ダイヤの間:イカサマババ抜き(前編)
【ダイヤの間】
三番目となるダイヤの扉。
その先にあったのは、何もない小さな部屋だった。
いや、何もないというのは語弊がある。部屋の中央に丸テーブルと、それを囲む四つの椅子。そして、テーブルの上に未開封のトランプデッキがひとつ。だが、それだけだ。他にあるのはクリーム色の壁と床、そして天井。対戦相手もいない。
ギャリーはテーブルに近づき、トランプデッキに手を伸ばす。
次の瞬間、トランプデッキが煌めく光と共に勢いよく弾けた。
「ばぁーーーー!!」
明らかにデッキの体積を無視し、噴水のごとく舞い上がる大量のトランプ。その札嵐の中から、一人の少女が逆さまになって出現する。
「ビックリした? ビックリした!? あたしダイヤ! 勝負師四枚札の一人、奇天烈夢幻のダイヤ!」
逆さまのまま宙に浮き、ケラケラという甲高い笑い声と共に、物理的に光弾ける笑顔を振りまく少女。だが彼女はギャリーの無表情が気に入らなかったらしい。突如ムッとした顔になり、身体の各部位をバラバラに、まるでモンタージュが切り替わるかのように回転させ、上下正しい体勢に戻る。
「あなた、全然驚かないね。こっちがビックリだよ」
「いや、今日二番くらいには驚いている。一番驚いたのは、鏡の空間に飛ばされた瞬間だからな」
少女は訝しげな目で、ギャリーの顔を無遠慮にジロジロ観察する。今まで闘った二人と比べ、明らかに小柄だ。歳も、10かそこらにしか見えない。フワフワとした豊かな髪を二つ結びにして、それぞれのテールの先端ではサイコロパフとしか表現できないホワホワとした淡く光る謎の立方体が、明らかに重力を無視して踊っていた。
「まあいいや。ギャリーさんだよね? ここに来るまでに、四枚札の二人を倒したって聞いてるよ。なかなか実力者みたいだけど、アタシはそんな簡単に負ける気ないから、よろしくね」
すっと手を出し、握手を求めてくるダイヤ。その手を取ろうとした瞬間、床が抜けて浮遊感と共に身体が自由落下を始める。
「あ!?」
反射的にダイヤに向け手を伸ばすが、その手を掴んだと思った瞬間、ダイヤは破裂音と共に消えてしまった。
床の下には青空が広がっており、雲をつき抜け真っ逆さまに落ちていく。
爆竹の爆ぜるような音が、螺旋を描きながら追いかけてくる。
「あははははははははは!! 驚いた、驚いた! 今度こそ驚いた! アッて声をあげたもん! 驚き屋さん! ギャリーちゃんの驚き屋さん!」
響くダイヤの高笑い。グルンと世界の色が反転し、空が黄色に、赤に、緑に。そして痙攣と共に世界が瞬き気が付けば静かな森の中。
鳥の鳴き声や木々のざわめきといった穏やかな自然音の中、ギャリーは最初の部屋にあった四人がけの丸テーブルに腰を下ろしていた。
「ギャリーちゃん、テーブルに腰掛けちゃダメ! お行儀よく、ちゃんと椅子に座りなさい!」
ポカンとしていたところを背後から突然一喝され、慌てて立ち上がり椅子に移る。
向かいの席には、優雅に紅茶を嗜むダイヤの姿。
ギャリーの口から、ついつい感嘆の声が漏れる。
「いや、正直驚いた。流石にこれは今日一番かもしれない」
ダイヤは機嫌良さげににまーっと笑い、「でしょー」と足をパタパタと動かした。つま先がギャリーの膝小僧を何度も蹴り上げる。
「結局、これは幻術か何かか? 俺は、最初の部屋から移動していなかったりするのかな?」
ギャリーはダイヤの蹴りを避けるようにポジションを変えつつ問いかける。だが、そう聞きながらも頬を撫でる風が錯覚の産物とはとても信じられなかった。
「うーん、よくわかんない。アタシって、現実とか幻とか、あんまり関係ないから」
逃げるギャリーの膝を追いかけるようにして蹴りを食らわせ続けるダイヤは、そう言って自分のティーカップの縁を爪で弾いた。
キンッという高い音と共に、テーブルの上にお茶会のセットが現れる。紅茶が適量注がれたカップが三つ、香り立つ湯気を上げていた。
「こりゃ凄いな」
ギャリーはポーカーフェイスの下でいたく感心し、その湯気を鼻からいっぱいに吸い込んだ。香り立つのはアールグレイだ。
「どーぞどーぞ召し上がれ。それはギャリーちゃんの分!」
そう言われて、思わずカップを口元に運び……唇が触れるより先に脳が臨戦態勢に切り替わった。
「おい待て。これが俺の分ということは、あとの二杯は誰の分だ?」
「当然、他の参加者の分だよ」
「他の参加者? ゲームは俺とお前達トランパート、一対一でやるものじゃないのか?」
「うん! だから、数合わせはちゃんと頭スカスカのを選ばなきゃ」
そう言って、ダイヤはテーブルの上に視線を泳がせる。
「あ、見てこのポット。花柄だから、きっと女の人だよ。あと、今は昼だから、キャンドルはいらないね。この二つはいつも一緒だから、きっと夫婦だ! よし、決まりね!」
