動き出した裏社会・後編
【Side:???】
凱たちが学園に戻って少しした頃の、とあるビルの一室――
そこに置かれたソファーに寝転がって携帯ゲーム機をいじるライダースーツの女に、男が声をかける。
「姉御ぉー!」
「あぁ? うっせぇなぁ、今いいトコなんだからジャマすんな」
「そ、それが、隼人のヤツが――」
言うが早いか、女は携帯ゲーム機をソファーに放り投げ、男の胸ぐらを掴んで凄む。
「おいっ! 隼人のヤツがナニやってんだよ! 他んとこのシマに手ぇ出しやがったな!? あれほど言ったろうが、夏目会と笹川グループは昵懇(じっこん)なんだぞ。その二つのシマァ荒らしたらおしまいなんだよ、私ら――鷲津(わしづ)組そのものがな」
「いえ……それが……どうも違うみたいで……」
「?」
タイミングを計るように隼人が現れる。
その表情はかなり浮かない。
「おい……何があった、って、おい。お前、靴は?」
凱に捨てられた靴は結局見つけられず、靴下のまま帰ってきたのだ。
女は隼人を問い質すが、押し黙ったまま。
「……おいテメー、この私を、鷲津組組長・鷲津一未(わしづ・かずみ)と知ってて黙ってるんだな? あ? 仲野隼人(なかの・はやと)よぉ?」
鷲津一未と名乗った女は、そう言いながら凄む。
「……風星のドラゴンたちに、やられちまいました……」
「はぁ!? 何やったんだ、お前!?」
「……食ってやろうとした女の家にいて、俺にメシ出さなかったから脅してやっただけっす」
「たったそれだけぇ!?」
一未は絶句しつつも、何とか言葉を紡ぎ出す。
「……バカかテメーは」
「俺が食う女のところにいる奴が悪いっすよ」
「テメーなぁ……龍堂瑞姫は笹川グループがご所望なんだよ! それを何だ、わざわざ敵対する真似しやがって!」
「だ、だから、俺が食う女のところにいる奴が悪いし、俺にメシ出さねー奴が悪いんすよ」
あくまでも「俺は何も悪くない」と言い張って、悪びれもしない隼人の姿は非常識丸出しなチンピラそのものだ。その醜態ぶりに、一未は呆れる他ない。
「ったく……面倒なことになったぜ。これじゃ夏目会と笹川グループからお叱り食らうじゃねぇかよ」
「え? 何でっすか?」
刑事事件を複数起こして超底辺の高校を二か月で放校され、少年院行き。ギャンブル癖が酷く、女癖も物凄く悪い――これが仲野隼人という《類人猿(にんげん)》が持つすべてである。
一未のように女の身でありながら暴力団の頭を張るほどの度胸と才覚を、ギャンブルと肉欲しか追い求めないこの男が持ち合わせているはずもない。
結局、隼人は組員から殴られ蹴られで、ようやく自分の身に起こった事を話した。
十分足らずの出来事を話すのに一時間を要して、である。
「あーぁ。こりゃぁ、お叱り食らう前に私らでカタつけるしかねぇな」
一未は盛大にぼやき始める。
「うちはシノギ増やしたい、人も欲しいで大変だってのによ。この前のダンプだって、うちが用意したんだぞ。これで失敗したら隼人、責任は全部テメーに行くからな。覚えとけや」
少しの間無言になる室内。そこに組員の一人が口を開く。
「あの、本当にやるんすか?」
「あぁ、逆に考えりゃ、鷲津組を売り出せるチャンスだってことだ。伸るか反るかの大博打だがな」
一未は煙草に火をつけると、遠くを見ながら煙草を吹かし、そう呟く。
「標的は龍堂瑞姫、ついでに本宮ななみもだ。幸いうちには女ぶっ壊す専門がいるしな。それに明日は日曜。リボードグループ横浜の支社長と全店長が、夏目会総裁のお招きで東京競馬場に出向く日だ。いい機会じゃないか?」
それを聞いた男たちは息を飲むが、一未は構わず号令をかけた。
「標的が本宮ななみに接触したってなれば、こっちが手を出せば必ず標的は喰いつく。そこを一網打尽だ。今日はもう遅い、明日、日の出から本宮のマンションを張れ。出てきたらとっ捕まえて、こっちに連絡しろ。それまで休んで精力つけとけよ」
