狭い世界
「世界は狭い」
「急にどうした?」
眼下に広がる広大な大地を眺めながらそう呟いた俺に、隣にいた彼女がそう問うてきた。
深い意味はなく、ただなんとなく漏れ出た言葉だったからおかしくて少し笑って、俺は前方を指差した。
「向こうに城の尖塔が見えるか」
「あぁ」
「あれが俺の故郷だ」
「……そうなのか、初耳だ」
「初めて言ったからな」
軽口を返しつつ、故郷を眺めて想いを馳せる。
思えば、遠くまで来たものだ。
野を超え、山を越え、一攫千金を目指してやって来たこの遺跡。
宝があるという伝承のあるこの地で、俺はこいつと出会った。
「ガキの頃はあの街の壁の中が、俺の全てだった。昔っからあの街から出たくて仕方がなかった」
「なぜだ?」
「狭かったからさ」
俺のいうことが理解できないのか、そいつは小首を傾げて覗き込んで来た。
可愛らしい仕草に思わず頭に手を伸ばし、クシャクシャとかき混ぜるように髪を撫でる。
「んっ、何をするか」
無視して頭を掻い繰り回して、俺は空を見上げた。やや落ち込んだ雲はもう目の前まである。
山のてっぺん、自力で降りるには危険が伴う断崖の上の洞窟、俺はここで、こいつと同じ時間を過ごしている。
「ガキの頃の俺は当然背の低いハナタレ坊主だったがな、夢だけは一丁前だった。いつか世界をまたぐ旅人になって、英雄として名を馳せてやるって、そんなこと考えながら毎日枝切れ振り回して傷だらけになって、親に叱られたもんさ。街の壁が鬱陶しかった。俺をこんなところに閉じ込めやがって、てな」
「ふむ」
「そんな俺なもんだからさ、ガキのまま体だけでかくなって、夢もますますでかくなった。名声が欲しい、目も眩む財宝が欲しい、伝説の剣が欲しい、なんもかんもが欲しいづくしで、親父の反対も押し切って、俺は街を飛び出した、そしたらな」
「そしたら?」
「もう辛いのなんの」
街を意気揚々と飛び出した俺は、あっという間に現実の壁にぶち当たった。
雨風を防ぐ手段はなく、買い込んだ食料は重しとなり、薪を集めるのすら一苦労。
いつ襲われるかもわからないからろくに眠れず、見る間に俺は疲労を重ねて、ようやく最初の目的地の町に着いてからは、安宿のボロいベッドで泥のように眠った。
「金がねえから贅沢もできねぇ、貧相な酒と飯で自分をごまかして、鬱憤ばっか貯まってって。楽しいこともあったけど、嫌な思い出の方が圧倒的に多かった。俺は痛感したよ、狭い世界ってのは幸せだ、広い世界で自分一人だけってのはたまらなく孤独で辛くて苦しいんだってな」
「……」
そういうと、そのハリのある長い髪が揺れるのが見えて、目をやれば憂げに視線下ろす姿。
俺のいうことに、何か思うことがあったのかもしれない。
構わず続ける。
「それでも、親と大喧嘩した手前帰るに帰れず、俺は半ば意地になって旅人として生きた。そんな時だよ、この山の財宝の話を聞いたのはさ」
当時、いよいよ腐りかけてた俺の耳に飛び込んで来たそれは天啓にも思えるほどだった。
そうだ、そこで俺が伝説の財宝を手にしてやろう。
きっと俺の名声は轟くに違いない。
英雄として名を馳せたのなら大手を振って故郷に戻って、どうだ見たかと叫んでやって、それで、親父と仲直りして。
それで、あの狭い世界に戻りたいと、心の底から思っていた。
なけなしの財産を叩いて──今思えば無謀にもほどがある考えなしの行動だった──そして、死ぬほど苦しい想いをしながら、俺はようやく、山へとたどり着いた。
「それがこの山さ」
「ああ、しってるさ」
そう言って隣の彼女、グリフォンはその大翼を広げて、そっと俺を抱き寄せて来た。
フカフカと暖かい羽毛に包まれて、少々涼しすぎた風がシャットアウトされるとなんだか心まで暖かくなって、俺も彼女の腰に手を回し抱き寄せてやる。
「登って登って、泥まみれになりながら、たまに野生の動物相手に引け腰になりながら必死で追っ払って、情けねえ限りさ、英雄なんてどの口が言えたもんだか。そんで、ようやく山のてっぺんまで来て……お前に出会った。そん時俺はどう思ったと思う?」
「……なんだ?」
「なんて美しいんだって思った」
天から舞い降りたその姿は、天使のような純白の美しさと野生のたくましさを併せ持った、聖獣と呼ぶにふさわしい姿だった。
惚けてるうちに俺はあっという間にぶっ飛ばされて、気が付いた時には足が震えるほど高い高い断崖の上にある小屋の中だった。
それから来る日も来る日も、こいつとセックスをした。
腕を押さえつけられて、まるで生娘のようにこいつに犯されてる時、俺は夢でも見てるのかと思っていた。