ダイヤがくるりと指を振ると、ポットとキャンドルが淡い光に包まれ、宙に浮かぶ。続けてにょきにょきと身体が生えてきて、円卓を囲む残り二つの席に座った。
ポットの体は絢爛な貴婦人風のドレス。キャンドルはパリッとした燕尾服だ。
「冷めたらそれっきりのポット婦人と、熱くなると頭が溶けちゃうキャンドル男爵! どう? いい感じにスカスカでしょ!」
そう言って無邪気に笑い、紅茶を飲み干すダイヤ。空になった彼女のカップに、ポット婦人が自らの頭から紅茶を注ぐ。
「あら婦人、ありがとうございますわ」
ダイヤは気取った様子で(小指を立てて!)紅茶をすすり、機嫌良さげににんまりと笑った。
「それじゃ、そろそろゲームを始めようか! アタシのお気に入り! イカサマババ抜き!」
「イカサマババ抜き?」
その言葉を聞き、ギャリーは改めて周囲の森を、テーブルの上のお茶会セットを、そしてポット婦人とキャンドル男爵を見た。
「アンタ相手にイカサマ勝負とは、流石の俺でも自信がないな」
「大丈夫大丈夫! アタシなーんでも出来るけど、ルールに反したイカサマは絶対しないの! こう言うと、みんな怪訝な顔するけどね!」
そうして、彼女はゲームのルールの説明を始めた。
♦=♦=♦=♦=♦=♦=♦=♦=♦=♦=♦=♦=♦
【イカサマババ抜きのルール】
プレイ人数:3人〜
プレイ時間:10〜20分程度
使用カード:1〜10の数札、J、Q、Kの13枚 × 4種のスート + ジョーカー1枚の計53枚
@使用カードをよくシャッフルし、親から時計回りにプレイヤー全員に配る(手札の枚数に偏りが出るのは気にしなくて良い)。その後、全プレイヤーは手札から同じ数字でペアになるカードを探し、それを捨てる。
A最初は親を手番プレイヤーとして始める。
B手番プレイヤーは、左隣の人の手札を一枚引き、自分の手札に加える。手番プレイヤーは、ここで手札に同色同数字のペアがあるなら、@と同じようにそれらを捨てることができる。その後、手番プレイヤーが右隣の人に移る。
C以降はBの手順を繰り返し、最初に手札の無くなったプレイヤーの勝利となる。
【特殊ルール1:イカサマ】
このゲームでは、ルール上でイカサマが認められている。
ただし、イカサマは以下のルールに則って行うこと。
@プレイヤーは、イカサマにより手札を処分してもよい。ただし、手札は常にテーブルよりも高い位置に持ち、物陰や背後に隠したりしてはいけない。
Aイカサマは、ゲーム中ならばいつでも行うことができる。しかし、一回のイカサマで処分できる手札は一枚までとする。
B誰かひとりの手番中に、二回以上イカサマをすることは禁止とする。
B魔術によるイカサマは禁止とする。
C所定のカードデッキ以外のカードや、偽カードの使用は禁止とする。
Dカードを破損するようなイカサマ(折る、破る、印をつけるなど)は禁止とする。
E親によるイカサマは禁止とする(特殊ルール3参照)。
F以上に反する、禁止されているイカサマを行った場合、そのプレイヤーは脱落となる。
G親によるイカサマの摘発が認められたり、誰かが脱落した場合、その時点から手番の周りを逆順にする。
【特殊ルール2:ババ】
イカサマババ抜きではゲーム開始前に、通常のジョーカーに加え、ババに当たる数字を設定する。例えばエースをババに設定した場合、全てのスート(ハート、ダイヤ、スペード、クローバー)のエース全てがババとなり、ペアが出来ても捨てることが出来なくなる。これら4+1枚のババは、イカサマによってのみ処分することが出来る。
【特殊ルール3:親と摘発】
イカサマババ抜きには、親という役職が存在する。
親は、イカサマを行うことができない。その代わり、他人のイカサマを摘発することが出来る。摘発の際は、どのタイミングで、どのようにしてイカサマを行なったか、指摘すること。
摘発が認められた場合、摘発されたプレイヤーは処分したカードを手札に戻し、さらに捨て札からランダムに1枚を手札に加える。その後、摘発されたプレイヤーが次の親となる。
また、摘発が誤りだった場合、ペナルティとして親は捨て札からランダムに1枚を手札に加える。
♦=♦=♦=♦=♦=♦=♦=♦=♦=♦=♦=♦=♦
「…………」
「どったのギャリーちゃん、難しい顔して。なんか分からないところでもあった?」
「いや、そういうわけじゃない。イカサマがルール化されているは画期的だと思う。だが……ルールはこれで全部か?」
「全部だよー」
「本当に?」
「本当に!」
「……」
考え込むギャリー。
おかしい。今までのゲーム、どちらも性的な要素が含まれていた。そして、それは支配者たるハートの女王の趣味によるもの……。
(何故、このゲームにだけそれがない? 何か見落としている?)
考えろ、考えろ、考えろ……。
ルールミスは、敗北に直結する……!
