エルノール・サバト
エルノールは最近、悩みを一層深くしていた。
孤児院としての役割しか果たしていない現状のままでいいのかという事に加え、学園自体にも反抗勢力が現れ、力をつけ始めている事に頭を悩ませているところに、最近、急激に退学届が増えてきていたのだ。
明確な理由を書かず、告げず、ただ「退学させて下さい」とだけ。
中には親も同伴で土下座までして退学させて欲しいと懇願した生徒までいた。
その殆どが男子生徒だが、やはり明確な理由を告げない。親の仕事の都合ならいざ知らず、そんな気配も無い以上、「理由をはっきりさせなければ退学を認める事は出来ん」と引き止めるのが限界だった。
かと言って監視を強化しようものなら、却って反対勢力に勘付かれる為、対象全員に行き届かせる事も叶わず、結局、逃げるように学園から消えた者が僅かにいる。
それも一家揃っての夜逃げであった。何者かの脅しに屈してしまったであろう事は明白だ。
このままでは学園だけでなく自分のサバトまで潰されかねない――
そんな内憂外患の危機に直面したこの時、凱が危なげながらも竜騎士としての叙任を終えて帰ってきた事は、彼がサバトの更なる力になるのをエルノールに確信させた。
こじつけにも等しいが、それに縋るしかないのが現状だった。
一人でも多くの力と賛同者が彼女には必要だったのだから。
だが、エルノールにとっては退学希望増加の原因究明が喫緊の課題だ。
以前に派遣して貰ったクノイチ部隊を使う事も考えているが、自分の部下でない以上、無理をさせられないと彼女は思っていた。
初代ことバフォさまからも「クノイチ部隊を帰還させなければならなくなるだろう」と昨日連絡が来たばかりなのだ。
何時までも派遣させたままでは、不満が出てもおかしくはない。
理想の伴侶を見つけた者も数人はいるが、それでも一度帰すべきと判断せざるを得なかった。
しかし、かねてから密かに進めていた二つの計画が予定より早く完了した事を受け、エルノールは風星支部の全構成員を緊急招集し、こう宣言したのだ。
「我等風星支部は、本来の名に戻る。【エルノール・サバト】とな! そして、我らは変わらねばならぬ! 己の身を守るのみならず、弱者を虐げる外道共と戦う為に! 我がサバトが掲げるは――『魔術と武術の融合』じゃ! 不服ならば他のサバトを見つけ、移るが良い。わしが取り計らう」
武術と魔術の融合――
自分の身を、自分達の居場所を守る為に。
学園を始めとした至る所に蔓延り、弱者を虐げて楽しむ悪漢達と戦う為に。
エルノール達は変わらなければならないのだ。
「また、これに伴い、我がサバトの拠点を風星学園地下に移す! 全ての資材をそこに運び込むのじゃ! 全ての物を運び終えたのを確認次第、わしが元の場所を一時封鎖する」
移転を構成員達に通達し、即時かからせる。
移転は一週間も経たずに終え、殆ど何も無くなった今までの支部を一人見回る。
何もない、けれど全ての始まりだった場所――
何もないが故に艱難辛苦を強いられた場所――
身寄り無き少女達が親と慕ってくれた場所――
凱と瑞姫を運命と共にサバトへ導いた場所――
凱と愛の契りを結んだ、忘れられない場所――
人間界に来た時からの出来事が走馬燈のように脳裏を駆け巡る。
目を閉じると、頬に一筋、また一筋……涙が溢れ、止まらない。
それでも、涙の止まらぬ目を開き、魔法を詠唱する。
「我が地よ、今暫し、その扉を固く閉じよ」
またこの場所を使う事になるだろうとエルノールは思っていた。
下手にこの場所を土塊に帰す事は、今の段階では出来なかったのだ。
「今ひと時、眠ってくれ……、わしの、思い出の場所よ……」
静まり返った通路を涙も拭かずに歩きながら、エルノールは長い時を過ごした場所にひと時の別れを告げた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二日後、夕刻の学園長室でエルノールが一人物憂げに椅子に座っていた。
