第三話 語らう
僕が初めてイリヤの本当の声を聞いてから数日が経った日のことだった。
夜に僕が自分の部屋でのんびりしていると、
『ロナルドさん……起きてますか?』
壁の向こうからイリヤが声をかけてきた。
「うん、起きてるよ。」
『へへへ……来ちゃいました。』
ちょっと照れくさそうな口調でイリヤは言う、顔は見えないけど、たぶん微笑んでいる。
来ちゃいましたってことはいつもここにいるわけじゃないんだよな?
空を飛んで移動してきた気配も、魔法を使って移動したような光も出なかったけれど、どうやって窓の外にある小さな足場に乗ったんだろう。疑問は尽きない。
これまでも毎晩決まった時間にイリヤがここを訪れて来ると、僕と彼女は他愛もない話に興じていた。相変わらず僕に姿を見せることだけは頑なに嫌がっていたけれど、それでも僕たちは隣り合っているように仲良く話した。
イリヤは僕を相手にする以外全くこのクルツの人や魔物と接触していないらしい、そんな風にどうやって身を隠しているのかを尋ねると
『それは秘密です……だって教えたら会いに来るかもしれないじゃないですか。』
と言って答えてくれなかった。
まぁ一理あるけど僕はそんなに信用されてないのかな。
そう思うとちょっと悲しくもある。
『お仕事の調子はどうですか?』
「僕の調子は相変わらず、役に立とうとして失敗したり仕事が遅かったり。けど、父さんは最近少し仕事が速くなったって言ってくれてる。」
『じゃあ、ロナルドさんの仕事ちょっとだけ早くなってるんですね。』
父さんがお世辞を言ってるとかそういう風には考えないのかな。
そう思ったけど、その可能性を頭の中ですぐに否定する。
イリヤが僕の記憶を持ってる以上、父さんが世辞なんか言わない人だってことも知ってるはずだ。
不意にドアがノックされる。
「ロン、起きてるかな?」
ハロルド兄さんだった、奥さんのカミナ義姉さんが今妊娠してるって聞いてるから、たぶん子供の名前がどうとかで話に来たんだと思う。
領主館の役人仲間全員に「子供の名前! どんな名前が良いと思います!? 男の子と女の子のどっちか、もしくは両方!」なんてウキウキしながら言ってた人だし。
生まれるのは今からまだ半年後のことだから、そんなに今から名前について誰かと話す必要もないと思うんだけど、どうやら生まれると知ったら待ち遠しくてしょうがないらしい。
僕は結構妄想狂の節があるって言われるし、兄さんは子供っぽく無邪気な所がある。
三兄弟で一番大人びている現実主義者が三男なのも、妙な話だ。
『これで失礼しますね。』
その言葉と共にイリヤの気配が消える。
「じゃ、また明日。」
そう言ってイリヤを送ってから、
「起きてるよ、どうぞ。」
ハロルド兄さんを迎える。
「ロン! 僕とカミナの子供の名前! どんなのが」
「生まれる性別分かったらまた聞いて、そのとき考えるから。」
飛び込んできた兄さんに対して、とても冷たい反応をする。
はしゃぎ過ぎだ、子供が生まれるのが嬉しいのは分からないでもないけど。
イリヤとの会話を邪魔されたことがちょっと気に入らなくて、そのまま僕は兄さんを追い出すように部屋から出し、すぐに横になった。
その翌朝。
今日は訓練日だから基本的にお仕事はなし、あくまで訓練も自主参加だから、僕のように戦力にならない人間は別に行かなくてもいい。
父さんやハロルド兄さんみたいに棒術の才能があったわけでもないし、ランスみたいに力が弱くても戦術と魔法でカバーできるわけでもない。
僕はこと戦闘に関しては、完璧すぎるほど凡人以下だった。
「とはいえ、暇なんだよね……」
皆お仕事が休みになっているし、基本的に多くの人が訓練場に集まっているけれど僕はあそこがあんまり好きじゃない。
本当なら、誰も戦わないで済むのが一番だと思う。