「ギャリーちゃん。もしかして、何か足りないって思ってる?」
「あぁ……」
「それって……エッチな罰ゲームとか?」
「うむ……」
「そうだよね! やっぱり物足りないよね! 気が合うね! アタシたち!」
「ん!? おい待て今なんて」
ギャリーの制止を聞かず、ダイヤは声高に叫んだ。
「そうだねーギャリーちゃん!! じゃあ、今回のババはクイーンにしよっか!! ハートの女王様にちなんで!!」
突如、空に暗雲が立ち込め、青空は曇天に変貌した。
ゴロゴロと、唸るような低い雷鳴が響く。
『ダイヤ……なんと恐ろしいことを』
何処からともなく聞こえてきたのは、鏡の部屋の案内人、ジョーカーの声だ。
『女王様がお怒りです。ゆめゆめ無事でいられるとは思わぬように』
「でもでもジョーカー、これってアタシとギャリーちゃん、二人で決めたことだよ。なのに、アタシだけオシオキされるの?」
『……何が言いたいのですか?』
「アタシだけじゃなくて、ギャリーちゃんも平等にオシオキされるのがスジってこと! でも、ギャリーちゃんは大切なゲスト。もしアタシに勝ったら、ハートの相手も残ってる……。だから、アタシとギャリーちゃん、勝負で負けた方が極刑ってのはどう!?」
『成る程……。勝負師らしい発想ですね。よいでしょう、女王様には私からお話ししておきます。ただし、二人分の極刑に加え、女王様をお待たせするとなると……想像を絶する刑を、ご覚悟ください』
「おっけー! サンキューねジョーカー! 女王様に宜しく!」
雲が晴れ、青空が戻ってくる。
ダイヤはニマニマと笑い、「というワケだから、お互い負けられないね、ギャリーちゃん!」という。
ギャリーはボリボリと頭を掻き、一つ息を吐いた。
「やれやれ……だが、こういうのは嫌いじゃない。案外、本当に気が合うかもしれないな、俺たちは」
「嬉しいね! それじゃ、楽しいゲームのスタートだよ!」
テーブルを囲む四人の手元に、それぞれカードが出現する。
欺瞞のゲーム、イカサマババ抜き。幕開けである。
♦♦♦♦♦♦
先のルール説明でも記載した通り、この『イカサマババ抜き』は基本的に普通のババ抜きと同じ手順で進行する。
各々、配られたカードからペアのカードを捨て札とし、ゲーム開始時点での手札枚数は以下の通り。
ダイヤ:7枚
ポット婦人:5枚
ギャリー:6枚
キャンドル男爵:10枚
最初はダイヤを親として、手番はダイヤ→婦人→ギャリー→男爵の順番で進行する。
「今更だが……この二人は中立ということでいいんだよな? あと、ルールに許容されていないイカサマをどのように判定するか、詳しく教えてくれ」
親であるダイヤから順繰りに回ってきた最初の出番、ギャリーは改めて言質をとっておく。
先ほど見せられた夢と幻ともつかぬ奇怪な光景。恐らく魔術の類なのだろうが、あんなものを使われてはイカサマもへったくれもない。一応、ルールには『魔術によるイカサマ不可』と明記があるが、これが正しく守られているか確認する術すら、ギャリーは持ち合わせていないのだ。出来ることといえば、こうしてあらかじめ言質を取っておくことぐらい。それすら、相手の善意頼みのなのが現状である。
「勿論! 婦人も男爵も、ただの数合わせだからね、凝ったことできる頭もないよ! ルール外のイカサマについては、そういうのしたら分かっちゃう結界が張られてて、何かすると雷が落ちる仕掛けになってるの! ジョーカーと女王様が張った結界だから、アタシじゃ解除できないし……怖いよー!」
ギャリーの心配を他所に無邪気に笑う少女は、ヒエーッとこれまたわざとらしく怯えてみせた。
「なら、いいんだがな」
ギャリーは自分の左隣、ポット夫人の手札を引く。
やってきた札は……スペードの3。
ギャリーの現在の手札は6枚。数字はそれぞれA、4、7、8、Q、K。状況は動かない。
(ババであるQはイカサマで処理するか、または隣のプレイヤーに引かせるか……。ここで引いてくれれば話が早いんだが)
が、そうは都合よくいかなかった。ギャリーの右隣に座る男爵が引いたカードはA。しかも手札にペアが出来たらしく、男爵は手札のAを処分に成功。
そのまま、ダイヤ→婦人→ギャリーと手番が一巡する。
二週目のギャリーの手番。ここでツキがまわってきた。
ギャリーの引いたカードは7。手札と併せてペアの完成である。
「悪いなダイヤ。先行させてもらう」
そういって、テーブル中央の捨札置き場に二枚のカードを投げ込む。数を減らした手札を男爵に差し出――「ギャリーちゃん、何勝手に進めようとしてるの? イカサマだよ」
時間にして数秒。
全てが制止する、勝負師の間。
ハァ、というギャリーの溜息を合図に、世界が再度動き出す。ヤレヤレといった様子で首を振るその男の手札は……4枚!
7のカードを処分しただけならば、残り手札は5枚でなければおかしい。紛うことなきイカサマである!