彼女の心は浮かなかった。思い出深い場所を自らの手で封じたのだから無理もない事だが、それに追い打ちをかけるように退学届続出の主犯として高等部の四人の女子生徒の名が浮上していたのだ。
彼女達は多額の寄付金と親の権威を盾に、最近かなり横暴な振る舞いが目立って来ていた。
奇しくもそれは退学届が続出し始めた時期と重なっていたのである。
「証拠があっても、親が握り潰す――か……。厄介な相手じゃわい」
攻める為の決め手があっても、それを親が権力と財力で握り潰すのだ。いくらこちらが力を持っても、相手が日本でも有数の大企業総帥だったり資産家である以上、社会的な信用は圧倒的に相手の方が上だ。
迂闊に攻めればこちらが潰され、サバトの財産の全てを損害賠償か慰謝料として毟り取られるに違いない。
そしてそれこそが相手の最大の目的であろう。ならば目標を絞り、その穴を突いて崩していくしかない。
それには容疑者四人を洗い出して最も悪質な行いをする者を見つけ、その親の組織を切り崩す事が重要となる。
だが、エルノールは凱達にこれらをまだ告げていない。
余計な心配をさせたくないのと、伝えるには早いという彼女なりの考えなのだが、それが己自身の精神に負担を及ぼしてしまっていた。
「……駄目じゃ、頭が回らぬ。今日は此処までにしよう」
椅子から降りて伸びをするエルノール。
そこに響くノックの音に、彼女は大慌てで気持ちを切り替えて入室を促す。
入って来たのは凱だった。
「学園長、定時報告と構成員からの報告を持ってきました」
「――っ! 聞こう」
普段、自分達が持ってくる筈の報告を凱に持たせる事などまずない。
それを持たせると言う事は何かあったと思うのが当然だろう。
早速、構成員からの報告を聞くと、エルノールは異様に渋い顔をし出す。
その主犯と思しき女子生徒の名が挙がり、更に彼女達が他の女子生徒を取り巻きとして懐柔し、自分達の気分や気に入らない者に冤罪を被せ、公衆の面前で恥をかかせるいじめを楽しんでいると言う。
勿論これは一例に過ぎず、帰宅途中に暴力団らしき者に襲撃されたり、その生徒の親族を標的にして風俗店に引き込もうとしたり等、続々と出て来るのだ。
学園を内部から侵食して自分達の憂さ晴らしの遊び場にし、いずれは支配者になろうと企んでいるのであろう――
エルノールがそう断定するしかない悪質ないじめが横行しているのだ。それも生徒の親族にまで被害が及んでいるとなれば、もう静観する訳にはいかない。
報告を聞き終えたエルノールは凱を引き留め、サバトを「エルノール・サバト」とした事、その理念を「魔術と武術の融合」とした事、そして自分に関わる者達全員の協力が要る事を告げた。
彼女は更にこう告げる。
「ああ、そうじゃ。中央塔の地下に我等の為の基地を作っておいた。特別寮以上の完全防音じゃから、特別寮では出来ん事もめいっぱい出来るぞ♪」
「そ……、そう……」
その言葉に、流石の凱も引き気味になる。
「わしはまだ少し書類が残っておるから、済まんが瑞姫達に伝えてくれんか」
「了解。今から伝えに行く」
こうして二人は一旦別れた。
*****
凱は特別寮に戻り、瑞姫達全員をリビングに集めた。
一体何があるのかと朱鷺子や亜莉亜も不思議がるが、凱はエルノールから言付かったサバト改編と一部生徒達によるいじめや乱行を伝える。
「学園長……大変だね」
「でも、生徒がそんなことをするのはいけないですよー」
朱鷺子とアリアが感想を言うと、瑞姫らもこれに続く。
「学園長がそう決めたなら、わたし達がそれを止める権利なんてないです」
「そうですわね。わたくしも一般の学部の生徒の、身勝手極まる乱行には少し頭に来ておりますの」
「旦那さまに伝言を託されているということは、恐らく、対策に向けて動いていると見なければなりません」
幸いにも凱とエルノール以外は時間の融通が利く立場である。
