卒業の後は厄介事がしゃしゃり出る
瑞姫がドラゴンと化し、凱と結ばれてから少々の月日が経ち、新たな春を迎えた頃――
いち早く魔物娘となった瑞姫は16歳になると共に美しく成長し、家庭科の成績は今や特別クラスの、ともすれば学園トップの地位にいた。
これはひとえに凱と過ごす日々の中で、彼の背中を見ながら実践していた事が大きい。
朱鷺子は18歳となり、僅かではあるが明るい笑顔を見せるようになった。
だが、彼女は学園を卒業しなければならない。
学園ではそれぞれの棟で卒業式が挙行された。
学園長であるエルノールは水晶球から投影された映像で全ての棟へ向けて一斉に式辞を述べる。
卒業証書も中等部・高等部では各教頭が、特別クラスでは担任である亜莉亜が卒業生に授与する手筈だ。
各棟でつつがなく卒業証書の授与が終わり、在校生達による見送りが行われる。
だが、凱は少し心が浮かなかった。
それは瑞姫の親友となった朱鷺子の事だ。
凱は独自にサバト風星支部の魔女に接触して調べてもらっていた。
その結果で分かった事は――
彼女の両親が凶悪テロ組織の構成員とブローカーで現在は国際手配を受けている事。
朱鷺子自身が親戚から疎んじられて学園寮での生活を余儀なくされていた事。
――この二つだった。
更に彼女は卒業と共に、家代わりとなっていた学生寮を退寮しなければならない。
かと言って、両親が存命である限り彼女には社会人としての将来は無い。
そこで凱は事前にエルノールとアリアに対し、朱鷺子の事をどうすべきか談判した。
余計な介入であることは十分承知していた。
個人的な贔屓に繋がりかねない事も。
それでも、義妹がようやく自分の力で作る事が出来た友人を放っておけなかったのも、また事実だったのだ。
エルノールも実はこの事について独自の計画を立て、実行に移していた。
それが本人の元に知らされるのは、朱鷺子本人が退寮する頃となるのだが……。
ティーパーティーをきっかけに親交を交わし合った女生徒の一部も朱鷺子同様に卒業していった。
彼女らは見送りを受け、寮を出た後、適性の高い魔物娘となるべく魔界へと旅立つ事が決まっている。
それが特別クラスの存在意義でもあるし、社会や親族から見放された彼女達にとって人間の世界など、未練どころか興味すら無いのだろう。
卒業式を終え、新学期までの短い春休みに入る最後の見回りを終えた凱は報告書を書くべく職員室に戻る。
亜莉亜以外の教師陣は既に仕事を終えていた為、一足早く実家へ帰省していた。
天涯孤独のアリアにとって、新しく移ったマンションが自身の実家だ。
瑞姫は新学期から個別授業となり、同時に【特別寮】への入寮を終業式で告げられた。
それは言わずもがな、いち早く魔物となった為だ。
変じた種族がドラゴンとなれば、学校内外への影響は大きい。
ましてドラゴンは魔物娘の中にあって最高位に位置する種族の一つ。
素質を持つ人間自体も少な過ぎるのでは、希少性も高くなる。
エルノール個人の考えとしては、ドラゴンとしてはまだ幼いと判断したのも理由ではある。
けれどそれ以上に、サバトへの好感を示した瑞姫をそのままサバトに引き入れ、そのまま凱も引き入れる事こそが最大の目的であった。
適切な力と知識を身に付けさせ、その制御も出来るようにさせる――
そうすれば、サバト本来の役割である「魔王軍・魔術部隊」の発展に寄与するであろう、という目論みがあるのだ。
しかも瑞姫はサバトに好意的であるし、風星支部の構成員達からも参入を心待ちにされている。
エルノールにとって、初代からの勅命である以前に千載一遇の好機。
ドラゴンになった瑞姫の力をみすみす手放す事など出来る筈も無い。
特別クラスの半分程度の面積がある一室が空いている事に目を付け、そこを瑞姫専用の教室として使う事にもなった。
瑞姫はいきなり親と離れる事になる寂しさと不安に押し潰されそうになっていた。
なれど魔物娘、それもドラゴンとなった事を鑑みれば、止むを得ない措置と言えたかもしれない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
朱鷺子は荷物をまとめていた。
卒業し、学生としての身分が無くなった以上、彼女は寮から出なければならない。
そして春休みが明け、新しい年度が始まれば、この部屋を新たな生徒が使う事になるのだ。
実は今回の卒業生で朱鷺子が最後の退寮者だった。
本来なら既に魔界へ旅立つ一人である彼女が、魔界行きを決めていなかったのには訳がある。
三年間の寮生活が、朱鷺子に大切なものを得るきっかけを与えたからだ。
大切なもの――それは友達。
瑞姫との出会いは朱鷺子に笑顔と安らぎ、そして新しい夢へ進むきっかけとなり、凱との出会いは自活する術を与えて貰った。
二人以外にもそれなりに交流出来ていたが、何しろ彼女自身がダウナー思考ゆえ、多少の話し相手以上の関係にはならなかった。なれなかったとも言えるのかもしれない。
何より、千奈とは出会った時が悪過ぎた。
自身が憧れた『家族像』を龍堂兄妹に見出していたのだから。
とは言え、自分の荷物が驚くほど少ない事を朱鷺子は思い知る。
