辺境伯任命と性風俗の明暗といじめの実態
それはまさに、束の間の平穏の終わりであった。
リンドヴルムの封印が解けたのに呼応したのか、風星学園では反学園長派の動きがより一層活発化し、一部の生徒の様子がおかしくなっているとの報告が入ってきていた。
そんな中、凱は「瑞姫と共に来るように」とエルノールを通じ、デオノーラからの呼び出しを受けた。それは最終訓練を終え、竜騎士となった凱が瑞姫と共に人間界に戻ってから、三ヶ月が過ぎようとしていた日のことでもある。
彼が瑞姫を伴ってドラゴニアに転移し、謁見の間に辿りつくと、デオノーラは意表を突いた言葉を放つ。
「よく来たな、龍堂凱に龍堂瑞姫。下らぬ前置きは抜きだ。龍堂凱、貴様を辺境伯に叙し、我が国の西にあるハイランド辺境伯領を与える。龍堂瑞姫、お前はその妻として、共にハイランド辺境伯領に住むのだ。竜騎士の騎竜となったからには、お前は我が娘も同然だからな」
当然ながら、二人の驚きは察するに余りあるだろう。
半年足らずの訓練で竜騎士となった身で、辺境伯に叙任とはあり得ない待遇である。
ハイランド辺境伯領――
そこはドラゴニアの南西部に位置し、本国に勝るとも劣らない切り立った山々と峡谷を利用した天然の要塞。
また、農作に適した土地が山の頂上や中腹にあり、水資源も豊富。
山や峡谷の下には大小様々な河川があり、地下水を山頂へ汲み上げる方式を取っている。
麓には貿易拠点として中規模の城砦都市が、南には新たに整備中の港町がある。
これらは雲上都市型住居や洞窟型住居への中継基地でもあり、どちらも実質上の砦である。
だが、この地は反魔物国家に程近い領地であった。
そのような地を凱に与えると言うのだから、悪い意味でも驚きだ。
発端はそのハイランド辺境伯領の今の領主が、「結婚生活を重視したいので引退したい」と願い出たことにある。
彼の妻はワイバーンであり、領主自身も竜騎士の一員だったのだが、元来戦いに向かない性格だったらしく、そんな彼が竜騎士になれた理由は騎竜との相性と親和性にあった。
制式装備である誓いの竜槍をそれなりに扱えたのが、男にとってはある意味不幸だったのかもしれない。
追い打ちをかけたのは隣接する反魔物国家・ムーンベリー王国の活発化であった。
教団経由でムーンベリー王国が放った勇者一行の攻撃を受けてすっかり怖気づいてしまい、何の手も打たず真っ先に本国へ逃げてしまったのだ。
ハイランドは急遽駆け付けた第零特殊部隊と第一空挺部隊によって防衛には成功したが、ハイランド領主は敵前逃亡の罪によって辺境伯を罷免された上に竜騎士の資格も剥奪され、裁判の後、竜騎士団を追放された。
そもそも、この領主自身が辺境伯の叙任を左遷と決めつけ、ぼやいていたのも原因の一つだ。
辺境伯は人によっては左遷と取る者もいるだろう。
だが、辺境伯とは本来、敵対勢力の国と隣接する領地を治める者である。
他の地方長官よりも広大な領域と大きな権限が与えられ、一般の地方長官よりも高い地位にある役職である場合が多い。
実際、その地位は侯爵と同等か一段階上で、こと軍事に関しては強い権限を与えられているのだ。
この突然の引退宣言とハイランドの現状に、当然ながらデオノーラは頭を痛めた。
だが、「事態を治めるのに適任だ」として、凱に白羽の矢を立てたという次第なのだ。
昨今の竜騎士の中ではとりわけ異質で、人間に対する敵対心が強いのをその理由の一つに挙げている。
簡単に言えば、「毒をもって毒を制す」だ。
けれど、竜騎士に叙任されたばかりの身の上に加え、自身がまだ人間界でやるべきことが残っている凱にとって、デオノーラ直々の命と言えども、安易に了承出来るものではなかった。
ゆえに、この案件について、妻たちとの綿密な相談をしなければならなかったのである。
「……我々にはまだ、やらなければならない事が残っています。それが片付かないことには……ドラゴニアに来れません」
「そうか。ならば、そのやらなければならない事、早々に片付けよ。もし必要とあらば、そうだな……第零特殊部隊の半分、足りぬなら三分の二を応援に寄越そう」
