承:恋路は踊る、されど進まず。
翌日、一人じゃ不安だというので一緒に講義に出た後、図書館へ向かった。
「あ〜、もう、席、埋まっちゃってますね…。」
「講義伸びたからなあ。というか、ダブりを心配しなくて言い奴は頑張らなくて言いと思います。」
「どうします?町の図書館はもうすぐ閉まっちゃうし…。」
うーん、そうだな。よし。
「じゃ、ウチに来る?」
一瞬彼女が虚を突かれたような顔をする
「え?ええぇ!い、いいん、ですか?」
「うん。散らかってるけど、それでも良ければ。」
と、いうわけで、今二人で僕の部屋にいる。
「ほあぁ…。」
辺りをきょろきょろ珍しそうに見回すイライザ。
やっぱり男の部屋ってのは珍しいのか。
「ごめんね、汚くて。」
「あ、いえ、綺麗ですよ。」
うん、片付けたからね、一足先に帰って、音速で。
「あれ?眼鏡…。Bさん、目、悪いんですか?」
「ん?ああ、それ、ファッションの伊達眼鏡。」
「ほー。」
覗き込むイライザの隙を突いて、僕はぱっと眼鏡を手に取り、彼女に掛ける。
「ふえ!?な、何を?」
「…。眼鏡似合うな。」
「そ、そーですかね?」
いや、本当、予想以上に合う。なんか女教師っぽい。
「うん。眼鏡掛けると一段とか…」
ビクッ!と彼女の体が跳ねて、そわそわしだす。なんだか知らんが無意味に腕を振ってる。
「か…、賢く見えるね。」
彼女はほっと胸をなでおろし、その後ちょっと口惜しそうな顔をした。
やばい、楽しい。
「えっと、あの、じゃあ、勉強、しましょうか…。」
「えー、いいじゃん。もうちょっといちゃいちゃしようよ。」
彼女の肩を抱いて、ぎゅっと引き寄せる。
ずぶ。
勢いよく僕の頭が、彼女の肩に埋没する。
「ごぼ!?ごぼごぼごぼ!ごぼもがもがもが!ぶはあ!」
すんでのところで彼女に引っ張り出してもらった。
「あの、ごめんなさい。急だったもので、硬化が間に合わなくて…。」
「ゴメンナサイ。チョウシニノリスギマシタ。モウシマセン。」
綺麗なお花畑が見えたよ。
その後は、お勉強タイム、机の前に椅子を二つ並べて座る。
私は立っててもいいですよー、と彼女はいったが、彼女を気遣うとか言う以前に、立ったまま机の上のテキストを覗き込まれると、自然とビッグ・ツーが僕の顔の真横でゆらゆらする形となり、集中どころの話じゃないからだ。
「だから、このときはこっちが過去形ですから…。」
「え!?あ、そっか…。」
「もー、しっかりしてくださいよー。」
これって言われると結構きついのな。
そんなこんなで、数時間。
「はい、ひとまずこれで今日はOKです!」
こんなに頭を使ったのは前世以来じゃなかろうか。脳の重量が倍増したような錯覚を覚える。
すごいな、まだ九時だ。
「ごめんね。こんなことにつき合わせちゃって。自分の勉強もあるでしょ。」
「いいんですよ。それに、Bさんといると、楽しいですし。」
「そいつは光栄だ。次くるときまでに新しい芸を用意しておこう。」
「あの…、Bさん…。」
イライザの顔が一瞬曇る。
「何?」
そう言うと、彼女は、はっと気づいた様な顔をし、大きく手を振った。
「いえ!何でも無いんです!ごめんなさい。帰りますね!失礼します。」
彼女は慌ててバッグを担いだ。一枚何か紙がひらりと床に落ちる。
「何これ?手紙?」
「あ、それは…!」
開くと、それは単純な文章だった。
書き手が分からないよう、新聞の題字を切り抜いて張り合わせた形でこう書かれている。
『出て行け 化け物』
一瞬言葉を失う。
「なんだよ、これ。」
イライザは、ばつが悪そうに目を伏せる。
「おい!これを寄越したのは誰だ!」
「…。わかりません。気がついたら、机の中に…。」
誰だ、誰がやりやがった!?
