第二十話 四人と戦支度
あと一か月後、ローディアナ王国の建国記念日に僕たちは現王国軍に向かって宣戦を布告する。
それはいい、こうなってしまってはもう僕たちには最善を尽くす以外に手段なんか残されていないんだから、最善を尽くすことだけ考えてればほかの余計なことは考えなくていい。
だが、どうやって戦争に向けて準備しておくのかはそれぞれ。
僕がどうやって戦争に備えるかを教えてくれるのはルミネさんだった。
特にやることがない(っていうかどうやら僕と一緒にいることの方が重要っぽい)天満と一緒に、僕はまた魔術研究所に来ていた。
「って言っても、一冊あなた専用の魔術書を作るだけなんだけどね。」
そう言ったルミネさんは、表紙以外全くの白紙の本を僕によこしてきた。
「魔術書?」
「そうよ、面倒だからこれ以降書で済ますけど、魔術師が戦闘のために利用する魔法行使のための道具の一つ、行った魔法儀式を書に記録させることでいつでも行使できるようにするの。」
「えっと、それはつまり、前に言ってた魔法の弱点である『即時性に欠ける』ことを補うための道具ですか?」
確かアイリさんに聞かされた限りでは魔法はすぐに使うことはできなかったはずだ。
魔術はすぐに使うことが可能だけど不安定で効率が良くない。
それに対し、魔法は手順を踏まなくてはいけないので即時性に欠ける反面効率よく安定した力を発揮させることができる、もしそれを魔術書の使用によってすぐに使えるようにすれば、大きなアドバンテージになるだろう。
「そうよ、じゃそれの一ページ目に署名して、そしたら順番に魔法の構築式を記録していくわよ。」
そう言ってルミネさんは万年筆とインク壺を取り出す、どこから出しているのやら、この人はたまに何もないところから道具を取り出したりしてる。
署名に関しては名前はこの世界で通じている文字を使わなくてはいけないというわけではないらしいので、書きなれた日本語での自分の名前を使わせてもらう。
「あなたの世界じゃソラってこんな風に書くの?」
「いえ、これだけに限定はされません。」
ローマ字綴り、平仮名片仮名漢字、特に漢字はいろいろ存在してるから、一概にこれが「ソラ」と読んでいいものなのかは微妙になってしまう。
「面倒そうねぇ……ああけどジパングと似たようなものかしら。」
よく知らないので答えようがない。
次に魔法の詠唱式を書き込んでいく、要するに言葉にせずとも世界に干渉できるように魔法陣とか術式の内部の文様を書き写していくんだけど、これがまた難しい。
何せミリ単位の誤差も許されない(誤差があると正常に発動しない・もしくはおかしな別種類の魔法に変わってしまうことがある)から、本当に神経が磨り減る。
「書を一冊作るのは、魔法の手間の前払いみたいなものよ、この書の作成に使った時間は無駄になるかもしれない代わりに、利用すればほとんど時間をかけずに強力な魔法を使うことが可能になる。後で試しに持ってる子たちの魔法を見せてもらいましょ。」
そう言いながら、ルミネさんは退屈そうに僕が魔法陣を書くのを見つめていた。
そういえば、ルミネさんや天満に魔術書は必要ないんだろうか。
ちょっとチラッとだけ天満の様子をうかがってみる、彼女は僕とセックスしたときにこの研究所を封じ込める形で隔離結界を張っていたらしいが、それをどうやったのかは聞いても説明が要領を得なかった。
「天満は作らなくていいんですか?」
「いいわよ、魔物は人間に比べて自由に魔術を行使できる割合が多いの、むしろ道具に頼った方が弱くなる場合だってあるから、下手に作らない方がいいわ。」
ルミネさんのその発言に天満が頷く、魔物が人間よりも上位の存在だと一応聞いているには聞いていたけど、そんなところも優遇されているとは思ってなかった。
「ところで持ってる人って誰ですか?」
「南部開発局統括ランス、あなたも会ってるわよね? クロの三男。それに研究所の職員アイリ、あとあのお姫様とフレッドも持ってるんじゃないかしら。」
