汚れた手を掴む者は
うららかな日差しがもはやわずかばかりの残滓を残す夕暮れ時。
通りを軽やかに、足音もさせず歩く男が一人。
「さて、今日の稼ぎは、っと……、」
言って、懐から頭陀袋を取りだし、中身を確かめる。
「(ま、上々ってところか……日も落ちるし、次くらいで打ち止めだな、今日は)」
それなら最後は……と、彼は大きな広場に出て、「獲物」を探す。
露店を出しているところもあれば、簡素なござを敷き、その上に商品を置いて商売をする者、物乞いをする者などで、大広場は盛況の一言に尽きた。
しばらくして、最も最適であると思われる「獲物」をその目は捉える。
「(よし、こいつに決めた……!)」
思い立ったら即実行、とばかりに彼は歩き始めた。
『獲物』の歩いていく先を読み、そこから交差するように様に擦れ違う。
一瞬して、彼の手には短剣が。それも護身用とはいえ、装飾に手を抜かれていない立派な逸品だ。
彼は手の中にあるそれをちらと確かめたあと、頭陀袋の中に短剣をしまう。
男――、シーフォン・アルセルノはそうやって生計を立てている。
要するに泥棒……スリだ。
あとは、今日の稼ぎと合わせてこれを質屋に持っていけば彼の一日の仕事は終わりを告げる。
……はずだったが、今日は少しばかりいつもと展開が異なったのだった。
「(よし、成功……。あとはいつものとこに換金してもらいに行くだけだ……、っ!?)」
歩き出したシーフォンのその手を、しかしなにかが引き留めた。
それは、先ほど見た限りではござを敷いて商売をしていた者だった。ローブで顔までスッポリと隠し、『あれじゃあ信用もなにもあったもんじゃないだろう』と内心彼は思っていたのだが、なぜそれが自分の手を掴んでいるのかが、まだ彼には解らなかった。
訝しむ彼への答えは、やはりというか目の前の人物からもたらされた。
「なあ、ぬしや」
小柄な少年のようにも見えた背格好だったが、驚くほどに澄んだ、美しい女性の声をしていた。
「……俺、ですよね?」
思わず少し敬語になってしまうシーフォン。
「そう、ぬしじゃ。ぬしは随分と手癖が悪いようじゃの?」
「な……っ!?」
スリの技術に関してはかなりの自信を持っていただけに、シーフォンは動揺を隠しきれなかった。
その様子を見て、長衣の女は言う。
「……安心せい。わっち以外は気づいておらんようじゃからの」
「……どうして、そんなことがわかるんだ?」
「積もる話は後じゃ。とりあえずわっちについてきなさんし。ついてこなかったら……もちろん、解っておるじゃろうな?」
「成程……、弱味を握ってるから言うこと聞け、と?」
「別にぬしがどうなろうとも、わっちは困りんせんがの」
「ああ、わかったよ。とりあえず言う通りにするればいいんだな……?」
*****
そうしてシーフォンが連れてこられたのは、簡素な造りの宿屋。一体こんなところで何を……と考えていたシーフォンに、一つの閃きが。
「そうか、読めたぞ……! ああ、お前はアレだな、体をもて余してるんだrふぐっ!?」
「な、なな何を言うんじゃぬしは急にっ!?」
「待て、意外と可愛いとこあるなと思ったが待て……、ソコだけは、ソコだけは蹴ったら駄目だろ……。しかも膝蹴りってお前……! 殺す気か!?」
「ふ、ふん、ぬしが悪いんじゃ!…全く…、これからわっちが大事な話をしようとしておったところに…」
「ああ……すまなかった……っ! もう……、下らない冗談は言わないと誓う……!!」
それこそ冗談ではない痛みをこらえて、固く誓いをつき立てるシーフォンだった。
「……まあ、よかろう。さて、本題じゃが…………」
やや間があって、躊躇いがちに、長衣の女は言った。
「……ぬしに親魔物領へ行く道中の、護衛を頼みたいんじゃ」
「………………はぁっ!? なぜ俺が……!? それになぜお前は親魔物領に行きたがる? 全然意味がわからないぞ? 魔物なんかと仲良くやっている所に行って何になるっていうんだ?」
――魔物の存在を是とし、手を取り合い繁栄している場所のことを親魔物領、反対の場所を反魔物領と言い、この町は反魔物領に属している。
それなのに親魔物領に行きたがるという人間など、普通はいないものだ。
すると、女は着ていたローブを脱ぎ去った。
