静鼎学園の崩壊
【Side:凱&エルノール・サバト】
笹川キングホテル襲撃の直後――
凱およびヨメンバーズの一行はエルノール・サバトの本体から離れ、高層ビルの屋上に降り立った。
それは今回の協力者である名も知らぬハッカーに、最後の仕事を頼むためだ。
凱はハッカーに、ボイスレコーダーと超小型カメラで捉えた音声や映像のデータを渡したい旨をメールで知らせる。
少ししてハッカーからも「色を付けてもらえるなら」との返答を得て、「情報は鮮度が一番だからすぐに会いたい」と場所を指定されて落ち合うこととなった。
◇◇◇◇◇◇
急行した場所は、誰も使わなくなった、人気(ひとけ)の無い公園。
人通りが一切無く、一本だけ機能している街灯も電球が切れかけ、しかも明滅を繰り返しているために周囲がとても薄暗く、車どころか人も通らないことによって生まれる静寂が不気味さを醸し出している。
全員で背中を合わせながら身構える中、その薄暗い街灯の陰から声が響く。
『これはこれは、お早いことで』
そうして現れたのは、骸骨にバイザーをかぶせたかのようなサイバーパンク丸出しの奇怪なマスクで顔を隠した、凱よりやや低めの背丈をした人間だ。
マスクはドレッドヘアのような飾りが付いており、さらにはフェイスカバーによって後頭部が完全に覆われている。かなり大きめのポンチョと厚着で身体のラインを隠し、さらには厚手のグローブにミリタリーブーツという出で立ち。
声もリバーブがかかって少し不明瞭なことから、ボイスチェンジャーを仕込んでいるのは間違いなかった。
ここまでの念の入りようでは、正体どころか男女の別すら窺い知る事も出来ない。
「お前があのハッカーでいいのか?」
『ええ。あ、私はあなた方を知ってますよ。裏で有名になり始めてますから』
メールの時と比べて多少丁寧な口調に内心で戸惑いつつも、凱たちは忍ばせていたボイスレコーダーや超小型カメラをハッカーであろう人物に手渡すと、ハッカーは即座に小脇に抱えていたノートパソコンを開き、レコーダーとカメラの解析にかかる。
素早い手つきでキーボードを打ち込んで、10分もしないうちにすべての解析を終えていた。相当な性能を備えた特注のノートパソコンであることは疑う余地が無い。
ハッカーはボイスレコーダーや超小型カメラの数々を凱たちに返すと、こう言い放つ。
『なかなかいい情報ですね。これで飯の種が増えます。では、結果が出ましたらメールしますよ』
マスクの人物はそう言って、片手をひらひらさせながら足早に立ち去る。
残された凱たち一行は釈然としないモヤモヤを抱えながら、本隊が帰還しているであろうエルノール・サバトへと帰っていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日からは少年少女たちを親元へ帰すための作業に追われた。
それと同時に、朝から新聞各社や報道機関、あらゆるメディアが賑わっていた。
かのハッカーが、凱たちの音声や画像・動画の記録を全メディアに送っていたのは間違いない。
―― 名門・静鼎学園の闇! 人身売買に強豪部と上層部が関与! 世界各国の要人を顧客にしていた! ――
こんな見出しが全国紙の一面を飾っているのだ。
静鼎学園高校のサッカー部、野球部、ラグビー部の部員全員が各部の顧問と監督らと結託し、生徒を人身売買にかける行為に関与し、これを学長や理事長が容認していた――という内容だ。
インターネット版には、その音声記録や画像も公開され、明らかに外国人であろう体格の者もいた。
各紙で様々な憶測が書かれていたものの、事件現場が笹川キングホテルであるということだけは共通していた。
そうして、過去に被害を受けた生徒の親族が、魔物娘の弁護士を通じて告訴の準備に入っていると書かれているところで記事が締め括られているのだ。
「……これで引くに引けない、か」
「当たり前じゃ。まあ、兄上は母校のみならず、大企業や警察、果てはヤクザにも狙われた。ま、遅かれ早かれじゃがな……」
凱のつぶやきにエルノールが答える。
どのみち狙われているのなら、一矢報いた方が後悔はないというもの。