何度寝て覚めても終わらないいいんだかわからないから夢の中で、何を思ったか俺はその美しい聖獣に愛欲を煮えたぎらせていた。
それから月が何度も落ちて何度も上がった頃。
俺はこいつと愛を誓い合っていた。
それ以来、この崖から俺は降りたことがない。
俺はそっと翼の中から抜け出て、後ろを振り向いた。
そこには俺の「全て」があった。
四方八方が断崖に囲まれた、人の足など決して届かぬ神の領域。
面積こそあれど、俺の街よりもずっと狭いその場所の中央、ポツンと立っている石造りの小屋。
なんでか枯れずに摩訶不思議なきのみのなる木。
これが俺の全てだ、俺の世界だ。
「お前は……」
ポツリと、今度は向こうがこぼした言葉を俺が拾い上げた。
「お前は、未練があるのか、お前の故郷に」
グリフォンさんはそう寂しげに言って、潤んだ上目でこちらを見つめて来た。
俺の故郷は反魔物国家だ。
彼女を連れて行くことはできない、彼女を愛している俺は、彼女と離れ離れにはなれない、なる気がない。
俺は笑って、彼女をそっと抱きしめた。
「未練はあるさ、だから未練はない」
俺の中の欲望を感じ取れる彼女は、俺の郷愁の念も知ってるはずだ、だから嘘はつかない。
思ったことをそのまま伝える。
「俺は思うんだ。人は、世界の広さをしって、自分の世界を狭めて行くんだって」
「世界を、狭める?」
「自分の器にあった、自分が幸せに過ごせるまで。自分の世界を狭めて行くんだ。広い世界に押しつぶされないように、弱い自分を守るために」
そして、俺は、豊かな髪に鼻先を埋めた。
いつだって不思議ないい香りを放つ髪にうっとりとしながら俺は告げる。
「俺は弱いから、この狭い世界がいい、お前がいてくれるこの崖の上の箱庭が、俺の世界の全てだ」
世界は狭い、狭くていい。
広くたってろくなことはありゃしない。
大切なものを失って、散々苦しい目にあったからこそそう思える。
「お前と俺が幸せでいられるここが、俺の居場所だ」
俺の背中を暖かい感触が包む。
愚か者め、そう言って笑った彼女と唇をそっと交えた。
そして、そっとその体を押し倒される。
やれやれ、外で致すには今日はやや冷えるんだけどな。
寝転がった覆い被さられた俺の目には、もう広い大地は映っていなかった
「急にどうした?」
眼下に広がる広大な大地を眺めながらそう呟いた俺に、隣にいた彼女がそう問うてきた。
深い意味はなく、ただなんとなく漏れ出た言葉だったからおかしくて少し笑って、俺は前方を指差した。
「向こうに城の尖塔が見えるか」
「あぁ」
「あれが俺の故郷だ」
「……そうなのか、初耳だ」
「初めて言ったからな」
軽口を返しつつ、故郷を眺めて想いを馳せる。
思えば、遠くまで来たものだ。
野を超え、山を越え、一攫千金を目指してやって来たこの遺跡。
宝があるという伝承のあるこの地で、俺はこいつと出会った。
「ガキの頃はあの街の壁の中が、俺の全てだった。昔っからあの街から出たくて仕方がなかった」
「なぜだ?」
「狭かったからさ」
俺のいうことが理解できないのか、そいつは小首を傾げて覗き込んで来た。
可愛らしい仕草に思わず頭に手を伸ばし、クシャクシャとかき混ぜるように髪を撫でる。
「んっ、何をするか」
無視して頭を掻い繰り回して、俺は空を見上げた。やや落ち込んだ雲はもう目の前まである。
山のてっぺん、自力で降りるには危険が伴う断崖の上の洞窟、俺はここで、こいつと同じ時間を過ごしている。
「ガキの頃の俺は当然背の低いハナタレ坊主だったがな、夢だけは一丁前だった。いつか世界をまたぐ旅人になって、英雄として名を馳せてやるって、そんなこと考えながら毎日枝切れ振り回して傷だらけになって、親に叱られたもんさ。街の壁が鬱陶しかった。俺をこんなところに閉じ込めやがって、てな」
「ふむ」
「そんな俺なもんだからさ、ガキのまま体だけでかくなって、夢もますますでかくなった。名声が欲しい、目も眩む財宝が欲しい、伝説の剣が欲しい、なんもかんもが欲しいづくしで、親父の反対も押し切って、俺は街を飛び出した、そしたらな」
「そしたら?」
「もう辛いのなんの」
街を意気揚々と飛び出した俺は、あっという間に現実の壁にぶち当たった。
雨風を防ぐ手段はなく、買い込んだ食料は重しとなり、薪を集めるのすら一苦労。
いつ襲われるかもわからないからろくに眠れず、見る間に俺は疲労を重ねて、ようやく最初の目的地の町に着いてからは、安宿のボロいベッドで泥のように眠った。
