!
そんな事を考えたが背に腹は変えられない。
飲む飲まないは別として、渡すだけでも寒さは和らぐだろう。
ズボンのポケットから小銭入れを取り出し、お汁粉を買う。
『俺は・・・いいや。甘いの嫌いだし・・・』
買ったばかりのお汁粉を手に、女のいるベンチへ戻る。
女はもう泣き止んでいたようだが、その目は赤く充血していた。
『その、なんだ・・・本当にすまん。。。』
お汁粉を女に差し出しながら頭を下げる。
『へ、変な、人の癖に...』
女は俺からお汁粉を受け取ると、小さな声でそう言った。
どうやら先ほどの仕返しをしているつもりのようだ。
『は、はい・・すみませんでした・・・』
それで気が済むのならと、俺は頭を下げたまま女の言葉に同意する。
『そ、それに、お汁粉って、....何ですか...』
いや、それは俺のせいじゃない。恐らく年末で補充の人もお休みなのだろう。
しかし、反論しては意味がないことが分かっている俺は我慢する。
『ほ、他のは、売り切れでした・・・』
『お、お汁粉、...好きなので、いいですけど....』
女は缶のふたを開けると飲み始めた。
て言うか、好きなのかよ!だったらイチャモンつけるな!
『先ほどの、ズズッことは、ゴクゴク...お汁粉に免じて、ズズッ、水に流します....』
おい、飲むか喋るかどっちかにしろ。
それにちょっと待て。お汁粉に免じて?お、俺の謝罪は・・・?
そうこうしている間に女はお汁粉を飲みきったのか、満足そうに「ふぅ」と息を吐いた。
俺も溜息を吐きながら頭を上げると、女と目を合わせる。
『もう一本ください』
女は俺の顔を見ると泣いたせいで赤いが、それでも先ほどとは違い少しだけ笑った顔をしてそう言った。
『・・・・ちょっと待ってろ』
その顔に不覚にも可愛いと思ってしまった俺は、それがバレない様に後ろを向くと、自動販売機へ足を進めた。
自動販売機でお汁粉を一本買うと、ちょうど「売切」のランプが点灯した。
受け取り口から缶を取り出すと、再び女のところへ歩く。
女は空いた缶を両手で持ち、俺の方をじっと見つめていた。
『・・・ほれ』
そう言って缶を差し出すと、女は「ありがとうございます」と言って受け取り、すぐに飲み始める。
どんだけお汁粉好きなんだよと思ったが、まぁそのお陰で機嫌も治った事だし良しとしよう。
俺はそのまま女の隣へ腰を下ろすと、「はー」と息を吐いた。
その息は真っ白でゆっくりと上に昇っていったが、すぐに消えて見えなくなった。
『なに、...してたんですか...?』
やることもなく、ただボーっと空を見上げていた俺の耳に女の声が入ってくる。
『いや、特には。家に一人で居ても暇だったんで、散歩・・・みたいなもんだ』
女の方を見ることもなく、そのままベンチの背もたれに体を預けそう答える。
女はお汁粉を飲みながら、「そうですか」と言った。
『あんたこそ、こんな寒い中で練習か?』
実はかなり気になっていたことだった。
俺は良く分からんが、確か楽器は寒いところにあると痛むと聞いたことがあった。
息も白くなる気温の中では、楽器にも影響出るんじゃないか。
『わ、私の家...壁が薄いから..が、楽器の音が、隣の部屋に...き、聞こえちゃう』
女のその言葉に「ああ、なるほど」と答える。
確かに、俺の住んでいるアパートも壁は薄くて、隣の部屋の携帯のバイブレーションの音すら聞こえるほどだった。
・・・だから、人の来ないところで練習してたのか。
『ぁ、あの..』
しばしの沈黙のあと、女は勇気を振り絞ったという感じで声を出す。
きっと人見知りなのだろう。
『ん?』
対して、俺は人見知りとは無縁で、むしろ逆に説教を喰らうくらい遠慮がなかった。
今はかなり成長したつもりだが。
『わ、私のこと、...こわく、ないんですか....?』
そう言われて女の方へ顔を向ける。
それに気付いた女はすぐに顔を伏せ、時たまチラチラとこちらの顔色を伺う。
『・・・別に』
本当に心に思ったことを言っただけのつもりだったんだが、それを聞いた女は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
・・・・いや、どう答えればよかったんだ。
『でも、わ、私....人間じゃ、ないし....こんな、体だし....』
そういった女の体は下半身が二本足ではなく、長い体に細かい肢が並んだ百足の体をしていた。
魔物娘。
人類とは違う、もう一つの種族。
種族と言っても、それは多種多様で一見して人と変わらない者も居れば、こいつのように人とはかなりかけ離れた体をしている者もいる。
こいつの外見からして、大百足という種族だというのはすぐに分かった。
『今時、魔物娘なんてザラだろ?うちの会社だってアマゾネスやマンティコアがいるぞ。あ、そう言えば、最近アルプになった新卒の後輩もいたな・・・』
世はまさに魔物娘時代。
町を歩けば魔物娘に当たる(結婚する)とは良く言ったものだ。
だから目の前の魔物娘に恐怖など感じるわけもない。
『で、でも、...わ、私は..む、虫の体、です....』
ああ、そんなことか。
自分は魔物娘の中でも人外色が強いから怖いんじゃないかと、そう言いたい訳か。
でも、残念・・・
『俺の姉ちゃんが魔物娘と共学の女子高に行ってたから、よくアラクネ系とかラミア系の魔物娘が遊びに来てたんだ』
「だから別に怖くねえよ」と言うと、女は手に持つお汁粉の缶をぎゅっと握り締めていた。
見た感じ、俺より年下だろう。
魔物娘は人より寿命が長いって聞くし、正確な年齢は分からないが、人間で言うと大学生くらいか?