ルミネさんはすらすらと答えてくれるが、僕はあの二人が持っているところを見た記憶がない。見せる必要もないからかもしれないが。
「こんなに便利な道具ならみんな持っててもおかしくないですけど。」
そんな僕のつぶやきに対して
「そうでもないわ、いろいろ手間だし、それにあんまり大きな魔法は紙の中に封じ込めきれずに暴発しちゃうことだってあるんだからね。」
そんな風に返事をするルミネさんの言葉を耳に入れつつ、筆を走らせる。
とりあえず、通信魔法の魔法陣と魔法式は書き込み終わった、次だ。
「不本意だ。」
俺の目の前で、クロードさんは棒をくるくると回しながらそう言った。
俺を鍛えてくれることになったのはこの人なんだが、いまいちやる気が感じられない。
平崎の方は平崎の方で同じ訓練場らしきところでほかの人と戦闘訓練してるし、昊と天満はどっかに言っちまったから本当にここには俺とクロードさんだけ。
もともと無口な御仁らしく、発言量は少ない、そして基本設定がそうなのか、この人はかなり仏頂面をしていて、そして俺を睨んでいるように見えなくもない。
間が持たない、すごく息苦しい。
「もともと殺傷能力の低い武器を扱うという意味では俺とお前の武術は確かに似てる、だが俺たちのラギオン流棒術は人を殺さずに制圧する技術で、お前のは確か人を殺す技術なんだよな?」
たぶんそれを教えたのは昊のやつだろう、クロードさんの把握してるとおり、俺の使う十夜流亜流剣術は木刀で真剣を持った人を殺すことをコンセプトにした剣術だ。
防御はほとんど回避で、自分より強力な武器を持っていることが前提の相手の攻撃を武器で防ぐことはしない。攻撃面はかなり凶暴で、基本的に急所狙いなど相手を戦闘不能にすることだけを目的にした攻撃がほとんどだ。
クロードさんはため息一つつくと、俺に向けて棒を軽く振る。
「お前は、どう鍛えたい? ラギオン流の技を仕込むことも可能だし、ただ単純に俺と組み手を繰り返して戦闘技術を鍛えるのもありだ。 無論、両方も可能だ。」
「じゃ、技を教えてくれますか?」
俺の十夜流は足運びや剣の振り方、安定した素早い体の動きなどはかなり事細かに教えたが、相手の体に効率よくダメージを与えるわかりやすい必殺技は実はない。すべての攻撃が本来一撃必殺の急所狙いで、下手に技に頼る必要がなかったからだ。
だからこそ、ハロルドが一撃でハートを昏倒させた技は、是非とも知っておきたかった。
「そうか、じゃあそこに立ってろ、下手に動くなよ?」
そう言ったクロードさんが棒を俺に向けて構える。
後ろに一歩下がったと思ったら、突進するようにクロードさんが俺の水月に棒を当てる。
当たったところから全身まで衝撃が一気に走り、体が痺れる。
胃の中全部がかき回されてるみたいな気持ち悪さと、全身にかかる先生に殴られたとき同様の衝撃。
「これが、ラギオン流棒術の基本技術震撃だ、相手の体内に直接震動を叩きこむ技術で、使い方や力の入れ方を工夫することでいろんな応用技術に繋がっていく。」
淡々とクロードさんが説明するうちに、体の痺れは取れてきた。
確かにこの技なら相手を問答無用で封じられる、いい技かもしれない。
「どうやって使うんです?」
「……基本的には全身の力を集める技術と、それを効率的に震動として流し込む技術だな……悪いが具体的にどうやればとは一概に言えない。」
「練習あるのみってことですか?」
「………いまいち…実演できてもどう俺が実行してるのかは表現できんのだ、悪いな。」
クロードさんは少しだけ申し訳なさそうに言った。
止まれば見て盗むしかないだろうと思い、とりあえず食らった感じのままを練習用に用意された人形に当ててみる。
どふっ
人形は少しだけ俺の木刀を受けて凹んだが、それ以外に反応はない。
クロードさんが俺の打った人形の隣の人形に向けて棒を構えて、素早く突く。
ぼふん!