ギャリーはポーカー・フェイスを崩し、自嘲ぎみに笑う。
「ま、そう一筋縄ではいかないか。で? 俺はいつ、どうやってカードを消したんだ?」
「ペアになったカードを捨て札にした時だよ。親指で弾くようにして、カードを一枚、袖の中に隠したでしょ?」
ギャリーはゆっくりとした動きで……左の袖の中から一枚のカードを取り出す。
「やったー! 大正解!!」
手を万歳にして、大げさに喜ぶダイヤ。
「それじゃギャリーちゃん、へたっぴさんには、ペナルティだよ!」
ダイヤがテーブルを指で叩くと、高速でシャッフルされた捨札群からカードが一枚、ギャリーの手元に射出された。
その一枚と、消し損ねたカードも手札に加える。
ギャリーの現在の手札は、6枚(ここから婦人が1枚引くので、実際は5枚)。
「あと、次からはギャリーちゃんが親だよ! 頑張って、イカサマを摘発してね!」
満面の笑みのダイヤ。
ゲームはまだ、始まったばかりだ。
♦♦♦♦♦♦
ギャリーが新たに親となり、進行する『イカサマババ抜き』。摘発が成功したため、カードの巡りが逆回り、ギャリー→婦人→ダイヤ→男爵という順番になる。
確認のため言っておくが、ルール上、親はイカサマができない。つまり、手札のババを処分できない。そして、親でなくなるためには、誰かのイカサマを摘発するしかない……。仮に、このまま誰もイカサマをしなければ、ギャリーは永遠に親であり続けるということだ。
(が、それは在り得ない。手札の枚数を見るに、まだ誰もイカサマを成功させていない。ならば、場を巡っているババは、俺が今捨札から引き揚げたもの含めて全部で6枚……。全員の手札が減る程、ババの密度は濃くなっていく……)
ギャリーは、場のカードの行方すべてに神経を配りながら、思考を巡らせる。
そもそも、イカサマをしないならば親も子も勝つ確率は同じ。このゲームを『お気に入り』と呼ぶダイヤが、そんなことを許すとも思えなかった。
(ダイヤの今の手札は7枚。イカサマのタイミングは見逃さ――!?)
一瞬、目の錯覚かと思った。ダイヤの手札が……6枚になっている!
つい数瞬前までは、確かに7枚だったはずだ!
「どったのギャリーちゃん? じーっと見つめてきて。……あっ!? もしかしてアタシに見惚れてたとか!?」
いや〜ん、と笑いながら身をくねらせるダイヤ。
そんな彼女に、ギャリーは暗く響くような声音で問う。
「ダイヤ。手札の枚数を見せろ」
小さな胸の前で広げた手札は……確かに6枚! 間違いない、1枚減っている!
「……なるほどな」
「えへへへ。摘発しないんだ?」
「ああ。どうやって消したのか、分からないからな」
そう、親がイカサマを摘発するときは、その手段まで言い当てなくてはならない。それを間違えれば、親は動かず、さらにペナルティで手札追加。勝利はより遠のく。
「冷静だねー! でも、少し悠長じゃない?」
心配する様子のダイヤを鼻で笑い、続行を指示するギャリー。
(安い挑発……。そう乗せられてたまるか)
しかし、ギャリーはこの後すぐ、この決断を激しく後悔することになるのだった。
♦♦♦♦♦♦
手番が一周と少し回り、またギャリーの手番。
キャンドル男爵から引いた札は、あろうことかQ。親というカードを処分することのできない立場で、ババが手元に3枚は厳しい。
「ギャリーちゃ〜ん。いつまで親でいる気〜?」
ダイヤが退屈そうに声を上げた。
「もっとバンバン摘発しようよ〜」
不貞腐れたようにテーブルに突っ伏し、顔を伏せてぶーぶーと文句を垂れるダイヤ。もし、先ほどのイカサマで彼女を摘発できていたならば、格好のイカサマチャンスである。つまり、また露骨な挑発だ。
「やかましい。なら、まずはお前がイカサマをしろ」
ポット婦人にカードを引かせつつ、適当にあしらうギャリー。婦人が引いたのはQ。これは僥倖である。今の手番に増えてしまったババを労せず処分することができた。
「えー? もうしたじゃん」
ぐいん、とギャリーの意識の本体が、Qからダイヤに引き戻される。
口元に微かな笑みを浮かべるダイヤの手札は……5枚!
また、1枚減っている!
(莫迦な……)
ダイヤの動きは、ずっと目の端で追っていた。おかしな動きはしていなかったはずだ。たった今、Qを処分した瞬間も、油断して目を離すようなことはしなかった。
(つまり、これは……)
最早認めざるを得ない。ダイヤのイカサマの技量は、ギャリーの摘発の技量を超えている。目を離してしまったとか、気が散っていたとか、そういう次元ではない。ダイヤは一般的なゲームの動作さえできれば、バレずにイカサマが可能なのだ。仮に、ギャリーに直視されていようとも!
「いい顔してるね、ギャリーちゃん……」
ダイヤの纏う空気が一変した。
クスクスという、粘着質な嗤いが、耳に纏わりつく。
大気の温度が冷え、世界の明度が落ちたような錯覚を覚えた。
「教えてあげるよ。ギャリーちゃんの敗因はね……」
ダイヤはギャリーに見せつけるようにして、自分の手札を指で弾いてカウントする。
1、2、3、4、5枚。
それらを纏め、テーブル上で底をトントンと叩いてぴったり重なるように整えた後、テーブル上に裏向きに置く。
左手を背に回し、右手の指でカードのトップを弾くように叩く。
「アタシに、イカサマを許したこと♦」
もう一度、見せつけるようにカウンティング。
1、2、3、4、……4枚!
