忌まわしい再会(2)/パーティーナイト
商店街再生事業が大成功の後の終了から、二週間後のこと――
「パーティー?」
「そ、商店街再生事業成功のお祝いも兼ねてるの。ガイさんも参加してみない?」
杏咲からの不意の提案に、小首を傾げる凱。
「……場違い、じゃないか?」
「そんなこと無いわ。ガイさんなら顔を出しておくべきよ」
「まあ……、キミが言うなら」
「うん。開催は明後日だから、スーツ用意してね」
こうして凱は杏咲に半ば言い包められるかのように、パーティーに出ることにしたのだ。
**********
パーティー当日――
杏咲に連れていかれる形で、凱はパーティー会場に来ていた。
また、万が一の事態に備え、人化の魔法でかつての姿に変装させた黄泉を護衛として連れてきていた。彼女はパンツスタイルのスーツに身を包み、「流石に裸足は不味い」との杏咲の助言で、爪先に鉄板が入った特注のパンプスを履いていた。
会場に着き、その豪華さに驚いた凱は思わず足が止めてしまう。
「……杏咲。やっぱり行かないと、ダメ、かな?」
「当たり前でしょ。ここまで来て、何を言ってるの?」
「おいおい、ビビったんかぁ?」
凱の言葉に呆れる、杏咲と黄泉。
凱も杏咲に手を引かれている状態だったが、その足取りは思いの外軽いものだった。
「あら、覚悟できちゃったんだ♪」
「ここで引き返したら、杏咲と黄泉が恥をかくと思っただけ。して、今日のパーティーって、何かあるの?」
「? 主に経済界の人達との顔合わせよ。大物議員も何人か来るみたいだけど」
「それって偉い人が多いってことだよね?」
「当然でしょ」
「……情けないけど緊張してきた」
「まぁ……オレもだな」
「二人ともこういう場は初めてだもの。仕方ないわ」
「絶対失礼な事しちまう……」
「……だな」
「大丈夫。源の婿がどれだけ失礼をしても大丈夫なの」
とは言っても、杏咲は組んだ腕を離そうともしないし、黄泉も凱の傍から離れる気が無い。
「それはそれで問題だろ」
「……ハゲドー」
黄泉が口にした「ハゲドー」は「激しく同意」を略したネットスラング「《禿同(はげどう)》」のこと。
いよいよもって腹を括った凱は、杏咲、黄泉の二人と共に会場入りした。
中に入ると、すでに多数の人が集まっており、談笑している者もいる。
「こんな世界もあるんだな」
「慣れたくねぇわぁ」
「まだ着いたばかりよ。二人とも今以上に堂々と、ね」
そこに――
「これはアズサさん、ますます御綺麗になられて。どうぞ、此方でお話ししましょう。あぁその前に、その薄汚い下民を捨ててきましょう。……おい下民ども、死にたくなければアズサさんから離れろ」
――若いがヒョロヒョロした印象の男が、杏咲に声をかけつつ、凱と黄泉に殺意を向ける。
「すみません。私は主人をエスコートしてますので御遠慮させてもらいますね」
杏咲がやんわり拒否すると、男が凱をあからさまに見下す目をしながら、言い放つ。
「ははは。まさかその下民を本当に婿に迎えるつもりなのですか? そんなことをしたら源の血が汚れてしまいますよ? 貴女の伴侶には、高貴な血の持ち主が似合うと思いませんか? 私のような、ね」
「それは我が源家に対する侮辱と受け取りますね。主人は既に家臣達の忠誠も得ている、立派な婿であり、父も私たちの関係を認めてます。それに源家は武家にございます。貴方のような武勇の欠片も無いような方など相手にするはずありませんわ」
「なっ! 今の時代に武勇などいらないだろ! それに今の御当主様も武勇に優れていないではないか!」
「お父様もそれゆえに苦労されたのです。でも、主人のお陰でそれも解決しましたわ」
男は凱と黄泉だけでなく、杏咲までをも苦々しく見る。
「ふん、ならば源グループが地に落ちるのも時間の問題だな。こんな奴隷が精々の非人が当主になるなどあってはならないこと。源グループも上手くいく筈がない。そこの護衛気取りの野蛮人もな」
「あぁん?」
「ご心配なく。主人らの活躍で売上が増大してますので」