中が爆発するように一瞬だけ人形が膨らみ、そして収縮した。今のもやっぱり震撃なんだろうか、人にやったら一撃で殺せそうな、破壊的な威力があったように見えたが。
「……そうだお前魔術は使えるか?」
クロードさんが質問してくる。
「いえまったく、今までは物理戦闘だけで戦ってきました。」
呆れた顔をするクロードさん、どうやら、よっぽど無理をしてたと判断されたらしい。
「魔術と言っても俺も専門じゃないから基礎しかできないが……まぁ防護膜だけでも覚えておけ、意外に役に立つぞ。」
というわけで、まず俺が習得するのは防護膜という魔術に決定した。
左の上段切込みから右足をずらして反転しそのまま右の回し切り、しかし相手はそれを読んでいたように防御すると逆に頭を狙った高速の突き、両腕でどうにか受け止めるけど、力に押し切られて距離を開けさせられる。
「……強いなぁ。」
私と組み手している黒髪の青年は、私に向かってそうつぶやいた。
皮肉にしか聞こえない、だって私はさっきから彼を全く攻めきれていないんだから。
この青年の名はロイド。
かつてグラハムさんの腕を切り落とした、元勇者。
この人の剣技はリィレさんと同等程度だ、けれどリィレさんより力が強いのと、それ以上に純粋な動きがリィレさんよりずっと速いのを考えれば総合的にリィレさんよりも強いだろう。
武器は大きな両手剣一本、戦い方はリィレさんの長剣の扱い方と似てるところもある。
「ずいぶんと剣技がまともになったな、昔は力任せに剣を振り回していただけだったのに。」
脇で見ていたリィレさんが、ロイドに向かって声をかける。
「いろいろあったんだよ僕も、ここの人たちって運動能力だけで勝てる人の方が少ないし。」
ロイドさんは落ち着いて答える、私よりいくらか年上みたいだけど、雰囲気は柔らかい。
「マクワイア元帥も冷たいよね、体は鍛えたけど剣術は全く教えてくれなかったんだし。」
「無理を言うな、体を鍛えただけでも『いくら里親だからと勇者候補の一人に王国軍元帥が力を貸すとは何事だ』なんて、苦情が殺到していたんだぞ。」
それは立場上来て当たり前の苦情の気がしないでもないけれど、まあそんな風に言われてなお剣術を教えるわけにはいかなかったわけだ、世の中ってめんどうだね。
そんな実の兄妹のようなやり取りを見ていた私に、
「……キサラギさん。」
少し離れたところで様子を見ていた姫様が、手招きしてきた。
呼び出しに従って近づいていくと、姫様は少し離れた茂みの中に私を連れ込んだ。
一緒に鍛えてる人に因幡君と一緒に来た妖狐の英奈さんと、サラマンダーのハートさんもいるから、その人たちに断わってからだ。
「……えっと?」
姿勢を低くした姫様の顔が私の目の前に来る、こう見るとやっぱり顔だちには幼さが残ってはいるけれど綺麗だ、あと三年もしたら誰もが振り向く美人になるだろう。
「……キサラギさん。やめにしませんか?」
姫様は、真剣でとても申し訳なさそうな表情で私に向かってそう言った。
意味が分からずに、
「やめにするって、何をです?」
と私が聞くと、姫様は真剣な表情で
「戦うことをです、もともと、キサラギさんたちはこの国の諍いに巻き込まれてしまっただけなんです。それなのにずっと剣を持って戦うのは……おかしいと思います。」
と言った、確かに言ってることは間違ってない。
私たちはもともと元の世界から逃げ出したかっただけ、それをこの国の貴族たちに利用されてこの世界に呼び出され、そのまま流れの結果で今こんな風になっている。
けれど、私たちだって知ったことがある、この世界に来てわかったことがある。
「やめませんよ。」
私は強く言い切った、確かに巻き込まれただけだったとしても、今は私も一員だ。
「私たちは確かに巻き込まれる形でこの世界に来ました、けれど、今では私たちも一緒に戦う人間です。」
「ですが――」
「姫様、私たちが元の世界を捨てたのは自分勝手な他人たちに愛想が尽きたからです、欲望のまま、親から唯一遺された遺産を奪おうとする親族たち。勝手な理由で子供を作って最後には捨てる親。生んでおいて面倒もろくに見ない親。そんな人たちが嫌だったからです。」
それが私たちにとってのもとの世界だった。
社会で許された理不尽だからと甘受するにはあまりに辛すぎる現実。
「そこから逃げてきて、それでも私たちは同じように奪いたがる人たちに会いました、だから今度は、逃げるんじゃなくて立ち向かいたいんです、この世界でできた大切な人のためにも。」