ロロティアの言に瑞姫らはすぐさま協議し、二人に協力する事を決めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日、凱は瑞姫達を伴って学園長室にいた。
いち早く業務に取り掛かっていたエルノールは一旦手を止め、全員を地下基地へ案内する。
そこは以前の拠点や特別寮などとは比べ物にならない規模を持つ、エルノール・サバトとしての新しい拠点でもあった。凱達はその整然とした構造と広さにただ驚くばかり。その広さというのも風星学園の敷地と同等で、二階分もあるのだ。個人の部屋から作戦室、ゲストルーム、厨房等、ありとあらゆる物を揃えている。
作戦室では既に構成員達が事案の資料を精査しており、敵対者の個人情報や彼らにまつわる物事を探し回っている。
「いよいよ反撃にかかる、か」
凱の呟きにエルノールは反論する。
「戯け、まだまだ情報が足りな過ぎる。敵と判明した者達があまりにも厄介な連中じゃ」
情報はいくらあっても困らない。むしろあればある程、作戦における精度が増すのだ。
ましてや相手が政財界に名を連ねる者と分かったからには、確実に脆い部分を見つけ、これを突き崩していかなければならない。
恐らく勝負は一度きり、負ければ死よりも辛い地獄が待っている。
生徒を路頭に迷わせるなど以ての外だ。
――彼を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し――
孫子のこの言葉があるように、これでもかと言わんばかりの情報を掻き集め、自分達の現状を把握し、必勝の体勢を整えなければならないのだ。
「この際ついでじゃ。寮の運営がキキーモラだけではやりにくい事もあるじゃろうて、中等部と高等部にも住み込みで働ける夫婦を募集しようではないか。尤も、かなり条件を絞った上でのスカウトになるがのう」
急に何を言い出すのかと皆、エルノールに視線を向ける。
「それに朱鷺子、瑞姫、そして兄上には大きな難題がある。後顧の憂いを無くさねばならん。じゃが一度に形をつけるのは難しい。そこで情報を精査しつつ、始末していこうと思っておる」
と言いながら、彼女の中では最初の計画が既に決まっていたらしい。
「まずは瑞姫、お主からじゃ。凝りもせず、お主につけ回っとる奴等がおる。そ奴等から成敗せねばならん」
「ま……、まだ、わたしのことを追っかけてる人がいるの!? そ……そんな……」
自ら終わらせた事が、実際は終わっていなかった事実を知り、ショックで倒れかけた瑞姫を凱は支える。
「お兄……さん……、ごめんな、さい」
今にも泣き出しそうな顔で、瑞姫は愛する義兄に謝る。そんな姿にエルノールはますます憤慨の度合いを深める。
「許せんのう……。わし等の大事な仲間を此処まで苦しめるとは……! 三班、集合!」
エルノールが怒りを抑えたかのように声を出すと、数人が駆け寄り、整列する。
「少々予定が早まった。瑞姫をつけ回す連中に関する情報集めを急がせよ。数日中には仕掛けるぞ」
「「「はい!!」」」
焦り、と取られてもおかしくないものがエルノールに取り付いてる――
凱はそう直感し、瑞姫に話しかける。
「瑞姫、今日は――」
「分かってる、お兄さん。今日は、学園長のそばにいてあげて。わたし……、今はお兄さんを……」
「とにかくゆっくり休むんだ。肩を貸すから、ひとまず寮に帰ろう」
「うん……。甘えるね」
しなだれるように寄り添う瑞姫のすぐ側で、凱はエルノールに声をかける。
「エル。瑞姫を寮に帰して、また戻る」
「……うむ」
二人を送り出すエルノールの返事はただそれだけだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一時間後、凱は瑞姫を眠ったのを見届け、エルノールの元に戻って来た。
「瑞姫の様子はどうじゃ?」
「取り敢えずは落ち着いた。今は寝てる」
「そうか」
淡々としつつも明確な会話。
長々と前置きするなど時間の無駄というものだ。
「そうじゃ、忘れとった。我がサバトで密かに進めておった物の製造が軌道に乗ったんでな。見せておきたい、こっちに来てくれ」