二人が会話していくうちに、段々と蚊帳の外に置かれていく凱と黄泉が周りを見回すと、何者かが近付いてくる靴音がした。
「あ、あの……ガイくん、だよね……?」
「あん?」
声がした方向へ身構えつつ顔を向けると、一人の女が立っていた。
一見するとロングヘアーが良く似合う、儚い感じの美少女と言ってもいい外見だ。
だが、なぜこうして近寄って来るのか、凱にはさっぱり見当がつかなかった。
「『ガイ』とは、俺のことでしょうか?」
「え、えっと……竜宮、じゃなくて、龍堂凱くん、だよね?」
「確かに、龍堂凱は俺ですが……?」
どうやら凱のことを今の名まで知っているらしいが、肝心の凱はこの女について何も知らない。
「やっぱりそうなんだ……! あはっ、久しぶりだね! 私だよ! 幼馴染みの【《桐島彩花(きりしま・あやか)》】だよ! 覚えてる?」
桐島彩花――その名を聞いて、記憶が蘇る。忌まわしい記憶が……。
「う……ぐぅっ!」
「凱! しっかりしろ!」
黄泉の声でどうにか持ちこたえるが、忌まわしい記憶が蘇るのに激しい頭痛が伴った。
確かに、桐島彩花とは幼馴染みだったが、その関係は小学生の時に切れた。
凱が地獄に落とされ、地獄の底の片隅を歩かされることになったのは、紛れもないこの女の愚行に端を発していたのだ。
――――――――――――――――――――
それは小学生時代――。
凱と彩花とはかつて、幼稚園時代から仲良しの幼馴染みの間柄だった。
周りから、『将来結婚するんだろ?』と囃し立てられ、彼女は『うん! ガイくんと結婚する!』と笑顔でいつも言っていた。凱も彼女とのことは満更ではなかった。
……あの日までは……。
*****
それは、小学五年生の年の、とある日の学校でのこと。
朝のホームルームが始まった瞬間に起きた。
彩花のリコーダーが盗まれたと騒ぎになった。
そして始まった『犯人探し』。
そこで、凱は思わぬ方向から爆撃を喰らったのだ。
『ガイくんが……やったの……』
なんと仲が良かったはずの彩花が、震えながら凱を指差したのである。
凱はもちろん、やってないと反抗した。
しかし、『何の取柄も無い能無し』と『優等生』ではどちらの言い分が正しいのかと周りが判断するのは明白。
『返しなさい! そして謝りなさい!』
『なんで? ボク、やってないよ!』
『嘘おっしゃい! 悪いことをしたら、謝るのが当たり前です!』
クラスメイトだけでなく、担任の女教師さえも凱を犯人呼ばわりして責め立てた。
やってもいない犯罪を認めろという理不尽さに凱は納得せず、最後まで反論した。
しかも、担任教師が女であったのも悪い方向に働いた。凱は反論すればするほど意固地になって聞き入れず、最終的に父まで呼ばれた。
父も凱の無実を信じて庇ったが、結局は《衆寡敵(しゅうかてき)》せず。
校長や警察、PTAの役員まで出張ってきて徹底的に叩き伏せられたものの、やってもいないことに対する謝罪は父子揃って拒んだ。
それからというもの、凱は『泥棒』や『変態』呼ばわりされ、それでもやっていないことに謝罪など出来なかったし、しなかった。謝罪を拒む態度に担任をはじめとした全教師は怒り心頭となり、クラスから孤立させられ、いじめにも遭った。
小学生はまだ善悪の区別もつかない。そして子供特有の純粋さゆえの残忍さから、そのいじめのやり口は陰惨を極めた。
仲の良かった友達や彩花さえも、凱から離れていった。
担任と校長からもいじめの対象にされたことで孤独に過ごすことを余儀なくされ、彩花もまた、卒業と共に父の転勤にかこつけて、逃げるように東京へ去っていくこととなるが、凱がそれを知ることは無かった。
それが凱の小学生時代にして、暗黒時代の幕開け。
――――――――――――――――――――
「……ああ……思い出しましたよ。ええ、確かに面影はありますね――桐島彩花さん」
凱は名前を呼ぶ際にだけ、暗く重い口調に変えた。
「な、なに……? なんで敬語なの……? もっと砕けた感じでいいよ?」
「俺にはこれが性に合ってるのでお気になさらず――桐島さん」