教科書は処分して貰うとしても、着替えや私服、思い出の品となった制服一式を入れてもボストンバッグ2つで足りてしまったのだ。
驚くほど何も持って無かったのだと、少々自嘲気味に考える朱鷺子。
寮母に連絡して部屋の最終点検をして貰い、すぐにOKが出された。
「三日月さん、卒業おめでとう。ここを離れなきゃいけないのは寂しいけど、きっと何処かで縁があると思ってるわ。何かあったら、何時でもいらっしゃい」
「……はい。……ありがとう、ございます。お……、お世話に、なりました」
寮母からの卒業祝いと励ましを受け、朱鷺子は精一杯の気持ちを込めて感謝の意を伝え、お辞儀する。
互いにお辞儀を終えると、寮母が思い出したように話を切り出す。
「ああ、そうそう、忘れてたわ。用務員の妹さんが教室で待ってるそうよ。さあ、行ってあげなさい」
「……はい。……縁があったら……、また……」
「ええ、きっとまた」
朱鷺子は寮母に別れを告げて学生寮を後にし、その足で瑞姫が待つと言う教室へ向かう。
だがこの時、朱鷺子も寮母も知らなかった。
その縁がすぐさま訪れる事に――
程無くして着いた教室には寮母の言った通り、瑞姫の姿があった。朱鷺子の姿を見つけると笑顔を向けてくる。
「あ、朱鷺子さん」
「……瑞姫ちゃん」
卒業式を終えた教室には瑞姫しか残っていない。
卒業式が終わって終業のHRも終われば、生徒達にとっては春休みに入ったも同じ。
それでも学園内に残っているのは遠方から来て、帰る事の出来ない寮生くらい。
家も身寄りもない特別クラスの生徒にとっては、寮そのものが家なのだが…。
朱鷺子は瑞姫の隣の席に座って問う。
「……ところで……瑞姫ちゃん。……ボクに、何か用なの?」
「はい。実はお兄さんや両親と相談して、朱鷺子さんとアリア先生をわたし達の家に呼ぼう、って話になったんです」
「……どうしてボクと、先生?」
「お兄さんが学園長に掛け合ってみたそうで、『折角だから、労いのパーティーでもして見たらどうだ』と学園長から言われたんです。それを聞いちゃった先生が、かなり乗り気だったらしくて…」
「……でも、何で……アリア先生だけ?」
その問いに瑞姫は若干言い辛そうな表情をしながら、答える。
「他の先生達は、その、休暇で里帰りしたそうで。それで、お兄さんと亜莉亜先生だけで、今年度最後の点検をすると……」
「……そう……なんだ」
「春休みが明けたら、どんな新入生が来るんでしょうね。でもわたしは新学期から一人になるから……不安ばかり……」
「……ボクも……、初めはそうだった。父も母も親戚も怨んだし、人間が……嫌いだった」
朱鷺子は一度言葉を切り、怨みたくなる程の晴天を見ながら再び言葉を出す。
「……でもね。瑞姫ちゃんと用務員さんに出会って、何かが変わったと……思ってる。僕に憧れと……夢を持たせてくれたから」
だが、朱鷺子の言葉とは逆に瑞姫の表情は重く沈む。
「朱鷺子さん。《お兄さん(あの人)》も……人間を激しく怨んでるんです……」
「……あの用務員さんが……?」
「地域ぐるみでの酷いいじめを受けて……、亡きお父様以外は誰も助けてくれなかった、と……」
「……お父様? え? どう言う……事なの?」
「お兄……、凱、さんの本当の、いいえ、以前の名字は『竜宮』と言います。『龍堂』はわたしの方の姓で、お兄さんは……彼のお父様の遺言で養子になった……義理の兄です」
「……そういう事だったんだ」
「これを知ってるのは学園長だけです……。クラスの人に話すのは、朱鷺子さんが……初めて、です」
「……ボクに話してくれるって、何か、嬉しい。これが……友達って、ものなんだね」
「実はそれだけじゃないんです…。わたしとお兄さんは――」
言いかけたその時――
『三日月朱鷺子、直ちに学園長室に出頭せよ。繰り返す。三日月朱鷺子、直ちに学園長室に出頭せよ』
瑞姫の言葉を遮った校内放送に朱鷺子が驚いたのは言うまでも無いが、それ以上に驚いたのが瑞姫だった。
エルノール自身がパーティーを認可したにも関わらずの呼び出しなのだから、これで驚くなと言うのが無茶な話だ。
「……ちょっと行ってくる」
「はい。私はここで待ちます。多分、お兄さん達も来ると思うので」
「……分かった」
そう言いながら朱鷺子は立ち上がり、ゆったりとした足取りで学園長室へ歩を進める。
彼女が学園長室に向かってから数分後、凱と亜莉亜が作業を終えて教室に入ってくる。
「お兄さん、先生、お疲れ様です」
「待たせて済まんな」
「朱鷺子ちゃんが学園長に呼ばれてましたから、もう少し待ちますかー」
軽い雑談が始まるその一方で、朱鷺子には意外な事が待っていた――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
さて、その朱鷺子は学園長室の扉をノックしていた。
「……三日月です」
『おお、入るが良い』
学園長室に入った朱鷺子をエルノールは応接用のソファーに座って待ち構えていた。
「来たか。そこに座るが良い」
軽く驚く朱鷺子を尻目にエルノールは自分の向かいに座るよう促す。