激戦が避けられないところまで来た以上、覚悟を決めねばならないとの思いは凱のみならず、ヨメンバーズやエルノール・サバト全員の思いでもあるのだ。
とは言え、地下オークションの件どころか笹川キングホテルでの一件がテレビで放送されていないところを見ると、警察関係が情報規制という名の圧力をかけていることは間違いないだろう。場合によってはスポンサー企業の一角である笹川グループの関与もあるだろう。
エルノール・サバトが一丸となって身元を照合し、親元へ帰すのにそれほど日を要しなかったが、問題はそれでけではない。
それは、三門姉妹のような親を亡くしている者たちの処遇だ。
現状は風星学園特別クラスの体育館をシェルターに転用して匿うこととなり、引き続き親戚筋に手を入れていくこととなるが、難航は確実視されている。最悪の場合、魔物化させるしか手は無い。
特に地下オークションの目玉証人にされた三門姉妹は、親族一同に両親の遺産を奪い取られたばかりか、夏目会に性奴隷として地下オークションに売られるという苦難を背負い込むことになった経緯がある。人間界で生きるのは茨の道でしかないこの姉妹に関しては、魔物化を前提としたカウンセリングをしていくしかないだろう。
「三門姉妹らの問題もそうだが……静鼎の学長と理事長がこのまま黙っているはずがねえ」
「どういう事じゃ?」
「あのクソジジババ共、警察にも顔が利くみてえでな。自分たちに不利になると判断したら警察を介入させてきやがるんだ。俺の父も……そうして訴えを握り潰されたんだ――!! そして有象無象のクソ女のせいで、警察官僚と無理矢理示談させられた!!」
凱の全身に憤怒、憎悪、怨念の昏い炎が宿る。
それが核融合するかのように激しく燃え盛り、今にも爆発せんとする勢いは、例えるなら水素爆弾のようでもあった。
「兄上、ひとまず気を鎮めよ! ここでその負の力を爆発させてどうするんじゃ!」
悲痛にも近いエルノールの一喝が凱に飛ぶと、これに呼応するかの如く駆けつけた瑞姫が凱をすかさず抱きしめ、彼の中で渦巻く負の感情をある程度霧散させていく。
いずれにしても、静鼎学園――特に学長の野本宗博(のもと・むねひろ)と理事長の斎藤みやびの二人がこのまま黙っているはずが無い。
「学園長。ここは弁護士を雇ったらどうでしょう?」
瑞姫はエルノールにそう進言した。
表の社会において暴力は最大級の絶対悪であるため、表立って行なえば、警察を始めとした敵対組織の思う壺となるだけ。しかも、下手な裏社会の人間より法律に詳しい者が多いヤクザが今の状態で仕掛けてきたりでもしたら、ひとたまりもない。
「確かにのう。いずれにしても協力者を募らねばならぬ。人魔関係無しでな」
「フンッ、この日本も法匪(ほうひ/※1)や三百代言(さんびゃくだいげん/※2)、ヤクザ同然のクソ公僕だらけになっちまってっからな。奴らは法を矛にして脅し、法を盾にして裏切るだけだ。ま、そうなったら俺が生まれてきたことを泣いて後悔させながら……無様にブッ殺してやるさ! アハハハハハハ!!」
「貴様いい加減にせんか!」
法曹関係者への悪罵と殺意を平然と口にした凱に、エルノールは怒声をぶつける。
凱の言葉を抜きにしても、頼れる協力者を得られない限りはエルノール・サバト……ひいては風星学園そのものの存亡にも関わるであろうことは、現実として横たわる。
しかし、それが思いがけない縁となってつながることなるなど、誰一人として知る由もない……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【Side:静鼎学園】
時系列を少し遡り、静鼎学園の学長室では、立派なブランドもののスーツを着込んだ野本宗博(のもと・むねひろ)が、あからさまに不機嫌な表情で葉巻を吹かしていた。
その理由は全国紙の一面を飾った見出しにある。
―― 名門・静鼎学園の闇! 人身売買に強豪部と上層部が関与! 世界各国の要人を顧客にしていた! ――
