鉄分は大事な栄養素
三期が始まってから一週間と少しという微妙な時期だが、俺たちのクラスに転校生がやって来ることになった。
聞くところでは帰国子女らしい、という話を朝のホームルームで担任の明葉先生から受け、クラスの皆がざわつく。
ちなみに俺、黒須架 良矢(くろすが よしや)は先生とは料理の話でよく盛り上がる、いい主婦(夫?)仲間でもある。どうでもいいが。
「それじゃあ閨待(ねやまち)さん、入ってきて下さい」
先生の紹介に応えるようにドアが音をたて、入ってきたのは、夜のような黒い長髪を持つ可愛らしい女の子だった。すらりとした細い足に白い肌とソックスがよく映えている。
だが裏腹にその眼は霞がかったようになにも映してはおらず、まるで俺達になど何の興味もない、といった雰囲気を纏っていた。
「それじゃあ早速だけど、自己紹介をお願いできるかしら?」
『閨待 小夜(ねやまち さや)』と書かれた黒板の前で、しかし名前を呼ばれた少女は完全に先生の言葉を無視し、空いていた俺の席の隣に着いてそのまま顔を伏せた。
……え? なんだこれ? どういうことだ?
……っていうか先生、その『ごめん、委員長の明石さんでもよかったんだけど、席が近いから良矢君が何とかして!!』的な視線送ってくるのやめてくれません!? ……あぁっ、口パクとかもしなくていいです、ひしひしと伝わってますからっ!?
仕方なく俺は、隣の席で伏せたままくぅくぅと寝息をたてている閨待の様子を確かめ――……、
「……ってなんで寝てるんだよ!?」
そうして無意識に動きかけた腕を、俺は慌てて止めた。
危ない……! いつもの癖でつい『スパンッ!』ってやっちまうところだった……!
俺にはある理由から、『ツッコみ癖』というものがあった。
そんな事をしようものなら、編入初日にして閨待から俺への印象が悪くなるなること間違いなしだろうな……。
気を取り直して、背徳的な感情が起きたが彼女を揺すってみた。
あぁ、クラスメイトの視線が痛い。しかもコイツ、なかなか起きてくれないし。
「黒須架くんがんばー!」
委員長の明石が無責任にも応援の声をかけてくる。
「ごめん、ホント起きてくれ。なんというか心が折れそうだ」
祈るように少し強めに揺すった結果、最悪なことに彼女の体が傾き、机から滑り落ちそうになった。
「ちょ、やば……っ!?」
俺は必死で体を下に潜り込ませて、どうにか閨待を受け止めることに成功。
へぇ、軽いんだなこの子……。けど意外にも胸は大き……って、どこを触ってるんだ俺は!?
思いっきり閨待の胸を俺の手がわし掴んでいる、そのタイミングで彼女が目を開ける。
あぁ…………最悪だ。
「ん……。おはよう、ござい ます……」
完全に嫌われたと思ったのだがしかし、彼女は意外にも礼儀正しくきっちりと挨拶を済ませたあとでそのまま立ち上がり、平然と再び席に着いた。
……え? お咎め、なし……?
「ほら、自己紹介自己紹介、閨待さ……いや、呼びにくいから小夜ちゃんね。とりあえず前に出る!」
明石がようやく助け船を出してくれた。
まったく、遅いって……。
「……? ……?」
一方の閨待は寝ぼけているようで、頭に疑問符を浮かべながら明石に引っ張られていった。
さっきの目つきもただ眠かっただけのようだ。
どこかから帰国したばかりで、生活リズムが完全に戻ってないのかもしれないな……時差ボケってやつか?
俺もとりあえず立ち上がり、席に着く。
……ははっ、止めろよ主に男子諸君。
偶然俺が胸を触ってしまったからって、消しゴム当てられると結構痛いんだぞ? イテっ、くそ、また飛んできた! ちょっ……止めてください!?
*****
「ねやまち さや。です。……えっ と、なにを言えば、 いいの?」
「う〜ん……好きなものとか言えば、それでいいんじゃないかしら?」
さすがの明葉先生も呆れ顔。言っておくが、これはさっきの続きじゃないぞ。
……結局あの後、閨待は教卓に頭を打ち付ける勢いでまた突っ伏したから、彼女の自己紹介は帰りのホームルームに流れたんだ。
それにしても、新しく入った初日の生徒によく行われる『ミーハーな女子からの質問責め』の洗礼も華麗にスルー……まあ、寝てただけだから華麗でもなんでもないが……、それと授業も居眠り(というか普通にガチ就寝)の割合の方が多かったし……。
大丈夫か、こんなので。
「好きなもの、 は……。 ち……」
「ち……?」
先生が聞き返す。
「……じゃなくて、ぇと、とまとじゅーす」
どんな間違いだそれ。
それと、話す速度がゆっくり過ぎてこっちも眠くなりそうだ。
「あとは……。 ほうれん、そう。 ……ほうれんそう」
何故二回言ったんだ。それは大事なことだからテストに出るとかか。色々とツッコみ所がありすぎて困る。
「耐えろ良矢。とりあえず今にもツッコみそうなその手を膝の上に置け」
閨待とは逆側の隣に座る俺の友達、陽太が俺を制する。
朝の時間、こいつの方向から飛んできた消しゴムは全部こいつがキャッチしてくれていた。 何気に恐ろしい身体能力だと俺はいつもながらに戦慄する。
「治まらないなら後でいくらでも俺にツッコんでくれて構わないからさ」
……持つべきものは友達だとは思うが……お前が陰でどんなアダ名を付けられてるか知ってるか?
ホモだよ。
これだけは誤解しないで欲しいが俺たちは二人ともそういった方向の趣味はないからな?
陽太の相手をしているとほうれん草発言以降は押し黙っていた閨待が口を開いた。
「もう…… なにも、ない、 です……」
どうやら自己紹介はあれでおしまいか。
結局、彼女について知れたのはトマトジュース(?)とほうれん草×2が好きなことくらいじゃないか。
「ありがと、閨待さんからは以上ね。私から彼女の事で一つ言っておくけど、彼女はこの学校の編入試験、全教科満点で合格してるのよ」
「はぁっ……!?」
俺だけでなく陽太や明石、他のやつらも驚きの声を上げた。
「ただ、少しボーッとしてるというか……あと、世間に疎いところもあるみたいだから閨待さんが困ってるのを見かけたら、助けてあげて欲しいの」
そう言われるとなんとなく±0になるような気がするのが閨待の最も残念なところなんだろうな……。
俺はそんな思いとともに、虚ろな目をする隣の席の少女を見やった。
*****
放課後。
帰りの挨拶が終わると同時に陽太が俺のところにやって来た。
「良矢、帰ろうぜー?」
「あ 悪い、陽太。図書室に行ってレシピ本返さなきゃならないから先帰っていいぞ?」
「そういうことなら了解。じゃあ、また来週か」
「ああ、また来週」
週末だったから早めに本を返して新しいものを借りておきたかった俺は、最後に教室で記憶に焼き付けるようにしばらく返すべきレシピ本を眺めたあと図書室へ向かった。
俺達の学校の図書室は旧校舎の最上階ということもあって、あまり人は来ない。
「……こんにちはー」
半ば義務的に挨拶をして図書室の中に入ると、威勢のいい挨拶が返ってきた。
「おはこんにちこんばんはよっしー君!! ゆっくりしていってね!!」
「尾根倉先生、何ですかそれ……」
よくわからない挨拶を浴びせてきたこの人は司書の尾根倉(おねくら)先生。残念美人といった言葉が実に似合う若い女性の先生だ。
この人、学校にはまず置かれない専門料理の本とかも俺が頼めば何とかしてくれるから嫌いじゃないんだが……。
「現実に浸りすぎている分ツッコみが甘いぞよっしー君っ!! 君はそれでも本当にツッコミストなのか!?」
俺は何も答えない。なぜならこの人に付き合うと疲れることはもう体で理解しているからな。
「む〜……。よっしー君がツッコんでくれない〜っ! もっと深く激しく、奥までツッコんでよぉっ!」
「ちょっ……、あんた司書で先生でしょう!? いや、それ以前に社会人として何言ってるんですか!?」
反射的にツッコんでしまった俺。
「はぁぁぁんっ♪ ゾクゾクするわぁ……っ!」
あぁ……先生が色々と危ない騒ぎ方をするせいで周りから白い目で見られるのは本日二度目だ……。
人が少ないのがせめてもの救いだが、厄日か今日は。
「ねぇ……よっしー君…………」
先生が(無駄に)湿っぽい声で囁きかけてくる。しかもほとんど耳に息がかかるほどの距離で。
「……図書室では、お静かに」
「アンタが言うなっ!!」
スパンッ!
このときの一瞬ばかり、俺は身分や立場といったものを無視した。
「ぁ〜〜〜〜っ////♪」
恍惚の表情を浮かべ始めた先生。
……やっぱり疲れたから、これ以上はもう放っておこう……。
そう思った俺は、借りていた本を先生に押し付けて本棚へと向かった。
*****
時間をかけてあらかた棚を見て回り、目当ての本を持って今度は借りる手続きのために先生の所に行く。
「『黒須架 良矢』っと……はい、利用者カード。これでOKよ、よっしー君。 うわぁ……『健康増進のための節約レシピ100選』とか完全にもうアッチの領域に達してない?」
「どこですかアッチって……どうせ生きるために必要なスキルだったんですから、自然と上達しますって」
自分の境遇にため息をつきながら俺は答えた。
言葉の通り、俺は独り暮らしだ。
「独り暮らし歴で私よっしー君に二倍くらい負けてるのよね……年は言わないけど。それとも、聞きたい? せ・ん・せ・い♪ がいったい幾つなのか……」
「慎んで遠慮しておきます」
「もう……つれないわね……。っとっとぉ、そうだよっしー君、折り入って頼みたいことがあるの……。私、すごく困ってるかも」
先生が絶妙な上目遣いで言ってくる。
初対面の人がこんなことされたら一瞬で堕とせそうな魔力があるが何せ中身がコレだからな……俺の壁は破れないぞ。
……それに大抵これはろくでもないことを頼まれるパターンだ。
「……一体なんですか?」
しかし無下にするのもさすがに失礼なので(さっきのツッコみは無意識に手が動いただけだ)、うんざりしながらも答える。
「ぁ、その目イイっ♪ そんな目で見られると私もっと興奮しちゃ……、あぁ待ってっ!? 放置プレイも捨てがたいけどやっぱり困るから待ってぇっ!?」
「はぁ……何やらされるんですか俺は?」
「その、そろそろここも閉館なんだけど……あそこの娘がどうしても起きてくれないのよ」
「女の子じゃないですか、また難題を……先生がやればいいじゃないですか」
「だから起きてくれないのよ〜。それに、必殺の『ネクラちゃん目覚まし』 はよっしー君一人だけのものなの。こう…耳をかぷ、ってしてぇ、それからぁ……♪」
妄想の世界へと旅立った先生には付き合いきれないから渋々俺は寝ている女の子の所へ。
そして近くまで行って気付く。
「まだ寝足りないのか…………閨待」
「閨待って……今日入ってきた天才ちゃんじゃない」
いつの間にこっちの世界に帰ってきたんですか先生。
「みたいですね……ちょっと今でも信じられませんけど。授業中もずっと寝てましたし」
「この娘……。へぇ……、成程ね……」
うわ、先生がいつになく真面目な顔だ。
いっつもこんな感じならもっとモテるだろうに……自分でも失礼だとは思うけど。
「ま、よっしー君、任せた!!」
グッb☆ みたいな仕草をして先生はどこかに行ってしまった。
やはりあの人はどこまでいってもあの人止まりだろうな。
「まあ、何にしても起こさないとな……」
他の人はあらかた先生が既に帰し終えていたようだが、それでも朝の二の舞にはなりたくなかった。
想起すると柔肉の感触がまだ鮮明に……ってだから何を考えてるんだ俺は!?
とりあえず俺は頭を振って気持ちを切り替えた。
「閨待、閨待ー。そろそろ閉めるってよー」
「………………」
ダメだ、これ。
「私職員室に居るから、ついでに鍵も掛けててよっしー君!!」
どこからか声がする。ダメだあの人も。
「どうするんだこの状況……そろそろ日も落ちる頃だし」
「……それじゃあ、 かえろっか」
急に眼の前から声がした。
……いつ、どうやって起きた。まあ助かったが。
「……それなら戸締り、手伝ってくれ」
閨待はコクンと頷き、ぱたぱたと窓へ走っていった。かと思うと急にこちらを振り向く。
なんなんだ……?
「ごめんね、おはようございますって言うの、わすれてた。えっと、よしや、くん ……おはよう、ございま」「とっくに今は『こんばんは』の時間だよ!!」
たまらず俺は突っ込んだ。
「じゃあ、……おはこんにち、こんばんは?」
「なんでやねんっ!?」
思わずベタにツッコみ返してしまった……先生それ、来た奴皆にやったんですか!?
「……とにかくそれ、禁止な」
「……うん」
なんだ……素直で、いい子じゃないか。
*****
暗い中、女の子を一人で帰らせるのは気が引けた俺は閨待を校門に待たせ、勝手かとは思うが俺にできる範囲で家の近くまで送ることにした。
尾根倉先生に鍵を返しに行き『そう……送り狼になっちゃうのね、よっしー君……私という女がありながら……ぶつぶつ』と落ち込み始めた先生を華麗に無視し、閨待のところに着いたときには完全に辺りは夜になっていた。
「まったく、遅かったじゃない」
割と急いで来たつもりだったが……少し怒ってるみたいだな。
「ごめんごめん、これでも先生の話はスルーしてここまで来たんだから勘弁してくれないか?」
「あの司書の先生ね……それはその、えっと、頑張ったわね……」
「解ってくれたみたいで何よりだ。まあ……校門の前とはいえ、閨待一人じゃ何が起きるかわからないからな」
「……何となく失礼なニュアンスが含まれてないかしら?」
ここまで二人で話をしてから俺は気がつく。
……おかしい、明らかに閨待との会話が成立している。
「……失礼なことを考えていそうな目ね」
鼻を鳴らして腕を組み、胡乱げに俺を見ている少女はしかしあどけなさこそ残ってはいないがどう見ても閨待で……。
「失礼ついでにツッコませて貰うが……、何なんだこのさっきまでと別人な雰囲気たっぷりな閨待は!?」
「五月蝿いわよ……。起きぬけの頭に響くからもっと静かにしてくれないかしら?」
「起きぬけ……?」
いやまあ、確かに寝てはいたがそれはもう半刻ほど前のことだ。表現として「起きぬけ」というのはどうかと思うんだが……。
「朝と昼の時間に弱いのよ私。起きてても半分寝てるような気分で過ごしてるの」
「……あれ全部寝惚けてたのか……!?」
先ほどの彼女の反応から学習した俺は小声でツッコむ。
「まあ、何があったかは覚えてるから。睡眠学習ってよく言うじゃない? ねぇ変態さん?」
……朝のこと、ここに来て掘り返すのかよ!?
とりあえず謝らないと。
「それはその……ごめん」
「…………なんて冗談よ。あれはあんな時に寝ていた私の方が悪いもの。こちらこそ、ごめんなさい」
「閨待……ごめん、ありがとう。優しいんだな」
何にせよ、事なきを得たようで助かった。
「ふん……! ま、今度私の許可なくそんなことしたら貴方の男性機能を停止させてあげるわね」
おぞましいことを口走りやがるぜこの娘は……!
いや、だがそれよりも……!
「……許可とか降りるのかよ?」
「さあ? 貴方次第じゃないかしら? 今のところ可能性は0%だけど」
「……でしょうね」
当然と言えば当然なんだが……0%とまで言われるとさすがに悔しい気がするな……。
「そんな残念そうな顔はいいからとりあえず帰りましょ? 話は家でもできる訳なんだし。……不本意だけれど」
「べ、別にそんな顔してなんか……! ってちょっと待て、話は家でも……って、どういう事だ?」
「? ……もしかして貴方の両親は何も伝えていないの? 私はてっきり……」
閨待が意外そうな顔でこちらを見る。ちなみに、待てと言ったのに歩くことをやめてはもらえなかった。
「さっぱり話が見えないが、ろくでもないことを俺の両親がまた企んでるのだけは、何となくわかった」
俺の両親は、かなり奇天烈な思想をもった人たちだった。
それが俺のツッコみ癖を発症させた理由だ。
一番の例を挙げるなら、小学校の高学年になった途端、いきなり俺に「人生修業」という名目で一人暮らしをさせ始めたりとか。
いや、本当に初めは死ぬほど大変だった。
……ということを、仕方ないので歩きながら話した。
「……大変だったのね、貴方も……」
「とにかく…… 説明を要求する」
俺の問いに対し、やれやれという感じで眉毛を下げた閨待が答えた。
「一緒に暮らすことになってるのよ……貴方と、私の二人で」
「一人暮らしの次は同棲かよ……!?」
ようやく落ち着いてきた時期にそう来たか、父さん母さん……もう呆れて物が言えないぞ。
「いや、でもそれだと俺の場合は『親の子育て方法が滅茶苦茶』で全部まとまるけど……言ってて情けなくなってきたな……閨待の場合はどうして? 理由なんかないだろうに」
俺は浮き出た疑問を、自分の境遇に呆れながら発する。
「……それなら理由は簡単よ」
閨待もまた心底呆れた声で言った。
「……その滅茶苦茶な貴方の両親と、私の両親は仲良しなのよね」
「……マジか」
閨待の親にまで悪影響を……何をやってるんだあの人たちは。
「気にしなくてもいいわ。元々滅茶苦茶な者同士、波長が合ったんじゃないかしら? 今は一緒に仕事をしてるらしいけど、何やってるかまでは私も知らないわ」
「それを聞いて安心だ……。いや、しちゃいけないんだが。……なあ、まさかとは思うけど帰国子女ってのは……?」
「ええ。いきなり二年間、外国の学校の寮なんかに飛ばされたわ。右も左も言葉もわからなくて、私も初めは死ぬほど苦労したわよ……!」
……ここにきてようやく俺と同じ境遇の人間に巡り逢えた……!
俺はちょっとした感動に包まれた。
「……もしかして今回は『修業』とか言われたりした?」
俺がそう訊くと……なぜか少しだけ閨待の顔が赤くなった気がした。
「『修業』……まあ、言われたかと訊かれると言われたわね……」
「閨待……お前とは仲良くやっていけそうな気がする」
「あの人たちの血を引いてるからってちょっと警戒してたけど、私も安心したわ」
「まあ、無理もないだろうな」
口ぶりからして俺の両親と会ったことがあるみたいだな閨待は。俺があの人たちと真逆に育ったのはある意味必然ではあったけど。
「……これだったら10%位に引き上げても……って何考えてるのよ私は……!?」
「どうしたんだ? さっきから何か言ってるみたいだけど?」
「べ、別にっ!?」
……なら、いいけど。
「それにしても何かこう……ツッコめないと手持ち無沙汰というかなんというか……」
「遠回しに私にボケろって言ってるのかしら?」
「昼間の印象とのギャップが激しくてさ……お前がこんなにまともな人だったのは予想外だった」
「もう……眠かったんだから仕方無いじゃない。頭がふわふわしてて何も考えられないの!」
そんなことを話しているうちに、俺たちは自然と家の前まで帰り着いていた。
「……と、もう着いたか」
「あら、意外と大きいわね」
意外とってなんだ、おい。せめて心の中で付け足す程度にしてくれよ。
一人でこの家掃除するの大変なんだぞ? 何せ俺の一人暮らしは親が俺を残して出ていく形のものだったから家が普通に広いんだからな。
「……そういえば生活用具とか、そういった類の物はどうするんだ? 見たところお前の鞄、授業道具しか入ってなさそうだが……」
「失礼ね。他の物だって一応入ってるわよ。…………ほうれん草だけど」
「生 活 用 具だって言ってるだろ!? ほうれん草で生き抜くつもりか!? 無謀だっ!?」
俺の指摘など知らないとでも言いたげに、閨待は鞄からほうれん草を取りだした。
「入居の挨拶に、はい」
「……ぉ、おう」
俺は青々としたそれを(束ごと)受けとる。……よく見たら授業道具よりも青緑色の割合の方が多くないか……?
「……お前がほうれん草大好きってのは伝わってきた」
「夜御飯に使ってくれる?」
「じゃあ、シチューとかができたっけな……じゃなくて! もっと衣服とかそういうのがないかをさっきから訊いてるんだよ俺は!?」
それを聞いてしばらく思案顔をしていた閨待が言う。
「……そういえば無いわね?」
「俺に訊くな!? ……無いのか」
「今日だけは貴方のシャツとかを借りるしかないみたいね。はぁ……」
明日が休みで助かった。明日の行動は買い物で決まりだなこれは。
「とりあえず家に入るぞ。ただいま」
半ば習慣と化している『ただいま』。一人暮らしでも何となく言ってしまうものだった。
俺のあとに、少し戸惑い気味の閨待が続く。
「初めて入る家にただいまって言うのはどうかと思うんだけど……」
どうやら、ただいまを言うかどうかで迷っているらしい閨待。
……それなら。
「…………初めて入ってきた人におかえりって言うのは俺もどうかと思うが……お帰り、閨待」
「何よ、言うしかなくなったじゃないの……。えっと……ただいま」
「改めてよろしく、閨待」
「一緒に暮らすんだし小夜でいいわよ。私も貴方のことは良矢って呼ぶから」
家に入るなり、そんなトンデモ提案をしてくる閨待。
「いきなり下の名前はハードル高くないか……!?」
「ほら、練習よ良矢。とりあえず呼んでみて?」
すでにあちらは俺のことを良矢と呼び捨てに。この切り替えの速さには驚いた。
「さ……小夜」
「……ちょっと堅いわね。……そうだ、そのまま『サヤ』って10回言って?」
いきなり何を言い出すんだこの女の子は?
「……? サヤ、サヤ、サヤ、サヤ、サヤ、サヤ、サヤ、サヤ、サヤ、サヤ」
「じゃあ、剣の周りを覆ってるものは?」
「…………いや、どれだけ考えても、鞘(さや)以外に思い付かないんだが」
「答えはサビよ」
「どんな年代物の剣なんだだよっ!?」
「……ざっと2000年位かしら?」
「青銅剣!? 年代物過ぎるって!?」
馬鹿らしいやりとりに、いつものツッコみ癖がつい発動してしまう。
「ふふ……、緊張はほぐれたかしら?」
そう言って小夜は笑った。
「…………小夜って、なんというか話し方が上手いな」
「外国とかでもうまくやっていくために自然とね。さっきからボケて欲しそうだったし、いい機会かと思って。ほら、うまく私のこと呼べてるわよ?」
「ぁ……そういえば」
自然と俺も『小夜』と、名前を呼んでいた。
やっぱり外国に飛ばされただけあって、小夜の会話力はかなり俺より上みたいだ。
「俺も自然と料理の腕が上達したしな……。滅茶苦茶な教育方針のくせに何も得るものがない訳じゃないのがちょっと悔しいけど。……とりあえず、晩御飯は手伝ってくれよ?」
「ぇっ、あ、その……善処するわ」
どことなく目を反らしながら小夜は答えていた。
「もしかして小夜……料理は苦手?」
「五月蝿いわねっ!? 自分でする機会が無かっただけよ!」
成程、料理は出てくるタイプの寮だったのか。それなら確かに、そうそうこの年で料理なんかできる奴の方が少ないか。
「じゃあ、教えるから一緒に作ってみるか」
「…………! ……私の『修業』……そういうことね、お父さん、お母さん……」
「小夜、どうした?」
「う、ううん。まぁ、いつか必要になるかもしれないし……お願い」
「ああ。どんと来いだ」
「Don't 来い……つまり、来るなってことね?」
「違うからな?」
小夜ってもう少し暗めの性格かと思ってたんだが……、意外とそんなことはなかったな。いや……むしろ面白い方じゃないかとさえ思う。
「ふふ……晩御飯、期待してるわよ?」
「もちろん小夜の働きにも期待してるからな?」
ボケて手伝いをはぐらかそうったってそうはいかないぞ? 残念だったな。
「うっ……。はぁい……」
……これは、教え甲斐がありそうな生徒だな。
*****
聞こえるのは、俺と小夜の息遣い。
「良矢……これ、入れるの……?」
小夜が怖いものを見るように、不安げにしながら俺に聞いてくる。
「ああ……、固くなってるところだけ、まずゆっくりと入れてくれ」
できるだけ小夜を安心させようと、俺は優しく導く。
「んっ……あつっ、熱くて、じんじんするんだけど……っ!?」
「我慢してくれ。やってればそのうち慣れてくるからさ」
「でも……初めてなんだから、しょうがないじゃない……っ」
「そろそろかな……全部、入れてくれ」
「もう……一気にいれても、いいの……?」
「ああ。……そう、うん、その調子。そうしたら中でゆっくり掻き回して、ちょっとしたらもう抜いてくれ」
「も、もう抜くの? ちょっと……って、どのくらい?」
「あと15秒位かな? それ以上入れたままだといっぱい出ちゃうからさ。小夜もそれは困るだろ?」
「いつも生のままでいってたんだけど、そんなこと考えたこともなかったわね……」
「いつも生で!? 体にあまりよくないぞ……!」
「……はい、全部終わったわよ。……はぁ、熱かったわ……」
「あとは搾りとるだけだな。両手で挟み込んで、そう……よし、よくできました」
*****
「ほうれん草を茹でるのも大変ね……」
「いや、こんなのは作業の内に入らないからな?」
何故もう終わった感丸出しなんだ小夜。エプロンを脱ごうとするな。
「そうだ、お昼の弁当箱とかあったら一緒に洗っておくから今のうちに出しておいてくれるか?」
「あ、私今日はそれをそのまま食べただけだから、空の弁当箱とかは無いわ」
それと指差した先には、茹で終えたほうれん草の束。
「ほうれん草が生食に向かないのはシュウ酸を多く含んでるからなんだよ。恒常的に多量接種すると骨が溶けるぞ?」
滅多なことではないが、小夜ならあり得そうだから怖い。
「そ、そうだったの!? ……今度から気を付けるわ」
なので、脅せる内に脅しておいたというわけだ。
「これからは俺がついてるし、そんなことにはならないさ」
食事や栄養については、何一つダメなようにはさせるものか。
俺はそう決意した。
すると急に、小夜の挙動が不自然なものになった。
「えっ……? それってつまりその……『俺が守ってやる』みたいな……!? ヤダちょっと、なにときめいちゃってるのよ私……!?」
「小夜? おーい?」
小夜が何かを呟いているのだが、よく聞こえないな……。
反応を確かめるために、とりあえず目の前で手を叩いてみる。
パンッ!
「ひゃっ……!? え? あ……っ」
眼をきょろきょろとさせる小夜。
「慣れないことして疲れたのか? なら、あとは俺がやるよ」
「あ……ぉ、お願い。その……見てるから」
「よし……頑張ってみるかな、小夜の歓迎祝いの意味も込めて!」
…………思えば俺は、誰かのために料理をするのは初めてだった。
*****
テキパキと作業を進める間、小夜がずっとこちらの動作を食い入るような、それでいてどこか熱っぽい目で見つめてきていた。
なんだか恥ずかしいな、こうも見られてると……それも小夜みたいな、こんな…………。
無意識のうちに小夜の容姿に目線がいってしまい、慌てて逸らしながら料理に戻る。
頭を振って気持ちを切り替えてみようとしたが、髪をまとめたりはしていなかったから料理中にはあまりよくないことだと気がついて俺は項垂れた。
「良矢……?」
そんな俺の様子に、小夜が声を掛けてくる。
「あ、いや……何でもない」
「そう……? が、頑張ってね?」
……応援とかされたら、変なことを考えてた自分がなんだか恥ずかしくなってきたな……。
とりあえず、この恥ずかしさを早く終わらせたくなった俺は急いで残りの作業を進めた。
小夜にテーブルの掃除を任せる間に二人分のシチューを器によそう。彼女に茹でてもらったほうれん草はここで投入。
「よし、出来たな……完成だ!」
音がしたので見てみると、小夜が拍手をしてくれていた。
「お疲れ様。……美味しそうね」
「それじゃあ食べるか。頂きます」
「ほうれん草農家の人に全霊の感謝を込めて……頂きます」
なんだよそれ!? 贔屓にも程があるだろ!? ちょっとくらい俺への感謝とか無いのかよ!? ……いや、別に期待とかそういうのじゃないけどさ?