朱鷺子がそれに従って座ると、開口一番にエルノールは本題を切り出した。
「お主、進路を未だに決めていないというではないか」
その問いに朱鷺子は無言のままだ。
「まあよい。お主の家族の事は、編入の時点で調べ上げておるでな」
続けて出されたこの言葉には、流石に動揺を隠す事は出来ない。
それに構わず、エルノールは続けた。
「そこでじゃ。お主にやって貰いたい事がある」
朱鷺子が何の事かと首を傾げるが、それを確認するかのように再び言葉を紡ぐ。
「お主には嘱託の用務員として、この学園で働いて貰う。まあ、龍堂君と同じようなものじゃが、お主には更にもう一つ、任せたい事がある」
ますます困惑する朱鷺子。
エルノールはなおも構わず、続きを話す。
「お主に瑞姫の教育を頼みたい」
「え? ……ボクが、瑞姫ちゃんの……?」
「そうじゃ。春休みが明けて新学期となったら、瑞姫には個別での授業を受けて貰う。いち早く魔物となってしまったからには特別クラスに置く事は出来ん。それに瑞姫はドラゴンになったばかり。最初から魔物として生まれた個体とは違い、ドラゴンとして備える知識も力も足りん。このままでは容易く暴走してしまうじゃろう。まして、男が絡めば尚の事じゃ」
この言葉に朱鷺子はハッとする。
「……それは瑞姫ちゃんのお兄さん、いえ、龍堂用務員の事ですよね?」
「何故、それを知っておる」
「……瑞姫ちゃんがさっき……、ボクに話してくれました」
厳しい顔をするエルノールに、朱鷺子は僅かに逡巡しつつ答えた。
「そうか……。あの娘はお主と親しいからのう。隠す事ではないと思ったんじゃろうな。まあ良い、お主の今後の処遇についてじゃが――」
神妙な面持ちで朱鷺子はエルノールを見つめる。
「今のお主ではこの世界の社会は論外。他の魔界でも道が定まらぬままでは、急進派のサキュバスやリリムによって面白半分に魔物にされるのがオチじゃ。そしてお主はこの学園の、それも特別クラスで育った家族の様なもの。卒業したら後は好き勝手にやれ、って放り出す程、わしも鬼ではない」
「……だから、嘱託用務員になれ、と……?」
「さっきも言ったじゃろう。瑞姫の教育もやって貰う、と。お主の学力は下手な大学生より遥かに上。知己である瑞姫の教育にはもってこいじゃ」
「……そうですか」
言いながら、朱鷺子は溜息をつく。
この溜息が頼られる事による安堵によるものか、はたまた逃げ場のない事による諦めによるものなのか。
それは彼女自身にさえ分からない。
「関係を聞かされたのなら、もう言っても良いじゃろうな」
「……?」
エルノールは了承と受け取ったのか話を振り、首を傾げる朱鷺子に説明を始めた。
「《瑞姫(あ奴)》を特別寮に入れる。それと、特別寮の一室をお主の住まいとして提供しよう」
「……え!? あ……、あの外れの、ボロ屋に!?」
朱鷺子が驚くのも無理は無かった。
特別寮とは、何らかの形で在籍中に魔物化してしまった、特別クラスの生徒が入る為に作られた寮である。
だが、それが滅多に起きない上に、起きたとしても大概は通常クラスへの再編入か、卒業扱いにさせて魔界へ送るという結果になる為、この10年近くで一人しか入寮しなかったのだ。
二階建ての小さい建物として建っている特別寮だが、新たに住む者は現れず、建物自体も老朽化が著しい。
エルノールはそれについて返答する。
「瑞姫は人付き合いが限定され過ぎておる。おまけにドラゴンは魔物娘の中でもリリムに匹敵する程の最高位クラスに位置する力を持つ種族じゃ。この日本で確認出来たのは瑞姫を含めて十人もおらん。しかも瑞姫はこの学園で初めてのドラゴンじゃ。既に有力者達が瑞姫を嫁に寄越せと電話をかけたり、弁護士を寄越して来ておる。《学園(ここ)》を含めた周辺校の男共が付け狙い出しておるし、女共の嫉妬の的にされるのも時間の問題じゃ。あの娘の両親にも相当な負担がかかるのは目に見えとるからな」
一息つき、言葉は続く。
「それに瑞姫は16歳。龍堂君とは法的に婚姻関係となれる、日本の現行法での最低年齢じゃ。義兄であり婚約者でもある用務員との交際も、病院での一件で既に知られておる。遅かれ早かれ、男子生徒を始めとした周辺の者共があらゆる手段を用いて略奪か報復に出るのは明白じゃ。警察が全く当てにならない以上、我々で自衛策を施すしかない。そこでわしは瑞姫を個別授業にさせ、特別寮に入れるという手段を取ったんじゃ」
「……え? 婚約者?」
朱鷺子は学園長から聞かされた「婚約者」の言葉に動揺する。
「そして……、あの兄妹を春休み明けには婚姻させるつもりじゃ」
「……っ! ……それは……、どういう事ですか?」
この発言に朱鷺子は更なる驚きを見せる。
いくら友人と用務員が義理の兄妹だとは言え、そこまでの関係は知らないのだから。
「何じゃ、瑞姫から聞いとらんのか?」
「……その前に呼び出されました」
「む……、そうか、それは済まなんだ」
エルノールは朱鷺子に龍堂兄妹の本当の関係を明かす事を決めた。
朱鷺子も言うなれば「共犯者」となるのだから。
「あの兄妹は義理というだけでは無い。双方の親が取り決めた、正式な許嫁同士じゃ」
兄妹の真の関係を聞かされ、朱鷺子は言葉が出なかった。