急な展開にシーフォンの鼓動は不覚にも高鳴るが、しかしそれは次の瞬間、違う意味で彼の鼓動を再び高鳴らせた。
「それは、わっちが……わっちが、魔物だからでありんす」
「……!」
見れば女の整った顔の上には犬や猫のそれを思わせる耳が、腰の辺りからはフサフサとした尻尾が三本生えていた。
「狐……?」
のように、シーフォンの目には見えた。
「当たらずとも遠からず、と言ったとこかの……、わっちは『稲荷』じゃ。……で、どうかの? 護衛役になってくれはせんか? ……と言っても、今の反応を見れば色好い返事など期待できそうにもないかの……」
この反応に慣れているのか、自嘲の笑みを浮かべる女。
シーフォンはそれを聞き、やはり、
「ああ……他を当たってくれ。俺自身、魔物にいい印象はあいにく持ち合わせていないんだ。こちらもお前を貶める手札が一つ手に入ったということは、俺たちの状況は対等だろう? なら、俺は好きにさせて貰う。……じゃあな」
一方的に言い残し、シーフォンは出ていった。
一人残された稲荷の女は、
「やはりどこもわっちの姿を見たら反応は同じかや……諦めていたとはいえ、不思議と今回はちと堪(こた)えたの…………なんじゃ、この気持ちは……」
煌々と光る月に向かって、一人ごちた。
*****
明くる日。
シーフォンは心に靄がかかったような気分のまま、いつも通りの一日を過ごしていた。
何をしていても、なぜか昨日のあの女の事が彼の頭をよぎるのだった。 仕事の締めにと、無意識に大広場に足が向かい、彼はふと考える。
「(今日もあいつは……居るんだろうか)」
たどり着き、彼は広場を見渡す。
居た。
――昨日と変わらない位置。
――――昨日とは変わって、そのローブで顔を隠さずに。
「(あいつはなにをやっているんだっ!? ここは反魔物領のど真ん中だぞっ!?)」
当然そんな見た目をしているので周りには人だかり。
そしてその中心には、一目見て魔物を快く思っていないと解る表情を浮かべている輩が、彼女の周りをぐるりと取り囲んでいたのが見えた。
そしてそんな騒ぎの中、彼女は一瞬、だが確実にシーフォンを見た。
まるで彼がここに来るのが解っていたとでも言わんばかりに。
「っ……!?」
数瞬の間、シーフォンは固まった。
……が、あいにくにもシーフォンはその数瞬で、彼女を救えるかもしれない方法を思い付いてしまったのだった。
「(だが……それで俺はどうするんだ? 俺は何がしたい? 俺は彼女を――――?)」
その時、もう一度彼女がこちらを見た。
――笑っていた。
彼女は、途方もなく美しい笑みを浮かべていたのだ。
その瞬間、一日中シーフォンに付きまとっていた靄がまるで最初から無かったかのように霧散した。
「(ああ……! これが、稲荷の力か……っ! 一体何を迷っていたんだ俺は……!?)」
シーフォンは駆け出した。
人を掻き分け掻き分け、緊迫した雰囲気を纏う物騒な男たちをすり抜け、彼女のもとへ。
そして、シーフォンは笑って言う。
「俺の持ってた手札は、役に立たなくなってしまったからな。……またお前の言いなりに逆戻りだ。だから、なんなりと命令してくれて構わない」
彼女も笑って言った。
「くふっ……! それならまずは……この状況をどうにかしてくりゃれ?」
シーフォンは一度周囲を見渡し、それから貴族がするような、優雅な所作で一礼をした。
「……お安いご用で」
すると程無くして、いかにも荒事をくぐり抜けて生き抜いてきたといった風貌の男がおあつらえ向きにこちらにやって来た。
「……お前がどこの誰だか知らないが、魔物は俺らの仇敵だ。それを庇いだてするってんなら、人間相手でも容赦はしねぇぞ。……お前、覚悟はできてるな?」
どうやら彼がこの集団の頭のようで、ギロリと凄みながらシーフォンを睨み付けている。
しかしシーフォンは動じたところもなく、笑みを浮かべ平然と男に言ってのけた。
「……ようこそいらっしゃいませ、お客様。……えっと、そうだな……『よろず屋稲荷』へようこそ」
シーフォンのふざけたような態度に、男は眉を上げた。
そんな様子すら一切気にせずに、シーフォンは続けて言う。
「さて、お客様が当店に『お売り』していただいたこの短剣ですが、とてもではありませんがあまりに価値がありませんので、買い取り費用など頂きたいのですが……」