言葉遣いや雰囲気からして、同じ社会人には見えなかった。
『そ、ですか』
女は頭の触覚を揺らし、少しだけ笑みを浮かべて体を前後に揺すっていた。
おお、そういう顔してると可愛い可愛い。
やっぱり女は笑顔が一番だなと実感する。
そう思うと、目の前の女がもっと笑った顔が見たくなって、今までに経験した体験談を披露する。
これは、会社の面接を受けた時にバカ受けして採用を勝ち取った俺の鉄板ネタだ。
『俺なんて、姉ちゃんの友達を名乗るアラクネにぐるぐる巻きにされた挙句、拉致さられかけたり、同じく姉ちゃんの親友を名乗るサンドウォームに喰われかけたり、仕舞いにゃ姉ちゃんのライバルを名乗るメドゥーサに首から下を石にされたんだぞ』
しかし、その話を聞いた女は笑顔ではなく、眉の八の字を深くし、不機嫌そうに俺を睨みつける。
おかしい・・・絶対にウケルと思ったのに。。。
俺は鉄板ネタが滑ったことに愕然としていると、隣に座る女が「ふんっ」と鼻を鳴らした。
『も、もてもて、なんですねっ...!』
え・・・・・
どういうこと・・・?
『ま、待て待て。今の話でどうしてそうなる?』
『・・・。』
急にご機嫌斜めになった女に困惑し、俺は慌てて声を掛ける。だが女は何も答える事無くそっぽを向いてしまった。
しかも百足の体の先、尾の部分で地面をバシバシと叩いている。
『な、なぁ、黙ってちゃ分からんだろ』
『・・・・・・。』
女は完全に気を悪くしてしまったらしく、俺が何を言っても目を合わせずだんまりを決め込む。
普段なら「面倒臭い女だな」と言って、この場から立ち去るのだが、さっき泣かせてしまった負い目があり、そうすることも出来ない。
どうしようかと女を見ていると、その手に握られているお汁粉の缶が目に入った。
『そ、そうだ!お汁粉!もう一本買ってやるから』
その言葉に女がピクリと反応する。
・・・ふふふ、単純なやつよ。
しかし、すぐに思い出す。
『あ、お汁粉売り切れだったんだ・・・』
俺のその言葉に女は肩を落とし、「はー」とタメ息を吐く。
いやいや、タメ息吐きたいのはこっちですよ?
『・・・アラクネ種が糸で拘束するのは、その男性が気に入ったから巣に持ち帰るため。メドゥーサも同じです。石にして動けなくしてから、お持ち帰りするんです。サンドウォームは・・・言わなくても分かりますよね?全部、愛情表現なんです』
タメ息の後、そっぽ向いていた顔を正面に向け、百足の尾で相変わらずバシバシと地面を叩きながら女は不機嫌そうにそう言った。
『・・・・え、そうなのか?俺はてっきり、当時小学生だった俺が泣き喚くのが楽しくて意地悪されてるのかと・・・』
現に、泣き声を上げる俺を見つめる彼女らの顔はとても楽しそうに歪んでいた。
そして、みなが口を揃えてこう言うのだ。
「「「今日から私がお姉ちゃんだよ」」」と。
あ、あいつ等・・・完全に、お姉ちゃん(意味深)だったんじゃねぇか!!!
