連載小説
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起:始まりはいつも唐突に。
リンボー公国、ベータスフォード大学。
アルバート・ウィギンズ教授のゼミが行われる教室内において、僕、バートルビー・ルーデンスは猛烈な勢いで教科書にかじりついているところだった。
ちなみにかじりついてるというのは比喩的な表現ではない。あまりの複雑怪奇さに頭にきて、本気で食いちぎろうとしているのだ。
「おい、どうしたB、勉強なんかして、コカインでもやったのか?」
Bというのは僕の愛称である。
「生憎とシラフだよ。前期テストの成績を見せたことは無かったっけ?」
「前期?ああ、ありゃ酷かったな。」
「おかげさまで、後期は一科目でもA未満を取ったが最後、来年はお前を先輩殿と呼ばなきゃいけない立場になる。」
「ああ、そりゃいいかもな。じゃあ、練習も兼ねてパンでも買ってきてくれよ。」
「そうは問屋が卸さない。」
僕は深いため息をつく。
「親父いわく、留年するぐらいなら、航空隊に入れとさ。多分無理にでも入れられるね。」
「おいおい、本気か?お前が空軍に?この町の建物と国民の血税でまかなわれた飛行機が惜しいなら、絶対すべきではないだろうな。」
「否定したいところだが、同感だ。」
「大変だな。ところで、編入生の話は聞いたか?」
「ああ、教授が拾ってきたとか。」
僕が答えると、彼は鼻息も荒く言う。
「聞いたところによると、かなりの美人だと。」
どこの才女だかは知らないが、今の僕にとってさして重要なことではない。
下手をこけば、あとたった二週間の付き合いだ。
「メイスン、悪いが、僕はこれを頭に押し込まなくちゃならないんだ。噂の彼女と性的な親睦を深めるのは、そっちでやってくれ。」
「ああ、分かった。航空ショーは見に行ってやるよ。ヘルメットかぶって。」
あっはっは。笑えん。
「お早う諸君!元気か!」
ウィギンス教授がけたたましく入ってくる。元気に見えるなら眼鏡を掛けろ。
「さて、もうご存知と思うが、編入生を紹介したいと思う。」
いつもなら品定めをするところだが、今日はそんな余裕はない。例え三メートルの女が入ってきても無視するつもりだった。
が、
「おーい、イライザ君。入っていいよ。」
呼ばれた彼女が恥ずかしそうに教室へと入ってきた瞬間、僕の目は釘付けになった。
原因として、彼女が噂どおりの美女だったというのが、二割。
残りの八割は、
彼女が、赤色の液体だったことである。


レッドスライム。
一般的なスライム種に比べ高度な学習能力と情緒を持つとされ、人間と共存するケースも多いと聞く。僕も何度か見かけたことがある
しかしながら、前触れもなく教室に現れても驚かないかと言われれば、ノーだ。
僕は教授と長い渡り廊下を歩いていた。
なぜだかこの教授は万年落ちこぼれの僕に目を掛けてくれている。
落ちこぼれ、といっても僕が馬鹿だと思わないで欲しい。
ただ、遊びだすとテストの日程も忘れてしまうぐらい羽目を外してしまう、というだけだ。
何?それを馬鹿というんじゃないかって?シャラップ!
「どうする気ですか?教授?いきなりあんなことをして。バスの中で誰かが吐いたってあんな騒ぎにはならないですよ。」
「まだいいほうさ。僕が彼女を引き合わせたときの学長といったら、後部座席で誰かが吐いちゃったときのタクシー運転手のようだった。」
教授が不敵に笑う。
学校にも何も知らせていなかったとは。
「新魔を謳っていてもここは古い土地だからね。抵抗のある人間も多い。正面突破ができないときには、奇襲に限る。」
奇襲て、おい。
「それでもまだまだ前途多難だ。教授会でも未だに彼女の入学を認めない人もいる。」
教授は軽く一息ため息をついた。
「まあ、そういう訳で、彼女を頼むよ、B。」
「はあ!?」
教授はにっこりと満面の笑みでこっちを見る。
「去年、どう考えてもFだった英文法をEにしてあげたのはどこの誰だったでしょうか?」
血の気が引く。
悪魔を見たことはないが、多分こういう風に笑うに違いない。


まあ、そういうわけで、
僕は今食堂にいる。
目の前には、赤い溶液改めイライザ女史。
見目麗しい顔立ちと、そこはかとない二つの隆起物。
恥ずかしそうにうつむいている様子は、寂しげながらどこか妖艶でもある。
案の定、ゼミどころか学内でも浮きまくっていた彼女は、ここ数日、ぽつんと隅っこにいた。そこを僕が半ば攫うように連れてきたわけだ。
食堂にいる他の連中が、遠巻きにひそひそやっている。
「あ、あの…。」
彼女がおずおずと言う。
「あの、ウィギンス教授からお話は伺ってます。色々と分からないことをお手伝いして頂けるとか。バートルビー・ルーデンスさんで間違いありませんよね…。」
「はい、ちょっと待った!」
突然大きな声を出したからか、彼女がビクッと体を震わす。いや、どっちかというとプルン、て感じか?