そこで初めて男は自分の獲物がシーフォンによってスリ盗られていたことに気づく。
しかし既にそれは自分の首に突きつけられており、少しでも不審な動きをすればそのままサクリ、だろうと男は直感した。
顔こそ笑っているが、シーフォンの目は全く笑っていなかったからだ。
「テメエ、いつの間に……!?」
しかしシーフォンは答えない。
顔に笑みを張り付けたまま、
「お支払い頂けないのであれば、命であがなってもらいましょうか。……今ならあなた一人分の出血大サービスですが?」
「ひ、ひぃっ……!」
シーフォンが言った途端、男は青ざめて、這う這うの体でその場から逃げ去って行った。
それに恐れをなしてか、周りを囲んでいた人垣の輪が広まってゆく。
自分たちの周りに人が居なくなってからシーフォンは呟いた。
「……やっぱり見かけ倒しだったか、あいつら……」
「なんじゃ、あいつらが見かけ倒しのゴロツキじゃとわかっておったのかや?」
「その口ぶり……絶対お前も解ってただろ……まあ、それは置いておき、ホントにヤバい奴なら懸賞金のいくらかぐらい掛かっている。そっち稼業の俺が顔も知らない奴なんだから、大したことない筈だと思ったんだ」
「ようやくぬし様の実力が見れるやも知れんと期待しておったんじゃがな……残念じゃ」
「ま、それはまたの機会……って、『ぬし様』……?」
「……わ、わっちなりの感謝と信頼の証じゃっ……! その、これからも、頼りにしていんす」
「それじゃあ、契約成立って所か……。さて、そろそろ俺の飼い主さんの名前を知りたいお年頃なんだがな俺は?」
そこでようやく気づいたというような顔をした彼女。
「す、すまんかった……すっかりわっち自身の紹介が遅れてしまったの……! わっちは『稲荷』の、タマノじゃ」
「へぇ、少し変わった名前だな……?」
「わっちら稲荷はジパングの生まれじゃから、これが普通でありんす」
「そうなのか……いつか、行ってみたい気もするな」
「わっちの気が向いたらの」
「はははっ。それじゃあ俺もとりあえず自己紹介しておく。俺はシーフォン・アルセルノ。あまり誇れる職業じゃないが泥棒だ」
「よし、しーぽんじゃの、覚えた」
タマノはそう言って笑った。
「しーぽん…………は?」
「…………」
「……俺はシーフォンだが」
「……しーぽん」
「…………」
「すまん……、解ってはおるんじゃが、どうしても発音が……」
「…………っ」
このときシーフォンは笑いをこらえるのに必死だった。
「ええい! いいんじゃっ!! ぬし様はぬし様でよかろう!?」
「ぷっ……くぅ……っ!」
コクコク、となんとかシーフォンは頷いた。
「まったく……! 契約早々に失礼なやつじゃの……! お仕置きじゃっ!!」
その言葉で、シーフォンの背筋が凍った。彼の脳裏にあのときの膝蹴りがフラッシュバックする。
思わず身構え、現実から目を背けようと目を瞑るシーフォン。
――しかし、シーフォンに訪れたのは唇に対しての柔らかな感触だった。
驚いて目を開けたころにはタマノは向こうを向いていた。シーフォンからは見えないが、おそらく顔は真っ赤だろうと彼にも分かった。
それからタマノは、場を誤魔化す様に大きな声で言った。
……というよりは、言い放ったという表現の方が正しい。
「さあ、これから大変じゃっ。 親魔物領へ行くとなれば、一筋縄ではいかんじゃろうからの!」
やれやれ、とシーフォンは大きなため息を吐き、タマノの身体を抱いて駆け出した。
「な、何をするんじゃぬし様や!? そんな……いきなりじゃと心の準備が……!」
顔を真っ赤にして慌てふためくタマノ。
それをシーフォンは見ながら、
「お前はっ! 反魔物領のっ! ど真ん中でっ! 何を大声で叫んでいるんだっ!?」
「あ……」
何事かと、再び人々の注意が向けられる。
その様子を見て、ガクリと肩を落とすシーフォン。
この先がとてつもなく心配になってきたこの頃だった。
「とりあえず荷物はまとめたから町の外まで出るぞ!! 目指すはとりあえず旅人用の小屋だ!!」
彼らの話は、ここから始まっていくのである。
通りを軽やかに、足音もさせず歩く男が一人。
「さて、今日の稼ぎは、っと……、」