十年以上経って知った真実に俺は驚愕する。
そんな俺の様子に気付いた女は「ほんとに気付かなかったんですね」と他人事の様に言った。
他人事なのはその通りなのだが・・・
『いや、むしろありがとう。次に帰省した時に、あいつ等締め上げてやる・・・』
いや、やっぱり止めよう。
恐らくだが、逆に締め上げられる。勿論、性的な意味で。
『くしゅっ!』
頭を抱えてやりようのない恨みをどうしたものかと考えていた俺の耳に、変な音が飛び込んできた。
頭を上げて女を見ると顔を真っ赤にして震えていた。
『・・・さ、寒いの?』
気のせいではなく、今のはこいつのくしゃみだろう。
別にくしゃみくらいでそんな赤くならなくてもと思ったが、年頃の女性はそんなものかと思い、敢えて聞かなかった。
コートは着ていたものの、女はマフラーも巻かず、下半身は少し厚めの布をパレオのように巻いているだけだった。
『ほら、俺ので良かったらマフラー貸してやるよ』
そう言って俺は自分の首に巻いてあるマフラーを解き、女に差し出す。
しかし、女はそれを受け取ってよいものか迷っているのか、手が上がったり下がったりしている。
『寒いんだろ?』
ダメ押しにそう言うと女は手を下げてしまい、顔を伏せたまま小さい声で言った。
『わ、私がマフラー巻いたら、...毒が、付いちゃいますから..』
言っている意味が良く分からなかったが、汗みたいな物だろうかと俺は思った。
『別にいいよ。高いもんじゃないし、やるよコレ』
俺はそう言って手にしたマフラーを女の首に巻いてやる。
女は少し驚いた顔をしたが、抵抗などはせず、俺が巻いたマフラーに顔を埋めこくりと頷いた。
可愛いな、ちくしょう。
『あ、ありがとう..、ございます...』
女は小さな声ではあったが、ちゃんとお礼を言ってきた。
うん、礼儀正しくていい子じゃないか。
『お、お礼....』
そう言うと、女は手に持つお汁粉を俺に差し出す。
いや、それ買ったの俺だからね?
こいつはやっぱりちょっと抜けているなと思った。
『それはアンタに買ったやつだから、俺はいいよ』
そう答えた俺に、女は「寒くないですか?」と尋ねる。
どうやらマフラーがなくなった事で、俺が寒いのではないかと気にしているようだ。
俺の心配をする女を見ていると、缶を持つ手が震えていた。
恐らく、缶の中身は大分ぬるくなってしまったのだろう。
『手、出してみ』
その言葉に女は首を傾げるが、すぐに右手を俺の方に差し出してきた。
俺はポケットの中で握っていたホッカイロを女の右手に乗せる。
『それなら温かいだろ』
手に置かれたホッカイロを見た女は申し訳なさそうに、「でも」と何か言いかけたがすぐに黙り込む。
『じゃ、あなたも手を出してください』
女のその言葉に「何だ、金でも払おうってのか?」と思い、手を出す。
「ぎゅう」
『こ、これなら、...二人とも温かい、..です』
女はホッカイロごと俺の手を握り、下から見上げてくる。
『・・・・・・・・・・・・・』
何も言葉が出ない。
俺は間抜けにも半開きの口のまま、女の顔を見ていた。
女はニコニコした顔のまま、頭の触覚を揺らす。
これが魔物娘かと実感し、その魅力から逃げ出すことは出来ないなと思い、俺も女の手を握り返した。
その手は柔らかくてすべすべしており、気がつくと撫でる様に触っていた。
『あ、あの...』
その女の言葉で俺は自分の行動に気付き、咄嗟に手を離す。
『わ、悪い・・・』
女の顔を見ることが出来ず、下を向いたままそう答えた俺だったが、女は何も言わずに俺の手を取ると先ほどと同じ様にぎゅっと握り込む。
『大丈夫、です。嫌じゃ...ない、から...』
そう言う女の顔は真っ赤だったが、百足の尾はポフポフと優しく地面を叩いていた。
『あったかい...』
俺の手を握る女の手は、いつの間にか「恋人繋ぎ」の形になっていた。
『私と、...仲良くしてくれた人間は、あなたが初めて、です...』
そう零した女にどうしようもなく感情を抑えることが出来ず、その手を引き寄せ体を密着させる。
『お、俺は別に怖くないぞ』
普段の威勢はどこへやら。俺は何とかそれだけを口にすることができた。
『いい匂い...』
顔ごと体を寄せていた女は俺の肩に顎を乗せ、すんすんと鼻を鳴らしていた。
『他の魔物娘にも..、こういう事、..してるんですか?』
黙って俺の匂いを嗅いでいたかと思った女は、突然そんな事を言い出す。
それに対して「んな訳ないだろ」と答える。
いくら俺でも誰彼こんな事するわけがない。
『なら..、なんで、..ですか?』
何で自分には?そう言いたいのだろう。
『別に深い理由なんてないさ。ただ、アンタがあんまりにも寒そうだったんでな』
本音を言うと、最初に見た時からその弱弱しい雰囲気や困った顔が好みだった。
話してみると、案の定というか自分に自信がなく、引っ込み思案な女だった。
それでもさっきは勇気を出して俺の手をホッカイロごと握ってきた。
その時の笑顔が焼き付いて離れなかったのだ。
『今は..あったかい、です..』
女はそう言って顔を胸元に押し付けて来た。
『アンタこそ、他の男にもこんな思わせぶりな態度とってるんじゃないのか?』
俺はわざとらしく意地悪な質問をする。
女は少しだけ顔を上げ、涙を浮かべた目で俺を睨む。
「ぺしっ」
『いてっ!』
そして、頭の触覚で頬を軽く叩いてきた。
触覚にはそんな使い方もあったのかと少しだけ関心する。
『いじわるですね...』
その小さな言葉に「良く言われる」と返すと、両手を女の背に回しより強く抱きしめる。