そう言い切った私を見て、姫様がどんな風に思ったのかはわからない。
とりあえず姫様は呆れた顔でため息をついて、
「わかりました、私も覚悟を決めましょう。」
と言った。
「覚悟を決めるって、姫様。戦いは私たちに任せてくれれば」
「そうもいきません。」
私の発言を遮るように姫様は言い切った。
「攻撃タイプの魔法や魔術を全く使えない私は確かに戦力換算すればキサラギさん三分の一人分にもならないくらい弱いです、兵隊どころかそこら辺の子供とだって互角になりうる自信があります。」
酷評ともいえる自己評価を姫様はひとしきり言ってから、私の右手をつかむ。
「だからこそ、出来ることはしたいんです。なので……」
姫様は私の手をしっかり握りしめると、そのまま何か呪文を唱える。
姫様の両手から光が出てくる、その光は私の体を侵食するように手を介して広がっていき、やがて私の全身をつつみこんだと思ったら、消える。
「何をしたんです?」
「……守護の魔法、神族の祝福を模して対象の力を高める魔法ですが……すごく疲れます。」
姫様は顔を真っ青にして、苦しげに言った。
病気も治りきってなくてまだ体力が回復してるわけでもないのに、そんなことをしていいんだろうか。疑問には思ったけど、でも怖くて聞く気になれなかった。
私はこの人を守らなくてはいけない。
だから、そのための力を与えてもらったと解釈しよう。
あたしは昊と一緒にいた。
昊ががんばってるのを、後ろで見守ってるだけ。
意外に、今までの生活と変わらない、あたしたちが小さかったころから、それこそ前の世界にいたころから、大して変わらないように感じる。
あたしの頭には角が生えて、背中には羽と尻尾が生えてるのに。
あたしはこんなにも変わったのに、昊はあんまり変わってない。
それは、昊と離れることと同じなんじゃないのかな。
「ねぇ昊。」
沈黙が嫌になって声をかける。
「ん? 何? 天満。」
書いていた筆を止めて、昊はすぐに振り向く。
振り向いた昊に向かって、あたしは何の迷いもなく抱きついた。
細い見た目のわりに筋肉質な体、さわり心地のいい胸板、くっついただけで肺を満たす昊のにおい、前の世界にいたころと全然変わらない、あたしがこの世で一番大切な、何にも代えがたい弟。
あたしの体に腕が回される、あたしが抱き着くと、いつも昊はこうやって受け止めてくれた。やっぱり昊は変わってない。
この体になってから、わかったことはいくつかある。
まず、一定のことを強く念じると魔法が使える、ルミネさんが言うにはそれは魔法じゃなくて魔術らしいけど、差異がわからないから魔法でいいとあたしは思ってる。
あと、昊と定期的に……その…セックスしないと、体調が悪くなる、最低でも二日に一回はしないと本当に動けないほど体がだるくなる。
「で、何か用なのかな? 天満?」
あたしを抱きしめた姿勢のまま、穏やかに昊が訊ねる。
「えっとあの……何ってこともないんだけど……」
正直に言えばかまってほしかっただけだ、なんだかあたしだけがおかしくなっちゃったみたいで、嫌だったから昊に甘えてみようと思っただけだ。
「何ってこともない、まぁそんな気分もあるよね。」
そう言いながら、少しだけあたしから体を離していく。
その前にあたしがしっかり抱きしめて、逃げられないようにする。
「……天満、ちょっと苦しいよ?」
胸の上から押さえつけられて、昊が不満そうに言った。
それでもあたしの腕は昊から離れない、まるで昊を今離したら、知らないどこかに行ってしまうように感じて、それが怖くてもっと力いっぱい昊を抱きしめる。
昊はあたしの弟、あたしだけの大切な家族、あたしだけの昊。
だれにも渡さない、だれにも独占させない、だって昊を独占するのはたった一人のお姉ちゃんのあたしなんだから。
ずっと怖かった、あたし以外の誰かのところに行くんじゃないかって、あたしの弟なのにあたしの家族でしかないはずなのに他のあたしとは家族じゃない誰かの家族になるんじゃないのかって、そんなことにずっと怯えてた。
けど、今は違う、姉としてではなく一人の女として弟を愛しても許される。
「昊……しよ?」
耳元で甘く囁く、サキュバス属の魔物は、これだけでも男を惹きつけることのできる魅了の力を持っている。けどそれが全く効果がなかったみたいに、昊はゆっくりとあたしの体を引きはがす、あたしが痛くないように、優しく。
「悪いけど、まだできないよ。」
そう言った昊は、また机に向かって、本にペンを走らせる、紙に着々と描かれる図形。
