鬼畜と夢精と決別と
瑞姫の一件からおよそ一週間後の平日夜10時過ぎ――
朱鷺子は凱や仲間達と共に、横浜港にある港湾倉庫の一角にやって来た。
*****
事の起こりは三日程前に遡る。
エルノール経由で、朱鷺子宛てに一通の手紙がもたらされた。
そこに書かれていたのは明らかな脅迫文であり、報復予告でもあった。
内容はこうだった。
―――――
よくもおれに臭い飯食わせてくれたな。
前科付けられたおかげで医師免許を取られてムショに送られ、やっと出てきた。
学校を卒業したそうだが、大人しく俺の物になるなら、今までの罪は許してやる。
もし男と一緒だったら、その男をぶっ殺す。
俺に失う物はない。
お前が犯した罪をよくよく考えた上で、横浜港の金沢木材埠頭第六倉庫に月曜の夜10時に一人でこい。
俺を満足させる答えをまってるぞ。
武史
―――――
逆怨み丸出しの文章だったが、これを読んだ朱鷺子の身体に激しい震えが襲いかかる。
「武史(たけし)叔父さんだ……! あいつが……出てきたんだ! ……あいつが……あいつが……」
「朱鷺子っ!」
「――っっ!?」
凱は恐慌状態に陥った朱鷺子を抱き寄せ、言い聞かせる。
「余程のトラウマを植え付けた奴なんだろ? だが、心配なんて要らない。みんながいるんだぞ!」
「みんな、が……?」
「そうだ。俺達は仲間、そして一生を共にする家族。違うか?」
「ううん、ボクらは……家族。ガイや瑞姫ちゃん、先生、レーテ、学園長。みんな……、みんな、家族だよ!」
「それでいい。自業自得すら分からん奴には天誅喰らわすだけだ」
朱鷺子の身体の震えは少しずつ鎮まっていく。
凱は闘志を漲らせるが、そこにエルノールが水を差す。
「張り切るのは良いがのう。面が割れたら、わしらは動けなくなるんじゃぞ。ましてや警察が動けばお仕舞じゃ」
「だからって一人で行かせる訳にもいかんだろ」
「分かっておる。じゃから、わし等は当日、顔を隠して後に続くんじゃ。その為の装備をうちの者に作らせよう」
「それじゃぁ、あたしはー、ちょっとやってみたいものがあるですよー」
エルノールは計画に必要な装備を作らせるよう構成員に通達し、亜莉亜は自室に篭って出てこなくなった。
亜莉亜の行動に疑問を抱く六人だったが、その理由は作戦決行の直前に明かされる事になる。
*****
同日の夜。
凱は特別寮の自室に朱鷺子を呼び、彼女に一つの質問をした。
それは朱鷺子の背に刻まれた、X字の火傷と切り傷が合わさった傷跡につてであった。
これまで彼女と行為に及んだ時も別段気に留めていなかった――無頓着とも言う――が、過去に関係していると思い、これまで訊いていなかったのである。
朱鷺子は内心で呆れつつも、ぽつぽつと語り出した。
テロ組織の支援で一年の内、一週間に満たない程度しか家にいないワーカホリックな父。
テロリストとして同じく滅多に帰らず、帰って来ても僅かな事で怒り狂う、癇癪持ちのヒステリックな母。
そんな親の元で育った朱鷺子は、母親を殊の他嫌っている。
理由は彼女が五歳の時にまで遡る。
娘に声をかけられてブチ切れた母親が、朱鷺子の背中をガスコンロ、それも熱されていた五徳(鍋やフライパンを置く為の金属製の枠)へ押し付けたのだ。
このせいで背中にX字の巨大な火傷を受け、その跡が消えずに残ってしまっているのだ。
その傷も人虎へと魔物化してからは少しずつ消えてはいるのだが、完全ではない。
だが、この傷はそれだけではなかった。
火傷を消えなくした最大の原因は叔父の武史にあった。
