誕生日パーティーに向けて(1) レッスンのお誘い
笹川麻理依とのやり取りがあった週の、土曜日の朝――。
凱は鏡に向かって、身嗜みをチェックする。
髪は乱れてないか、髭と鼻毛は残ってないか……などを一通り終えると、スマートフォンを開いて、約束の時間を確認する。
――『土曜日、10時に迎えの車を行かせるから。昼食はこっちで用意するから大丈夫だよ』――
それは杏咲から、昨日送られたメッセージ。
麻理依との痴漢ごっこの翌日、つまり月曜の夕方、南鳳学院に来るようメールで連絡を受けた凱は、校門付近で杏咲と落ち合った。
頼み事があるとの予告だった。
ちなみに二人はこの後、カップル専用パフェが頼める店に行ったが、精神と感情の共有が可能な瑞姫に知られてしまい、乱入されたのは言うまでもない。
時計を見れば少し時間があったので、支度を終え、一階のリビングへ行くと誰もいない。
「あれ? みんな地下基地に行ったんかな?」
そう言いつつ、昨晩作っておいた玉子サンドを食べ、冷蔵庫の牛乳を飲み終えたと同時――
ピンポーン!
チャイムの音に全身が一瞬だけ硬直した。
すかさずインターフォンのモニターを見ると、初老の男性が立っている。
(迎えが来たのか?)
取り合えず用件を聞くことにする凱は、すぐに返事を出す。
「はい」
『早坂と申します。姫様の遣いで、若様をお迎えに参りました』
「――すぐ行きます」
荷物を持って外へ出る。
戸締りを確認して門を出たら、ガラスにスモークを張ったピカピカの黒いセダンが停車していた。
早坂と名乗った初老の男性は、深くお辞儀をすると後席のドアを開けてくれた。
「こちらへ」
「よろしくお願いします」
車に乗り込もうとして、気配に気付いた。中に知った顔が座っていたのだ。
「おはよう!」
「おわ! 杏咲!? お、お早う。びっくりしたなあ、もう」
「驚かせてごめんね。早く会いたかったの♪」
車の中で待っていたのは、源杏咲その人。
薄い茶系のワンピースに、白いカーディガンの組み合わせは、一見地味だが落ち着いた大人の雰囲気を醸し出している。
「なんか……学校とは違う感じだね」
「えっ?」
何故か過剰に反応する杏咲。
パタンと静かにドアが閉められると、車が静かに走り出す。だが、それらの音が、会話の邪魔になっていない。
「いや、今日の杏咲、大人っぽいなって」
「変、かな?」
そう聞く彼女の頬は、心なしかピンク色に染まっている。
「そうじゃなくて、その――」
「じゃあ、どうなの? はっきり言ってくれなきゃ伝わらないよ?」
「――制服とは違った、綺麗さだなって」
途端に、蕾が花開くように、ぱぁっと表情を変えた杏咲が、凱の手に自らの手を添えてくる。
「アズ、ちゃん?」
「嬉しい」
「そうなんだ」
前部座席では早坂が運転している。
人目もあるし勘弁して欲しい、と凱が思っていると――
「運転席と後部座席は、マジックミラーで仕切られてるから見えないよ」
「そうなんだ……」
「だから、こんな事をしたって――」
いきなり手を引っ張られ、頭を膝へ誘導される。
トスッ
少女とは思えぬ剛力でありながら、終わりの感触はクッションのように柔らかい。
さらには顔に伝わる杏咲の太ももの感触――まるで低反発枕のようでもある。
「だ、駄目だって」
「良いじゃない。ふふ…… ほら、あんまり暴れちゃ、駄・目・よ?」
片手で肩口を抑え、もう一方の手で凱の頭髪を撫でる。その心地よさに、抵抗するのが馬鹿馬鹿しいものとなっていく。
「――そうそう。そのまま私に身体を預けて…… 良い子、良い子……」
それはさながら、馬や犬を宥める乙女。
(や、やばい。俺……ダメになりそう)
「よし、よし……」