「何で僕に言わなかった?そんなに僕が信用できないのか!?」
思わず彼女に詰め寄る。
彼女はびくっと身震いし、恐怖のまなざしで僕を見た。
「…。ごめん。興奮しすぎた。」
僕はすっと身を引く。
イライザが2,3回深く息を吸う
「はなしたら…。」
落ち着きを取り戻した彼女は、ゆっくりと喋り始める。
「話したら、Bさんに迷惑がかかります…。」
「はあ?僕なんかどうなったっていいのに。」
「あなたは良くても、私はダメなんです!」
吐き出すように言う彼女。こんな声が出るとは知らなかった。
「それに、大丈夫です。私慣れてますから。」
彼女はすっと、覚悟するように一息吸って、言う。
「慣れてますから、嫌われるの。」
彼女の左目から、ポツリ、と雫が落ちた。
「…。帰ります。今日は楽しかったです。また明日お会いしましょう。」
イライザの玄関へと向かう足が、途中でぴたりと止まる。僕が彼女の手を掴んだから。
「なんですか…?Bさん。」
「このまま帰ったら契約不履行だ。」
「えっ!?だ、だって勉強はちゃんと…。」
「そっちじゃないよ。」
僕はにやりと笑う。
「仲良くしないと、契約違反だろ?」
僕は引きずるように彼女の手を取り、夜の街へと引っ張っていった。
「あ、あの、あの、どこへ?」
「いいからいいから。」
イライザを引っ張って夜の町を進み、やがて一軒の店の前にたどり着いた。
「お、ここ、ここ。」
真鍮のパネルに『BAR 酒呑童子』と筆文字が彫られている。
扉を開けると、そこでは店主のヨリミツさんと、その奥さんでアオオニのオオエさんが料理の仕込をしていた。
「ようB!久しぶりだな!お?なんだその後ろの娘は!?彼女か!?」
「まだ違うよ。時間の問題だけどね。」
「アナタ、気を付けてね。B君は一見紳士だけど実はケダモノだから。」
「何言ってんのアンタ!?」
イライザはというと、俺の後ろで目を丸くしている。
店の奥には、ヤンママサキュバスのパルマさんと、その娘でアリスのキャロルちゃん。医者のアイグナーさんと、それと…。
「げっ!B!」
「お前、なんで一人で飲んでんだよ。メイスン。」
「うるさい!ナンパに失敗したんだよ!リア充め!飛行機ごと爆発しろ!」
「飛行機って何?」
「ああ、聞いてくださいよオオエさん。コイツかくかくしかじかでダブると航空隊で。」
「あらー!制服できたら見せてね!」
「だからなんで入隊確定なんだよ!」
笑い声が起こる。
「注文は?ビール?」
「あー、じゃあ今日はワイン適当に。」
「おい!大丈夫かB !?そんな洒落たもん飲んで胃が腐っても知らんぞ!?」
「腐るかぁ!」
「はいはい、安いので良かった?」
オオエさんがボトルとグラス二つを僕の前に置く。
「あ、ありがとうございます。」
ぺこりと頭を下げるイライザ。
「いやー、可愛い娘じゃない!どこで引っ掛けたの?」
パルマさんがボトル片手に言う。
イライザは恥ずかしそうにうつむく。
「引っ掛けたというか、かくかくしかじか。」
「え!?大学!?」
「へえ、じゃあ、この子があのベータスフォードに入ったっていう。話には聞いてたけど、こんな綺麗な子とは。才色兼備か。すごいな。」
アイグナーさんが眼鏡を持ち上げる。
「あ、あ、あの…。」
イライザは分かりやすく狼狽し、グラスを手に取ると、一息に飲み干してしまった。
「へー。大学生。おどろいたなー。そんなに頭良いんだ。すごーい。」
パルマさんが手を叩く。
「すごーい。」
キャロルちゃんも後に続く。
「むー…。」
照れ隠しか、カパカパ杯を開けるイライザ。大丈夫か!?