「え!? 第零特殊部隊を!? そ……そんな、それじゃドラゴニアの守りはどうなるんですか!?」
凱の返答にデオノーラは早期解決のため、第零特殊部隊を応援に出すと言い、これに瑞姫が驚きの声を上げてしまう。
デオノーラは言い返す。
「反魔物国家がすぐそばにある地なのだぞ。当面は第一空挺部隊と残りの第零の者で守らせるが、早めに来てもらわねば困る。それまではアルトイーリスに領主を代行させるが、竜騎士団長である以上、長くは代行させられん。任命した以上、本来は何があろうと来るのが筋というものだ。そのための第零特殊部隊だ。よいな?」
凱はこの言葉に「一度持ち帰り、すぐ協議する」としか返事が出来なかった。
デオノーラもその返答にやや不機嫌になりながら退出し、凱と瑞姫も王城から風星学園に転移して帰ってきた。
◇◇◇◇◇◇
学園に戻ってきた二人が時間を見ると、夕方に差し掛かっていた。
二人は学園長室に赴き、デオノーラとのやり取りを伝えると、エルノールもこの突然の話に苦虫を噛み潰したような顔となる。
ただでさえ反対勢力が自分たちを追い落とそうと勢いづいているこの時に、辺境伯になってドラゴニアに来いとの命令は何とも時期が悪い。
だが、遅かれ早かれ、返事は出さねばならない。
エルノールは対応策を出すべく、地下基地の会議室に全員を集めた。
凱と新婚の魔物娘六人、という図式ではあるも、甘い気分に浸っていられない。
辺境伯に任命された旨を朱鷺子、亜莉亜、マルガレーテ、ロロティアの四人も聞くと、一様に沈黙の空気が流れる。
これを破ったのはマルガレーテだった。
「任命された以上はお受けすべきですわ。デオノーラ女王は、わたくしの母である魔王様にも匹敵する実力者。それに、ガイ様は言われましたでしょう? 『この世界に見切りをつける』、と」
ドラゴニアでの訓練の日々の中で、凱が宣言した言葉は嘘ではない。
だが、目の前の問題が多く、なおかつ大きいのだ。
国家権力と裏社会――凱が図らずも向こうに回した二つの巨大勢力。
ロロティアの懸念はもう、すぐそこまで来てしまった。
彼女はたまらず、凱に縋りついて懇願する。
「旦那さま! 今すぐ……今すぐ私たちの世界においでください! そうでなくば、旦那さまはその身と、心を……血と涙で穢されてしまいます……うぅ……」
それでも凱には、人間への怒りと憎しみがくすぶったままで図鑑世界に行く事など出来ない……そう思っていた。
「ならば、こちらから仕掛けるしかないんじゃないか?」
「馬鹿者! そんな私怨だけで進められる程、事は甘くないわ!」
凱の目には怨讐の炎が燃え上がっている。
エルノールとて手をこまねいている訳ではないのだが、仕掛けるための天の時が熟していないし、地の利もまだ有利とはいえない。
あるのは人魔の和だけだが、それでも攻撃に転じるための情報がまだまだ足りないのが、エルノールの悩みであるのだ。
確たる証拠を集めなければ人魔の和はまとまらず、地の利は自分たちのものにならず、天の時は訪れないのだから――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
魔物娘がこの人間界に来た影響は学校や会社、相互関係に良い方にも悪い方にも大きな影響を与えた。
実は魔物娘の出現と周知によって、最も大打撃を受けた分野がある。
それがキャバクラやピンクキャバレー、ガールズバーなどの接待飲食店、そして性風俗店だ。
魔物娘が来てからというもの、人間が経営するこれらの風俗産業は着実かつ急速に没落の一途を辿っていた。
殊に人間の女が働く性風俗店は、魔物娘が経営する同業店に次々淘汰されている。
何しろ、人間の性風俗店はパネルマジックなどごくごく当たり前の集客手段であり、そうしなければ客を捉まえられない。
一度選んだ風俗嬢とて再び選べるとは限らない。彼女らはあくまでも仕事と収入のために相手をするのであって、場合によっては風俗嬢側でNG指定も出来てしまう。
まして、金のために好きでもない男を相手にしなければならないストレスの方が大きいし、本気で客を好きになるなど、まずあり得ない。