段々と気持ち良くなって来て、自然と瞼が閉じていく凱は――
(も、もう眠……い……)
――微睡の中に包み込まれていく。
*****
――カチャ
「若様、到着しました」
「ぅへ? え? あ、すいません」
ゆっくりと身を起こすと、早坂は凱をやれやれと言いたげな目で見る。
逆に、杏咲は上機嫌。
「子供みたいだったよ?」
羞恥心も混み上がるが、それも車を降りたら、たちまち吹っ飛んだ。
目の前にあるのは、家と言うにはあまりに大きい建物。そして、風星学園の校庭よりも広い敷地。
とても、特別寮など比較にならなさ過ぎる。
「アズ、ちゃん……これが?」
「うん。私の家」
「そ、そう……」
広い階段を数段上った所が玄関あり、先行した早坂が入り口を開けて待機している。
もちろん、ドアは両開きだ。
「こんなの、アニメや漫画でしか見たことねえぞ……」
心の声が、口から零れる。
もっとも、ドラゴニア城というさらに豪華な建物を見た経験はあるが……。
「もう、家を見せに来たんじゃないの。さあ、行きましょ♪」
杏咲は凱の腕に自らの腕を絡め、家の中へグイグイと引っ張っていく。
入口を進むと、そこは広い空間になっていた。
しかも、一段上がった所には虎の毛皮が敷いてあり、その頭が入って来た者に睨みを利かせていた。
要はそこへ上がる手前で靴を脱げということらしい。
「まるで、旅館だな」
「この建物は源家本屋敷。つまり私の家。日本人なら靴を脱がないと落ち着かないわ」
余りの格差に、引き気味になる凱。
特別寮が、この源家本屋敷の三分の一に届くかどうかの規模なのだから。
「その口ぶりじゃ、自宅以外もあるってこと?」
「同じ敷地内に迎賓館があるよ。前にパーティーやった所。そこは靴のまま入れるから」
「……あの時のがそうなんだ」
一段高い玄関ホールへ上がり、スリッパを履くと、早坂の案内で広い廊下を進んで行く。
ところが、杏咲が腕を組むのを止めようとしない。
「落ち着かないから、腕組むの止めない?」
「ガイさんはお客様なの」
「俺はただの中途社員だよ? 正直、場違いすぎて不安なんだが?」
「ふふふ……平気よ。すぐに慣れるから」
「そんな簡単に……」
もう考えるのを止めるしかなかった。
そうこうしているうちに、両開きのドアの前に辿り着く。
「こちらで奥方様がお待ちです」
押し広げるように扉が開けられる。
中には長い机と、その奥に座る女性――
(あれが、杏咲の母親か……)
「こちらへどうぞ」
早坂のスマートな誘導で、凱は杏咲の母、源玲奈の向かいの席に誘導された。
杏咲は凱と別れ、実母の隣に陣取る。
「改めまして。杏咲の母、源玲奈です。先日の商店街再生プロジェクト、本当にご苦労様でした」
「こちらこそ。グループの皆様には多大なご支援を賜り、感謝します」
「どうぞ座ってください」
「どうぞお先に」
「では、お言葉に甘えさせていただきましょう」
玲奈と杏咲の着席を見届けた凱が座ろうとすると、いつの間にか背後に早坂が立っていて、座りやすいように椅子を引いてくれていた。
「最近、杏咲はあなたの話ばかりするんですよ」
「お母様!」
玲奈が切り出すや否や、杏咲が声を上げる。
「それで、私も改めて会いたくなったんです。お忙しい所、お呼び立てしてすみませんでした。代わりに、お礼方々、昼食を用意させて貰いました」
「そ、それはまた……。気を使って頂きまして恐縮です」
壁に掛かった時計に目をやると、まだ昼食には早い。
とはいえ、せっかく供される料理に手を付けないのも失礼にあたる。
「早坂、始めてください」
「《畏(かしこ)》まりました。奥様……」
この屋敷の使用人は早坂だけなのだろうか? と凱は不思議に思う。
「ところで凱さん、仕事の方はもう慣れましたか?」