「き、桐島さん……? え、えっと……む、昔みたいに彩花って呼んで……? さすがに桐島さんだと他人行儀だから……」
「他人行儀も何も、赤の他人ですが?」
「えっ!?」
大真面目にきっぱりと告げると、彩花の顔が真っ青に。
『何かおかしなこと言ったか?』とばかりに、凱は首を傾げる。
「あ、あはは……何を言ってるの? わ、私たちは幼馴染みだよ?」
「その関係が続いたのは小学生まで。以降は何の接点も無い。だから赤の他人。それだけです」
「も、もしかして……あの時のこと、まだ恨んでるの……?」
あの時のこと――それは言うまでもなく、『リコーダー泥棒冤罪事件』。
「ええ。あれから数年経ちましたが、怨みは消えてくれませんし、思い出したおかげでこの場で殴り殺してやりたい怒りと憎しみに満ちてますよ……!」
「だ、だったら、私、いくらでも……なんなら、この体も……!」
「そうしたいのは山々ですけども――」
一拍置いて、凱は言葉を続ける。
「――俺は二度と冤罪に巻き込まれたくないんです。ですので、俺に二度と関わらないでくださね。では――失・礼!」
「っ……! ご、ごめ……っ」
目に涙を浮かべる彩花を余所に、凱は静観していた黄泉と共に杏咲の元に行って謝罪し、指定の場所へと赴く。
周囲は何事だと騒ぐが、彩花が大人しく場を去ってからは特に何も起きなかった。
桐嶋綾香はそのまま父の元に戻り、パーティー終了まで動かなかった。
彼女は、笹川グループ本社営業部部長でもある父・《桐嶋和利(きりしま・かずとし)》の付き添いで来ていたのだ。
ただ、凱の動きだけは追っていたが……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
パーティーが始まり、凱は杏咲の案内で様々な著名人や業界人に挨拶を交わした。
中には凱に対してあからさまに関わりたくないといった顔をした者もいたが、その者たちを凱は盛大に無視し、別の物との会談に赴く程のフットワークの軽さを発揮していく。
「よく見れば、著名人らしき奴もいるみたいだな」
「そうね、源グループの支援を得るために来ている人も結構いるわよ。人によっては枕営業する人もいるみたい」
「人間社会の裏の顔、か」
「社会の汚ぇ縮図ってか」
「ガイさんはダメだからね。枕営業にかからないでよね」
凱も黄泉もすっかり辟易し、杏咲はやんわり警告する。
「分かってる。金銭で女を買う必よ――」
凱は最後まで発言を許されない。
その後ろで、凱の服の裾を引っ張る者がいたからだ。
振り返ってみると、そこにいたのは二十歳前ぐらいの女の子。
「あの! 私を買ってくれませんか!?」
凱、杏咲、黄泉は三人揃って時間が止まったように固まり、ギチギチと音が鳴る勢いでゆっくりと互いの顔を見る。
「えーっと、その、キミ、は?」
「竹田アゲハと言います。どうか私の支持者になってなってくれませんか?」
アゲハと名乗る少女は支持者を探していたのだが――
「悪いが、俺は支持者になれん。他当たってくれ」
「お願いします! どうか私を買ってください!」
あまりに切実に求めて来て服を離しもしないため、杏咲が「このままでは埒が明かない」と言ったことで、彼女の同意の下、話だけは聞くことにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「えーと、何かあるのかな?」
凱はアゲハを別室に連れていき、話を聞く。
もちろん、杏咲と黄泉も同席している。
「実は、私このままじゃAVデビューする事になるんです」
「あー、何か良く聞く話だけど、それなら引退したらいいんじゃないかな?」
「……出来ないんです。私のプロデュースにお金がかかりすぎているとかで、その返済が終わるまでは辞めれない契約になっているんです」
アゲハは俯きながら言う。
「なるほど、そんな契約もある……のかな?」
凱は杏咲に聞く。
「私も聞いたことはありますね。小さい事務所だと比較的良くある話だと」