俺はそう必死でツッコみたくなる衝動を心のなかに留めた。たぶん今のはボケとかじゃなくて本心だろうし。
…………意外と小夜は天然なんじゃないか?
「それにしてもこのほうれん草、なかなか美味いな……」
俺が素直な感想を述べると小夜が自慢げに腕を組んだ。
「当然よ! この時期のこの子達は冬の厳しい寒さの中で育った強い子なんだから!」
『この子』って……愛がひしひしと伝わってくるな。
……それにしても腕を組んでるせいでちょっと胸が押し上げられて形が……けしからん……!
じゃなくて!? ダメだダメだ!? なにか別の事を……!
俺はわたわたと焦る。とその時俺の記憶の底から天恵のように知識が湧いてきた。
「き、聞いたことあるな。確か『寒締め』っていう作業か? 低温環境のストレスによってより強い成長を促す農法……だったっけな」
なんとかスラスラと言葉が出てきてとりあえず俺はひと安心。
「あら、詳しいのね……意外に」
「だから意外は余計な?」
「でもよく考えると面白いわね、それって……」
「どういうことだ?」
「だって……まさに今の私達みたいじゃない?」
「……ははっ、そう言われると、確かに違いないな」
俺たちはどちらも苦笑いをする。
過酷な環境に放り出されて、それでも何かしらのスキルを身に付けた俺たち。
こんな言い方では小夜が怒るかもしれないが、俺たちの境遇ってほうれん草レベルの話だったんだな。
「…………ごちそうさま、ありがと良矢。……とっても美味しかったわ」
小夜が食器を手にテーブルを立つ。
俺はそれに呆然としながら『お、お粗末様』と答えるのが精一杯だった。
……不意打ちで感謝してくるなんて、卑怯じゃないか?
*****
「……一つだけ、貴方に話しておかなきゃいけないことがあるの」
食後の片付けも終わって一段落しているところで小夜の声がする。
それは幾分真面目な響きで自然と俺も居住まいを正してしまうようなものだった。
「どうしたんだ? これからのことについてとかか?」
「……微妙に違うかも」
……何だろうか?
とりあえず目線で先を促すと、小夜は頷いてその口を開いた。
「えっとね……実は私……人間じゃないの。あ……ツッコみは無しでお願いね?」
さすがに冗談を言っている顔には見えない。それでいてハイそうですかと信じられるわけでもないが……。
俺が黙っていると小夜がこちらを見ていた。
どうやら返事がないのが不安だったようだ。
「わかったから、とりあえず続けてくれ」
「うん……。良矢は、ヴァンパイア……こっちだと吸血鬼の方がいいのかしらね……って知ってる?」
「……まあ一応。空想の中でだけど。…………話の流れで言うと、小夜は吸血鬼だとでも?」
「ええ、そうよ。……って言っても人間の血が私たちの生命維持に必要な体質で、それを摂取するための力……まあ牙とかね。あとは血中の、人体に悪影響を与える物質への抗体とか……を持ってるってだけ。他に大きく変わった所なんて…………そんなに無いわ」
突然の告白に、出鱈目なことを言っている雰囲気も小夜の頭がおかしい、なんてこともないのはわかるんだが……、
「……どうにも、なぁ……いまいち実感が湧かないと言うかなんと言うか……にわかには信じがたいな」
そう俺が言うと、小夜は少し眉を下げた。
「あ……ごめん、そんなつもりじゃ……証拠とか、そういうのがないからさ……?」
俺が謝ると、小夜はこちらに寄ってきて俺に言った。
「じゃあ……試してみる……?」
確かにそう言った小夜の口には先ほど彼女自身が告白した通り鋭利な牙のようなものが見えた。
「元々吸血衝動が我慢できなくなったら良矢に頼むしかないんだし、今日はその、少しだけ。練習……みたいな感じで……お願い」
真剣に懇願され、しかも証拠が欲しいと言いだしたのは俺自身なので一概に断るわけにもいかなくなり、おずおずと俺は頷くことにした。
「じゃあその……首のところの服、ずらすわね……?」
小夜の細くて白い手が俺の首をなぞって肌色を露わにさせる。
「もし痛かったら、遠慮なく言ってね? えっと、頂きます……はむっ」
かぷ、といった感じに小夜の牙が首筋の皮膚に食い込む。
痛いことは痛いが、苦痛ではなく『痛気持ちいい』という表現がしっくりくる。
「良矢、大丈夫? 痛くない?」
小夜が心配げに声を掛けてくる。
「ああ、大丈夫だ。むしろ不思議と気持ちいいし、その……いい香りするし……」
「ぅぅ……そんなこと言われたら恥ずかしくなっちゃうじゃないのよ……」
「ご……ごめん」
「あ……ん、ちゅうっ、んくっ……」
血が出てきたのか、首を吸われる感触がした。
弾力のある唇がよりいっそう感じられて俺は否応なしに意識してしまう。
……っていうかこの体勢、よく考えると胸も押し付けられてる……っ!? 朝にも確かめた通りに豊かで柔らかくて、どうにかなりそうだっ……!!
「ふぁぁっ……♪ なにこれっ、良矢の……ちゅっ、ん、んくっ、はぁっ、美味ひい……っ♪」
熱に浮かされたような声で小夜が呟く。
俺を離すまいと小夜は俺に腕を回し、よりいっそう体を密着させてきた。
「ちょ、小夜っ……ぉわぁっ!?」
足までもが絡み付くようにしてとうとうもつれてしまい、俺は小夜に押し倒された形になった。
床に倒れた衝撃で首元から小夜の顔は離れていたが、俺の腰の上に丁度跨がるようにしている彼女の興奮が冷める気配はなく、再びゆっくりと顔を近づけてくる。
「小夜っ!? タイム、 タイムっ!! 落ち着いてくれって!?」
俺は慌てて小夜の頬を軽く手で何度か叩いた。
「ん……? あれ……?」
正気を取り戻したらしい小夜。自分が何をしていたのかいまいち理解が追い付いていないみたいだ。
「? ……なんか、堅いのが当たって……」
そして俺と目が合う。
「……とりあえず、俺の上から退いてくれないか……?」
「…………ひゃぁっ!? ご、ごめんなさいっ!?」
数瞬呆けたようにしてようやく今の状況に気がついたようだ。
半ば転がり落ちるようにして退いてくれた小夜はその後俺から目を背け、体育座りで頭を抱えていた。
「えっと……大丈夫か、小夜……?」
小夜の様子がさすがに心配になり、声を掛ける。
「大丈夫じゃないわよぉっ……!」
「え……!?」
「男の人のを飲むの、初めてだったんだけど……あんなに美味しいなんて知らなくて……ついあんなになっちゃって……。うぅ、恥ずかしいっ……。土があったら、還りたいぃっ……!」
「止めろ小夜それってつまり死んでるからっ!? 『穴があったら入りたい』を通り越しすぎだろっ!?」
「だってぇ……っ!!」
あまりに恥ずかしかったのか小夜の言動が少し幼児退行気味なのが可愛らしい。
「と……とりあえず今日はもう寝よう!? 小夜は空き部屋使っていいから! 明日は生活用具を買いに行こうなっ、おやすみ!」
「あっ……」
バタバタと自分の部屋に駆け込み、そのままの勢いでベッドに。早まっている自分の鼓動は今走ってきたからだと、無理に納得して俺は目を閉じた。
*****
チッ、チッ、チッ――
…………寝れるわけ無いよな? 普通……。
どのくらい時間が経ったかな。短かった気もするし、ずっとこうしていた気もする。
……ああ、くそっ。時計の音がやけにはっきり聞こえ始めた……、静かな夜に一回意識し出すと、止まらないんだよな……。
実際、一人暮らしを始め(させられ)てからしばらくは、家がやけに静かになったみたいに思えて同じように眠れなくなった記憶がある。
「…………ホットミルクでも作るか。飲んで落ち着けば寝られるだろ」
のそのそと起き上がり部屋を出て、台所に向かい牛乳を温める。
ゆっくりと飲むために居間へ。そこの電気を点ける前に、暗がりから響く声があった。
「良矢……?」
「小夜? 起きてたのか……?」
起きてたなら電気くらい点けててもよかったものを。
「あ、私はその……夜はもともと目が冴えるからあんまり眠れないの……でも、良矢はそうじゃないわよね。……私のせい、でしょ?」
「そんなこと……」
「ごめんなさい……迷惑よね」
……たぶん、電気を点けてなかったのは落ち込んでいたからだろうな。
「……付き合うよ」
「え?」
「さすがに一晩中とかは無理だろうけど、話し相手くらいになら俺だってなれる」
「……貴方には、わかっちゃうのね」
……やっぱりか。
「一人で過ごす眠れない夜ほど……淋しくて、つまらないものは無いよな?」
「でも、それじゃあ良矢が……」
「小夜は、俺が迷惑なのか?」
「……ううん、そんなことないわよ……! むしろ嬉しいけど……でもっ……!」
「じゃあ俺も、迷惑だなんて思わないよ」
「良矢……!」
「……そうだな、まずは俺が子供の頃に父さんから唐辛子プリンを喰わされそうになったときの話なんだけど――――……。」
長くなりそうな予感がした俺は、俺は温めたままでまだ飲んでいなかったホットミルクに、コーヒーの粉を沢山足してやった。
*****
「ん……。ぁ…………?」
目の前が燃えるように赤い。……って朝か。
はっきりとは覚えてないけどいつの間にか寝てしまったのか、俺。
「……それにしても、今日は冬なのに太陽が張り切って仕事してるな……朝日が眩しいってだけじゃなくて、こんなに暑……」
ふにっ
「……ふにっ?」
……さて、この状況をどう解釈すればいいんだ?
そりゃあ人が二人くっついて寝ればこの時期でだって暑い訳だよな。うん。
たぶん、寝てしまった俺を小夜が部屋まで頑張って運んでくれたんだろう。そこで何を思ったのか同じ布団に入り込んできた……ってところか?
その理由は置いておいて次に俺の手。小夜の体に於ける、へそ以上鎖骨未満の場所にある『ふにっ』という効果音にたがわぬとても柔らかいものを掴んでいる。
最後に、肝心の小夜。顔を見ると目が開いている。そしてしかもその目で俺を凝視している。
「お……おはよう、小夜」
刺激しないように手はそのままで、朝の挨拶を無難に行ってみる。
……というか、俺はこの手をどうすればいいんだ!?
などと困惑していると小夜の手が俺の腕を包み、そしてゆっくりと彼女が口を開いた。
「ありがと……よしや」
「腕を折ったりするのは勘弁っ!? ……って、へ?」
てっきり昨日の帰りがけに言っていた様に男性機能を停止させるべく俺を痛めつけるのかと思ったんだが……。
「夜のあいだ……いっしょにいてくれて、 うれしかった。 おはなし、も、たのしかった。 ……だから、 ありがと」
このゆっくりした感じ……眠たい方の小夜か? もしかして、俺にお礼を言うためにずっと起きてたっていうのか?
「小夜、お前……」
思いがけないところで感謝をされ、驚きが俺を支配する。
なんとか言わなければと俺は小夜の名前を呼んだのだが……。
「……すぅ……」
……聞こえてきたのは、穏やかな寝息。
「……って、もう寝たのか、全く……『どういたしまして』くらい聞いてからでもよくないか?」
自然と俺の口は笑みの形を作る。小夜のことが堪らなく愛おしいようなものに見えた気がしたからだ。
……朝ごはん、作ってやるか。
そうして俺はベッドから起き上が――……
「……ん?」
結論から言うと、俺は起き上がれなかった。なぜなら俺の腕が小夜にホールドされて動かせなくなっていたからだ。
このままだと……俺の精神衛生上よくないっ!? ヤバイって、コレは……!?
腕に力を少し込めて、脱出を試みてみる。
「あっ……! んぅ……」
そんな声を出されたら、無理です。
俺は……小夜が起きるまで、もしかしてこのままなのか?
ここまで起きていたらしい小夜を起こすのはさすがに駄目だ。せめてもう少し寝かせておいてあげたい。
「くぅ…………ふゅ……」
ごろん
「っ!?」
寝返りをうった小夜の顔が目前に迫っていた。俺の腕はその拍子に解放されていたのに身体が硬直してしまって動けなくなる。
その隙に小夜は俺の頭を抱くように、体を寄せて腕を回してきた。
「小夜っ……!! 俺は抱き枕とかじゃないって! む胸が、当たって……っ!?」
俺の抗議はしかしさすが小夜様、どこ吹く風である。
ここまでされると俺も諦めがついてくるものだ。
「……昼こそは、買い物だからな……?」
男としての至福に包まれながら俺ができたことといえば、変な癖がつかないように小夜の長い黒髪を梳いてやることくらいだった。
……だから何度も言うが……寝れるわけ無いよな?
*****
買い物をするにあたって改めて自分の口座を銀行で確認してみると、ちゃんと初めの苦労を見越してか俺一人の時と比べるとおよそ二・五倍くらいの生活費が振り込まれていた。
昼にさしかかる頃に起きてくれた(寝惚け半分だが)小夜と二人、服屋や雑貨屋を回る。
「よしや、よしや。 ……これと、 これ、 どっちが、いい?」
小夜にちょんちょんと肩をつつかれたのでそちらを向くと、かごを床に置いて白と黒、二枚のシャツを持った彼女がこちらの様子をうかがっていた。
「白か黒かか……。 色で言うと小夜には黒い方とか似合うんじゃないかな? 何というか、雰囲気的にさ」
俺がそう答えると小夜はなにか納得した様子を見せ、黒い方のシャツをかごに入れる。そしてそのままかごに入れていたらしい白いヒラヒラしたものを取り出して、パタパタとランジェリーコーナーへ走っていった。
「…………って、ちょっ、小夜!? 俺はあくまでそのシャツのことを言ったんであってだな!? いや、待ってくれ!?」
反応が少し遅れたせいで俺の声は届かず、かといって大声で『下着まで黒がいいとは別に言ってないぞ!?』などと叫ぶのは俺が社会的に死んでしまうから不可能だ。
……これは、不可抗力なんだぁぁぁぁ!!!!
俺の心の叫びはしかし、現実世界との境界面で全反射したのだった。
……などと悶着がありつつもなんとか一通りのものが揃った頃には、辺りはすっかり赤く染まっていた。
「小夜、ご飯どうする? このままどこかで食べて帰るか? 幸い資金はあることだしさ」
俺が聞くと、小夜はこっちを見てしばらく考え事をしているようだった。
やがて言葉が彼女の口から発される。
「……めいわく、 じゃ、ないなら……、 よしやのが、いい」
「……そっか」
「……きっと、 どこのお店にいく、 よりも、おいしい……、 から」
そんなことを言われ慣れていない俺はなんとも言えない気持ちになった。
「小夜……ちょっと俺の料理を過大評価しすぎだろ、うん……」
「……だって、 よしやが作ってくれたもの、だから。 ……だから、おいしい、 の」
「っ…………!?」
「よしや……? かおが、赤い、 よ?」
……これは夕日のせいでそう見えるんだ。そうに違いない。
発しかけた言い訳はしかし、小夜の細い手が俺の手と繋げられたことによって不発となった。
存外ひんやりとしているその手の感触にしかし俺は身体が火照ってきてしまう。
そうしているうちに、小夜が本当に魅力的な笑顔でこちらに語りかけてきた。
「……ほうれんそう、買いに、 いこ?」
「は、はははっ……」
……先程の興奮はどこへやら……。俺はもはや繋がった手を見ても、苦笑いしか出てこなかった。
小夜に手を引かれるままに俺は移動を続ける。
でも……なにか大事なことを忘れてる気がするんだが……。
ふと俺がそういった思いにとらわれ始めた瞬間、小夜が立ち止まって言った。
「よしや、 そういえば……『しょくりょうひんてん』、って、どこにある ……の?」
「……そうだよな!? それだよ俺がさっきまで不思議に思ってたのは!! お前こっちで生活始めてたぶんまだ二日だよな!? 完全に俺もうっかりしてたよ!!」
俺がまくしたてながら小夜を見ると、小夜は首をかしげ、ゆっくり舌を『ぺろっ』と出した。
「無理にドジっ娘アピールみたいなことしなくていいから!? こっちだ、こっち!!」
幸いなことに概ねの方向は合っていたので今度は俺が小夜を引っ張っていく。
一度繋がれた手を離すには、この季節は些か寒すぎた。
*****
「小夜、今日は何を作ろうか?」
食料品店にたどり着き、小夜に今夜の希望を聞いてみる。
「よしやの、好きなもの、が、 ……いい」
「いいのか? なら、パン粉とチーズと……」
「ほうれんそう……」
付け加えるように小夜が言うのを聞いて俺は苦笑い。
「心配しなくても入れるって。昨日のシチューをドリアにするつもりだからさ」
「……たのしみ」
「ああ、任せろ」
手際よく材料をカゴに入れていくと、途中にある栄養食コーナーであるものが目に入った。
鉄分補給飴か……買っておくか。
血を吸われる側の、他ならぬ俺のために。
「あら、良矢君? あなたも夕御飯のお買い物?」
飴をカゴに放り込むと同時、後ろから掛けられた声に俺は振り向く。
「あぁ……明葉先生、こんばんは」
この店は明葉先生もよく利用するようで、ここで会うのは何度目だろうか。
「こんばんこんにち、おは」
「その挨拶禁止されたからって、言う順番の問題じゃないからな!?」
「……よしやの、いじわる」
「なにちょっと気に入ってるんだよ!?」
顔を膨らませてこちらを見てくる小夜。
半目なのはまだ眠いからだろうな。
「閨待さんも夕御飯の準備を?」
俺の隣にいるからか声を向けられた小夜は首を振る。
「よしやが……、作って、 くれる。……です」
「え? それって……?」
先生が俺を見る。
『良矢君? いったいどういうこと? ちょ〜っと説明してくれるかなぁ?』
って言ってきてますよね? 目が。
誤魔化せそうにないんですけど。
「えっと……ちょっとした縁で、ウチに住むことに」
「えええええっ!? 良矢君、その歳で早くも専業主夫デビューなの!?」
「ツッコむところソコですか!?」
普通は担任の先生として同棲のことをツッコむもんですよね!?
「いつかやると思ってたけど、こんなに早いとは思わなかったわ……」
「夕方のニュースで声を編集されて放送されそうな台詞を言わないでください!?」
「ちゃんと奥さんの身体に気を遣ってあげてね? 今の時期はデリケートなんだから。まあ良矢君なら食事面は大丈夫ね……」
「少しは俺の話を聞いてくださいよ!?」
よくよく考えると俺の周りでマトモな人間って少なくないか……?
陽太はたまに人間の限界を越えるし、明葉先生はアイコンタクトが進化しすぎてテレパシー使いみたいになってるし、尾根倉先生はなんと言うか……盛りっぱなしだし、小夜に至ってはもはや人間ですらない。一番マトモなのは……委員長の明石かな。
「あ、私そろそろレジだから。良矢君、閨待さん、また学校でね」
手を振って別れる際に先生が
『頑張ってるみたいだけど、大変でしょう? 助けが欲しかったらいつでも力になるから』
と言ってる気がした。
もちろん目で。
マトモじゃないのは確かだけど……それでも皆、やっぱり良い人なんだよな。
*****
家に帰り、夕食の用意を始める。
「小夜、夕御飯作るからこっちに来てくれるかー?」
「わかったわ、すぐ行く。……でも今日はドリアなんでしょ? ご飯にシチューをかけてチーズとかを載せて焼くだけなんじゃないの?」
「ああ……確かに間違ってはないけど、少し工夫をすると食べやすくなるんだ」
「工夫?」
「ほら、この耐熱皿にこうやってバターを塗っておく。そうしたら焼き上がりの風味も良くなるし何より米粒が焦げ付かなくなるんだよ。手抜き料理ってことは、逆に考えると手を入れることができるってこと」
これを教えるのが、今小夜を呼んだ理由だ。
「奥が深いわね……」
「やっぱり慣れていくしかないよ。長い付き合いになりそうだし、焦らなくても俺は構わないから」
「な、永い付き合いってそんな……まだ心の準備とか私っ……!」
小夜は急に顔を赤らめた。
……俺、何か変なこと言ったっけ?
「……私の料理、いつか良矢に気に入らせてみせるわ……!」
「お……おぅ……」
しばらくして発された小夜の言葉の剣幕に少々たじろぎながら俺は応える。
なんだか噛み合ってない気がするが、料理に関心を持ってくれるのは良いことなので何も言わないでおくとしよう。
「あ、そうだ。ついでに明日の弁当のおかずも作っておくか。小夜もそれでいいよな?」
「良矢が作ってくれるの? 迷惑じゃない?」
「ああ、一人増えたくらいじゃ変わらないって」
「……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわね」
小夜の顔がふっと綻ぶ。こういう顔を見れるとやっぱり料理ができて良かったって思うな……。
…………“良也くん、その歳で早くも専業主夫デビューなの!?”
ふと明葉先生の言葉がリフレインする。
専業主夫……それってつまりその、俺が小夜の……ってわけだよな…………!? うわ、急に恥ずかしくなってきた……!
よく考えたら今俺が作ってるのって愛妻弁当(『愛する妻からの弁当』じゃなくて『愛する妻への弁当』の略だが)みたいなものじゃないか!?
「わぁ……やっぱりさすが手慣れてるわね」
「まっ、まあな!?」
そんなことを考えてる間に小夜が体を寄せてこちらを覗きこむものだから声が上擦ってしまった。
「な、何変な声出してるのよ……?」
「あ、いや……何でもないんだ」
……こんなので俺は二人暮らし、やっていけるんだろうか?
*****
「小夜、俺はそろそろ寝るけど、どうするんだ?」
「……良矢の部屋で勉強しちゃ、駄目かしら?」
「な、ぇっ!? その……何故?」
「…………寂しい、から」
「……でも俺、寝てるだけだぞ?」
「それでもいいの。……お願い」
まあここまで言われて断れるわけもなく。
俺はベッドに入り、小夜は俺の机で勉強を始めた。
「やっぱり勉強はちゃんとするんだな?」
「学校で寝てた分の復習がメインね。あとはその……今はちょっと調べもの、とか……」
「調べもの? どんなことを?」
何の気なしに訊いてみたが、小夜の方は慌てた様子で机の上の資料(?)やらを片付けてしまった。
「良矢にはまだ絶対に秘密っ。……ほらっ、貴方は早く寝なさいよ!」
「気になる感じだなぁ……? まあ眠いから言う通りにするよ。小夜、お休み」
「うん……お休み」
――――しばらく経ってまどろみかけたところで、小夜がこちらに近づいてくる気配を感じた……ような気がした。
「ほんとに……ありがとうね、良矢……」
俺の意識が途切れる寸前、長い黒髪が俺の顔を覆うように被さっていく、こそばゆくて、なんだか暖かい感触を感じた。
*****
朝。
「んーー……っ!」
俺は思いきり背伸びをする。隣で小夜が布団に入っているから暖かくてベッドから出る気が起きな――、
「って起きるわ!? なんで昨日に続いて今日も隣で寝てるんだよ!?」
小夜を見ると、存外彼女の眼はぱっちりと開いていた。
「それはその……そう! 良矢が寒そうにしてたから!」
なんだその明らかに言い訳っぽい言葉は。
それに小夜の口調からして今の彼女は『起きてる』状態だ。
何かあるな、これは……。
「よし……当ててやる。俺の血を吸ったんじゃないか? それでそのまま潜り込んだんだろ」
「うっ……」
「やっぱりか、全く……もしかして昨日もか? 言ってくれれば別に拒んだりしないって。ちょっとは俺を信じてろよ?」
「それはその、だって…………うぅ……」
これまでにないくらい小夜の顔が赤くなった。
何だろうか? この間の初めての吸血のことを思い出したのか?
「なんにせよ、とりあえず俺は制服に着替えたいんだが」
「へっ……? あっ、い、今出てくから!?」
ばたばたと音を立てながら小夜は出ていった。
焦ってるときの小夜って、中々見られない分可愛いな……新鮮だ。
――寝巻着を脱ぎ、制服に手をかける。
「そういえば血をまた吸われたのか……」
何となく首元に手を遣る。
「…………あれ? 新しい傷は、無い……?」
首筋にあるのは一番初めの一回目の時にできた傷だけだった。
小夜は俺の血を吸ったんじゃないのか?
「もしかしてさっきの俺、一人でペラペラと得意気に喋って……かなり痛い奴か?」
いや、でもそれなら何故あんな反応を小夜が取ったのかが説明できなくなるはずだ。
「痛っ……!?」
あ、今のは俺が痛い奴って意味じゃないぞ?
何だ……? あぁ、唇が切れて血が出てる。最近空気が乾燥してるのか? そうは感じないが……一応リップクリームでも塗っておくか。
特に何も考えないまま、俺はリップクリームを探すのだった。
*****
――キーンコーンカーンコーン……
休み時間の始まりを知らせるチャイムが響くと、小夜の周りに女の子の人だかりができ始める。
珍しく起きたままのこのチャンスに、先週聞けなかった質問が再び浴びせかけられていた。
そして男子はそんな女の子達の会話から断片情報を得ようと、それとなく様子を窺っているようだ。
俺は小夜の隣の席でそういった輩を横目に陽太と話をしていた。
「良矢は気にならないのか? 閨待さんのこと」
「……ちょっと色々あってな。それにしても小夜が起きてるなんて珍しいな……」
俺が一人ごちると陽太はニヤニヤと笑いを洩らした。
「『小夜』ねぇ……事情を聴きたいところだな?」
「……親同士の付き合いがあったんだよ」
「その割にこの前は初対面みたいな感じじゃなかったか?」
……この親友、なかなか鋭いところを突いてきやがって……
いい答えが見つからず何も言えないまま少し時間が過ぎていく。
ちらと小夜の方を見ると周りの女の子はもう残り一人にまで減っていた。
……あれは明石か。あの人はあの人でけっこう鋭いからな……
「ねーねー? 小夜ちゃんってどこに住んでるの?」
げ……小夜の方も割とピンチだ!?
今までの質問はうまくあしらっていたようだったがこの質問はキツかったのか、小夜がこちらを見てくる。
「んー? 何で黒須架くんを見てるの? ……あ、わかった! 黒須架くんの家に住んでるんでしょっ!」
鋭いなんてモンじゃねぇーーー!?
なんなんですか委員長!?
「ははっ、いいんちょー、さすがにそれはないだろー? ってかそんなこといいんちょー的な立場のやつがそんなこと言って良いのかよ?」
もちろん陽太も聞こえていたようで、二人の会話に参加し始めた。
「えっと……ぁぅ……」
……小夜、かなり焦ってるな……
「陽太くん……あたしにも『明石 日菜』って名前があるんだから『いいんちょー』じゃなくてちゃんと呼んでよね、もう……」
「ごめんごめん、悪かったよいいんちょー」
陽太はあくまでからかい続ける。ってかコイツら意外と仲良いよな。
「あたしはただの委員長キャラで終わる気なんて無いんだからねー!?」
「いや、明石!? 誰に言ってんだよそれ!?」
「いや、読者サービス? ってやつかなー、と」
「サービスなんか何もしてねぇよお前!?」
……ってやばい、俺も会話に加わってしまった!? くそ、俺の馬鹿! これじゃあ小夜と同棲してるのがバレるのも時間のもんだ――――
「……黒須架くん、そういえばさっきのあたし達の話聞こえてたんでしょ? 隣の陽太くんが聞こえてたくらいだしさ」
「そ……それがどうしたって?」
「……なんでツッコんでこなかったのかなぁ?」
「あっ……!?」
「いいんちょー……折角俺が気付かないフリしてやってんのに、言っちまうんだもんなー」
って陽太、お前もか!?