一未はななみのマンションへ、翌日早朝から数人で見張りに付くよう告げると、解散を命じる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【Side:凱&ヨメンバーズ】
特別寮に戻った凱は、残っていたヨメンバーズを自室に集め、今後の対策を協議していた。
利益のためなら手段を選ばず、わずかでもプライドを損なえば容赦なく仕返しをかけてくる、そんなヤクザのプライドの高さを警戒していたのだ。
そこに電話が鳴り響く。エルノール・サバトとの直通電話である。
電話の内容は「設置のパソコン内に匿名のメールが届き、夏目会の動きやその末端組織が女性の拉致に動く事をリークしてきた」というものである。
パソコンは人間界に住まう魔物娘であればある程度操作に慣れるが、順応性が最も早いのはグレムリンだ。
エルノール・サバトにはグレムリンが五人属しており、彼女らの任務はネットサーフィンを兼ねた情報の収集である。
情報社会である人間界において、インターネットは情報の拡散が非常に早いツールであるがゆえに、賞賛よりも悪意の篭った書き込みや投稿ほど拡散が早い。
そこにセキュリティを掻い潜ってきたメールが送られてきたのだ。
凱とヨメンバーズは急いでエルノール・サバトの地下基地に向かい、メールの内容を確認する。メールにはこう書かれていた。
『風星学園にダンプカーを使って押しかけて来たのは鷲津組だ。やつらは夏目会でも一二を争う、汚れ仕事専門のチンピラ集団だ。明日にでも本宮ななみの拉致に動くだろう。また、数日後には世界中のVIPを相手に、性奴隷のオークションが行われる。場所は笹川キングホテルの地下特設会場。夏目会が主宰を務め、笹川商事、静鼎学園、警察が協賛している。もし、日本そのものを相手に戦う覚悟があるなら、笹川キングホテルの見取り図と当日の配置図をやろう。こちらも危ない橋を渡っている以上、当然報酬は貰う』
報酬を要求するところがちゃっかりしている。
そのような事が出来るのはハッカー、もしくはクラッカーしかいない。
「ハッカー、か……。クノイチたちに危ない橋を渡らせるよりは、安全なんだろうか?」
凱がそう呟くと、瑞姫がエルノールに訴え出る。
「学園長! わたしはこのハッカーの提案を受けるべきだと思います! みんなを守れるなら、わたしはお金なんて惜しくない!」
裏付けも無いのに提案を受けるのは危険なだけだが、エルノールはグレムリンたちに交渉と裏付けを急がせる。彼女とて、配下や応援の魔物娘たちをむざむざ失う真似をしたくないのだ。
一時間ほどして、ハッカーから『条件に応じよう。ただし、これ以上の余計な詮索はやめろ。さもなくば風星学園の内部を世界中に公表する』と裏付けに気付かれはしたが、交渉には応じる姿勢の返事が来た。
ただ、凱は「なぜ自分たちに協力するのか?」との疑問で一杯だった。
そこで彼は『報酬を払う前に、どうして我々に協力するのか教えて欲しい。それを教えてくれたなら約束通り報酬を払うし、そちらへの詮索は今後一切しない。けれど詐欺であるならば、こちらにも考えがある』とハッカーと思しき者へメールを送る。
こちらも一時間くらいした頃、次の内容で返事が帰ってきた。
『昔、親戚が竜宮凱、今の龍堂凱とその父親に助けられたからだ。彼らは恩返しが出来ないまま、周囲からの嫌がらせによって町を出て行かされた。彼らは今も自分たちの力の無さを悔いている。お前たちに力を貸すのは、龍堂凱への恩返しと思って欲しい。その答えで満足してくれることを祈る。報酬は百万でいい。出来るだけ早めに頼む。この口座に振り込んでくれ』
その文章の下には指定の口座番号が記されている。
報酬で百万は高額である。けれど、迷う余裕も時間も無いは事実。
エルノールの判断も仰ぎ、凱はネットバンク経由で百万を支払った。
後はこれが詐欺ではないことを祈るしかなかった。