「ふむ、でも、俺が助ける理由はないよね? これ以上、女の子を侍らせたくないし」
「ガイさん、言いたいことは解るけど……」
「瑞姫らにそれ話したら、どうなると思ってんだ?」
杏咲は呆れ半分で、黄泉はジト目を凱に向け、それぞれ言う。
「お願いします! 何でもしますので、どうか!」
アゲハは土下座で懇願する。
その言葉に、凱は杏咲にこの件を任せることにした。
「杏咲、この子を買い取ってもらえる?」
「そうなると思ってたわ。もう交渉済み」
「ありがとう。確か、源グループには芸能事務所があったよね?」
「ええ。【オレガノ源】。源グループが直接運営してる芸能事務所よ」
「この件、杏咲に任せる。俺は芸能界まったく解らんから、しっかり話し合って欲しい。アゲハと言ったね。キミもだから」
「は、はい! ありがとうございます! がんばります!」
そんなすったもんだの出来事を経て、パーティーは終わりを告げた。
杏咲と黄泉はそれなりに楽しんでいたが、凱はまったく楽しめなかった。
理由は怨敵の一角・桐嶋綾香との忌まわしき再会。
これが不穏な事態に発展しないよう願わずにはいられない凱であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
余談だが、竹田アゲハは後日、滞りなくオレガノ源へ移籍を果たした。
彼女のいた事務所も最初は渋っていたが、オレガノ源社長・《柴田勝信(しばた・かつのぶ)》の名を聞いた途端、即座に白旗を上げ、無条件で移籍を了承した……というのが真相であるが。
『芸能界のドン』の異名を取る柴田に逆らったが最後、芸能界追放は確定事項だからだ。
アゲハは試しに出演した動物系バラエティー番組が当たり、人気が急上昇していった。彼女が失敗すると動物たちに突っ込まれる……そのセットでのやり取りがお茶の間に笑いを提供していくことに。
かくして、竹田アゲハは後に、若くしてトップタレントの道を歩むこととなるのだが、その道程と未来は、読者の想像にお任せしよう。
「パーティー?」
「そ、商店街再生事業成功のお祝いも兼ねてるの。ガイさんも参加してみない?」
杏咲からの不意の提案に、小首を傾げる凱。
「……場違い、じゃないか?」
「そんなこと無いわ。ガイさんなら顔を出しておくべきよ」
「まあ……、キミが言うなら」
「うん。開催は明後日だから、スーツ用意してね」
こうして凱は杏咲に半ば言い包められるかのように、パーティーに出ることにしたのだ。
**********
パーティー当日――
杏咲に連れていかれる形で、凱はパーティー会場に来ていた。
また、万が一の事態に備え、人化の魔法でかつての姿に変装させた黄泉を護衛として連れてきていた。彼女はパンツスタイルのスーツに身を包み、「流石に裸足は不味い」との杏咲の助言で、爪先に鉄板が入った特注のパンプスを履いていた。
会場に着き、その豪華さに驚いた凱は思わず足が止めてしまう。
「……杏咲。やっぱり行かないと、ダメ、かな?」
「当たり前でしょ。ここまで来て、何を言ってるの?」
「おいおい、ビビったんかぁ?」
凱の言葉に呆れる、杏咲と黄泉。
凱も杏咲に手を引かれている状態だったが、その足取りは思いの外軽いものだった。
「あら、覚悟できちゃったんだ♪」
「ここで引き返したら、杏咲と黄泉が恥をかくと思っただけ。して、今日のパーティーって、何かあるの?」
「? 主に経済界の人達との顔合わせよ。大物議員も何人か来るみたいだけど」
「それって偉い人が多いってことだよね?」
「当然でしょ」
「……情けないけど緊張してきた」
「まぁ……オレもだな」
「二人ともこういう場は初めてだもの。仕方ないわ」
「絶対失礼な事しちまう……」
「……だな」
「大丈夫。源の婿がどれだけ失礼をしても大丈夫なの」
とは言っても、杏咲は組んだ腕を離そうともしないし、黄泉も凱の傍から離れる気が無い。
「それはそれで問題だろ」
「……ハゲドー」
黄泉が口にした「ハゲドー」は「激しく同意」を略したネットスラング「《禿同(はげどう)》」のこと。