淀みのないペン先を見ているとこの世界に来た時のことを思い出す、そういえばあの時も製図を担当してたのは昊だったんだっけ。
「ねぇ、あたしのこと好き?」
「大好きだよ、それが?」
当たり前のように、気恥ずかしさも全く感じさせずに言い切った。
こういうことを平気で言えるやつなんだよな……だからシスコンなんだし。
「……あたしに自分の子供孕ませたいと思う?」
「不思議なことだけど、思ってるよ。」
昊はまた恥ずかしがる気配もなくあっさりと答えた。
そうしながらもペンを走らせる手は一瞬たりとも止まらない、それどころかコツをつかんだのかさっきよりいくらか書き上げる速度が速くなってるようにも見える。
「……ずっと一緒にいてくれる?」
「聞かれるまでもないね、けどひとつ我儘言うなら、次生まれてくるときは天満の弟だからって悩まなくてもいいような人生を送りたいかな。」
そう答えた昊は、書き終えるとあたしの体を抱き寄せてきた。
「戦いの間、極力僕から離れないでよ……もう…離れ離れは嫌だから。」
「………うん。」
ずっと一緒にいられる。
これからもあたしたちは二人で生きていく。
それを確信した瞬間だった。
それはいい、こうなってしまってはもう僕たちには最善を尽くす以外に手段なんか残されていないんだから、最善を尽くすことだけ考えてればほかの余計なことは考えなくていい。
だが、どうやって戦争に向けて準備しておくのかはそれぞれ。
僕がどうやって戦争に備えるかを教えてくれるのはルミネさんだった。
特にやることがない(っていうかどうやら僕と一緒にいることの方が重要っぽい)天満と一緒に、僕はまた魔術研究所に来ていた。
「って言っても、一冊あなた専用の魔術書を作るだけなんだけどね。」
そう言ったルミネさんは、表紙以外全くの白紙の本を僕によこしてきた。
「魔術書?」
「そうよ、面倒だからこれ以降書で済ますけど、魔術師が戦闘のために利用する魔法行使のための道具の一つ、行った魔法儀式を書に記録させることでいつでも行使できるようにするの。」
「えっと、それはつまり、前に言ってた魔法の弱点である『即時性に欠ける』ことを補うための道具ですか?」
確かアイリさんに聞かされた限りでは魔法はすぐに使うことはできなかったはずだ。
魔術はすぐに使うことが可能だけど不安定で効率が良くない。
それに対し、魔法は手順を踏まなくてはいけないので即時性に欠ける反面効率よく安定した力を発揮させることができる、もしそれを魔術書の使用によってすぐに使えるようにすれば、大きなアドバンテージになるだろう。
「そうよ、じゃそれの一ページ目に署名して、そしたら順番に魔法の構築式を記録していくわよ。」
そう言ってルミネさんは万年筆とインク壺を取り出す、どこから出しているのやら、この人はたまに何もないところから道具を取り出したりしてる。
署名に関しては名前はこの世界で通じている文字を使わなくてはいけないというわけではないらしいので、書きなれた日本語での自分の名前を使わせてもらう。
「あなたの世界じゃソラってこんな風に書くの?」
「いえ、これだけに限定はされません。」
ローマ字綴り、平仮名片仮名漢字、特に漢字はいろいろ存在してるから、一概にこれが「ソラ」と読んでいいものなのかは微妙になってしまう。
「面倒そうねぇ……ああけどジパングと似たようなものかしら。」
よく知らないので答えようがない。
次に魔法の詠唱式を書き込んでいく、要するに言葉にせずとも世界に干渉できるように魔法陣とか術式の内部の文様を書き写していくんだけど、これがまた難しい。
何せミリ単位の誤差も許されない(誤差があると正常に発動しない・もしくはおかしな別種類の魔法に変わってしまうことがある)から、本当に神経が磨り減る。
「書を一冊作るのは、魔法の手間の前払いみたいなものよ、この書の作成に使った時間は無駄になるかもしれない代わりに、利用すればほとんど時間をかけずに強力な魔法を使うことが可能になる。後で試しに持ってる子たちの魔法を見せてもらいましょ。」
そう言いながら、ルミネさんは退屈そうに僕が魔法陣を書くのを見つめていた。
そういえば、ルミネさんや天満に魔術書は必要ないんだろうか。
ちょっとチラッとだけ天満の様子をうかがってみる、彼女は僕とセックスしたときにこの研究所を封じ込める形で隔離結界を張っていたらしいが、それをどうやったのかは聞いても説明が要領を得なかった。