「あ、え、な、何かダメでしたか、ルーデンスさん。」
「そこ!僕はルーデンスさんじゃない。ましてやバートルビー・ルーデンスなんてフルネームで呼ばれると、小学校で宿題を忘れて怒られるときみたいじゃないか。僕を呼ぶときはBでいいよ。皆そう呼んでるから。ただし間違ってもB・Lとは略さないでくれ。僕は一応ノンケなんだ。」
彼女は呆気にとられていたが、やがてクスリと小さく笑った。
掴みはOK。ビーチでナンパするんならここからきわどいジョークの2,3も飛ばすんだが、そいつは彼女には受けが悪そうなので、やめた。
「教授から言われてるから、何か困ったことや、頼みたいことがあったら、遠慮なく言ってくれ。じゃあ僕は自分の責務に戻るよ。ちょっとばかし絶体絶命でね。」
僕は独語の教科書を取り出し、目を落とす。
ああ、はいはい、成程ね。
さっぱり分からん。
僕はいつか地獄へ行って、バベルの塔を立てて言語を分割してしまったなんとか王を絞め殺してやろうと思う。
「えっと…、『verbessern』?何だったかな…?」
「あ、それは、『改善する』って意味です。」
「ああ、そう。助かる…。え?」
「へ?何ですか?」
「あんた、独語なんかまだ履修してないよね?」
「え、いや、あの、そうですけど。私独語の文学が好きで、原書で読みたいな、と勉強したので、一通りは。」
「え!?じゃ、まさかこれを読めたりとか…。」
僕が彼女にテキストを渡すと、彼女はすらすらと訳を音読して見せた。
「マジか!?」
僕が驚いて叫ぶと、彼女はまた下を向いてもじもじしだす。
「ちなみに、英文法は出来たりとか?」
「あ、一応…。」
「史学は!?」
「え、まあ、それなりには…。」
「古典とかは流石に…。」
「ちょっとなら…。」
僕は椅子を跳ね除けるようにして立ち上がった。
そのまま彼女のほうに近づく。
彼女がまた怯えたように身を引く。
「あ、あ、あのっ。な、何かまずかったでしょうか…。」
「お願いします。」
「え?」
僕はほとんど90度に近く頭を下げる。
「僕に勉強を教えてください!」
「え、え?えぇ!?」
戸惑っているのも構わず、僕はいつだったか留学生の友人から教わった、ジパング伝統のドゲザスタイルに移行する。
「お願いします!本当にやばいんです!」
辺りのひそひそが、勢いを増す。
「わああぁ!あのっ、顔!顔を上げてくださいー!」
彼女の必死の努力により、僕は再び椅子に座った体勢まで引き戻された。
「あの、えーと、私でよければ、いつでも。」
「本当に!? 」
メシア到来。十年ぶりぐらいに神に感謝する。
「あ、ただ、一つ条件があります…。」
条件?なんだ?まさか金か!?いくらだ?いくら欲しいんだ?