言って、懐から頭陀袋を取りだし、中身を確かめる。
「(ま、上々ってところか……日も落ちるし、次くらいで打ち止めだな、今日は)」
それなら最後は……と、彼は大きな広場に出て、「獲物」を探す。
露店を出しているところもあれば、簡素なござを敷き、その上に商品を置いて商売をする者、物乞いをする者などで、大広場は盛況の一言に尽きた。
しばらくして、最も最適であると思われる「獲物」をその目は捉える。
「(よし、こいつに決めた……!)」
思い立ったら即実行、とばかりに彼は歩き始めた。
『獲物』の歩いていく先を読み、そこから交差するように様に擦れ違う。
一瞬して、彼の手には短剣が。それも護身用とはいえ、装飾に手を抜かれていない立派な逸品だ。
彼は手の中にあるそれをちらと確かめたあと、頭陀袋の中に短剣をしまう。
男――、シーフォン・アルセルノはそうやって生計を立てている。
要するに泥棒……スリだ。
あとは、今日の稼ぎと合わせてこれを質屋に持っていけば彼の一日の仕事は終わりを告げる。
……はずだったが、今日は少しばかりいつもと展開が異なったのだった。
「(よし、成功……。あとはいつものとこに換金してもらいに行くだけだ……、っ!?)」
歩き出したシーフォンのその手を、しかしなにかが引き留めた。
それは、先ほど見た限りではござを敷いて商売をしていた者だった。ローブで顔までスッポリと隠し、『あれじゃあ信用もなにもあったもんじゃないだろう』と内心彼は思っていたのだが、なぜそれが自分の手を掴んでいるのかが、まだ彼には解らなかった。
訝しむ彼への答えは、やはりというか目の前の人物からもたらされた。
「なあ、ぬしや」
小柄な少年のようにも見えた背格好だったが、驚くほどに澄んだ、美しい女性の声をしていた。
「……俺、ですよね?」
思わず少し敬語になってしまうシーフォン。
「そう、ぬしじゃ。ぬしは随分と手癖が悪いようじゃの?」
「な……っ!?」
スリの技術に関してはかなりの自信を持っていただけに、シーフォンは動揺を隠しきれなかった。
その様子を見て、長衣の女は言う。
「……安心せい。わっち以外は気づいておらんようじゃからの」
「……どうして、そんなことがわかるんだ?」
「積もる話は後じゃ。とりあえずわっちについてきなさんし。ついてこなかったら……もちろん、解っておるじゃろうな?」
「成程……、弱味を握ってるから言うこと聞け、と?」
「別にぬしがどうなろうとも、わっちは困りんせんがの」
「ああ、わかったよ。とりあえず言う通りにするればいいんだな……?」
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そうしてシーフォンが連れてこられたのは、簡素な造りの宿屋。一体こんなところで何を……と考えていたシーフォンに、一つの閃きが。
「そうか、読めたぞ……! ああ、お前はアレだな、体をもて余してるんだrふぐっ!?」
「な、なな何を言うんじゃぬしは急にっ!?」
「待て、意外と可愛いとこあるなと思ったが待て……、ソコだけは、ソコだけは蹴ったら駄目だろ……。しかも膝蹴りってお前……! 殺す気か!?」
「ふ、ふん、ぬしが悪いんじゃ!…全く…、これからわっちが大事な話をしようとしておったところに…」
「ああ……すまなかった……っ! もう……、下らない冗談は言わないと誓う……!!」
それこそ冗談ではない痛みをこらえて、固く誓いをつき立てるシーフォンだった。
「……まあ、よかろう。さて、本題じゃが…………」
やや間があって、躊躇いがちに、長衣の女は言った。
「……ぬしに親魔物領へ行く道中の、護衛を頼みたいんじゃ」
「………………はぁっ!? なぜ俺が……!? それになぜお前は親魔物領に行きたがる? 全然意味がわからないぞ? 魔物なんかと仲良くやっている所に行って何になるっていうんだ?」
――魔物の存在を是とし、手を取り合い繁栄している場所のことを親魔物領、反対の場所を反魔物領と言い、この町は反魔物領に属している。
それなのに親魔物領に行きたがるという人間など、普通はいないものだ。
すると、女は着ていたローブを脱ぎ去った。
急な展開にシーフォンの鼓動は不覚にも高鳴るが、しかしそれは次の瞬間、違う意味で彼の鼓動を再び高鳴らせた。