クルツに住むほとんどの人はそれで意見が一致していて、訓練をするのはあくまで自分たちの身を、自分たちの自由と理想を守るため。
けれどだからこそ、クルツの軍の士気は高い。
いくら倍近い兵力を有していても、圧倒的に優れた戦士を数人抱えているクルツがそれほど高い士気を維持できるなら王国は攻めきれない。
『こんにちは』
どこかからイリヤが声をかけて来る。
昼に彼女の方から声をかけてきたのはこれが初めてだ。
と言うよりも、僕たちは夜にしか会話したことがなかった。
最近夜が待ち遠しいと思うようになったのは、たぶんそのせいだろう。
「昼に来るなんて珍しいね、何かあったの?」
『いいえ……あの、今日は人が少ないから…』
「ああ、隠れなくても見つからないから?」
そう言えば彼女は僕以外からは姿を隠しているんだったか。
正確にいえば姿は僕も知らないけれど、声は僕だけが知っている。
『そう……です…』
何となく歯切れが悪い。
いつもはおどおどした丁寧口調でも言いたいことははっきり言ってくるのに。
「何かあった?」
『何もありません。』
断固とした口調でイリヤは言い切る。
たぶん何かあったんだろうけど、問い詰めても答えてくれない気がする。
だから聞くのを諦めて、他の話題を振る。
「イリヤって、戦うのは得意?」
『弱いです……たぶんロナルドさんよりさらに弱いかと。』
弱いの基準が僕であることは突っ込まない、だって僕本当に弱いから。
言われてみればそうか、単純に力のあるオーガやミノタウロスと違って、本来ならドッペルゲンガーは「他人を模写する」能力しかないんだから、戦うのが得意なはずがない。
それでも強い人に変身できれば強いと思うけど。
「そもそも、父さんとかロイドあたりが人間として強過ぎるんだよね。」
『それは……同感です。』
僕の父親、人間の領主クロードは齢三十九で、あと半年で祖父になる身ながら法務官である天使ツィリアに与えられた「祝福」の効果もあってクルツに住む人間では一番強い。
同様にランスの職場の部下である元勇者ロイドも、単純な身体能力はかなり高い。
『ハロルドさんのお子さん、名前は決まったんですか?』
「いや、今のところ候補を上げる人の方が少ないらしいよ。」
生まれる性別が分かるのももっと後のことになるとフレッド先生は言っていたから、それまでは僕と同様に候補を上げる気が起きない人の方が多いらしい。
「ブリジットが『息子だったらロディンなんてどうだ?』って言ったらしい。」
今のところそれが唯一の候補と言うことになっている。
兄さんも何かしら名前を考えているのかもしれないけど、僕は知らない。
「僕も正直名前はまだいいやと思ってるからね。」
『……でも…』
「でも?」
『ロナルドさんは、大好きな人との間に子供ができたら今のハロルドさんみたいに子供のようにはしゃぎまわってるタイプの人だと思います。』
イリヤがちょっと自信ありげに言う。
確かにそうかもしれない、全然否定できない。
けど誰との子供? と考えて、なぜか一瞬すぐそばにいるイリヤが子供を抱いている光景を思い浮かべた自分に驚く。姿すら知らないのに。
「確かに……そうかも。」
『でしょう。』
妄想を打ち消すように言葉を口から出した僕に、ちょっと自信ありげにイリヤが言う。
『だ〜あ〜れ〜?』
『ふひゃ!?』
外からのんびりした感じの声と、そしてイリヤの悲鳴が聞こえる。
今のはホブゴブリンのプラムだな。
たぶん油断してたせいでプラムの接近に気付けなかったんだと思う。
『あっ! あっあっ! ひゃぁ!』
ぽてん
イリヤが落下する音が聞こえた。
『ロナルドー、泥棒さん捕まえたー。』
『は、放してください! 放して!』
どうやら、イリヤはプラムに捕まってしまったらしい。
動きがとろくて良く転ぶし、頭の回転も遅いけど、力だけはとんでもなく強いから一度プラムに捕まったら父さんですら普通の手段では抜け出せない。