「天満は作らなくていいんですか?」
「いいわよ、魔物は人間に比べて自由に魔術を行使できる割合が多いの、むしろ道具に頼った方が弱くなる場合だってあるから、下手に作らない方がいいわ。」
ルミネさんのその発言に天満が頷く、魔物が人間よりも上位の存在だと一応聞いているには聞いていたけど、そんなところも優遇されているとは思ってなかった。
「ところで持ってる人って誰ですか?」
「南部開発局統括ランス、あなたも会ってるわよね? クロの三男。それに研究所の職員アイリ、あとあのお姫様とフレッドも持ってるんじゃないかしら。」
ルミネさんはすらすらと答えてくれるが、僕はあの二人が持っているところを見た記憶がない。見せる必要もないからかもしれないが。
「こんなに便利な道具ならみんな持っててもおかしくないですけど。」
そんな僕のつぶやきに対して
「そうでもないわ、いろいろ手間だし、それにあんまり大きな魔法は紙の中に封じ込めきれずに暴発しちゃうことだってあるんだからね。」
そんな風に返事をするルミネさんの言葉を耳に入れつつ、筆を走らせる。
とりあえず、通信魔法の魔法陣と魔法式は書き込み終わった、次だ。
「不本意だ。」
俺の目の前で、クロードさんは棒をくるくると回しながらそう言った。
俺を鍛えてくれることになったのはこの人なんだが、いまいちやる気が感じられない。
平崎の方は平崎の方で同じ訓練場らしきところでほかの人と戦闘訓練してるし、昊と天満はどっかに言っちまったから本当にここには俺とクロードさんだけ。
もともと無口な御仁らしく、発言量は少ない、そして基本設定がそうなのか、この人はかなり仏頂面をしていて、そして俺を睨んでいるように見えなくもない。
間が持たない、すごく息苦しい。
「もともと殺傷能力の低い武器を扱うという意味では俺とお前の武術は確かに似てる、だが俺たちのラギオン流棒術は人を殺さずに制圧する技術で、お前のは確か人を殺す技術なんだよな?」
たぶんそれを教えたのは昊のやつだろう、クロードさんの把握してるとおり、俺の使う十夜流亜流剣術は木刀で真剣を持った人を殺すことをコンセプトにした剣術だ。
防御はほとんど回避で、自分より強力な武器を持っていることが前提の相手の攻撃を武器で防ぐことはしない。攻撃面はかなり凶暴で、基本的に急所狙いなど相手を戦闘不能にすることだけを目的にした攻撃がほとんどだ。
クロードさんはため息一つつくと、俺に向けて棒を軽く振る。
「お前は、どう鍛えたい? ラギオン流の技を仕込むことも可能だし、ただ単純に俺と組み手を繰り返して戦闘技術を鍛えるのもありだ。 無論、両方も可能だ。」
「じゃ、技を教えてくれますか?」
俺の十夜流は足運びや剣の振り方、安定した素早い体の動きなどはかなり事細かに教えたが、相手の体に効率よくダメージを与えるわかりやすい必殺技は実はない。すべての攻撃が本来一撃必殺の急所狙いで、下手に技に頼る必要がなかったからだ。
だからこそ、ハロルドが一撃でハートを昏倒させた技は、是非とも知っておきたかった。
「そうか、じゃあそこに立ってろ、下手に動くなよ?」
そう言ったクロードさんが棒を俺に向けて構える。
後ろに一歩下がったと思ったら、突進するようにクロードさんが俺の水月に棒を当てる。
当たったところから全身まで衝撃が一気に走り、体が痺れる。
胃の中全部がかき回されてるみたいな気持ち悪さと、全身にかかる先生に殴られたとき同様の衝撃。
「これが、ラギオン流棒術の基本技術震撃だ、相手の体内に直接震動を叩きこむ技術で、使い方や力の入れ方を工夫することでいろんな応用技術に繋がっていく。」
淡々とクロードさんが説明するうちに、体の痺れは取れてきた。
確かにこの技なら相手を問答無用で封じられる、いい技かもしれない。
「どうやって使うんです?」
「……基本的には全身の力を集める技術と、それを効率的に震動として流し込む技術だな……悪いが具体的にどうやればとは一概に言えない。」
「練習あるのみってことですか?」
「………いまいち…実演できてもどう俺が実行してるのかは表現できんのだ、悪いな。」
クロードさんは少しだけ申し訳なさそうに言った。
止まれば見て盗むしかないだろうと思い、とりあえず食らった感じのままを練習用に用意された人形に当ててみる。
どふっ
人形は少しだけ俺の木刀を受けて凹んだが、それ以外に反応はない。
クロードさんが俺の打った人形の隣の人形に向けて棒を構えて、素早く突く。
ぼふん!