会社や店としても、人気風俗嬢が彼氏を作ったり結婚したりで逃げられては堪ったものではない。
そこで金づるを逃がさないために規約を作り、地域によっては暴力団が収入源の一つとして仕切り、風俗嬢から売上や貯金を巻き上げるのも当たり前。
性風俗店の大手となればパネルマジックにやたらと厳しいし、客を逃がせばその従業員が他の従業員から殴られ蹴られも当たり前。
挙句には会社専属の顧問弁護士を雇い、悪評の書き込みを取り締まる大手がいる始末。
彼らは専門部署を作り、悪評の書き込みが無いかネットを四六時中探し回る。そして、これを見つけたら徹底的に犯人を探し出し、顧問弁護士による法に則った制裁を行うのだから性質が悪い。
そんなものだから人間が経営する風俗店は立場どころか、価値すら無くなる一方である現状を理解すらしていない。
昨今では『一部の物好き』しか利用しない有様で、大手ですら閑古鳥が鳴く始末。
中小のグループや店舗に至っては軒並み廃業しており、その没落の勢いは一昨年から加速してとどまるところを知らず、営業活動も死に物狂いになっている。
対して、魔物娘が経営する性風俗店は一回料金を払いさえすれば、その時に選んだ風俗嬢と以後はずっとヤり放題。しかも料金も非常に格安でパネルマジックの必要すら無く、タイプも多種多様で選り取り見取り。
選んだ魔物娘によってはハーレムを作るのも夢ではない。
*****
なぜ、このような話題が出ているのかと言うと、風星学園に在籍するエルノール・サバト構成員が内偵で得た情報の中に、性接待主体の風俗営業が絡んでいたからである。
出所は学園の中等部と高等部。
報告によれば、スクールカーストの上位グループと教師陣が結託し、標的をコンパニオンと呼んで、あの手この手を使って秘かに買収して利益を得ているというのだ。
しかも、その裏には凱の忌まわしき母校・静鼎(せいてい)学園、さらには夏目会や警察が絡んでいた。
これをエルノールが知る事になったのが、凱が辺境伯の叙任を受けた翌日のこと。
エルノールは反転攻勢のため、最後の追い込みをかける決意を固めた。
「何としてでも尻尾を掴むのじゃ。全員に命ずる。怪しい動きをした者は教師と生徒問わず、追跡せよ。小型ビデオカメラとICレコーダーを各自に配る。……奴等の悪行、残さず記録せよ!」
「「「「「はいっ!」」」」」
すべては反対勢力打倒のために――
エルノール・サバトは構成員一丸となって動き出した。
◇◇◇◇◇
数日後、放課後の高等部三学年の一室。
三学年主任を務める教師、川澄純一(かわすみ・じゅんいち)が幾人かの生徒を呼び、真面目魔雰囲気とおちゃらけた態度を混ぜ合わせつつ、話題を切り出す。
「おい聞いたぞ、お前ら。奏(かなで)のことイジめてんだって?」
「うわ、誰だよチクりやがったの」「ありえねー」「そいつボコってやるわ」
不満丸出しの声が次々と上がる中、川澄は驚くべき一言を笑顔で発した。
「そういうのは、オレの耳に入らないようにしてやれよ」
川澄のクラスの男子も女子は、その言葉に笑いながら答える。
「あ〜るぇ〜? やめろっていわないんすかぁ〜?」
「当たり前だ。いじめは社会の潤滑油、どこの学校にだってあるぜ。みんなの不満のはけ口としてクラスをまとめさせてやってんだから、むしろ感謝されても恨まれる筋合いなんてねぇっての。俺も弱い者いじめ大好きだから、コージもアミも遠慮いらねぇぞ。ははは!」
「うっわ、ひでぇ」
「先生、よろしくたのんますよ」
アミと呼ばれた女生徒はそう言って大笑いした。
「おうよ。無力さってもんをたっぷり教え込んで、落ちるべきとこへ落としてやるさ。バカどもが風俗や泡風呂に落ちるとこ、たっぷり見せてやるから、期待しててくれ。あと、中等部の生徒会長がいじめの上手い期待の新人だから、目ぇかけてやれよ」
「「「「「うぇーーーい!」」」」」
余程調子に乗っていたのか、この様子をエルノール・サバトの構成員たちに聞かれているのを、彼らは全く気づきもしなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二日後の夕方。
学園の地下――エルノール・サバト作戦室。