「わ、私と、仲良くして頂けませんか?」
「はい?」
拍子抜けする。
何だこのベタな展開。
昨今では少年少女向けの物語でもあまりお目にかかれないだろうに。
「…。お安い御用だけど。」
「本当ですか!?」
彼女は手を前で組んで嬉しそうにしている。
まあ、いいか。可愛いし。


彼女の教え方は驚異的だった。三時間ほど図書館で教科書を開いただけで、僕一人ならゆうに丸三日はかかるんじゃないかという量が片付いた。ひょっとしたら、知らないうちに精神と時の部屋に入れられていたんじゃないかという気がする。
その後の時間には彼女の大学生活をサポート、といっても何をしていいか皆目見当がつかないので、とりあえず構内を案内することにした。
廊下がびしょびしょになってしまうのではと一瞬心配したが、硬化術とやらを使っているので、どうもそんなことは無いらしい。
俺が歩いていく後ろを、三歩下がってついてくる。端から見たら、僕が彼女を従えているかのように見えるかもしれない。実質力関係は逆なのだけれども。
誰かとすれ違うたび、彼女の肩が小さく跳ねる。
「ここらへんはストーナー助教授の縄張り。あの人は無意味に風紀に厳しいので、この辺通過するときは、襟元を正して…、おっと、アンタには関係なかったか…。ごめん。」
よく考えたら全裸なんだよな。この人。いや、人じゃないが。
根強く彼女を追い出そうとしている一派には特に女性が多いと聞くが、彼女が着衣できるタイプの魔物なら、ほんのちょっとだけ状況は違っていたかもしれない。
一度意識してしまうと気になってしょうがないな。話し続けてないと意識がよからぬ方向に傾いてしまいそうだ。
「えーと、アンタは見たいとことかある?」
「え…、い、いいですいいです!」
彼女は半ば怯えるように否定して、またうつむく。
「…。いいの?遠慮することないんだよ。さっきあれだけ協力してもらったんだから。」
「い、いいんです。私なんか…。」
そう言うと、目を伏せる。その目はかすかに潤んでいるように見える。何か過去にあったのだろうか。
紳士としてここは静かにしておいてあげるべきだろう。
「よお!B、また会ったな!」
無理だ、無理なやつと遭遇してしまった。
「悪いな、今、講義に遅れそうでな。また後で話そう」
バートルビー は にげだした!
「午後の講義開始は三十分前だぞ、取ってたとしたらもう間に合わないだろ。」
しかし まわりこまれて しまった!
「ん!?も、もしかしてお前、その後ろにいるのは…。」
見ると、イライザが僕の陰に隠れるようにして震えている。
「B、貴様ぁぁ!勉強が大変で編入生なんかかまってられないよー。とか言いながら、誰よりも速くお手つきですか!手の速きこと風の如しですかぁ!おのれ、色魔め!もげろっ!」
何がもげるのかは考えないようにする。
大声出すんじゃない、後ろで怯えてるだろうが。
「畜生!なんでコイツがこんなにもてるんだ!世界は不公平だ!不条理だ!ナンセンスだ!全身全霊をかけて呪ってやる!神様どうかコイツの機が空中分解しますように!」
こいつの中では僕の入隊はどうやら確定事項らしい。
「ああ、そうですか。皆がまだ距離感をつかめてないうちにかっさらっちゃいますか!それがお前ですか!お味はいかがでしたか!?スライムのアソコはやっぱりびしょぬr…、きゃうん!」
流石に箱入り娘に聞かせられない話になってきたので、必殺技発動。乳首をつついてひるんだ隙に逃げるの術。
「覚えてろよ!俺はあきらめないぞぉー!!」
はるか後方で右手の中指を立てて、左手で乳首を押さえながら捨て台詞を吐いている。
「ふう、もう大丈夫かな。」
見ると、彼女の膝、膝?うん、まあ、膝ががくがくしてる。
「こ、怖かったです…。」
「メイスンは声が阿呆みたいにでかいからな。まあ、話聞いてても分かるように、あいつは親魔だから、大丈夫さ。」
「は、はい…。」
気がつくと、目の前は鐘突き塔だった。
昔ここが反魔物領の一部、修道院だったころの名残。
「いいこと思いついた。ちょっと待ってて。」
僕はイライザを置いて塀をよじ登ると、窓から慎重に塔内に侵入。そして入り口の閂を外すと、イライザを招き入れた。
「え、と、ここって入っていいんですか?」
「聖書に、大学構内の鐘突き塔に無断で入るべからず。と書いてないから、罰は当たらないと思うんだ。」
彼女は困ったような顔をしながら、ついてくる。
長い螺旋階段を上り詰めると、
「うわあ…。」
天井からぶら下がる、金色の鐘。
そしてその向こうには、はるかに広がる、この町、そしてこの国の風景。
いくつも模型のような家々が立ち並び、はるか彼方では、夕日が今にも山の陰にその身を横たえんとしている。
圧巻なのか、イライザはぽーっと口をあけて、景色を眺めている。
