ライラックの吸血鬼
むかしむかし。
大きな大きな王国に一人の吸血鬼の貴族がいました。
彼女の美しい容姿は国中でも評判で、婚約を申し込む男が後を絶たなかったと言います。
けれども誰一人として、彼女を振り向かせることはできませんでした。
国で一番金持ちの男も国で一番美しいと言われる男も彼女の眼中にはありません。
気高くそして誉れ高く咲く薔薇のような彼女が愛したのは、地位も財もなく容姿も平凡なただの町人。
しかし彼は国一番の優しい心を持っていたのです。
もちろん認められぬ恋だとはわかっていれども彼女は一途に彼を愛し続けました。
また彼も一途に彼女の事を想い続けました。
夜闇にまぎれてこっそりと愛し合い、夜が明ける前には再び離れ離れになる。
それでも二人にとってはとても幸せな時間。
ゆっくりと流れるこの時間さえあれば二人は幸せだったのです。
ある日。
彼女は王宮の晩餐会に招待されました。
メイドが仕立ててくれたお気に入りの紅いドレスを身に纏った彼女はまさに薔薇。
その美しさには誰もが目を奪われたと言います。
けれども彼女の視線の先には給仕として雇われた彼の姿しか映りません。
他の男達の投げかける賛美の声や愛の言葉などまったく聞こえていないかのようでした。
彼女には彼だけいれば良かったのです。
だけども彼女の美貌の虜になったのは有象無象だけではなかったのです。
この国の王子も例外ではありませんでした。
ダンスホールの真ん中で彼女の手を取り、一曲踊りましょうと王子は彼女の手の甲にキスをする。
王子の誘いを断る事ができない一貴族の彼女はダンスホールの真ん中で王子とともに円を描いた。
これが彼女にとってどれほど苦痛だったのか想像に難くありません。
給仕の彼が部屋を出て行ったのを見て、ひとり誰にも見えない涙をポツリとこぼしました。
悪夢はそれからでした。
王子が彼女との婚約を望んだのです。
もちろん彼女の両親は大喜びでこの縁談を彼女に持ち掛けました。
青年を想い続ける彼女は絶対に首を縦に振りません。
頑なに拒否し続けました。
不思議に思った両親は彼女に、何故断るのかと問い詰めます。
生まれてから一度も見たことのない両親の剣幕。
最初は言葉を濁しごまかしていた彼女もとうとう観念して白状しました。
平民の恋人がいると知った両親はとても驚き、母親は声を上げて泣き出して父親はつばをまき散らしながら彼女を怒鳴りつけます。
耐え切れなくなった彼女は屋敷を飛び出して彼の家へと向かいました。
彼はいつもと変わらぬ優しい笑顔で彼女を家に迎え入れ、たどたどしい口調で話す彼女の話に耳を傾けます。
雪のような白い肌をつたう涙を見た彼は、古ぼけたタンスからとても美しい髪飾りを取り出し彼女の髪にそっとつけてあげました。
ライラックをモチーフにした金細工の髪飾り・・・。
驚いた彼女は髪飾りを手に取って青年に問いかけると、彼は涙を押し殺しながら話し始めます。
それは彼女との本来婚約のために大金を払って国一番の細工師に作らせた特注の髪飾りでした。
これがプロポーズの品になったのなら、それから先の幸せな生活を暗示するものだったのでしょう。
しかし今渡されたこれは、彼女の幸せのために身を引くという彼の悲しい覚悟の証。
その意味を理解した彼女の瞳からは再び大きな雫がこぼれました。
ですが、悪夢は終わりません。
彼と彼女との愛の深さを妬んだ王子はありもしない罪をでっち上げて彼を処刑しようと企みます。
嫉妬に狂った王子のその姿はまさしく暴君。
何も知らずに彼は無実の罪で捕らえられ、牢獄へと入れられてしまいました。
それでもなお彼は彼女の事を気にかけ、彼女を幸せにしてやってくださいと王子に頭を下げて懇願します。
王子は彼のそんな姿をあざ笑うように拷問とも言えるきつい仕打ちをし続けました。
ある時は馬で引きずり回したり、ある時は井戸の中に突き落としたり・・・。
やがてその残虐な行為は彼女の耳にも伝わりました。
それを知った彼女は怒りに肩を震わせ王子のもとを訪れます。
するとそこにはボロボロになった彼の姿が・・・。
王子は彼を蹴りつけながら、こいつは自分を殺そうとしたとんでもない悪人なんだと大げさな身振り手振りで悲劇の主人公を演じました。
もちろん彼がそんな事をするわけありません、それは彼女が一番よく知っていることです。
とうとう怒りも臨界点に達した彼女は、近くの甲冑から細長いレイピアを取り出し王子へと切りかかりました。
こんな事になるとは予想だにしていなかった王子は指一本動かせません。
まっすぐ首へと振り下ろされる剣先。
振り下ろした彼女自身も王子の死を確信していました。
ザシュッ!!!