「大学はどう?変な男に引っかかってない?あ、もう遅いか…。」
「僕か!?」
「ママー、だいがくってなーに?」
「大学はね、頭のいい人が行くところよ。」
「じゃあ、なんでBのにーちゃんは行ってるの?」
「余計なお世話だ!」
店内がどっと沸く。
「あははははー。言われてんのー!」
ふと気づくと隣で聞きなれない笑い声が上がっている。
「イライザ大丈夫!?って、ぎゃあ!」
真っ赤になっているんじゃないかと思って顔を見て、肝をつぶした。彼女と飲んだワインが混ざり合って、なんとも言えない色合いを呈していたからである。
「なあ、ちょっと、飲みすぎじゃ、」
「ふぇ?のみすぎ?そんなことないれすよぉ!あはははははは!」
いや、飲みすぎだろ。どう考えても。
見ると、テーブルの上には乱立する空ボトル。
「え!?ちょっと、オオエさん!?いつの間にこんなに!?」
「へ?いや、そこの彼女がいい飲みっぷりだったから、どんどん追加しちゃった。」
てへっ、と舌をだすオオエさん。
「いやいや、アナタと一緒に考えちゃダメでしょ!」
「ちなみに、勘定書がこちら。」
小さなバインダーを渡される。
まあ、安い酒ではあるけれど。
ちりも積もれば山となる。
「…。入隊してからじゃ、ダメですか?」
オオエさんが店の隅に飾ってあった金棒を掴むと、勢いよく床に振り下ろした。
恐ろしい音と共に、店全体が大きく揺れる。
「いつもニコニコ現金払い♪」
オオエさんが、にっこりと微笑む。
「…。アイ・シー。」
背筋が凍る。
「イライザちゃん、だっけ?この男に変な事されたりしてな〜い?」
パルマさんも大分メートルを上げてきている。
「はいっ!さっきいきなり抱きつかれました!」
何言ってんの!?
イライザのテンションがおかしくなっている。
「わー、Bエロい!イライザちゃん!アイツに背中を見せちゃダメよ。」
「ほんとにもー、あの人は、『君みたいな可愛い娘とヤれたら一生幸福なのに。』とか言うんですよ!私に!」
言ってないよ!尾ひれがついてるよー!
「キャー!セクハラ!セクハラよ!それ!もう訴えちゃいなさい!」
「ほんとですよ!まあ、かっこいいので許します!」
え!?何て!?
「Bぃぃぃ!てんめぇぇぇ!許さんぞぉぉぉ!俺はそんなこと言われたことないぞぉぉ!もげろ!」
何がもげるのかは、考えない考えない。
突然、イライザが立ち上がると、おもむろに店の奥のマイクスタンドへと近づく。
「え?イライザ?何してんの?」
とろんとした目でマイクの前に立ったイライザは言う。
「気分がいいので、一曲歌います!」
マジで!?
彼女はいきなり歌いだした。伴奏も無しに。
曲は、『I Could Have Danced All Night』
いや、驚いた。めちゃめちゃ上手いんだもの。
明るい曲調が、店の雰囲気とマッチしている。
ふと視線をやると、キャロルちゃんが目を輝かせて見とれている。あとメイスンも。
オオエさんは、ヨリミツさんと手を取り合ってタップを踏んでいる。
曲が終わると、盛大な拍手が巻き起こった。
パルマさんは口笛を吹いて賞賛。
「すげえよ、なんつうか、声が高くて、澄んでるというか、透き通ってるというか、まるでジュウニシチョウのさえずりみたいな感じで!」
いや、メイスン。十二指腸は鳴かんぞ。
「えー、皆さん。ご清聴ありがとうございます。」
ぺこりと頭を下げるイライザ。
「それでは、次いってみよー。」
一曲じゃなかったのかよ!?