方法があるにはあるんだけど、あとあと面倒だから非推奨。
とりあえず急いで階段を下りて、玄関から家を出る。
僕の部屋は玄関からは反対の方向にしか窓がないから、移動がちょっと時間がかかる。
急いでたどりつくと、そこには黒いワンピースに身を包んだ小柄な女の子と、その女の子に巨乳を押し付けるようにして抑え込んでいるプラムがいた。
その巨乳と比べてしまうと、黒装束の少女のささやかな胸のふくらみは悲しいくらいに貧相に見えてしまう。
彼女がイリヤだと、状況から確信した。
「ロナルド、泥棒さん捕まえたよ。」
僕が来たことに気づくと、プラムはちょっと誇らしげに僕の方を向いて言う。
その声でイリヤも僕が来たことに気づいたらしい。
僕の顔を見る。
その顔つきは幼げで、自信がなかった割には顔つきはとても整っている。
少し個性に乏しいと言われてみればそうかもしれないがやはり魔物、普通の人間よりははるかに美人だ。
抵抗をやめて、大きな赤い瞳を見開いて僕を見る。
「……………」
数秒間の沈黙、わけが分からないといった表情で僕たちを見るプラム。
イリヤの口がゆっくり開いて行く、唇の間から覗く歯並びが良くて白い綺麗な歯。
「いやぁ―――――――――――――――――――――――ッ!!!!」
耳をつんざくような悲鳴と言うのが生易しく感じるほど悲痛な声を上げて、またもイリヤが暴れ始める。それに驚いたプラムはイリヤを放してしまい、すると彼女はすぐさま立ち上がり、裸足のまま逃げだす。
足はそんなに速くないけど、向かって行く先は森。
あわてて僕は後を追う。
「あのこ誰だったの?」
しかし、首をかしげたプラムに今度は僕がつかまってしまう。
その力に引っ張られる形で僕は顔面から地面にぶつかる。
「僕の友達だよ。」
そう言って手を放してもらうと、今度こそイリヤを追う。
必死で走っていた。
プラムのおかげで無駄な時間を食ってしまったから、イリヤを見失った。
「まさか、顔見られただけで逃げるなんて……」
そこまで自信がなかったんだろうか。
それとも、好かれているのが自分ではないと思っているから、だからそれを再確認させられるのが嫌で逃げたんだろうか。
嫌いになんかなりっこないのに。
必死で逃げて、彼女はどこに行くんだろう。
この土地で僕の傍らにしか居場所がないはずなのに、それを失ったら彼女はどうなるだろう。
「やっぱり僕、頼られることを求めてるのかな。」
彼女の居場所が僕のそばにあるなんて思いあがったこと考えるなんて。
森の地面に、小さな足跡を見つける。
その足跡以外に手がかりもなさそうなので、とりあえず追ってみる。
すぐに行きついたのは、小さな洞窟。
「ここって……」
昔、僕とランスとネリス、そしてシェンリやクリムと一緒に肝試しに訪れた洞窟だ。
子供のころはここがすごく怖くて、ネリスやクリムが泣き出し、僕もずっと怯えていた。だけどランスとシェンリだけは平気そうにしてた、あの頃から個性差があったに違いない。
クルツの民もこんなところに洞窟があることを知っている人の方が少ないから、隠れ場所としては最適だったんだろう。
「……やっちゃったなぁ…」
今更になって思う。
顔を見られたら嫌われるかもしれない、それに彼女は怯えていた。
だから最初から言ってあげればよかったんだ。
嫌いになんてならないってことを。
「うっぐ…ひくっ……うぇえ グスっ」
すすり泣く声が聞こえる。
洞窟の奥、突きあたりになっていたはずの場所を見てみると、そこにイリヤがいた。もともと小さな体をさらに小さく丸めて、こんな暗い洞窟の中で彼女は独りで泣いていた。
「何で泣くの…最初からわかってたことなのに、わたしは…ネリスさんじゃないことも……あの人をだましてたことも…向ける顔なんてないのに……」