きちんとした血縁関係であるなら、完全に近親相姦となり、法以上に世間の風当たりがとてつもなく悪い。
義理で、しかも許嫁となれば、瑞姫に感じた兄への愛情も納得が行くというものだ。
己に眠る人虎の力が大事な友人を護る力となるのなら――
朱鷺子に一つの決意が宿る。
「……ボク、瑞姫ちゃんの、教師になる」
「そうか…。よくぞ言うてくれたのう」
エルノールがその返答を聞いた時、朱鷺子の目に力強さが感じられていた事に安堵の声を漏らす。
「ところで、寮母には挨拶はしたのか?」
「……はい。『何かあったら、何時でもいらっしゃい』……と言われました」
「ちと悪い事してしもうたな。流石にそういう会話までは予測出来んし……。まあ、寮母にはわしから言っておこう。三日月君、いや、これからは朱鷺子というべきかの。今ある荷物を特別寮に運ぶが良い。家電製品は既に揃えてあるから、安心せい」
「……はい」
「では早速かかるが良い」
「……失礼します」
朱鷺子は安堵しつつも次の作業にかかる為、学園長室を後にした。
すると、一人になったエルノールは途端に怒りを露わにする。
「……おのれぇ……! わしの結界を破り、厄介事を持ちこみおったのは誰じゃ!」
彼女が張った防音と人避けの結界を破った者が誰であるかは未だに分からないままだった。
自身も油断無く張っていた事に自信を持っていただけに、プライドも傷付くというもの。
目下、風星支部の半数を割いて特定に当たっているが、成果はまだ出ていない。
わざわざ「自分がやりました」と痕跡を残すような間抜けであれば苦労はしないし、何よりその真犯人が魔物娘であろうとは予想もしない事だ。
けれど、エルノールは諦めない。
サバトの一員となるかもしれない者を苦しめるような真似をした不届き者を許す事など、断じて出来ないのだから――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
人間からドラゴンになった例は風星学園を含めた周辺では過去に無く、瑞姫が初めての例である。
とは言え風星周辺に限らず、最高位の魔物娘になる事自体が人間界ではニュースになってしまうものだが。
それ故、ニュースで大々的に取り沙汰され、探偵やストーカーらによって素性まで暴かれてしまった。
このせいで瑞姫の両親には有力者達が殺到しており、疲労困憊の状態にある事が支部の調査で分かっている。
既に学園にも有力者達の手が伸び始めていた。
それでも、瑞姫に起こるであろう事態を予測し、保護する事がエルノールの役目だ。
既にドワーフが中心となっているサバト旗下の施工業者に依頼しており、特別寮は春休みの間を利用した大改修の只中にある。
瑞姫と凱、更には朱鷺子の住まいにする――というエルノールの計画の一つだ。
今後は凱も特別寮に入って一緒に住む事になるし、彼らの両親の安全を確保しなければならない。
それが瑞姫にとって唯一の慰めとならん事を祈る他ない、とエルノールは心中で呟く。
この後、朱鷺子の引っ越しと瑞姫の今後を考慮し、パーティーは中止された。
瑞姫は両親との暫しの別れとなる為、転移魔法陣によって即座に自宅へ帰される。
ドラゴンである上に腕を持つ翼という異形の姿は目立つからだ。
凱もエルノールに呼び出されて瑞姫の今後を聞かされ、両親への手紙を託された。
徒歩で帰宅した彼を待っていたのは、二人の今後を心配する義両親であった。
しかもその裏では、結城千奈が卒業式を終えて校舎を出た姿が目撃されたのを最後に、帰宅していない事が判明。
関係者や警察による捜索活動も空しく、手掛かりが何一つ見つからずまま、千奈は失踪者となってしまった――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
同じ頃、王魔界・魔王城の一室――
「あら、トリチェ。随分と上機嫌だね。何かあったの?」
「ええ、リューリィお嬢様。とっても嬉しい事がありまして。お嬢様もお喜びになると思います」
「なになに? 教えて!」
「マルガレーテが魔物化を行っていたので、それに加担したバカの結界を壊して、大々的に公表してやりました♪」
「それはお手柄ね! それでそれで?」
「ドラゴンと化した娘とその伴侶は病院から大目玉♪ すぐさま追い出されて、ニュースにもなりました。マルガレーテの悔しがる顔が浮かんで、美味い酒が飲めますよ、アハハハハハハ!」
「やったぁーーー! これでしばらくはご飯もお菓子も美味しくなるね♪ 姉とも呼びたくない奴は早く野垂れ死ねばいいのに♪」
リューリィと呼ばれた魔物娘はマルガレーテの妹であり、リリム。
トリチェと呼ばれた魔物娘は本名をベアトリーチェ・アスタロッタと言い、リューリィの下で活動するデーモン。
このベアトリーチェこそ、エルノールが構築した人避けと防音の結界を破壊した張本人なのだ。
二人は急進派の中でもかなり活動的で、ベアトリーチェは最近、教団圏の内偵も行っている。
この二人とマルガレーテの間には遺恨があるのだが、これは後に語って然るべき事だろう――