中が爆発するように一瞬だけ人形が膨らみ、そして収縮した。今のもやっぱり震撃なんだろうか、人にやったら一撃で殺せそうな、破壊的な威力があったように見えたが。
「……そうだお前魔術は使えるか?」
クロードさんが質問してくる。
「いえまったく、今までは物理戦闘だけで戦ってきました。」
呆れた顔をするクロードさん、どうやら、よっぽど無理をしてたと判断されたらしい。
「魔術と言っても俺も専門じゃないから基礎しかできないが……まぁ防護膜だけでも覚えておけ、意外に役に立つぞ。」
というわけで、まず俺が習得するのは防護膜という魔術に決定した。
左の上段切込みから右足をずらして反転しそのまま右の回し切り、しかし相手はそれを読んでいたように防御すると逆に頭を狙った高速の突き、両腕でどうにか受け止めるけど、力に押し切られて距離を開けさせられる。
「……強いなぁ。」
私と組み手している黒髪の青年は、私に向かってそうつぶやいた。
皮肉にしか聞こえない、だって私はさっきから彼を全く攻めきれていないんだから。
この青年の名はロイド。
かつてグラハムさんの腕を切り落とした、元勇者。
この人の剣技はリィレさんと同等程度だ、けれどリィレさんより力が強いのと、それ以上に純粋な動きがリィレさんよりずっと速いのを考えれば総合的にリィレさんよりも強いだろう。
武器は大きな両手剣一本、戦い方はリィレさんの長剣の扱い方と似てるところもある。
「ずいぶんと剣技がまともになったな、昔は力任せに剣を振り回していただけだったのに。」
脇で見ていたリィレさんが、ロイドに向かって声をかける。
「いろいろあったんだよ僕も、ここの人たちって運動能力だけで勝てる人の方が少ないし。」
ロイドさんは落ち着いて答える、私よりいくらか年上みたいだけど、雰囲気は柔らかい。
「マクワイア元帥も冷たいよね、体は鍛えたけど剣術は全く教えてくれなかったんだし。」
「無理を言うな、体を鍛えただけでも『いくら里親だからと勇者候補の一人に王国軍元帥が力を貸すとは何事だ』なんて、苦情が殺到していたんだぞ。」
それは立場上来て当たり前の苦情の気がしないでもないけれど、まあそんな風に言われてなお剣術を教えるわけにはいかなかったわけだ、世の中ってめんどうだね。
そんな実の兄妹のようなやり取りを見ていた私に、
「……キサラギさん。」
少し離れたところで様子を見ていた姫様が、手招きしてきた。
呼び出しに従って近づいていくと、姫様は少し離れた茂みの中に私を連れ込んだ。
一緒に鍛えてる人に因幡君と一緒に来た妖狐の英奈さんと、サラマンダーのハートさんもいるから、その人たちに断わってからだ。
「……えっと?」
姿勢を低くした姫様の顔が私の目の前に来る、こう見るとやっぱり顔だちには幼さが残ってはいるけれど綺麗だ、あと三年もしたら誰もが振り向く美人になるだろう。
「……キサラギさん。やめにしませんか?」
姫様は、真剣でとても申し訳なさそうな表情で私に向かってそう言った。
意味が分からずに、
「やめにするって、何をです?」
と私が聞くと、姫様は真剣な表情で
「戦うことをです、もともと、キサラギさんたちはこの国の諍いに巻き込まれてしまっただけなんです。それなのにずっと剣を持って戦うのは……おかしいと思います。」
と言った、確かに言ってることは間違ってない。
私たちはもともと元の世界から逃げ出したかっただけ、それをこの国の貴族たちに利用されてこの世界に呼び出され、そのまま流れの結果で今こんな風になっている。
けれど、私たちだって知ったことがある、この世界に来てわかったことがある。
「やめませんよ。」
私は強く言い切った、確かに巻き込まれただけだったとしても、今は私も一員だ。
「私たちは確かに巻き込まれる形でこの世界に来ました、けれど、今では私たちも一緒に戦う人間です。」
「ですが――」
「姫様、私たちが元の世界を捨てたのは自分勝手な他人たちに愛想が尽きたからです、欲望のまま、親から唯一遺された遺産を奪おうとする親族たち。勝手な理由で子供を作って最後には捨てる親。生んでおいて面倒もろくに見ない親。そんな人たちが嫌だったからです。」
それが私たちにとってのもとの世界だった。
社会で許された理不尽だからと甘受するにはあまりに辛すぎる現実。
「そこから逃げてきて、それでも私たちは同じように奪いたがる人たちに会いました、だから今度は、逃げるんじゃなくて立ち向かいたいんです、この世界でできた大切な人のためにも。」
そう言い切った私を見て、姫様がどんな風に思ったのかはわからない。
とりあえず姫様は呆れた顔でため息をついて、
「わかりました、私も覚悟を決めましょう。」
と言った。
「覚悟を決めるって、姫様。戦いは私たちに任せてくれれば」
「そうもいきません。」
私の発言を遮るように姫様は言い切った。
「攻撃タイプの魔法や魔術を全く使えない私は確かに戦力換算すればキサラギさん三分の一人分にもならないくらい弱いです、兵隊どころかそこら辺の子供とだって互角になりうる自信があります。」
酷評ともいえる自己評価を姫様はひとしきり言ってから、私の右手をつかむ。
「だからこそ、出来ることはしたいんです。なので……」