「次いいんちょーって呼んだらぬっ殺すわよ。……それで、どうしてかなぁ黒須架くん? 吐いて楽になっちゃおう?」
「おー恐っ。……ま、冗談はさておいて今回ばかりはちょっと俺も気になるぞ良矢?」
「う…………」
……どうやら逃げ場は俺自身が塞いでしまったようだった。
「良矢のバカ……」
「小夜……ごめん」
こうして同棲の件はすぐに陽太と明石にバレた。
さすがに二人とも、言いふらしたりするような人間じゃないのが救いか……。
*****
「しっかし、実際授業に加わってるとすごいな、閨待さん。全教科満点での編入学は伊達じゃないってか?」
「ああ……でもさ、元々割とデキる頭を持ってて夜寝ずに勉強をぶっ続けてたらアレくらいにはなりそうじゃないか?」
「えぇ……もしかしてソレ、マジ話だったりしちゃうの黒須架くん?」
帰り道に陽太と、何となく一緒になった明石も参加して駄弁る。
「少なくとも、俺より先に寝たところを見たことはないな。たぶん、ずっとああいった生活が続いてるんだと思う」
吸血鬼だから夜中に目が覚めるんだろうな…………とは間違っても言わないが。これだけは何としても隠し通さなきゃな……。
「そりゃあ学校で眠くもなるだろうな……今日はなんだか違ったみたいだが」
陽太が驚き半分、呆れ半分のような声音で言った。
「ああ……そうみたいだな」
今日は小夜、ホントにずっとハッキリ起きてたな。昨日よく寝れたんだろうか? それでも勉強してたみたいなんだがなぁ……?
「実は黒須架くんが何かしたんでしょー。睡眠薬とか飲ませてさ? 無防備な小夜ちゃんにあんなコトやこんなコト……」
「してないし薬も持ってないわ!? って言うか明石も女の子なんだから自重してくれよ!?」
「そうだぞいいんちょー、折角可愛いのが台無しになるぞ?」
……恐らく陽太の思惑は『いいんちょー』の地雷を敢えて踏むことで明石の言葉の矛先を自分へと向けて俺をさりげなく庇う、というものだろう。
長年の付き合いで何となくわかるけど、時々お前が恐いぞ陽太。
……まあ、潔くぬっ殺されてこい。頑張れ陽太、庇ってくれてサンキューな。お前の事はずっと忘れないよ。
「……って、あれ? 明石?」
とっくに陽太がぬっ殺されてもおかしくないはずなのに、明石は動いていなかった。
「か、かわっ…………」
わなわなと明石が呟く。
「川……?」
近くを流れる川なんてあったか? と周囲に俺は目を向ける。
「うにゃあああああ――っ!?」
「うぉっ!?」
突然の大声に驚いて音源の方を見ると、明石がものすごい早さで、逃げるように走っていた。
「あああぁぁぁぁ――……」
「ドップラー効果!? 嘘だろ!?」
無駄に物理の実験が行われ、そのままの勢いで明石は見えなくなった。
「一体なんだったんだ……なあ、陽太」
「あいつ、もしかして……」
「陽太?」
「…………いや、何でもない。俺の事は良矢達二人がどうなるかを見届けてからじゃないと、安心できないしな」
「何のことだ?」
「あぁ、お前に頑張って欲しい、ってことだよ」
「俺が? ……すまん、サッパリだ」
俺がそう答えると、難しい顔をしていた陽太はそれでフッと顔を綻ばせた。
「お前はそれでいいさ、良矢」
「何だそれ?」
「まあ気にすんな、お前ならなるようになるって。……っとそうだ、閨待さんはお前の家に住んでるんだろ? 一緒に帰らなくてもよかったのか?」
「小夜、図書室に用があるってさ。だから先に帰っててくれって」
「さすが、熱心だな……」
感心したように陽太が言う。
「そうだな……すごいと思うよ、ホントさ。……じゃあ、夕飯の材料買うから俺はここで。またな陽太っ」
「おう、また明日」
そうして一人でそのままいつもの店に向かう。
……小夜も頑張ってることだし、俺は俺の役割をしっかり果たすとするか。
*****
その一方、学校の図書室では――――――――、
ドアを開けて教室に入ると、例の挨拶が私に向けられた。
「おはこんにちこんばんはっ、我が図書室へようこそ小夜ちゃんっ!」
……良矢もいないし、良いわよね。
「おはこんにちこんばんは、先生」
「……………………」
無反応。
……あれ? もしかして私やっちゃった!? え、どうしよ、ネタを振っておいて白けるパターンの人なの!?
「……………………っ同士よっ! わあぁぁん、先生にソレで返してくれたの小夜ちゃんが初めてだよぉっ……!」
かと思ったら感動を溜めていただけみたいで、先生は私に飛び付いてきた。
「ちょ……あっ!? む、胸を触らないでくださいっ!?」
「そこに山があれば登っちゃう、山男と一緒なのよー、しょうがないでしょう?」
「先生は女ですっ! もう……」
この先生、予想以上に疲れるわね……。
「それで、私の初めての相手になってくれた小夜ちゃんは何の用でここに?」
「ヘンな言い方しないで下さい。その……料理の本を探しに」
「へぇ、よっしー君になにか作ってあげるの?」
「なっ、何で解るんですか!?」
図星を突かれ、私はつい焦ってしまう。
「ふふ……」
先生が不敵に笑う。
「先生……?」
「私、何でもお見通しよ? もちろん、あなたのこともね……」
「それって、どういう……」
先生が妖しげな雰囲気を発しながら言うのに、うっすらと寒気を背すじに感じた。
「バレバレね。ヴァンパイアにはヴァンパイアの魔力みたいなのがあって、それが小夜ちゃんからうっすらと感じるもの。今日は珍しく『起きてる』のね? 家でよっしー君と何かあったのかしら?」
「っ!? 先生はまさか、私たちと同じ……!?」
言いかけた言葉がわかっているのか、首を振って否定する先生。
「ヴァンパイアじゃないわ。しがない淫魔『サキュバス』よ」
淫魔……なんだか名前からしてもう、嫌な感じね……。
そんな私の感情ですらお見通しなのか、先生は言葉を変えた。
「そうね……真実の愛の伝道師と呼んでもらいたいわ」
……胡散臭さが増した。
「それは(どうでも)いいですけど……どうして一緒に住んでることまで知ってるんですか?」
「よっしー君を尾行してたらあなたと一緒に家に入ってくんだもの。何かあると思うでしょ普通?」
「どこが真実の愛の伝道師なんですかこの変態教師!? 『何かあると思うでしょ普通?』なんて、一般論みたいに常識外のことを言わないでください!?」
それに先生は少し目を見開いて言う。
「……小夜ちゃん、よっしー君にツッコみが似てるわね。……同棲のおかげって訳かしら?」
そういった先生の顔は、今度は少し悲しげで。
私は何を言うべきなのかわからなくなった。
「……まあ、愛しのよっしー君はどうやら小夜ちゃんに奪われちゃってたみたいだし、真実の愛の伝道師として応援してあげる。……料理、作ってあげるんでしょ?」
そこで私はようやく当初の目的を思いだした。
「あ……そのじゃあ、鉄分が効率よく摂取できる料理の本、とかありますか?」
私がそう聞くと、しばらくの間があって先生は答えた。端末などを一切使用せずに頭の中で答えを導きだしている辺り、司書としては立派なのだと少し感心する。
「…………ごめんね、今は置いてないの。しばらくすれば貸し出せるようになるからこの『気になるカレのハート、いただきます♪ 料理が苦手な女の子必携の愛情弁当69選』で我慢してもらえる?」
「何でそんなのはあるんですかっ!? ……無いならもうソレでいいですけどっ」
「『閨待 小夜』っと。はい、毎度ありがとうねー! ってお金とかとったりするわけでもないのにおかしいかしら? ……あ、そうだ小夜ちゃん、本のお詫びと言ってはなんなんだけど……飴をあげるわ」
「なんか唐突ですね……変なものだったら承知しませんよ?」
なにせ『真実の愛の伝道師(自称)』様が持っている飴だから、これくらい疑ってかかるのが当然ってものよね。
「いやー、ネット通販で『眠気覚ましに!』って謳われてたからなんとなく仕事に便利かな? って買ってみたんだけど、あんまり美味しくなくて」
私はつまり厄介払いの器ってこと!?
「まあでも、眠気覚ましなら……うん、一つくらいなら貰ってもいいです」
せっかく本を借りたんだし、どうせなら今日起きてる間に読みたい。
「はいはーい。どうもありがと、助かるわ〜!」
先生は嬉々として私の手に、綺麗に包まれた飴の袋を一つ握らせた。
「じゃあ、私はこれで。どうもありがとうございました、先生」
「また来てねー? 今度来てくれた時はちゃんとその本あると思うからー!」
軽く返事を返してドアをくぐり、私は帰路についた。
……思ったより時間かかっちゃったわね。今日の晩御飯は何かしら? まあ、良矢が作ってくれた料理ならなんだって美味しいに違いないわね。私もできるだけ手伝えると良いんだけど……
「……ふふっ」
私の口から笑いがこぼれる。
良矢と出会ってからは、食事自体がとても楽しみになっている私だった。
*****
ガラ……、タンッ
図書室のドアが閉められるのを見ながら、我慢していたものを吐き出すように私はため息を軽くついた。
「行っちゃった、わね……」
当然だけど残ったのは、私一人か。
「ホント参っちゃうわよね、二人共には。……よっしー君だって昼休みに私のとこに来て『鉄分が効率よく摂取できるレシピ本、たしか俺いつか先生に頼んでましたよね? ちょっと必要になったんで借りていきます』なんて言ってくるんだし。……妬けちゃったわ」
周りを本に囲まれた中、まるでそれに愚痴を聞いてもらうみたいに言葉が漏れるのを私は止められなかった。
熱っぽい息とともに出した声が震える。
「大人の私が身を引くのが一番よね、うん……。 結局、片想いのままで終わっちゃった、かぁ」
さっき小夜ちゃんにもあげた飴を一つつまみ、口に含んだ。
通販で買った、にんにくエキスの入った飴は少し辛くて、とても私好みの味なんかじゃない。
……別に人間や『サキュバス』の私が食べても何も起こらないけど『ヴァンパイア』はにんにくの成分が体に入るとちょっと『おかしく』なっちゃうからね……小夜ちゃんはいったいどうなっちゃうのかしら?
口内で飴玉を転がしながら私は想像した。
「…………やっぱり、美味しくない。それに辛いわ。……涙が出てきちゃう、くらい……っ!!」
ホント何やってるんだろ、私……同棲がわかったあの日、小夜ちゃんのためだけにこんなものまでわざわざ買って……っ。
目から零れる滴はとめどなく。堰を切ったみたいに溢れてくる。
「うっ……ひっく、うぁぁぁぁぁぁんっ…………! わたし、私は大好きだったからね? よっしー君っ……!!」
いつもと違う、本気の告白。言わなきゃいけない人に伝わることはなく、教室の絨毯や本の背表紙に吸い込まれては消えていく。
……この想いは、飴玉と一緒に溶かしてしまおうと決めたの。
けど……だから、せめてもう少しだけ。
そうして私は美味しくもないこの飴を、できるだけ大切に、時間をかけて味わった。
……途中から辛味は変わってきて、塩辛くなったわ。
*****
「〜〜♪」
今日の夜ご飯は蕎麦に決めた。せっかくなのでそば粉を買って、生地から作っているところだ。
自分でも不思議なほど毎日が楽しいと感じるのは、どれだけ味を追求しても一人では決して得ることのできない『団欒』って調味料が俺の家に増えたからか?
なんにしても、独り暮らしの時よりもご飯が美味しくなってるのに違いはないな。食べるものが美味しければそれだけ生活の楽しみも増すものだ。
鼻唄混じりに作業を進めていると玄関のドアが開く音が聞こえた。
「ただいま良矢。……今日はお蕎麦なんだ?」
帰ってくるなり俺の近くに来て、空いたそば粉の袋を見ながら小夜が言う。
「お帰り。探していた本は見つかったか?」
そう聞くと小夜は『ううん』と首を振った。
長い黒髪がそれに合わせて流れるように動き、周囲に小夜の香りがフワッと広がる。
「尾根倉先生に訊いたら誰かが借りちゃってたみたい。でもお詫びってことで飴貰えたわ。……代わりの本も一応、紹介してくれたし」
なぜか少し恥じらいがちに小夜が答える。
「ちなみに、結局なにを借りてきたんだ?」
「絶対に! 秘密っ!」
「ぉ……おう、わかった、詮索しないから……!」
そんなに俺には言えないようなものなのか……!?
「……まぁ、別に私の本意から大きくは外れてないから『アレ』でもよかったのはよかったのよね……」
独り言ともなんとも言えない呟きを発する小夜。
「まあ何もなかった訳じゃないだけ良かったってことだな」
「でも、飴の方は眠気覚ましってだけであんまり美味しくないそうよ」
なに都合よく小夜を利用してるんですか先生!? 責任持って自分で食べてくださいよ!?
そう心の中で尾根倉先生にツッコんでから、俺は思いだす。
「そうだ、この前買っておいた鉄分補給飴があるから、それと一緒に舐めればマシなんじゃないか?」
そう言うと、小夜も納得したようで。
「それいいかも。後で一粒そっちも貰っておくわね?」
「ああ。テーブルの近くにあるから」
そして小夜はそのまま居間を通り、洗面所に手を洗いに行った。
「小夜ー、手洗いが終わったら、今から生地をこね始めるんだけどやってくれるか?」
そうすると俺は副菜に取りかかることができるし。
「大丈夫なの? なにか難しかったりしない?」
洗面所から不安げな小夜の声がする。
「そこまで本格的なものを期待してる訳じゃないからいいって。なにかあったら俺もアドバイスするしさ」
そう言ってしばらくして小夜が居間に戻ってくる。
……が、台所のこちらに来る様子がない。
彼女が見る先には、テーブルの上に置いてあった本。
「良矢、これっ……」
「ああ、昼休みにちょっと俺も借りに行ったんだ。偶然先生に昔まとめて色々頼んでたのを思い出してさ。これから必要になるかと思ってな」
言った俺を、驚いた目で小夜が見てくる。
「私、こんな本を探してたのよ! 良矢に何か作ってあげられたら、って……!」
「え……?」
俺は呆気にとられて聞き返す。
今、小夜はなんて言ってきた?
「あっ……!? い、今の無しでお願い!?」
頬を薄桃色に染めながら否定する小夜が面白くて、俺は少し彼女をからかいたくなった。
「……やっぱり蕎麦は俺が作るから、小夜にはその中に載ってる副菜をお願いしようか」
「ええぇっ!?」
いつもと違ってあわてふためく小夜。それを新鮮な気分で俺は見る。
「やっぱりまだ小夜には無理か?」
興が乗ってきた俺はさらに小夜を焚き付けてみた。
すると小夜は肩を震わせ、わななきながらゆっくりと口を開いた。
「…………やってやるわよ!? ビックリさせてあげるんだからっ!」
って変なスイッチ入ったっ!?
「貴方なんてその辺で適当に蕎麦生地でもこね回してればいいじゃない! 今に見てなさい私だってやればできるんだから!」
あ……、キレたな。なんと言うか、迫力が凄まじい。
黒髪を振り乱しながら俺をキッと睨むようにしている様は例えるならそう、盤若(はんにゃ)か。なんて可愛い顔をしている盤若なんだろうか。
主菜を作るのはこれで俺になったはずなんだが、今夜の注目料理は小夜のものになりそうだな。
などと考えている間に、小夜は料理の準備を始めていた。
ヘアゴムで髪をポニーテールのようにまとめ、いつもは髪に隠れている白いうなじが目に入る。
「……いやらしい目ね」
俺の視線に気づいた小夜が半目でこちらを睨んでくる。
「あ、いや! その髪型も案外似合うなって思ってさ!? それにそうやって髪をまとめてるのにも感心だし」
この前は俺がうっかりしてたけど、女の人はやっぱり髪長いと結構、料理に入っちまうんだよな。
『君の髪の毛なら喜んで食べるよ!』な紳士でもない限りそれはあまり好ましくないものだ。
「ふふっ、そうでしょ」
髪型が似合うと言われたからか、それとも感心だと言われたからかはわからないが、自慢げに笑う小夜。
……ちょっと小夜の好きにさせてみるか。
「じゃあ、そっちは任せるぞ」
「……うんっ。了解よ」
さて、俺は俺のできることをするか。って言っても別に俺も蕎麦職人とかではないから、さすがにただ生地をこねるくらいなんだけど。
生地を弄びながらも、俺はどうしてもつい小夜の方を見てしまう。
「えっと……これが小さじ1で、こっちは下味の……」
ぶつぶつと呟きつつ作業を進める小夜。
本と格闘しながらではあるが、その手つきは決して不安なものではなかった。
……これでまだ料理がたったの二回目とは思えないな。一回目なんてほうれん草茹でてただけだし。
後は俺の作業を横で見てた分の経験しか入っていないのに。
流石と言うか、飲み込みが早いのかもしれない。
改めて小夜の能力の高さを俺は感じたのだった。
「ねぇ、良矢」
蕎麦打ちも終わり麺を刻んでいたら、小夜が俺に話しかけてきた。
「どうした? 何かわからないことでもあったか?」
トントンと生地から麺を作る手の動きは休めずに俺が応えると、小夜は首を振って否定する。
「ううん、そういうことじゃないわ。……料理って楽しいわね、って言いたかっただけよ」
――そう言って笑う小夜が本当に綺麗で……。
俺の頭の中は一瞬真っ白になった。
「こうして二人で作業してたら、『ああ、私、独りじゃないんだ』って思えて。別に料理じゃなくてもいいのかもしれないんだけど……ね?」
「小夜……」
「なんかヘンな気分だわ。……貴方と一緒にいるだけで、楽しいの」
そして小夜は俺を見つめなおして、「おかしいかしら?」 と続けた。
「全然、そんなことない。俺だって今がすごく楽しいよ」
「そう……? それなら、私も嬉しいわ」
小夜の顔はほんのりと色づいていた。鏡は今確認できないが、たぶん俺も。
蕎麦を茹でるため平行して鉄鍋に沸かしていた湯の熱気に中(あ)てられた、なんて訳もないだろう。
――たぶん、俺は小夜のことが――……。
「良矢? 麺、茹でないの? もう沸いてるみたいだけど」
その小夜の声に俺は意識を思考の海から引き上げられる。
いつの間にか手元にあった生地はすべて麺に形を変えていた。
「あ、ああごめん、少しボーッとしてた……」
「もう……頼りにしてるんだから、しっかりしなさいよ?」
「ああ……」
意識を引き上げられたと感じたのも一瞬。
……どうにかしなきゃいけないな……。
再びなりを現した、身体の奥底にまで沈むような思考。
その中で普通に料理を完成させられたのは、奇跡と言ってもいいんじゃないかなと俺は思う。
*****
「これが小夜の作った……」
俺の目の前にあるのは、何が材料なのか判別もできない異形のモノ。
……などではもちろんなく、ほうれん草で包んだ小魚に甘辛い味をつけた、紛うことなき料理だった。
小夜らしいと言えば小夜らしい。
「た……食べてみてくれる?」
「言われなくても。頂きます」
ロールキャベツのようなそれは恐らく小夜独自のアレンジだろう。
本には単に『小魚の甘辛和え』としか載っていなかったはずだ。
ひとつ箸でつまんで口に運ぶ。小魚特有の歯応えと醤油砂糖ベースの甘辛ダレに、意外にも調和するほうれん草。これは美味かった。
「どうかしら……?」
「うん、美味しいよ。なんだか小夜の気持ちがこれに詰まってる感じがする。愛情が調味料とはよく言うものだな」
普通、ここまでほうれん草にこだわらなくてもいいだろうに。
ホント、並々ならない愛だよなぁこれ……。
などと思いつつ、半ば冗談めかして俺は言ったのだが、小夜はビクッと肩を揺らして反応する。
そして俺を見つめたあと、意を決したように小夜が口を開いた。
「……最初は全然気にしてなかった。でも、いつのまにか私にとってかけがえのないものになってたの」
へぇ……、小夜、昔はそんなにほうれん草好きでもなかったのか。
これは意外だ。
「あの味を知ってからはもう夢中になっちゃって……、夜の間にこっそり頂いちゃったりとかもしてたわ」
つまり、夜食までほうれん草になるくらい好きになったってことか。
「だから、一生懸命作ったわ。……もうついでに言っちゃうけど、料理の勉強を自分なりに進めてたりもしてたの」
なるほど、それでこれだけのものが作れたんだな。
小夜もやっぱりほうれん草をどう美味しくするかに余念が無いのかもしれない。
「熱心だな……。やっぱり(ほうれん草への)愛情の成せる技ってことか?」
そう言った俺の言葉に小夜は少し驚いた表情をしたあと、はにかみながら頷き返す。
「うん……だって私は良矢のことが好き、だから」
「うんうん、そうだよな。小夜はほうれん草のことが大好……って、俺!?」
一体なぜそうなるんだ!?
「ほうれん……え? 良矢は何のことを言ってるの……!?」
「いや、俺は料理の材料に愛着があると出来上がりも良くなってくるものだなって話をだな……!?」
俺は両手を振ってわたわたと否定を示す。
「そ……そんな紛らわしい言い方しないでよ!? 今の言葉をどれだけ私が……!!」
「え、えーっと……小夜、さん……?」
俺が声をかけると、小夜が自分の箸を持つ手をわなわなと震わせ、俯き気味なまま低い声で言う。
「……責任、取りなさい」
「へ……? な、何の?」
「私にこんな恥をかかせた責任よ」
「……どうやって?」
恐る恐る聞くと、小夜は震わせていた箸で俺の皿にあるロールほうれん草(今勝手に命名)をつまみ、そのまま俺の口辺りにまで近付けてきた。
「こうなったら良矢にも同じくらい恥ずかしい思いをしてもらうわよ……! ほら、く……口開けなさい」
基本的に明後日の方を向きつつも、ちらちらと俺の方をうかがいながら小夜が言う。
「う……!?」
つまりこれを小夜から食べさせられろと!?
と言うか、小夜の方こそ俺の方を見れないほど恥ずかしいなら責任がどうのこうのって別に意味ないだろコレ!?
「良矢……、むぅ…………『あーん』っ……!」
小夜の口から殺し文句とも言える魔法の呪文が唱えられる。そのあまりの威力に、俺は口を開かざるをえなくなる。
唾液を飲み込んで、一呼吸置いてから俺は覚悟を決めた。
「ごくっ……。あ……あーん……」
「えいっ!」
「んぐっ!?」
俺の口が空いたのを確認するやいなや、小夜はロールほうれん草を勢いよく俺の喉奥に突き刺してきた。
何というかもうコレ、ほうれん草というよりは『ほうれん槍』だろ!?
「ご、ごめんなさい!? 緊張しててっ。次は上手にやってあげるから!?」
……まだ続くのかよこれ!?
一つ目のロールほうれん草をなんとか嚥下した俺は、二本目のほうれん槍が飛んでこないことを祈りながら口を開く。
「はい、あー……ん。ね? 上手くできたでしょ?」
「んむ……、まあ今度は、な」
祈りが届いたのか、それは何事もなく俺の口に納まった。
「それで、その……美味しい?」
「さっきも言ったじゃないか……」
「だって、食べさせた後はこうして味を訊くのが作法、って……帰りながらちょっと読んだ本に」
「何の本なんだよそれ……じゃあ、まあ……その、なんだ、美味しい……よ」
それを聞いて、小夜はようやく安心したように息を吐いた。
……なあ、『愛情が調味料』なんて最初に言い始めた料理人さんよ。文句があるから聞いてくれ。
……小夜のことで頭が一杯になって、実際のところ味なんて全然わからなかったんだが?
*****
「…………」
俺の部屋のドア前に二人で立ち止まる。
『あーん』のやり取りからはだいぶ経ち、そろそろ眠りに入る人も現れ始める時間になるが、ここまで気恥ずかしいやら何やらでなかなか俺は小夜と顔を合わせ辛かった。
「……やっぱり、今日もここで勉強するのか?」
口をついて出たのは、そんな言葉。
「…………駄目?」
「……駄目じゃ、ないけど……」
「「…………」」
それきり二人とも押し黙ってしまう。
しばらくの間、俺はドアに手を伸ばすか伸ばさないかで迷った。
そうしていると小夜が口を開いて言う。
「……じゃあ」
「?」
「じゃあ、今日は勉強の方は……しないわ。そのかわり、ちょっと話しましょ? この前みたいに」
てこでも動かないわよ、といった雰囲気が小夜から発される。
「……俺の負けだ。わかった、付き合うから」
「……ありがと♪」
出会った頃に比べると信じられないほど甘い声を出して、小夜は部屋のドアを開けた。
そのままベッドの方へ向かい、小夜は腰掛ける。ギシ、という乾いた音がベッドから響いた。
「んっ、んしょ……良矢っ」
手でシーツの皺を延ばして俺を呼んだということは、隣に座れということだろう。それに従って俺も腰を下ろすと、先程よりも少し大きな音が響く。
「それで? 何を話そうか?」
気恥ずかしさは少し残ったままだが、隣の小夜に俺は訊く。
「じゃあ……唐突なんだけど、良矢は将来の夢ってある?」
「ホントに唐突だな……夢、夢か……このままいけば、俺は料理人になると思う」
その俺の答えを聞いた小夜は、頬を膨らませた。
「もう……進路相談じゃないんだから。良矢はホントに料理人になりたいの? まあ、腕に関しての文句は私だって無いけど……」
じゃあ何を目指すのか? と問いそうになってから、俺はふと気づいた。
「…………そうか……俺は、別に何でも良かったんだ。料理人になれなくても、何でも」
「それはそれで、どういうことなのかしら?」
小夜が首をかしげて言うのに、俺は答えた。
「多分俺は……見せつけてやりたいだけなんだよ」
「見せつける……?」
「俺をこうして一人にすることを決めたあの両親にだ。『あんたらの世話なんて無くてもこうやって社会に出てやったぞ』って、社員証でもコック帽でも突きつけて、言ってやりたいだけなんだと思う」
「良矢の……『修業』、ね」
思い出したように小夜が言う。
「ああ。だからそうだな、あえて言うなら俺の夢は『親から与えられた修業を乗り越えたい』ってところなのかもしれない」
そう言うと、小夜は優しく笑った。
「ふふっ、そうだとしたら……私の夢も、実は同じなの」
「じゃあ小夜も、『修業を乗り越えたい』が夢ってことなのか?」
「同じ夢。……同じなんだけど、でも……それでいて全然違うの」
今度は俺が首をかしげる番だった。
同じなのに、違う? いったいどういうことなんだ?