多分に社交辞令が込められた言葉遣いだったが、凱は表に出さずに答える。
「新人ですから、習う事は山ほどあります。ですが、教育係のお陰で苦にはなってません」
「ふふ、そうですか。南部のお嬢さんに教育係を任せたのは正解だったようですね」
話がひと段落ところで、早坂がカートワゴンを押してやってくる。
彼が運んできたのは、新鮮な野菜が盛り付けられたシーザーサラダだ。
「失礼します。サラダをお持ちしました」
「あ、ありがとうございます」
客だからだろう。
真っ先に凱へ料理が供される。
全員に皿が行き渡ると――
「さあ、料理が来ました。まずは頂きましょう」
――玲奈が号令をかけた。
「はい」
「「頂きます」」
それを掛け声に、凱は配膳されたサラダに手を付けた。
舌鼓をうっていると、玲奈が再び口を開いた。
「ところで、単刀直入に伺います」
「はい」
「うちの娘は《如何(いかが)》ですか?」
何を聞かれているのか、意図するところが解らない。
とりあえずは、と返してみる。
「そう、ですね。最近、また会ったばかりだから、懐かしさの方が強いですね。一度しか会っていなかったのに……」
「いえいえ。そうではなくて、ガイさん自身の、娘の評価が知りたいのです」
「えっ? そう言われましても……」
凱もこのような質問には返答に困ってしまう。
しかも、玲奈の目は、俺から言葉を聞き逃すまいと真っ直ぐ凝視している。
が、返答に困るのも確かだ。
テーブルの上の食事はスープになっている。
冷めないうちに食べなければならないが、玲奈が凱の一挙手一投足を逃さんとばかりに見て来るので、却って身動きが取れない。
「これでも娘には自信がありましてよ? 器量も良いし、世間知らずではありますが、正義感も強い子です」
「そ、そうです、ね」
「たとえば、娘のお友達から始めて欲しいと言ったら、どうでしょう?」
杏咲の友人たちが選ばれた存在だということは、嫌でも知っている。
いつだって彼女の周りを固める、ボディガードのような存在でもあるからだ。
とはいえ、友人になるのに親が出てきたり決めたりなど、やはり上級国民は感覚が違うと思わされる。
「えっ? それは歓迎します、が……もう杏咲と婚約したと思っていたのですが、違ったのでしょうか?」
ちらっと杏咲を見ると、彼女は満足そうに何度もうなずいている。
「いえいえ、それなら良かったわ。是非とも今後は、友人としても婚約者としても、より一層仲良くして頂きたいものですね」
「ははは……。よく解りませんが、こちらこそよろしくお願いします」
やっと話がまとまり、凱は冷めかけたスープを口へ運ぶ。
「杏咲、良かったわね。友達から更に一歩前進ね」
「はい、お母様」
(友達から更に一歩進んだ関係ってなんだ? いわゆる友達以上、恋人未満って奴?)
色々と突っ込みたくなる気持ちを抑えつつ、親子の会話に割り込む。
「もしもし?」
「何かしら?」
「いや、今、お友達って話でしたよね?」
「ええ、そしてより仲良くして欲しいとも言いましたよ」
玲奈が凱の問いにあっさりと答える。
「そ、そうですね……。ですが、あ、杏咲?」
助けを求めるように杏咲を見た。
「なに?」
杏咲が呼びかけに応じる。
「その……友達なの? 婚約者なの? 俺はどっち?」
「あら、それはややこしいですね。では、今後のことも踏まえて、私のことはお母さまと呼んでくださいね?」
またも唐突な提案に、凱は「ええぇ……」と内心で辟易するも、それを言葉に出せない。
「い、いいんですか?」
「構いません。むしろ、その方が嬉しく思いますよ、凱くん♪」
「だって!」
なぜか得意気に胸を張る杏咲。
(――何が『だって!』だよ!)