背中に負った大火傷の治療の為、当時開業医だった武史の診療所に預けられてから退院するまでの間、彼は朱鷺子に対して過剰なスキンシップを行っていた。
診療所の看護師はこれを気にかけていても、朱鷺子自身が無知であった故に公に出なかったのだ。
しかも武史は絶妙な「アメと鞭」を使いこなし、優しく励まして自分を信用させながら、自分の下に出来るだけ長く朱鷺子を置いておく為だけに、香辛料を混ぜただけのクリームを「強い薬」と偽って患部に塗り込んで火傷の治癒を遅らせたばかりか、「後で形が残りにくくする為」と偽って、塞がりかけていた火傷の傷口を刃物で抉って深刻化させる等、己の欲望と劣情のまま、治療と称した残虐行為を次第にエスカレートさせていった。
しかもこれと似たような行為を、診療に来た少年少女に行っていたのだから性質が悪い。
そうして二年もの間、繰り返し続けた挙句、欲望と劣情が限界に達した武史は、朱鷺子が幼い故に性への無知も利用し、遂には深夜に夜這いをかけた。
だが、朱鷺子は思わぬ幸運に助けられる。
眠る朱鷺子へ謝罪を兼ねた見舞いの為、無断で忍び込んで来ていた母に見つかり、事無きを得たのだ。
ところが、逆にこの事が武史の執念に火を灯す結果となり、数日後に行われた朱鷺子の七歳の誕生日パーティーで、睡眠薬を盛って参加者全員を眠らせ、朱鷺子を自室へ運んで睡姦するという下劣な計画を企てる。
しかし、睡眠薬の効果が薄かったのが武史の誤算であった。
朱鷺子が寸前で目覚めて騒いだ為、逆上して強行手段に移行。
強姦しようとしたところへ声を聞いて駆けつけた朱鷺子の両親に滅多打ちにされ、強姦未遂容疑で警察に連行された。
その後の取り調べと家宅捜索で判明した数多の余罪から、武史は医師免許剥奪の上、執行猶予無しの有罪が決定、刑務所送りとなったのである。
これが朱鷺子の背中の傷にまつわる一連の出来事である。
朱鷺子が覚えているのはここまでで、自身もそれから八年後には警察の家宅捜索をきっかけに両親の逮捕と事実を知り、転落寸前となっていた。
それ故、武史が何をしているのかは全く分からなかった。
一通り黙って話を聞いた凱は無言で、背の傷を包むように朱鷺子を抱き寄せた。朱鷺子の目から涙が流れ、熱烈な口づけを交わすと、豊かな胸を揺らしながら己が身を愛する男に委ねた。
快楽に身も心も融かし、秘所を湧き水のように濡らし、朱鷺子は凱の愛を受け容れたのである――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
時は戻って、横浜港・金沢木材埠頭第六倉庫。
日本で最も船の交通量が多い横浜港は津波や台風に襲われない限り、船が途絶える事が無い。
そのような場所で周囲を顔や体の特徴を隠した凱達六人に守られながら、朱鷺子は人間の姿に偽装し、指定場所で待った。
時間が長く感じる中、複数の足音が朱鷺子の耳に届く。
多少容姿は変わっても、その姿は彼女の記憶に忌まわしく残っていた。
五十路に達していそうな感じの痩せぎすな男が、数人の男を引き連れて朱鷺子の前で止まる。
その服装は、如何にもそちら側の人間と誇示しているようなスーツに、ポインテッドトゥ(主にホストが履く、先の尖った靴)という趣味の悪さ。
この痩せぎすな男こそ、朱鷺子に忌まわしい傷を刻んだ元医師・三日月武史(みかづき・たけし)である。
「よぉ、朱鷺子ぉ。久しぶりだぁなぁ〜」
「……っ!」
下卑た笑みを浮かべながらの粘つく言い回しが朱鷺子の警戒心を引き上げる。
「ひぇひぇひぇ、そんなに怖がるこたぁねぇぜぇ〜? けど、約束はなぁ、ちゃぁ〜んと守ってもらわんとねぇ〜。だから、この人たちに来てもらったってぇわけさぁ〜」