俺が目を白黒させていると、小夜が呆れがちに口を開く。
「鈍感なんだからもう……良矢、『女の子』がする『修業』って聞いて何を一番に考えるかしら?」
「そりゃあ、花嫁修ぎょ……う……、……あ」
料理や洗濯、掃除とかを練習したりする、アレだよな。
「ようやくわかってくれた……? だったら……お、お願いがあるの……!」
なぜか急にどもりながら小夜が言う。
「私の『修業』に……最後の最後まで……付き合って、くれる?」
「ああ、もちろん」
何も迷わずに俺はそう答える。
小夜の力になれるのなら、それに越したことはないからだ。
「えっ、そんな、あっさりっ……!?」
一方の小夜はというと落ち着きなく目線をさ迷わせたり、シーツに8の字を書いたりしていた。
「? いやまあ、花嫁修業って言っても、俺に手伝えるのは料理くらいのもんだけどさ。それでよかったら、いくらでも力になるぞ」
そう言って、俺はよろしくをするように手を小夜に差し出したのだが、小夜はその手の皮を強く摘み、思いきり捻ってきた。
「あっ、いたたたたっ!? ちょっ、小夜!? 何するんだよ!」
俺が小夜に抗議をすると、一応は捻っている力を弱めてくれた。
「良矢の馬鹿っ。鈍感も程々にしなさいよね!?」
「は……? え?」
俺が疑問しか出せずにいると、小夜はまくし立ててくる。
「わからないの!? 花嫁修業に最後まで付き合うってことは、その……け、けけけ結婚する旦那様が必要になるってことで……」
初めの頃の勢いはだんだんと無くなり、しまいには俯き気味になって話し始めた小夜。
長い黒髪の間に見える形のいい耳は、真っ赤になっていた。
「良矢に最後まで付き合ってほしいって、どういう意味なのか考えてっ……」
流石にそこまで言われて気がつかないほどに俺は馬鹿でも、鈍感でもなかった。
小夜が赤くなっている意味を悟り、とたんに俺も赤面する。
「つまり……プロポーズ、ってことか……?」
「ぁぁぁぁぁ言わないで恥ずかしいのよぉっ!!」
恥ずかしさを振り払うようにして頭を振る小夜を、俺はそっと抱きしめた。
「っ……!! 良矢……!?」
「……俺なんかで、よければ」
「……貴方がいいの。良矢じゃないと、駄目……っ!」
「ああ、わかった。お前の夢に、……ずっと付き合うから」
俺がそう言うと、小夜も身を寄せて、少し俺に体重を預けてきた。
「良矢ぁ……、ん、ふわぁぁぁぁ……っ。あはは……なんだか安心したらあくびが出ちゃったみたい」
「眠いのか?」
「ちょっとは眠いかしらね……でも、せっかくだからもう少し起きていたいし……尾根倉先生からもらった飴でも嘗めてみるわ」
「ん、わかった」
そうして小夜は飴を取りだし、嘗め始める。
「う……なんだか、すっごく微妙な味…………ん、ぅうっ!?」
少しして、急に小夜の様子がおかしくなった。
それほどまでに美味しくなかったのだろうか!?
「小夜、ほら、もう一つの飴っ! 口直しに!」
俺が包み紙を破ってやり、小夜の方に差し出すと、小夜はまた急に、今度は落ち着いた様子で言った。
「その飴は、良矢が食べて」
「え? いや、大丈夫なのか?」
「いいから食べて」
妙な雰囲気を感じつつも、逆らい難い声音で言われるのに従って鉄分補給用の飴を口に入れる。
レモンの風味が少しして、普通に美味しい。
「ん。そしたら、噛み砕いて」
それも言われるままに従う。
口に入れたばかりなのでなかなか噛み砕くのには苦労した。
一方の小夜を見ると、彼女は飴の硬さなどものともせずにガリガリと音をたて、そちらも飴を噛み砕いていた。
……忘れそうになるけど、小夜って吸血鬼なんだよな……やっぱり歯が強いんだろうか?
「それで、結局何がしたいん――――んむっ!?」
俺の唇にいきなり押し付けられる柔らかい感触。
暖かくてぬるっとした何かが、ガラスの欠片のようなものと一緒に俺の口内に侵入する。
「んっ、んむ……んぐっ!? ん、ぅ、ん……っ!?」
小夜の舌による蹂躙は、飴の欠片が溶けきるまで続いた。
唾液と二種類の飴が混ざりあった、独特の粘性を持つ液体が俺からも、小夜からも口の端から少しずつ外に漏れていく。
垂れた液体が首筋を通って、なんとも言えないこそばゆさを感じる。
「…………ぶはぁっ!? はぁっ、はぁっ……!? 小夜…………!?」
俺が小夜を見ると、小夜は口の周りについた液体を、舌なめずりをして飲み込んでいるところだった。
それが終わるとそのまま俺の方を向き、今度は俺の首筋にまで垂れた液体を嘗め始める。
「あっ……く……」
「良矢ぁ…………! なんだか私、今すっごく良矢の血を吸いたいのぉ……♪ だから、ごめんね……?」
首筋を嘗めている姿勢からそのまま、小夜は俺に牙を刺した。
「ん……っ、んく、んくっ、ぅぅん……♪」
小夜が喉を鳴らして嬉しそうに、俺の血を吸っている。
しばらくすると吸われ過ぎてきたのか、頭が浮いたような感じがし始めた。
「小夜、小夜っ……!! ちょっと、一気に吸いすぎ……っ!!」
「あはぁっ……♪ ごめんなさぁい……!」
「いったいどうしたんだよ!? なあ、小夜!?」
「わからないわ……まだ足りないのぉ……!! さっきみたいに良矢のよだれ嘗めるのもすごくよかったわ……でも、何か違うの……もっと、もっと美味しいのが欲しいのよぉっ……♪」
熱に浮かされたような小夜の声に、俺は断言できる。
――今の小夜は、どこかおかしい。
「うふ……っ♪」
小夜が見つめるその場所は長時間のキスによって条件反射的に大きくなった俺の性器だった。
ズボン越しに小夜の細い手が俺の性器を這う。
他人から触られるという未知の感覚に、嫌が応にも身体が反応してしまう。
「うぁ……小夜っ……!」
「気持ちいい? 良矢、興奮してる……? もっと気持ちよくしたら、ビュッて出ちゃうかしら……?」
そう言って小夜は、ズボンに張られたテントの上部に口をつけ、嘗め始めた。
「ん……ふぅ、れろぉ……っ!」
小夜の生暖かい唾液がじわじわと生地に染み込んできて、しだいに中が蒸れてくる。
「あむ、ぇろ……、んっ、はぁっ……! なんだか、身体が熱いのぉ……!」
口淫のようなものをしていた小夜は一旦動作を止め、俺に正面から覆い被さるように体勢を変えた。
そして自身の寝巻きのズボンに手を引っ掻け、スルリと脱ぎ去る。
次に上着。シャツの前に留まっているボタンを一つ、また一つと、上から順に外していき、袖を通しているだけで胸を大きくはだけた状態になった。
そこで俺が見たのは、闇に融けるような、夜と見紛う程の、黒。
「っ…………!? 小夜、よりによってその下着を着けてたのか!?」
あの下着騒動の後なんとか小夜を説得して、普通の色の下着も買わせた俺の努力はなんだったんだ!?
「……良矢、これ好きなの?」
好きだよ! 反則だろ! ……とは言えるわけもない。
「だんまり……? いいわ、正直そうなコッチに訊いてみるから♪」
小夜は自分の下着の生地を俺の性器近くの生地に重ね合わせ、そのまま上下に、左右に擦り始める。
「ぅ、あぁぁっ……」
「ぁんっ♪ ん! んぅっ! 私のっ、擦れて気持ちいぃっ♪」
そこにある布三枚の壁など無いに等しいようなもので、小夜が身体を震わせる度、俺にもその快感が伝わってくる。
見れば小夜のパンツの黒は、ブラジャーのものと比べても明らかに違うほど、濃い色をしていた。
「小夜……もしかしてもう濡れてるのか……?」
「わかんない、知らないぃっ♪ さっきから色んな所がキュンってしててっ、おかしいのおっ……!」
その言葉を皮切りに、いっそう動きを激しくされる。
はだけたシャツの前面に見える形のいい胸が、それに合わせて揺れているのが馬乗りになられているこの体勢上、嫌でも目に入ってくる。
嫌ではなく、むしろ嬉しいが。
小夜の乱れる姿に中てられたのか俺の思考も快楽を求める方向へと傾き始め、本能的に俺は自由な手でその黒い果実を掴み、揉みしだく。
「ぁ……!? ふぅ……ん、っ♪ それ、気持ちいぃのっ……! 私ももっと気持ちよくするからっ、良矢ももっと触ってっ、メチャクチャに、してぇっ!」
小夜が身を乗り出して、俺の首筋に噛みついた。
そうして血を吸われる感覚が、今となっては倒錯的な程に気持ちいい。
「小夜ぁ……っ! 俺、俺もう……!」
そのまま快感が頂点に達した俺は、ズボンを穿いたまま中に射精してしまう。
熱を持ったドロドロの液体がへばり付く感触は、あまりいいものではなかった。
「はっ、ふ、あぁ……っ!? 勿体ないことしちゃったわ……!」
股間越しに俺の射精を知った小夜は心底しまった、といった感じでそう言うと、俺の下半身の服を脱がせ、精液で白く汚れた俺の性器を露にさせた。
「良矢の……こんなにだらしなくビクビクして、いやらしい液でベトベトしてて、美味しそう……! 私が綺麗に、してあげるわね……♪」
愛おしそうに小夜は俺の性器を見つめ、根本からゆっくりと上に、嘗めあげていく。
「ん……♪ 良矢の精液の味ぃ……! 血の味なんて霞んじゃうくらい、濃厚で素敵……っ♪ んっ、ああぁぁぁ♪」
味だけで感じているのか、一心にそそり勃つそれを嘗める小夜。
白く粘ついた精液が嘗め取られる代わりに、小夜の透明な唾液が性器を包む。
「外側はこれで綺麗になったわね……♪ まだ中にも残ってるから、吸い出してあげなきゃいけないわね……?」
小夜がその口を開き、今度は一気に奥まですっぽりと、大きくなっている俺の性器を呑み込んだ。
「んぶっ……じゅっ、じゅる……ちゅぷっ、……あふぁ、せーし、せーしれてるぅ、おいひいのぉ……♪」
「うぐ、ぁ、くぁ……っ!?」
頭を前後させ、激しい抽迭を行ってくる小夜。
俺は射精したいという欲求に、わずかな理性で抗っていた。
その時、最も敏感な先端部分に小夜の歯が触れ、強烈な刺激が与えられた。
「ふふっ……ビク、ってしたわ……! 良矢、こうされるのがいいの……? じゃあ、先っぽを甘く噛んであげる♪ んっ……はむ、かふっ……!」
「小夜ダメだっ、それ、気持ちよすぎて……あぁっ、く、また、出ちまうって!」
「んっ……んぐ、らしてっ! くひのなかに、いっはいらしてぇっ♪」
その口の動きと言葉にも刺激を受け、限界に達した俺は二回目の射精。
「じゅぶっ……ふっ、んっ! ん、んぅぅぅぅぅぅっ♪ じゅる、んくっ、んくっ……♪ あふ、あへぁ……っ♪」
「はぁっ、はぁ……っ。小夜……!」
だらしなく目を蕩けさせていた小夜は、ボンヤリとしたまま口を離し、俺を見て言った。
「ん……あれ……? 私、今まで何して…………!?」
小夜が……正気に、戻ったのか……!?
「私……眠くなって、飴を食べて……どうしたんだったっけ……?」
「小夜……!」
「あれ……良矢!? あ……私また、おかしくなっちゃってたの……!?」
「なんと言うか、えっと……うん……」
互いに半分ほど服がはだけた状態で、小夜の方も状況はすぐに把握できていたようだ。
「なんとなく、思い出してきたわ……。そっか私、良矢と……」
「ごめん、いきなりで俺も拒めなくて……!」
「ううん……拒んでたりしたら、それこそ謝って欲しいわね」
「え……? なんで……」
「だって私、貴方の事が好き、って言ったじゃない。忘れちゃったの……?」
そう言って小夜は、俺の首筋――吸血でできた傷を、指でそっとなぞってきた。
「ねえ、キス……していい? …………んっ」
俺が答えを発する前に唇が塞がれた。
さきほど俺の精液を貪った小夜の口内から、わずかに残った俺の子種が流れ込んでくる。
「んっ……!! ぅ……っ!? ぷはっ、小夜……これ、美味しいのか……!?」
自分で言うのもなんなんだが、何と言うか……刺激的な味だ。
さっきの小夜は喜んで呑み込んでたっけ……。
「だって、大好きな良矢が私のために愛情をたっぷり込めて作ってくれたものじゃない……美味しいに決まってるわよ♪」
「そ、そうなのか……それにしてもキス、これでもう二回目か……」
「ふふっ……ううん、違うわ」
「え……?」
「……やっぱり、秘密……♪ それに回数なんていいじゃない。これからもいっぱいするんだから……ね?」
そうしてまた、口と口が重ねられる。
「痛っ……!」
その時、朝起きたら切れていた唇の傷が開き、鋭い痛みが俺に走った。
「あ、血出てるぅ……♪ これ、私これやっぱり好きぃっ♪ 癖になっちゃうぅ……!」
切れた唇の部分を小夜が舐めると、痛みは甘い痺れに変わる。
それがもっと欲しくなって、俺は舌を伸ばして小夜に突き入れた。
「ちゅくっ、はむ……んっ、んっ、じゅぶぅ……はぁっ、はぁ……っ! ダメなの、やっぱり私、我慢できないっ……!」
口と口の結合を解いた小夜は、そのまま愛液で浸水した黒のパンツを脱ぎ去った。
「良矢、もう血だけじゃ満足できないの、お願い……。良矢の白い精子、お腹いっぱいこっちの中に欲しいの……! ねぇ、おかわり、頂戴……?」
俺に対して股を開き、その蜜壺への入り口を指で拡げながら小夜が言ってくる。
ヒクヒクと動いているそこは、まるでヒナが親鳥に餌をねだるかのようだ。
「だから良矢は……私を、食べて……?」
その言葉に、俺の中で何かが切れた。
据え膳食わぬは男の恥、こんなにいやらしく誘惑されて、心が動かないわけがなかった。
「小夜っ……!!」
思いきり、勢いのままに小夜に被さり、拡げられたその場所へと性器を突き刺していく。
「う……んぅっ、良矢、よしやぁ……っ!!」
小夜が俺を呼ぶ声が聞こえる。
だが俺には小夜を気遣ってやれるほどの思考も残っていなかった。
「小夜っ!! 俺、加減できない、かも……っ!!」
「んぁぅぅっ!? ひぐっ……! よしやっ、好き、好きって言ってぇ……!! まだちゃんと答え、聞いてないからぁ……!!」
懇願するように小夜は叫ぶ。
目からは涙、二人の結合部分からは破瓜の血が、それぞれ流れ出している。
「好きだっ、大好きだ、小夜ぁ……っ!! 俺が一生側にいてやる! それで一生俺が愛してやるからな……!!」
半ばほどまで挿入が進んだ時に、小夜の首筋を俺は噛んだ。
「かぷ……っふ、いつもやられてるのって、こんな感じなんだぞ……?」
「ぁっ!! あっあふぁぁぁ!? 良矢が私の首に噛みついてるぅ!? ね、もっと強く、ちゅうっ、ってしてぇっ!! 私が良矢のものだって証を付けて……っ!」
小夜の言う通りに俺は強く、かなり強く首を吸った。
それが小夜にとっては気持ちがいいようで、なかなか奥に進み込めなかった小夜の性器が急激に俺を強く受け入れ始め、吸いこまれるように最深部へとたどり着いた。
「もう、動くぞ……っ!」
すでに我慢できなくなっていた俺は、激しく前後運動を開始した。
「ん、あ、あん! っ、んん、あひ、あぁっ……!! 良矢が、突いて、くる度にっ! おくっ、奥にコツン、コツン、ってノックされて、イイのぉっ……♪」
「小夜っ、痛く、ないかっ!?」
「痛いわよ、痛くてすごく気持ちよくて、もっとグチャグチャにして欲しくなっちゃうの……! 私、変態みたいっ……! でも、もう止まらないの……っ!」
「小夜は意外とMだったのか? なら、こんなことされても気持ちいいのか……!?」
俺は小夜の黒いブラジャーを上にずらし、現れた桃色のさくらんぼ2つを指で強めに摘み、細かく捻りを加えてやった。
「あひ、ひぎぃぃぃっ♪ 私っ、身体びくんっ、って電気流れてるみたいっ! あっ、やぁ……ぁああああっ!?」
小夜は小刻みに痙攣しながら、大きく弓なりに身体を反らせた。
「小夜っ!! 俺もそろそろ出すから、中でしっかり味わってくれ……っ!!」
小夜の絶頂を口火にして、スパートをかけるように俺は抽迭をいっそう激しいものにした。
「あ……っ!? やっ、良矢っ!? 私いま、気持ちよくなっちゃったばっかりなのにぃ! ダメっ♪ 頭まっしろになっちゃ、んぁぅっ!! あっ♪ 良矢、よしや、よしやぁっ……!!」
この短時間に二度目の絶頂を迎える小夜と同時、俺も小夜の膣内へと想いの全てをぶちまけた。
「はぁっ、はぁっ……!!」
「あぁ……良矢の熱いのが、お腹いっぱい……♪」
「お味は……いかがだった?」
「ん、ふふっ、最高よ……! これ以上ないって位、美味しくて、幸せで……! 良矢、ごちそうさま♪」
「お粗末様でした。お腹いっぱい楽しんでくれたみたいで、俺も嬉しいよ」
汗に濡れ、上気している小夜を抱き締めながら、俺は言った。
「でもね、良矢……」
小夜が耳元で囁いてくる。
「ん? なんだ?」
「デザートは別腹なの♪」
そうして俺と小夜、二人の『お食事会』はまだまだ続くのだった。
*****
〜Epilogue〜
小夜が俺の家に来てから色々なことがあった。
それから互いに好き合って、俺たちは幸せに暮らし始めた。
これは数週間が経った、そんなある日のことだ。
学校が終わり、帰り支度をしているところに明石が声をかけてきた。
「黒須架くん、正義の味方に興味ある?」
「へ……? いきなりなんなんだ明石?」
「いいからいいから、チャチャッと答えて!」
「いや、興味ない……と思う。意味解らないけど、多分」
俺としては、何故急にこんな話を明石から振られているのかで頭が付いていってない状況なんだが。
「じゃあ、そんな正義の味方になってくれ、って言われたとすれば?」
「いやまあ、いきなりそんなこと言われても俺なら断る……んじゃないかな……?」
「言ったね!? 今、断るって! 陽太陽太、黒須架くん確保ー!!」
は? なんなんだこれは!?
「おい日菜、もしかして言ってた通りの事を良矢に? 良矢、日菜はなんて言った?」
「いやなんか、『悪を救う正義の味方になれって言われたらなる?』みたいな感じだったぞ。一応、断るって答えたけど……それがどういう事なのかサッパリだ」
「今日のしゃぶしゃぶ鍋パーティの灰汁(アク)すくい係を良矢にやらせよう、って日菜が言い出してな……元々普通に誘うつもりだったんだが、コイツが暴走したんだ。すまない良矢」
陽太が俺に謝ってくるが、俺としては何がなんだかサッパリだ。
すると、眉を寄せて必死に理解しようとする俺を見て、明石が言った。
「正義の味方は悪を救わない。つまり、正義の味方になることを断った黒須架くんは灰汁を掬ってくれるんだよ!」
「灰汁(悪)を掬う(救う)違いだろうが!? なんだそのボケは!?」
解りにくいわ!! っていうかホント普通に誘えよ!?
「ごめんごめーん。あと小夜ちゃんもお呼びするから! 今日の夜空いてるよね? 夕飯時に2人とも陽太の家集合! じゃ、陽太! 具を買いに行くわよっ!!」
弾幕のように言葉を飛ばしてきたのち、明石は陽太の首根っこを鷲掴んで引っ張っていった。
「アイツもしっかり振り回されてるなぁ……」
あの二人、実は最近付き合い始めたんだよ。
陽太が教室の真ん中で明石に告白したときはかなり驚いたな。
両想いだったらしく、明石もその場でOKだったし。
「らぶらぶ、 だよね? しあわせそうで、 よかった。 ……ふふっ」
顔を伏せて寝ていた小夜が、いつの間にか起きてこっちを見ていた。
「お、小夜。さっきの明石の話、聞いてた?」
アレをらぶらぶと表現していいのかは悩みどころだが。
「よしやが、 せいぎのみかたになって、 せかいをすくうところまでは、 きいてたよ?」
「なってないし世界も救ってねぇよ!? 俺すごいなそれ!? じゃなくて、今日の夜は陽太の家でしゃぶしゃぶだって事!」
「そう、なんだ。 おいしそう、だね?」
「たまには皆で作る料理ってのも、悪くないよな」
「でも、よしやのごはんは、おいしい」
また嬉しいことを言ってくれる。
ああ、小夜可愛い。
「そろそろ俺たちも帰って、色々準備しておくか」
「うん」
そうして2人でしっかり手を繋いで、帰路につくのだった。
*****
「そろそろ時間か……」
「そうね。行きましょ?」
時間になったので、俺たちは家を出発した。
「お……あれ、明葉先生と尾根倉先生じゃないか?」
道すがら、このまま行くとすれ違う予定の2人が見えた。
「あら、ホントね。どうしたのかしら?」
「明葉先生、尾根倉先生、こんばんは。どうしたんですか2人して?」
俺がそうやって質問すると、先に答えたのは明葉先生だった。
「独り身の女2人……明日の学校に響かない程度にお酒飲んだりしちゃうんです! いいなぁ、良矢君と小夜ちゃんも陽太君と明石さんも。先生たちだって、羨ましくてたまらないのよ?」
「ははは……大変そうですね」
「良矢さん、そう言わないで下さい。私も明葉も辛いんですよ、独り身って」
そう言ったのは、尾根倉先生だ。
最近先生はイメチェンのつもりか、長めだった髪をバッサリと切り、これまでの妖艶な感じとは違う、清楚な雰囲気を纏っていた。
口調もなんだか落ち着いて、印象がまるで別人だ。
「う……それはすみません、先生。……じゃあ俺たちは鍋に呼ばれてるんで、もう行きますね」
長話もなんなので、早々に話を切り上げて俺は陽太の家に歩みを進めようとした。
「あ……良矢さん、ちょっと待ってください」
「………………」
小夜は尾根倉先生の言葉に何故か眉を寄せて俺を見た。
「いいニンニク料理の本が届いたので、今度貸しますね……♪ 元気がついて体が温かくなること間違いなし、です! まだまだ冬は寒いですし、おすすめですよ♪」
「いいですね、ありがとうございます! いつかお礼に、俺が料理作りますよ」
何というか、この人には結局お世話になりっぱなしだったからな。
感謝してもしきれないくらいだ。
「ホントに……ホント、ですか……!?」
「はい、喜んで」
俺がそう答えると、先生は不意に眼から雫をこぼした。
「あ……っ、あれ? ご、ごめんなさい良矢さん、その、泣くつもり無かったのに……」
「え、あ……ええっ!? 俺、なんかその……」
俺が慌てて言い訳を探していると、先生が先に口を開いた。
「ぐすっ……違うんです。その……すごく、嬉しいです……! だから、楽しみにしてます……!」
「尾根倉先生……! ……俺、頑張りますね」
ここまで喜ばれたなら、相応の応え方をしないといけないよな。
「はい……ではまた、私は図書室でいつでも待ってますから」
「はい。それじゃあ先生、また今度」
そう言って、俺達は2人の先生と別れた。
*****
ピンポーン……
陽太の家のチャイムを鳴らす。
「お……良矢、閨待さん。いらっしゃい」
「よっ、陽太、来たぞ。お邪魔します」
「陽太くん、今日はよろしくね……それじゃあ私も、お邪魔します」
「ああ、どうぞ。早速でなんなんだが、手伝ってくれ……日菜にやらせると闇鍋になりかねない」
……さすがあの破天荒委員長の彼氏、よくわかってるみたいだな……。
「ははっ……オッケーだ。小夜、頑張るぞ」
「ええ、勿論。私だって良矢に色々教えて貰ったし、頑張るわよ」
「おお、頼もしい限りだ。良矢、閨待さん、期待してるぜ?」
「ああ、どんと来いだ!」
「……Don't来い……つまり、来るなってこ」「それはもういいって!?」」
「はいはい、夫婦漫才はお腹一杯だよ。じゃ、日菜をこれ以上放っとくとヤバそうだし、そろそろ始めるか!」
*****
ぐつぐつ……。
「なんであたしには具材切り任せてくれないの!? 黒須架くんのケチー!」
具材でないものが入りそうだから……とは言えないな。
「えっと……陽太の彼女に怪我させちゃ悪いしさ」
「じゃあ小夜ちゃんも黒須架くんの彼女でしょ? それはどうするのよ!」
「小夜は俺がミッチリ鍛えたから大丈夫だ。明石もなんならここで鬼指導してやろうか?」
「あ……じゃ、やっぱ遠慮しとく」
……陽太、この人メチャクチャ操りやすいんだが!?
「陽太、黒須架くんが苛めてくるんだけどー」
「それで、俺はどうすればいいんだ?」
やれやれといった感じに、陽太が返事をする。
「陽太マスター……ウイスキー、ロックで頼むぜ」
何故か急に明石は渋い声でそう言い放った。
俺に色々と禁止されたのがよっぽど明石のハードボイルドな部分に感傷を与えたのか?
その辺りはさすが明石、全く予測不可能だ。
「すまんな日菜。俺の家にはウォーターの水割りしかないんだ」
「只の水じゃんそれっ!? 『ウ』と最後の『ー』しか合ってないし! ……あ、ツッコみって意外と楽しいかも! 黒須架くんがついやっちゃうのもわかる気がするよこれ!」
「じゃあ、良矢にツッコみの極意を教わるか?」
「いや、なんかいやらしい響きだから遠慮しとくわ」
知るか!! 勝手にしろよ!?
と向こうで騒ぐ2人にツッコみたい気分を押さえて、俺はそっと自分の指を包丁で薄く斬る。
そして血の流れ始めた指を、隣で同じように具材を切っていた小夜に近づけた。
「はむっ……♪ ふふ、ちょっと野菜の味がするわね……♪」
あれ以来、こうしてこまめに血をあげるようになった。
小夜が嘗めた場所は傷の治りが早いので、生傷が絶えない、なんて事にはならないのが救いだ。
「美味しいか?」
「ええ♪ ……大好きっ」
この小夜の顔が見られるだけで、俺も幸せだった。
*****
「ふぅ、……ごちそうさま」
4人なんていう大人数で食卓を囲むなんていつ以来だったかな。
やっぱり、人が多いとそれだけ楽しく食べられるな。
「いやー、美味しかったよね陽太! また今度も何かに乗じてこういうことやろうよ!」
明石も満足げにそう言った。
すると小夜が気付いたように言う。
「日菜、今度『も』ってことは、今日のしゃぶしゃぶパーティにも何か意味があったのかしら?」
「そっか、閨待さんは海外暮らしが長かった分、実感沸いてないのか。今日は『節分』だよ。『鬼は外、福は内』ってな」
「あぁ……そういえばそうだったわね」
「もちろん、今日はそのために集まったんだ。ちゃんと豆もあるぜ?」
陽太が台所から大豆を取り出してやって来た。
「よし、食後の運動がてら、いっちょやりますか! ていっ、陽太は〜外〜っ! あたしは〜内〜っ!」
「いてっ、日菜、やりやがったな!? 待てっ! お返しだそらぁっ!」
「きゃあっ!? このぉ、それならもう一回っ! とりゃりゃりゃりゃっ!!」
何故か2人の大豆戦争が勃発してしまった……。
俺も負けてられないな。
今日は羽目を外して楽しむとするか……!