「それは、わっちが……わっちが、魔物だからでありんす」
「……!」
見れば女の整った顔の上には犬や猫のそれを思わせる耳が、腰の辺りからはフサフサとした尻尾が三本生えていた。
「狐……?」
のように、シーフォンの目には見えた。
「当たらずとも遠からず、と言ったとこかの……、わっちは『稲荷』じゃ。……で、どうかの? 護衛役になってくれはせんか? ……と言っても、今の反応を見れば色好い返事など期待できそうにもないかの……」
この反応に慣れているのか、自嘲の笑みを浮かべる女。
シーフォンはそれを聞き、やはり、
「ああ……他を当たってくれ。俺自身、魔物にいい印象はあいにく持ち合わせていないんだ。こちらもお前を貶める手札が一つ手に入ったということは、俺たちの状況は対等だろう? なら、俺は好きにさせて貰う。……じゃあな」
一方的に言い残し、シーフォンは出ていった。
一人残された稲荷の女は、
「やはりどこもわっちの姿を見たら反応は同じかや……諦めていたとはいえ、不思議と今回はちと堪(こた)えたの…………なんじゃ、この気持ちは……」
煌々と光る月に向かって、一人ごちた。
*****
明くる日。
シーフォンは心に靄がかかったような気分のまま、いつも通りの一日を過ごしていた。
何をしていても、なぜか昨日のあの女の事が彼の頭をよぎるのだった。 仕事の締めにと、無意識に大広場に足が向かい、彼はふと考える。
「(今日もあいつは……居るんだろうか)」
たどり着き、彼は広場を見渡す。
居た。
――昨日と変わらない位置。
――――昨日とは変わって、そのローブで顔を隠さずに。
「(あいつはなにをやっているんだっ!? ここは反魔物領のど真ん中だぞっ!?)」
当然そんな見た目をしているので周りには人だかり。
そしてその中心には、一目見て魔物を快く思っていないと解る表情を浮かべている輩が、彼女の周りをぐるりと取り囲んでいたのが見えた。
そしてそんな騒ぎの中、彼女は一瞬、だが確実にシーフォンを見た。
まるで彼がここに来るのが解っていたとでも言わんばかりに。
「っ……!?」
数瞬の間、シーフォンは固まった。
……が、あいにくにもシーフォンはその数瞬で、彼女を救えるかもしれない方法を思い付いてしまったのだった。
「(だが……それで俺はどうするんだ? 俺は何がしたい? 俺は彼女を――――?)」
その時、もう一度彼女がこちらを見た。
――笑っていた。
彼女は、途方もなく美しい笑みを浮かべていたのだ。
その瞬間、一日中シーフォンに付きまとっていた靄がまるで最初から無かったかのように霧散した。
「(ああ……! これが、稲荷の力か……っ! 一体何を迷っていたんだ俺は……!?)」
シーフォンは駆け出した。
人を掻き分け掻き分け、緊迫した雰囲気を纏う物騒な男たちをすり抜け、彼女のもとへ。
そして、シーフォンは笑って言う。
「俺の持ってた手札は、役に立たなくなってしまったからな。……またお前の言いなりに逆戻りだ。だから、なんなりと命令してくれて構わない」
彼女も笑って言った。
「くふっ……! それならまずは……この状況をどうにかしてくりゃれ?」
シーフォンは一度周囲を見渡し、それから貴族がするような、優雅な所作で一礼をした。
「……お安いご用で」
すると程無くして、いかにも荒事をくぐり抜けて生き抜いてきたといった風貌の男がおあつらえ向きにこちらにやって来た。
「……お前がどこの誰だか知らないが、魔物は俺らの仇敵だ。それを庇いだてするってんなら、人間相手でも容赦はしねぇぞ。……お前、覚悟はできてるな?」
どうやら彼がこの集団の頭のようで、ギロリと凄みながらシーフォンを睨み付けている。
しかしシーフォンは動じたところもなく、笑みを浮かべ平然と男に言ってのけた。
「……ようこそいらっしゃいませ、お客様。……えっと、そうだな……『よろず屋稲荷』へようこそ」
シーフォンのふざけたような態度に、男は眉を上げた。
そんな様子すら一切気にせずに、シーフォンは続けて言う。
「さて、お客様が当店に『お売り』していただいたこの短剣ですが、とてもではありませんがあまりに価値がありませんので、買い取り費用など頂きたいのですが……」