『あったけ〜』
『あったかい』
二人して笑い、体を寄せる。
キスもそれ以上の行為もなく、ただお互いがこれ以上寒くならないように、温かくなるように。
『なあ、今度はアンタの愛情表現の方法、教えてくれよ』
そう言った俺に彼女は微笑むと、「少しだけ痛いですよ?」と冗談ぽく笑って答えた。
風に乗ってどこからか音が聞こえてくる。
俺には音楽に対する経験も知識もないが、聞こえてくるこの音が心地良いという事だけは分かった。
ここは住宅街から少し離れた場所にある小さな公園。
置いてある遊具も小さな滑り台に二つのブランコ、それとこれまた小さな砂場だけ。
俺は二人掛けベンチに腰を下ろし、目を瞑っていた。
そうしている事に特に理由はない。
世間は大晦日の喧騒に包まれ、仕事も年末年始の休みに入った。
実家に帰省する予定もなく、一人で住んでいるアパートで寝ているのも飽きたので何となく散歩をしていたのだ。
『にしても、年の瀬には合わない感じの曲だな・・・』
先ほどから耳に入ってくる音楽はしっとりとした曲調だった。
恐らく弦楽器であろう事は辛うじて判断できたが、その種類まではさっぱり分からない。
「俺には関係ないか」と零し、コートのポケットに入れたホッカイロを握りこむ。
厚手のコートにマフラー、ポケットにはホッカイロの重装備ではあったが、やはり外は寒い。
『・・・・・ん?音が大きくなったか?』
そんな気がした。
少しだけ、ほんの少しだけだが耳に入る音が大きくなった気がした。
外で演奏しているのかと思ったが、こんなクソ寒い中で楽器を演奏するなんてよっぽどの馬鹿か自分大好きナルシストくらいだろう。
『・・・いや、やっぱり音が近くから聞こえる、よな?』
気のせいではなかった。
俺の耳に入ってくる音は最初よりもはっきり聞こえるようになっていた。
『マジかよ・・・こんな季節に外で楽器演奏するなんて。。。』
住宅街から離れているせいもあり、子ども連れもめったに来ないこんな場所で演奏するなんてナルシストではないだろう。
と言う事は・・・
「よっぽどの馬鹿だな」
そう思うと笑いがこみ上げてくる。
「...♪.........♪...#....」
『あ・・・今、音外れた』
それまで流暢に続いていた演奏だったが、俺にも分かるくらい明らかに音がおかしかった。
『寒い中で演奏なんかしてっからだよ』
多分だが、寒さで指が悴むのだろう。音が外れて以降、演奏は止まった。
「ガサガサ・・・」
ベンチの脇の草むらが揺れ、奥の方から誰かが公園の中に戻ってきた。
演奏してた奴だなと思い、俺は目を瞑って寝たふりをする。
しかし、そいつの足音は俺の方まで来ると目の前で止まった。
相手に気付かれないように少しだけ目を開けて、相手の様子を探る。
頭の触覚を揺らしながら眉を八の字にした女が、俺に声を掛けようか掛けまいか迷っている様子だった。
「結構かわいいな」
それが俺の第一印象だった。
手には楽器の入っているであろうケースをぶら下げている。
しかし、こんな時期に外で楽器を演奏する「よっぽどの馬鹿」が次はどんな行動に出るか興味が沸き、俺はそのまま目を閉じ寝たふりを再開する。
『ぁ......あのっ.....』
は、話しかけられた。
しかし、声が小さいな。・・・やり直し!
『あ......ぁ、の......』
お、おいおい・・・さっきより小さくなってるじゃねえか。
また少しだけ目を開けて相手の様子を盗み見る。
そいつは体を震わせ、顔を真っ赤にして目には涙を浮かべていた。
いや、そんなになるなら無理して声掛けるなよ!
そんな事を考えたが、悪戯心が疼いてしかたなかった俺は再び目を閉じる。
『ぁの....、あ、あのっ....あっ.....の......』
何これ楽しい。
俺の目の前の女は今にも泣きそうな顔をしている。
いや、もう若干泣いていた。
その証拠にケースを持っていた右手を離し、目を拭っている。
そうする様子が可愛くて可愛くて仕方なかったが、さすがに人間性を疑われそうなのでそろそろ起きてやるか。
・・・・・・・・本音は、あと10分くらいはこうしていたかったが。
『ふぁ〜、何ですか?』
俺はワザとらしく欠伸をしてみせ、そいつの小さな声に返事をしてやった。
女はようやく俺に声が届いたのだと安堵した顔を見せたが、すぐにまた目に涙を浮かべ始める。
『ぉ..おきて、..ました、よね..?』
『・・・・ネ、ネテマシタヨー?』
よっぽどの馬鹿の癖に、意外に鋭いな。
『だ、...だって、こんな季節に、....外で寝てるなんて、..変、です』
「変なのはアンタだ!」と言ってやりたかったが、それを言うと起きていたという事がバレてしまうので口を噤む。
『いや、俺は寒いのが好きなんですよ。防寒もちゃんとしてますし』
かなり苦しい言い訳だったが、馬鹿相手ならこれで十分だろう。
『そ、うなんですか?....ほんとに、...寝て、ましたか..?』
尚も俺に疑いの眼差しを向ける女に「はい、本当に寝てましたよー」と適当に答える。
『楽器の音.....うるさく、なかったですか....?』
なるほど、その事を気にしていたのか。
確かに聞こえてはいたが、決して耳障りではなかった。
『私、.....下手だし....』
『ああ、さっきも音外してたもんな!・・・・・・あ、』
しまった。
女は、先ほど俺が寝たふりをしていた時以上に顔を赤くし、目には零れんばかりに涙を溜め、頬を膨らませて俺を睨みつけていた。
『や、やっぱり、起きてたんじゃ、..ないですかっ...!』
や、やばい!