どうやらまだ僕に気づいていないらしく、背を向けたまま小さな声で呟く。
「ロナルドさんは……嘘つきが嫌い。だから…嫌われるってわかってたんだからばれたときにいなくなればよかったのに……わたしって馬鹿……」
どうにも、自分を責めているらしい。
そうだったのか、そう僕は思った。
彼女は自分に自信がなかったんじゃなくて、苦しんでいたんだ。
僕が嘘吐きを嫌いだから、顔を見せてその嘘を再認識したらその瞬間に僕の隣にいられなくなるだろうと怯えていたんだ。
ずっと彼女は悩んでいたんだ、自分がウソをつかなくては僕の隣にいられないと思っていた。それでも諦められなくて、だから姿を隠して僕のところに来た。
いい加減、やめてくれ。
「イリヤ。」
僕は背後から彼女に声をかけると、すぐにその背中に抱きついた。
「ひっ――ッ!!!」
驚きと、たぶん恐怖心からイリヤが引き攣った悲鳴を上げる。
しっかりつかんで逃げられないようにするけど、イリヤは全く抵抗しない。
「君は、僕の隣にいたかったからウソをついたんだろ? 僕を励ましたかったからあの姿になったんだろ? そんな風に、僕のことを一途に思ってくれた女の子を嘘吐き呼ばわりする狭量な男に、僕をしないでくれよ。」
我ながら、本当に勝手な言い分だと思う。
結局は彼女のことなんか思っていないんじゃないか。
ただ自分が悪く言われることに、自分が悪く思われることに耐えられなかっただけ。
本当に馬鹿なのは、僕の方じゃないか。
こんなに苦しんでいたのに、こんなに悩んでいたのに。
そんなことも気付けずに彼女と話す時間をただ心待ちにしていただけだったんだから。
「君が嘘吐きだったとしても、どうでもいいよ。イリヤ。」
後になって思い起こすとたぶん僕は無意識でこの言葉を放っていたんだと思う。
けど、偽りのない本心で僕は彼女に告げた。
「僕の隣にいてくれないか?」
夜に僕が自分の部屋でのんびりしていると、
『ロナルドさん……起きてますか?』
壁の向こうからイリヤが声をかけてきた。
「うん、起きてるよ。」
『へへへ……来ちゃいました。』
ちょっと照れくさそうな口調でイリヤは言う、顔は見えないけど、たぶん微笑んでいる。
来ちゃいましたってことはいつもここにいるわけじゃないんだよな?
空を飛んで移動してきた気配も、魔法を使って移動したような光も出なかったけれど、どうやって窓の外にある小さな足場に乗ったんだろう。疑問は尽きない。
これまでも毎晩決まった時間にイリヤがここを訪れて来ると、僕と彼女は他愛もない話に興じていた。相変わらず僕に姿を見せることだけは頑なに嫌がっていたけれど、それでも僕たちは隣り合っているように仲良く話した。
イリヤは僕を相手にする以外全くこのクルツの人や魔物と接触していないらしい、そんな風にどうやって身を隠しているのかを尋ねると
『それは秘密です……だって教えたら会いに来るかもしれないじゃないですか。』
と言って答えてくれなかった。
まぁ一理あるけど僕はそんなに信用されてないのかな。
そう思うとちょっと悲しくもある。
『お仕事の調子はどうですか?』
「僕の調子は相変わらず、役に立とうとして失敗したり仕事が遅かったり。けど、父さんは最近少し仕事が速くなったって言ってくれてる。」
『じゃあ、ロナルドさんの仕事ちょっとだけ早くなってるんですね。』
父さんがお世辞を言ってるとかそういう風には考えないのかな。
そう思ったけど、その可能性を頭の中ですぐに否定する。
イリヤが僕の記憶を持ってる以上、父さんが世辞なんか言わない人だってことも知ってるはずだ。
不意にドアがノックされる。
「ロン、起きてるかな?」
ハロルド兄さんだった、奥さんのカミナ義姉さんが今妊娠してるって聞いてるから、たぶん子供の名前がどうとかで話に来たんだと思う。