結果論として、五曲歌った。
客席は大盛り上がり。
パルマさんとメイスンはアンコールをかけていた。
「Bさ〜ん、どうでしたか〜?」
「ああ、まさかこんな隠し芸があるとは夢にも思わなかった。すごく良かったよ。」
イライザはいたずらっぽく笑った。
「それじゃ、ごほーび下さい!」
「ご褒美?」
彼女は顔をずいと近づけると、目を閉じ、唇を軽く突き出した。
え、え?え!?マジか!?
周りでは、皆がピーピーヒューヒューと囃し立てる。中指を立ててるメイスンを除き。
ああ、分かったよ。
覚悟を決める。
彼女の顔との距離が、だんだん縮まる。
そして。
ずし。
「…。すぴー。」
「はい?」
見ると、彼女は僕の肩の上で寝息を立てていた。
うれしいやら悲しいやら。恐らく後者が優勢。
「あー!惜しいー!」
パルマさんがパチンと指を鳴らす。
隣でメイスンがムカつく笑顔でこっちを見ていた。後で殴ろう。
「で、どうすんの?」
「帰りますよ。ここで寝かせるわけにいかないし。イライザの住所知らないんで、ウチに止めることになりますが。」
「襲うなよ。」
「襲っちゃダメよ。」
「寝込みを襲うなんて男がすたるわよ!」
「そんなことしたら殺すからな!」
「まあ、襲うのはまずいね。」
「おそっちゃ、だめー。」
そんなに信用無いか!僕は!というかキャロルちゃんは意味分かって言ってるのだろうか。
「タクシー呼んどいたから。」
なんだかんだで手際のいいオオエさん。感謝。
「お代♪」
…。かしこまりました。
去り際にアイグナーさんが、
「もしものときはウチに来い。力になるぞ。」
と名刺を渡してくれた。
『二十四時間受付。ディーロス産婦人科。』
含み笑いをしてやがる。
叩きつけて帰る。
部屋に帰り着き、ベッドにイライザを寝かせた。
その穏やかな寝顔を見ているうちに、
襲うとまではいかないが、
さっきの続きくらい、やってもいいかな、と思えてきた。
が、止めた。
それは一方的に奪うことだ。僕の性に合わない。
なんて格好つけてしまったおかげで、
その晩は、眠ることができなかった。
「あ〜、もう、席、埋まっちゃってますね…。」
「講義伸びたからなあ。というか、ダブりを心配しなくて言い奴は頑張らなくて言いと思います。」
「どうします?町の図書館はもうすぐ閉まっちゃうし…。」
うーん、そうだな。よし。
「じゃ、ウチに来る?」
一瞬彼女が虚を突かれたような顔をする
「え?ええぇ!い、いいん、ですか?」
「うん。散らかってるけど、それでも良ければ。」
と、いうわけで、今二人で僕の部屋にいる。
「ほあぁ…。」
辺りをきょろきょろ珍しそうに見回すイライザ。
やっぱり男の部屋ってのは珍しいのか。
「ごめんね、汚くて。」
「あ、いえ、綺麗ですよ。」
うん、片付けたからね、一足先に帰って、音速で。
「あれ?眼鏡…。Bさん、目、悪いんですか?」
「ん?ああ、それ、ファッションの伊達眼鏡。」
「ほー。」
覗き込むイライザの隙を突いて、僕はぱっと眼鏡を手に取り、彼女に掛ける。
「ふえ!?な、何を?」
「…。眼鏡似合うな。」
「そ、そーですかね?」
いや、本当、予想以上に合う。なんか女教師っぽい。
「うん。眼鏡掛けると一段とか…」
ビクッ!と彼女の体が跳ねて、そわそわしだす。なんだか知らんが無意味に腕を振ってる。
「か…、賢く見えるね。」
彼女はほっと胸をなでおろし、その後ちょっと口惜しそうな顔をした。
やばい、楽しい。
「えっと、あの、じゃあ、勉強、しましょうか…。」
「えー、いいじゃん。もうちょっといちゃいちゃしようよ。」
彼女の肩を抱いて、ぎゅっと引き寄せる。
ずぶ。
勢いよく僕の頭が、彼女の肩に埋没する。