いち早く魔物娘となった瑞姫は16歳になると共に美しく成長し、家庭科の成績は今や特別クラスの、ともすれば学園トップの地位にいた。
これはひとえに凱と過ごす日々の中で、彼の背中を見ながら実践していた事が大きい。
朱鷺子は18歳となり、僅かではあるが明るい笑顔を見せるようになった。
だが、彼女は学園を卒業しなければならない。
学園ではそれぞれの棟で卒業式が挙行された。
学園長であるエルノールは水晶球から投影された映像で全ての棟へ向けて一斉に式辞を述べる。
卒業証書も中等部・高等部では各教頭が、特別クラスでは担任である亜莉亜が卒業生に授与する手筈だ。
各棟でつつがなく卒業証書の授与が終わり、在校生達による見送りが行われる。
だが、凱は少し心が浮かなかった。
それは瑞姫の親友となった朱鷺子の事だ。
凱は独自にサバト風星支部の魔女に接触して調べてもらっていた。
その結果で分かった事は――
彼女の両親が凶悪テロ組織の構成員とブローカーで現在は国際手配を受けている事。
朱鷺子自身が親戚から疎んじられて学園寮での生活を余儀なくされていた事。
――この二つだった。
更に彼女は卒業と共に、家代わりとなっていた学生寮を退寮しなければならない。
かと言って、両親が存命である限り彼女には社会人としての将来は無い。
そこで凱は事前にエルノールとアリアに対し、朱鷺子の事をどうすべきか談判した。
余計な介入であることは十分承知していた。
個人的な贔屓に繋がりかねない事も。
それでも、義妹がようやく自分の力で作る事が出来た友人を放っておけなかったのも、また事実だったのだ。
エルノールも実はこの事について独自の計画を立て、実行に移していた。
それが本人の元に知らされるのは、朱鷺子本人が退寮する頃となるのだが……。
ティーパーティーをきっかけに親交を交わし合った女生徒の一部も朱鷺子同様に卒業していった。
彼女らは見送りを受け、寮を出た後、適性の高い魔物娘となるべく魔界へと旅立つ事が決まっている。
それが特別クラスの存在意義でもあるし、社会や親族から見放された彼女達にとって人間の世界など、未練どころか興味すら無いのだろう。
卒業式を終え、新学期までの短い春休みに入る最後の見回りを終えた凱は報告書を書くべく職員室に戻る。
亜莉亜以外の教師陣は既に仕事を終えていた為、一足早く実家へ帰省していた。
天涯孤独のアリアにとって、新しく移ったマンションが自身の実家だ。
瑞姫は新学期から個別授業となり、同時に【特別寮】への入寮を終業式で告げられた。
それは言わずもがな、いち早く魔物となった為だ。
変じた種族がドラゴンとなれば、学校内外への影響は大きい。
ましてドラゴンは魔物娘の中にあって最高位に位置する種族の一つ。
素質を持つ人間自体も少な過ぎるのでは、希少性も高くなる。
エルノール個人の考えとしては、ドラゴンとしてはまだ幼いと判断したのも理由ではある。
けれどそれ以上に、サバトへの好感を示した瑞姫をそのままサバトに引き入れ、そのまま凱も引き入れる事こそが最大の目的であった。
適切な力と知識を身に付けさせ、その制御も出来るようにさせる――
そうすれば、サバト本来の役割である「魔王軍・魔術部隊」の発展に寄与するであろう、という目論みがあるのだ。
しかも瑞姫はサバトに好意的であるし、風星支部の構成員達からも参入を心待ちにされている。
エルノールにとって、初代からの勅命である以前に千載一遇の好機。
ドラゴンになった瑞姫の力をみすみす手放す事など出来る筈も無い。
特別クラスの半分程度の面積がある一室が空いている事に目を付け、そこを瑞姫専用の教室として使う事にもなった。
瑞姫はいきなり親と離れる事になる寂しさと不安に押し潰されそうになっていた。
なれど魔物娘、それもドラゴンとなった事を鑑みれば、止むを得ない措置と言えたかもしれない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
朱鷺子は荷物をまとめていた。
卒業し、学生としての身分が無くなった以上、彼女は寮から出なければならない。
そして春休みが明け、新しい年度が始まれば、この部屋を新たな生徒が使う事になるのだ。
実は今回の卒業生で朱鷺子が最後の退寮者だった。
本来なら既に魔界へ旅立つ一人である彼女が、魔界行きを決めていなかったのには訳がある。
三年間の寮生活が、朱鷺子に大切なものを得るきっかけを与えたからだ。
大切なもの――それは友達。
瑞姫との出会いは朱鷺子に笑顔と安らぎ、そして新しい夢へ進むきっかけとなり、凱との出会いは自活する術を与えて貰った。
二人以外にもそれなりに交流出来ていたが、何しろ彼女自身がダウナー思考ゆえ、多少の話し相手以上の関係にはならなかった。なれなかったとも言えるのかもしれない。
何より、千奈とは出会った時が悪過ぎた。
自身が憧れた『家族像』を龍堂兄妹に見出していたのだから。
とは言え、自分の荷物が驚くほど少ない事を朱鷺子は思い知る。
教科書は処分して貰うとしても、着替えや私服、思い出の品となった制服一式を入れてもボストンバッグ2つで足りてしまったのだ。