静鼎学園高校のサッカー部、野球部、ラグビー部の部員全員が各部の顧問と監督らと結託し、生徒を人身売買にかける行為に関与し、これを学長や理事長が容認していた――という内容だ。インターネット版には、その音声記録や画像も公開され、明らかに外国人であろう体格の者もいる。
各紙で様々な憶測が書かれていたものの、事件現場が笹川キングホテルであるということだけは共通していた。
そうして、過去に被害を受けた生徒の親族が、魔物娘の弁護士を通じて告訴の準備に入っていると書かれているところで記事が締め括られているのだ。
怒り狂った野本は緊急職員会議を開き、次の言葉で締めくくっていた。
「教師を最低限残して火消しに回れ! それと、このふざけた記事持ち込んだクソを探し出せ! 手が回らないなら自習なり休校なりしろ!」
新聞社や週刊誌にすっぱ抜かれた以上、情報規制も緘口令も無駄であるのは理解出来ても、自分のみならず、理事長である斉藤みやびにも何らかの形で咎めが来るのは時間の問題。
野本は連帯責任の名目で総動員で事にあたらせたが、野本の執念深い性格と標的にとことん粘着する陰湿さなど、野本の習性を誰よりも知っている凱とエルノール・サバトによってすべてを阻まれた。
◇◇◇◇◇◇
火消しと犯人捜索に奔走すること数日。
静鼎学園にまたも激震が走る。
魔物娘が運営する法律事務所から訴訟が起こされたのだ。
野本にしてみれば青天の霹靂だった。
彼はすぐに警察庁に連絡を取り、弁護と同時に提訴した者を潰すよう要請するも、仲間であったはずの警察庁長官・神月利夫(こうづき・としお)から、『つまらんヘマをやらかす役立たずは知らん』と突き放されてしまう。
これだけの騒ぎが起きてしまえば、理事長の責任問題につながるのは自明の理。ましてや、引責辞任した前理事長・斎藤みやびが、生徒の商品化を黙認していたことが音声データで明らかにされたのだ。
全国大会出場を決め、活躍が期待されていた運動部が関与していたことも、斉藤に追い打ちをかけた。
この前代未聞の不祥事は、静鼎学園が先の地下オークションの斡旋ルートの一つとして協力していたことを白日の下に晒すことになり、教師・生徒を問わず、関係者に生々しい爪痕を残した。
未成年略取と人身売買に加えて強姦と虐待で訴訟を起こされ、その実行役となっていた教師数人と多数の生徒、およびその親族も一人残らず逮捕された。その全員余罪多数だったため、執行猶予無しの懲役刑は免れず、ここまでの事態となってはいかなる釈明も無意味であり、支援者が許しても世論が許さない。
そこで野本は、顧問の教師や監督に一切の責任を負わせて懲戒免職および解雇に処すことで事態の鎮静化を図った。組織では当たり前に行なわれる「蜥蜴の尻尾切り」だが、事が事だけに終息するどころか悪化の一途を辿り、学校批判はさらに強まり、遂には事件とは無関係の生徒にも追及の手が伸びる破目になるのだった。
◇◇◇◇◇◇
数日後――
野本は仇討ちをするかのような勢いで弁護士を探すが、事が事だけに「仮に弁護団を組織したとしても、万に一つも勝てる要素が無い」とことごとく断られていた。
怒った野本は記者会見を開いて事態の収束に動くも、その目論見は大失敗に終わる。
なぜなら、肝心の野本自身が記者の質問にブチ切れ、怒声を張り上げながら、こう放言してしまったのだ。
『少数の被害【妄想】を唱える馬鹿どものために、加害者にされた者を裁く権利があるか! そもそもいじめの何が悪い! いじめは人として正しい行為であり、真に裁かれるのはいじめられる者、すなわち異端分子や少数派、そして弱者だ! そんな世間一般の常識すら解らんのか貴様らは! 今すぐ保育園からやり直してこい、馬鹿野郎どもが!!』
事態の収束に最も奔走するがゆえの焦りが生んだ、支離滅裂かつ致命的な大失態だった。
記者団に放言してしまったこの一言は、たちまち全国の報道局や新聞社、週刊誌を賑わせ、静鼎学園はもはや立て直しどころではない状態にまで事態を悪化させてしまっていた。
「理事長代理……あのような発言はいくらなんでも……。これでは時節を待つしか手は……」
要するに「もう打つ手がありません」と遠回しに言っているのだ。