姫様は私の手をしっかり握りしめると、そのまま何か呪文を唱える。
姫様の両手から光が出てくる、その光は私の体を侵食するように手を介して広がっていき、やがて私の全身をつつみこんだと思ったら、消える。
「何をしたんです?」
「……守護の魔法、神族の祝福を模して対象の力を高める魔法ですが……すごく疲れます。」
姫様は顔を真っ青にして、苦しげに言った。
病気も治りきってなくてまだ体力が回復してるわけでもないのに、そんなことをしていいんだろうか。疑問には思ったけど、でも怖くて聞く気になれなかった。
私はこの人を守らなくてはいけない。
だから、そのための力を与えてもらったと解釈しよう。
あたしは昊と一緒にいた。
昊ががんばってるのを、後ろで見守ってるだけ。
意外に、今までの生活と変わらない、あたしたちが小さかったころから、それこそ前の世界にいたころから、大して変わらないように感じる。
あたしの頭には角が生えて、背中には羽と尻尾が生えてるのに。
あたしはこんなにも変わったのに、昊はあんまり変わってない。
それは、昊と離れることと同じなんじゃないのかな。
「ねぇ昊。」
沈黙が嫌になって声をかける。
「ん? 何? 天満。」
書いていた筆を止めて、昊はすぐに振り向く。
振り向いた昊に向かって、あたしは何の迷いもなく抱きついた。
細い見た目のわりに筋肉質な体、さわり心地のいい胸板、くっついただけで肺を満たす昊のにおい、前の世界にいたころと全然変わらない、あたしがこの世で一番大切な、何にも代えがたい弟。
あたしの体に腕が回される、あたしが抱き着くと、いつも昊はこうやって受け止めてくれた。やっぱり昊は変わってない。
この体になってから、わかったことはいくつかある。
まず、一定のことを強く念じると魔法が使える、ルミネさんが言うにはそれは魔法じゃなくて魔術らしいけど、差異がわからないから魔法でいいとあたしは思ってる。
あと、昊と定期的に……その…セックスしないと、体調が悪くなる、最低でも二日に一回はしないと本当に動けないほど体がだるくなる。
「で、何か用なのかな? 天満?」
あたしを抱きしめた姿勢のまま、穏やかに昊が訊ねる。
「えっとあの……何ってこともないんだけど……」
正直に言えばかまってほしかっただけだ、なんだかあたしだけがおかしくなっちゃったみたいで、嫌だったから昊に甘えてみようと思っただけだ。
「何ってこともない、まぁそんな気分もあるよね。」
そう言いながら、少しだけあたしから体を離していく。
その前にあたしがしっかり抱きしめて、逃げられないようにする。
「……天満、ちょっと苦しいよ?」
胸の上から押さえつけられて、昊が不満そうに言った。
それでもあたしの腕は昊から離れない、まるで昊を今離したら、知らないどこかに行ってしまうように感じて、それが怖くてもっと力いっぱい昊を抱きしめる。
昊はあたしの弟、あたしだけの大切な家族、あたしだけの昊。
だれにも渡さない、だれにも独占させない、だって昊を独占するのはたった一人のお姉ちゃんのあたしなんだから。
ずっと怖かった、あたし以外の誰かのところに行くんじゃないかって、あたしの弟なのにあたしの家族でしかないはずなのに他のあたしとは家族じゃない誰かの家族になるんじゃないのかって、そんなことにずっと怯えてた。
けど、今は違う、姉としてではなく一人の女として弟を愛しても許される。
「昊……しよ?」
耳元で甘く囁く、サキュバス属の魔物は、これだけでも男を惹きつけることのできる魅了の力を持っている。けどそれが全く効果がなかったみたいに、昊はゆっくりとあたしの体を引きはがす、あたしが痛くないように、優しく。
「悪いけど、まだできないよ。」
そう言った昊は、また机に向かって、本にペンを走らせる、紙に着々と描かれる図形。
淀みのないペン先を見ているとこの世界に来た時のことを思い出す、そういえばあの時も製図を担当してたのは昊だったんだっけ。
「ねぇ、あたしのこと好き?」
「大好きだよ、それが?」
当たり前のように、気恥ずかしさも全く感じさせずに言い切った。
こういうことを平気で言えるやつなんだよな……だからシスコンなんだし。
「……あたしに自分の子供孕ませたいと思う?」
「不思議なことだけど、思ってるよ。」
昊はまた恥ずかしがる気配もなくあっさりと答えた。
そうしながらもペンを走らせる手は一瞬たりとも止まらない、それどころかコツをつかんだのかさっきよりいくらか書き上げる速度が速くなってるようにも見える。
「……ずっと一緒にいてくれる?」
「聞かれるまでもないね、けどひとつ我儘言うなら、次生まれてくるときは天満の弟だからって悩まなくてもいいような人生を送りたいかな。」
そう答えた昊は、書き終えるとあたしの体を抱き寄せてきた。
「戦いの間、極力僕から離れないでよ……もう…離れ離れは嫌だから。」
「………うん。」
ずっと一緒にいられる。
これからもあたしたちは二人で生きていく。
それを確信した瞬間だった。
11/09/16 21:02更新 / なるつき
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