「ごぼ!?ごぼごぼごぼ!ごぼもがもがもが!ぶはあ!」
すんでのところで彼女に引っ張り出してもらった。
「あの、ごめんなさい。急だったもので、硬化が間に合わなくて…。」
「ゴメンナサイ。チョウシニノリスギマシタ。モウシマセン。」
綺麗なお花畑が見えたよ。
その後は、お勉強タイム、机の前に椅子を二つ並べて座る。
私は立っててもいいですよー、と彼女はいったが、彼女を気遣うとか言う以前に、立ったまま机の上のテキストを覗き込まれると、自然とビッグ・ツーが僕の顔の真横でゆらゆらする形となり、集中どころの話じゃないからだ。
「だから、このときはこっちが過去形ですから…。」
「え!?あ、そっか…。」
「もー、しっかりしてくださいよー。」
これって言われると結構きついのな。
そんなこんなで、数時間。
「はい、ひとまずこれで今日はOKです!」
こんなに頭を使ったのは前世以来じゃなかろうか。脳の重量が倍増したような錯覚を覚える。
すごいな、まだ九時だ。
「ごめんね。こんなことにつき合わせちゃって。自分の勉強もあるでしょ。」
「いいんですよ。それに、Bさんといると、楽しいですし。」
「そいつは光栄だ。次くるときまでに新しい芸を用意しておこう。」
「あの…、Bさん…。」
イライザの顔が一瞬曇る。
「何?」
そう言うと、彼女は、はっと気づいた様な顔をし、大きく手を振った。
「いえ!何でも無いんです!ごめんなさい。帰りますね!失礼します。」
彼女は慌ててバッグを担いだ。一枚何か紙がひらりと床に落ちる。
「何これ?手紙?」
「あ、それは…!」
開くと、それは単純な文章だった。
書き手が分からないよう、新聞の題字を切り抜いて張り合わせた形でこう書かれている。
『出て行け 化け物』
一瞬言葉を失う。
「なんだよ、これ。」
イライザは、ばつが悪そうに目を伏せる。
「おい!これを寄越したのは誰だ!」
「…。わかりません。気がついたら、机の中に…。」
誰だ、誰がやりやがった!?
「何で僕に言わなかった?そんなに僕が信用できないのか!?」
思わず彼女に詰め寄る。
彼女はびくっと身震いし、恐怖のまなざしで僕を見た。
「…。ごめん。興奮しすぎた。」
僕はすっと身を引く。
イライザが2,3回深く息を吸う
「はなしたら…。」
落ち着きを取り戻した彼女は、ゆっくりと喋り始める。
「話したら、Bさんに迷惑がかかります…。」
「はあ?僕なんかどうなったっていいのに。」
「あなたは良くても、私はダメなんです!」
吐き出すように言う彼女。こんな声が出るとは知らなかった。
「それに、大丈夫です。私慣れてますから。」
彼女はすっと、覚悟するように一息吸って、言う。
「慣れてますから、嫌われるの。」
彼女の左目から、ポツリ、と雫が落ちた。
「…。帰ります。今日は楽しかったです。また明日お会いしましょう。」
イライザの玄関へと向かう足が、途中でぴたりと止まる。僕が彼女の手を掴んだから。
「なんですか…?Bさん。」
「このまま帰ったら契約不履行だ。」
「えっ!?だ、だって勉強はちゃんと…。」
「そっちじゃないよ。」
僕はにやりと笑う。
「仲良くしないと、契約違反だろ?」
僕は引きずるように彼女の手を取り、夜の街へと引っ張っていった。
「あ、あの、あの、どこへ?」
「いいからいいから。」
イライザを引っ張って夜の町を進み、やがて一軒の店の前にたどり着いた。
「お、ここ、ここ。」
真鍮のパネルに『BAR 酒呑童子』と筆文字が彫られている。
扉を開けると、そこでは店主のヨリミツさんと、その奥さんでアオオニのオオエさんが料理の仕込をしていた。