「そうか……」
川澄たちの会話の録音とその様子の録画が取れた事を報告してきた構成員たちに、エルノールは一言だけ、けれど重々しく答えた。
コミュニケーションの一環のようにいじめを楽しむ様に、エルノールは怒りを通り越して悲しさを覚えていた。
しかも、教師のリーダーとも言うべき学年主任がいじめを指導しているのだ。
この川澄という男、教頭である浜本の腹心の部下でもあり、凱とも瑞姫絡みで因縁がある。
「これが攻略の糸口となれば良いが……。皆の者、その奏なる娘を何としてでも守れ。いじめグループに多少怪我をさせても構わん」
ところが、このエルノールの決意は思わぬ肩透かしを食らう結果となる。
奏と言う名の少女を救う過程で、真相が芋づる式に暴かれたのだ。それもたった二日で。
生徒たちは放課後になるといじめの結果報告をし、そこから翌日の計画を発表。
夏目会と警察に連絡を取り、標的に対する進捗を報告する有様なのだ。
彼らが行っているのは標的の商品化であった。
簡単にまとめると――
川澄を中心とした反抗勢力が適当な生徒を標的に定め、いじめで精神を弱らせた後、夏目会や警察へ標的の情報を売る。
そうして標的の親族たちからの反撃を未然に潰した上で、標的の肉体を穢して性奴隷として仕込んだ後に売り払う。
もしくは、性風俗店を中心にした取引先へ、風俗嬢か性玩具としてそのまま売却する。
――という図式だ。
エルノールやエルノール・サバトを完璧に舐め切っているのか、それとも夏目会と警察という大きな後ろ盾による相当な自信の表れなのか。
いずれにしろ、慢心し切りもいいところである。
「アホじゃ……。奴等、底抜けのアホじゃ……」
あまりのお粗末さにエルノールは今まで過剰に警戒していた自分が馬鹿馬鹿しくなり、ため息をつきながらぼやき、そして怒る。
「浜本とその金魚の糞共め……、よくも今までわし等をおちょくってくれおったのう……。もう我慢ならん。――明日、皆をここに集めよ!」
エルノールは遂に反撃を決意したのだった――
リンドヴルムの封印が解けたのに呼応したのか、風星学園では反学園長派の動きがより一層活発化し、一部の生徒の様子がおかしくなっているとの報告が入ってきていた。
そんな中、凱は「瑞姫と共に来るように」とエルノールを通じ、デオノーラからの呼び出しを受けた。それは最終訓練を終え、竜騎士となった凱が瑞姫と共に人間界に戻ってから、三ヶ月が過ぎようとしていた日のことでもある。
彼が瑞姫を伴ってドラゴニアに転移し、謁見の間に辿りつくと、デオノーラは意表を突いた言葉を放つ。
「よく来たな、龍堂凱に龍堂瑞姫。下らぬ前置きは抜きだ。龍堂凱、貴様を辺境伯に叙し、我が国の西にあるハイランド辺境伯領を与える。龍堂瑞姫、お前はその妻として、共にハイランド辺境伯領に住むのだ。竜騎士の騎竜となったからには、お前は我が娘も同然だからな」
当然ながら、二人の驚きは察するに余りあるだろう。
半年足らずの訓練で竜騎士となった身で、辺境伯に叙任とはあり得ない待遇である。
ハイランド辺境伯領――
そこはドラゴニアの南西部に位置し、本国に勝るとも劣らない切り立った山々と峡谷を利用した天然の要塞。
また、農作に適した土地が山の頂上や中腹にあり、水資源も豊富。
山や峡谷の下には大小様々な河川があり、地下水を山頂へ汲み上げる方式を取っている。
麓には貿易拠点として中規模の城砦都市が、南には新たに整備中の港町がある。
これらは雲上都市型住居や洞窟型住居への中継基地でもあり、どちらも実質上の砦である。
だが、この地は反魔物国家に程近い領地であった。
そのような地を凱に与えると言うのだから、悪い意味でも驚きだ。
発端はそのハイランド辺境伯領の今の領主が、「結婚生活を重視したいので引退したい」と願い出たことにある。
彼の妻はワイバーンであり、領主自身も竜騎士の一員だったのだが、元来戦いに向かない性格だったらしく、そんな彼が竜騎士になれた理由は騎竜との相性と親和性にあった。
制式装備である誓いの竜槍をそれなりに扱えたのが、男にとってはある意味不幸だったのかもしれない。
