連載小説
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怨敵に連なる少女(2) 正体と殺意
数日後、金曜日の夕方。
凱は待ち合わせ場所の最寄り駅のホームに降り立っていた。

ホームに降り、そこで一旦、できるだけ深刻そうな表情にならないよう、頬の辺りをマッサージするようにぐりぐりと両手で揉んだ後……意を決して歩き出す。

「あ、お兄さん、こんにちは」
「こんにちは」

ホーム内で人待ち顔をしていた少女に声をかけられ、思いの外元気そうな様子に内心面食らいながらも、凱は挨拶を返した。

「もしかして待たせちゃったかな?」
「少し前に来たところですから、大丈夫ですよ」

そう言葉を交わす相手は、もはや言うまでもない。

笹川麻理依――
この二週間、朝の電車でおしゃべりをするようになった関係の、小学六年生の少女。

ふと、何となく同時に黙りこくり、立ち尽くす。
何がそうさせたのか、麻理依はこの数日で瑞姫たちのような雰囲気を宿すようになっていた。
そんな彼女に凱は違和感を覚えるのだが、確信に足るものが無い以上、口に出すべきでないのも事実だ。

「なんか……不思議な感じだね」
「ですね」

先日の無人駅での何気ない触れ合いを通じていても、基本的に二人は朝に電車で顔を合わせるだけの関係に過ぎない。
今朝もそれはまったく変わらなかった。食べ物や漫画、流行りなど、無邪気で他愛もない話をした後、乗り換えのために電車を降りていく麻理依を見送る……といった感じで、少なくともコミュニケーションの内容や頻度は以前とまったく変わっていない。

だというのに、いかにも「待ち合わせしました」みたいなやり取りは、こそばゆい雰囲気を感じてしまう。

そういう意味で言えば……この二人の関係の変化は、いい方に向かっているのかもしれない。
少なくても今、少女がここにいる背景は、決して明るいものではないが、それでもこうして笑えているのならば、それはそれで凱にとっても本当に心の底から歓迎すべきことなのは間違いなかった。

「ええと……じゃあ、行こうか」
「はい」
「電車降りたらタクシーに乗り継ぐけど、大丈夫?」
「平気です!」

そう言い合って向かう先は、当然、凱の住まいである風星学園特別寮だが、麻理依はそれをまだ知らない。
彼女を連れていく形で一緒に神奈川まで電車に揺られていく。
そこに至るおよそ1時間の時を使い、凱と麻理依は互いの話に興じる。

つくづく不思議な気分だった。家への道のりを、今、凱は、ほとんど顔見知り程度の関係でしかない少女と、並んで歩いている。
家並みや店の看板は何も変わらないはずなのに、隣に麻理依がいるだけで、見慣れたそれらの町並みが、丸ごと非日常に取り込まれてしまったような気がした。
夢の中にいるようにふわふわと現実感が無く、地に足をつけて歩いているはずなのに、どうにも足元が覚束ない。
ともすれば、次の瞬間に足の下が抜けてしまうのではないか、と、そんな思いにすら囚われてしまう凱だった。

「そういえば、夕飯とかどうするの?」
「あ、えっと、今日は、お金で買う日なんです」

特別寮へと向かう道すがら、ふと気になって訪ねてみると、そんな答えが返ってきた。

「パパとママ、どっちも仕事で……帰ってくるの、毎日すごく遅いんです。いつもはお手伝いさんが来てくれるんですが、今日は休みで……」

その笑みがどこか寂しそうにも見えて、凱は「そうか」と曖昧に相槌を打った。
先日、凱がサボりに誘った時も、彼女は親に休む旨を電話で話していたはずだが……特に叱られたりしたような様子はなかった。今までしてきた朝のおしゃべりでも、両親の話題が出たような記憶は無い。
行儀もよく、躾も行き届いていて、大事に育てられた子なのだろうと何となく思っていたが、この少女は思いの外、親子のふれ合いに乏しい環境に暮らしているのかもしれない……と凱は思う。

(……でも、そこまで首を突っ込むのもな)

そう思うのは当然かもしれない。
様々な巡り会わせでこのような関係になっているが、自分ではどうにもならないことに考えなしに関わっても、それがいい結果に結びつくことなどそうそう無い。それは単なる無責任だ――と凱は少なくともそう考えている。