もっとも、詐欺であったならば徹底的に調べ上げて、全力で報復するだけだが。
哀しいかな、特殊詐欺と呼ばれる類の詐欺行為は日本で多岐に渡って横行している。
大概はヤクザの末端組織が資金調達目的に行っているが、そうでない犯罪グループも利益目的に行っているのだ。日本人の情に付け込むあくどいやり口は、近年では海外の犯罪者たちも目を付けて模倣しているのだから始末に負えない。
日本の警察も今では夏目会と懇意にしているまでに腐敗してしており、魔物娘の警官も当てに出来るか分からないのが現状である。
ゆえに、凱には法を侵す事を躊躇う余裕など無かったのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一未の元にななみがマンションを出たとの知らせが届いたのは、翌日の夕方。
彼女はすぐに組員を集め、号令をかけた。
「さぁ兄弟たち……仕事だ」
買い物のためにマンションを出たななみの行く手を見張りの組員が塞ぎ、それから少しして黒塗りのNV350キャラバン三台が行く手を塞ぐ。
そこから続々と降りる集団の中に、下卑た顔をした仲野隼人もいた。
一番最後に降りてきた黒いライダースーツの女――一未が有無を言わさず、ななみの手首を掴んでキャラバンに引き込もうとする。
だが、その一未の手首を掴む者がいた。凱である。しかも瑞姫にルキナ、ゼロの隊員たちもいる。
これに男たちが殺気を飛ばして動き出す。
「こういう事だったか」
「何だテメー。そっちから連れてくるたぁ丁度いいぜ」
「姉御! そいつ殺(や)っていいっすか!?」
「ああ、遠慮なく殺りな。男のガキに用はねぇ」
臆面も無く堂々と言い放った一未のこの言葉に、今度はゼロの隊員たちの目つきが変わる。
「それは我らに喧嘩を売る、ってことでいいのかい?」
ルキナによる気迫の篭った言葉に男たちが後ずさるが、一未だけは違った。
「あ? なんだぁテメーらぁ。テメーらこそ本職に喧嘩売ってタダで済むと思ってんのか? その白いドラゴンを素直に渡しゃぁそれで済むんだ。夏目会に逆らうとどうなるか、わかってんのか?」
淡々と、それでいて凄みの効いた返答。小規模とはいえ女の身でヤクザの組長の座にいるのは伊達ではない。
だが、凱もそうだが誰も動じない。
「夏目会だか落目(おちめ)会だか知らねえが、その中でも汚れ仕事を真っ先に請け負う、売名に必死なチンピラ崩れどもが偉そうにほざくんじゃねえ。この前、ダンプ嗾けて来たのはテメェらだろ? 恫喝や拉致監禁、地上げ、そして強姦しか能のねえ害虫どもが!」
凱の言葉に一未のこめかみに青筋が浮かび、組員たちも茹蛸のように顔を怒りに染める。
「姉御から手ぇ放せや、ガキィ!」
男の一人が気を取り直して凱に殴り掛かる。
だが、それは凱に届く事は無く、ワイバーンの一人に鮮やかに蹴られ、転倒させられていた。
そこからは一方的な蹂躙劇だった。
ドラゴン、ワイバーン、ワームの混成集団がヤクザの男たちを滅多打ちにしたのである。
人間と竜族の力は天地の差。まして弱者をいたぶって強者を気取るヤクザたちに竜族が負けるはずもない。
拳銃を必要数揃えられなかった鷲津組の財力の低さも、敗因の一つであろう。
「なんだよ……弱すぎて組手の相手にもなりゃしない。《図鑑世界(あっち)》の盗賊団の方がまだ歯ごたえあるよ。ただのクズじゃんか、こいつら」
ワームの一人が袋叩きにされたヤクザを見てぼやくと、「ホントだわ」などと嘲笑が飛ぶ。
鷲津一未はというと――凱から強烈なビンタを受けたのが起点となり、ムエタイの首相撲のような体勢からの腹への膝蹴り連打、顔面への肘打ちと膝蹴り、そして顔面への気弾で吹き飛ばされてしまった。
女にすら容赦しなくなった凱に反撃も出来ないまま、アスファルトの上を無様に転がされた一未は起き上がる途中で意識を手放してしまう。