「ようB!久しぶりだな!お?なんだその後ろの娘は!?彼女か!?」
「まだ違うよ。時間の問題だけどね。」
「アナタ、気を付けてね。B君は一見紳士だけど実はケダモノだから。」
「何言ってんのアンタ!?」
イライザはというと、俺の後ろで目を丸くしている。
店の奥には、ヤンママサキュバスのパルマさんと、その娘でアリスのキャロルちゃん。医者のアイグナーさんと、それと…。
「げっ!B!」
「お前、なんで一人で飲んでんだよ。メイスン。」
「うるさい!ナンパに失敗したんだよ!リア充め!飛行機ごと爆発しろ!」
「飛行機って何?」
「ああ、聞いてくださいよオオエさん。コイツかくかくしかじかでダブると航空隊で。」
「あらー!制服できたら見せてね!」
「だからなんで入隊確定なんだよ!」
笑い声が起こる。
「注文は?ビール?」
「あー、じゃあ今日はワイン適当に。」
「おい!大丈夫かB !?そんな洒落たもん飲んで胃が腐っても知らんぞ!?」
「腐るかぁ!」
「はいはい、安いので良かった?」
オオエさんがボトルとグラス二つを僕の前に置く。
「あ、ありがとうございます。」
ぺこりと頭を下げるイライザ。
「いやー、可愛い娘じゃない!どこで引っ掛けたの?」
パルマさんがボトル片手に言う。
イライザは恥ずかしそうにうつむく。
「引っ掛けたというか、かくかくしかじか。」
「え!?大学!?」
「へえ、じゃあ、この子があのベータスフォードに入ったっていう。話には聞いてたけど、こんな綺麗な子とは。才色兼備か。すごいな。」
アイグナーさんが眼鏡を持ち上げる。
「あ、あ、あの…。」
イライザは分かりやすく狼狽し、グラスを手に取ると、一息に飲み干してしまった。
「へー。大学生。おどろいたなー。そんなに頭良いんだ。すごーい。」
パルマさんが手を叩く。
「すごーい。」
キャロルちゃんも後に続く。
「むー…。」
照れ隠しか、カパカパ杯を開けるイライザ。大丈夫か!?
「大学はどう?変な男に引っかかってない?あ、もう遅いか…。」
「僕か!?」
「ママー、だいがくってなーに?」
「大学はね、頭のいい人が行くところよ。」
「じゃあ、なんでBのにーちゃんは行ってるの?」
「余計なお世話だ!」
店内がどっと沸く。
「あははははー。言われてんのー!」
ふと気づくと隣で聞きなれない笑い声が上がっている。
「イライザ大丈夫!?って、ぎゃあ!」
真っ赤になっているんじゃないかと思って顔を見て、肝をつぶした。彼女と飲んだワインが混ざり合って、なんとも言えない色合いを呈していたからである。
「なあ、ちょっと、飲みすぎじゃ、」
「ふぇ?のみすぎ?そんなことないれすよぉ!あはははははは!」
いや、飲みすぎだろ。どう考えても。
見ると、テーブルの上には乱立する空ボトル。
「え!?ちょっと、オオエさん!?いつの間にこんなに!?」
「へ?いや、そこの彼女がいい飲みっぷりだったから、どんどん追加しちゃった。」
てへっ、と舌をだすオオエさん。
「いやいや、アナタと一緒に考えちゃダメでしょ!」
「ちなみに、勘定書がこちら。」
小さなバインダーを渡される。
まあ、安い酒ではあるけれど。
ちりも積もれば山となる。
「…。入隊してからじゃ、ダメですか?」
オオエさんが店の隅に飾ってあった金棒を掴むと、勢いよく床に振り下ろした。
恐ろしい音と共に、店全体が大きく揺れる。
「いつもニコニコ現金払い♪」
オオエさんが、にっこりと微笑む。
「…。アイ・シー。」
背筋が凍る。
「イライザちゃん、だっけ?この男に変な事されたりしてな〜い?」
パルマさんも大分メートルを上げてきている。
「はいっ!さっきいきなり抱きつかれました!」
何言ってんの!?