本当に泣かせちまう!
『い、いや、今のは言い間違い!』
先ほど、寝たふりして意地悪したが、本気で泣かせるつもりはなかった俺は慌てて取り繕う。
なんとかこいつを宥めて、泣かせることだけは阻止しなくては!
しかし、そんな心配を他所に、女の口から出たのは予想外の言葉だった。
『・・・へ、変な人の、くせにっ..!』
『は、はあぁぁぁ!?いやいやいやいや!馬鹿に言われたくねえよ!』
まさか、ここにきて「変な人」呼ばわりされると思わなかった俺は、宥めようと思っていたことも忘れ思ったことを口にする。
『ば、..ばか!?ばかって..わ、私の、ことですかっ..!?』
「変な人」に「馬鹿」呼ばわりされた女は目を丸くして声を上げる。
『そうだよ!こんな季節に外で楽器演奏なんて、よっぽどの「馬鹿」じゃなきゃしないだろ』
俺はわざと「馬鹿」にアクセントを置いて強調する。
『ば、ばか...ばかって、...』
言いたい事を言って少しすっきりした俺は、目の前の女の体が震えていることに気付いた。
やっちまった・・・
見ず知らずの人間にとんだことを言ってしまった。
しかし、後悔先に立たず。
女はそのままひっくひっくと泣き出してしまう。
『あ、あああ、悪い!言い過ぎた!ば、馬鹿じゃない!アンタは馬鹿じゃない!むしろ偉い!こんな寒い中、楽器の練習してるなんて見上げた根性だ!』
何とか泣き止ますべく立ち上がり、女の周りをうろうろしながら元気付ける。
「頼む!な、泣き止んでくれ・・・」心の中でそう祈りながらそうしていると女の声が聞こえた。
『ひっくひぐ..ほ、ほんとに、ひっ..ば、ばかじゃ、...ひんっ、ないですか...?』
嗚咽交じりで何を言っているのか良く分からなかったが、取り合えず「君はとても偉い子だ!」と言ってやった。
家族からも「お前は人の気持ちを少しは慮れ」と言われていたが、今日ほど痛感したことはない。
『と、取り合えず!ベンチに座った方がいい!ほら、楽器は一旦横に置いて』
さっきまで自分が座っていた箇所を手で払い、女をそこに誘導する。
女は右手で涙を拭っていたため、左手一本で持つのはしんどそうなケースを受け取り、ベンチの上に置く。
『ぅん....』
女は俺の言葉に頷くと、よろよろとした動きでベンチに腰掛けると、今度は両手で涙を拭い始めた。
女を泣かせるなんて小学校以来だからどうしたら良いか分からず、俺はその様子を見ているしかない。
そうやって観察していると女の吐く息が白いのに気付く。
『あ、あんた!ちょっとここで待ってろ!』
そう告げて俺は公園の入り口に走る。
目的の物はそこに設置されている自動販売機だ。
『ホットはどれだ、ホットは・・・・』
売られている商品の見本が三段に分かれて並んでいたが、ホットは下の一段だけだった。
しかも、その殆どが「売切」のランプが表示されている。
『ね、年末だから商品の補充されてないのか!?』
売り切れじゃないのは・・・・・・・
『お、おしるこ・・・だと・・・・?』
普通こういう時は格好良くコーヒーか、無難にお茶だろう!
どこに見ず知らずの女を泣かせて、お詫びにお汁粉渡す男がいるんだよ!