首筋の皮膚が真っ二つに裂けて赤い血しぶきが飛び散ります。
それと同時に彼女は目を見開いて、眼前の光景に驚愕しました。
彼女の剣先が切り裂いたのは王子の首筋ではなく、王子をかばうように立ち上がった愛しい彼の首筋。
左首から血を流したまま彼は王子にこう言いました。
彼女は大罪人である自分の処刑を行いました、ですからどうか彼女に褒美をお与えください。
そう言い残して彼の身体は血だまりに倒れこみます。
しかし、怒り狂った王子にその言葉が届くことはありませんでした・・・。
彼女の処刑の日は雷雨が響く嵐の日でした。
そのような悪天候にも関わらず、処刑が行われる王都の広場にはたくさんの人が集まっています。
もはや生きているのか死んでいるのかすらわからない表情の彼女は、屈強な兵士達に引きずられて処刑台へと上がりました。
過去の罪人達の血が染み込んだギロチンが鈍く光ります。
それを恐れる気力さえ、彼女には残されていません。
雨が一際強く彼女の身体を打ち付けます。
涙を流すことも、笑うことも、そして怒ることも彼女にとっては無意味なものでした。
目の前にある無機質な装置で死ぬことを望んだのです。
今までピクリとも動こうとしなかった彼女はライラックの髪飾りを握り締めて自分から断頭台に首を差し出しました。
狂った王子が右手を高らかにあげると、それを合図にして近くの兵士達がギロチンを落とします。
重力に従って落下を始めるギロチン。
鉄と木材が擦れる音を聞いた彼女は、切望していた『死』というものを肌で感じました。。
・・・その時です。
暗雲から断頭台に一筋の閃光が突き刺さったのです。
大きな音を立てて処刑台が崩れ、大きく燃え上がります。
激しく燃え盛る業火は処刑台の上に立っていた兵士と王子の身体を焼き尽くしました。
王子の悲鳴が広場に響き渡ります。
これは王子に対する天からの厳罰だったのでしょう。
火が民衆の手によって消し止められたあと、燃えかすとなった王子の亡骸が見つかりました。
ところがどれだけ探しても彼女の死体だけが見つかりません。
その代わり・・・、雷の落ちた部分に季節外れの小さなライラックが一輪だけ。
やがてライラックは広場中に広がり、春ではなく秋になると季節外れの満開を迎えます。
そして、最初に咲いた一輪は今もなお、広場の中心で咲き続けているとさ。
めでたし、めでたし。
大きな大きな王国に一人の吸血鬼の貴族がいました。
彼女の美しい容姿は国中でも評判で、婚約を申し込む男が後を絶たなかったと言います。
けれども誰一人として、彼女を振り向かせることはできませんでした。
国で一番金持ちの男も国で一番美しいと言われる男も彼女の眼中にはありません。
気高くそして誉れ高く咲く薔薇のような彼女が愛したのは、地位も財もなく容姿も平凡なただの町人。
しかし彼は国一番の優しい心を持っていたのです。
もちろん認められぬ恋だとはわかっていれども彼女は一途に彼を愛し続けました。
また彼も一途に彼女の事を想い続けました。
夜闇にまぎれてこっそりと愛し合い、夜が明ける前には再び離れ離れになる。
それでも二人にとってはとても幸せな時間。
ゆっくりと流れるこの時間さえあれば二人は幸せだったのです。
ある日。
彼女は王宮の晩餐会に招待されました。
メイドが仕立ててくれたお気に入りの紅いドレスを身に纏った彼女はまさに薔薇。
その美しさには誰もが目を奪われたと言います。
けれども彼女の視線の先には給仕として雇われた彼の姿しか映りません。
他の男達の投げかける賛美の声や愛の言葉などまったく聞こえていないかのようでした。
彼女には彼だけいれば良かったのです。
だけども彼女の美貌の虜になったのは有象無象だけではなかったのです。
この国の王子も例外ではありませんでした。
ダンスホールの真ん中で彼女の手を取り、一曲踊りましょうと王子は彼女の手の甲にキスをする。
王子の誘いを断る事ができない一貴族の彼女はダンスホールの真ん中で王子とともに円を描いた。
これが彼女にとってどれほど苦痛だったのか想像に難くありません。
給仕の彼が部屋を出て行ったのを見て、ひとり誰にも見えない涙をポツリとこぼしました。
悪夢はそれからでした。
王子が彼女との婚約を望んだのです。
もちろん彼女の両親は大喜びでこの縁談を彼女に持ち掛けました。
青年を想い続ける彼女は絶対に首を縦に振りません。
頑なに拒否し続けました。
不思議に思った両親は彼女に、何故断るのかと問い詰めます。
生まれてから一度も見たことのない両親の剣幕。
最初は言葉を濁しごまかしていた彼女もとうとう観念して白状しました。
平民の恋人がいると知った両親はとても驚き、母親は声を上げて泣き出して父親はつばをまき散らしながら彼女を怒鳴りつけます。