エルノールはそう言って凱を作戦室から連れ出して別の部屋に入ると、部屋にいた魔女が畏まる。
「良い。例の物を兄上に見せよ」
「はい。……こちらになります」
魔女が出して来たのは箒に似せた鈍器とも言うべき代物。両端にカットされた魔宝石が取り付けられているのだが、打撃部になるのであろうパーツには一際大きな魔宝石が埋め込まれ、それを包むように装甲板が組まれている。
「名はロアリングキャノン、我がエルノール・サバトの制式装備じゃ。テストは上々じゃが実戦ではどうなるか分からぬ。それでも、これを使う時はすぐに来るじゃろう」
「箒じゃなく純粋な武器?」
「箒を基にした飛行ユニット、そして銃砲撃用の装備じゃ」
「何故、そんなのを?」
「自分達でも戦える力を身につける為じゃ。我がサバトが『魔術と武術の融合』を掲げたのはさっきも言った通りじゃが、理性と野生、武力と知性、柔と剛……、相反するものを取り入れ、力としていく。お主はわしと共に、このサバトの旗印となるのじゃ。嫌とは言わせぬ」
凱を見つめるエルノールの瞳は言うまでもなく真剣であるし、ましてバフォメットと関わって嫌などと言える筈もない。
「どうして嫌だと言わなきゃいけない? 今更拒否する事に意味があるの?」
凱の言葉は、エルノールにとって全くの杞憂だった。
いや、分かってはいた。それでも彼女は直接の言葉が欲しかったのだ。
婚約者の、愛する者からの言葉が。
ふっ、と微笑を浮かべながらエルノールが答える。
「分かってはいても、どうしても訊きたいものじゃよ。いや、わしだけではない。今、このサバトに属している皆が、兄上と共に歩むんじゃ。無論わしも、瑞姫も、朱鷺子も、亜莉亜も、ロロも、レーテもじゃ。わし等は兄上と運命を共にすべく出会った、そう信じとる」
新たな運命の扉がここに開かれ、新たな試練と苦難がすぐそこに迫って来ていた――
孤児院としての役割しか果たしていない現状のままでいいのかという事に加え、学園自体にも反抗勢力が現れ、力をつけ始めている事に頭を悩ませているところに、最近、急激に退学届が増えてきていたのだ。
明確な理由を書かず、告げず、ただ「退学させて下さい」とだけ。
中には親も同伴で土下座までして退学させて欲しいと懇願した生徒までいた。
その殆どが男子生徒だが、やはり明確な理由を告げない。親の仕事の都合ならいざ知らず、そんな気配も無い以上、「理由をはっきりさせなければ退学を認める事は出来ん」と引き止めるのが限界だった。
かと言って監視を強化しようものなら、却って反対勢力に勘付かれる為、対象全員に行き届かせる事も叶わず、結局、逃げるように学園から消えた者が僅かにいる。
それも一家揃っての夜逃げであった。何者かの脅しに屈してしまったであろう事は明白だ。
このままでは学園だけでなく自分のサバトまで潰されかねない――
そんな内憂外患の危機に直面したこの時、凱が危なげながらも竜騎士としての叙任を終えて帰ってきた事は、彼がサバトの更なる力になるのをエルノールに確信させた。
こじつけにも等しいが、それに縋るしかないのが現状だった。
一人でも多くの力と賛同者が彼女には必要だったのだから。
だが、エルノールにとっては退学希望増加の原因究明が喫緊の課題だ。
以前に派遣して貰ったクノイチ部隊を使う事も考えているが、自分の部下でない以上、無理をさせられないと彼女は思っていた。
初代ことバフォさまからも「クノイチ部隊を帰還させなければならなくなるだろう」と昨日連絡が来たばかりなのだ。
何時までも派遣させたままでは、不満が出てもおかしくはない。
理想の伴侶を見つけた者も数人はいるが、それでも一度帰すべきと判断せざるを得なかった。
しかし、かねてから密かに進めていた二つの計画が予定より早く完了した事を受け、エルノールは風星支部の全構成員を緊急招集し、こう宣言したのだ。