そんな事を考えたが背に腹は変えられない。
飲む飲まないは別として、渡すだけでも寒さは和らぐだろう。
ズボンのポケットから小銭入れを取り出し、お汁粉を買う。
『俺は・・・いいや。甘いの嫌いだし・・・』
買ったばかりのお汁粉を手に、女のいるベンチへ戻る。
女はもう泣き止んでいたようだが、その目は赤く充血していた。
『その、なんだ・・・本当にすまん。。。』
お汁粉を女に差し出しながら頭を下げる。
『へ、変な、人の癖に...』
女は俺からお汁粉を受け取ると、小さな声でそう言った。
どうやら先ほどの仕返しをしているつもりのようだ。
『は、はい・・すみませんでした・・・』
それで気が済むのならと、俺は頭を下げたまま女の言葉に同意する。
『そ、それに、お汁粉って、....何ですか...』
いや、それは俺のせいじゃない。恐らく年末で補充の人もお休みなのだろう。
しかし、反論しては意味がないことが分かっている俺は我慢する。
『ほ、他のは、売り切れでした・・・』
『お、お汁粉、...好きなので、いいですけど....』
女は缶のふたを開けると飲み始めた。
て言うか、好きなのかよ!だったらイチャモンつけるな!
『先ほどの、ズズッことは、ゴクゴク...お汁粉に免じて、ズズッ、水に流します....』
おい、飲むか喋るかどっちかにしろ。
それにちょっと待て。お汁粉に免じて?お、俺の謝罪は・・・?
そうこうしている間に女はお汁粉を飲みきったのか、満足そうに「ふぅ」と息を吐いた。
俺も溜息を吐きながら頭を上げると、女と目を合わせる。
『もう一本ください』
女は俺の顔を見ると泣いたせいで赤いが、それでも先ほどとは違い少しだけ笑った顔をしてそう言った。
『・・・・ちょっと待ってろ』
その顔に不覚にも可愛いと思ってしまった俺は、それがバレない様に後ろを向くと、自動販売機へ足を進めた。
自動販売機でお汁粉を一本買うと、ちょうど「売切」のランプが点灯した。
受け取り口から缶を取り出すと、再び女のところへ歩く。
女は空いた缶を両手で持ち、俺の方をじっと見つめていた。
『・・・ほれ』
そう言って缶を差し出すと、女は「ありがとうございます」と言って受け取り、すぐに飲み始める。
どんだけお汁粉好きなんだよと思ったが、まぁそのお陰で機嫌も治った事だし良しとしよう。
俺はそのまま女の隣へ腰を下ろすと、「はー」と息を吐いた。
その息は真っ白でゆっくりと上に昇っていったが、すぐに消えて見えなくなった。
『なに、...してたんですか...?』
やることもなく、ただボーっと空を見上げていた俺の耳に女の声が入ってくる。
『いや、特には。家に一人で居ても暇だったんで、散歩・・・みたいなもんだ』
女の方を見ることもなく、そのままベンチの背もたれに体を預けそう答える。
女はお汁粉を飲みながら、「そうですか」と言った。
『あんたこそ、こんな寒い中で練習か?』
実はかなり気になっていたことだった。
俺は良く分からんが、確か楽器は寒いところにあると痛むと聞いたことがあった。
息も白くなる気温の中では、楽器にも影響出るんじゃないか。
『わ、私の家...壁が薄いから..が、楽器の音が、隣の部屋に...き、聞こえちゃう』
女のその言葉に「ああ、なるほど」と答える。
確かに、俺の住んでいるアパートも壁は薄くて、隣の部屋の携帯のバイブレーションの音すら聞こえるほどだった。
・・・だから、人の来ないところで練習してたのか。
『ぁ、あの..』
しばしの沈黙のあと、女は勇気を振り絞ったという感じで声を出す。
きっと人見知りなのだろう。
『ん?』
対して、俺は人見知りとは無縁で、むしろ逆に説教を喰らうくらい遠慮がなかった。
今はかなり成長したつもりだが。
『わ、私のこと、...こわく、ないんですか....?』
そう言われて女の方へ顔を向ける。
それに気付いた女はすぐに顔を伏せ、時たまチラチラとこちらの顔色を伺う。
『・・・別に』
本当に心に思ったことを言っただけのつもりだったんだが、それを聞いた女は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
・・・・いや、どう答えればよかったんだ。
『でも、わ、私....人間じゃ、ないし....こんな、体だし....』
そういった女の体は下半身が二本足ではなく、長い体に細かい肢が並んだ百足の体をしていた。
魔物娘。
人類とは違う、もう一つの種族。
種族と言っても、それは多種多様で一見して人と変わらない者も居れば、こいつのように人とはかなりかけ離れた体をしている者もいる。
こいつの外見からして、大百足という種族だというのはすぐに分かった。
『今時、魔物娘なんてザラだろ?うちの会社だってアマゾネスやマンティコアがいるぞ。あ、そう言えば、最近アルプになった新卒の後輩もいたな・・・』
世はまさに魔物娘時代。
町を歩けば魔物娘に当たる(結婚する)とは良く言ったものだ。
だから目の前の魔物娘に恐怖など感じるわけもない。
『で、でも、...わ、私は..む、虫の体、です....』
ああ、そんなことか。
自分は魔物娘の中でも人外色が強いから怖いんじゃないかと、そう言いたい訳か。
でも、残念・・・
『俺の姉ちゃんが魔物娘と共学の女子高に行ってたから、よくアラクネ系とかラミア系の魔物娘が遊びに来てたんだ』
「だから別に怖くねえよ」と言うと、女は手に持つお汁粉の缶をぎゅっと握り締めていた。
見た感じ、俺より年下だろう。
魔物娘は人より寿命が長いって聞くし、正確な年齢は分からないが、人間で言うと大学生くらいか?