領主館の役人仲間全員に「子供の名前! どんな名前が良いと思います!? 男の子と女の子のどっちか、もしくは両方!」なんてウキウキしながら言ってた人だし。
生まれるのは今からまだ半年後のことだから、そんなに今から名前について誰かと話す必要もないと思うんだけど、どうやら生まれると知ったら待ち遠しくてしょうがないらしい。
僕は結構妄想狂の節があるって言われるし、兄さんは子供っぽく無邪気な所がある。
三兄弟で一番大人びている現実主義者が三男なのも、妙な話だ。
『これで失礼しますね。』
その言葉と共にイリヤの気配が消える。
「じゃ、また明日。」
そう言ってイリヤを送ってから、
「起きてるよ、どうぞ。」
ハロルド兄さんを迎える。
「ロン! 僕とカミナの子供の名前! どんなのが」
「生まれる性別分かったらまた聞いて、そのとき考えるから。」
飛び込んできた兄さんに対して、とても冷たい反応をする。
はしゃぎ過ぎだ、子供が生まれるのが嬉しいのは分からないでもないけど。
イリヤとの会話を邪魔されたことがちょっと気に入らなくて、そのまま僕は兄さんを追い出すように部屋から出し、すぐに横になった。
その翌朝。
今日は訓練日だから基本的にお仕事はなし、あくまで訓練も自主参加だから、僕のように戦力にならない人間は別に行かなくてもいい。
父さんやハロルド兄さんみたいに棒術の才能があったわけでもないし、ランスみたいに力が弱くても戦術と魔法でカバーできるわけでもない。
僕はこと戦闘に関しては、完璧すぎるほど凡人以下だった。
「とはいえ、暇なんだよね……」
皆お仕事が休みになっているし、基本的に多くの人が訓練場に集まっているけれど僕はあそこがあんまり好きじゃない。
本当なら、誰も戦わないで済むのが一番だと思う。
クルツに住むほとんどの人はそれで意見が一致していて、訓練をするのはあくまで自分たちの身を、自分たちの自由と理想を守るため。
けれどだからこそ、クルツの軍の士気は高い。
いくら倍近い兵力を有していても、圧倒的に優れた戦士を数人抱えているクルツがそれほど高い士気を維持できるなら王国は攻めきれない。
『こんにちは』
どこかからイリヤが声をかけて来る。
昼に彼女の方から声をかけてきたのはこれが初めてだ。
と言うよりも、僕たちは夜にしか会話したことがなかった。
最近夜が待ち遠しいと思うようになったのは、たぶんそのせいだろう。
「昼に来るなんて珍しいね、何かあったの?」
『いいえ……あの、今日は人が少ないから…』
「ああ、隠れなくても見つからないから?」
そう言えば彼女は僕以外からは姿を隠しているんだったか。
正確にいえば姿は僕も知らないけれど、声は僕だけが知っている。
『そう……です…』
何となく歯切れが悪い。
いつもはおどおどした丁寧口調でも言いたいことははっきり言ってくるのに。
「何かあった?」
『何もありません。』
断固とした口調でイリヤは言い切る。
たぶん何かあったんだろうけど、問い詰めても答えてくれない気がする。
だから聞くのを諦めて、他の話題を振る。
「イリヤって、戦うのは得意?」
『弱いです……たぶんロナルドさんよりさらに弱いかと。』
弱いの基準が僕であることは突っ込まない、だって僕本当に弱いから。
言われてみればそうか、単純に力のあるオーガやミノタウロスと違って、本来ならドッペルゲンガーは「他人を模写する」能力しかないんだから、戦うのが得意なはずがない。
それでも強い人に変身できれば強いと思うけど。
「そもそも、父さんとかロイドあたりが人間として強過ぎるんだよね。」
『それは……同感です。』
僕の父親、人間の領主クロードは齢三十九で、あと半年で祖父になる身ながら法務官である天使ツィリアに与えられた「祝福」の効果もあってクルツに住む人間では一番強い。
同様にランスの職場の部下である元勇者ロイドも、単純な身体能力はかなり高い。