そこからすぐ、駆けつけた亜莉亜のデスストーカーの餌食となり、全員、数日前の記憶まで戻されてしまうことになる。
だが、近隣住民が続々と出てきて野次馬を形成してしまっており、警察を呼ばれる危険性が高まってしまっていた。中には写メを取っている者すらいたのだ。
この時、凱は策を閃き、一未が持っていたスマートフォンを取り出し、電話帳検索を始める。そこに「本部長」の文字を見つけた凱はショートメールを利用し、『夏目落ち目のおしめ会 おもらしおしめのクソー裁 おまるの上で引き篭もれ』――との文章を打ち込み、送り付けた。
「ククク、これでこいつらは終わりだな」
邪悪な笑みを浮かべる凱を余所に、ななみはその間に亜莉亜から渡されたエルノールの手紙を読み、多少の逡巡したものの、エルノール・サバトからの一時保護を受ける事を了承した。
修一だけでなく、親族、友人であっても口外禁止との条件付きで――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
後日――
修一は、「龍堂瑞姫の確保に失敗した」と怒り狂った笹川商事総帥から責任のすべてを背負う形で懲戒解雇にされ、電話に出ないななみを心配して家に帰るも、彼女は姿を消していた。
神田を筆頭にななみを狙っていた者はそのまま彼女をものにしようとしたが、すでにエルノール・サバトが匿っていたのを知らない彼らはななみの所在を掴む事が出来ず、妻が消えて困惑する修一を委細構わず締め上げるも、神田たちは何の成果も得られなかった。
ななみに去られた(と思い込んでいる)修一はすっかり憔悴し、無職になって部屋に引き篭もっていた。鍵を掛け、インターホンや電話の電源をすべて切り、カーテンも閉め切ってしまっていたのだ。
薄暗い部屋の中、ソファーに座りながら中空を見つめる修一の目の前に、突如魔力の奔流が襲い来る。
何事かと驚く彼の前に黒い円が浮かび上がり、そこから人の手足が出てきて、その姿を現す。
「そんな、え――!」
出てきたのはエルノールとななみだった。
「修一さん!」
言うが早いか修一に抱きつくななみ。エルノールは一つ咳払いをして告げる。
「お主を騙して済まぬ。じゃが、こうでもしなければそ奴は穢されておった。お主がクビにされる事は想定済みじゃったからな。それに言ったじゃろう、お主等の仕事の世話はしてやるとな」
すべてを見通した上での行動だったことを知った修一は遂に観念する。
彼はエルノールから風星学園学生寮で、ななみと一緒に住み込みの寮長・寮母をやってもらう事を聞かれされた。
どの学生寮になるかはこれから人事調整をしなければならず、当面はエルノール・サバト地下基地で夫婦一緒に身を隠す事になる。
修一は翌日から、ななみと共に引っ越しの準備を始め、不動産屋へ契約解除を申請していた。一週間後には、まとめ上げた荷物をエルノール・サバトがポータル経由で回収に来て、次々と運び出していく。
本宮夫妻は電気もガスも止めた上で、すべてが無くなった部屋のドアを施錠。
ポータルを通って、エルノール・サバト地下基地へと転移すると、ポータルは一気に縮んで霧散したのだった。
なお、この間に拡散されていた写真や動画、ブログなどがいつの間にか削除されており、例のハッカーがやったものと思われたが、決め手となるものは何一つ見つからなかった。
◇◇◇◇◇◇
時は少し遡り――
鷲津組は後日開かれた夏目会の定期総会において、隼人の独断行動が招いた失態の責任を取らされ、吊るし上げを食らった。
おまけに凱が秘かに仕込んでおいたメールが総裁の逆鱗に触れたため、解体と破門の後、粛清される破目となる。
そしてこれが、戦端を開くきっかけになろうとは、この時誰も想像だにしていなかった。
なお、一未を始めとした『元』鷲津組の面々のその後は――
――読者の想像にお任せしよう。
凱たちが学園に戻って少しした頃の、とあるビルの一室――