「金がねえから贅沢もできねぇ、貧相な酒と飯で自分をごまかして、鬱憤ばっか貯まってって。楽しいこともあったけど、嫌な思い出の方が圧倒的に多かった。俺は痛感したよ、狭い世界ってのは幸せだ、広い世界で自分一人だけってのはたまらなく孤独で辛くて苦しいんだってな」
「……」
そういうと、そのハリのある長い髪が揺れるのが見えて、目をやれば憂げに視線下ろす姿。
俺のいうことに、何か思うことがあったのかもしれない。
構わず続ける。
「それでも、親と大喧嘩した手前帰るに帰れず、俺は半ば意地になって旅人として生きた。そんな時だよ、この山の財宝の話を聞いたのはさ」
当時、いよいよ腐りかけてた俺の耳に飛び込んで来たそれは天啓にも思えるほどだった。
そうだ、そこで俺が伝説の財宝を手にしてやろう。
きっと俺の名声は轟くに違いない。
英雄として名を馳せたのなら大手を振って故郷に戻って、どうだ見たかと叫んでやって、それで、親父と仲直りして。
それで、あの狭い世界に戻りたいと、心の底から思っていた。
なけなしの財産を叩いて──今思えば無謀にもほどがある考えなしの行動だった──そして、死ぬほど苦しい想いをしながら、俺はようやく、山へとたどり着いた。
「それがこの山さ」
「ああ、しってるさ」
そう言って隣の彼女、グリフォンはその大翼を広げて、そっと俺を抱き寄せて来た。
フカフカと暖かい羽毛に包まれて、少々涼しすぎた風がシャットアウトされるとなんだか心まで暖かくなって、俺も彼女の腰に手を回し抱き寄せてやる。
「登って登って、泥まみれになりながら、たまに野生の動物相手に引け腰になりながら必死で追っ払って、情けねえ限りさ、英雄なんてどの口が言えたもんだか。そんで、ようやく山のてっぺんまで来て……お前に出会った。そん時俺はどう思ったと思う?」
「……なんだ?」
「なんて美しいんだって思った」
天から舞い降りたその姿は、天使のような純白の美しさと野生のたくましさを併せ持った、聖獣と呼ぶにふさわしい姿だった。
惚けてるうちに俺はあっという間にぶっ飛ばされて、気が付いた時には足が震えるほど高い高い断崖の上にある小屋の中だった。
それから来る日も来る日も、こいつとセックスをした。
腕を押さえつけられて、まるで生娘のようにこいつに犯されてる時、俺は夢でも見てるのかと思っていた。
何度寝て覚めても終わらないいいんだかわからないから夢の中で、何を思ったか俺はその美しい聖獣に愛欲を煮えたぎらせていた。
それから月が何度も落ちて何度も上がった頃。
俺はこいつと愛を誓い合っていた。
それ以来、この崖から俺は降りたことがない。
俺はそっと翼の中から抜け出て、後ろを振り向いた。
そこには俺の「全て」があった。
四方八方が断崖に囲まれた、人の足など決して届かぬ神の領域。
面積こそあれど、俺の街よりもずっと狭いその場所の中央、ポツンと立っている石造りの小屋。
なんでか枯れずに摩訶不思議なきのみのなる木。
これが俺の全てだ、俺の世界だ。
「お前は……」
ポツリと、今度は向こうがこぼした言葉を俺が拾い上げた。
「お前は、未練があるのか、お前の故郷に」
グリフォンさんはそう寂しげに言って、潤んだ上目でこちらを見つめて来た。
俺の故郷は反魔物国家だ。
彼女を連れて行くことはできない、彼女を愛している俺は、彼女と離れ離れにはなれない、なる気がない。
俺は笑って、彼女をそっと抱きしめた。
「未練はあるさ、だから未練はない」
俺の中の欲望を感じ取れる彼女は、俺の郷愁の念も知ってるはずだ、だから嘘はつかない。
思ったことをそのまま伝える。
「俺は思うんだ。人は、世界の広さをしって、自分の世界を狭めて行くんだって」
「世界を、狭める?」
「自分の器にあった、自分が幸せに過ごせるまで。自分の世界を狭めて行くんだ。広い世界に押しつぶされないように、弱い自分を守るために」
そして、俺は、豊かな髪に鼻先を埋めた。
いつだって不思議ないい香りを放つ髪にうっとりとしながら俺は告げる。
「俺は弱いから、この狭い世界がいい、お前がいてくれるこの崖の上の箱庭が、俺の世界の全てだ」
世界は狭い、狭くていい。
広くたってろくなことはありゃしない。
大切なものを失って、散々苦しい目にあったからこそそう思える。
「お前と俺が幸せでいられるここが、俺の居場所だ」
俺の背中を暖かい感触が包む。
愚か者め、そう言って笑った彼女と唇をそっと交えた。
そして、そっとその体を押し倒される。
やれやれ、外で致すには今日はやや冷えるんだけどな。
寝転がった覆い被さられた俺の目には、もう広い大地は映っていなかった
16/12/25 23:25更新 / 車輪(人物)