イライザのテンションがおかしくなっている。
「わー、Bエロい!イライザちゃん!アイツに背中を見せちゃダメよ。」
「ほんとにもー、あの人は、『君みたいな可愛い娘とヤれたら一生幸福なのに。』とか言うんですよ!私に!」
言ってないよ!尾ひれがついてるよー!
「キャー!セクハラ!セクハラよ!それ!もう訴えちゃいなさい!」
「ほんとですよ!まあ、かっこいいので許します!」
え!?何て!?
「Bぃぃぃ!てんめぇぇぇ!許さんぞぉぉぉ!俺はそんなこと言われたことないぞぉぉ!もげろ!」
何がもげるのかは、考えない考えない。
突然、イライザが立ち上がると、おもむろに店の奥のマイクスタンドへと近づく。
「え?イライザ?何してんの?」
とろんとした目でマイクの前に立ったイライザは言う。
「気分がいいので、一曲歌います!」
マジで!?
彼女はいきなり歌いだした。伴奏も無しに。
曲は、『I Could Have Danced All Night』
いや、驚いた。めちゃめちゃ上手いんだもの。
明るい曲調が、店の雰囲気とマッチしている。
ふと視線をやると、キャロルちゃんが目を輝かせて見とれている。あとメイスンも。
オオエさんは、ヨリミツさんと手を取り合ってタップを踏んでいる。
曲が終わると、盛大な拍手が巻き起こった。
パルマさんは口笛を吹いて賞賛。
「すげえよ、なんつうか、声が高くて、澄んでるというか、透き通ってるというか、まるでジュウニシチョウのさえずりみたいな感じで!」
いや、メイスン。十二指腸は鳴かんぞ。
「えー、皆さん。ご清聴ありがとうございます。」
ぺこりと頭を下げるイライザ。
「それでは、次いってみよー。」
一曲じゃなかったのかよ!?
結果論として、五曲歌った。
客席は大盛り上がり。
パルマさんとメイスンはアンコールをかけていた。
「Bさ〜ん、どうでしたか〜?」
「ああ、まさかこんな隠し芸があるとは夢にも思わなかった。すごく良かったよ。」
イライザはいたずらっぽく笑った。
「それじゃ、ごほーび下さい!」
「ご褒美?」
彼女は顔をずいと近づけると、目を閉じ、唇を軽く突き出した。
え、え?え!?マジか!?
周りでは、皆がピーピーヒューヒューと囃し立てる。中指を立ててるメイスンを除き。
ああ、分かったよ。
覚悟を決める。
彼女の顔との距離が、だんだん縮まる。
そして。
ずし。
「…。すぴー。」
「はい?」
見ると、彼女は僕の肩の上で寝息を立てていた。
うれしいやら悲しいやら。恐らく後者が優勢。
「あー!惜しいー!」
パルマさんがパチンと指を鳴らす。
隣でメイスンがムカつく笑顔でこっちを見ていた。後で殴ろう。
「で、どうすんの?」
「帰りますよ。ここで寝かせるわけにいかないし。イライザの住所知らないんで、ウチに止めることになりますが。」
「襲うなよ。」
「襲っちゃダメよ。」
「寝込みを襲うなんて男がすたるわよ!」
「そんなことしたら殺すからな!」
「まあ、襲うのはまずいね。」
「おそっちゃ、だめー。」
そんなに信用無いか!僕は!というかキャロルちゃんは意味分かって言ってるのだろうか。
「タクシー呼んどいたから。」
なんだかんだで手際のいいオオエさん。感謝。
「お代♪」
…。かしこまりました。
去り際にアイグナーさんが、
「もしものときはウチに来い。力になるぞ。」
と名刺を渡してくれた。
『二十四時間受付。ディーロス産婦人科。』
含み笑いをしてやがる。
叩きつけて帰る。
部屋に帰り着き、ベッドにイライザを寝かせた。
その穏やかな寝顔を見ているうちに、
襲うとまではいかないが、
さっきの続きくらい、やってもいいかな、と思えてきた。
が、止めた。
それは一方的に奪うことだ。僕の性に合わない。
なんて格好つけてしまったおかげで、
その晩は、眠ることができなかった。
11/11/06 22:43更新 / 好事家
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