流石に足が震えてそうになってくる。
「ですが、身分が――」
「平気だよ。そこはちゃぁんと手を打ったから♪」
「はい?」
凱が嫌な予感に駆られる一方、杏咲は幸福に満ちたな笑みを湛えながら、愛する人の顔を凝視している。
これまで感じたことのない何かが迫っている――凱はそんな気がしてならなかった。
凱は鏡に向かって、身嗜みをチェックする。
髪は乱れてないか、髭と鼻毛は残ってないか……などを一通り終えると、スマートフォンを開いて、約束の時間を確認する。
――『土曜日、10時に迎えの車を行かせるから。昼食はこっちで用意するから大丈夫だよ』――
それは杏咲から、昨日送られたメッセージ。
麻理依との痴漢ごっこの翌日、つまり月曜の夕方、南鳳学院に来るようメールで連絡を受けた凱は、校門付近で杏咲と落ち合った。
頼み事があるとの予告だった。
ちなみに二人はこの後、カップル専用パフェが頼める店に行ったが、精神と感情の共有が可能な瑞姫に知られてしまい、乱入されたのは言うまでもない。
時計を見れば少し時間があったので、支度を終え、一階のリビングへ行くと誰もいない。
「あれ? みんな地下基地に行ったんかな?」
そう言いつつ、昨晩作っておいた玉子サンドを食べ、冷蔵庫の牛乳を飲み終えたと同時――
ピンポーン!
チャイムの音に全身が一瞬だけ硬直した。
すかさずインターフォンのモニターを見ると、初老の男性が立っている。
(迎えが来たのか?)
取り合えず用件を聞くことにする凱は、すぐに返事を出す。
「はい」
『早坂と申します。姫様の遣いで、若様をお迎えに参りました』
「――すぐ行きます」
荷物を持って外へ出る。
戸締りを確認して門を出たら、ガラスにスモークを張ったピカピカの黒いセダンが停車していた。
早坂と名乗った初老の男性は、深くお辞儀をすると後席のドアを開けてくれた。
「こちらへ」
「よろしくお願いします」
車に乗り込もうとして、気配に気付いた。中に知った顔が座っていたのだ。
「おはよう!」
「おわ! 杏咲!? お、お早う。びっくりしたなあ、もう」
「驚かせてごめんね。早く会いたかったの♪」
車の中で待っていたのは、源杏咲その人。
薄い茶系のワンピースに、白いカーディガンの組み合わせは、一見地味だが落ち着いた大人の雰囲気を醸し出している。
「なんか……学校とは違う感じだね」
「えっ?」
何故か過剰に反応する杏咲。
パタンと静かにドアが閉められると、車が静かに走り出す。だが、それらの音が、会話の邪魔になっていない。
「いや、今日の杏咲、大人っぽいなって」
「変、かな?」
そう聞く彼女の頬は、心なしかピンク色に染まっている。
「そうじゃなくて、その――」
「じゃあ、どうなの? はっきり言ってくれなきゃ伝わらないよ?」
「――制服とは違った、綺麗さだなって」
途端に、蕾が花開くように、ぱぁっと表情を変えた杏咲が、凱の手に自らの手を添えてくる。
「アズ、ちゃん?」
「嬉しい」
「そうなんだ」
前部座席では早坂が運転している。
人目もあるし勘弁して欲しい、と凱が思っていると――
「運転席と後部座席は、マジックミラーで仕切られてるから見えないよ」
「そうなんだ……」
「だから、こんな事をしたって――」
いきなり手を引っ張られ、頭を膝へ誘導される。
トスッ
少女とは思えぬ剛力でありながら、終わりの感触はクッションのように柔らかい。
さらには顔に伝わる杏咲の太ももの感触――まるで低反発枕のようでもある。
「だ、駄目だって」
「良いじゃない。ふふ…… ほら、あんまり暴れちゃ、駄・目・よ?」
片手で肩口を抑え、もう一方の手で凱の頭髪を撫でる。その心地よさに、抵抗するのが馬鹿馬鹿しいものとなっていく。
「――そうそう。そのまま私に身体を預けて…… 良い子、良い子……」
それはさながら、馬や犬を宥める乙女。
(や、やばい。俺……ダメになりそう)
「よし、よし……」
段々と気持ち良くなって来て、自然と瞼が閉じていく凱は――