「じゃあ、一緒に食べようか。嫌じゃなかったら、料理作るよ」
「え、でも……」
「時間も遅くなるだろうし、お腹空くでしょ? それにちょっとした憂さ晴らしにもなるんだ」

やや強引に言いくるめるように言うと、ほんの少しはにかむような笑みを浮かべた麻理依は「はい、おねがいします」と言ってきた。
だから、凱に出来る事は今はこれが精々だ。
親代わりにはなれないけれど、せめて、今日くらいは一緒に食事をして、麻理依が独り寂しく食卓に向かうようなことにならないようにするくらいには、やっても許されるはずだと凱は思っていた。

「でも……お兄さんこそ、大丈夫ですか?」

物思いに耽っていたところに、今度は麻理依が尋ねてくる。
見れば、どことなく申し訳なさそうな表情が、彼女の愛らしい顔に浮かんでいた。

「大丈夫って、なにが?」
「その、急に連絡したから……」
「ああ、大丈夫」

いきなりの話であったことを、麻理依は気にしていたらしい。

「ちょっとビックリはしたけどね」

ビックリしたからといって、特に腹を立てるようなことでもない。なので凱は、麻理依を安心させるように優しく笑みを返した。

「むしろ、今日でちょっと助かったかも」
「そうなんですか?」
「残業無しで早く帰れたし……それに部屋、週末に掃除したばかりだったんだ。汚くなってる部屋を見られずに済んでよかったかな」

冗談めかして凱が言うと、そこでようやくリラックスしてきたのか、麻理依はちょっとおかしそうに笑ってくれた。
いつも彼女が見せてくれている、自然体の笑みで。
ふと凱は思う。自分たちは、傍目から一体どう見えているのだろうか、と。
年の離れた兄妹とかだろうか。あるいは親戚関係とか、家族ぐるみでの付き合いのあるご近所さんか。

実際はそうではなくなっていくのかもしれないし、凱と麻理依の関係とて、このまま続けば、いつかは健全なものではなくなっていくのだろう。
サボリの一件から連絡先を交換して以来、麻理依との関係は少し近くなっていた感はある。

そしてこの日の昼間、彼女からメールで連絡が来たのだ。
『あいたいです』――と。

凱の部屋が行先である以上、割と遠出となるため、最初にやるべき事は食材の買い出しとなった。麻理依と共に途上のスーパーで見繕い、これを大量に仕入れ、タクシーを使って目的地へ移動する流れだ。

だが、ここで麻理依にとって予想外の事態が起こる。
彼女の両親の連名で来たメールに、麻理依は固まってしまったのだ。

――『パパもママも帰れなくなった。帰るのはあさってになりそうだ。お手伝いさんはカゼひいて、代わりもこれないそうだから、今日から2日は友達のところにいくなりしてどうにかしてもらいなさい。警察には言ってあるから』――

所々をわざわざ平仮名にする念の入りようだった。
凱は心配になって声をかけるが、麻理依はうっすらと涙目になっていた。

「どうしよう……。パパとママ、あさってにならないと帰れないって……」
「ええ!?」
「明日、学校休みなのに、お手伝いさんカゼひいて、代わりもこれないって……なんで……」

悪い事は続くもので、タクシーに乗ると同時に天候が悪化していく。

「風星学園の裏口へ」

運転手に行き先を伝える凱と、それを黙って聞く麻理依。
少しすると、タクシーは風星学園裏口、つまり特別クラス側の校門に到着。

「先に荷物降ろすから、少し待ってて」

凱は料金を払うと先に降り、買い物の荷物を取り出す。

「空気がかなり湿っぽい……もう雨がくる、急ごう」
「はい!」

この声と共に麻理依は言葉を返しながら車を降り、凱の後を追いかけながら、特別寮に入っていった。
それが幸いしたのか、特別寮に二人が入って1分もしないうちに雨が音を立てて降り始めた。