耐え切れなくなった彼女は屋敷を飛び出して彼の家へと向かいました。
彼はいつもと変わらぬ優しい笑顔で彼女を家に迎え入れ、たどたどしい口調で話す彼女の話に耳を傾けます。
雪のような白い肌をつたう涙を見た彼は、古ぼけたタンスからとても美しい髪飾りを取り出し彼女の髪にそっとつけてあげました。
ライラックをモチーフにした金細工の髪飾り・・・。
驚いた彼女は髪飾りを手に取って青年に問いかけると、彼は涙を押し殺しながら話し始めます。
それは彼女との本来婚約のために大金を払って国一番の細工師に作らせた特注の髪飾りでした。
これがプロポーズの品になったのなら、それから先の幸せな生活を暗示するものだったのでしょう。
しかし今渡されたこれは、彼女の幸せのために身を引くという彼の悲しい覚悟の証。
その意味を理解した彼女の瞳からは再び大きな雫がこぼれました。
ですが、悪夢は終わりません。
彼と彼女との愛の深さを妬んだ王子はありもしない罪をでっち上げて彼を処刑しようと企みます。
嫉妬に狂った王子のその姿はまさしく暴君。
何も知らずに彼は無実の罪で捕らえられ、牢獄へと入れられてしまいました。
それでもなお彼は彼女の事を気にかけ、彼女を幸せにしてやってくださいと王子に頭を下げて懇願します。
王子は彼のそんな姿をあざ笑うように拷問とも言えるきつい仕打ちをし続けました。
ある時は馬で引きずり回したり、ある時は井戸の中に突き落としたり・・・。
やがてその残虐な行為は彼女の耳にも伝わりました。
それを知った彼女は怒りに肩を震わせ王子のもとを訪れます。
するとそこにはボロボロになった彼の姿が・・・。
王子は彼を蹴りつけながら、こいつは自分を殺そうとしたとんでもない悪人なんだと大げさな身振り手振りで悲劇の主人公を演じました。
もちろん彼がそんな事をするわけありません、それは彼女が一番よく知っていることです。
とうとう怒りも臨界点に達した彼女は、近くの甲冑から細長いレイピアを取り出し王子へと切りかかりました。
こんな事になるとは予想だにしていなかった王子は指一本動かせません。
まっすぐ首へと振り下ろされる剣先。
振り下ろした彼女自身も王子の死を確信していました。
ザシュッ!!!
首筋の皮膚が真っ二つに裂けて赤い血しぶきが飛び散ります。
それと同時に彼女は目を見開いて、眼前の光景に驚愕しました。
彼女の剣先が切り裂いたのは王子の首筋ではなく、王子をかばうように立ち上がった愛しい彼の首筋。
左首から血を流したまま彼は王子にこう言いました。
彼女は大罪人である自分の処刑を行いました、ですからどうか彼女に褒美をお与えください。
そう言い残して彼の身体は血だまりに倒れこみます。
しかし、怒り狂った王子にその言葉が届くことはありませんでした・・・。
彼女の処刑の日は雷雨が響く嵐の日でした。
そのような悪天候にも関わらず、処刑が行われる王都の広場にはたくさんの人が集まっています。
もはや生きているのか死んでいるのかすらわからない表情の彼女は、屈強な兵士達に引きずられて処刑台へと上がりました。
過去の罪人達の血が染み込んだギロチンが鈍く光ります。
それを恐れる気力さえ、彼女には残されていません。
雨が一際強く彼女の身体を打ち付けます。
涙を流すことも、笑うことも、そして怒ることも彼女にとっては無意味なものでした。
目の前にある無機質な装置で死ぬことを望んだのです。
今までピクリとも動こうとしなかった彼女はライラックの髪飾りを握り締めて自分から断頭台に首を差し出しました。
狂った王子が右手を高らかにあげると、それを合図にして近くの兵士達がギロチンを落とします。
重力に従って落下を始めるギロチン。
鉄と木材が擦れる音を聞いた彼女は、切望していた『死』というものを肌で感じました。。
・・・その時です。
暗雲から断頭台に一筋の閃光が突き刺さったのです。
大きな音を立てて処刑台が崩れ、大きく燃え上がります。
激しく燃え盛る業火は処刑台の上に立っていた兵士と王子の身体を焼き尽くしました。
王子の悲鳴が広場に響き渡ります。
これは王子に対する天からの厳罰だったのでしょう。
火が民衆の手によって消し止められたあと、燃えかすとなった王子の亡骸が見つかりました。
ところがどれだけ探しても彼女の死体だけが見つかりません。
その代わり・・・、雷の落ちた部分に季節外れの小さなライラックが一輪だけ。
やがてライラックは広場中に広がり、春ではなく秋になると季節外れの満開を迎えます。
そして、最初に咲いた一輪は今もなお、広場の中心で咲き続けているとさ。
めでたし、めでたし。
11/03/06 00:01更新 / アカフネ