朱鷺子を家である風星学園に帰そうなど、武史は欠片も思っていない。
だが念には念を、とその手の者達を引き連れてきたという次第だ。
「ま、そういうこったからぁ〜、大人しく、おれのモンになるんだぁよぉ〜、とぉきぃこぉちゅわぁ〜ん♪」
ただでさえ粘つく喋り声が更にねっとりしたものになり、朱鷺子は本気で嫌悪感を覚える。
「あんさん方、こいつ押さえてくんな。おれのオンナだからなぁ、手荒にゃぁしねぇでくだせぇよぉ?」
ニタニタしながら後ろの男達に指示を出す武史だが、六つの影がここで動き出した。
手にした大き目の水鉄砲から男達の顔に向けて水が放たれ、服や靴も派手に濡れる。
突然の事に驚きつつも、服を汚されて怒る男達だが、30秒もしない内に彼らは次々と昏倒していった。
「な……、な、な、なにがおこったんだよぉ!」
「うん、上々なのですよー」
間延びした女の声が響くと、今度は一際大きな影が姿を伴って現れる。
黒い衣装をまとってはいるが、体格的に男と分かるものだった。
武史は懐から白鞘の短刀を取り出すと、間髪入れずに鞘から抜き払う。
「こんのガキャアアアアアア!」
「朱鷺子はテメェのモンじゃない。その足りねえ頭でしっかり覚えろや、ボケカスのモヤシ野郎」
「だったら、てめえぶっ殺して奪い取ってやるぜ!」
「出来んのかよ、そのチンケな手つきで」
男の指摘通り、ドスを持つ手は震え、あらん限りの罵声で踏ん張っていると言った所であろうか。大言壮語も甚だしい。
「う、うるせえ……。うるせえうるせえうるせえええええええええええええええ! どいつもこいつも、俺を、俺を……俺を馬鹿にしやがってええええ!」
「もう黙れ」
「わびゅっ! ぅっぷぷっ!?」
武史の顔に水鉄砲が撃たれる。先程とは違って液体が口の中にも入り、彼は一気に昏倒した。
「――片付いたのう」
言いながら黒いヘルメットを外したのはエルノールだった。
「何か、先生のが予想以上に利いちゃったね」
「ああ、初めてとはいえここまでとは……」
「このような禽獣にも劣る連中には勿体ないのではなくて?」
「それでも亜莉亜さまが言われるとおり、上々とは思います」
「大成功なのですー!」
瑞姫、凱、マルガレーテ、ロロティア、亜莉亜の順に次々と素顔を晒す。
武史達を昏倒させた液体。
それはこの前日、亜莉亜の元の別人格であるアリスが、キマイラ時の右腕の双蛇から取り出した毒を合成、錬成して完成させた毒薬だったのである。
テストを兼ねていたのでこの時点では名前は無い。
「みんな……、ありがとう……」
朱鷺子が六人に礼を言ったすぐ後、凱が何かを見つける。
「ん? この連中の襟にあるのって……?」
武史の連れの男達の襟に奇妙なバッジが着けられていた。
そこにエルノールが思い出したように声を上げる。
「これは夏目会の代紋……。こやつら夏目会の者共か」
夏目会は日本全国の暴力団を制圧、吸収し、裏社会を統一した超巨大暴力団の名であるが、どうして武史が夏目会の者を連れていたのかについては、分かりようもなかった。
「何か分からんけど、これ以上こいつに関わるのは良くないな」
「そうじゃな。皆、引き揚げじゃ。急がんと誰かしら来るぞ」
「じゃあ、わたしに乗って」
瑞姫がそういって竜化すると、凱、ロロティア、亜莉亜、エルノールが乗り、マルガレーテは自前で飛行、朱鷺子は控えていたフロゥに跨る。
マルガレーテが瑞姫らを魔法による闇で包み隠すと、学園へと一斉に飛び立つ。
「……さよなら。もう二度と……ボクたちの前に出てこないで……」