いよいよもって腹を括った凱は、杏咲、黄泉の二人と共に会場入りした。
中に入ると、すでに多数の人が集まっており、談笑している者もいる。
「こんな世界もあるんだな」
「慣れたくねぇわぁ」
「まだ着いたばかりよ。二人とも今以上に堂々と、ね」
そこに――
「これはアズサさん、ますます御綺麗になられて。どうぞ、此方でお話ししましょう。あぁその前に、その薄汚い下民を捨ててきましょう。……おい下民ども、死にたくなければアズサさんから離れろ」
――若いがヒョロヒョロした印象の男が、杏咲に声をかけつつ、凱と黄泉に殺意を向ける。
「すみません。私は主人をエスコートしてますので御遠慮させてもらいますね」
杏咲がやんわり拒否すると、男が凱をあからさまに見下す目をしながら、言い放つ。
「ははは。まさかその下民を本当に婿に迎えるつもりなのですか? そんなことをしたら源の血が汚れてしまいますよ? 貴女の伴侶には、高貴な血の持ち主が似合うと思いませんか? 私のような、ね」
「それは我が源家に対する侮辱と受け取りますね。主人は既に家臣達の忠誠も得ている、立派な婿であり、父も私たちの関係を認めてます。それに源家は武家にございます。貴方のような武勇の欠片も無いような方など相手にするはずありませんわ」
「なっ! 今の時代に武勇などいらないだろ! それに今の御当主様も武勇に優れていないではないか!」
「お父様もそれゆえに苦労されたのです。でも、主人のお陰でそれも解決しましたわ」
男は凱と黄泉だけでなく、杏咲までをも苦々しく見る。
「ふん、ならば源グループが地に落ちるのも時間の問題だな。こんな奴隷が精々の非人が当主になるなどあってはならないこと。源グループも上手くいく筈がない。そこの護衛気取りの野蛮人もな」
「あぁん?」
「ご心配なく。主人らの活躍で売上が増大してますので」
二人が会話していくうちに、段々と蚊帳の外に置かれていく凱と黄泉が周りを見回すと、何者かが近付いてくる靴音がした。
「あ、あの……ガイくん、だよね……?」
「あん?」
声がした方向へ身構えつつ顔を向けると、一人の女が立っていた。
一見するとロングヘアーが良く似合う、儚い感じの美少女と言ってもいい外見だ。
だが、なぜこうして近寄って来るのか、凱にはさっぱり見当がつかなかった。
「『ガイ』とは、俺のことでしょうか?」
「え、えっと……竜宮、じゃなくて、龍堂凱くん、だよね?」
「確かに、龍堂凱は俺ですが……?」
どうやら凱のことを今の名まで知っているらしいが、肝心の凱はこの女について何も知らない。
「やっぱりそうなんだ……! あはっ、久しぶりだね! 私だよ! 幼馴染みの【《桐島彩花(きりしま・あやか)》】だよ! 覚えてる?」
桐島彩花――その名を聞いて、記憶が蘇る。忌まわしい記憶が……。
「う……ぐぅっ!」
「凱! しっかりしろ!」
黄泉の声でどうにか持ちこたえるが、忌まわしい記憶が蘇るのに激しい頭痛が伴った。
確かに、桐島彩花とは幼馴染みだったが、その関係は小学生の時に切れた。
凱が地獄に落とされ、地獄の底の片隅を歩かされることになったのは、紛れもないこの女の愚行に端を発していたのだ。
――――――――――――――――――――
それは小学生時代――。
凱と彩花とはかつて、幼稚園時代から仲良しの幼馴染みの間柄だった。
周りから、『将来結婚するんだろ?』と囃し立てられ、彼女は『うん! ガイくんと結婚する!』と笑顔でいつも言っていた。凱も彼女とのことは満更ではなかった。
……あの日までは……。
*****
それは、小学五年生の年の、とある日の学校でのこと。
朝のホームルームが始まった瞬間に起きた。
彩花のリコーダーが盗まれたと騒ぎになった。
そして始まった『犯人探し』。
そこで、凱は思わぬ方向から爆撃を喰らったのだ。
『ガイくんが……やったの……』
なんと仲が良かったはずの彩花が、震えながら凱を指差したのである。
凱はもちろん、やってないと反抗した。