驚くほど何も持って無かったのだと、少々自嘲気味に考える朱鷺子。
寮母に連絡して部屋の最終点検をして貰い、すぐにOKが出された。
「三日月さん、卒業おめでとう。ここを離れなきゃいけないのは寂しいけど、きっと何処かで縁があると思ってるわ。何かあったら、何時でもいらっしゃい」
「……はい。……ありがとう、ございます。お……、お世話に、なりました」
寮母からの卒業祝いと励ましを受け、朱鷺子は精一杯の気持ちを込めて感謝の意を伝え、お辞儀する。
互いにお辞儀を終えると、寮母が思い出したように話を切り出す。
「ああ、そうそう、忘れてたわ。用務員の妹さんが教室で待ってるそうよ。さあ、行ってあげなさい」
「……はい。……縁があったら……、また……」
「ええ、きっとまた」
朱鷺子は寮母に別れを告げて学生寮を後にし、その足で瑞姫が待つと言う教室へ向かう。
だがこの時、朱鷺子も寮母も知らなかった。
その縁がすぐさま訪れる事に――
程無くして着いた教室には寮母の言った通り、瑞姫の姿があった。朱鷺子の姿を見つけると笑顔を向けてくる。
「あ、朱鷺子さん」
「……瑞姫ちゃん」
卒業式を終えた教室には瑞姫しか残っていない。
卒業式が終わって終業のHRも終われば、生徒達にとっては春休みに入ったも同じ。
それでも学園内に残っているのは遠方から来て、帰る事の出来ない寮生くらい。
家も身寄りもない特別クラスの生徒にとっては、寮そのものが家なのだが…。
朱鷺子は瑞姫の隣の席に座って問う。
「……ところで……瑞姫ちゃん。……ボクに、何か用なの?」
「はい。実はお兄さんや両親と相談して、朱鷺子さんとアリア先生をわたし達の家に呼ぼう、って話になったんです」
「……どうしてボクと、先生?」
「お兄さんが学園長に掛け合ってみたそうで、『折角だから、労いのパーティーでもして見たらどうだ』と学園長から言われたんです。それを聞いちゃった先生が、かなり乗り気だったらしくて…」
「……でも、何で……アリア先生だけ?」
その問いに瑞姫は若干言い辛そうな表情をしながら、答える。
「他の先生達は、その、休暇で里帰りしたそうで。それで、お兄さんと亜莉亜先生だけで、今年度最後の点検をすると……」
「……そう……なんだ」
「春休みが明けたら、どんな新入生が来るんでしょうね。でもわたしは新学期から一人になるから……不安ばかり……」
「……ボクも……、初めはそうだった。父も母も親戚も怨んだし、人間が……嫌いだった」
朱鷺子は一度言葉を切り、怨みたくなる程の晴天を見ながら再び言葉を出す。
「……でもね。瑞姫ちゃんと用務員さんに出会って、何かが変わったと……思ってる。僕に憧れと……夢を持たせてくれたから」
だが、朱鷺子の言葉とは逆に瑞姫の表情は重く沈む。
「朱鷺子さん。《お兄さん(あの人)》も……人間を激しく怨んでるんです……」
「……あの用務員さんが……?」
「地域ぐるみでの酷いいじめを受けて……、亡きお父様以外は誰も助けてくれなかった、と……」
「……お父様? え? どう言う……事なの?」
「お兄……、凱、さんの本当の、いいえ、以前の名字は『竜宮』と言います。『龍堂』はわたしの方の姓で、お兄さんは……彼のお父様の遺言で養子になった……義理の兄です」
「……そういう事だったんだ」
「これを知ってるのは学園長だけです……。クラスの人に話すのは、朱鷺子さんが……初めて、です」
「……ボクに話してくれるって、何か、嬉しい。これが……友達って、ものなんだね」
「実はそれだけじゃないんです…。わたしとお兄さんは――」
言いかけたその時――
『三日月朱鷺子、直ちに学園長室に出頭せよ。繰り返す。三日月朱鷺子、直ちに学園長室に出頭せよ』
瑞姫の言葉を遮った校内放送に朱鷺子が驚いたのは言うまでも無いが、それ以上に驚いたのが瑞姫だった。
エルノール自身がパーティーを認可したにも関わらずの呼び出しなのだから、これで驚くなと言うのが無茶な話だ。
「……ちょっと行ってくる」
「はい。私はここで待ちます。多分、お兄さん達も来ると思うので」
「……分かった」
そう言いながら朱鷺子は立ち上がり、ゆったりとした足取りで学園長室へ歩を進める。
彼女が学園長室に向かってから数分後、凱と亜莉亜が作業を終えて教室に入ってくる。
「お兄さん、先生、お疲れ様です」
「待たせて済まんな」
「朱鷺子ちゃんが学園長に呼ばれてましたから、もう少し待ちますかー」
軽い雑談が始まるその一方で、朱鷺子には意外な事が待っていた――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
さて、その朱鷺子は学園長室の扉をノックしていた。
「……三日月です」
『おお、入るが良い』
学園長室に入った朱鷺子をエルノールは応接用のソファーに座って待ち構えていた。
「来たか。そこに座るが良い」
軽く驚く朱鷺子を尻目にエルノールは自分の向かいに座るよう促す。
朱鷺子がそれに従って座ると、開口一番にエルノールは本題を切り出した。
「お主、進路を未だに決めていないというではないか」
その問いに朱鷺子は無言のままだ。