言葉遣いや雰囲気からして、同じ社会人には見えなかった。
『そ、ですか』
女は頭の触覚を揺らし、少しだけ笑みを浮かべて体を前後に揺すっていた。
おお、そういう顔してると可愛い可愛い。
やっぱり女は笑顔が一番だなと実感する。
そう思うと、目の前の女がもっと笑った顔が見たくなって、今までに経験した体験談を披露する。
これは、会社の面接を受けた時にバカ受けして採用を勝ち取った俺の鉄板ネタだ。
『俺なんて、姉ちゃんの友達を名乗るアラクネにぐるぐる巻きにされた挙句、拉致さられかけたり、同じく姉ちゃんの親友を名乗るサンドウォームに喰われかけたり、仕舞いにゃ姉ちゃんのライバルを名乗るメドゥーサに首から下を石にされたんだぞ』
しかし、その話を聞いた女は笑顔ではなく、眉の八の字を深くし、不機嫌そうに俺を睨みつける。
おかしい・・・絶対にウケルと思ったのに。。。
俺は鉄板ネタが滑ったことに愕然としていると、隣に座る女が「ふんっ」と鼻を鳴らした。
『も、もてもて、なんですねっ...!』
え・・・・・
どういうこと・・・?
『ま、待て待て。今の話でどうしてそうなる?』
『・・・。』
急にご機嫌斜めになった女に困惑し、俺は慌てて声を掛ける。だが女は何も答える事無くそっぽを向いてしまった。
しかも百足の体の先、尾の部分で地面をバシバシと叩いている。
『な、なぁ、黙ってちゃ分からんだろ』
『・・・・・・。』
女は完全に気を悪くしてしまったらしく、俺が何を言っても目を合わせずだんまりを決め込む。
普段なら「面倒臭い女だな」と言って、この場から立ち去るのだが、さっき泣かせてしまった負い目があり、そうすることも出来ない。
どうしようかと女を見ていると、その手に握られているお汁粉の缶が目に入った。
『そ、そうだ!お汁粉!もう一本買ってやるから』
その言葉に女がピクリと反応する。
・・・ふふふ、単純なやつよ。
しかし、すぐに思い出す。
『あ、お汁粉売り切れだったんだ・・・』
俺のその言葉に女は肩を落とし、「はー」とタメ息を吐く。
いやいや、タメ息吐きたいのはこっちですよ?
『・・・アラクネ種が糸で拘束するのは、その男性が気に入ったから巣に持ち帰るため。メドゥーサも同じです。石にして動けなくしてから、お持ち帰りするんです。サンドウォームは・・・言わなくても分かりますよね?全部、愛情表現なんです』
タメ息の後、そっぽ向いていた顔を正面に向け、百足の尾で相変わらずバシバシと地面を叩きながら女は不機嫌そうにそう言った。
『・・・・え、そうなのか?俺はてっきり、当時小学生だった俺が泣き喚くのが楽しくて意地悪されてるのかと・・・』
現に、泣き声を上げる俺を見つめる彼女らの顔はとても楽しそうに歪んでいた。
そして、みなが口を揃えてこう言うのだ。
「「「今日から私がお姉ちゃんだよ」」」と。
あ、あいつ等・・・完全に、お姉ちゃん(意味深)だったんじゃねぇか!!!
十年以上経って知った真実に俺は驚愕する。
そんな俺の様子に気付いた女は「ほんとに気付かなかったんですね」と他人事の様に言った。
他人事なのはその通りなのだが・・・
『いや、むしろありがとう。次に帰省した時に、あいつ等締め上げてやる・・・』
いや、やっぱり止めよう。
恐らくだが、逆に締め上げられる。勿論、性的な意味で。
『くしゅっ!』
頭を抱えてやりようのない恨みをどうしたものかと考えていた俺の耳に、変な音が飛び込んできた。
頭を上げて女を見ると顔を真っ赤にして震えていた。
『・・・さ、寒いの?』
気のせいではなく、今のはこいつのくしゃみだろう。
別にくしゃみくらいでそんな赤くならなくてもと思ったが、年頃の女性はそんなものかと思い、敢えて聞かなかった。
コートは着ていたものの、女はマフラーも巻かず、下半身は少し厚めの布をパレオのように巻いているだけだった。
『ほら、俺ので良かったらマフラー貸してやるよ』
そう言って俺は自分の首に巻いてあるマフラーを解き、女に差し出す。
しかし、女はそれを受け取ってよいものか迷っているのか、手が上がったり下がったりしている。
『寒いんだろ?』
ダメ押しにそう言うと女は手を下げてしまい、顔を伏せたまま小さい声で言った。
『わ、私がマフラー巻いたら、...毒が、付いちゃいますから..』
言っている意味が良く分からなかったが、汗みたいな物だろうかと俺は思った。
『別にいいよ。高いもんじゃないし、やるよコレ』
俺はそう言って手にしたマフラーを女の首に巻いてやる。
女は少し驚いた顔をしたが、抵抗などはせず、俺が巻いたマフラーに顔を埋めこくりと頷いた。
可愛いな、ちくしょう。
『あ、ありがとう..、ございます...』
女は小さな声ではあったが、ちゃんとお礼を言ってきた。
うん、礼儀正しくていい子じゃないか。
『お、お礼....』
そう言うと、女は手に持つお汁粉を俺に差し出す。
いや、それ買ったの俺だからね?