「よし、鬼は外っ!」
「いたっ!? ちょっと良矢、なんで私が鬼なのよ!? 吸血鬼も鬼だ、なんて言わないでよね!?」
「ははっ、まさか! 鉄分は大事な栄養素なんだから、しっかり大豆を食べて補給しなさい!」
「何よその理由? ふふ、あははははっ……!」
「ほら、福は…………、内っ」
「…………っ!」
そうして俺は、俺の幸福をその両手で抱き締めた。
「ふふ……私は絶対、外になんて出ていかないわよ♪ 良矢、私が幸せにしてあげる!」
〜Happy end〜
聞くところでは帰国子女らしい、という話を朝のホームルームで担任の明葉先生から受け、クラスの皆がざわつく。
ちなみに俺、黒須架 良矢(くろすが よしや)は先生とは料理の話でよく盛り上がる、いい主婦(夫?)仲間でもある。どうでもいいが。
「それじゃあ閨待(ねやまち)さん、入ってきて下さい」
先生の紹介に応えるようにドアが音をたて、入ってきたのは、夜のような黒い長髪を持つ可愛らしい女の子だった。すらりとした細い足に白い肌とソックスがよく映えている。
だが裏腹にその眼は霞がかったようになにも映してはおらず、まるで俺達になど何の興味もない、といった雰囲気を纏っていた。
「それじゃあ早速だけど、自己紹介をお願いできるかしら?」
『閨待 小夜(ねやまち さや)』と書かれた黒板の前で、しかし名前を呼ばれた少女は完全に先生の言葉を無視し、空いていた俺の席の隣に着いてそのまま顔を伏せた。
……え? なんだこれ? どういうことだ?
……っていうか先生、その『ごめん、委員長の明石さんでもよかったんだけど、席が近いから良矢君が何とかして!!』的な視線送ってくるのやめてくれません!? ……あぁっ、口パクとかもしなくていいです、ひしひしと伝わってますからっ!?
仕方なく俺は、隣の席で伏せたままくぅくぅと寝息をたてている閨待の様子を確かめ――……、
「……ってなんで寝てるんだよ!?」
そうして無意識に動きかけた腕を、俺は慌てて止めた。
危ない……! いつもの癖でつい『スパンッ!』ってやっちまうところだった……!
俺にはある理由から、『ツッコみ癖』というものがあった。
そんな事をしようものなら、編入初日にして閨待から俺への印象が悪くなるなること間違いなしだろうな……。
気を取り直して、背徳的な感情が起きたが彼女を揺すってみた。
あぁ、クラスメイトの視線が痛い。しかもコイツ、なかなか起きてくれないし。
「黒須架くんがんばー!」
委員長の明石が無責任にも応援の声をかけてくる。
「ごめん、ホント起きてくれ。なんというか心が折れそうだ」
祈るように少し強めに揺すった結果、最悪なことに彼女の体が傾き、机から滑り落ちそうになった。
「ちょ、やば……っ!?」
俺は必死で体を下に潜り込ませて、どうにか閨待を受け止めることに成功。
へぇ、軽いんだなこの子……。けど意外にも胸は大き……って、どこを触ってるんだ俺は!?
思いっきり閨待の胸を俺の手がわし掴んでいる、そのタイミングで彼女が目を開ける。
あぁ…………最悪だ。
「ん……。おはよう、ござい ます……」
完全に嫌われたと思ったのだがしかし、彼女は意外にも礼儀正しくきっちりと挨拶を済ませたあとでそのまま立ち上がり、平然と再び席に着いた。
……え? お咎め、なし……?
「ほら、自己紹介自己紹介、閨待さ……いや、呼びにくいから小夜ちゃんね。とりあえず前に出る!」
明石がようやく助け船を出してくれた。
まったく、遅いって……。
「……? ……?」
一方の閨待は寝ぼけているようで、頭に疑問符を浮かべながら明石に引っ張られていった。
さっきの目つきもただ眠かっただけのようだ。
どこかから帰国したばかりで、生活リズムが完全に戻ってないのかもしれないな……時差ボケってやつか?
俺もとりあえず立ち上がり、席に着く。
……ははっ、止めろよ主に男子諸君。
偶然俺が胸を触ってしまったからって、消しゴム当てられると結構痛いんだぞ? イテっ、くそ、また飛んできた! ちょっ……止めてください!?
*****
「ねやまち さや。です。……えっ と、なにを言えば、 いいの?」
「う〜ん……好きなものとか言えば、それでいいんじゃないかしら?」
さすがの明葉先生も呆れ顔。言っておくが、これはさっきの続きじゃないぞ。
……結局あの後、閨待は教卓に頭を打ち付ける勢いでまた突っ伏したから、彼女の自己紹介は帰りのホームルームに流れたんだ。
それにしても、新しく入った初日の生徒によく行われる『ミーハーな女子からの質問責め』の洗礼も華麗にスルー……まあ、寝てただけだから華麗でもなんでもないが……、それと授業も居眠り(というか普通にガチ就寝)の割合の方が多かったし……。
大丈夫か、こんなので。
「好きなもの、 は……。 ち……」
「ち……?」
先生が聞き返す。
「……じゃなくて、ぇと、とまとじゅーす」
どんな間違いだそれ。
それと、話す速度がゆっくり過ぎてこっちも眠くなりそうだ。
「あとは……。 ほうれん、そう。 ……ほうれんそう」
何故二回言ったんだ。それは大事なことだからテストに出るとかか。色々とツッコみ所がありすぎて困る。
「耐えろ良矢。とりあえず今にもツッコみそうなその手を膝の上に置け」
閨待とは逆側の隣に座る俺の友達、陽太が俺を制する。
朝の時間、こいつの方向から飛んできた消しゴムは全部こいつがキャッチしてくれていた。 何気に恐ろしい身体能力だと俺はいつもながらに戦慄する。
「治まらないなら後でいくらでも俺にツッコんでくれて構わないからさ」
……持つべきものは友達だとは思うが……お前が陰でどんなアダ名を付けられてるか知ってるか?
ホモだよ。
これだけは誤解しないで欲しいが俺たちは二人ともそういった方向の趣味はないからな?
陽太の相手をしているとほうれん草発言以降は押し黙っていた閨待が口を開いた。
「もう…… なにも、ない、 です……」
どうやら自己紹介はあれでおしまいか。
結局、彼女について知れたのはトマトジュース(?)とほうれん草×2が好きなことくらいじゃないか。
「ありがと、閨待さんからは以上ね。私から彼女の事で一つ言っておくけど、彼女はこの学校の編入試験、全教科満点で合格してるのよ」
「はぁっ……!?」
俺だけでなく陽太や明石、他のやつらも驚きの声を上げた。
「ただ、少しボーッとしてるというか……あと、世間に疎いところもあるみたいだから閨待さんが困ってるのを見かけたら、助けてあげて欲しいの」
そう言われるとなんとなく±0になるような気がするのが閨待の最も残念なところなんだろうな……。
俺はそんな思いとともに、虚ろな目をする隣の席の少女を見やった。
*****
放課後。
帰りの挨拶が終わると同時に陽太が俺のところにやって来た。
「良矢、帰ろうぜー?」
「あ 悪い、陽太。図書室に行ってレシピ本返さなきゃならないから先帰っていいぞ?」
「そういうことなら了解。じゃあ、また来週か」
「ああ、また来週」
週末だったから早めに本を返して新しいものを借りておきたかった俺は、最後に教室で記憶に焼き付けるようにしばらく返すべきレシピ本を眺めたあと図書室へ向かった。
俺達の学校の図書室は旧校舎の最上階ということもあって、あまり人は来ない。
「……こんにちはー」
半ば義務的に挨拶をして図書室の中に入ると、威勢のいい挨拶が返ってきた。
「おはこんにちこんばんはよっしー君!! ゆっくりしていってね!!」
「尾根倉先生、何ですかそれ……」
よくわからない挨拶を浴びせてきたこの人は司書の尾根倉(おねくら)先生。残念美人といった言葉が実に似合う若い女性の先生だ。
この人、学校にはまず置かれない専門料理の本とかも俺が頼めば何とかしてくれるから嫌いじゃないんだが……。
「現実に浸りすぎている分ツッコみが甘いぞよっしー君っ!! 君はそれでも本当にツッコミストなのか!?」
俺は何も答えない。なぜならこの人に付き合うと疲れることはもう体で理解しているからな。
「む〜……。よっしー君がツッコんでくれない〜っ! もっと深く激しく、奥までツッコんでよぉっ!」
「ちょっ……、あんた司書で先生でしょう!? いや、それ以前に社会人として何言ってるんですか!?」
反射的にツッコんでしまった俺。
「はぁぁぁんっ♪ ゾクゾクするわぁ……っ!」
あぁ……先生が色々と危ない騒ぎ方をするせいで周りから白い目で見られるのは本日二度目だ……。
人が少ないのがせめてもの救いだが、厄日か今日は。
「ねぇ……よっしー君…………」
先生が(無駄に)湿っぽい声で囁きかけてくる。しかもほとんど耳に息がかかるほどの距離で。
「……図書室では、お静かに」
「アンタが言うなっ!!」
スパンッ!
このときの一瞬ばかり、俺は身分や立場といったものを無視した。
「ぁ〜〜〜〜っ////♪」
恍惚の表情を浮かべ始めた先生。
……やっぱり疲れたから、これ以上はもう放っておこう……。
そう思った俺は、借りていた本を先生に押し付けて本棚へと向かった。
*****
時間をかけてあらかた棚を見て回り、目当ての本を持って今度は借りる手続きのために先生の所に行く。
「『黒須架 良矢』っと……はい、利用者カード。これでOKよ、よっしー君。 うわぁ……『健康増進のための節約レシピ100選』とか完全にもうアッチの領域に達してない?」
「どこですかアッチって……どうせ生きるために必要なスキルだったんですから、自然と上達しますって」
自分の境遇にため息をつきながら俺は答えた。
言葉の通り、俺は独り暮らしだ。
「独り暮らし歴で私よっしー君に二倍くらい負けてるのよね……年は言わないけど。それとも、聞きたい? せ・ん・せ・い♪ がいったい幾つなのか……」
「慎んで遠慮しておきます」
「もう……つれないわね……。っとっとぉ、そうだよっしー君、折り入って頼みたいことがあるの……。私、すごく困ってるかも」
先生が絶妙な上目遣いで言ってくる。
初対面の人がこんなことされたら一瞬で堕とせそうな魔力があるが何せ中身がコレだからな……俺の壁は破れないぞ。
……それに大抵これはろくでもないことを頼まれるパターンだ。
「……一体なんですか?」
しかし無下にするのもさすがに失礼なので(さっきのツッコみは無意識に手が動いただけだ)、うんざりしながらも答える。
「ぁ、その目イイっ♪ そんな目で見られると私もっと興奮しちゃ……、あぁ待ってっ!? 放置プレイも捨てがたいけどやっぱり困るから待ってぇっ!?」
「はぁ……何やらされるんですか俺は?」
「その、そろそろここも閉館なんだけど……あそこの娘がどうしても起きてくれないのよ」
「女の子じゃないですか、また難題を……先生がやればいいじゃないですか」
「だから起きてくれないのよ〜。それに、必殺の『ネクラちゃん目覚まし』 はよっしー君一人だけのものなの。こう…耳をかぷ、ってしてぇ、それからぁ……♪」
妄想の世界へと旅立った先生には付き合いきれないから渋々俺は寝ている女の子の所へ。
そして近くまで行って気付く。
「まだ寝足りないのか…………閨待」
「閨待って……今日入ってきた天才ちゃんじゃない」
いつの間にこっちの世界に帰ってきたんですか先生。
「みたいですね……ちょっと今でも信じられませんけど。授業中もずっと寝てましたし」
「この娘……。へぇ……、成程ね……」
うわ、先生がいつになく真面目な顔だ。
いっつもこんな感じならもっとモテるだろうに……自分でも失礼だとは思うけど。
「ま、よっしー君、任せた!!」
グッb☆ みたいな仕草をして先生はどこかに行ってしまった。
やはりあの人はどこまでいってもあの人止まりだろうな。
「まあ、何にしても起こさないとな……」
他の人はあらかた先生が既に帰し終えていたようだが、それでも朝の二の舞にはなりたくなかった。
想起すると柔肉の感触がまだ鮮明に……ってだから何を考えてるんだ俺は!?
とりあえず俺は頭を振って気持ちを切り替えた。
「閨待、閨待ー。そろそろ閉めるってよー」
「………………」
ダメだ、これ。
「私職員室に居るから、ついでに鍵も掛けててよっしー君!!」
どこからか声がする。ダメだあの人も。
「どうするんだこの状況……そろそろ日も落ちる頃だし」
「……それじゃあ、 かえろっか」
急に眼の前から声がした。
……いつ、どうやって起きた。まあ助かったが。
「……それなら戸締り、手伝ってくれ」
閨待はコクンと頷き、ぱたぱたと窓へ走っていった。かと思うと急にこちらを振り向く。
なんなんだ……?
「ごめんね、おはようございますって言うの、わすれてた。えっと、よしや、くん ……おはよう、ございま」「とっくに今は『こんばんは』の時間だよ!!」
たまらず俺は突っ込んだ。
「じゃあ、……おはこんにち、こんばんは?」
「なんでやねんっ!?」
思わずベタにツッコみ返してしまった……先生それ、来た奴皆にやったんですか!?
「……とにかくそれ、禁止な」
「……うん」
なんだ……素直で、いい子じゃないか。
*****
暗い中、女の子を一人で帰らせるのは気が引けた俺は閨待を校門に待たせ、勝手かとは思うが俺にできる範囲で家の近くまで送ることにした。
尾根倉先生に鍵を返しに行き『そう……送り狼になっちゃうのね、よっしー君……私という女がありながら……ぶつぶつ』と落ち込み始めた先生を華麗に無視し、閨待のところに着いたときには完全に辺りは夜になっていた。
「まったく、遅かったじゃない」
割と急いで来たつもりだったが……少し怒ってるみたいだな。
「ごめんごめん、これでも先生の話はスルーしてここまで来たんだから勘弁してくれないか?」
「あの司書の先生ね……それはその、えっと、頑張ったわね……」
「解ってくれたみたいで何よりだ。まあ……校門の前とはいえ、閨待一人じゃ何が起きるかわからないからな」
「……何となく失礼なニュアンスが含まれてないかしら?」
ここまで二人で話をしてから俺は気がつく。
……おかしい、明らかに閨待との会話が成立している。
「……失礼なことを考えていそうな目ね」
鼻を鳴らして腕を組み、胡乱げに俺を見ている少女はしかしあどけなさこそ残ってはいないがどう見ても閨待で……。
「失礼ついでにツッコませて貰うが……、何なんだこのさっきまでと別人な雰囲気たっぷりな閨待は!?」
「五月蝿いわよ……。起きぬけの頭に響くからもっと静かにしてくれないかしら?」
「起きぬけ……?」
いやまあ、確かに寝てはいたがそれはもう半刻ほど前のことだ。表現として「起きぬけ」というのはどうかと思うんだが……。
「朝と昼の時間に弱いのよ私。起きてても半分寝てるような気分で過ごしてるの」
「……あれ全部寝惚けてたのか……!?」
先ほどの彼女の反応から学習した俺は小声でツッコむ。
「まあ、何があったかは覚えてるから。睡眠学習ってよく言うじゃない? ねぇ変態さん?」
……朝のこと、ここに来て掘り返すのかよ!?
とりあえず謝らないと。
「それはその……ごめん」
「…………なんて冗談よ。あれはあんな時に寝ていた私の方が悪いもの。こちらこそ、ごめんなさい」
「閨待……ごめん、ありがとう。優しいんだな」
何にせよ、事なきを得たようで助かった。
「ふん……! ま、今度私の許可なくそんなことしたら貴方の男性機能を停止させてあげるわね」
おぞましいことを口走りやがるぜこの娘は……!
いや、だがそれよりも……!
「……許可とか降りるのかよ?」
「さあ? 貴方次第じゃないかしら? 今のところ可能性は0%だけど」
「……でしょうね」
当然と言えば当然なんだが……0%とまで言われるとさすがに悔しい気がするな……。
「そんな残念そうな顔はいいからとりあえず帰りましょ? 話は家でもできる訳なんだし。……不本意だけれど」
「べ、別にそんな顔してなんか……! ってちょっと待て、話は家でも……って、どういう事だ?」
「? ……もしかして貴方の両親は何も伝えていないの? 私はてっきり……」
閨待が意外そうな顔でこちらを見る。ちなみに、待てと言ったのに歩くことをやめてはもらえなかった。
「さっぱり話が見えないが、ろくでもないことを俺の両親がまた企んでるのだけは、何となくわかった」
俺の両親は、かなり奇天烈な思想をもった人たちだった。
それが俺のツッコみ癖を発症させた理由だ。
一番の例を挙げるなら、小学校の高学年になった途端、いきなり俺に「人生修業」という名目で一人暮らしをさせ始めたりとか。
いや、本当に初めは死ぬほど大変だった。
……ということを、仕方ないので歩きながら話した。
「……大変だったのね、貴方も……」
「とにかく…… 説明を要求する」
俺の問いに対し、やれやれという感じで眉毛を下げた閨待が答えた。
「一緒に暮らすことになってるのよ……貴方と、私の二人で」
「一人暮らしの次は同棲かよ……!?」
ようやく落ち着いてきた時期にそう来たか、父さん母さん……もう呆れて物が言えないぞ。
「いや、でもそれだと俺の場合は『親の子育て方法が滅茶苦茶』で全部まとまるけど……言ってて情けなくなってきたな……閨待の場合はどうして? 理由なんかないだろうに」
俺は浮き出た疑問を、自分の境遇に呆れながら発する。
「……それなら理由は簡単よ」
閨待もまた心底呆れた声で言った。
「……その滅茶苦茶な貴方の両親と、私の両親は仲良しなのよね」
「……マジか」
閨待の親にまで悪影響を……何をやってるんだあの人たちは。
「気にしなくてもいいわ。元々滅茶苦茶な者同士、波長が合ったんじゃないかしら? 今は一緒に仕事をしてるらしいけど、何やってるかまでは私も知らないわ」
「それを聞いて安心だ……。いや、しちゃいけないんだが。……なあ、まさかとは思うけど帰国子女ってのは……?」
「ええ。いきなり二年間、外国の学校の寮なんかに飛ばされたわ。右も左も言葉もわからなくて、私も初めは死ぬほど苦労したわよ……!」
……ここにきてようやく俺と同じ境遇の人間に巡り逢えた……!
俺はちょっとした感動に包まれた。
「……もしかして今回は『修業』とか言われたりした?」
俺がそう訊くと……なぜか少しだけ閨待の顔が赤くなった気がした。
「『修業』……まあ、言われたかと訊かれると言われたわね……」
「閨待……お前とは仲良くやっていけそうな気がする」
「あの人たちの血を引いてるからってちょっと警戒してたけど、私も安心したわ」
「まあ、無理もないだろうな」
口ぶりからして俺の両親と会ったことがあるみたいだな閨待は。俺があの人たちと真逆に育ったのはある意味必然ではあったけど。
「……これだったら10%位に引き上げても……って何考えてるのよ私は……!?」
「どうしたんだ? さっきから何か言ってるみたいだけど?」
「べ、別にっ!?」
……なら、いいけど。
「それにしても何かこう……ツッコめないと手持ち無沙汰というかなんというか……」
「遠回しに私にボケろって言ってるのかしら?」
「昼間の印象とのギャップが激しくてさ……お前がこんなにまともな人だったのは予想外だった」
「もう……眠かったんだから仕方無いじゃない。頭がふわふわしてて何も考えられないの!」
そんなことを話しているうちに、俺たちは自然と家の前まで帰り着いていた。
「……と、もう着いたか」
「あら、意外と大きいわね」
意外とってなんだ、おい。せめて心の中で付け足す程度にしてくれよ。
一人でこの家掃除するの大変なんだぞ? 何せ俺の一人暮らしは親が俺を残して出ていく形のものだったから家が普通に広いんだからな。
「……そういえば生活用具とか、そういった類の物はどうするんだ? 見たところお前の鞄、授業道具しか入ってなさそうだが……」
「失礼ね。他の物だって一応入ってるわよ。…………ほうれん草だけど」
「生 活 用 具だって言ってるだろ!? ほうれん草で生き抜くつもりか!? 無謀だっ!?」
俺の指摘など知らないとでも言いたげに、閨待は鞄からほうれん草を取りだした。
「入居の挨拶に、はい」
「……ぉ、おう」
俺は青々としたそれを(束ごと)受けとる。……よく見たら授業道具よりも青緑色の割合の方が多くないか……?
「……お前がほうれん草大好きってのは伝わってきた」
「夜御飯に使ってくれる?」
「じゃあ、シチューとかができたっけな……じゃなくて! もっと衣服とかそういうのがないかをさっきから訊いてるんだよ俺は!?」
それを聞いてしばらく思案顔をしていた閨待が言う。
「……そういえば無いわね?」
「俺に訊くな!? ……無いのか」
「今日だけは貴方のシャツとかを借りるしかないみたいね。はぁ……」
明日が休みで助かった。明日の行動は買い物で決まりだなこれは。
「とりあえず家に入るぞ。ただいま」
半ば習慣と化している『ただいま』。一人暮らしでも何となく言ってしまうものだった。
俺のあとに、少し戸惑い気味の閨待が続く。
「初めて入る家にただいまって言うのはどうかと思うんだけど……」
どうやら、ただいまを言うかどうかで迷っているらしい閨待。
……それなら。
「…………初めて入ってきた人におかえりって言うのは俺もどうかと思うが……お帰り、閨待」
「何よ、言うしかなくなったじゃないの……。えっと……ただいま」
「改めてよろしく、閨待」
「一緒に暮らすんだし小夜でいいわよ。私も貴方のことは良矢って呼ぶから」
家に入るなり、そんなトンデモ提案をしてくる閨待。
「いきなり下の名前はハードル高くないか……!?」
「ほら、練習よ良矢。とりあえず呼んでみて?」
すでにあちらは俺のことを良矢と呼び捨てに。この切り替えの速さには驚いた。
「さ……小夜」
「……ちょっと堅いわね。……そうだ、そのまま『サヤ』って10回言って?」
いきなり何を言い出すんだこの女の子は?
「……? サヤ、サヤ、サヤ、サヤ、サヤ、サヤ、サヤ、サヤ、サヤ、サヤ」
「じゃあ、剣の周りを覆ってるものは?」
「…………いや、どれだけ考えても、鞘(さや)以外に思い付かないんだが」
「答えはサビよ」
「どんな年代物の剣なんだだよっ!?」
「……ざっと2000年位かしら?」
「青銅剣!? 年代物過ぎるって!?」
馬鹿らしいやりとりに、いつものツッコみ癖がつい発動してしまう。
「ふふ……、緊張はほぐれたかしら?」
そう言って小夜は笑った。
「…………小夜って、なんというか話し方が上手いな」
「外国とかでもうまくやっていくために自然とね。さっきからボケて欲しそうだったし、いい機会かと思って。ほら、うまく私のこと呼べてるわよ?」
「ぁ……そういえば」
自然と俺も『小夜』と、名前を呼んでいた。
やっぱり外国に飛ばされただけあって、小夜の会話力はかなり俺より上みたいだ。
「俺も自然と料理の腕が上達したしな……。滅茶苦茶な教育方針のくせに何も得るものがない訳じゃないのがちょっと悔しいけど。……とりあえず、晩御飯は手伝ってくれよ?」
「ぇっ、あ、その……善処するわ」
どことなく目を反らしながら小夜は答えていた。
「もしかして小夜……料理は苦手?」
「五月蝿いわねっ!? 自分でする機会が無かっただけよ!」
成程、料理は出てくるタイプの寮だったのか。それなら確かに、そうそうこの年で料理なんかできる奴の方が少ないか。
「じゃあ、教えるから一緒に作ってみるか」
「…………! ……私の『修業』……そういうことね、お父さん、お母さん……」
「小夜、どうした?」
「う、ううん。まぁ、いつか必要になるかもしれないし……お願い」
「ああ。どんと来いだ」
「Don't 来い……つまり、来るなってことね?」
「違うからな?」
小夜ってもう少し暗めの性格かと思ってたんだが……、意外とそんなことはなかったな。いや……むしろ面白い方じゃないかとさえ思う。
「ふふ……晩御飯、期待してるわよ?」
「もちろん小夜の働きにも期待してるからな?」
ボケて手伝いをはぐらかそうったってそうはいかないぞ? 残念だったな。
「うっ……。はぁい……」
……これは、教え甲斐がありそうな生徒だな。
*****
聞こえるのは、俺と小夜の息遣い。
「良矢……これ、入れるの……?」
小夜が怖いものを見るように、不安げにしながら俺に聞いてくる。
「ああ……、固くなってるところだけ、まずゆっくりと入れてくれ」
できるだけ小夜を安心させようと、俺は優しく導く。
「んっ……あつっ、熱くて、じんじんするんだけど……っ!?」
「我慢してくれ。やってればそのうち慣れてくるからさ」
「でも……初めてなんだから、しょうがないじゃない……っ」
「そろそろかな……全部、入れてくれ」
「もう……一気にいれても、いいの……?」
「ああ。……そう、うん、その調子。そうしたら中でゆっくり掻き回して、ちょっとしたらもう抜いてくれ」
「も、もう抜くの? ちょっと……って、どのくらい?」
「あと15秒位かな? それ以上入れたままだといっぱい出ちゃうからさ。小夜もそれは困るだろ?」
「いつも生のままでいってたんだけど、そんなこと考えたこともなかったわね……」
「いつも生で!? 体にあまりよくないぞ……!」
「……はい、全部終わったわよ。……はぁ、熱かったわ……」
「あとは搾りとるだけだな。両手で挟み込んで、そう……よし、よくできました」
*****
「ほうれん草を茹でるのも大変ね……」
「いや、こんなのは作業の内に入らないからな?」
何故もう終わった感丸出しなんだ小夜。エプロンを脱ごうとするな。
「そうだ、お昼の弁当箱とかあったら一緒に洗っておくから今のうちに出しておいてくれるか?」
「あ、私今日はそれをそのまま食べただけだから、空の弁当箱とかは無いわ」
それと指差した先には、茹で終えたほうれん草の束。
「ほうれん草が生食に向かないのはシュウ酸を多く含んでるからなんだよ。恒常的に多量接種すると骨が溶けるぞ?」
滅多なことではないが、小夜ならあり得そうだから怖い。
「そ、そうだったの!? ……今度から気を付けるわ」
なので、脅せる内に脅しておいたというわけだ。
「これからは俺がついてるし、そんなことにはならないさ」
食事や栄養については、何一つダメなようにはさせるものか。
俺はそう決意した。
すると急に、小夜の挙動が不自然なものになった。
「えっ……? それってつまりその……『俺が守ってやる』みたいな……!? ヤダちょっと、なにときめいちゃってるのよ私……!?」
「小夜? おーい?」
小夜が何かを呟いているのだが、よく聞こえないな……。
反応を確かめるために、とりあえず目の前で手を叩いてみる。
パンッ!
「ひゃっ……!? え? あ……っ」
眼をきょろきょろとさせる小夜。
「慣れないことして疲れたのか? なら、あとは俺がやるよ」
「あ……ぉ、お願い。その……見てるから」
「よし……頑張ってみるかな、小夜の歓迎祝いの意味も込めて!」
…………思えば俺は、誰かのために料理をするのは初めてだった。
*****
テキパキと作業を進める間、小夜がずっとこちらの動作を食い入るような、それでいてどこか熱っぽい目で見つめてきていた。
なんだか恥ずかしいな、こうも見られてると……それも小夜みたいな、こんな…………。
無意識のうちに小夜の容姿に目線がいってしまい、慌てて逸らしながら料理に戻る。
頭を振って気持ちを切り替えてみようとしたが、髪をまとめたりはしていなかったから料理中にはあまりよくないことだと気がついて俺は項垂れた。
「良矢……?」
そんな俺の様子に、小夜が声を掛けてくる。
「あ、いや……何でもない」
「そう……? が、頑張ってね?」
……応援とかされたら、変なことを考えてた自分がなんだか恥ずかしくなってきたな……。
とりあえず、この恥ずかしさを早く終わらせたくなった俺は急いで残りの作業を進めた。
小夜にテーブルの掃除を任せる間に二人分のシチューを器によそう。彼女に茹でてもらったほうれん草はここで投入。
「よし、出来たな……完成だ!」
音がしたので見てみると、小夜が拍手をしてくれていた。
「お疲れ様。……美味しそうね」
「それじゃあ食べるか。頂きます」
「ほうれん草農家の人に全霊の感謝を込めて……頂きます」
なんだよそれ!? 贔屓にも程があるだろ!? ちょっとくらい俺への感謝とか無いのかよ!? ……いや、別に期待とかそういうのじゃないけどさ?