「お兄さん、お帰り……って……その子、誰?」

殺意とも取られかねない異様なオーラを放つ瑞姫に、凱も麻理依もたじろぐ。

「み、瑞姫……これは、な――」

凱は麻理依との事情を話し、どうにか瑞姫の説得に成功。
とは言え、瑞姫の了承の態度は明らかに不承不承。

二人が瑞姫と共に特別寮のリビングに入ると、そこには瑞姫以外のヨメンバーズ全員、さらにどういう訳か源杏咲まで同席していたのだ。

「おいおい……《ヨメンバーズ(みんな)》は解るけど、何で杏咲までいるの?」
「え? 婚約者なんだから、お婿さんの住まいに来るのは当然でしょ?」

さも当然のように、しれっと言い放つ杏咲。
大企業令嬢ゆえの強かさを感じずにはいられない。

10分が過ぎる頃には雨もますます強くなっていた。
その勢いは徐々に強さを増し、浸水しないか心配なレベルになってきている。
だが、杏咲がお構いなしに、麻理依に問いかける。

「あなた、誰?」
「え、はい。私は笹川麻理依と言います」
「笹川……?」

怪訝な顔をした杏咲は、さらに問いを投げかける。

「笹川と言ったら、笹川グループが先に来るんだけど、あなたはその関係者か何か?」
「は、はい……パパは笹川製薬社長で、笹川晴彦と言います。伯父がいまして、その人はグループ総帥の笹川英雄……ひっ!」

突如怯える麻理依。
凱から漏れ出る殺気を感じ取り、思わず飛び退いたのだ。麻理依は生まれて初めての恐怖に顔を染める。
その元凶である凱は、忌まわしい記憶の欠片が組み上がった事で着火した怨讐の炎が殺意へと変わり、麻理依を睨む。
その顔はもはや悪鬼と化し、今にも飛び掛からんとするほどに理性を失いつつあった。

「……っ……ぁ……ぁあ……」

殺気をまともに受けている麻理依の顔は青ざめ、息遣いは過呼吸気味になり、恐怖で震える体も凍りついたように動かなくなっていく。

――人と社会に裏切られ、その中心が逆恨みでいじめを主導したあの女と、これを喜んで支援したあの女の父親。こうして両親が仕事だからとの理由で会って、ここまで来たのも同情を買って注目を集めるための演技で、特別寮に来た理由も本当は警察と連携して、自分を捕まえるためにここまで来たでのはないか?――

そんな考えが一気に組み上がった、その瞬間――彼は己の主義も理性も捨て、麻理依の首目掛けて手を伸ばした。

「っ!」
「ダメっ! お兄さん!」
「止めるんだ、凱!」

笹川家に対する、凱の憤怒、憎悪、怨毒はあまりにも深い。
しかし、それは直前で朱鷺子、瑞姫、黄泉が三人がかりで止めた。
朱鷺子も顔を青ざめさせ、凱の腕を止めている手を震わせている。
凱から瑞姫と黄泉の顔は見えないが、左右から二人掛かりで腰に抱き着いている。だが、二人も朱鷺子と同様に体を小刻みに震わせている。

「離せ」
「……いや……だ。お兄さん、やめて」
「冷静になれ!」
「……そう……だよ。……落ち着いて」
「そんな事してどうなる」
「……意味……ないよ?」

朱鷺子の言葉に、凱はほんの少しだけ冷静さを取り戻すも、殺気はまだ放ったまま。
それでも、伸ばした手から力を抜き、少し後ろに身を退く。

「はぁ……はぁ、はぁ、はぁ」

直後、朱鷺子らが膝から地面に崩れ落ちる。
思い出したように呼吸を始め、凱が放っていた激烈たる殺気の圧力から解放され、肉体があることを実感するように抱きしめていた。

少し離れて見ていた杏咲も、凱が笹川家にここまでの怨讐を抱いていたことに改めて驚愕。そして麻理依に向けて怒号を叩きつける。

「笹川の一族がよくものこのこと顔を出せたわね! “お前”の親族のせいでガイさんはもしかしたら、もうこの世にはいなかったのよ!?」

そう怒声を上げながら、杏咲の目に涙が溢れ、零れ落ちる。
怨敵に連なる少女が迎えるかもしれない結末を思えば、仕方がないのかもしれない。

だが、それは凱もまた同じ状態と化していた。
腕を引きかけたまま、涙を流していたからだ。
それを垣間見た麻理依はその場に崩れ落ち、同じように涙を流してしまうのだった。