追い打ちをかけたのは隣接する反魔物国家・ムーンベリー王国の活発化であった。
教団経由でムーンベリー王国が放った勇者一行の攻撃を受けてすっかり怖気づいてしまい、何の手も打たず真っ先に本国へ逃げてしまったのだ。
ハイランドは急遽駆け付けた第零特殊部隊と第一空挺部隊によって防衛には成功したが、ハイランド領主は敵前逃亡の罪によって辺境伯を罷免された上に竜騎士の資格も剥奪され、裁判の後、竜騎士団を追放された。
そもそも、この領主自身が辺境伯の叙任を左遷と決めつけ、ぼやいていたのも原因の一つだ。
辺境伯は人によっては左遷と取る者もいるだろう。
だが、辺境伯とは本来、敵対勢力の国と隣接する領地を治める者である。
他の地方長官よりも広大な領域と大きな権限が与えられ、一般の地方長官よりも高い地位にある役職である場合が多い。
実際、その地位は侯爵と同等か一段階上で、こと軍事に関しては強い権限を与えられているのだ。
この突然の引退宣言とハイランドの現状に、当然ながらデオノーラは頭を痛めた。
だが、「事態を治めるのに適任だ」として、凱に白羽の矢を立てたという次第なのだ。
昨今の竜騎士の中ではとりわけ異質で、人間に対する敵対心が強いのをその理由の一つに挙げている。
簡単に言えば、「毒をもって毒を制す」だ。
けれど、竜騎士に叙任されたばかりの身の上に加え、自身がまだ人間界でやるべきことが残っている凱にとって、デオノーラ直々の命と言えども、安易に了承出来るものではなかった。
ゆえに、この案件について、妻たちとの綿密な相談をしなければならなかったのである。
「……我々にはまだ、やらなければならない事が残っています。それが片付かないことには……ドラゴニアに来れません」
「そうか。ならば、そのやらなければならない事、早々に片付けよ。もし必要とあらば、そうだな……第零特殊部隊の半分、足りぬなら三分の二を応援に寄越そう」
「え!? 第零特殊部隊を!? そ……そんな、それじゃドラゴニアの守りはどうなるんですか!?」
凱の返答にデオノーラは早期解決のため、第零特殊部隊を応援に出すと言い、これに瑞姫が驚きの声を上げてしまう。
デオノーラは言い返す。
「反魔物国家がすぐそばにある地なのだぞ。当面は第一空挺部隊と残りの第零の者で守らせるが、早めに来てもらわねば困る。それまではアルトイーリスに領主を代行させるが、竜騎士団長である以上、長くは代行させられん。任命した以上、本来は何があろうと来るのが筋というものだ。そのための第零特殊部隊だ。よいな?」
凱はこの言葉に「一度持ち帰り、すぐ協議する」としか返事が出来なかった。
デオノーラもその返答にやや不機嫌になりながら退出し、凱と瑞姫も王城から風星学園に転移して帰ってきた。
◇◇◇◇◇◇
学園に戻ってきた二人が時間を見ると、夕方に差し掛かっていた。
二人は学園長室に赴き、デオノーラとのやり取りを伝えると、エルノールもこの突然の話に苦虫を噛み潰したような顔となる。
ただでさえ反対勢力が自分たちを追い落とそうと勢いづいているこの時に、辺境伯になってドラゴニアに来いとの命令は何とも時期が悪い。
だが、遅かれ早かれ、返事は出さねばならない。
エルノールは対応策を出すべく、地下基地の会議室に全員を集めた。
凱と新婚の魔物娘六人、という図式ではあるも、甘い気分に浸っていられない。
辺境伯に任命された旨を朱鷺子、亜莉亜、マルガレーテ、ロロティアの四人も聞くと、一様に沈黙の空気が流れる。
これを破ったのはマルガレーテだった。
「任命された以上はお受けすべきですわ。デオノーラ女王は、わたくしの母である魔王様にも匹敵する実力者。それに、ガイ様は言われましたでしょう? 『この世界に見切りをつける』、と」
ドラゴニアでの訓練の日々の中で、凱が宣言した言葉は嘘ではない。
だが、目の前の問題が多く、なおかつ大きいのだ。
国家権力と裏社会――凱が図らずも向こうに回した二つの巨大勢力。
ロロティアの懸念はもう、すぐそこまで来てしまった。
彼女はたまらず、凱に縋りついて懇願する。
「旦那さま! 今すぐ……今すぐ私たちの世界においでください! そうでなくば、旦那さまはその身と、心を……血と涙で穢されてしまいます……うぅ……」