『ハロルドさんのお子さん、名前は決まったんですか?』
「いや、今のところ候補を上げる人の方が少ないらしいよ。」
生まれる性別が分かるのももっと後のことになるとフレッド先生は言っていたから、それまでは僕と同様に候補を上げる気が起きない人の方が多いらしい。
「ブリジットが『息子だったらロディンなんてどうだ?』って言ったらしい。」
今のところそれが唯一の候補と言うことになっている。
兄さんも何かしら名前を考えているのかもしれないけど、僕は知らない。
「僕も正直名前はまだいいやと思ってるからね。」
『……でも…』
「でも?」
『ロナルドさんは、大好きな人との間に子供ができたら今のハロルドさんみたいに子供のようにはしゃぎまわってるタイプの人だと思います。』
イリヤがちょっと自信ありげに言う。
確かにそうかもしれない、全然否定できない。
けど誰との子供? と考えて、なぜか一瞬すぐそばにいるイリヤが子供を抱いている光景を思い浮かべた自分に驚く。姿すら知らないのに。
「確かに……そうかも。」
『でしょう。』
妄想を打ち消すように言葉を口から出した僕に、ちょっと自信ありげにイリヤが言う。
『だ〜あ〜れ〜?』
『ふひゃ!?』
外からのんびりした感じの声と、そしてイリヤの悲鳴が聞こえる。
今のはホブゴブリンのプラムだな。
たぶん油断してたせいでプラムの接近に気付けなかったんだと思う。
『あっ! あっあっ! ひゃぁ!』
ぽてん
イリヤが落下する音が聞こえた。
『ロナルドー、泥棒さん捕まえたー。』
『は、放してください! 放して!』
どうやら、イリヤはプラムに捕まってしまったらしい。
動きがとろくて良く転ぶし、頭の回転も遅いけど、力だけはとんでもなく強いから一度プラムに捕まったら父さんですら普通の手段では抜け出せない。
方法があるにはあるんだけど、あとあと面倒だから非推奨。
とりあえず急いで階段を下りて、玄関から家を出る。
僕の部屋は玄関からは反対の方向にしか窓がないから、移動がちょっと時間がかかる。
急いでたどりつくと、そこには黒いワンピースに身を包んだ小柄な女の子と、その女の子に巨乳を押し付けるようにして抑え込んでいるプラムがいた。
その巨乳と比べてしまうと、黒装束の少女のささやかな胸のふくらみは悲しいくらいに貧相に見えてしまう。
彼女がイリヤだと、状況から確信した。
「ロナルド、泥棒さん捕まえたよ。」
僕が来たことに気づくと、プラムはちょっと誇らしげに僕の方を向いて言う。
その声でイリヤも僕が来たことに気づいたらしい。
僕の顔を見る。
その顔つきは幼げで、自信がなかった割には顔つきはとても整っている。
少し個性に乏しいと言われてみればそうかもしれないがやはり魔物、普通の人間よりははるかに美人だ。
抵抗をやめて、大きな赤い瞳を見開いて僕を見る。
「……………」
数秒間の沈黙、わけが分からないといった表情で僕たちを見るプラム。
イリヤの口がゆっくり開いて行く、唇の間から覗く歯並びが良くて白い綺麗な歯。
「いやぁ―――――――――――――――――――――――ッ!!!!」
耳をつんざくような悲鳴と言うのが生易しく感じるほど悲痛な声を上げて、またもイリヤが暴れ始める。それに驚いたプラムはイリヤを放してしまい、すると彼女はすぐさま立ち上がり、裸足のまま逃げだす。
足はそんなに速くないけど、向かって行く先は森。
あわてて僕は後を追う。
「あのこ誰だったの?」
しかし、首をかしげたプラムに今度は僕がつかまってしまう。
その力に引っ張られる形で僕は顔面から地面にぶつかる。
「僕の友達だよ。」
そう言って手を放してもらうと、今度こそイリヤを追う。
必死で走っていた。
プラムのおかげで無駄な時間を食ってしまったから、イリヤを見失った。
「まさか、顔見られただけで逃げるなんて……」