「待った! イカサマだ!」
ギャリーは殆ど脊髄反射で、声高に叫んだ。
もはや体面もへったくれもない。なんでもいいから、もう一度ダイヤを親に戻さねば。彼女のイカサマを封じなければ、最早勝ちの目は無い。
「ふふふ。好きだなぁ、そういう手段を選ばない感じ。でも、イカサマしたって宣言だけじゃダメだよ? あたしがどのタイミングで、どうやってカードを隠したか、宣言してよねギャリーちゃん!」
ダイヤは愉悦の笑みを浮かべ、楽しそうに喉を鳴らす。『絶対に見破られることはない』そう確信しているのだ。
(はっきり言って、今回も全く見えなかった。だが、的ぐらいは絞れる)
焦らず、思考を巡らせる。
(ぱっと思いつくのは3つ。カードを整えた時、左手を背に回した時、伏せたカードの背を叩いた時。手の中に隠したか、または高速で弾くなりして卓上から消したか……)
勘と呼ぶには余りにもお粗末な空想。だが、予備動作すら分からなかった前々回、気付きさえしなかった前回のイカサマと比べれば、遥かにマシと言える。そして何より……。
(カードを痛めてはいけないルールがある以上、カードを弾いたり曲げたりするイカサマはリスキー。ならば!)
「左手を後ろに回したタイミングだ。手の中にカードを隠し、そのまま卓上から排除した」
「うんうん、カードを消すなら現実的な線だよね。……カードを消すならね」
ぞわり、と背に寒いものが走った。
根本的な間違いを犯したことを、直感的に理解する。
ダイヤの指がゆっくりと動き……手にした4枚のカードの、その後ろから、5枚目のカードが出現する。
そう、まだカウントされていなかった、5枚目のカード!
ぐらり。世界が歪んでいく。
周囲から暗黒が押し寄せてきて、視界が狭まる。
悪魔が嗤う幻聴が聞こえる。
否、それはダイヤの嗤い声だ。
「あははははははははは!! ギャリーちゃんのうっかり屋さん! ダメだよぉ、確認も無しに、イカサマなんて! ペナルティ、手札一枚追加だね!」
捨て札群が竜巻の如くシャッフルされ、その中からカードが一枚、ギャリーの手元に射出される。
「ダメだよギャリーちゃん。目が閉じてる」
地の底から響くような、驚くほど暗い声音。
ダイヤの小さな体から、どす黒い瘴気が溢れ出した。
「顔の目じゃないよ。見えないものを見て、あやふやな予感を確信に変える、ギャンブラーならすべからく見開いているべきもう1つの目……。それが閉じてる。だから見誤る。勝負師四枚札の半分を下した力ってのは、そんなものなの?」
吸い込まれそうな、赤い瞳。重力が増していく。氷の腕に心臓を鷲掴みにされるような感覚。呼吸が出来ない――。
「なーんてね! 勝敗なんて関係ないよぉ。楽しく遊ぼ!」
ぱっと、瘴気が霧散した。
呼吸が、できる。
ギャリーは深く息を吸い込むと、自分の額を拭った。じっとりと、嫌な汗で濡れている。
周囲の森には、光や、鳥の囀りが戻ってきていた。
「えへへー。ゲームなんだから、楽しまないと! あ、紅茶おかわりする?」
そう言って天真爛漫に笑うダイヤは、先程までとは別人のようだ。年相応の少女のようにしか見えない。
「いや、結構。まだあるから」
ギャリーはそう言って、自分のカップに口を付ける。湯気を立てていたはずの紅茶は、いつの間にかすっかり冷めてしまっていた。
♦♦♦♦♦♦
(ふふふふふ。意外としぶとい……楽しいなぁ)
ダイヤは、踊りだしたくなるようなうきうきとした気持ちで、紅茶を一口啜った。
目の前の男はポーカーフェイスを装ってはいるが、内心動揺しているのがまるわかりだ。スペードのバカや間抜けなクローバーならいざ知らず、このダイヤ様の目は誤魔化せない。
(この圧力の中で表面だけでも平静を保っていられるなんて、大した胆力……。でもでも、もう少しだよ。心がギィギィ軋む音が聞こえるよ……!)
ジョーカーからこの賭け勝負の話をされたときは、正直面倒くさいと感じた。だから、ギャリーが最初にスペードの間を選んだときは、面倒ごとに巻き込まれずに済んだと思った。だが今は違う。目の前の男は、四枚札の半分を下し、今も心折れずに自分の前に立っている。こんな上玉はそうそうない。是非、自分のモノにしたい。
少女の笑顔の下で、ダイヤは姦計を巡らせる。
先程の摘発ミス。あれに引っかかったということは、ギャリーは自分のイカサマを目で追う事すら不可能ということ。ならば、いくらでも料理のしようはある。
(イカサマ、心理戦、どちらもアタシの領分。その両方がシステムに深く関わるこのゲームにおいて、アタシに敗北の文字はない……。でも、油断はしないよ。あらゆる手段をもってして、まずはその闘志を叩き折る……!)