朱鷺子はポツリと、自分の因縁に決別の言葉を漏らした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌朝。
武史らは巡回の者の通報により、警察署に連行されていた――のだが、警察官らは一様に顔をしかめていた。
と言うのも、武史らのズボンからは酷い精臭が漂っていたからだ。
彼らは亜莉亜の作った毒薬を浴びて昏倒した後、夥しい量の夢精を放っていたのである。この為、ズボンは精液で汚れまくって染みになっている。
取り調べも曖昧だったり奇妙だったりな供述のみだったので警官達も呆れ、武史らはその日の昼頃に釈放となった。
タクシーで帰る時も運転手に顔をしかめられ、人数の関係から二台に分乗して事務所の近くまで戻ったが、彼らの本当の地獄はここからだった。
彼らは夏目会の横浜本部長に散々どやされた後、東京の総本部へ連行され、「メンツを潰した」として大勢の組員から壮絶なリンチを受ける破目になったのだから――
*****
所変わって風星学園では、のんびりとした雰囲気で夕食時を迎えていた。
この日は朱鷺子のリクエストで麻婆豆腐が食卓に上っていたが、彼女と凱以外の面々は大なり小なり悶絶し、汗を大量に吹き出させていた。
何しろ今回のはただの麻婆豆腐ではなく、豆板醬と花椒をガッツリと利かせた超激辛麻婆豆腐だからだ。
当の朱鷺子も一応汗は流しているが――
「この辛さ……、……この刺激……。さいっこぉぉぉ♪」
――もりもりと美味しそうに、凱以外の面々をドン引きさせるような満面の笑みで完食してしまうのであった。
「また作ってね」の一言を添えて――
朱鷺子は凱や仲間達と共に、横浜港にある港湾倉庫の一角にやって来た。
*****
事の起こりは三日程前に遡る。
エルノール経由で、朱鷺子宛てに一通の手紙がもたらされた。
そこに書かれていたのは明らかな脅迫文であり、報復予告でもあった。
内容はこうだった。
―――――
よくもおれに臭い飯食わせてくれたな。
前科付けられたおかげで医師免許を取られてムショに送られ、やっと出てきた。
学校を卒業したそうだが、大人しく俺の物になるなら、今までの罪は許してやる。
もし男と一緒だったら、その男をぶっ殺す。
俺に失う物はない。
お前が犯した罪をよくよく考えた上で、横浜港の金沢木材埠頭第六倉庫に月曜の夜10時に一人でこい。
俺を満足させる答えをまってるぞ。
武史
―――――
逆怨み丸出しの文章だったが、これを読んだ朱鷺子の身体に激しい震えが襲いかかる。
「武史(たけし)叔父さんだ……! あいつが……出てきたんだ! ……あいつが……あいつが……」
「朱鷺子っ!」
「――っっ!?」
凱は恐慌状態に陥った朱鷺子を抱き寄せ、言い聞かせる。
「余程のトラウマを植え付けた奴なんだろ? だが、心配なんて要らない。みんながいるんだぞ!」
「みんな、が……?」
「そうだ。俺達は仲間、そして一生を共にする家族。違うか?」
「ううん、ボクらは……家族。ガイや瑞姫ちゃん、先生、レーテ、学園長。みんな……、みんな、家族だよ!」
「それでいい。自業自得すら分からん奴には天誅喰らわすだけだ」
朱鷺子の身体の震えは少しずつ鎮まっていく。
凱は闘志を漲らせるが、そこにエルノールが水を差す。
「張り切るのは良いがのう。面が割れたら、わしらは動けなくなるんじゃぞ。ましてや警察が動けばお仕舞じゃ」
「だからって一人で行かせる訳にもいかんだろ」
「分かっておる。じゃから、わし等は当日、顔を隠して後に続くんじゃ。その為の装備をうちの者に作らせよう」