その瞬間、理事長代理となっていた野本は、自分の中にある何かがブチッと切れる音を確かに聞いた。
「黙れぇええぇぇっ! あぁぁあぁクソがクソがクソがあぁぁ! 今から全員で風星にカチコミだ! 戦・争・じゃぁぁ!!」
野本の思考は完全にヤクザのそれであり、その怒りは天を衝く勢いだ。
常人の域を超えた肥満体の野本は野太い怒声でがなり立て、地団太を踏み、机を殴り、灰皿や宝石の原石などを床に叩きつけながら、フゴフゴブヒブヒと汚い鼻息を鳴らす。
見るにも聞くにも堪えない醜態を晒すその姿は、とても指導者の姿ではない。
〈〈〈〈〈これが各界に有能な人材を輩出した、静鼎学園の学長なのか……〉〉〉〉〉
そんな思いが教師らの心中によぎりつつ、「癇癪が治まるまで黙ろう」と頭を低くしてやり過ごそうと思ったその時……不意に野本の怒声が止む。
ようやく癇癪が治まったのか、と恐る恐る顔を上げた教師らは驚く。
野本は拳を振り上げたまま固まっており、見ればその顔色は土気色。目の焦点が合っていないのだ。
「理事長……代、理?」
誰かが上げたその声を合図に、野本の身体がぐらりと揺れ、振り上げた拳に引っ張られるようにして背中から仰向けに倒れ込む。
だが、その先に翡翠の原石が転がっていたのが不運だった。
「ぅが――!?」
原石が野本の後頭部を直撃。
そして、これが野本の【最期の言葉】となるなど、誰も予想出来るはずがない。
「誰か、早く救急車を! 理事長代理っ! 理事長代理ぃー!!」
慌てて駆け寄る教師らが取り囲む中、野本は白目を剥き、激しく身体を痙攣させ、口から白い泡を噴いていた。
後頭部の強打に加え、体重200キロに迫る超重量のせいで病院への搬送に時間がかかったのが決定打となり、野本は病院に搬送されたと同時に息絶えた。
脳卒中と脳挫傷、二重の脳疾患だった。
◇◇◇◇◇◇
慌てた首脳部は斉藤みやびを復帰させようと、彼女の自宅を訪れた。
が、いくら呼んでも玄関から出ず、マンションの管理人に鍵を開けてもらった途端、溜め込まれていたであろう酒と汚物の臭気が玄関から吐き出されてきた。
首脳部らが顔をしかめながら部屋に入って見たものは、大量の空き瓶や空き缶、そして夫の遺影と位牌の前で泥酔しながら倒れ込み、吐瀉物塗れになった、斉藤みやびの姿。
首脳部はすぐに救急車を呼び、斉藤は病院に運ばれていった。
報せを受けて友人たちと共に病院に駆け付けた娘の斎藤美智子(さいとう・みちこ)は、老婆のようにやつれ切った母を前に茫然とした刹那、泣いた。人目も憚らず大声で、遠吠えのごとく泣いた。
「お母、さん……そ……そん、な……ぅ、うぅぅ! うぉおぉぉっ!」
「ミッチ……」
「……美智子ちゃん」
「ぉああぁあああ!」
同行していた笹川香織と真名子えりも、名前を呼ぶ以外に声をかけられなくなっていた。
「何ということだ……。静鼎は……静鼎は……お終いだぁーっ!」
虚空に首脳部の嘆きが響く――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
斉藤みやびは辛うじて一命は取り留めるも、医師から重度のアルコール依存症による入院と、更生施設への入所を宣告された。
事ここに至って、首脳部は負けを認めねばならなかった。
二人の強力な指導者を一度に失った静鼎学園首脳部は、これまでの売春斡旋で築いたコネを利用し、最後の足掻きとばかりに笹川グループ、警察庁、夏目会へ救援を要請するも、すべては遅きに失していた。
売春斡旋と人身売買を行なっていたことを暴かれたばかりか政界、財界、法曹界、警察、自衛隊、政府や裏社会との癒着も明らかとなったことで各方面から関係を切られ、巨額の賠償金と慰謝料を負い、あっという間に破綻。
学校法人静鼎学園は解散し、運営していた学校も引き取り手がおらず、廃校となった。
巨悪の一角がこうして崩れ、政界、財界、法曹界、警察の内部もこの件で魔物娘派の台頭を許していく。
そして、次なる破滅の矛先は、巨大企業・「笹川グループ」へ向けられた。
笹川キングホテル襲撃の直後――