「口。」
僕が口元を示すと、彼女は慌てて口元を手で隠す。
目を合わせると、一瞬見つめた後、はにかんで視線を外された。
「いいでしょ?ここ。」
こくこくと頷く。そろそろ口元隠さなくてもいいんじゃないかと思うけど。
「ここはね、伝統があるんだ。」
「?」
「過去の先輩たちがね、講義の合間の時間にここで逢瀬を楽しんだんだって。ほら、そこに赤っぽい染みがあるでしょ、それはここで初めてを迎えたある先輩の…。」
彼女は飛びのくように染みから離れる。
無論、嘘だけどね。
「僕たちも、どう?」
イライザは一瞬はっとした表情を浮かべたかと思うと、大きくかぶりを振った。
「…。そんなに僕は嫌かな。」
「い、いやっ、ち、違うんです…。そうじゃ、なくて。」
大慌てで否定するイライザ。
いじり甲斐のある娘だ。
「冗談だよ。」
「わ、私、男の人に近づくの、怖くて…。」
彼女は悪いことでもしたようにしゅんと縮む
「正しいよ。男は一皮むけば皆オオカミだからね。」
「え、それは、Bさんも、ですか?」
「僕は違う。僕は育ちがいいからね、毛並みの良いオオカミ。」
「結局オオカミじゃないですか!」
僕が笑うと、彼女もつられて笑った。
ひとしきり笑うと、彼女は急に真顔になった。
「あ、あの、私の、話、聞いてもらえますか?」
彼女がゆっくりと顔を上げる。初めてまともに目を見た気がした。
「私、あの、小学校のころ、あの、国境に近いところに住んでて、そこの小学校に通ってたんですけど。そこは、その、お父さんお母さんが、反魔の人、が、まだいっぱいいまして。」
成程。ベータスフォード市は反魔国と国境を接している。同盟があるため関係は穏やかだが、その付近ではそういうケースも起こりうる。
「あの、それでも、魔物を認めてくれる友達や、お母さんたちもいて、よかったんですけど。五年生の、ときに、授業中、どうしてもしたくなって、でも、恥ずかしくて、先生に、言えなくて、でも、我慢できなくなっちゃって、それで、」
そこで粗相しちゃって、それがトラウマになってるとか?よくある話だ。
「それで、隣の席の男の子を、襲っちゃったんです。」
ぶっふぉ!?
予想外の言葉に、唾液が気道に入って、むせる。
「だ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫、大丈夫、続けて…。」
呼吸が止まるかと思った。
「そ、それで、その子のお母さんが、怒って、それから、皆が、私を避けるようになって、話しかけないでとか、一緒に遊ばないでとか、言われて…。」
ぽとり、と塔の石の床に染みができる。
「魔物は、やっぱり、魔物ねって、ひぐ、ひっく、」
彼女の涙は、まるで、ルビーのような色をしていた。
「あれ?なんで、あった、ばっかりの、Bさんに、こんな、はなし、してるんだろ。おかしい、ですよね。ごめんなさい。」
僕はこのとき、多分無意識のうちに、彼女の肩を抱きしめていた。
「B、さん?」
指で頬を伝う涙を拭ってやる。
「イライザは、悪くない。」
僕は彼女の耳元で言う。
「悪い訳ないじゃないか。それが魔物の習性だなんて、皆知ってたことだ。それに今時小学校でも性教育をやるんだ。そんなに騒ぎ立てることじゃない。」
「で、でも…。」
彼女は目を瞑った。
「その子、きっと、まだ、私のこと、恨んでるから。」
「それはその少年が言ったのか?」
「う、ううん。でも、きっと…。」
「そんなわけ無いだろ!」
彼女は驚いて目を開ける。
「え、そんな、」
「少なくともその子が僕ならね、」
そう、結構僕はこういうことが臆面も無く言えてしまうのだ。
「こんな可愛い娘と初体験が出来たら、僕は一生幸福だね。」
「は、はわ!?」
彼女が一気に発熱する。
「か、かわ、かわかわ、かわい、って、かわ、」
心なしか、体の赤が濃くなったような気がする。
「か、か、か、帰ります…。きょ、今日は、どうも、あり、ありがとう、ございました。」
ふらふらとした足取りで帰っていく。階段を踏み外さないといいが。
あ、そっか。足はないか。
11/10/30 20:02更新 / 好事家
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■作者メッセージ
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
バートルビー君登場。
どうですか、ムカつくでしょ?
書いててこんな奴になるとは思いもよらなかったですよ。
どうぞ皆さんの頭の中で存分にもいでやって下さい。
ではでは、また次回更新でお会いしましょう。

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