俺はそう必死でツッコみたくなる衝動を心のなかに留めた。たぶん今のはボケとかじゃなくて本心だろうし。
…………意外と小夜は天然なんじゃないか?
「それにしてもこのほうれん草、なかなか美味いな……」
俺が素直な感想を述べると小夜が自慢げに腕を組んだ。
「当然よ! この時期のこの子達は冬の厳しい寒さの中で育った強い子なんだから!」
『この子』って……愛がひしひしと伝わってくるな。
……それにしても腕を組んでるせいでちょっと胸が押し上げられて形が……けしからん……!
じゃなくて!? ダメだダメだ!? なにか別の事を……!
俺はわたわたと焦る。とその時俺の記憶の底から天恵のように知識が湧いてきた。
「き、聞いたことあるな。確か『寒締め』っていう作業か? 低温環境のストレスによってより強い成長を促す農法……だったっけな」
なんとかスラスラと言葉が出てきてとりあえず俺はひと安心。
「あら、詳しいのね……意外に」
「だから意外は余計な?」
「でもよく考えると面白いわね、それって……」
「どういうことだ?」
「だって……まさに今の私達みたいじゃない?」
「……ははっ、そう言われると、確かに違いないな」
俺たちはどちらも苦笑いをする。
過酷な環境に放り出されて、それでも何かしらのスキルを身に付けた俺たち。
こんな言い方では小夜が怒るかもしれないが、俺たちの境遇ってほうれん草レベルの話だったんだな。
「…………ごちそうさま、ありがと良矢。……とっても美味しかったわ」
小夜が食器を手にテーブルを立つ。
俺はそれに呆然としながら『お、お粗末様』と答えるのが精一杯だった。
……不意打ちで感謝してくるなんて、卑怯じゃないか?
*****
「……一つだけ、貴方に話しておかなきゃいけないことがあるの」
食後の片付けも終わって一段落しているところで小夜の声がする。
それは幾分真面目な響きで自然と俺も居住まいを正してしまうようなものだった。
「どうしたんだ? これからのことについてとかか?」
「……微妙に違うかも」
……何だろうか?
とりあえず目線で先を促すと、小夜は頷いてその口を開いた。
「えっとね……実は私……人間じゃないの。あ……ツッコみは無しでお願いね?」
さすがに冗談を言っている顔には見えない。それでいてハイそうですかと信じられるわけでもないが……。
俺が黙っていると小夜がこちらを見ていた。
どうやら返事がないのが不安だったようだ。
「わかったから、とりあえず続けてくれ」
「うん……。良矢は、ヴァンパイア……こっちだと吸血鬼の方がいいのかしらね……って知ってる?」
「……まあ一応。空想の中でだけど。…………話の流れで言うと、小夜は吸血鬼だとでも?」
「ええ、そうよ。……って言っても人間の血が私たちの生命維持に必要な体質で、それを摂取するための力……まあ牙とかね。あとは血中の、人体に悪影響を与える物質への抗体とか……を持ってるってだけ。他に大きく変わった所なんて…………そんなに無いわ」
突然の告白に、出鱈目なことを言っている雰囲気も小夜の頭がおかしい、なんてこともないのはわかるんだが……、
「……どうにも、なぁ……いまいち実感が湧かないと言うかなんと言うか……にわかには信じがたいな」
そう俺が言うと、小夜は少し眉を下げた。
「あ……ごめん、そんなつもりじゃ……証拠とか、そういうのがないからさ……?」
俺が謝ると、小夜はこちらに寄ってきて俺に言った。
「じゃあ……試してみる……?」
確かにそう言った小夜の口には先ほど彼女自身が告白した通り鋭利な牙のようなものが見えた。
「元々吸血衝動が我慢できなくなったら良矢に頼むしかないんだし、今日はその、少しだけ。練習……みたいな感じで……お願い」
真剣に懇願され、しかも証拠が欲しいと言いだしたのは俺自身なので一概に断るわけにもいかなくなり、おずおずと俺は頷くことにした。
「じゃあその……首のところの服、ずらすわね……?」
小夜の細くて白い手が俺の首をなぞって肌色を露わにさせる。
「もし痛かったら、遠慮なく言ってね? えっと、頂きます……はむっ」
かぷ、といった感じに小夜の牙が首筋の皮膚に食い込む。
痛いことは痛いが、苦痛ではなく『痛気持ちいい』という表現がしっくりくる。
「良矢、大丈夫? 痛くない?」
小夜が心配げに声を掛けてくる。
「ああ、大丈夫だ。むしろ不思議と気持ちいいし、その……いい香りするし……」
「ぅぅ……そんなこと言われたら恥ずかしくなっちゃうじゃないのよ……」
「ご……ごめん」
「あ……ん、ちゅうっ、んくっ……」
血が出てきたのか、首を吸われる感触がした。
弾力のある唇がよりいっそう感じられて俺は否応なしに意識してしまう。
……っていうかこの体勢、よく考えると胸も押し付けられてる……っ!? 朝にも確かめた通りに豊かで柔らかくて、どうにかなりそうだっ……!!
「ふぁぁっ……♪ なにこれっ、良矢の……ちゅっ、ん、んくっ、はぁっ、美味ひい……っ♪」
熱に浮かされたような声で小夜が呟く。
俺を離すまいと小夜は俺に腕を回し、よりいっそう体を密着させてきた。
「ちょ、小夜っ……ぉわぁっ!?」
足までもが絡み付くようにしてとうとうもつれてしまい、俺は小夜に押し倒された形になった。
床に倒れた衝撃で首元から小夜の顔は離れていたが、俺の腰の上に丁度跨がるようにしている彼女の興奮が冷める気配はなく、再びゆっくりと顔を近づけてくる。
「小夜っ!? タイム、 タイムっ!! 落ち着いてくれって!?」
俺は慌てて小夜の頬を軽く手で何度か叩いた。
「ん……? あれ……?」
正気を取り戻したらしい小夜。自分が何をしていたのかいまいち理解が追い付いていないみたいだ。
「? ……なんか、堅いのが当たって……」
そして俺と目が合う。
「……とりあえず、俺の上から退いてくれないか……?」
「…………ひゃぁっ!? ご、ごめんなさいっ!?」
数瞬呆けたようにしてようやく今の状況に気がついたようだ。
半ば転がり落ちるようにして退いてくれた小夜はその後俺から目を背け、体育座りで頭を抱えていた。
「えっと……大丈夫か、小夜……?」
小夜の様子がさすがに心配になり、声を掛ける。
「大丈夫じゃないわよぉっ……!」
「え……!?」
「男の人のを飲むの、初めてだったんだけど……あんなに美味しいなんて知らなくて……ついあんなになっちゃって……。うぅ、恥ずかしいっ……。土があったら、還りたいぃっ……!」
「止めろ小夜それってつまり死んでるからっ!? 『穴があったら入りたい』を通り越しすぎだろっ!?」
「だってぇ……っ!!」
あまりに恥ずかしかったのか小夜の言動が少し幼児退行気味なのが可愛らしい。
「と……とりあえず今日はもう寝よう!? 小夜は空き部屋使っていいから! 明日は生活用具を買いに行こうなっ、おやすみ!」
「あっ……」
バタバタと自分の部屋に駆け込み、そのままの勢いでベッドに。早まっている自分の鼓動は今走ってきたからだと、無理に納得して俺は目を閉じた。
*****
チッ、チッ、チッ――
…………寝れるわけ無いよな? 普通……。
どのくらい時間が経ったかな。短かった気もするし、ずっとこうしていた気もする。
……ああ、くそっ。時計の音がやけにはっきり聞こえ始めた……、静かな夜に一回意識し出すと、止まらないんだよな……。
実際、一人暮らしを始め(させられ)てからしばらくは、家がやけに静かになったみたいに思えて同じように眠れなくなった記憶がある。
「…………ホットミルクでも作るか。飲んで落ち着けば寝られるだろ」
のそのそと起き上がり部屋を出て、台所に向かい牛乳を温める。
ゆっくりと飲むために居間へ。そこの電気を点ける前に、暗がりから響く声があった。
「良矢……?」
「小夜? 起きてたのか……?」
起きてたなら電気くらい点けててもよかったものを。
「あ、私はその……夜はもともと目が冴えるからあんまり眠れないの……でも、良矢はそうじゃないわよね。……私のせい、でしょ?」
「そんなこと……」
「ごめんなさい……迷惑よね」
……たぶん、電気を点けてなかったのは落ち込んでいたからだろうな。
「……付き合うよ」
「え?」
「さすがに一晩中とかは無理だろうけど、話し相手くらいになら俺だってなれる」
「……貴方には、わかっちゃうのね」
……やっぱりか。
「一人で過ごす眠れない夜ほど……淋しくて、つまらないものは無いよな?」
「でも、それじゃあ良矢が……」
「小夜は、俺が迷惑なのか?」
「……ううん、そんなことないわよ……! むしろ嬉しいけど……でもっ……!」
「じゃあ俺も、迷惑だなんて思わないよ」
「良矢……!」
「……そうだな、まずは俺が子供の頃に父さんから唐辛子プリンを喰わされそうになったときの話なんだけど――――……。」
長くなりそうな予感がした俺は、俺は温めたままでまだ飲んでいなかったホットミルクに、コーヒーの粉を沢山足してやった。
*****
「ん……。ぁ…………?」
目の前が燃えるように赤い。……って朝か。
はっきりとは覚えてないけどいつの間にか寝てしまったのか、俺。
「……それにしても、今日は冬なのに太陽が張り切って仕事してるな……朝日が眩しいってだけじゃなくて、こんなに暑……」
ふにっ
「……ふにっ?」
……さて、この状況をどう解釈すればいいんだ?
そりゃあ人が二人くっついて寝ればこの時期でだって暑い訳だよな。うん。
たぶん、寝てしまった俺を小夜が部屋まで頑張って運んでくれたんだろう。そこで何を思ったのか同じ布団に入り込んできた……ってところか?
その理由は置いておいて次に俺の手。小夜の体に於ける、へそ以上鎖骨未満の場所にある『ふにっ』という効果音にたがわぬとても柔らかいものを掴んでいる。
最後に、肝心の小夜。顔を見ると目が開いている。そしてしかもその目で俺を凝視している。
「お……おはよう、小夜」
刺激しないように手はそのままで、朝の挨拶を無難に行ってみる。
……というか、俺はこの手をどうすればいいんだ!?
などと困惑していると小夜の手が俺の腕を包み、そしてゆっくりと彼女が口を開いた。
「ありがと……よしや」
「腕を折ったりするのは勘弁っ!? ……って、へ?」
てっきり昨日の帰りがけに言っていた様に男性機能を停止させるべく俺を痛めつけるのかと思ったんだが……。
「夜のあいだ……いっしょにいてくれて、 うれしかった。 おはなし、も、たのしかった。 ……だから、 ありがと」
このゆっくりした感じ……眠たい方の小夜か? もしかして、俺にお礼を言うためにずっと起きてたっていうのか?
「小夜、お前……」
思いがけないところで感謝をされ、驚きが俺を支配する。
なんとか言わなければと俺は小夜の名前を呼んだのだが……。
「……すぅ……」
……聞こえてきたのは、穏やかな寝息。
「……って、もう寝たのか、全く……『どういたしまして』くらい聞いてからでもよくないか?」
自然と俺の口は笑みの形を作る。小夜のことが堪らなく愛おしいようなものに見えた気がしたからだ。
……朝ごはん、作ってやるか。
そうして俺はベッドから起き上が――……
「……ん?」
結論から言うと、俺は起き上がれなかった。なぜなら俺の腕が小夜にホールドされて動かせなくなっていたからだ。
このままだと……俺の精神衛生上よくないっ!? ヤバイって、コレは……!?
腕に力を少し込めて、脱出を試みてみる。
「あっ……! んぅ……」
そんな声を出されたら、無理です。
俺は……小夜が起きるまで、もしかしてこのままなのか?
ここまで起きていたらしい小夜を起こすのはさすがに駄目だ。せめてもう少し寝かせておいてあげたい。
「くぅ…………ふゅ……」
ごろん
「っ!?」
寝返りをうった小夜の顔が目前に迫っていた。俺の腕はその拍子に解放されていたのに身体が硬直してしまって動けなくなる。
その隙に小夜は俺の頭を抱くように、体を寄せて腕を回してきた。
「小夜っ……!! 俺は抱き枕とかじゃないって! む胸が、当たって……っ!?」
俺の抗議はしかしさすが小夜様、どこ吹く風である。
ここまでされると俺も諦めがついてくるものだ。
「……昼こそは、買い物だからな……?」
男としての至福に包まれながら俺ができたことといえば、変な癖がつかないように小夜の長い黒髪を梳いてやることくらいだった。
……だから何度も言うが……寝れるわけ無いよな?
*****
買い物をするにあたって改めて自分の口座を銀行で確認してみると、ちゃんと初めの苦労を見越してか俺一人の時と比べるとおよそ二・五倍くらいの生活費が振り込まれていた。
昼にさしかかる頃に起きてくれた(寝惚け半分だが)小夜と二人、服屋や雑貨屋を回る。
「よしや、よしや。 ……これと、 これ、 どっちが、いい?」
小夜にちょんちょんと肩をつつかれたのでそちらを向くと、かごを床に置いて白と黒、二枚のシャツを持った彼女がこちらの様子をうかがっていた。
「白か黒かか……。 色で言うと小夜には黒い方とか似合うんじゃないかな? 何というか、雰囲気的にさ」
俺がそう答えると小夜はなにか納得した様子を見せ、黒い方のシャツをかごに入れる。そしてそのままかごに入れていたらしい白いヒラヒラしたものを取り出して、パタパタとランジェリーコーナーへ走っていった。
「…………って、ちょっ、小夜!? 俺はあくまでそのシャツのことを言ったんであってだな!? いや、待ってくれ!?」
反応が少し遅れたせいで俺の声は届かず、かといって大声で『下着まで黒がいいとは別に言ってないぞ!?』などと叫ぶのは俺が社会的に死んでしまうから不可能だ。
……これは、不可抗力なんだぁぁぁぁ!!!!
俺の心の叫びはしかし、現実世界との境界面で全反射したのだった。
……などと悶着がありつつもなんとか一通りのものが揃った頃には、辺りはすっかり赤く染まっていた。
「小夜、ご飯どうする? このままどこかで食べて帰るか? 幸い資金はあることだしさ」
俺が聞くと、小夜はこっちを見てしばらく考え事をしているようだった。
やがて言葉が彼女の口から発される。
「……めいわく、 じゃ、ないなら……、 よしやのが、いい」
「……そっか」
「……きっと、 どこのお店にいく、 よりも、おいしい……、 から」
そんなことを言われ慣れていない俺はなんとも言えない気持ちになった。
「小夜……ちょっと俺の料理を過大評価しすぎだろ、うん……」
「……だって、 よしやが作ってくれたもの、だから。 ……だから、おいしい、 の」
「っ…………!?」
「よしや……? かおが、赤い、 よ?」
……これは夕日のせいでそう見えるんだ。そうに違いない。
発しかけた言い訳はしかし、小夜の細い手が俺の手と繋げられたことによって不発となった。
存外ひんやりとしているその手の感触にしかし俺は身体が火照ってきてしまう。
そうしているうちに、小夜が本当に魅力的な笑顔でこちらに語りかけてきた。
「……ほうれんそう、買いに、 いこ?」
「は、はははっ……」
……先程の興奮はどこへやら……。俺はもはや繋がった手を見ても、苦笑いしか出てこなかった。
小夜に手を引かれるままに俺は移動を続ける。
でも……なにか大事なことを忘れてる気がするんだが……。
ふと俺がそういった思いにとらわれ始めた瞬間、小夜が立ち止まって言った。
「よしや、 そういえば……『しょくりょうひんてん』、って、どこにある ……の?」
「……そうだよな!? それだよ俺がさっきまで不思議に思ってたのは!! お前こっちで生活始めてたぶんまだ二日だよな!? 完全に俺もうっかりしてたよ!!」
俺がまくしたてながら小夜を見ると、小夜は首をかしげ、ゆっくり舌を『ぺろっ』と出した。
「無理にドジっ娘アピールみたいなことしなくていいから!? こっちだ、こっち!!」
幸いなことに概ねの方向は合っていたので今度は俺が小夜を引っ張っていく。
一度繋がれた手を離すには、この季節は些か寒すぎた。
*****
「小夜、今日は何を作ろうか?」
食料品店にたどり着き、小夜に今夜の希望を聞いてみる。
「よしやの、好きなもの、が、 ……いい」
「いいのか? なら、パン粉とチーズと……」
「ほうれんそう……」
付け加えるように小夜が言うのを聞いて俺は苦笑い。
「心配しなくても入れるって。昨日のシチューをドリアにするつもりだからさ」
「……たのしみ」
「ああ、任せろ」
手際よく材料をカゴに入れていくと、途中にある栄養食コーナーであるものが目に入った。
鉄分補給飴か……買っておくか。
血を吸われる側の、他ならぬ俺のために。
「あら、良矢君? あなたも夕御飯のお買い物?」
飴をカゴに放り込むと同時、後ろから掛けられた声に俺は振り向く。
「あぁ……明葉先生、こんばんは」
この店は明葉先生もよく利用するようで、ここで会うのは何度目だろうか。
「こんばんこんにち、おは」
「その挨拶禁止されたからって、言う順番の問題じゃないからな!?」
「……よしやの、いじわる」
「なにちょっと気に入ってるんだよ!?」
顔を膨らませてこちらを見てくる小夜。
半目なのはまだ眠いからだろうな。
「閨待さんも夕御飯の準備を?」
俺の隣にいるからか声を向けられた小夜は首を振る。
「よしやが……、作って、 くれる。……です」
「え? それって……?」
先生が俺を見る。
『良矢君? いったいどういうこと? ちょ〜っと説明してくれるかなぁ?』
って言ってきてますよね? 目が。
誤魔化せそうにないんですけど。
「えっと……ちょっとした縁で、ウチに住むことに」
「えええええっ!? 良矢君、その歳で早くも専業主夫デビューなの!?」
「ツッコむところソコですか!?」
普通は担任の先生として同棲のことをツッコむもんですよね!?
「いつかやると思ってたけど、こんなに早いとは思わなかったわ……」
「夕方のニュースで声を編集されて放送されそうな台詞を言わないでください!?」
「ちゃんと奥さんの身体に気を遣ってあげてね? 今の時期はデリケートなんだから。まあ良矢君なら食事面は大丈夫ね……」
「少しは俺の話を聞いてくださいよ!?」
よくよく考えると俺の周りでマトモな人間って少なくないか……?
陽太はたまに人間の限界を越えるし、明葉先生はアイコンタクトが進化しすぎてテレパシー使いみたいになってるし、尾根倉先生はなんと言うか……盛りっぱなしだし、小夜に至ってはもはや人間ですらない。一番マトモなのは……委員長の明石かな。
「あ、私そろそろレジだから。良矢君、閨待さん、また学校でね」
手を振って別れる際に先生が
『頑張ってるみたいだけど、大変でしょう? 助けが欲しかったらいつでも力になるから』
と言ってる気がした。
もちろん目で。
マトモじゃないのは確かだけど……それでも皆、やっぱり良い人なんだよな。
*****
家に帰り、夕食の用意を始める。
「小夜、夕御飯作るからこっちに来てくれるかー?」
「わかったわ、すぐ行く。……でも今日はドリアなんでしょ? ご飯にシチューをかけてチーズとかを載せて焼くだけなんじゃないの?」
「ああ……確かに間違ってはないけど、少し工夫をすると食べやすくなるんだ」
「工夫?」
「ほら、この耐熱皿にこうやってバターを塗っておく。そうしたら焼き上がりの風味も良くなるし何より米粒が焦げ付かなくなるんだよ。手抜き料理ってことは、逆に考えると手を入れることができるってこと」
これを教えるのが、今小夜を呼んだ理由だ。
「奥が深いわね……」
「やっぱり慣れていくしかないよ。長い付き合いになりそうだし、焦らなくても俺は構わないから」
「な、永い付き合いってそんな……まだ心の準備とか私っ……!」
小夜は急に顔を赤らめた。
……俺、何か変なこと言ったっけ?
「……私の料理、いつか良矢に気に入らせてみせるわ……!」
「お……おぅ……」
しばらくして発された小夜の言葉の剣幕に少々たじろぎながら俺は応える。
なんだか噛み合ってない気がするが、料理に関心を持ってくれるのは良いことなので何も言わないでおくとしよう。
「あ、そうだ。ついでに明日の弁当のおかずも作っておくか。小夜もそれでいいよな?」
「良矢が作ってくれるの? 迷惑じゃない?」
「ああ、一人増えたくらいじゃ変わらないって」
「……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわね」
小夜の顔がふっと綻ぶ。こういう顔を見れるとやっぱり料理ができて良かったって思うな……。
…………“良也くん、その歳で早くも専業主夫デビューなの!?”
ふと明葉先生の言葉がリフレインする。
専業主夫……それってつまりその、俺が小夜の……ってわけだよな…………!? うわ、急に恥ずかしくなってきた……!
よく考えたら今俺が作ってるのって愛妻弁当(『愛する妻からの弁当』じゃなくて『愛する妻への弁当』の略だが)みたいなものじゃないか!?
「わぁ……やっぱりさすが手慣れてるわね」
「まっ、まあな!?」
そんなことを考えてる間に小夜が体を寄せてこちらを覗きこむものだから声が上擦ってしまった。
「な、何変な声出してるのよ……?」
「あ、いや……何でもないんだ」
……こんなので俺は二人暮らし、やっていけるんだろうか?
*****
「小夜、俺はそろそろ寝るけど、どうするんだ?」
「……良矢の部屋で勉強しちゃ、駄目かしら?」
「な、ぇっ!? その……何故?」
「…………寂しい、から」
「……でも俺、寝てるだけだぞ?」
「それでもいいの。……お願い」
まあここまで言われて断れるわけもなく。
俺はベッドに入り、小夜は俺の机で勉強を始めた。
「やっぱり勉強はちゃんとするんだな?」
「学校で寝てた分の復習がメインね。あとはその……今はちょっと調べもの、とか……」
「調べもの? どんなことを?」
何の気なしに訊いてみたが、小夜の方は慌てた様子で机の上の資料(?)やらを片付けてしまった。
「良矢にはまだ絶対に秘密っ。……ほらっ、貴方は早く寝なさいよ!」
「気になる感じだなぁ……? まあ眠いから言う通りにするよ。小夜、お休み」
「うん……お休み」
――――しばらく経ってまどろみかけたところで、小夜がこちらに近づいてくる気配を感じた……ような気がした。
「ほんとに……ありがとうね、良矢……」
俺の意識が途切れる寸前、長い黒髪が俺の顔を覆うように被さっていく、こそばゆくて、なんだか暖かい感触を感じた。
*****
朝。
「んーー……っ!」
俺は思いきり背伸びをする。隣で小夜が布団に入っているから暖かくてベッドから出る気が起きな――、
「って起きるわ!? なんで昨日に続いて今日も隣で寝てるんだよ!?」
小夜を見ると、存外彼女の眼はぱっちりと開いていた。
「それはその……そう! 良矢が寒そうにしてたから!」
なんだその明らかに言い訳っぽい言葉は。
それに小夜の口調からして今の彼女は『起きてる』状態だ。
何かあるな、これは……。
「よし……当ててやる。俺の血を吸ったんじゃないか? それでそのまま潜り込んだんだろ」
「うっ……」
「やっぱりか、全く……もしかして昨日もか? 言ってくれれば別に拒んだりしないって。ちょっとは俺を信じてろよ?」
「それはその、だって…………うぅ……」
これまでにないくらい小夜の顔が赤くなった。
何だろうか? この間の初めての吸血のことを思い出したのか?
「なんにせよ、とりあえず俺は制服に着替えたいんだが」
「へっ……? あっ、い、今出てくから!?」
ばたばたと音を立てながら小夜は出ていった。
焦ってるときの小夜って、中々見られない分可愛いな……新鮮だ。
――寝巻着を脱ぎ、制服に手をかける。
「そういえば血をまた吸われたのか……」
何となく首元に手を遣る。
「…………あれ? 新しい傷は、無い……?」
首筋にあるのは一番初めの一回目の時にできた傷だけだった。
小夜は俺の血を吸ったんじゃないのか?
「もしかしてさっきの俺、一人でペラペラと得意気に喋って……かなり痛い奴か?」
いや、でもそれなら何故あんな反応を小夜が取ったのかが説明できなくなるはずだ。
「痛っ……!?」
あ、今のは俺が痛い奴って意味じゃないぞ?
何だ……? あぁ、唇が切れて血が出てる。最近空気が乾燥してるのか? そうは感じないが……一応リップクリームでも塗っておくか。
特に何も考えないまま、俺はリップクリームを探すのだった。
*****
――キーンコーンカーンコーン……
休み時間の始まりを知らせるチャイムが響くと、小夜の周りに女の子の人だかりができ始める。
珍しく起きたままのこのチャンスに、先週聞けなかった質問が再び浴びせかけられていた。
そして男子はそんな女の子達の会話から断片情報を得ようと、それとなく様子を窺っているようだ。
俺は小夜の隣の席でそういった輩を横目に陽太と話をしていた。
「良矢は気にならないのか? 閨待さんのこと」
「……ちょっと色々あってな。それにしても小夜が起きてるなんて珍しいな……」
俺が一人ごちると陽太はニヤニヤと笑いを洩らした。
「『小夜』ねぇ……事情を聴きたいところだな?」
「……親同士の付き合いがあったんだよ」
「その割にこの前は初対面みたいな感じじゃなかったか?」
……この親友、なかなか鋭いところを突いてきやがって……
いい答えが見つからず何も言えないまま少し時間が過ぎていく。
ちらと小夜の方を見ると周りの女の子はもう残り一人にまで減っていた。
……あれは明石か。あの人はあの人でけっこう鋭いからな……
「ねーねー? 小夜ちゃんってどこに住んでるの?」
げ……小夜の方も割とピンチだ!?
今までの質問はうまくあしらっていたようだったがこの質問はキツかったのか、小夜がこちらを見てくる。
「んー? 何で黒須架くんを見てるの? ……あ、わかった! 黒須架くんの家に住んでるんでしょっ!」
鋭いなんてモンじゃねぇーーー!?
なんなんですか委員長!?
「ははっ、いいんちょー、さすがにそれはないだろー? ってかそんなこといいんちょー的な立場のやつがそんなこと言って良いのかよ?」
もちろん陽太も聞こえていたようで、二人の会話に参加し始めた。
「えっと……ぁぅ……」
……小夜、かなり焦ってるな……
「陽太くん……あたしにも『明石 日菜』って名前があるんだから『いいんちょー』じゃなくてちゃんと呼んでよね、もう……」
「ごめんごめん、悪かったよいいんちょー」
陽太はあくまでからかい続ける。ってかコイツら意外と仲良いよな。
「あたしはただの委員長キャラで終わる気なんて無いんだからねー!?」
「いや、明石!? 誰に言ってんだよそれ!?」
「いや、読者サービス? ってやつかなー、と」
「サービスなんか何もしてねぇよお前!?」
……ってやばい、俺も会話に加わってしまった!? くそ、俺の馬鹿! これじゃあ小夜と同棲してるのがバレるのも時間のもんだ――――
「……黒須架くん、そういえばさっきのあたし達の話聞こえてたんでしょ? 隣の陽太くんが聞こえてたくらいだしさ」
「そ……それがどうしたって?」
「……なんでツッコんでこなかったのかなぁ?」
「あっ……!?」
「いいんちょー……折角俺が気付かないフリしてやってんのに、言っちまうんだもんなー」
って陽太、お前もか!?