そこまで自信がなかったんだろうか。
それとも、好かれているのが自分ではないと思っているから、だからそれを再確認させられるのが嫌で逃げたんだろうか。
嫌いになんかなりっこないのに。
必死で逃げて、彼女はどこに行くんだろう。
この土地で僕の傍らにしか居場所がないはずなのに、それを失ったら彼女はどうなるだろう。
「やっぱり僕、頼られることを求めてるのかな。」
彼女の居場所が僕のそばにあるなんて思いあがったこと考えるなんて。
森の地面に、小さな足跡を見つける。
その足跡以外に手がかりもなさそうなので、とりあえず追ってみる。
すぐに行きついたのは、小さな洞窟。
「ここって……」
昔、僕とランスとネリス、そしてシェンリやクリムと一緒に肝試しに訪れた洞窟だ。
子供のころはここがすごく怖くて、ネリスやクリムが泣き出し、僕もずっと怯えていた。だけどランスとシェンリだけは平気そうにしてた、あの頃から個性差があったに違いない。
クルツの民もこんなところに洞窟があることを知っている人の方が少ないから、隠れ場所としては最適だったんだろう。
「……やっちゃったなぁ…」
今更になって思う。
顔を見られたら嫌われるかもしれない、それに彼女は怯えていた。
だから最初から言ってあげればよかったんだ。
嫌いになんてならないってことを。
「うっぐ…ひくっ……うぇえ グスっ」
すすり泣く声が聞こえる。
洞窟の奥、突きあたりになっていたはずの場所を見てみると、そこにイリヤがいた。もともと小さな体をさらに小さく丸めて、こんな暗い洞窟の中で彼女は独りで泣いていた。
「何で泣くの…最初からわかってたことなのに、わたしは…ネリスさんじゃないことも……あの人をだましてたことも…向ける顔なんてないのに……」
どうやらまだ僕に気づいていないらしく、背を向けたまま小さな声で呟く。
「ロナルドさんは……嘘つきが嫌い。だから…嫌われるってわかってたんだからばれたときにいなくなればよかったのに……わたしって馬鹿……」
どうにも、自分を責めているらしい。
そうだったのか、そう僕は思った。
彼女は自分に自信がなかったんじゃなくて、苦しんでいたんだ。
僕が嘘吐きを嫌いだから、顔を見せてその嘘を再認識したらその瞬間に僕の隣にいられなくなるだろうと怯えていたんだ。
ずっと彼女は悩んでいたんだ、自分がウソをつかなくては僕の隣にいられないと思っていた。それでも諦められなくて、だから姿を隠して僕のところに来た。
いい加減、やめてくれ。
「イリヤ。」
僕は背後から彼女に声をかけると、すぐにその背中に抱きついた。
「ひっ――ッ!!!」
驚きと、たぶん恐怖心からイリヤが引き攣った悲鳴を上げる。
しっかりつかんで逃げられないようにするけど、イリヤは全く抵抗しない。
「君は、僕の隣にいたかったからウソをついたんだろ? 僕を励ましたかったからあの姿になったんだろ? そんな風に、僕のことを一途に思ってくれた女の子を嘘吐き呼ばわりする狭量な男に、僕をしないでくれよ。」
我ながら、本当に勝手な言い分だと思う。
結局は彼女のことなんか思っていないんじゃないか。
ただ自分が悪く言われることに、自分が悪く思われることに耐えられなかっただけ。
本当に馬鹿なのは、僕の方じゃないか。
こんなに苦しんでいたのに、こんなに悩んでいたのに。
そんなことも気付けずに彼女と話す時間をただ心待ちにしていただけだったんだから。
「君が嘘吐きだったとしても、どうでもいいよ。イリヤ。」
後になって思い起こすとたぶん僕は無意識でこの言葉を放っていたんだと思う。
けど、偽りのない本心で僕は彼女に告げた。
「僕の隣にいてくれないか?」
11/06/01 07:31更新 / なるつき
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