「まあよい。お主の家族の事は、編入の時点で調べ上げておるでな」
続けて出されたこの言葉には、流石に動揺を隠す事は出来ない。
それに構わず、エルノールは続けた。
「そこでじゃ。お主にやって貰いたい事がある」
朱鷺子が何の事かと首を傾げるが、それを確認するかのように再び言葉を紡ぐ。
「お主には嘱託の用務員として、この学園で働いて貰う。まあ、龍堂君と同じようなものじゃが、お主には更にもう一つ、任せたい事がある」
ますます困惑する朱鷺子。
エルノールはなおも構わず、続きを話す。
「お主に瑞姫の教育を頼みたい」
「え? ……ボクが、瑞姫ちゃんの……?」
「そうじゃ。春休みが明けて新学期となったら、瑞姫には個別での授業を受けて貰う。いち早く魔物となってしまったからには特別クラスに置く事は出来ん。それに瑞姫はドラゴンになったばかり。最初から魔物として生まれた個体とは違い、ドラゴンとして備える知識も力も足りん。このままでは容易く暴走してしまうじゃろう。まして、男が絡めば尚の事じゃ」
この言葉に朱鷺子はハッとする。
「……それは瑞姫ちゃんのお兄さん、いえ、龍堂用務員の事ですよね?」
「何故、それを知っておる」
「……瑞姫ちゃんがさっき……、ボクに話してくれました」
厳しい顔をするエルノールに、朱鷺子は僅かに逡巡しつつ答えた。
「そうか……。あの娘はお主と親しいからのう。隠す事ではないと思ったんじゃろうな。まあ良い、お主の今後の処遇についてじゃが――」
神妙な面持ちで朱鷺子はエルノールを見つめる。
「今のお主ではこの世界の社会は論外。他の魔界でも道が定まらぬままでは、急進派のサキュバスやリリムによって面白半分に魔物にされるのがオチじゃ。そしてお主はこの学園の、それも特別クラスで育った家族の様なもの。卒業したら後は好き勝手にやれ、って放り出す程、わしも鬼ではない」
「……だから、嘱託用務員になれ、と……?」
「さっきも言ったじゃろう。瑞姫の教育もやって貰う、と。お主の学力は下手な大学生より遥かに上。知己である瑞姫の教育にはもってこいじゃ」
「……そうですか」
言いながら、朱鷺子は溜息をつく。
この溜息が頼られる事による安堵によるものか、はたまた逃げ場のない事による諦めによるものなのか。
それは彼女自身にさえ分からない。
「関係を聞かされたのなら、もう言っても良いじゃろうな」
「……?」
エルノールは了承と受け取ったのか話を振り、首を傾げる朱鷺子に説明を始めた。
「《瑞姫(あ奴)》を特別寮に入れる。それと、特別寮の一室をお主の住まいとして提供しよう」
「……え!? あ……、あの外れの、ボロ屋に!?」
朱鷺子が驚くのも無理は無かった。
特別寮とは、何らかの形で在籍中に魔物化してしまった、特別クラスの生徒が入る為に作られた寮である。
だが、それが滅多に起きない上に、起きたとしても大概は通常クラスへの再編入か、卒業扱いにさせて魔界へ送るという結果になる為、この10年近くで一人しか入寮しなかったのだ。
二階建ての小さい建物として建っている特別寮だが、新たに住む者は現れず、建物自体も老朽化が著しい。
エルノールはそれについて返答する。
「瑞姫は人付き合いが限定され過ぎておる。おまけにドラゴンは魔物娘の中でもリリムに匹敵する程の最高位クラスに位置する力を持つ種族じゃ。この日本で確認出来たのは瑞姫を含めて十人もおらん。しかも瑞姫はこの学園で初めてのドラゴンじゃ。既に有力者達が瑞姫を嫁に寄越せと電話をかけたり、弁護士を寄越して来ておる。《学園(ここ)》を含めた周辺校の男共が付け狙い出しておるし、女共の嫉妬の的にされるのも時間の問題じゃ。あの娘の両親にも相当な負担がかかるのは目に見えとるからな」
一息つき、言葉は続く。
「それに瑞姫は16歳。龍堂君とは法的に婚姻関係となれる、日本の現行法での最低年齢じゃ。義兄であり婚約者でもある用務員との交際も、病院での一件で既に知られておる。遅かれ早かれ、男子生徒を始めとした周辺の者共があらゆる手段を用いて略奪か報復に出るのは明白じゃ。警察が全く当てにならない以上、我々で自衛策を施すしかない。そこでわしは瑞姫を個別授業にさせ、特別寮に入れるという手段を取ったんじゃ」
「……え? 婚約者?」
朱鷺子は学園長から聞かされた「婚約者」の言葉に動揺する。
「そして……、あの兄妹を春休み明けには婚姻させるつもりじゃ」
「……っ! ……それは……、どういう事ですか?」
この発言に朱鷺子は更なる驚きを見せる。
いくら友人と用務員が義理の兄妹だとは言え、そこまでの関係は知らないのだから。
「何じゃ、瑞姫から聞いとらんのか?」
「……その前に呼び出されました」
「む……、そうか、それは済まなんだ」
エルノールは朱鷺子に龍堂兄妹の本当の関係を明かす事を決めた。
朱鷺子も言うなれば「共犯者」となるのだから。
「あの兄妹は義理というだけでは無い。双方の親が取り決めた、正式な許嫁同士じゃ」
兄妹の真の関係を聞かされ、朱鷺子は言葉が出なかった。
きちんとした血縁関係であるなら、完全に近親相姦となり、法以上に世間の風当たりがとてつもなく悪い。