それでも凱には、人間への怒りと憎しみがくすぶったままで図鑑世界に行く事など出来ない……そう思っていた。
「ならば、こちらから仕掛けるしかないんじゃないか?」
「馬鹿者! そんな私怨だけで進められる程、事は甘くないわ!」
凱の目には怨讐の炎が燃え上がっている。
エルノールとて手をこまねいている訳ではないのだが、仕掛けるための天の時が熟していないし、地の利もまだ有利とはいえない。
あるのは人魔の和だけだが、それでも攻撃に転じるための情報がまだまだ足りないのが、エルノールの悩みであるのだ。
確たる証拠を集めなければ人魔の和はまとまらず、地の利は自分たちのものにならず、天の時は訪れないのだから――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
魔物娘がこの人間界に来た影響は学校や会社、相互関係に良い方にも悪い方にも大きな影響を与えた。
実は魔物娘の出現と周知によって、最も大打撃を受けた分野がある。
それがキャバクラやピンクキャバレー、ガールズバーなどの接待飲食店、そして性風俗店だ。
魔物娘が来てからというもの、人間が経営するこれらの風俗産業は着実かつ急速に没落の一途を辿っていた。
殊に人間の女が働く性風俗店は、魔物娘が経営する同業店に次々淘汰されている。
何しろ、人間の性風俗店はパネルマジックなどごくごく当たり前の集客手段であり、そうしなければ客を捉まえられない。
一度選んだ風俗嬢とて再び選べるとは限らない。彼女らはあくまでも仕事と収入のために相手をするのであって、場合によっては風俗嬢側でNG指定も出来てしまう。
まして、金のために好きでもない男を相手にしなければならないストレスの方が大きいし、本気で客を好きになるなど、まずあり得ない。
会社や店としても、人気風俗嬢が彼氏を作ったり結婚したりで逃げられては堪ったものではない。
そこで金づるを逃がさないために規約を作り、地域によっては暴力団が収入源の一つとして仕切り、風俗嬢から売上や貯金を巻き上げるのも当たり前。
性風俗店の大手となればパネルマジックにやたらと厳しいし、客を逃がせばその従業員が他の従業員から殴られ蹴られも当たり前。
挙句には会社専属の顧問弁護士を雇い、悪評の書き込みを取り締まる大手がいる始末。
彼らは専門部署を作り、悪評の書き込みが無いかネットを四六時中探し回る。そして、これを見つけたら徹底的に犯人を探し出し、顧問弁護士による法に則った制裁を行うのだから性質が悪い。
そんなものだから人間が経営する風俗店は立場どころか、価値すら無くなる一方である現状を理解すらしていない。
昨今では『一部の物好き』しか利用しない有様で、大手ですら閑古鳥が鳴く始末。
中小のグループや店舗に至っては軒並み廃業しており、その没落の勢いは一昨年から加速してとどまるところを知らず、営業活動も死に物狂いになっている。
対して、魔物娘が経営する性風俗店は一回料金を払いさえすれば、その時に選んだ風俗嬢と以後はずっとヤり放題。しかも料金も非常に格安でパネルマジックの必要すら無く、タイプも多種多様で選り取り見取り。
選んだ魔物娘によってはハーレムを作るのも夢ではない。
*****
なぜ、このような話題が出ているのかと言うと、風星学園に在籍するエルノール・サバト構成員が内偵で得た情報の中に、性接待主体の風俗営業が絡んでいたからである。
出所は学園の中等部と高等部。
報告によれば、スクールカーストの上位グループと教師陣が結託し、標的をコンパニオンと呼んで、あの手この手を使って秘かに買収して利益を得ているというのだ。
しかも、その裏には凱の忌まわしき母校・静鼎(せいてい)学園、さらには夏目会や警察が絡んでいた。
これをエルノールが知る事になったのが、凱が辺境伯の叙任を受けた翌日のこと。
エルノールは反転攻勢のため、最後の追い込みをかける決意を固めた。
「何としてでも尻尾を掴むのじゃ。全員に命ずる。怪しい動きをした者は教師と生徒問わず、追跡せよ。小型ビデオカメラとICレコーダーを各自に配る。……奴等の悪行、残さず記録せよ!」