そこに置かれたソファーに寝転がって携帯ゲーム機をいじるライダースーツの女に、男が声をかける。
「姉御ぉー!」
「あぁ? うっせぇなぁ、今いいトコなんだからジャマすんな」
「そ、それが、隼人のヤツが――」
言うが早いか、女は携帯ゲーム機をソファーに放り投げ、男の胸ぐらを掴んで凄む。
「おいっ! 隼人のヤツがナニやってんだよ! 他んとこのシマに手ぇ出しやがったな!? あれほど言ったろうが、夏目会と笹川グループは昵懇(じっこん)なんだぞ。その二つのシマァ荒らしたらおしまいなんだよ、私ら――鷲津(わしづ)組そのものがな」
「いえ……それが……どうも違うみたいで……」
「?」
タイミングを計るように隼人が現れる。
その表情はかなり浮かない。
「おい……何があった、って、おい。お前、靴は?」
凱に捨てられた靴は結局見つけられず、靴下のまま帰ってきたのだ。
女は隼人を問い質すが、押し黙ったまま。
「……おいテメー、この私を、鷲津組組長・鷲津一未(わしづ・かずみ)と知ってて黙ってるんだな? あ? 仲野隼人(なかの・はやと)よぉ?」
鷲津一未と名乗った女は、そう言いながら凄む。
「……風星のドラゴンたちに、やられちまいました……」
「はぁ!? 何やったんだ、お前!?」
「……食ってやろうとした女の家にいて、俺にメシ出さなかったから脅してやっただけっす」
「たったそれだけぇ!?」
一未は絶句しつつも、何とか言葉を紡ぎ出す。
「……バカかテメーは」
「俺が食う女のところにいる奴が悪いっすよ」
「テメーなぁ……龍堂瑞姫は笹川グループがご所望なんだよ! それを何だ、わざわざ敵対する真似しやがって!」
「だ、だから、俺が食う女のところにいる奴が悪いし、俺にメシ出さねー奴が悪いんすよ」
あくまでも「俺は何も悪くない」と言い張って、悪びれもしない隼人の姿は非常識丸出しなチンピラそのものだ。その醜態ぶりに、一未は呆れる他ない。
「ったく……面倒なことになったぜ。これじゃ夏目会と笹川グループからお叱り食らうじゃねぇかよ」
「え? 何でっすか?」
刑事事件を複数起こして超底辺の高校を二か月で放校され、少年院行き。ギャンブル癖が酷く、女癖も物凄く悪い――これが仲野隼人という《類人猿(にんげん)》が持つすべてである。
一未のように女の身でありながら暴力団の頭を張るほどの度胸と才覚を、ギャンブルと肉欲しか追い求めないこの男が持ち合わせているはずもない。
結局、隼人は組員から殴られ蹴られで、ようやく自分の身に起こった事を話した。
十分足らずの出来事を話すのに一時間を要して、である。
「あーぁ。こりゃぁ、お叱り食らう前に私らでカタつけるしかねぇな」
一未は盛大にぼやき始める。
「うちはシノギ増やしたい、人も欲しいで大変だってのによ。この前のダンプだって、うちが用意したんだぞ。これで失敗したら隼人、責任は全部テメーに行くからな。覚えとけや」
少しの間無言になる室内。そこに組員の一人が口を開く。
「あの、本当にやるんすか?」
「あぁ、逆に考えりゃ、鷲津組を売り出せるチャンスだってことだ。伸るか反るかの大博打だがな」
一未は煙草に火をつけると、遠くを見ながら煙草を吹かし、そう呟く。
「標的は龍堂瑞姫、ついでに本宮ななみもだ。幸いうちには女ぶっ壊す専門がいるしな。それに明日は日曜。リボードグループ横浜の支社長と全店長が、夏目会総裁のお招きで東京競馬場に出向く日だ。いい機会じゃないか?」
それを聞いた男たちは息を飲むが、一未は構わず号令をかけた。
「標的が本宮ななみに接触したってなれば、こっちが手を出せば必ず標的は喰いつく。そこを一網打尽だ。今日はもう遅い、明日、日の出から本宮のマンションを張れ。出てきたらとっ捕まえて、こっちに連絡しろ。それまで休んで精力つけとけよ」