そこで初めて男は自分の獲物がシーフォンによってスリ盗られていたことに気づく。
しかし既にそれは自分の首に突きつけられており、少しでも不審な動きをすればそのままサクリ、だろうと男は直感した。
顔こそ笑っているが、シーフォンの目は全く笑っていなかったからだ。
「テメエ、いつの間に……!?」
しかしシーフォンは答えない。
顔に笑みを張り付けたまま、
「お支払い頂けないのであれば、命であがなってもらいましょうか。……今ならあなた一人分の出血大サービスですが?」
「ひ、ひぃっ……!」
シーフォンが言った途端、男は青ざめて、這う這うの体でその場から逃げ去って行った。
それに恐れをなしてか、周りを囲んでいた人垣の輪が広まってゆく。
自分たちの周りに人が居なくなってからシーフォンは呟いた。
「……やっぱり見かけ倒しだったか、あいつら……」
「なんじゃ、あいつらが見かけ倒しのゴロツキじゃとわかっておったのかや?」
「その口ぶり……絶対お前も解ってただろ……まあ、それは置いておき、ホントにヤバい奴なら懸賞金のいくらかぐらい掛かっている。そっち稼業の俺が顔も知らない奴なんだから、大したことない筈だと思ったんだ」
「ようやくぬし様の実力が見れるやも知れんと期待しておったんじゃがな……残念じゃ」
「ま、それはまたの機会……って、『ぬし様』……?」
「……わ、わっちなりの感謝と信頼の証じゃっ……! その、これからも、頼りにしていんす」
「それじゃあ、契約成立って所か……。さて、そろそろ俺の飼い主さんの名前を知りたいお年頃なんだがな俺は?」
そこでようやく気づいたというような顔をした彼女。
「す、すまんかった……すっかりわっち自身の紹介が遅れてしまったの……! わっちは『稲荷』の、タマノじゃ」
「へぇ、少し変わった名前だな……?」
「わっちら稲荷はジパングの生まれじゃから、これが普通でありんす」
「そうなのか……いつか、行ってみたい気もするな」
「わっちの気が向いたらの」
「はははっ。それじゃあ俺もとりあえず自己紹介しておく。俺はシーフォン・アルセルノ。あまり誇れる職業じゃないが泥棒だ」
「よし、しーぽんじゃの、覚えた」
タマノはそう言って笑った。
「しーぽん…………は?」
「…………」
「……俺はシーフォンだが」
「……しーぽん」
「…………」
「すまん……、解ってはおるんじゃが、どうしても発音が……」
「…………っ」
このときシーフォンは笑いをこらえるのに必死だった。
「ええい! いいんじゃっ!! ぬし様はぬし様でよかろう!?」
「ぷっ……くぅ……っ!」
コクコク、となんとかシーフォンは頷いた。
「まったく……! 契約早々に失礼なやつじゃの……! お仕置きじゃっ!!」
その言葉で、シーフォンの背筋が凍った。彼の脳裏にあのときの膝蹴りがフラッシュバックする。
思わず身構え、現実から目を背けようと目を瞑るシーフォン。
――しかし、シーフォンに訪れたのは唇に対しての柔らかな感触だった。
驚いて目を開けたころにはタマノは向こうを向いていた。シーフォンからは見えないが、おそらく顔は真っ赤だろうと彼にも分かった。
それからタマノは、場を誤魔化す様に大きな声で言った。
……というよりは、言い放ったという表現の方が正しい。
「さあ、これから大変じゃっ。 親魔物領へ行くとなれば、一筋縄ではいかんじゃろうからの!」
やれやれ、とシーフォンは大きなため息を吐き、タマノの身体を抱いて駆け出した。
「な、何をするんじゃぬし様や!? そんな……いきなりじゃと心の準備が……!」
顔を真っ赤にして慌てふためくタマノ。
それをシーフォンは見ながら、
「お前はっ! 反魔物領のっ! ど真ん中でっ! 何を大声で叫んでいるんだっ!?」
「あ……」
何事かと、再び人々の注意が向けられる。
その様子を見て、ガクリと肩を落とすシーフォン。
この先がとてつもなく心配になってきたこの頃だった。
「とりあえず荷物はまとめたから町の外まで出るぞ!! 目指すはとりあえず旅人用の小屋だ!!」
彼らの話は、ここから始まっていくのである。
13/03/06 23:28更新 / ノータ
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