凱およびヨメンバーズの一行はエルノール・サバトの本体から離れ、高層ビルの屋上に降り立った。
それは今回の協力者である名も知らぬハッカーに、最後の仕事を頼むためだ。
凱はハッカーに、ボイスレコーダーと超小型カメラで捉えた音声や映像のデータを渡したい旨をメールで知らせる。
少ししてハッカーからも「色を付けてもらえるなら」との返答を得て、「情報は鮮度が一番だからすぐに会いたい」と場所を指定されて落ち合うこととなった。
◇◇◇◇◇◇
急行した場所は、誰も使わなくなった、人気(ひとけ)の無い公園。
人通りが一切無く、一本だけ機能している街灯も電球が切れかけ、しかも明滅を繰り返しているために周囲がとても薄暗く、車どころか人も通らないことによって生まれる静寂が不気味さを醸し出している。
全員で背中を合わせながら身構える中、その薄暗い街灯の陰から声が響く。
『これはこれは、お早いことで』
そうして現れたのは、骸骨にバイザーをかぶせたかのようなサイバーパンク丸出しの奇怪なマスクで顔を隠した、凱よりやや低めの背丈をした人間だ。
マスクはドレッドヘアのような飾りが付いており、さらにはフェイスカバーによって後頭部が完全に覆われている。かなり大きめのポンチョと厚着で身体のラインを隠し、さらには厚手のグローブにミリタリーブーツという出で立ち。
声もリバーブがかかって少し不明瞭なことから、ボイスチェンジャーを仕込んでいるのは間違いなかった。
ここまでの念の入りようでは、正体どころか男女の別すら窺い知る事も出来ない。
「お前があのハッカーでいいのか?」
『ええ。あ、私はあなた方を知ってますよ。裏で有名になり始めてますから』
メールの時と比べて多少丁寧な口調に内心で戸惑いつつも、凱たちは忍ばせていたボイスレコーダーや超小型カメラをハッカーであろう人物に手渡すと、ハッカーは即座に小脇に抱えていたノートパソコンを開き、レコーダーとカメラの解析にかかる。
素早い手つきでキーボードを打ち込んで、10分もしないうちにすべての解析を終えていた。相当な性能を備えた特注のノートパソコンであることは疑う余地が無い。
ハッカーはボイスレコーダーや超小型カメラの数々を凱たちに返すと、こう言い放つ。
『なかなかいい情報ですね。これで飯の種が増えます。では、結果が出ましたらメールしますよ』
マスクの人物はそう言って、片手をひらひらさせながら足早に立ち去る。
残された凱たち一行は釈然としないモヤモヤを抱えながら、本隊が帰還しているであろうエルノール・サバトへと帰っていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日からは少年少女たちを親元へ帰すための作業に追われた。
それと同時に、朝から新聞各社や報道機関、あらゆるメディアが賑わっていた。
かのハッカーが、凱たちの音声や画像・動画の記録を全メディアに送っていたのは間違いない。
―― 名門・静鼎学園の闇! 人身売買に強豪部と上層部が関与! 世界各国の要人を顧客にしていた! ――
こんな見出しが全国紙の一面を飾っているのだ。
静鼎学園高校のサッカー部、野球部、ラグビー部の部員全員が各部の顧問と監督らと結託し、生徒を人身売買にかける行為に関与し、これを学長や理事長が容認していた――という内容だ。
インターネット版には、その音声記録や画像も公開され、明らかに外国人であろう体格の者もいた。
各紙で様々な憶測が書かれていたものの、事件現場が笹川キングホテルであるということだけは共通していた。
そうして、過去に被害を受けた生徒の親族が、魔物娘の弁護士を通じて告訴の準備に入っていると書かれているところで記事が締め括られているのだ。
「……これで引くに引けない、か」
「当たり前じゃ。まあ、兄上は母校のみならず、大企業や警察、果てはヤクザにも狙われた。ま、遅かれ早かれじゃがな……」
凱のつぶやきにエルノールが答える。
どのみち狙われているのなら、一矢報いた方が後悔はないというもの。
激戦が避けられないところまで来た以上、覚悟を決めねばならないとの思いは凱のみならず、ヨメンバーズやエルノール・サバト全員の思いでもあるのだ。