それから暫く、特別寮には沈黙の時が流れた。
ヨメンバーズは全員自室に戻り、凱、杏咲、麻理依はリビングで沈黙したまま。
激しい風雨が窓を叩く音が楽曲となって響く時を、誰かが破らなければならない。

夕食時でもあったので、その役目を凱が負う事になり、久々に腕を振るう時が来た。

買ってきた食材で作るのは煮込みハンバーグだった。
これは麻理依の希望に沿ったものでもあるが、個人的に料理をしなくなったこともあり、久々に自分のためだけに腕を振るおうと思ったのだ。
だからこそ、気持ちを怒りも喜びも無い、フラット、ないしゼロの状態に整える。
負の感情を一旦リセットしてから調理を始めなければならない……という、凱なりの信条だ。

*****

凱が調理を始めてしばらく後、リビングを調理の匂いが支配していく。
そこに麻理依と、少し遅れて杏咲もやってくる。

「すごく、いいにおい……」
「本来はロロに作ってもらうはずだったんだがな。こんな状態だと俺が作るしかないのさ」
「ガイさん……お料理も出来るんですね」
「生きるために学んだものだから、ね」

その時間の間にも凱は料理を作り、おおむね仕上がる頃には、調理の匂いに支配されたせいで腹を空かせたヨメンバーズたちがリビングに降りてきていた。
もっとも、その元凶が凱であることに、ロロティアが軽いショックを受けたのは余談であるが。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「すごい……」

テーブルに並べられた煮込みハンバーグ、サラダ、スープ、ライスの取り合わせを見て、純粋に驚く麻理依。
専属家政婦の料理も、彼女にとってかなり印象が良かったが、凱のもまた違った感じで良い印象だった。
違いはほとんどないはずだが、温かみの差とでも言うのだろうか、そのような感じを麻理依は受けていたのだ。

凱以外の全員が「いただきます」と手を合わせ、食事を摂る。
ただ、テーブルに入りきらないため、麻理依だけは急遽追加されたテーブルに就き、そこに凱が向かい合わせで座る。彼に自身としては麻理依に対する非礼への詫びを兼ねていた

「……おいしい……」
「この煮込みハンバーグ、寮の住人たちのお気に入りの一つなんだよ」

そう言うものの、それはあくまでヨメンバーズやエルノール・サバトの構成員たちの好み。麻理依の口に合うか正直なところ若干不安だったが、どうやら彼女の舌にも合ってくれたらしい。

ハンバーグを細かく箸で切り分け、口に運ぶごとにその表情が和らいでいるのが、何とも可愛らしい。
箸の持ち方も綺麗で、食べる姿一つを取っても気品すらある。

「……えへへ」

不意に、嬉しそうに麻理依が笑う。

「なんか……やっぱりいいですね。誰かといっしょにご飯食べるのって」
「学校でも友達とかと食べるでしょ」
「学校は別です」

言われてみれば、彼女の言う通りかもしれない。
いくら学校では多人数で食べていても……いや、だからこそ、帰宅後に一人でする夕食は確かに寂しいものであろう。
一日の締めくくりの、一家団欒となるはずの時間を一人ぼっちで過ごすことになるのだから。
そのことを考えれば、一緒に食事をしようという誘いは正解だったようだ。凱としても、ほっこりとした麻理依の笑顔が見られて嬉しかった。

「……ごちそうさま」
「私も、ごちそうさまでした」

麻理依の食べるペースに合わせながら凱もゆっくり食べ、やがてほぼ同時に揃って合掌。子供向けといっても大人向けないし魔物娘向けである以上、麻理依のもそれなりのボリュームがあったはずだが、見事完食したところを見ると、本当に美味しく食べてくれたらしい。

「……さて、と」

取り敢えず、先に戻っていった住人たちの食器も一緒に洗って片付け、最後に水を飲んでひと息ついて……そこで二人は、揃って顔を見合わせた。
漂う妙な空気に、凱は少し息苦しさようなものを感じていた。
25/09/25 00:49更新 / rakshasa
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■作者メッセージ
怨敵の家系の者に会えば、どうなるのか……。
当事者でなければ分からないけど、その当事者ですらどうなるのか予測もつかないでしょうね。

忘れたくても忘れられないほどに憎い人やモノが、皆さんの記憶の中にも眠っているはずだと思います。

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