しかし、『何の取柄も無い能無し』と『優等生』ではどちらの言い分が正しいのかと周りが判断するのは明白。
『返しなさい! そして謝りなさい!』
『なんで? ボク、やってないよ!』
『嘘おっしゃい! 悪いことをしたら、謝るのが当たり前です!』
クラスメイトだけでなく、担任の女教師さえも凱を犯人呼ばわりして責め立てた。
やってもいない犯罪を認めろという理不尽さに凱は納得せず、最後まで反論した。
しかも、担任教師が女であったのも悪い方向に働いた。凱は反論すればするほど意固地になって聞き入れず、最終的に父まで呼ばれた。
父も凱の無実を信じて庇ったが、結局は《衆寡敵(しゅうかてき)》せず。
校長や警察、PTAの役員まで出張ってきて徹底的に叩き伏せられたものの、やってもいないことに対する謝罪は父子揃って拒んだ。
それからというもの、凱は『泥棒』や『変態』呼ばわりされ、それでもやっていないことに謝罪など出来なかったし、しなかった。謝罪を拒む態度に担任をはじめとした全教師は怒り心頭となり、クラスから孤立させられ、いじめにも遭った。
小学生はまだ善悪の区別もつかない。そして子供特有の純粋さゆえの残忍さから、そのいじめのやり口は陰惨を極めた。
仲の良かった友達や彩花さえも、凱から離れていった。
担任と校長からもいじめの対象にされたことで孤独に過ごすことを余儀なくされ、彩花もまた、卒業と共に父の転勤にかこつけて、逃げるように東京へ去っていくこととなるが、凱がそれを知ることは無かった。
それが凱の小学生時代にして、暗黒時代の幕開け。
――――――――――――――――――――
「……ああ……思い出しましたよ。ええ、確かに面影はありますね――桐島彩花さん」
凱は名前を呼ぶ際にだけ、暗く重い口調に変えた。
「な、なに……? なんで敬語なの……? もっと砕けた感じでいいよ?」
「俺にはこれが性に合ってるのでお気になさらず――桐島さん」
「き、桐島さん……? え、えっと……む、昔みたいに彩花って呼んで……? さすがに桐島さんだと他人行儀だから……」
「他人行儀も何も、赤の他人ですが?」
「えっ!?」
大真面目にきっぱりと告げると、彩花の顔が真っ青に。
『何かおかしなこと言ったか?』とばかりに、凱は首を傾げる。
「あ、あはは……何を言ってるの? わ、私たちは幼馴染みだよ?」
「その関係が続いたのは小学生まで。以降は何の接点も無い。だから赤の他人。それだけです」
「も、もしかして……あの時のこと、まだ恨んでるの……?」
あの時のこと――それは言うまでもなく、『リコーダー泥棒冤罪事件』。
「ええ。あれから数年経ちましたが、怨みは消えてくれませんし、思い出したおかげでこの場で殴り殺してやりたい怒りと憎しみに満ちてますよ……!」
「だ、だったら、私、いくらでも……なんなら、この体も……!」
「そうしたいのは山々ですけども――」
一拍置いて、凱は言葉を続ける。
「――俺は二度と冤罪に巻き込まれたくないんです。ですので、俺に二度と関わらないでくださね。では――失・礼!」
「っ……! ご、ごめ……っ」
目に涙を浮かべる彩花を余所に、凱は静観していた黄泉と共に杏咲の元に行って謝罪し、指定の場所へと赴く。
周囲は何事だと騒ぐが、彩花が大人しく場を去ってからは特に何も起きなかった。
桐嶋綾香はそのまま父の元に戻り、パーティー終了まで動かなかった。
彼女は、笹川グループ本社営業部部長でもある父・《桐嶋和利(きりしま・かずとし)》の付き添いで来ていたのだ。
ただ、凱の動きだけは追っていたが……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
パーティーが始まり、凱は杏咲の案内で様々な著名人や業界人に挨拶を交わした。
中には凱に対してあからさまに関わりたくないといった顔をした者もいたが、その者たちを凱は盛大に無視し、別の物との会談に赴く程のフットワークの軽さを発揮していく。
「よく見れば、著名人らしき奴もいるみたいだな」