常に全力を出すことが勝負の礼儀。
自分がそれを貫く限り、ギャリーには万に一つも希望はない。
ダイヤの心に、勝負師の、悪魔の嗤いが浮かんだ。
三番目となるダイヤの扉。
その先にあったのは、何もない小さな部屋だった。
いや、何もないというのは語弊がある。部屋の中央に丸テーブルと、それを囲む四つの椅子。そして、テーブルの上に未開封のトランプデッキがひとつ。だが、それだけだ。他にあるのはクリーム色の壁と床、そして天井。対戦相手もいない。
ギャリーはテーブルに近づき、トランプデッキに手を伸ばす。
次の瞬間、トランプデッキが煌めく光と共に勢いよく弾けた。
「ばぁーーーー!!」
明らかにデッキの体積を無視し、噴水のごとく舞い上がる大量のトランプ。その札嵐の中から、一人の少女が逆さまになって出現する。
「ビックリした? ビックリした!? あたしダイヤ! 勝負師四枚札の一人、奇天烈夢幻のダイヤ!」
逆さまのまま宙に浮き、ケラケラという甲高い笑い声と共に、物理的に光弾ける笑顔を振りまく少女。だが彼女はギャリーの無表情が気に入らなかったらしい。突如ムッとした顔になり、身体の各部位をバラバラに、まるでモンタージュが切り替わるかのように回転させ、上下正しい体勢に戻る。
「あなた、全然驚かないね。こっちがビックリだよ」
「いや、今日二番くらいには驚いている。一番驚いたのは、鏡の空間に飛ばされた瞬間だからな」
少女は訝しげな目で、ギャリーの顔を無遠慮にジロジロ観察する。今まで闘った二人と比べ、明らかに小柄だ。歳も、10かそこらにしか見えない。フワフワとした豊かな髪を二つ結びにして、それぞれのテールの先端ではサイコロパフとしか表現できないホワホワとした淡く光る謎の立方体が、明らかに重力を無視して踊っていた。
「まあいいや。ギャリーさんだよね? ここに来るまでに、四枚札の二人を倒したって聞いてるよ。なかなか実力者みたいだけど、アタシはそんな簡単に負ける気ないから、よろしくね」
すっと手を出し、握手を求めてくるダイヤ。その手を取ろうとした瞬間、床が抜けて浮遊感と共に身体が自由落下を始める。
「あ!?」
反射的にダイヤに向け手を伸ばすが、その手を掴んだと思った瞬間、ダイヤは破裂音と共に消えてしまった。
床の下には青空が広がっており、雲をつき抜け真っ逆さまに落ちていく。
爆竹の爆ぜるような音が、螺旋を描きながら追いかけてくる。
「あははははははははは!! 驚いた、驚いた! 今度こそ驚いた! アッて声をあげたもん! 驚き屋さん! ギャリーちゃんの驚き屋さん!」
響くダイヤの高笑い。グルンと世界の色が反転し、空が黄色に、赤に、緑に。そして痙攣と共に世界が瞬き気が付けば静かな森の中。
鳥の鳴き声や木々のざわめきといった穏やかな自然音の中、ギャリーは最初の部屋にあった四人がけの丸テーブルに腰を下ろしていた。
「ギャリーちゃん、テーブルに腰掛けちゃダメ! お行儀よく、ちゃんと椅子に座りなさい!」
ポカンとしていたところを背後から突然一喝され、慌てて立ち上がり椅子に移る。
向かいの席には、優雅に紅茶を嗜むダイヤの姿。
ギャリーの口から、ついつい感嘆の声が漏れる。
「いや、正直驚いた。流石にこれは今日一番かもしれない」
ダイヤは機嫌良さげににまーっと笑い、「でしょー」と足をパタパタと動かした。つま先がギャリーの膝小僧を何度も蹴り上げる。
「結局、これは幻術か何かか? 俺は、最初の部屋から移動していなかったりするのかな?」
ギャリーはダイヤの蹴りを避けるようにポジションを変えつつ問いかける。だが、そう聞きながらも頬を撫でる風が錯覚の産物とはとても信じられなかった。
「うーん、よくわかんない。アタシって、現実とか幻とか、あんまり関係ないから」
逃げるギャリーの膝を追いかけるようにして蹴りを食らわせ続けるダイヤは、そう言って自分のティーカップの縁を爪で弾いた。
キンッという高い音と共に、テーブルの上にお茶会のセットが現れる。紅茶が適量注がれたカップが三つ、香り立つ湯気を上げていた。
「こりゃ凄いな」
ギャリーはポーカーフェイスの下でいたく感心し、その湯気を鼻からいっぱいに吸い込んだ。香り立つのはアールグレイだ。
「どーぞどーぞ召し上がれ。それはギャリーちゃんの分!」
そう言われて、思わずカップを口元に運び……唇が触れるより先に脳が臨戦態勢に切り替わった。
「おい待て。これが俺の分ということは、あとの二杯は誰の分だ?」
「当然、他の参加者の分だよ」
「他の参加者? ゲームは俺とお前達トランパート、一対一でやるものじゃないのか?」
「うん! だから、数合わせはちゃんと頭スカスカのを選ばなきゃ」
そう言って、ダイヤはテーブルの上に視線を泳がせる。
「あ、見てこのポット。花柄だから、きっと女の人だよ。あと、今は昼だから、キャンドルはいらないね。この二つはいつも一緒だから、きっと夫婦だ! よし、決まりね!」