とは言え、地下オークションの件どころか笹川キングホテルでの一件がテレビで放送されていないところを見ると、警察関係が情報規制という名の圧力をかけていることは間違いないだろう。場合によってはスポンサー企業の一角である笹川グループの関与もあるだろう。
エルノール・サバトが一丸となって身元を照合し、親元へ帰すのにそれほど日を要しなかったが、問題はそれでけではない。
それは、三門姉妹のような親を亡くしている者たちの処遇だ。
現状は風星学園特別クラスの体育館をシェルターに転用して匿うこととなり、引き続き親戚筋に手を入れていくこととなるが、難航は確実視されている。最悪の場合、魔物化させるしか手は無い。
特に地下オークションの目玉証人にされた三門姉妹は、親族一同に両親の遺産を奪い取られたばかりか、夏目会に性奴隷として地下オークションに売られるという苦難を背負い込むことになった経緯がある。人間界で生きるのは茨の道でしかないこの姉妹に関しては、魔物化を前提としたカウンセリングをしていくしかないだろう。
「三門姉妹らの問題もそうだが……静鼎の学長と理事長がこのまま黙っているはずがねえ」
「どういう事じゃ?」
「あのクソジジババ共、警察にも顔が利くみてえでな。自分たちに不利になると判断したら警察を介入させてきやがるんだ。俺の父も……そうして訴えを握り潰されたんだ――!! そして有象無象のクソ女のせいで、警察官僚と無理矢理示談させられた!!」
凱の全身に憤怒、憎悪、怨念の昏い炎が宿る。
それが核融合するかのように激しく燃え盛り、今にも爆発せんとする勢いは、例えるなら水素爆弾のようでもあった。
「兄上、ひとまず気を鎮めよ! ここでその負の力を爆発させてどうするんじゃ!」
悲痛にも近いエルノールの一喝が凱に飛ぶと、これに呼応するかの如く駆けつけた瑞姫が凱をすかさず抱きしめ、彼の中で渦巻く負の感情をある程度霧散させていく。
いずれにしても、静鼎学園――特に学長の野本宗博(のもと・むねひろ)と理事長の斎藤みやびの二人がこのまま黙っているはずが無い。
「学園長。ここは弁護士を雇ったらどうでしょう?」
瑞姫はエルノールにそう進言した。
表の社会において暴力は最大級の絶対悪であるため、表立って行なえば、警察を始めとした敵対組織の思う壺となるだけ。しかも、下手な裏社会の人間より法律に詳しい者が多いヤクザが今の状態で仕掛けてきたりでもしたら、ひとたまりもない。
「確かにのう。いずれにしても協力者を募らねばならぬ。人魔関係無しでな」
「フンッ、この日本も法匪(ほうひ/※1)や三百代言(さんびゃくだいげん/※2)、ヤクザ同然のクソ公僕だらけになっちまってっからな。奴らは法を矛にして脅し、法を盾にして裏切るだけだ。ま、そうなったら俺が生まれてきたことを泣いて後悔させながら……無様にブッ殺してやるさ! アハハハハハハ!!」
「貴様いい加減にせんか!」
法曹関係者への悪罵と殺意を平然と口にした凱に、エルノールは怒声をぶつける。
凱の言葉を抜きにしても、頼れる協力者を得られない限りはエルノール・サバト……ひいては風星学園そのものの存亡にも関わるであろうことは、現実として横たわる。
しかし、それが思いがけない縁となってつながることなるなど、誰一人として知る由もない……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【Side:静鼎学園】
時系列を少し遡り、静鼎学園の学長室では、立派なブランドもののスーツを着込んだ野本宗博(のもと・むねひろ)が、あからさまに不機嫌な表情で葉巻を吹かしていた。
その理由は全国紙の一面を飾った見出しにある。
―― 名門・静鼎学園の闇! 人身売買に強豪部と上層部が関与! 世界各国の要人を顧客にしていた! ――
静鼎学園高校のサッカー部、野球部、ラグビー部の部員全員が各部の顧問と監督らと結託し、生徒を人身売買にかける行為に関与し、これを学長や理事長が容認していた――という内容だ。インターネット版には、その音声記録や画像も公開され、明らかに外国人であろう体格の者もいる。