こいつはやっぱりちょっと抜けているなと思った。
『それはアンタに買ったやつだから、俺はいいよ』
そう答えた俺に、女は「寒くないですか?」と尋ねる。
どうやらマフラーがなくなった事で、俺が寒いのではないかと気にしているようだ。
俺の心配をする女を見ていると、缶を持つ手が震えていた。
恐らく、缶の中身は大分ぬるくなってしまったのだろう。
『手、出してみ』
その言葉に女は首を傾げるが、すぐに右手を俺の方に差し出してきた。
俺はポケットの中で握っていたホッカイロを女の右手に乗せる。
『それなら温かいだろ』
手に置かれたホッカイロを見た女は申し訳なさそうに、「でも」と何か言いかけたがすぐに黙り込む。
『じゃ、あなたも手を出してください』
女のその言葉に「何だ、金でも払おうってのか?」と思い、手を出す。
「ぎゅう」
『こ、これなら、...二人とも温かい、..です』
女はホッカイロごと俺の手を握り、下から見上げてくる。
『・・・・・・・・・・・・・』
何も言葉が出ない。
俺は間抜けにも半開きの口のまま、女の顔を見ていた。
女はニコニコした顔のまま、頭の触覚を揺らす。
これが魔物娘かと実感し、その魅力から逃げ出すことは出来ないなと思い、俺も女の手を握り返した。
その手は柔らかくてすべすべしており、気がつくと撫でる様に触っていた。
『あ、あの...』
その女の言葉で俺は自分の行動に気付き、咄嗟に手を離す。
『わ、悪い・・・』
女の顔を見ることが出来ず、下を向いたままそう答えた俺だったが、女は何も言わずに俺の手を取ると先ほどと同じ様にぎゅっと握り込む。
『大丈夫、です。嫌じゃ...ない、から...』
そう言う女の顔は真っ赤だったが、百足の尾はポフポフと優しく地面を叩いていた。
『あったかい...』
俺の手を握る女の手は、いつの間にか「恋人繋ぎ」の形になっていた。
『私と、...仲良くしてくれた人間は、あなたが初めて、です...』
そう零した女にどうしようもなく感情を抑えることが出来ず、その手を引き寄せ体を密着させる。
『お、俺は別に怖くないぞ』
普段の威勢はどこへやら。俺は何とかそれだけを口にすることができた。
『いい匂い...』
顔ごと体を寄せていた女は俺の肩に顎を乗せ、すんすんと鼻を鳴らしていた。
『他の魔物娘にも..、こういう事、..してるんですか?』
黙って俺の匂いを嗅いでいたかと思った女は、突然そんな事を言い出す。
それに対して「んな訳ないだろ」と答える。
いくら俺でも誰彼こんな事するわけがない。
『なら..、なんで、..ですか?』
何で自分には?そう言いたいのだろう。
『別に深い理由なんてないさ。ただ、アンタがあんまりにも寒そうだったんでな』
本音を言うと、最初に見た時からその弱弱しい雰囲気や困った顔が好みだった。
話してみると、案の定というか自分に自信がなく、引っ込み思案な女だった。
それでもさっきは勇気を出して俺の手をホッカイロごと握ってきた。
その時の笑顔が焼き付いて離れなかったのだ。
『今は..あったかい、です..』
女はそう言って顔を胸元に押し付けて来た。
『アンタこそ、他の男にもこんな思わせぶりな態度とってるんじゃないのか?』
俺はわざとらしく意地悪な質問をする。
女は少しだけ顔を上げ、涙を浮かべた目で俺を睨む。
「ぺしっ」
『いてっ!』
そして、頭の触覚で頬を軽く叩いてきた。
触覚にはそんな使い方もあったのかと少しだけ関心する。
『いじわるですね...』
その小さな言葉に「良く言われる」と返すと、両手を女の背に回しより強く抱きしめる。
『あったけ〜』
『あったかい』
二人して笑い、体を寄せる。
キスもそれ以上の行為もなく、ただお互いがこれ以上寒くならないように、温かくなるように。
『なあ、今度はアンタの愛情表現の方法、教えてくれよ』
そう言った俺に彼女は微笑むと、「少しだけ痛いですよ?」と冗談ぽく笑って答えた。
15/03/05 21:06更新 / みな犬