一未はななみのマンションへ、翌日早朝から数人で見張りに付くよう告げると、解散を命じる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【Side:凱&ヨメンバーズ】
特別寮に戻った凱は、残っていたヨメンバーズを自室に集め、今後の対策を協議していた。
利益のためなら手段を選ばず、わずかでもプライドを損なえば容赦なく仕返しをかけてくる、そんなヤクザのプライドの高さを警戒していたのだ。
そこに電話が鳴り響く。エルノール・サバトとの直通電話である。
電話の内容は「設置のパソコン内に匿名のメールが届き、夏目会の動きやその末端組織が女性の拉致に動く事をリークしてきた」というものである。
パソコンは人間界に住まう魔物娘であればある程度操作に慣れるが、順応性が最も早いのはグレムリンだ。
エルノール・サバトにはグレムリンが五人属しており、彼女らの任務はネットサーフィンを兼ねた情報の収集である。
情報社会である人間界において、インターネットは情報の拡散が非常に早いツールであるがゆえに、賞賛よりも悪意の篭った書き込みや投稿ほど拡散が早い。
そこにセキュリティを掻い潜ってきたメールが送られてきたのだ。
凱とヨメンバーズは急いでエルノール・サバトの地下基地に向かい、メールの内容を確認する。メールにはこう書かれていた。
『風星学園にダンプカーを使って押しかけて来たのは鷲津組だ。やつらは夏目会でも一二を争う、汚れ仕事専門のチンピラ集団だ。明日にでも本宮ななみの拉致に動くだろう。また、数日後には世界中のVIPを相手に、性奴隷のオークションが行われる。場所は笹川キングホテルの地下特設会場。夏目会が主宰を務め、笹川商事、静鼎学園、警察が協賛している。もし、日本そのものを相手に戦う覚悟があるなら、笹川キングホテルの見取り図と当日の配置図をやろう。こちらも危ない橋を渡っている以上、当然報酬は貰う』
報酬を要求するところがちゃっかりしている。
そのような事が出来るのはハッカー、もしくはクラッカーしかいない。
「ハッカー、か……。クノイチたちに危ない橋を渡らせるよりは、安全なんだろうか?」
凱がそう呟くと、瑞姫がエルノールに訴え出る。
「学園長! わたしはこのハッカーの提案を受けるべきだと思います! みんなを守れるなら、わたしはお金なんて惜しくない!」
裏付けも無いのに提案を受けるのは危険なだけだが、エルノールはグレムリンたちに交渉と裏付けを急がせる。彼女とて、配下や応援の魔物娘たちをむざむざ失う真似をしたくないのだ。
一時間ほどして、ハッカーから『条件に応じよう。ただし、これ以上の余計な詮索はやめろ。さもなくば風星学園の内部を世界中に公表する』と裏付けに気付かれはしたが、交渉には応じる姿勢の返事が来た。
ただ、凱は「なぜ自分たちに協力するのか?」との疑問で一杯だった。
そこで彼は『報酬を払う前に、どうして我々に協力するのか教えて欲しい。それを教えてくれたなら約束通り報酬を払うし、そちらへの詮索は今後一切しない。けれど詐欺であるならば、こちらにも考えがある』とハッカーと思しき者へメールを送る。
こちらも一時間くらいした頃、次の内容で返事が帰ってきた。
『昔、親戚が竜宮凱、今の龍堂凱とその父親に助けられたからだ。彼らは恩返しが出来ないまま、周囲からの嫌がらせによって町を出て行かされた。彼らは今も自分たちの力の無さを悔いている。お前たちに力を貸すのは、龍堂凱への恩返しと思って欲しい。その答えで満足してくれることを祈る。報酬は百万でいい。出来るだけ早めに頼む。この口座に振り込んでくれ』
その文章の下には指定の口座番号が記されている。
報酬で百万は高額である。けれど、迷う余裕も時間も無いは事実。
エルノールの判断も仰ぎ、凱はネットバンク経由で百万を支払った。
後はこれが詐欺ではないことを祈るしかなかった。
もっとも、詐欺であったならば徹底的に調べ上げて、全力で報復するだけだが。