各紙で様々な憶測が書かれていたものの、事件現場が笹川キングホテルであるということだけは共通していた。
そうして、過去に被害を受けた生徒の親族が、魔物娘の弁護士を通じて告訴の準備に入っていると書かれているところで記事が締め括られているのだ。
怒り狂った野本は緊急職員会議を開き、次の言葉で締めくくっていた。
「教師を最低限残して火消しに回れ! それと、このふざけた記事持ち込んだクソを探し出せ! 手が回らないなら自習なり休校なりしろ!」
新聞社や週刊誌にすっぱ抜かれた以上、情報規制も緘口令も無駄であるのは理解出来ても、自分のみならず、理事長である斉藤みやびにも何らかの形で咎めが来るのは時間の問題。
野本は連帯責任の名目で総動員で事にあたらせたが、野本の執念深い性格と標的にとことん粘着する陰湿さなど、野本の習性を誰よりも知っている凱とエルノール・サバトによってすべてを阻まれた。
◇◇◇◇◇◇
火消しと犯人捜索に奔走すること数日。
静鼎学園にまたも激震が走る。
魔物娘が運営する法律事務所から訴訟が起こされたのだ。
野本にしてみれば青天の霹靂だった。
彼はすぐに警察庁に連絡を取り、弁護と同時に提訴した者を潰すよう要請するも、仲間であったはずの警察庁長官・神月利夫(こうづき・としお)から、『つまらんヘマをやらかす役立たずは知らん』と突き放されてしまう。
これだけの騒ぎが起きてしまえば、理事長の責任問題につながるのは自明の理。ましてや、引責辞任した前理事長・斎藤みやびが、生徒の商品化を黙認していたことが音声データで明らかにされたのだ。
全国大会出場を決め、活躍が期待されていた運動部が関与していたことも、斉藤に追い打ちをかけた。
この前代未聞の不祥事は、静鼎学園が先の地下オークションの斡旋ルートの一つとして協力していたことを白日の下に晒すことになり、教師・生徒を問わず、関係者に生々しい爪痕を残した。
未成年略取と人身売買に加えて強姦と虐待で訴訟を起こされ、その実行役となっていた教師数人と多数の生徒、およびその親族も一人残らず逮捕された。その全員余罪多数だったため、執行猶予無しの懲役刑は免れず、ここまでの事態となってはいかなる釈明も無意味であり、支援者が許しても世論が許さない。
そこで野本は、顧問の教師や監督に一切の責任を負わせて懲戒免職および解雇に処すことで事態の鎮静化を図った。組織では当たり前に行なわれる「蜥蜴の尻尾切り」だが、事が事だけに終息するどころか悪化の一途を辿り、学校批判はさらに強まり、遂には事件とは無関係の生徒にも追及の手が伸びる破目になるのだった。
◇◇◇◇◇◇
数日後――
野本は仇討ちをするかのような勢いで弁護士を探すが、事が事だけに「仮に弁護団を組織したとしても、万に一つも勝てる要素が無い」とことごとく断られていた。
怒った野本は記者会見を開いて事態の収束に動くも、その目論見は大失敗に終わる。
なぜなら、肝心の野本自身が記者の質問にブチ切れ、怒声を張り上げながら、こう放言してしまったのだ。
『少数の被害【妄想】を唱える馬鹿どものために、加害者にされた者を裁く権利があるか! そもそもいじめの何が悪い! いじめは人として正しい行為であり、真に裁かれるのはいじめられる者、すなわち異端分子や少数派、そして弱者だ! そんな世間一般の常識すら解らんのか貴様らは! 今すぐ保育園からやり直してこい、馬鹿野郎どもが!!』
事態の収束に最も奔走するがゆえの焦りが生んだ、支離滅裂かつ致命的な大失態だった。
記者団に放言してしまったこの一言は、たちまち全国の報道局や新聞社、週刊誌を賑わせ、静鼎学園はもはや立て直しどころではない状態にまで事態を悪化させてしまっていた。
「理事長代理……あのような発言はいくらなんでも……。これでは時節を待つしか手は……」
要するに「もう打つ手がありません」と遠回しに言っているのだ。
その瞬間、理事長代理となっていた野本は、自分の中にある何かがブチッと切れる音を確かに聞いた。