ダイヤがくるりと指を振ると、ポットとキャンドルが淡い光に包まれ、宙に浮かぶ。続けてにょきにょきと身体が生えてきて、円卓を囲む残り二つの席に座った。
ポットの体は絢爛な貴婦人風のドレス。キャンドルはパリッとした燕尾服だ。
「冷めたらそれっきりのポット婦人と、熱くなると頭が溶けちゃうキャンドル男爵! どう? いい感じにスカスカでしょ!」
そう言って無邪気に笑い、紅茶を飲み干すダイヤ。空になった彼女のカップに、ポット婦人が自らの頭から紅茶を注ぐ。
「あら婦人、ありがとうございますわ」
ダイヤは気取った様子で(小指を立てて!)紅茶をすすり、機嫌良さげににんまりと笑った。
「それじゃ、そろそろゲームを始めようか! アタシのお気に入り! イカサマババ抜き!」
「イカサマババ抜き?」
その言葉を聞き、ギャリーは改めて周囲の森を、テーブルの上のお茶会セットを、そしてポット婦人とキャンドル男爵を見た。
「アンタ相手にイカサマ勝負とは、流石の俺でも自信がないな」
「大丈夫大丈夫! アタシなーんでも出来るけど、ルールに反したイカサマは絶対しないの! こう言うと、みんな怪訝な顔するけどね!」
そうして、彼女はゲームのルールの説明を始めた。
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【イカサマババ抜きのルール】
プレイ人数:3人〜
プレイ時間:10〜20分程度
使用カード:1〜10の数札、J、Q、Kの13枚 × 4種のスート + ジョーカー1枚の計53枚
@使用カードをよくシャッフルし、親から時計回りにプレイヤー全員に配る(手札の枚数に偏りが出るのは気にしなくて良い)。その後、全プレイヤーは手札から同じ数字でペアになるカードを探し、それを捨てる。
A最初は親を手番プレイヤーとして始める。
B手番プレイヤーは、左隣の人の手札を一枚引き、自分の手札に加える。手番プレイヤーは、ここで手札に同色同数字のペアがあるなら、@と同じようにそれらを捨てることができる。その後、手番プレイヤーが右隣の人に移る。
C以降はBの手順を繰り返し、最初に手札の無くなったプレイヤーの勝利となる。
【特殊ルール1:イカサマ】
このゲームでは、ルール上でイカサマが認められている。
ただし、イカサマは以下のルールに則って行うこと。
@プレイヤーは、イカサマにより手札を処分してもよい。ただし、手札は常にテーブルよりも高い位置に持ち、物陰や背後に隠したりしてはいけない。
Aイカサマは、ゲーム中ならばいつでも行うことができる。しかし、一回のイカサマで処分できる手札は一枚までとする。
B誰かひとりの手番中に、二回以上イカサマをすることは禁止とする。
B魔術によるイカサマは禁止とする。
C所定のカードデッキ以外のカードや、偽カードの使用は禁止とする。
Dカードを破損するようなイカサマ(折る、破る、印をつけるなど)は禁止とする。
E親によるイカサマは禁止とする(特殊ルール3参照)。
F以上に反する、禁止されているイカサマを行った場合、そのプレイヤーは脱落となる。
G親によるイカサマの摘発が認められたり、誰かが脱落した場合、その時点から手番の周りを逆順にする。
【特殊ルール2:ババ】
イカサマババ抜きではゲーム開始前に、通常のジョーカーに加え、ババに当たる数字を設定する。例えばエースをババに設定した場合、全てのスート(ハート、ダイヤ、スペード、クローバー)のエース全てがババとなり、ペアが出来ても捨てることが出来なくなる。これら4+1枚のババは、イカサマによってのみ処分することが出来る。
【特殊ルール3:親と摘発】
イカサマババ抜きには、親という役職が存在する。
親は、イカサマを行うことができない。その代わり、他人のイカサマを摘発することが出来る。摘発の際は、どのタイミングで、どのようにしてイカサマを行なったか、指摘すること。
摘発が認められた場合、摘発されたプレイヤーは処分したカードを手札に戻し、さらに捨て札からランダムに1枚を手札に加える。その後、摘発されたプレイヤーが次の親となる。
また、摘発が誤りだった場合、ペナルティとして親は捨て札からランダムに1枚を手札に加える。
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「…………」
「どったのギャリーちゃん、難しい顔して。なんか分からないところでもあった?」
「いや、そういうわけじゃない。イカサマがルール化されているは画期的だと思う。だが……ルールはこれで全部か?」
「全部だよー」
「本当に?」
「本当に!」
「……」
考え込むギャリー。
おかしい。今までのゲーム、どちらも性的な要素が含まれていた。そして、それは支配者たるハートの女王の趣味によるもの……。
(何故、このゲームにだけそれがない? 何か見落としている?)
考えろ、考えろ、考えろ……。
ルールミスは、敗北に直結する……!