「それじゃぁ、あたしはー、ちょっとやってみたいものがあるですよー」
エルノールは計画に必要な装備を作らせるよう構成員に通達し、亜莉亜は自室に篭って出てこなくなった。
亜莉亜の行動に疑問を抱く六人だったが、その理由は作戦決行の直前に明かされる事になる。
*****
同日の夜。
凱は特別寮の自室に朱鷺子を呼び、彼女に一つの質問をした。
それは朱鷺子の背に刻まれた、X字の火傷と切り傷が合わさった傷跡につてであった。
これまで彼女と行為に及んだ時も別段気に留めていなかった――無頓着とも言う――が、過去に関係していると思い、これまで訊いていなかったのである。
朱鷺子は内心で呆れつつも、ぽつぽつと語り出した。
テロ組織の支援で一年の内、一週間に満たない程度しか家にいないワーカホリックな父。
テロリストとして同じく滅多に帰らず、帰って来ても僅かな事で怒り狂う、癇癪持ちのヒステリックな母。
そんな親の元で育った朱鷺子は、母親を殊の他嫌っている。
理由は彼女が五歳の時にまで遡る。
娘に声をかけられてブチ切れた母親が、朱鷺子の背中をガスコンロ、それも熱されていた五徳(鍋やフライパンを置く為の金属製の枠)へ押し付けたのだ。
このせいで背中にX字の巨大な火傷を受け、その跡が消えずに残ってしまっているのだ。
その傷も人虎へと魔物化してからは少しずつ消えてはいるのだが、完全ではない。
だが、この傷はそれだけではなかった。
火傷を消えなくした最大の原因は叔父の武史にあった。
背中に負った大火傷の治療の為、当時開業医だった武史の診療所に預けられてから退院するまでの間、彼は朱鷺子に対して過剰なスキンシップを行っていた。
診療所の看護師はこれを気にかけていても、朱鷺子自身が無知であった故に公に出なかったのだ。
しかも武史は絶妙な「アメと鞭」を使いこなし、優しく励まして自分を信用させながら、自分の下に出来るだけ長く朱鷺子を置いておく為だけに、香辛料を混ぜただけのクリームを「強い薬」と偽って患部に塗り込んで火傷の治癒を遅らせたばかりか、「後で形が残りにくくする為」と偽って、塞がりかけていた火傷の傷口を刃物で抉って深刻化させる等、己の欲望と劣情のまま、治療と称した残虐行為を次第にエスカレートさせていった。
しかもこれと似たような行為を、診療に来た少年少女に行っていたのだから性質が悪い。
そうして二年もの間、繰り返し続けた挙句、欲望と劣情が限界に達した武史は、朱鷺子が幼い故に性への無知も利用し、遂には深夜に夜這いをかけた。
だが、朱鷺子は思わぬ幸運に助けられる。
眠る朱鷺子へ謝罪を兼ねた見舞いの為、無断で忍び込んで来ていた母に見つかり、事無きを得たのだ。
ところが、逆にこの事が武史の執念に火を灯す結果となり、数日後に行われた朱鷺子の七歳の誕生日パーティーで、睡眠薬を盛って参加者全員を眠らせ、朱鷺子を自室へ運んで睡姦するという下劣な計画を企てる。
しかし、睡眠薬の効果が薄かったのが武史の誤算であった。
朱鷺子が寸前で目覚めて騒いだ為、逆上して強行手段に移行。
強姦しようとしたところへ声を聞いて駆けつけた朱鷺子の両親に滅多打ちにされ、強姦未遂容疑で警察に連行された。
その後の取り調べと家宅捜索で判明した数多の余罪から、武史は医師免許剥奪の上、執行猶予無しの有罪が決定、刑務所送りとなったのである。
これが朱鷺子の背中の傷にまつわる一連の出来事である。
朱鷺子が覚えているのはここまでで、自身もそれから八年後には警察の家宅捜索をきっかけに両親の逮捕と事実を知り、転落寸前となっていた。