義理で、しかも許嫁となれば、瑞姫に感じた兄への愛情も納得が行くというものだ。
己に眠る人虎の力が大事な友人を護る力となるのなら――
朱鷺子に一つの決意が宿る。
「……ボク、瑞姫ちゃんの、教師になる」
「そうか…。よくぞ言うてくれたのう」
エルノールがその返答を聞いた時、朱鷺子の目に力強さが感じられていた事に安堵の声を漏らす。
「ところで、寮母には挨拶はしたのか?」
「……はい。『何かあったら、何時でもいらっしゃい』……と言われました」
「ちと悪い事してしもうたな。流石にそういう会話までは予測出来んし……。まあ、寮母にはわしから言っておこう。三日月君、いや、これからは朱鷺子というべきかの。今ある荷物を特別寮に運ぶが良い。家電製品は既に揃えてあるから、安心せい」
「……はい」
「では早速かかるが良い」
「……失礼します」
朱鷺子は安堵しつつも次の作業にかかる為、学園長室を後にした。
すると、一人になったエルノールは途端に怒りを露わにする。
「……おのれぇ……! わしの結界を破り、厄介事を持ちこみおったのは誰じゃ!」
彼女が張った防音と人避けの結界を破った者が誰であるかは未だに分からないままだった。
自身も油断無く張っていた事に自信を持っていただけに、プライドも傷付くというもの。
目下、風星支部の半数を割いて特定に当たっているが、成果はまだ出ていない。
わざわざ「自分がやりました」と痕跡を残すような間抜けであれば苦労はしないし、何よりその真犯人が魔物娘であろうとは予想もしない事だ。
けれど、エルノールは諦めない。
サバトの一員となるかもしれない者を苦しめるような真似をした不届き者を許す事など、断じて出来ないのだから――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
人間からドラゴンになった例は風星学園を含めた周辺では過去に無く、瑞姫が初めての例である。
とは言え風星周辺に限らず、最高位の魔物娘になる事自体が人間界ではニュースになってしまうものだが。
それ故、ニュースで大々的に取り沙汰され、探偵やストーカーらによって素性まで暴かれてしまった。
このせいで瑞姫の両親には有力者達が殺到しており、疲労困憊の状態にある事が支部の調査で分かっている。
既に学園にも有力者達の手が伸び始めていた。
それでも、瑞姫に起こるであろう事態を予測し、保護する事がエルノールの役目だ。
既にドワーフが中心となっているサバト旗下の施工業者に依頼しており、特別寮は春休みの間を利用した大改修の只中にある。
瑞姫と凱、更には朱鷺子の住まいにする――というエルノールの計画の一つだ。
今後は凱も特別寮に入って一緒に住む事になるし、彼らの両親の安全を確保しなければならない。
それが瑞姫にとって唯一の慰めとならん事を祈る他ない、とエルノールは心中で呟く。
この後、朱鷺子の引っ越しと瑞姫の今後を考慮し、パーティーは中止された。
瑞姫は両親との暫しの別れとなる為、転移魔法陣によって即座に自宅へ帰される。
ドラゴンである上に腕を持つ翼という異形の姿は目立つからだ。
凱もエルノールに呼び出されて瑞姫の今後を聞かされ、両親への手紙を託された。
徒歩で帰宅した彼を待っていたのは、二人の今後を心配する義両親であった。
しかもその裏では、結城千奈が卒業式を終えて校舎を出た姿が目撃されたのを最後に、帰宅していない事が判明。
関係者や警察による捜索活動も空しく、手掛かりが何一つ見つからずまま、千奈は失踪者となってしまった――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
同じ頃、王魔界・魔王城の一室――
「あら、トリチェ。随分と上機嫌だね。何かあったの?」
「ええ、リューリィお嬢様。とっても嬉しい事がありまして。お嬢様もお喜びになると思います」
「なになに? 教えて!」
「マルガレーテが魔物化を行っていたので、それに加担したバカの結界を壊して、大々的に公表してやりました♪」
「それはお手柄ね! それでそれで?」
「ドラゴンと化した娘とその伴侶は病院から大目玉♪ すぐさま追い出されて、ニュースにもなりました。マルガレーテの悔しがる顔が浮かんで、美味い酒が飲めますよ、アハハハハハハ!」
「やったぁーーー! これでしばらくはご飯もお菓子も美味しくなるね♪ 姉とも呼びたくない奴は早く野垂れ死ねばいいのに♪」
リューリィと呼ばれた魔物娘はマルガレーテの妹であり、リリム。
トリチェと呼ばれた魔物娘は本名をベアトリーチェ・アスタロッタと言い、リューリィの下で活動するデーモン。
このベアトリーチェこそ、エルノールが構築した人避けと防音の結界を破壊した張本人なのだ。
二人は急進派の中でもかなり活動的で、ベアトリーチェは最近、教団圏の内偵も行っている。
この二人とマルガレーテの間には遺恨があるのだが、これは後に語って然るべき事だろう――
19/01/01 19:29更新 / rakshasa
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