「次いいんちょーって呼んだらぬっ殺すわよ。……それで、どうしてかなぁ黒須架くん? 吐いて楽になっちゃおう?」
「おー恐っ。……ま、冗談はさておいて今回ばかりはちょっと俺も気になるぞ良矢?」
「う…………」
……どうやら逃げ場は俺自身が塞いでしまったようだった。
「良矢のバカ……」
「小夜……ごめん」
こうして同棲の件はすぐに陽太と明石にバレた。
さすがに二人とも、言いふらしたりするような人間じゃないのが救いか……。
*****
「しっかし、実際授業に加わってるとすごいな、閨待さん。全教科満点での編入学は伊達じゃないってか?」
「ああ……でもさ、元々割とデキる頭を持ってて夜寝ずに勉強をぶっ続けてたらアレくらいにはなりそうじゃないか?」
「えぇ……もしかしてソレ、マジ話だったりしちゃうの黒須架くん?」
帰り道に陽太と、何となく一緒になった明石も参加して駄弁る。
「少なくとも、俺より先に寝たところを見たことはないな。たぶん、ずっとああいった生活が続いてるんだと思う」
吸血鬼だから夜中に目が覚めるんだろうな…………とは間違っても言わないが。これだけは何としても隠し通さなきゃな……。
「そりゃあ学校で眠くもなるだろうな……今日はなんだか違ったみたいだが」
陽太が驚き半分、呆れ半分のような声音で言った。
「ああ……そうみたいだな」
今日は小夜、ホントにずっとハッキリ起きてたな。昨日よく寝れたんだろうか? それでも勉強してたみたいなんだがなぁ……?
「実は黒須架くんが何かしたんでしょー。睡眠薬とか飲ませてさ? 無防備な小夜ちゃんにあんなコトやこんなコト……」
「してないし薬も持ってないわ!? って言うか明石も女の子なんだから自重してくれよ!?」
「そうだぞいいんちょー、折角可愛いのが台無しになるぞ?」
……恐らく陽太の思惑は『いいんちょー』の地雷を敢えて踏むことで明石の言葉の矛先を自分へと向けて俺をさりげなく庇う、というものだろう。
長年の付き合いで何となくわかるけど、時々お前が恐いぞ陽太。
……まあ、潔くぬっ殺されてこい。頑張れ陽太、庇ってくれてサンキューな。お前の事はずっと忘れないよ。
「……って、あれ? 明石?」
とっくに陽太がぬっ殺されてもおかしくないはずなのに、明石は動いていなかった。
「か、かわっ…………」
わなわなと明石が呟く。
「川……?」
近くを流れる川なんてあったか? と周囲に俺は目を向ける。
「うにゃあああああ――っ!?」
「うぉっ!?」
突然の大声に驚いて音源の方を見ると、明石がものすごい早さで、逃げるように走っていた。
「あああぁぁぁぁ――……」
「ドップラー効果!? 嘘だろ!?」
無駄に物理の実験が行われ、そのままの勢いで明石は見えなくなった。
「一体なんだったんだ……なあ、陽太」
「あいつ、もしかして……」
「陽太?」
「…………いや、何でもない。俺の事は良矢達二人がどうなるかを見届けてからじゃないと、安心できないしな」
「何のことだ?」
「あぁ、お前に頑張って欲しい、ってことだよ」
「俺が? ……すまん、サッパリだ」
俺がそう答えると、難しい顔をしていた陽太はそれでフッと顔を綻ばせた。
「お前はそれでいいさ、良矢」
「何だそれ?」
「まあ気にすんな、お前ならなるようになるって。……っとそうだ、閨待さんはお前の家に住んでるんだろ? 一緒に帰らなくてもよかったのか?」
「小夜、図書室に用があるってさ。だから先に帰っててくれって」
「さすが、熱心だな……」
感心したように陽太が言う。
「そうだな……すごいと思うよ、ホントさ。……じゃあ、夕飯の材料買うから俺はここで。またな陽太っ」
「おう、また明日」
そうして一人でそのままいつもの店に向かう。
……小夜も頑張ってることだし、俺は俺の役割をしっかり果たすとするか。
*****
その一方、学校の図書室では――――――――、
ドアを開けて教室に入ると、例の挨拶が私に向けられた。
「おはこんにちこんばんはっ、我が図書室へようこそ小夜ちゃんっ!」
……良矢もいないし、良いわよね。
「おはこんにちこんばんは、先生」
「……………………」
無反応。
……あれ? もしかして私やっちゃった!? え、どうしよ、ネタを振っておいて白けるパターンの人なの!?
「……………………っ同士よっ! わあぁぁん、先生にソレで返してくれたの小夜ちゃんが初めてだよぉっ……!」
かと思ったら感動を溜めていただけみたいで、先生は私に飛び付いてきた。
「ちょ……あっ!? む、胸を触らないでくださいっ!?」
「そこに山があれば登っちゃう、山男と一緒なのよー、しょうがないでしょう?」
「先生は女ですっ! もう……」
この先生、予想以上に疲れるわね……。
「それで、私の初めての相手になってくれた小夜ちゃんは何の用でここに?」
「ヘンな言い方しないで下さい。その……料理の本を探しに」
「へぇ、よっしー君になにか作ってあげるの?」
「なっ、何で解るんですか!?」
図星を突かれ、私はつい焦ってしまう。
「ふふ……」
先生が不敵に笑う。
「先生……?」
「私、何でもお見通しよ? もちろん、あなたのこともね……」
「それって、どういう……」
先生が妖しげな雰囲気を発しながら言うのに、うっすらと寒気を背すじに感じた。
「バレバレね。ヴァンパイアにはヴァンパイアの魔力みたいなのがあって、それが小夜ちゃんからうっすらと感じるもの。今日は珍しく『起きてる』のね? 家でよっしー君と何かあったのかしら?」
「っ!? 先生はまさか、私たちと同じ……!?」
言いかけた言葉がわかっているのか、首を振って否定する先生。
「ヴァンパイアじゃないわ。しがない淫魔『サキュバス』よ」
淫魔……なんだか名前からしてもう、嫌な感じね……。
そんな私の感情ですらお見通しなのか、先生は言葉を変えた。
「そうね……真実の愛の伝道師と呼んでもらいたいわ」
……胡散臭さが増した。
「それは(どうでも)いいですけど……どうして一緒に住んでることまで知ってるんですか?」
「よっしー君を尾行してたらあなたと一緒に家に入ってくんだもの。何かあると思うでしょ普通?」
「どこが真実の愛の伝道師なんですかこの変態教師!? 『何かあると思うでしょ普通?』なんて、一般論みたいに常識外のことを言わないでください!?」
それに先生は少し目を見開いて言う。
「……小夜ちゃん、よっしー君にツッコみが似てるわね。……同棲のおかげって訳かしら?」
そういった先生の顔は、今度は少し悲しげで。
私は何を言うべきなのかわからなくなった。
「……まあ、愛しのよっしー君はどうやら小夜ちゃんに奪われちゃってたみたいだし、真実の愛の伝道師として応援してあげる。……料理、作ってあげるんでしょ?」
そこで私はようやく当初の目的を思いだした。
「あ……そのじゃあ、鉄分が効率よく摂取できる料理の本、とかありますか?」
私がそう聞くと、しばらくの間があって先生は答えた。端末などを一切使用せずに頭の中で答えを導きだしている辺り、司書としては立派なのだと少し感心する。
「…………ごめんね、今は置いてないの。しばらくすれば貸し出せるようになるからこの『気になるカレのハート、いただきます♪ 料理が苦手な女の子必携の愛情弁当69選』で我慢してもらえる?」
「何でそんなのはあるんですかっ!? ……無いならもうソレでいいですけどっ」
「『閨待 小夜』っと。はい、毎度ありがとうねー! ってお金とかとったりするわけでもないのにおかしいかしら? ……あ、そうだ小夜ちゃん、本のお詫びと言ってはなんなんだけど……飴をあげるわ」
「なんか唐突ですね……変なものだったら承知しませんよ?」
なにせ『真実の愛の伝道師(自称)』様が持っている飴だから、これくらい疑ってかかるのが当然ってものよね。
「いやー、ネット通販で『眠気覚ましに!』って謳われてたからなんとなく仕事に便利かな? って買ってみたんだけど、あんまり美味しくなくて」
私はつまり厄介払いの器ってこと!?
「まあでも、眠気覚ましなら……うん、一つくらいなら貰ってもいいです」
せっかく本を借りたんだし、どうせなら今日起きてる間に読みたい。
「はいはーい。どうもありがと、助かるわ〜!」
先生は嬉々として私の手に、綺麗に包まれた飴の袋を一つ握らせた。
「じゃあ、私はこれで。どうもありがとうございました、先生」
「また来てねー? 今度来てくれた時はちゃんとその本あると思うからー!」
軽く返事を返してドアをくぐり、私は帰路についた。
……思ったより時間かかっちゃったわね。今日の晩御飯は何かしら? まあ、良矢が作ってくれた料理ならなんだって美味しいに違いないわね。私もできるだけ手伝えると良いんだけど……
「……ふふっ」
私の口から笑いがこぼれる。
良矢と出会ってからは、食事自体がとても楽しみになっている私だった。
*****
ガラ……、タンッ
図書室のドアが閉められるのを見ながら、我慢していたものを吐き出すように私はため息を軽くついた。
「行っちゃった、わね……」
当然だけど残ったのは、私一人か。
「ホント参っちゃうわよね、二人共には。……よっしー君だって昼休みに私のとこに来て『鉄分が効率よく摂取できるレシピ本、たしか俺いつか先生に頼んでましたよね? ちょっと必要になったんで借りていきます』なんて言ってくるんだし。……妬けちゃったわ」
周りを本に囲まれた中、まるでそれに愚痴を聞いてもらうみたいに言葉が漏れるのを私は止められなかった。
熱っぽい息とともに出した声が震える。
「大人の私が身を引くのが一番よね、うん……。 結局、片想いのままで終わっちゃった、かぁ」
さっき小夜ちゃんにもあげた飴を一つつまみ、口に含んだ。
通販で買った、にんにくエキスの入った飴は少し辛くて、とても私好みの味なんかじゃない。
……別に人間や『サキュバス』の私が食べても何も起こらないけど『ヴァンパイア』はにんにくの成分が体に入るとちょっと『おかしく』なっちゃうからね……小夜ちゃんはいったいどうなっちゃうのかしら?
口内で飴玉を転がしながら私は想像した。
「…………やっぱり、美味しくない。それに辛いわ。……涙が出てきちゃう、くらい……っ!!」
ホント何やってるんだろ、私……同棲がわかったあの日、小夜ちゃんのためだけにこんなものまでわざわざ買って……っ。
目から零れる滴はとめどなく。堰を切ったみたいに溢れてくる。
「うっ……ひっく、うぁぁぁぁぁぁんっ…………! わたし、私は大好きだったからね? よっしー君っ……!!」
いつもと違う、本気の告白。言わなきゃいけない人に伝わることはなく、教室の絨毯や本の背表紙に吸い込まれては消えていく。
……この想いは、飴玉と一緒に溶かしてしまおうと決めたの。
けど……だから、せめてもう少しだけ。
そうして私は美味しくもないこの飴を、できるだけ大切に、時間をかけて味わった。
……途中から辛味は変わってきて、塩辛くなったわ。
*****
「〜〜♪」
今日の夜ご飯は蕎麦に決めた。せっかくなのでそば粉を買って、生地から作っているところだ。
自分でも不思議なほど毎日が楽しいと感じるのは、どれだけ味を追求しても一人では決して得ることのできない『団欒』って調味料が俺の家に増えたからか?
なんにしても、独り暮らしの時よりもご飯が美味しくなってるのに違いはないな。食べるものが美味しければそれだけ生活の楽しみも増すものだ。
鼻唄混じりに作業を進めていると玄関のドアが開く音が聞こえた。
「ただいま良矢。……今日はお蕎麦なんだ?」
帰ってくるなり俺の近くに来て、空いたそば粉の袋を見ながら小夜が言う。
「お帰り。探していた本は見つかったか?」
そう聞くと小夜は『ううん』と首を振った。
長い黒髪がそれに合わせて流れるように動き、周囲に小夜の香りがフワッと広がる。
「尾根倉先生に訊いたら誰かが借りちゃってたみたい。でもお詫びってことで飴貰えたわ。……代わりの本も一応、紹介してくれたし」
なぜか少し恥じらいがちに小夜が答える。
「ちなみに、結局なにを借りてきたんだ?」
「絶対に! 秘密っ!」
「ぉ……おう、わかった、詮索しないから……!」
そんなに俺には言えないようなものなのか……!?
「……まぁ、別に私の本意から大きくは外れてないから『アレ』でもよかったのはよかったのよね……」
独り言ともなんとも言えない呟きを発する小夜。
「まあ何もなかった訳じゃないだけ良かったってことだな」
「でも、飴の方は眠気覚ましってだけであんまり美味しくないそうよ」
なに都合よく小夜を利用してるんですか先生!? 責任持って自分で食べてくださいよ!?
そう心の中で尾根倉先生にツッコんでから、俺は思いだす。
「そうだ、この前買っておいた鉄分補給飴があるから、それと一緒に舐めればマシなんじゃないか?」
そう言うと、小夜も納得したようで。
「それいいかも。後で一粒そっちも貰っておくわね?」
「ああ。テーブルの近くにあるから」
そして小夜はそのまま居間を通り、洗面所に手を洗いに行った。
「小夜ー、手洗いが終わったら、今から生地をこね始めるんだけどやってくれるか?」
そうすると俺は副菜に取りかかることができるし。
「大丈夫なの? なにか難しかったりしない?」
洗面所から不安げな小夜の声がする。
「そこまで本格的なものを期待してる訳じゃないからいいって。なにかあったら俺もアドバイスするしさ」
そう言ってしばらくして小夜が居間に戻ってくる。
……が、台所のこちらに来る様子がない。
彼女が見る先には、テーブルの上に置いてあった本。
「良矢、これっ……」
「ああ、昼休みにちょっと俺も借りに行ったんだ。偶然先生に昔まとめて色々頼んでたのを思い出してさ。これから必要になるかと思ってな」
言った俺を、驚いた目で小夜が見てくる。
「私、こんな本を探してたのよ! 良矢に何か作ってあげられたら、って……!」
「え……?」
俺は呆気にとられて聞き返す。
今、小夜はなんて言ってきた?
「あっ……!? い、今の無しでお願い!?」
頬を薄桃色に染めながら否定する小夜が面白くて、俺は少し彼女をからかいたくなった。
「……やっぱり蕎麦は俺が作るから、小夜にはその中に載ってる副菜をお願いしようか」
「ええぇっ!?」
いつもと違ってあわてふためく小夜。それを新鮮な気分で俺は見る。
「やっぱりまだ小夜には無理か?」
興が乗ってきた俺はさらに小夜を焚き付けてみた。
すると小夜は肩を震わせ、わななきながらゆっくりと口を開いた。
「…………やってやるわよ!? ビックリさせてあげるんだからっ!」
って変なスイッチ入ったっ!?
「貴方なんてその辺で適当に蕎麦生地でもこね回してればいいじゃない! 今に見てなさい私だってやればできるんだから!」
あ……、キレたな。なんと言うか、迫力が凄まじい。
黒髪を振り乱しながら俺をキッと睨むようにしている様は例えるならそう、盤若(はんにゃ)か。なんて可愛い顔をしている盤若なんだろうか。
主菜を作るのはこれで俺になったはずなんだが、今夜の注目料理は小夜のものになりそうだな。
などと考えている間に、小夜は料理の準備を始めていた。
ヘアゴムで髪をポニーテールのようにまとめ、いつもは髪に隠れている白いうなじが目に入る。
「……いやらしい目ね」
俺の視線に気づいた小夜が半目でこちらを睨んでくる。
「あ、いや! その髪型も案外似合うなって思ってさ!? それにそうやって髪をまとめてるのにも感心だし」
この前は俺がうっかりしてたけど、女の人はやっぱり髪長いと結構、料理に入っちまうんだよな。
『君の髪の毛なら喜んで食べるよ!』な紳士でもない限りそれはあまり好ましくないものだ。
「ふふっ、そうでしょ」
髪型が似合うと言われたからか、それとも感心だと言われたからかはわからないが、自慢げに笑う小夜。
……ちょっと小夜の好きにさせてみるか。
「じゃあ、そっちは任せるぞ」
「……うんっ。了解よ」
さて、俺は俺のできることをするか。って言っても別に俺も蕎麦職人とかではないから、さすがにただ生地をこねるくらいなんだけど。
生地を弄びながらも、俺はどうしてもつい小夜の方を見てしまう。
「えっと……これが小さじ1で、こっちは下味の……」
ぶつぶつと呟きつつ作業を進める小夜。
本と格闘しながらではあるが、その手つきは決して不安なものではなかった。
……これでまだ料理がたったの二回目とは思えないな。一回目なんてほうれん草茹でてただけだし。
後は俺の作業を横で見てた分の経験しか入っていないのに。
流石と言うか、飲み込みが早いのかもしれない。
改めて小夜の能力の高さを俺は感じたのだった。
「ねぇ、良矢」
蕎麦打ちも終わり麺を刻んでいたら、小夜が俺に話しかけてきた。
「どうした? 何かわからないことでもあったか?」
トントンと生地から麺を作る手の動きは休めずに俺が応えると、小夜は首を振って否定する。
「ううん、そういうことじゃないわ。……料理って楽しいわね、って言いたかっただけよ」
――そう言って笑う小夜が本当に綺麗で……。
俺の頭の中は一瞬真っ白になった。
「こうして二人で作業してたら、『ああ、私、独りじゃないんだ』って思えて。別に料理じゃなくてもいいのかもしれないんだけど……ね?」
「小夜……」
「なんかヘンな気分だわ。……貴方と一緒にいるだけで、楽しいの」
そして小夜は俺を見つめなおして、「おかしいかしら?」 と続けた。
「全然、そんなことない。俺だって今がすごく楽しいよ」
「そう……? それなら、私も嬉しいわ」
小夜の顔はほんのりと色づいていた。鏡は今確認できないが、たぶん俺も。
蕎麦を茹でるため平行して鉄鍋に沸かしていた湯の熱気に中(あ)てられた、なんて訳もないだろう。
――たぶん、俺は小夜のことが――……。
「良矢? 麺、茹でないの? もう沸いてるみたいだけど」
その小夜の声に俺は意識を思考の海から引き上げられる。
いつの間にか手元にあった生地はすべて麺に形を変えていた。
「あ、ああごめん、少しボーッとしてた……」
「もう……頼りにしてるんだから、しっかりしなさいよ?」
「ああ……」
意識を引き上げられたと感じたのも一瞬。
……どうにかしなきゃいけないな……。
再びなりを現した、身体の奥底にまで沈むような思考。
その中で普通に料理を完成させられたのは、奇跡と言ってもいいんじゃないかなと俺は思う。
*****
「これが小夜の作った……」
俺の目の前にあるのは、何が材料なのか判別もできない異形のモノ。
……などではもちろんなく、ほうれん草で包んだ小魚に甘辛い味をつけた、紛うことなき料理だった。
小夜らしいと言えば小夜らしい。
「た……食べてみてくれる?」
「言われなくても。頂きます」
ロールキャベツのようなそれは恐らく小夜独自のアレンジだろう。
本には単に『小魚の甘辛和え』としか載っていなかったはずだ。
ひとつ箸でつまんで口に運ぶ。小魚特有の歯応えと醤油砂糖ベースの甘辛ダレに、意外にも調和するほうれん草。これは美味かった。
「どうかしら……?」
「うん、美味しいよ。なんだか小夜の気持ちがこれに詰まってる感じがする。愛情が調味料とはよく言うものだな」
普通、ここまでほうれん草にこだわらなくてもいいだろうに。
ホント、並々ならない愛だよなぁこれ……。
などと思いつつ、半ば冗談めかして俺は言ったのだが、小夜はビクッと肩を揺らして反応する。
そして俺を見つめたあと、意を決したように小夜が口を開いた。
「……最初は全然気にしてなかった。でも、いつのまにか私にとってかけがえのないものになってたの」
へぇ……、小夜、昔はそんなにほうれん草好きでもなかったのか。
これは意外だ。
「あの味を知ってからはもう夢中になっちゃって……、夜の間にこっそり頂いちゃったりとかもしてたわ」
つまり、夜食までほうれん草になるくらい好きになったってことか。
「だから、一生懸命作ったわ。……もうついでに言っちゃうけど、料理の勉強を自分なりに進めてたりもしてたの」
なるほど、それでこれだけのものが作れたんだな。
小夜もやっぱりほうれん草をどう美味しくするかに余念が無いのかもしれない。
「熱心だな……。やっぱり(ほうれん草への)愛情の成せる技ってことか?」
そう言った俺の言葉に小夜は少し驚いた表情をしたあと、はにかみながら頷き返す。
「うん……だって私は良矢のことが好き、だから」
「うんうん、そうだよな。小夜はほうれん草のことが大好……って、俺!?」
一体なぜそうなるんだ!?
「ほうれん……え? 良矢は何のことを言ってるの……!?」
「いや、俺は料理の材料に愛着があると出来上がりも良くなってくるものだなって話をだな……!?」
俺は両手を振ってわたわたと否定を示す。
「そ……そんな紛らわしい言い方しないでよ!? 今の言葉をどれだけ私が……!!」
「え、えーっと……小夜、さん……?」
俺が声をかけると、小夜が自分の箸を持つ手をわなわなと震わせ、俯き気味なまま低い声で言う。
「……責任、取りなさい」
「へ……? な、何の?」
「私にこんな恥をかかせた責任よ」
「……どうやって?」
恐る恐る聞くと、小夜は震わせていた箸で俺の皿にあるロールほうれん草(今勝手に命名)をつまみ、そのまま俺の口辺りにまで近付けてきた。
「こうなったら良矢にも同じくらい恥ずかしい思いをしてもらうわよ……! ほら、く……口開けなさい」
基本的に明後日の方を向きつつも、ちらちらと俺の方をうかがいながら小夜が言う。
「う……!?」
つまりこれを小夜から食べさせられろと!?
と言うか、小夜の方こそ俺の方を見れないほど恥ずかしいなら責任がどうのこうのって別に意味ないだろコレ!?
「良矢……、むぅ…………『あーん』っ……!」
小夜の口から殺し文句とも言える魔法の呪文が唱えられる。そのあまりの威力に、俺は口を開かざるをえなくなる。
唾液を飲み込んで、一呼吸置いてから俺は覚悟を決めた。
「ごくっ……。あ……あーん……」
「えいっ!」
「んぐっ!?」
俺の口が空いたのを確認するやいなや、小夜はロールほうれん草を勢いよく俺の喉奥に突き刺してきた。
何というかもうコレ、ほうれん草というよりは『ほうれん槍』だろ!?
「ご、ごめんなさい!? 緊張しててっ。次は上手にやってあげるから!?」
……まだ続くのかよこれ!?
一つ目のロールほうれん草をなんとか嚥下した俺は、二本目のほうれん槍が飛んでこないことを祈りながら口を開く。
「はい、あー……ん。ね? 上手くできたでしょ?」
「んむ……、まあ今度は、な」
祈りが届いたのか、それは何事もなく俺の口に納まった。
「それで、その……美味しい?」
「さっきも言ったじゃないか……」
「だって、食べさせた後はこうして味を訊くのが作法、って……帰りながらちょっと読んだ本に」
「何の本なんだよそれ……じゃあ、まあ……その、なんだ、美味しい……よ」
それを聞いて、小夜はようやく安心したように息を吐いた。
……なあ、『愛情が調味料』なんて最初に言い始めた料理人さんよ。文句があるから聞いてくれ。
……小夜のことで頭が一杯になって、実際のところ味なんて全然わからなかったんだが?
*****
「…………」
俺の部屋のドア前に二人で立ち止まる。
『あーん』のやり取りからはだいぶ経ち、そろそろ眠りに入る人も現れ始める時間になるが、ここまで気恥ずかしいやら何やらでなかなか俺は小夜と顔を合わせ辛かった。
「……やっぱり、今日もここで勉強するのか?」
口をついて出たのは、そんな言葉。
「…………駄目?」
「……駄目じゃ、ないけど……」
「「…………」」
それきり二人とも押し黙ってしまう。
しばらくの間、俺はドアに手を伸ばすか伸ばさないかで迷った。
そうしていると小夜が口を開いて言う。
「……じゃあ」
「?」
「じゃあ、今日は勉強の方は……しないわ。そのかわり、ちょっと話しましょ? この前みたいに」
てこでも動かないわよ、といった雰囲気が小夜から発される。
「……俺の負けだ。わかった、付き合うから」
「……ありがと♪」
出会った頃に比べると信じられないほど甘い声を出して、小夜は部屋のドアを開けた。
そのままベッドの方へ向かい、小夜は腰掛ける。ギシ、という乾いた音がベッドから響いた。
「んっ、んしょ……良矢っ」
手でシーツの皺を延ばして俺を呼んだということは、隣に座れということだろう。それに従って俺も腰を下ろすと、先程よりも少し大きな音が響く。
「それで? 何を話そうか?」
気恥ずかしさは少し残ったままだが、隣の小夜に俺は訊く。
「じゃあ……唐突なんだけど、良矢は将来の夢ってある?」
「ホントに唐突だな……夢、夢か……このままいけば、俺は料理人になると思う」
その俺の答えを聞いた小夜は、頬を膨らませた。
「もう……進路相談じゃないんだから。良矢はホントに料理人になりたいの? まあ、腕に関しての文句は私だって無いけど……」
じゃあ何を目指すのか? と問いそうになってから、俺はふと気づいた。
「…………そうか……俺は、別に何でも良かったんだ。料理人になれなくても、何でも」
「それはそれで、どういうことなのかしら?」
小夜が首をかしげて言うのに、俺は答えた。
「多分俺は……見せつけてやりたいだけなんだよ」
「見せつける……?」
「俺をこうして一人にすることを決めたあの両親にだ。『あんたらの世話なんて無くてもこうやって社会に出てやったぞ』って、社員証でもコック帽でも突きつけて、言ってやりたいだけなんだと思う」
「良矢の……『修業』、ね」
思い出したように小夜が言う。
「ああ。だからそうだな、あえて言うなら俺の夢は『親から与えられた修業を乗り越えたい』ってところなのかもしれない」
そう言うと、小夜は優しく笑った。
「ふふっ、そうだとしたら……私の夢も、実は同じなの」
「じゃあ小夜も、『修業を乗り越えたい』が夢ってことなのか?」
「同じ夢。……同じなんだけど、でも……それでいて全然違うの」
今度は俺が首をかしげる番だった。
同じなのに、違う? いったいどういうことなんだ?