それ故、武史が何をしているのかは全く分からなかった。
一通り黙って話を聞いた凱は無言で、背の傷を包むように朱鷺子を抱き寄せた。朱鷺子の目から涙が流れ、熱烈な口づけを交わすと、豊かな胸を揺らしながら己が身を愛する男に委ねた。
快楽に身も心も融かし、秘所を湧き水のように濡らし、朱鷺子は凱の愛を受け容れたのである――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
時は戻って、横浜港・金沢木材埠頭第六倉庫。
日本で最も船の交通量が多い横浜港は津波や台風に襲われない限り、船が途絶える事が無い。
そのような場所で周囲を顔や体の特徴を隠した凱達六人に守られながら、朱鷺子は人間の姿に偽装し、指定場所で待った。
時間が長く感じる中、複数の足音が朱鷺子の耳に届く。
多少容姿は変わっても、その姿は彼女の記憶に忌まわしく残っていた。
五十路に達していそうな感じの痩せぎすな男が、数人の男を引き連れて朱鷺子の前で止まる。
その服装は、如何にもそちら側の人間と誇示しているようなスーツに、ポインテッドトゥ(主にホストが履く、先の尖った靴)という趣味の悪さ。
この痩せぎすな男こそ、朱鷺子に忌まわしい傷を刻んだ元医師・三日月武史(みかづき・たけし)である。
「よぉ、朱鷺子ぉ。久しぶりだぁなぁ〜」
「……っ!」
下卑た笑みを浮かべながらの粘つく言い回しが朱鷺子の警戒心を引き上げる。
「ひぇひぇひぇ、そんなに怖がるこたぁねぇぜぇ〜? けど、約束はなぁ、ちゃぁ〜んと守ってもらわんとねぇ〜。だから、この人たちに来てもらったってぇわけさぁ〜」
朱鷺子を家である風星学園に帰そうなど、武史は欠片も思っていない。
だが念には念を、とその手の者達を引き連れてきたという次第だ。
「ま、そういうこったからぁ〜、大人しく、おれのモンになるんだぁよぉ〜、とぉきぃこぉちゅわぁ〜ん♪」
ただでさえ粘つく喋り声が更にねっとりしたものになり、朱鷺子は本気で嫌悪感を覚える。
「あんさん方、こいつ押さえてくんな。おれのオンナだからなぁ、手荒にゃぁしねぇでくだせぇよぉ?」
ニタニタしながら後ろの男達に指示を出す武史だが、六つの影がここで動き出した。
手にした大き目の水鉄砲から男達の顔に向けて水が放たれ、服や靴も派手に濡れる。
突然の事に驚きつつも、服を汚されて怒る男達だが、30秒もしない内に彼らは次々と昏倒していった。
「な……、な、な、なにがおこったんだよぉ!」
「うん、上々なのですよー」
間延びした女の声が響くと、今度は一際大きな影が姿を伴って現れる。
黒い衣装をまとってはいるが、体格的に男と分かるものだった。
武史は懐から白鞘の短刀を取り出すと、間髪入れずに鞘から抜き払う。
「こんのガキャアアアアアア!」
「朱鷺子はテメェのモンじゃない。その足りねえ頭でしっかり覚えろや、ボケカスのモヤシ野郎」
「だったら、てめえぶっ殺して奪い取ってやるぜ!」
「出来んのかよ、そのチンケな手つきで」
男の指摘通り、ドスを持つ手は震え、あらん限りの罵声で踏ん張っていると言った所であろうか。大言壮語も甚だしい。
「う、うるせえ……。うるせえうるせえうるせえええええええええええええええ! どいつもこいつも、俺を、俺を……俺を馬鹿にしやがってええええ!」
「もう黙れ」
「わびゅっ! ぅっぷぷっ!?」
武史の顔に水鉄砲が撃たれる。先程とは違って液体が口の中にも入り、彼は一気に昏倒した。
「――片付いたのう」
言いながら黒いヘルメットを外したのはエルノールだった。