「我等風星支部は、本来の名に戻る。【エルノール・サバト】とな! そして、我らは変わらねばならぬ! 己の身を守るのみならず、弱者を虐げる外道共と戦う為に! 我がサバトが掲げるは――『魔術と武術の融合』じゃ! 不服ならば他のサバトを見つけ、移るが良い。わしが取り計らう」
武術と魔術の融合――
自分の身を、自分達の居場所を守る為に。
学園を始めとした至る所に蔓延り、弱者を虐げて楽しむ悪漢達と戦う為に。
エルノール達は変わらなければならないのだ。
「また、これに伴い、我がサバトの拠点を風星学園地下に移す! 全ての資材をそこに運び込むのじゃ! 全ての物を運び終えたのを確認次第、わしが元の場所を一時封鎖する」
移転を構成員達に通達し、即時かからせる。
移転は一週間も経たずに終え、殆ど何も無くなった今までの支部を一人見回る。
何もない、けれど全ての始まりだった場所――
何もないが故に艱難辛苦を強いられた場所――
身寄り無き少女達が親と慕ってくれた場所――
凱と瑞姫を運命と共にサバトへ導いた場所――
凱と愛の契りを結んだ、忘れられない場所――
人間界に来た時からの出来事が走馬燈のように脳裏を駆け巡る。
目を閉じると、頬に一筋、また一筋……涙が溢れ、止まらない。
それでも、涙の止まらぬ目を開き、魔法を詠唱する。
「我が地よ、今暫し、その扉を固く閉じよ」
またこの場所を使う事になるだろうとエルノールは思っていた。
下手にこの場所を土塊に帰す事は、今の段階では出来なかったのだ。
「今ひと時、眠ってくれ……、わしの、思い出の場所よ……」
静まり返った通路を涙も拭かずに歩きながら、エルノールは長い時を過ごした場所にひと時の別れを告げた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二日後、夕刻の学園長室でエルノールが一人物憂げに椅子に座っていた。
彼女の心は浮かなかった。思い出深い場所を自らの手で封じたのだから無理もない事だが、それに追い打ちをかけるように退学届続出の主犯として高等部の四人の女子生徒の名が浮上していたのだ。
彼女達は多額の寄付金と親の権威を盾に、最近かなり横暴な振る舞いが目立って来ていた。
奇しくもそれは退学届が続出し始めた時期と重なっていたのである。
「証拠があっても、親が握り潰す――か……。厄介な相手じゃわい」
攻める為の決め手があっても、それを親が権力と財力で握り潰すのだ。いくらこちらが力を持っても、相手が日本でも有数の大企業総帥だったり資産家である以上、社会的な信用は圧倒的に相手の方が上だ。
迂闊に攻めればこちらが潰され、サバトの財産の全てを損害賠償か慰謝料として毟り取られるに違いない。
そしてそれこそが相手の最大の目的であろう。ならば目標を絞り、その穴を突いて崩していくしかない。
それには容疑者四人を洗い出して最も悪質な行いをする者を見つけ、その親の組織を切り崩す事が重要となる。
だが、エルノールは凱達にこれらをまだ告げていない。
余計な心配をさせたくないのと、伝えるには早いという彼女なりの考えなのだが、それが己自身の精神に負担を及ぼしてしまっていた。
「……駄目じゃ、頭が回らぬ。今日は此処までにしよう」
椅子から降りて伸びをするエルノール。
そこに響くノックの音に、彼女は大慌てで気持ちを切り替えて入室を促す。
入って来たのは凱だった。
「学園長、定時報告と構成員からの報告を持ってきました」
「――っ! 聞こう」
普段、自分達が持ってくる筈の報告を凱に持たせる事などまずない。
それを持たせると言う事は何かあったと思うのが当然だろう。
早速、構成員からの報告を聞くと、エルノールは異様に渋い顔をし出す。
その主犯と思しき女子生徒の名が挙がり、更に彼女達が他の女子生徒を取り巻きとして懐柔し、自分達の気分や気に入らない者に冤罪を被せ、公衆の面前で恥をかかせるいじめを楽しんでいると言う。
勿論これは一例に過ぎず、帰宅途中に暴力団らしき者に襲撃されたり、その生徒の親族を標的にして風俗店に引き込もうとしたり等、続々と出て来るのだ。