俺が目を白黒させていると、小夜が呆れがちに口を開く。
「鈍感なんだからもう……良矢、『女の子』がする『修業』って聞いて何を一番に考えるかしら?」
「そりゃあ、花嫁修ぎょ……う……、……あ」
料理や洗濯、掃除とかを練習したりする、アレだよな。
「ようやくわかってくれた……? だったら……お、お願いがあるの……!」
なぜか急にどもりながら小夜が言う。
「私の『修業』に……最後の最後まで……付き合って、くれる?」
「ああ、もちろん」
何も迷わずに俺はそう答える。
小夜の力になれるのなら、それに越したことはないからだ。
「えっ、そんな、あっさりっ……!?」
一方の小夜はというと落ち着きなく目線をさ迷わせたり、シーツに8の字を書いたりしていた。
「? いやまあ、花嫁修業って言っても、俺に手伝えるのは料理くらいのもんだけどさ。それでよかったら、いくらでも力になるぞ」
そう言って、俺はよろしくをするように手を小夜に差し出したのだが、小夜はその手の皮を強く摘み、思いきり捻ってきた。
「あっ、いたたたたっ!? ちょっ、小夜!? 何するんだよ!」
俺が小夜に抗議をすると、一応は捻っている力を弱めてくれた。
「良矢の馬鹿っ。鈍感も程々にしなさいよね!?」
「は……? え?」
俺が疑問しか出せずにいると、小夜はまくし立ててくる。
「わからないの!? 花嫁修業に最後まで付き合うってことは、その……け、けけけ結婚する旦那様が必要になるってことで……」
初めの頃の勢いはだんだんと無くなり、しまいには俯き気味になって話し始めた小夜。
長い黒髪の間に見える形のいい耳は、真っ赤になっていた。
「良矢に最後まで付き合ってほしいって、どういう意味なのか考えてっ……」
流石にそこまで言われて気がつかないほどに俺は馬鹿でも、鈍感でもなかった。
小夜が赤くなっている意味を悟り、とたんに俺も赤面する。
「つまり……プロポーズ、ってことか……?」
「ぁぁぁぁぁ言わないで恥ずかしいのよぉっ!!」
恥ずかしさを振り払うようにして頭を振る小夜を、俺はそっと抱きしめた。
「っ……!! 良矢……!?」
「……俺なんかで、よければ」
「……貴方がいいの。良矢じゃないと、駄目……っ!」
「ああ、わかった。お前の夢に、……ずっと付き合うから」
俺がそう言うと、小夜も身を寄せて、少し俺に体重を預けてきた。
「良矢ぁ……、ん、ふわぁぁぁぁ……っ。あはは……なんだか安心したらあくびが出ちゃったみたい」
「眠いのか?」
「ちょっとは眠いかしらね……でも、せっかくだからもう少し起きていたいし……尾根倉先生からもらった飴でも嘗めてみるわ」
「ん、わかった」
そうして小夜は飴を取りだし、嘗め始める。
「う……なんだか、すっごく微妙な味…………ん、ぅうっ!?」
少しして、急に小夜の様子がおかしくなった。
それほどまでに美味しくなかったのだろうか!?
「小夜、ほら、もう一つの飴っ! 口直しに!」
俺が包み紙を破ってやり、小夜の方に差し出すと、小夜はまた急に、今度は落ち着いた様子で言った。
「その飴は、良矢が食べて」
「え? いや、大丈夫なのか?」
「いいから食べて」
妙な雰囲気を感じつつも、逆らい難い声音で言われるのに従って鉄分補給用の飴を口に入れる。
レモンの風味が少しして、普通に美味しい。
「ん。そしたら、噛み砕いて」
それも言われるままに従う。
口に入れたばかりなのでなかなか噛み砕くのには苦労した。
一方の小夜を見ると、彼女は飴の硬さなどものともせずにガリガリと音をたて、そちらも飴を噛み砕いていた。
……忘れそうになるけど、小夜って吸血鬼なんだよな……やっぱり歯が強いんだろうか?
「それで、結局何がしたいん――――んむっ!?」
俺の唇にいきなり押し付けられる柔らかい感触。
暖かくてぬるっとした何かが、ガラスの欠片のようなものと一緒に俺の口内に侵入する。
「んっ、んむ……んぐっ!? ん、ぅ、ん……っ!?」
小夜の舌による蹂躙は、飴の欠片が溶けきるまで続いた。
唾液と二種類の飴が混ざりあった、独特の粘性を持つ液体が俺からも、小夜からも口の端から少しずつ外に漏れていく。
垂れた液体が首筋を通って、なんとも言えないこそばゆさを感じる。
「…………ぶはぁっ!? はぁっ、はぁっ……!? 小夜…………!?」
俺が小夜を見ると、小夜は口の周りについた液体を、舌なめずりをして飲み込んでいるところだった。
それが終わるとそのまま俺の方を向き、今度は俺の首筋にまで垂れた液体を嘗め始める。
「あっ……く……」
「良矢ぁ…………! なんだか私、今すっごく良矢の血を吸いたいのぉ……♪ だから、ごめんね……?」
首筋を嘗めている姿勢からそのまま、小夜は俺に牙を刺した。
「ん……っ、んく、んくっ、ぅぅん……♪」
小夜が喉を鳴らして嬉しそうに、俺の血を吸っている。
しばらくすると吸われ過ぎてきたのか、頭が浮いたような感じがし始めた。
「小夜、小夜っ……!! ちょっと、一気に吸いすぎ……っ!!」
「あはぁっ……♪ ごめんなさぁい……!」
「いったいどうしたんだよ!? なあ、小夜!?」
「わからないわ……まだ足りないのぉ……!! さっきみたいに良矢のよだれ嘗めるのもすごくよかったわ……でも、何か違うの……もっと、もっと美味しいのが欲しいのよぉっ……♪」
熱に浮かされたような小夜の声に、俺は断言できる。
――今の小夜は、どこかおかしい。
「うふ……っ♪」
小夜が見つめるその場所は長時間のキスによって条件反射的に大きくなった俺の性器だった。
ズボン越しに小夜の細い手が俺の性器を這う。
他人から触られるという未知の感覚に、嫌が応にも身体が反応してしまう。
「うぁ……小夜っ……!」
「気持ちいい? 良矢、興奮してる……? もっと気持ちよくしたら、ビュッて出ちゃうかしら……?」
そう言って小夜は、ズボンに張られたテントの上部に口をつけ、嘗め始めた。
「ん……ふぅ、れろぉ……っ!」
小夜の生暖かい唾液がじわじわと生地に染み込んできて、しだいに中が蒸れてくる。
「あむ、ぇろ……、んっ、はぁっ……! なんだか、身体が熱いのぉ……!」
口淫のようなものをしていた小夜は一旦動作を止め、俺に正面から覆い被さるように体勢を変えた。
そして自身の寝巻きのズボンに手を引っ掻け、スルリと脱ぎ去る。
次に上着。シャツの前に留まっているボタンを一つ、また一つと、上から順に外していき、袖を通しているだけで胸を大きくはだけた状態になった。
そこで俺が見たのは、闇に融けるような、夜と見紛う程の、黒。
「っ…………!? 小夜、よりによってその下着を着けてたのか!?」
あの下着騒動の後なんとか小夜を説得して、普通の色の下着も買わせた俺の努力はなんだったんだ!?
「……良矢、これ好きなの?」
好きだよ! 反則だろ! ……とは言えるわけもない。
「だんまり……? いいわ、正直そうなコッチに訊いてみるから♪」
小夜は自分の下着の生地を俺の性器近くの生地に重ね合わせ、そのまま上下に、左右に擦り始める。
「ぅ、あぁぁっ……」
「ぁんっ♪ ん! んぅっ! 私のっ、擦れて気持ちいぃっ♪」
そこにある布三枚の壁など無いに等しいようなもので、小夜が身体を震わせる度、俺にもその快感が伝わってくる。
見れば小夜のパンツの黒は、ブラジャーのものと比べても明らかに違うほど、濃い色をしていた。
「小夜……もしかしてもう濡れてるのか……?」
「わかんない、知らないぃっ♪ さっきから色んな所がキュンってしててっ、おかしいのおっ……!」
その言葉を皮切りに、いっそう動きを激しくされる。
はだけたシャツの前面に見える形のいい胸が、それに合わせて揺れているのが馬乗りになられているこの体勢上、嫌でも目に入ってくる。
嫌ではなく、むしろ嬉しいが。
小夜の乱れる姿に中てられたのか俺の思考も快楽を求める方向へと傾き始め、本能的に俺は自由な手でその黒い果実を掴み、揉みしだく。
「ぁ……!? ふぅ……ん、っ♪ それ、気持ちいぃのっ……! 私ももっと気持ちよくするからっ、良矢ももっと触ってっ、メチャクチャに、してぇっ!」
小夜が身を乗り出して、俺の首筋に噛みついた。
そうして血を吸われる感覚が、今となっては倒錯的な程に気持ちいい。
「小夜ぁ……っ! 俺、俺もう……!」
そのまま快感が頂点に達した俺は、ズボンを穿いたまま中に射精してしまう。
熱を持ったドロドロの液体がへばり付く感触は、あまりいいものではなかった。
「はっ、ふ、あぁ……っ!? 勿体ないことしちゃったわ……!」
股間越しに俺の射精を知った小夜は心底しまった、といった感じでそう言うと、俺の下半身の服を脱がせ、精液で白く汚れた俺の性器を露にさせた。
「良矢の……こんなにだらしなくビクビクして、いやらしい液でベトベトしてて、美味しそう……! 私が綺麗に、してあげるわね……♪」
愛おしそうに小夜は俺の性器を見つめ、根本からゆっくりと上に、嘗めあげていく。
「ん……♪ 良矢の精液の味ぃ……! 血の味なんて霞んじゃうくらい、濃厚で素敵……っ♪ んっ、ああぁぁぁ♪」
味だけで感じているのか、一心にそそり勃つそれを嘗める小夜。
白く粘ついた精液が嘗め取られる代わりに、小夜の透明な唾液が性器を包む。
「外側はこれで綺麗になったわね……♪ まだ中にも残ってるから、吸い出してあげなきゃいけないわね……?」
小夜がその口を開き、今度は一気に奥まですっぽりと、大きくなっている俺の性器を呑み込んだ。
「んぶっ……じゅっ、じゅる……ちゅぷっ、……あふぁ、せーし、せーしれてるぅ、おいひいのぉ……♪」
「うぐ、ぁ、くぁ……っ!?」
頭を前後させ、激しい抽迭を行ってくる小夜。
俺は射精したいという欲求に、わずかな理性で抗っていた。
その時、最も敏感な先端部分に小夜の歯が触れ、強烈な刺激が与えられた。
「ふふっ……ビク、ってしたわ……! 良矢、こうされるのがいいの……? じゃあ、先っぽを甘く噛んであげる♪ んっ……はむ、かふっ……!」
「小夜ダメだっ、それ、気持ちよすぎて……あぁっ、く、また、出ちまうって!」
「んっ……んぐ、らしてっ! くひのなかに、いっはいらしてぇっ♪」
その口の動きと言葉にも刺激を受け、限界に達した俺は二回目の射精。
「じゅぶっ……ふっ、んっ! ん、んぅぅぅぅぅぅっ♪ じゅる、んくっ、んくっ……♪ あふ、あへぁ……っ♪」
「はぁっ、はぁ……っ。小夜……!」
だらしなく目を蕩けさせていた小夜は、ボンヤリとしたまま口を離し、俺を見て言った。
「ん……あれ……? 私、今まで何して…………!?」
小夜が……正気に、戻ったのか……!?
「私……眠くなって、飴を食べて……どうしたんだったっけ……?」
「小夜……!」
「あれ……良矢!? あ……私また、おかしくなっちゃってたの……!?」
「なんと言うか、えっと……うん……」
互いに半分ほど服がはだけた状態で、小夜の方も状況はすぐに把握できていたようだ。
「なんとなく、思い出してきたわ……。そっか私、良矢と……」
「ごめん、いきなりで俺も拒めなくて……!」
「ううん……拒んでたりしたら、それこそ謝って欲しいわね」
「え……? なんで……」
「だって私、貴方の事が好き、って言ったじゃない。忘れちゃったの……?」
そう言って小夜は、俺の首筋――吸血でできた傷を、指でそっとなぞってきた。
「ねえ、キス……していい? …………んっ」
俺が答えを発する前に唇が塞がれた。
さきほど俺の精液を貪った小夜の口内から、わずかに残った俺の子種が流れ込んでくる。
「んっ……!! ぅ……っ!? ぷはっ、小夜……これ、美味しいのか……!?」
自分で言うのもなんなんだが、何と言うか……刺激的な味だ。
さっきの小夜は喜んで呑み込んでたっけ……。
「だって、大好きな良矢が私のために愛情をたっぷり込めて作ってくれたものじゃない……美味しいに決まってるわよ♪」
「そ、そうなのか……それにしてもキス、これでもう二回目か……」
「ふふっ……ううん、違うわ」
「え……?」
「……やっぱり、秘密……♪ それに回数なんていいじゃない。これからもいっぱいするんだから……ね?」
そうしてまた、口と口が重ねられる。
「痛っ……!」
その時、朝起きたら切れていた唇の傷が開き、鋭い痛みが俺に走った。
「あ、血出てるぅ……♪ これ、私これやっぱり好きぃっ♪ 癖になっちゃうぅ……!」
切れた唇の部分を小夜が舐めると、痛みは甘い痺れに変わる。
それがもっと欲しくなって、俺は舌を伸ばして小夜に突き入れた。
「ちゅくっ、はむ……んっ、んっ、じゅぶぅ……はぁっ、はぁ……っ! ダメなの、やっぱり私、我慢できないっ……!」
口と口の結合を解いた小夜は、そのまま愛液で浸水した黒のパンツを脱ぎ去った。
「良矢、もう血だけじゃ満足できないの、お願い……。良矢の白い精子、お腹いっぱいこっちの中に欲しいの……! ねぇ、おかわり、頂戴……?」
俺に対して股を開き、その蜜壺への入り口を指で拡げながら小夜が言ってくる。
ヒクヒクと動いているそこは、まるでヒナが親鳥に餌をねだるかのようだ。
「だから良矢は……私を、食べて……?」
その言葉に、俺の中で何かが切れた。
据え膳食わぬは男の恥、こんなにいやらしく誘惑されて、心が動かないわけがなかった。
「小夜っ……!!」
思いきり、勢いのままに小夜に被さり、拡げられたその場所へと性器を突き刺していく。
「う……んぅっ、良矢、よしやぁ……っ!!」
小夜が俺を呼ぶ声が聞こえる。
だが俺には小夜を気遣ってやれるほどの思考も残っていなかった。
「小夜っ!! 俺、加減できない、かも……っ!!」
「んぁぅぅっ!? ひぐっ……! よしやっ、好き、好きって言ってぇ……!! まだちゃんと答え、聞いてないからぁ……!!」
懇願するように小夜は叫ぶ。
目からは涙、二人の結合部分からは破瓜の血が、それぞれ流れ出している。
「好きだっ、大好きだ、小夜ぁ……っ!! 俺が一生側にいてやる! それで一生俺が愛してやるからな……!!」
半ばほどまで挿入が進んだ時に、小夜の首筋を俺は噛んだ。
「かぷ……っふ、いつもやられてるのって、こんな感じなんだぞ……?」
「ぁっ!! あっあふぁぁぁ!? 良矢が私の首に噛みついてるぅ!? ね、もっと強く、ちゅうっ、ってしてぇっ!! 私が良矢のものだって証を付けて……っ!」
小夜の言う通りに俺は強く、かなり強く首を吸った。
それが小夜にとっては気持ちがいいようで、なかなか奥に進み込めなかった小夜の性器が急激に俺を強く受け入れ始め、吸いこまれるように最深部へとたどり着いた。
「もう、動くぞ……っ!」
すでに我慢できなくなっていた俺は、激しく前後運動を開始した。
「ん、あ、あん! っ、んん、あひ、あぁっ……!! 良矢が、突いて、くる度にっ! おくっ、奥にコツン、コツン、ってノックされて、イイのぉっ……♪」
「小夜っ、痛く、ないかっ!?」
「痛いわよ、痛くてすごく気持ちよくて、もっとグチャグチャにして欲しくなっちゃうの……! 私、変態みたいっ……! でも、もう止まらないの……っ!」
「小夜は意外とMだったのか? なら、こんなことされても気持ちいいのか……!?」
俺は小夜の黒いブラジャーを上にずらし、現れた桃色のさくらんぼ2つを指で強めに摘み、細かく捻りを加えてやった。
「あひ、ひぎぃぃぃっ♪ 私っ、身体びくんっ、って電気流れてるみたいっ! あっ、やぁ……ぁああああっ!?」
小夜は小刻みに痙攣しながら、大きく弓なりに身体を反らせた。
「小夜っ!! 俺もそろそろ出すから、中でしっかり味わってくれ……っ!!」
小夜の絶頂を口火にして、スパートをかけるように俺は抽迭をいっそう激しいものにした。
「あ……っ!? やっ、良矢っ!? 私いま、気持ちよくなっちゃったばっかりなのにぃ! ダメっ♪ 頭まっしろになっちゃ、んぁぅっ!! あっ♪ 良矢、よしや、よしやぁっ……!!」
この短時間に二度目の絶頂を迎える小夜と同時、俺も小夜の膣内へと想いの全てをぶちまけた。
「はぁっ、はぁっ……!!」
「あぁ……良矢の熱いのが、お腹いっぱい……♪」
「お味は……いかがだった?」
「ん、ふふっ、最高よ……! これ以上ないって位、美味しくて、幸せで……! 良矢、ごちそうさま♪」
「お粗末様でした。お腹いっぱい楽しんでくれたみたいで、俺も嬉しいよ」
汗に濡れ、上気している小夜を抱き締めながら、俺は言った。
「でもね、良矢……」
小夜が耳元で囁いてくる。
「ん? なんだ?」
「デザートは別腹なの♪」
そうして俺と小夜、二人の『お食事会』はまだまだ続くのだった。
*****
〜Epilogue〜
小夜が俺の家に来てから色々なことがあった。
それから互いに好き合って、俺たちは幸せに暮らし始めた。
これは数週間が経った、そんなある日のことだ。
学校が終わり、帰り支度をしているところに明石が声をかけてきた。
「黒須架くん、正義の味方に興味ある?」
「へ……? いきなりなんなんだ明石?」
「いいからいいから、チャチャッと答えて!」
「いや、興味ない……と思う。意味解らないけど、多分」
俺としては、何故急にこんな話を明石から振られているのかで頭が付いていってない状況なんだが。
「じゃあ、そんな正義の味方になってくれ、って言われたとすれば?」
「いやまあ、いきなりそんなこと言われても俺なら断る……んじゃないかな……?」
「言ったね!? 今、断るって! 陽太陽太、黒須架くん確保ー!!」
は? なんなんだこれは!?
「おい日菜、もしかして言ってた通りの事を良矢に? 良矢、日菜はなんて言った?」
「いやなんか、『悪を救う正義の味方になれって言われたらなる?』みたいな感じだったぞ。一応、断るって答えたけど……それがどういう事なのかサッパリだ」
「今日のしゃぶしゃぶ鍋パーティの灰汁(アク)すくい係を良矢にやらせよう、って日菜が言い出してな……元々普通に誘うつもりだったんだが、コイツが暴走したんだ。すまない良矢」
陽太が俺に謝ってくるが、俺としては何がなんだかサッパリだ。
すると、眉を寄せて必死に理解しようとする俺を見て、明石が言った。
「正義の味方は悪を救わない。つまり、正義の味方になることを断った黒須架くんは灰汁を掬ってくれるんだよ!」
「灰汁(悪)を掬う(救う)違いだろうが!? なんだそのボケは!?」
解りにくいわ!! っていうかホント普通に誘えよ!?
「ごめんごめーん。あと小夜ちゃんもお呼びするから! 今日の夜空いてるよね? 夕飯時に2人とも陽太の家集合! じゃ、陽太! 具を買いに行くわよっ!!」
弾幕のように言葉を飛ばしてきたのち、明石は陽太の首根っこを鷲掴んで引っ張っていった。
「アイツもしっかり振り回されてるなぁ……」
あの二人、実は最近付き合い始めたんだよ。
陽太が教室の真ん中で明石に告白したときはかなり驚いたな。
両想いだったらしく、明石もその場でOKだったし。
「らぶらぶ、 だよね? しあわせそうで、 よかった。 ……ふふっ」
顔を伏せて寝ていた小夜が、いつの間にか起きてこっちを見ていた。
「お、小夜。さっきの明石の話、聞いてた?」
アレをらぶらぶと表現していいのかは悩みどころだが。
「よしやが、 せいぎのみかたになって、 せかいをすくうところまでは、 きいてたよ?」
「なってないし世界も救ってねぇよ!? 俺すごいなそれ!? じゃなくて、今日の夜は陽太の家でしゃぶしゃぶだって事!」
「そう、なんだ。 おいしそう、だね?」
「たまには皆で作る料理ってのも、悪くないよな」
「でも、よしやのごはんは、おいしい」
また嬉しいことを言ってくれる。
ああ、小夜可愛い。
「そろそろ俺たちも帰って、色々準備しておくか」
「うん」
そうして2人でしっかり手を繋いで、帰路につくのだった。
*****
「そろそろ時間か……」
「そうね。行きましょ?」
時間になったので、俺たちは家を出発した。
「お……あれ、明葉先生と尾根倉先生じゃないか?」
道すがら、このまま行くとすれ違う予定の2人が見えた。
「あら、ホントね。どうしたのかしら?」
「明葉先生、尾根倉先生、こんばんは。どうしたんですか2人して?」
俺がそうやって質問すると、先に答えたのは明葉先生だった。
「独り身の女2人……明日の学校に響かない程度にお酒飲んだりしちゃうんです! いいなぁ、良矢君と小夜ちゃんも陽太君と明石さんも。先生たちだって、羨ましくてたまらないのよ?」
「ははは……大変そうですね」
「良矢さん、そう言わないで下さい。私も明葉も辛いんですよ、独り身って」
そう言ったのは、尾根倉先生だ。
最近先生はイメチェンのつもりか、長めだった髪をバッサリと切り、これまでの妖艶な感じとは違う、清楚な雰囲気を纏っていた。
口調もなんだか落ち着いて、印象がまるで別人だ。
「う……それはすみません、先生。……じゃあ俺たちは鍋に呼ばれてるんで、もう行きますね」
長話もなんなので、早々に話を切り上げて俺は陽太の家に歩みを進めようとした。
「あ……良矢さん、ちょっと待ってください」
「………………」
小夜は尾根倉先生の言葉に何故か眉を寄せて俺を見た。
「いいニンニク料理の本が届いたので、今度貸しますね……♪ 元気がついて体が温かくなること間違いなし、です! まだまだ冬は寒いですし、おすすめですよ♪」
「いいですね、ありがとうございます! いつかお礼に、俺が料理作りますよ」
何というか、この人には結局お世話になりっぱなしだったからな。
感謝してもしきれないくらいだ。
「ホントに……ホント、ですか……!?」
「はい、喜んで」
俺がそう答えると、先生は不意に眼から雫をこぼした。
「あ……っ、あれ? ご、ごめんなさい良矢さん、その、泣くつもり無かったのに……」
「え、あ……ええっ!? 俺、なんかその……」
俺が慌てて言い訳を探していると、先生が先に口を開いた。
「ぐすっ……違うんです。その……すごく、嬉しいです……! だから、楽しみにしてます……!」
「尾根倉先生……! ……俺、頑張りますね」
ここまで喜ばれたなら、相応の応え方をしないといけないよな。
「はい……ではまた、私は図書室でいつでも待ってますから」
「はい。それじゃあ先生、また今度」
そう言って、俺達は2人の先生と別れた。
*****
ピンポーン……
陽太の家のチャイムを鳴らす。
「お……良矢、閨待さん。いらっしゃい」
「よっ、陽太、来たぞ。お邪魔します」
「陽太くん、今日はよろしくね……それじゃあ私も、お邪魔します」
「ああ、どうぞ。早速でなんなんだが、手伝ってくれ……日菜にやらせると闇鍋になりかねない」
……さすがあの破天荒委員長の彼氏、よくわかってるみたいだな……。
「ははっ……オッケーだ。小夜、頑張るぞ」
「ええ、勿論。私だって良矢に色々教えて貰ったし、頑張るわよ」
「おお、頼もしい限りだ。良矢、閨待さん、期待してるぜ?」
「ああ、どんと来いだ!」
「……Don't来い……つまり、来るなってこ」「それはもういいって!?」」
「はいはい、夫婦漫才はお腹一杯だよ。じゃ、日菜をこれ以上放っとくとヤバそうだし、そろそろ始めるか!」
*****
ぐつぐつ……。
「なんであたしには具材切り任せてくれないの!? 黒須架くんのケチー!」
具材でないものが入りそうだから……とは言えないな。
「えっと……陽太の彼女に怪我させちゃ悪いしさ」
「じゃあ小夜ちゃんも黒須架くんの彼女でしょ? それはどうするのよ!」
「小夜は俺がミッチリ鍛えたから大丈夫だ。明石もなんならここで鬼指導してやろうか?」
「あ……じゃ、やっぱ遠慮しとく」
……陽太、この人メチャクチャ操りやすいんだが!?
「陽太、黒須架くんが苛めてくるんだけどー」
「それで、俺はどうすればいいんだ?」
やれやれといった感じに、陽太が返事をする。
「陽太マスター……ウイスキー、ロックで頼むぜ」
何故か急に明石は渋い声でそう言い放った。
俺に色々と禁止されたのがよっぽど明石のハードボイルドな部分に感傷を与えたのか?
その辺りはさすが明石、全く予測不可能だ。
「すまんな日菜。俺の家にはウォーターの水割りしかないんだ」
「只の水じゃんそれっ!? 『ウ』と最後の『ー』しか合ってないし! ……あ、ツッコみって意外と楽しいかも! 黒須架くんがついやっちゃうのもわかる気がするよこれ!」
「じゃあ、良矢にツッコみの極意を教わるか?」
「いや、なんかいやらしい響きだから遠慮しとくわ」
知るか!! 勝手にしろよ!?
と向こうで騒ぐ2人にツッコみたい気分を押さえて、俺はそっと自分の指を包丁で薄く斬る。
そして血の流れ始めた指を、隣で同じように具材を切っていた小夜に近づけた。
「はむっ……♪ ふふ、ちょっと野菜の味がするわね……♪」
あれ以来、こうしてこまめに血をあげるようになった。
小夜が嘗めた場所は傷の治りが早いので、生傷が絶えない、なんて事にはならないのが救いだ。
「美味しいか?」
「ええ♪ ……大好きっ」
この小夜の顔が見られるだけで、俺も幸せだった。
*****
「ふぅ、……ごちそうさま」
4人なんていう大人数で食卓を囲むなんていつ以来だったかな。
やっぱり、人が多いとそれだけ楽しく食べられるな。
「いやー、美味しかったよね陽太! また今度も何かに乗じてこういうことやろうよ!」
明石も満足げにそう言った。
すると小夜が気付いたように言う。
「日菜、今度『も』ってことは、今日のしゃぶしゃぶパーティにも何か意味があったのかしら?」
「そっか、閨待さんは海外暮らしが長かった分、実感沸いてないのか。今日は『節分』だよ。『鬼は外、福は内』ってな」
「あぁ……そういえばそうだったわね」
「もちろん、今日はそのために集まったんだ。ちゃんと豆もあるぜ?」
陽太が台所から大豆を取り出してやって来た。
「よし、食後の運動がてら、いっちょやりますか! ていっ、陽太は〜外〜っ! あたしは〜内〜っ!」
「いてっ、日菜、やりやがったな!? 待てっ! お返しだそらぁっ!」
「きゃあっ!? このぉ、それならもう一回っ! とりゃりゃりゃりゃっ!!」
何故か2人の大豆戦争が勃発してしまった……。
俺も負けてられないな。
今日は羽目を外して楽しむとするか……!
「よし、鬼は外っ!」
「いたっ!? ちょっと良矢、なんで私が鬼なのよ!? 吸血鬼も鬼だ、なんて言わないでよね!?」
「ははっ、まさか! 鉄分は大事な栄養素なんだから、しっかり大豆を食べて補給しなさい!」
「何よその理由? ふふ、あははははっ……!」
「ほら、福は…………、内っ」
「…………っ!」
そうして俺は、俺の幸福をその両手で抱き締めた。
「ふふ……私は絶対、外になんて出ていかないわよ♪ 良矢、私が幸せにしてあげる!」
〜Happy end〜
13/03/28 21:40更新 / ノータ