「何か、先生のが予想以上に利いちゃったね」
「ああ、初めてとはいえここまでとは……」
「このような禽獣にも劣る連中には勿体ないのではなくて?」
「それでも亜莉亜さまが言われるとおり、上々とは思います」
「大成功なのですー!」
瑞姫、凱、マルガレーテ、ロロティア、亜莉亜の順に次々と素顔を晒す。
武史達を昏倒させた液体。
それはこの前日、亜莉亜の元の別人格であるアリスが、キマイラ時の右腕の双蛇から取り出した毒を合成、錬成して完成させた毒薬だったのである。
テストを兼ねていたのでこの時点では名前は無い。
「みんな……、ありがとう……」
朱鷺子が六人に礼を言ったすぐ後、凱が何かを見つける。
「ん? この連中の襟にあるのって……?」
武史の連れの男達の襟に奇妙なバッジが着けられていた。
そこにエルノールが思い出したように声を上げる。
「これは夏目会の代紋……。こやつら夏目会の者共か」
夏目会は日本全国の暴力団を制圧、吸収し、裏社会を統一した超巨大暴力団の名であるが、どうして武史が夏目会の者を連れていたのかについては、分かりようもなかった。
「何か分からんけど、これ以上こいつに関わるのは良くないな」
「そうじゃな。皆、引き揚げじゃ。急がんと誰かしら来るぞ」
「じゃあ、わたしに乗って」
瑞姫がそういって竜化すると、凱、ロロティア、亜莉亜、エルノールが乗り、マルガレーテは自前で飛行、朱鷺子は控えていたフロゥに跨る。
マルガレーテが瑞姫らを魔法による闇で包み隠すと、学園へと一斉に飛び立つ。
「……さよなら。もう二度と……ボクたちの前に出てこないで……」
朱鷺子はポツリと、自分の因縁に決別の言葉を漏らした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌朝。
武史らは巡回の者の通報により、警察署に連行されていた――のだが、警察官らは一様に顔をしかめていた。
と言うのも、武史らのズボンからは酷い精臭が漂っていたからだ。
彼らは亜莉亜の作った毒薬を浴びて昏倒した後、夥しい量の夢精を放っていたのである。この為、ズボンは精液で汚れまくって染みになっている。
取り調べも曖昧だったり奇妙だったりな供述のみだったので警官達も呆れ、武史らはその日の昼頃に釈放となった。
タクシーで帰る時も運転手に顔をしかめられ、人数の関係から二台に分乗して事務所の近くまで戻ったが、彼らの本当の地獄はここからだった。
彼らは夏目会の横浜本部長に散々どやされた後、東京の総本部へ連行され、「メンツを潰した」として大勢の組員から壮絶なリンチを受ける破目になったのだから――
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所変わって風星学園では、のんびりとした雰囲気で夕食時を迎えていた。
この日は朱鷺子のリクエストで麻婆豆腐が食卓に上っていたが、彼女と凱以外の面々は大なり小なり悶絶し、汗を大量に吹き出させていた。
何しろ今回のはただの麻婆豆腐ではなく、豆板醬と花椒をガッツリと利かせた超激辛麻婆豆腐だからだ。
当の朱鷺子も一応汗は流しているが――
「この辛さ……、……この刺激……。さいっこぉぉぉ♪」
――もりもりと美味しそうに、凱以外の面々をドン引きさせるような満面の笑みで完食してしまうのであった。
「また作ってね」の一言を添えて――
19/09/22 01:25更新 / rakshasa
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