学園を内部から侵食して自分達の憂さ晴らしの遊び場にし、いずれは支配者になろうと企んでいるのであろう――
エルノールがそう断定するしかない悪質ないじめが横行しているのだ。それも生徒の親族にまで被害が及んでいるとなれば、もう静観する訳にはいかない。
報告を聞き終えたエルノールは凱を引き留め、サバトを「エルノール・サバト」とした事、その理念を「魔術と武術の融合」とした事、そして自分に関わる者達全員の協力が要る事を告げた。
彼女は更にこう告げる。
「ああ、そうじゃ。中央塔の地下に我等の為の基地を作っておいた。特別寮以上の完全防音じゃから、特別寮では出来ん事もめいっぱい出来るぞ♪」
「そ……、そう……」
その言葉に、流石の凱も引き気味になる。
「わしはまだ少し書類が残っておるから、済まんが瑞姫達に伝えてくれんか」
「了解。今から伝えに行く」
こうして二人は一旦別れた。
*****
凱は特別寮に戻り、瑞姫達全員をリビングに集めた。
一体何があるのかと朱鷺子や亜莉亜も不思議がるが、凱はエルノールから言付かったサバト改編と一部生徒達によるいじめや乱行を伝える。
「学園長……大変だね」
「でも、生徒がそんなことをするのはいけないですよー」
朱鷺子とアリアが感想を言うと、瑞姫らもこれに続く。
「学園長がそう決めたなら、わたし達がそれを止める権利なんてないです」
「そうですわね。わたくしも一般の学部の生徒の、身勝手極まる乱行には少し頭に来ておりますの」
「旦那さまに伝言を託されているということは、恐らく、対策に向けて動いていると見なければなりません」
幸いにも凱とエルノール以外は時間の融通が利く立場である。
ロロティアの言に瑞姫らはすぐさま協議し、二人に協力する事を決めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日、凱は瑞姫達を伴って学園長室にいた。
いち早く業務に取り掛かっていたエルノールは一旦手を止め、全員を地下基地へ案内する。
そこは以前の拠点や特別寮などとは比べ物にならない規模を持つ、エルノール・サバトとしての新しい拠点でもあった。凱達はその整然とした構造と広さにただ驚くばかり。その広さというのも風星学園の敷地と同等で、二階分もあるのだ。個人の部屋から作戦室、ゲストルーム、厨房等、ありとあらゆる物を揃えている。
作戦室では既に構成員達が事案の資料を精査しており、敵対者の個人情報や彼らにまつわる物事を探し回っている。
「いよいよ反撃にかかる、か」
凱の呟きにエルノールは反論する。
「戯け、まだまだ情報が足りな過ぎる。敵と判明した者達があまりにも厄介な連中じゃ」
情報はいくらあっても困らない。むしろあればある程、作戦における精度が増すのだ。
ましてや相手が政財界に名を連ねる者と分かったからには、確実に脆い部分を見つけ、これを突き崩していかなければならない。
恐らく勝負は一度きり、負ければ死よりも辛い地獄が待っている。
生徒を路頭に迷わせるなど以ての外だ。
――彼を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し――
孫子のこの言葉があるように、これでもかと言わんばかりの情報を掻き集め、自分達の現状を把握し、必勝の体勢を整えなければならないのだ。
「この際ついでじゃ。寮の運営がキキーモラだけではやりにくい事もあるじゃろうて、中等部と高等部にも住み込みで働ける夫婦を募集しようではないか。尤も、かなり条件を絞った上でのスカウトになるがのう」
急に何を言い出すのかと皆、エルノールに視線を向ける。
「それに朱鷺子、瑞姫、そして兄上には大きな難題がある。後顧の憂いを無くさねばならん。じゃが一度に形をつけるのは難しい。そこで情報を精査しつつ、始末していこうと思っておる」
と言いながら、彼女の中では最初の計画が既に決まっていたらしい。