「「「「「はいっ!」」」」」
すべては反対勢力打倒のために――
エルノール・サバトは構成員一丸となって動き出した。
◇◇◇◇◇
数日後、放課後の高等部三学年の一室。
三学年主任を務める教師、川澄純一(かわすみ・じゅんいち)が幾人かの生徒を呼び、真面目魔雰囲気とおちゃらけた態度を混ぜ合わせつつ、話題を切り出す。
「おい聞いたぞ、お前ら。奏(かなで)のことイジめてんだって?」
「うわ、誰だよチクりやがったの」「ありえねー」「そいつボコってやるわ」
不満丸出しの声が次々と上がる中、川澄は驚くべき一言を笑顔で発した。
「そういうのは、オレの耳に入らないようにしてやれよ」
川澄のクラスの男子も女子は、その言葉に笑いながら答える。
「あ〜るぇ〜? やめろっていわないんすかぁ〜?」
「当たり前だ。いじめは社会の潤滑油、どこの学校にだってあるぜ。みんなの不満のはけ口としてクラスをまとめさせてやってんだから、むしろ感謝されても恨まれる筋合いなんてねぇっての。俺も弱い者いじめ大好きだから、コージもアミも遠慮いらねぇぞ。ははは!」
「うっわ、ひでぇ」
「先生、よろしくたのんますよ」
アミと呼ばれた女生徒はそう言って大笑いした。
「おうよ。無力さってもんをたっぷり教え込んで、落ちるべきとこへ落としてやるさ。バカどもが風俗や泡風呂に落ちるとこ、たっぷり見せてやるから、期待しててくれ。あと、中等部の生徒会長がいじめの上手い期待の新人だから、目ぇかけてやれよ」
「「「「「うぇーーーい!」」」」」
余程調子に乗っていたのか、この様子をエルノール・サバトの構成員たちに聞かれているのを、彼らは全く気づきもしなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二日後の夕方。
学園の地下――エルノール・サバト作戦室。
「そうか……」
川澄たちの会話の録音とその様子の録画が取れた事を報告してきた構成員たちに、エルノールは一言だけ、けれど重々しく答えた。
コミュニケーションの一環のようにいじめを楽しむ様に、エルノールは怒りを通り越して悲しさを覚えていた。
しかも、教師のリーダーとも言うべき学年主任がいじめを指導しているのだ。
この川澄という男、教頭である浜本の腹心の部下でもあり、凱とも瑞姫絡みで因縁がある。
「これが攻略の糸口となれば良いが……。皆の者、その奏なる娘を何としてでも守れ。いじめグループに多少怪我をさせても構わん」
ところが、このエルノールの決意は思わぬ肩透かしを食らう結果となる。
奏と言う名の少女を救う過程で、真相が芋づる式に暴かれたのだ。それもたった二日で。
生徒たちは放課後になるといじめの結果報告をし、そこから翌日の計画を発表。
夏目会と警察に連絡を取り、標的に対する進捗を報告する有様なのだ。
彼らが行っているのは標的の商品化であった。
簡単にまとめると――
川澄を中心とした反抗勢力が適当な生徒を標的に定め、いじめで精神を弱らせた後、夏目会や警察へ標的の情報を売る。
そうして標的の親族たちからの反撃を未然に潰した上で、標的の肉体を穢して性奴隷として仕込んだ後に売り払う。
もしくは、性風俗店を中心にした取引先へ、風俗嬢か性玩具としてそのまま売却する。
――という図式だ。
エルノールやエルノール・サバトを完璧に舐め切っているのか、それとも夏目会と警察という大きな後ろ盾による相当な自信の表れなのか。
いずれにしろ、慢心し切りもいいところである。
「アホじゃ……。奴等、底抜けのアホじゃ……」
あまりのお粗末さにエルノールは今まで過剰に警戒していた自分が馬鹿馬鹿しくなり、ため息をつきながらぼやき、そして怒る。
「浜本とその金魚の糞共め……、よくも今までわし等をおちょくってくれおったのう……。もう我慢ならん。――明日、皆をここに集めよ!」
エルノールは遂に反撃を決意したのだった――
20/04/17 02:42更新 / rakshasa
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