「そうね、源グループの支援を得るために来ている人も結構いるわよ。人によっては枕営業する人もいるみたい」
「人間社会の裏の顔、か」
「社会の汚ぇ縮図ってか」
「ガイさんはダメだからね。枕営業にかからないでよね」
凱も黄泉もすっかり辟易し、杏咲はやんわり警告する。
「分かってる。金銭で女を買う必よ――」
凱は最後まで発言を許されない。
その後ろで、凱の服の裾を引っ張る者がいたからだ。
振り返ってみると、そこにいたのは二十歳前ぐらいの女の子。
「あの! 私を買ってくれませんか!?」
凱、杏咲、黄泉は三人揃って時間が止まったように固まり、ギチギチと音が鳴る勢いでゆっくりと互いの顔を見る。
「えーっと、その、キミ、は?」
「竹田アゲハと言います。どうか私の支持者になってなってくれませんか?」
アゲハと名乗る少女は支持者を探していたのだが――
「悪いが、俺は支持者になれん。他当たってくれ」
「お願いします! どうか私を買ってください!」
あまりに切実に求めて来て服を離しもしないため、杏咲が「このままでは埒が明かない」と言ったことで、彼女の同意の下、話だけは聞くことにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「えーと、何かあるのかな?」
凱はアゲハを別室に連れていき、話を聞く。
もちろん、杏咲と黄泉も同席している。
「実は、私このままじゃAVデビューする事になるんです」
「あー、何か良く聞く話だけど、それなら引退したらいいんじゃないかな?」
「……出来ないんです。私のプロデュースにお金がかかりすぎているとかで、その返済が終わるまでは辞めれない契約になっているんです」
アゲハは俯きながら言う。
「なるほど、そんな契約もある……のかな?」
凱は杏咲に聞く。
「私も聞いたことはありますね。小さい事務所だと比較的良くある話だと」
「ふむ、でも、俺が助ける理由はないよね? これ以上、女の子を侍らせたくないし」
「ガイさん、言いたいことは解るけど……」
「瑞姫らにそれ話したら、どうなると思ってんだ?」
杏咲は呆れ半分で、黄泉はジト目を凱に向け、それぞれ言う。
「お願いします! 何でもしますので、どうか!」
アゲハは土下座で懇願する。
その言葉に、凱は杏咲にこの件を任せることにした。
「杏咲、この子を買い取ってもらえる?」
「そうなると思ってたわ。もう交渉済み」
「ありがとう。確か、源グループには芸能事務所があったよね?」
「ええ。【オレガノ源】。源グループが直接運営してる芸能事務所よ」
「この件、杏咲に任せる。俺は芸能界まったく解らんから、しっかり話し合って欲しい。アゲハと言ったね。キミもだから」
「は、はい! ありがとうございます! がんばります!」
そんなすったもんだの出来事を経て、パーティーは終わりを告げた。
杏咲と黄泉はそれなりに楽しんでいたが、凱はまったく楽しめなかった。
理由は怨敵の一角・桐嶋綾香との忌まわしき再会。
これが不穏な事態に発展しないよう願わずにはいられない凱であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
余談だが、竹田アゲハは後日、滞りなくオレガノ源へ移籍を果たした。
彼女のいた事務所も最初は渋っていたが、オレガノ源社長・《柴田勝信(しばた・かつのぶ)》の名を聞いた途端、即座に白旗を上げ、無条件で移籍を了承した……というのが真相であるが。
『芸能界のドン』の異名を取る柴田に逆らったが最後、芸能界追放は確定事項だからだ。
アゲハは試しに出演した動物系バラエティー番組が当たり、人気が急上昇していった。彼女が失敗すると動物たちに突っ込まれる……そのセットでのやり取りがお茶の間に笑いを提供していくことに。
かくして、竹田アゲハは後に、若くしてトップタレントの道を歩むこととなるのだが、その道程と未来は、読者の想像にお任せしよう。
25/07/02 04:54更新 / rakshasa
戻る
次へ