(も、もう眠……い……)
――微睡の中に包み込まれていく。
*****
――カチャ
「若様、到着しました」
「ぅへ? え? あ、すいません」
ゆっくりと身を起こすと、早坂は凱をやれやれと言いたげな目で見る。
逆に、杏咲は上機嫌。
「子供みたいだったよ?」
羞恥心も混み上がるが、それも車を降りたら、たちまち吹っ飛んだ。
目の前にあるのは、家と言うにはあまりに大きい建物。そして、風星学園の校庭よりも広い敷地。
とても、特別寮など比較にならなさ過ぎる。
「アズ、ちゃん……これが?」
「うん。私の家」
「そ、そう……」
広い階段を数段上った所が玄関あり、先行した早坂が入り口を開けて待機している。
もちろん、ドアは両開きだ。
「こんなの、アニメや漫画でしか見たことねえぞ……」
心の声が、口から零れる。
もっとも、ドラゴニア城というさらに豪華な建物を見た経験はあるが……。
「もう、家を見せに来たんじゃないの。さあ、行きましょ♪」
杏咲は凱の腕に自らの腕を絡め、家の中へグイグイと引っ張っていく。
入口を進むと、そこは広い空間になっていた。
しかも、一段上がった所には虎の毛皮が敷いてあり、その頭が入って来た者に睨みを利かせていた。
要はそこへ上がる手前で靴を脱げということらしい。
「まるで、旅館だな」
「この建物は源家本屋敷。つまり私の家。日本人なら靴を脱がないと落ち着かないわ」
余りの格差に、引き気味になる凱。
特別寮が、この源家本屋敷の三分の一に届くかどうかの規模なのだから。
「その口ぶりじゃ、自宅以外もあるってこと?」
「同じ敷地内に迎賓館があるよ。前にパーティーやった所。そこは靴のまま入れるから」
「……あの時のがそうなんだ」
一段高い玄関ホールへ上がり、スリッパを履くと、早坂の案内で広い廊下を進んで行く。
ところが、杏咲が腕を組むのを止めようとしない。
「落ち着かないから、腕組むの止めない?」
「ガイさんはお客様なの」
「俺はただの中途社員だよ? 正直、場違いすぎて不安なんだが?」
「ふふふ……平気よ。すぐに慣れるから」
「そんな簡単に……」
もう考えるのを止めるしかなかった。
そうこうしているうちに、両開きのドアの前に辿り着く。
「こちらで奥方様がお待ちです」
押し広げるように扉が開けられる。
中には長い机と、その奥に座る女性――
(あれが、杏咲の母親か……)
「こちらへどうぞ」
早坂のスマートな誘導で、凱は杏咲の母、源玲奈の向かいの席に誘導された。
杏咲は凱と別れ、実母の隣に陣取る。
「改めまして。杏咲の母、源玲奈です。先日の商店街再生プロジェクト、本当にご苦労様でした」
「こちらこそ。グループの皆様には多大なご支援を賜り、感謝します」
「どうぞ座ってください」
「どうぞお先に」
「では、お言葉に甘えさせていただきましょう」
玲奈と杏咲の着席を見届けた凱が座ろうとすると、いつの間にか背後に早坂が立っていて、座りやすいように椅子を引いてくれていた。
「最近、杏咲はあなたの話ばかりするんですよ」
「お母様!」
玲奈が切り出すや否や、杏咲が声を上げる。
「それで、私も改めて会いたくなったんです。お忙しい所、お呼び立てしてすみませんでした。代わりに、お礼方々、昼食を用意させて貰いました」
「そ、それはまた……。気を使って頂きまして恐縮です」
壁に掛かった時計に目をやると、まだ昼食には早い。
とはいえ、せっかく供される料理に手を付けないのも失礼にあたる。
「早坂、始めてください」
「《畏(かしこ)》まりました。奥様……」
この屋敷の使用人は早坂だけなのだろうか? と凱は不思議に思う。
「ところで凱さん、仕事の方はもう慣れましたか?」
多分に社交辞令が込められた言葉遣いだったが、凱は表に出さずに答える。
「新人ですから、習う事は山ほどあります。ですが、教育係のお陰で苦にはなってません」
「ふふ、そうですか。南部のお嬢さんに教育係を任せたのは正解だったようですね」