「まずは瑞姫、お主からじゃ。凝りもせず、お主につけ回っとる奴等がおる。そ奴等から成敗せねばならん」
「ま……、まだ、わたしのことを追っかけてる人がいるの!? そ……そんな……」
自ら終わらせた事が、実際は終わっていなかった事実を知り、ショックで倒れかけた瑞姫を凱は支える。
「お兄……さん……、ごめんな、さい」
今にも泣き出しそうな顔で、瑞姫は愛する義兄に謝る。そんな姿にエルノールはますます憤慨の度合いを深める。
「許せんのう……。わし等の大事な仲間を此処まで苦しめるとは……! 三班、集合!」
エルノールが怒りを抑えたかのように声を出すと、数人が駆け寄り、整列する。
「少々予定が早まった。瑞姫をつけ回す連中に関する情報集めを急がせよ。数日中には仕掛けるぞ」
「「「はい!!」」」
焦り、と取られてもおかしくないものがエルノールに取り付いてる――
凱はそう直感し、瑞姫に話しかける。
「瑞姫、今日は――」
「分かってる、お兄さん。今日は、学園長のそばにいてあげて。わたし……、今はお兄さんを……」
「とにかくゆっくり休むんだ。肩を貸すから、ひとまず寮に帰ろう」
「うん……。甘えるね」
しなだれるように寄り添う瑞姫のすぐ側で、凱はエルノールに声をかける。
「エル。瑞姫を寮に帰して、また戻る」
「……うむ」
二人を送り出すエルノールの返事はただそれだけだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一時間後、凱は瑞姫を眠ったのを見届け、エルノールの元に戻って来た。
「瑞姫の様子はどうじゃ?」
「取り敢えずは落ち着いた。今は寝てる」
「そうか」
淡々としつつも明確な会話。
長々と前置きするなど時間の無駄というものだ。
「そうじゃ、忘れとった。我がサバトで密かに進めておった物の製造が軌道に乗ったんでな。見せておきたい、こっちに来てくれ」
エルノールはそう言って凱を作戦室から連れ出して別の部屋に入ると、部屋にいた魔女が畏まる。
「良い。例の物を兄上に見せよ」
「はい。……こちらになります」
魔女が出して来たのは箒に似せた鈍器とも言うべき代物。両端にカットされた魔宝石が取り付けられているのだが、打撃部になるのであろうパーツには一際大きな魔宝石が埋め込まれ、それを包むように装甲板が組まれている。
「名はロアリングキャノン、我がエルノール・サバトの制式装備じゃ。テストは上々じゃが実戦ではどうなるか分からぬ。それでも、これを使う時はすぐに来るじゃろう」
「箒じゃなく純粋な武器?」
「箒を基にした飛行ユニット、そして銃砲撃用の装備じゃ」
「何故、そんなのを?」
「自分達でも戦える力を身につける為じゃ。我がサバトが『魔術と武術の融合』を掲げたのはさっきも言った通りじゃが、理性と野生、武力と知性、柔と剛……、相反するものを取り入れ、力としていく。お主はわしと共に、このサバトの旗印となるのじゃ。嫌とは言わせぬ」
凱を見つめるエルノールの瞳は言うまでもなく真剣であるし、ましてバフォメットと関わって嫌などと言える筈もない。
「どうして嫌だと言わなきゃいけない? 今更拒否する事に意味があるの?」
凱の言葉は、エルノールにとって全くの杞憂だった。
いや、分かってはいた。それでも彼女は直接の言葉が欲しかったのだ。
婚約者の、愛する者からの言葉が。
ふっ、と微笑を浮かべながらエルノールが答える。
「分かってはいても、どうしても訊きたいものじゃよ。いや、わしだけではない。今、このサバトに属している皆が、兄上と共に歩むんじゃ。無論わしも、瑞姫も、朱鷺子も、亜莉亜も、ロロも、レーテもじゃ。わし等は兄上と運命を共にすべく出会った、そう信じとる」
新たな運命の扉がここに開かれ、新たな試練と苦難がすぐそこに迫って来ていた――
19/08/08 20:26更新 / rakshasa
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