哀しいかな、特殊詐欺と呼ばれる類の詐欺行為は日本で多岐に渡って横行している。
大概はヤクザの末端組織が資金調達目的に行っているが、そうでない犯罪グループも利益目的に行っているのだ。日本人の情に付け込むあくどいやり口は、近年では海外の犯罪者たちも目を付けて模倣しているのだから始末に負えない。
日本の警察も今では夏目会と懇意にしているまでに腐敗してしており、魔物娘の警官も当てに出来るか分からないのが現状である。
ゆえに、凱には法を侵す事を躊躇う余裕など無かったのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一未の元にななみがマンションを出たとの知らせが届いたのは、翌日の夕方。
彼女はすぐに組員を集め、号令をかけた。
「さぁ兄弟たち……仕事だ」
買い物のためにマンションを出たななみの行く手を見張りの組員が塞ぎ、それから少しして黒塗りのNV350キャラバン三台が行く手を塞ぐ。
そこから続々と降りる集団の中に、下卑た顔をした仲野隼人もいた。
一番最後に降りてきた黒いライダースーツの女――一未が有無を言わさず、ななみの手首を掴んでキャラバンに引き込もうとする。
だが、その一未の手首を掴む者がいた。凱である。しかも瑞姫にルキナ、ゼロの隊員たちもいる。
これに男たちが殺気を飛ばして動き出す。
「こういう事だったか」
「何だテメー。そっちから連れてくるたぁ丁度いいぜ」
「姉御! そいつ殺(や)っていいっすか!?」
「ああ、遠慮なく殺りな。男のガキに用はねぇ」
臆面も無く堂々と言い放った一未のこの言葉に、今度はゼロの隊員たちの目つきが変わる。
「それは我らに喧嘩を売る、ってことでいいのかい?」
ルキナによる気迫の篭った言葉に男たちが後ずさるが、一未だけは違った。
「あ? なんだぁテメーらぁ。テメーらこそ本職に喧嘩売ってタダで済むと思ってんのか? その白いドラゴンを素直に渡しゃぁそれで済むんだ。夏目会に逆らうとどうなるか、わかってんのか?」
淡々と、それでいて凄みの効いた返答。小規模とはいえ女の身でヤクザの組長の座にいるのは伊達ではない。
だが、凱もそうだが誰も動じない。
「夏目会だか落目(おちめ)会だか知らねえが、その中でも汚れ仕事を真っ先に請け負う、売名に必死なチンピラ崩れどもが偉そうにほざくんじゃねえ。この前、ダンプ嗾けて来たのはテメェらだろ? 恫喝や拉致監禁、地上げ、そして強姦しか能のねえ害虫どもが!」
凱の言葉に一未のこめかみに青筋が浮かび、組員たちも茹蛸のように顔を怒りに染める。
「姉御から手ぇ放せや、ガキィ!」
男の一人が気を取り直して凱に殴り掛かる。
だが、それは凱に届く事は無く、ワイバーンの一人に鮮やかに蹴られ、転倒させられていた。
そこからは一方的な蹂躙劇だった。
ドラゴン、ワイバーン、ワームの混成集団がヤクザの男たちを滅多打ちにしたのである。
人間と竜族の力は天地の差。まして弱者をいたぶって強者を気取るヤクザたちに竜族が負けるはずもない。
拳銃を必要数揃えられなかった鷲津組の財力の低さも、敗因の一つであろう。
「なんだよ……弱すぎて組手の相手にもなりゃしない。《図鑑世界(あっち)》の盗賊団の方がまだ歯ごたえあるよ。ただのクズじゃんか、こいつら」
ワームの一人が袋叩きにされたヤクザを見てぼやくと、「ホントだわ」などと嘲笑が飛ぶ。
鷲津一未はというと――凱から強烈なビンタを受けたのが起点となり、ムエタイの首相撲のような体勢からの腹への膝蹴り連打、顔面への肘打ちと膝蹴り、そして顔面への気弾で吹き飛ばされてしまった。
女にすら容赦しなくなった凱に反撃も出来ないまま、アスファルトの上を無様に転がされた一未は起き上がる途中で意識を手放してしまう。
そこからすぐ、駆けつけた亜莉亜のデスストーカーの餌食となり、全員、数日前の記憶まで戻されてしまうことになる。