話がひと段落ところで、早坂がカートワゴンを押してやってくる。
彼が運んできたのは、新鮮な野菜が盛り付けられたシーザーサラダだ。
「失礼します。サラダをお持ちしました」
「あ、ありがとうございます」
客だからだろう。
真っ先に凱へ料理が供される。
全員に皿が行き渡ると――
「さあ、料理が来ました。まずは頂きましょう」
――玲奈が号令をかけた。
「はい」
「「頂きます」」
それを掛け声に、凱は配膳されたサラダに手を付けた。
舌鼓をうっていると、玲奈が再び口を開いた。
「ところで、単刀直入に伺います」
「はい」
「うちの娘は《如何(いかが)》ですか?」
何を聞かれているのか、意図するところが解らない。
とりあえずは、と返してみる。
「そう、ですね。最近、また会ったばかりだから、懐かしさの方が強いですね。一度しか会っていなかったのに……」
「いえいえ。そうではなくて、ガイさん自身の、娘の評価が知りたいのです」
「えっ? そう言われましても……」
凱もこのような質問には返答に困ってしまう。
しかも、玲奈の目は、俺から言葉を聞き逃すまいと真っ直ぐ凝視している。
が、返答に困るのも確かだ。
テーブルの上の食事はスープになっている。
冷めないうちに食べなければならないが、玲奈が凱の一挙手一投足を逃さんとばかりに見て来るので、却って身動きが取れない。
「これでも娘には自信がありましてよ? 器量も良いし、世間知らずではありますが、正義感も強い子です」
「そ、そうです、ね」
「たとえば、娘のお友達から始めて欲しいと言ったら、どうでしょう?」
杏咲の友人たちが選ばれた存在だということは、嫌でも知っている。
いつだって彼女の周りを固める、ボディガードのような存在でもあるからだ。
とはいえ、友人になるのに親が出てきたり決めたりなど、やはり上級国民は感覚が違うと思わされる。
「えっ? それは歓迎します、が……もう杏咲と婚約したと思っていたのですが、違ったのでしょうか?」
ちらっと杏咲を見ると、彼女は満足そうに何度もうなずいている。
「いえいえ、それなら良かったわ。是非とも今後は、友人としても婚約者としても、より一層仲良くして頂きたいものですね」
「ははは……。よく解りませんが、こちらこそよろしくお願いします」
やっと話がまとまり、凱は冷めかけたスープを口へ運ぶ。
「杏咲、良かったわね。友達から更に一歩前進ね」
「はい、お母様」
(友達から更に一歩進んだ関係ってなんだ? いわゆる友達以上、恋人未満って奴?)
色々と突っ込みたくなる気持ちを抑えつつ、親子の会話に割り込む。
「もしもし?」
「何かしら?」
「いや、今、お友達って話でしたよね?」
「ええ、そしてより仲良くして欲しいとも言いましたよ」
玲奈が凱の問いにあっさりと答える。
「そ、そうですね……。ですが、あ、杏咲?」
助けを求めるように杏咲を見た。
「なに?」
杏咲が呼びかけに応じる。
「その……友達なの? 婚約者なの? 俺はどっち?」
「あら、それはややこしいですね。では、今後のことも踏まえて、私のことはお母さまと呼んでくださいね?」
またも唐突な提案に、凱は「ええぇ……」と内心で辟易するも、それを言葉に出せない。
「い、いいんですか?」
「構いません。むしろ、その方が嬉しく思いますよ、凱くん♪」
「だって!」
なぜか得意気に胸を張る杏咲。
(――何が『だって!』だよ!)
流石に足が震えてそうになってくる。
「ですが、身分が――」
「平気だよ。そこはちゃぁんと手を打ったから♪」
「はい?」
凱が嫌な予感に駆られる一方、杏咲は幸福に満ちたな笑みを湛えながら、愛する人の顔を凝視している。
これまで感じたことのない何かが迫っている――凱はそんな気がしてならなかった。
26/01/13 22:33更新 / rakshasa
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