「黙れぇええぇぇっ! あぁぁあぁクソがクソがクソがあぁぁ! 今から全員で風星にカチコミだ! 戦・争・じゃぁぁ!!」
野本の思考は完全にヤクザのそれであり、その怒りは天を衝く勢いだ。
常人の域を超えた肥満体の野本は野太い怒声でがなり立て、地団太を踏み、机を殴り、灰皿や宝石の原石などを床に叩きつけながら、フゴフゴブヒブヒと汚い鼻息を鳴らす。
見るにも聞くにも堪えない醜態を晒すその姿は、とても指導者の姿ではない。
〈〈〈〈〈これが各界に有能な人材を輩出した、静鼎学園の学長なのか……〉〉〉〉〉
そんな思いが教師らの心中によぎりつつ、「癇癪が治まるまで黙ろう」と頭を低くしてやり過ごそうと思ったその時……不意に野本の怒声が止む。
ようやく癇癪が治まったのか、と恐る恐る顔を上げた教師らは驚く。
野本は拳を振り上げたまま固まっており、見ればその顔色は土気色。目の焦点が合っていないのだ。
「理事長……代、理?」
誰かが上げたその声を合図に、野本の身体がぐらりと揺れ、振り上げた拳に引っ張られるようにして背中から仰向けに倒れ込む。
だが、その先に翡翠の原石が転がっていたのが不運だった。
「ぅが――!?」
原石が野本の後頭部を直撃。
そして、これが野本の【最期の言葉】となるなど、誰も予想出来るはずがない。
「誰か、早く救急車を! 理事長代理っ! 理事長代理ぃー!!」
慌てて駆け寄る教師らが取り囲む中、野本は白目を剥き、激しく身体を痙攣させ、口から白い泡を噴いていた。
後頭部の強打に加え、体重200キロに迫る超重量のせいで病院への搬送に時間がかかったのが決定打となり、野本は病院に搬送されたと同時に息絶えた。
脳卒中と脳挫傷、二重の脳疾患だった。
◇◇◇◇◇◇
慌てた首脳部は斉藤みやびを復帰させようと、彼女の自宅を訪れた。
が、いくら呼んでも玄関から出ず、マンションの管理人に鍵を開けてもらった途端、溜め込まれていたであろう酒と汚物の臭気が玄関から吐き出されてきた。
首脳部らが顔をしかめながら部屋に入って見たものは、大量の空き瓶や空き缶、そして夫の遺影と位牌の前で泥酔しながら倒れ込み、吐瀉物塗れになった、斉藤みやびの姿。
首脳部はすぐに救急車を呼び、斉藤は病院に運ばれていった。
報せを受けて友人たちと共に病院に駆け付けた娘の斎藤美智子(さいとう・みちこ)は、老婆のようにやつれ切った母を前に茫然とした刹那、泣いた。人目も憚らず大声で、遠吠えのごとく泣いた。
「お母、さん……そ……そん、な……ぅ、うぅぅ! うぉおぉぉっ!」
「ミッチ……」
「……美智子ちゃん」
「ぉああぁあああ!」
同行していた笹川香織と真名子えりも、名前を呼ぶ以外に声をかけられなくなっていた。
「何ということだ……。静鼎は……静鼎は……お終いだぁーっ!」
虚空に首脳部の嘆きが響く――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
斉藤みやびは辛うじて一命は取り留めるも、医師から重度のアルコール依存症による入院と、更生施設への入所を宣告された。
事ここに至って、首脳部は負けを認めねばならなかった。
二人の強力な指導者を一度に失った静鼎学園首脳部は、これまでの売春斡旋で築いたコネを利用し、最後の足掻きとばかりに笹川グループ、警察庁、夏目会へ救援を要請するも、すべては遅きに失していた。
売春斡旋と人身売買を行なっていたことを暴かれたばかりか政界、財界、法曹界、警察、自衛隊、政府や裏社会との癒着も明らかとなったことで各方面から関係を切られ、巨額の賠償金と慰謝料を負い、あっという間に破綻。
学校法人静鼎学園は解散し、運営していた学校も引き取り手がおらず、廃校となった。
巨悪の一角がこうして崩れ、政界、財界、法曹界、警察の内部もこの件で魔物娘派の台頭を許していく。
そして、次なる破滅の矛先は、巨大企業・「笹川グループ」へ向けられた。
23/08/20 21:19更新 / rakshasa
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