だが、近隣住民が続々と出てきて野次馬を形成してしまっており、警察を呼ばれる危険性が高まってしまっていた。中には写メを取っている者すらいたのだ。
この時、凱は策を閃き、一未が持っていたスマートフォンを取り出し、電話帳検索を始める。そこに「本部長」の文字を見つけた凱はショートメールを利用し、『夏目落ち目のおしめ会 おもらしおしめのクソー裁 おまるの上で引き篭もれ』――との文章を打ち込み、送り付けた。
「ククク、これでこいつらは終わりだな」
邪悪な笑みを浮かべる凱を余所に、ななみはその間に亜莉亜から渡されたエルノールの手紙を読み、多少の逡巡したものの、エルノール・サバトからの一時保護を受ける事を了承した。
修一だけでなく、親族、友人であっても口外禁止との条件付きで――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
後日――
修一は、「龍堂瑞姫の確保に失敗した」と怒り狂った笹川商事総帥から責任のすべてを背負う形で懲戒解雇にされ、電話に出ないななみを心配して家に帰るも、彼女は姿を消していた。
神田を筆頭にななみを狙っていた者はそのまま彼女をものにしようとしたが、すでにエルノール・サバトが匿っていたのを知らない彼らはななみの所在を掴む事が出来ず、妻が消えて困惑する修一を委細構わず締め上げるも、神田たちは何の成果も得られなかった。
ななみに去られた(と思い込んでいる)修一はすっかり憔悴し、無職になって部屋に引き篭もっていた。鍵を掛け、インターホンや電話の電源をすべて切り、カーテンも閉め切ってしまっていたのだ。
薄暗い部屋の中、ソファーに座りながら中空を見つめる修一の目の前に、突如魔力の奔流が襲い来る。
何事かと驚く彼の前に黒い円が浮かび上がり、そこから人の手足が出てきて、その姿を現す。
「そんな、え――!」
出てきたのはエルノールとななみだった。
「修一さん!」
言うが早いか修一に抱きつくななみ。エルノールは一つ咳払いをして告げる。
「お主を騙して済まぬ。じゃが、こうでもしなければそ奴は穢されておった。お主がクビにされる事は想定済みじゃったからな。それに言ったじゃろう、お主等の仕事の世話はしてやるとな」
すべてを見通した上での行動だったことを知った修一は遂に観念する。
彼はエルノールから風星学園学生寮で、ななみと一緒に住み込みの寮長・寮母をやってもらう事を聞かれされた。
どの学生寮になるかはこれから人事調整をしなければならず、当面はエルノール・サバト地下基地で夫婦一緒に身を隠す事になる。
修一は翌日から、ななみと共に引っ越しの準備を始め、不動産屋へ契約解除を申請していた。一週間後には、まとめ上げた荷物をエルノール・サバトがポータル経由で回収に来て、次々と運び出していく。
本宮夫妻は電気もガスも止めた上で、すべてが無くなった部屋のドアを施錠。
ポータルを通って、エルノール・サバト地下基地へと転移すると、ポータルは一気に縮んで霧散したのだった。
なお、この間に拡散されていた写真や動画、ブログなどがいつの間にか削除されており、例のハッカーがやったものと思われたが、決め手となるものは何一つ見つからなかった。
◇◇◇◇◇◇
時は少し遡り――
鷲津組は後日開かれた夏目会の定期総会において、隼人の独断行動が招いた失態の責任を取らされ、吊るし上げを食らった。
おまけに凱が秘かに仕込んでおいたメールが総裁の逆鱗に触れたため、解体と破門の後、粛清される破目となる。
そしてこれが、戦端を開くきっかけになろうとは、この時誰も想像だにしていなかった。
なお、一未を始めとした『元』鷲津組の面々のその後は――
――読者の想像にお任せしよう。
20/10/12 02:19更新 / rakshasa
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