「ギャリーちゃん。もしかして、何か足りないって思ってる?」
「あぁ……」
「それって……エッチな罰ゲームとか?」
「うむ……」
「そうだよね! やっぱり物足りないよね! 気が合うね! アタシたち!」
「ん!? おい待て今なんて」
ギャリーの制止を聞かず、ダイヤは声高に叫んだ。
「そうだねーギャリーちゃん!! じゃあ、今回のババはクイーンにしよっか!! ハートの女王様にちなんで!!」
突如、空に暗雲が立ち込め、青空は曇天に変貌した。
ゴロゴロと、唸るような低い雷鳴が響く。
『ダイヤ……なんと恐ろしいことを』
何処からともなく聞こえてきたのは、鏡の部屋の案内人、ジョーカーの声だ。
『女王様がお怒りです。ゆめゆめ無事でいられるとは思わぬように』
「でもでもジョーカー、これってアタシとギャリーちゃん、二人で決めたことだよ。なのに、アタシだけオシオキされるの?」
『……何が言いたいのですか?』
「アタシだけじゃなくて、ギャリーちゃんも平等にオシオキされるのがスジってこと! でも、ギャリーちゃんは大切なゲスト。もしアタシに勝ったら、ハートの相手も残ってる……。だから、アタシとギャリーちゃん、勝負で負けた方が極刑ってのはどう!?」
『成る程……。勝負師らしい発想ですね。よいでしょう、女王様には私からお話ししておきます。ただし、二人分の極刑に加え、女王様をお待たせするとなると……想像を絶する刑を、ご覚悟ください』
「おっけー! サンキューねジョーカー! 女王様に宜しく!」
雲が晴れ、青空が戻ってくる。
ダイヤはニマニマと笑い、「というワケだから、お互い負けられないね、ギャリーちゃん!」という。
ギャリーはボリボリと頭を掻き、一つ息を吐いた。
「やれやれ……だが、こういうのは嫌いじゃない。案外、本当に気が合うかもしれないな、俺たちは」
「嬉しいね! それじゃ、楽しいゲームのスタートだよ!」
テーブルを囲む四人の手元に、それぞれカードが出現する。
欺瞞のゲーム、イカサマババ抜き。幕開けである。
♦♦♦♦♦♦
先のルール説明でも記載した通り、この『イカサマババ抜き』は基本的に普通のババ抜きと同じ手順で進行する。
各々、配られたカードからペアのカードを捨て札とし、ゲーム開始時点での手札枚数は以下の通り。
ダイヤ:7枚
ポット婦人:5枚
ギャリー:6枚
キャンドル男爵:10枚
最初はダイヤを親として、手番はダイヤ→婦人→ギャリー→男爵の順番で進行する。
「今更だが……この二人は中立ということでいいんだよな? あと、ルールに許容されていないイカサマをどのように判定するか、詳しく教えてくれ」
親であるダイヤから順繰りに回ってきた最初の出番、ギャリーは改めて言質をとっておく。
先ほど見せられた夢と幻ともつかぬ奇怪な光景。恐らく魔術の類なのだろうが、あんなものを使われてはイカサマもへったくれもない。一応、ルールには『魔術によるイカサマ不可』と明記があるが、これが正しく守られているか確認する術すら、ギャリーは持ち合わせていないのだ。出来ることといえば、こうしてあらかじめ言質を取っておくことぐらい。それすら、相手の善意頼みのなのが現状である。
「勿論! 婦人も男爵も、ただの数合わせだからね、凝ったことできる頭もないよ! ルール外のイカサマについては、そういうのしたら分かっちゃう結界が張られてて、何かすると雷が落ちる仕掛けになってるの! ジョーカーと女王様が張った結界だから、アタシじゃ解除できないし……怖いよー!」
ギャリーの心配を他所に無邪気に笑う少女は、ヒエーッとこれまたわざとらしく怯えてみせた。
「なら、いいんだがな」
ギャリーは自分の左隣、ポット夫人の手札を引く。
やってきた札は……スペードの3。
ギャリーの現在の手札は6枚。数字はそれぞれA、4、7、8、Q、K。状況は動かない。
(ババであるQはイカサマで処理するか、または隣のプレイヤーに引かせるか……。ここで引いてくれれば話が早いんだが)
が、そうは都合よくいかなかった。ギャリーの右隣に座る男爵が引いたカードはA。しかも手札にペアが出来たらしく、男爵は手札のAを処分に成功。
そのまま、ダイヤ→婦人→ギャリーと手番が一巡する。
二週目のギャリーの手番。ここでツキがまわってきた。
ギャリーの引いたカードは7。手札と併せてペアの完成である。
「悪いなダイヤ。先行させてもらう」
そういって、テーブル中央の捨札置き場に二枚のカードを投げ込む。数を減らした手札を男爵に差し出――「ギャリーちゃん、何勝手に進めようとしてるの? イカサマだよ」
時間にして数秒。
全てが制止する、勝負師の間。
ハァ、というギャリーの溜息を合図に、世界が再度動き出す。ヤレヤレといった様子で首を振るその男の手札は……4枚!
7のカードを処分しただけならば、残り手札は5枚でなければおかしい。紛うことなきイカサマである!
ギャリーはポーカー・フェイスを崩し、自嘲ぎみに笑う。
「ま、そう一筋縄ではいかないか。で? 俺はいつ、どうやってカードを消したんだ?」
「ペアになったカードを捨て札にした時だよ。親指で弾くようにして、カードを一枚、袖の中に隠したでしょ?」
ギャリーはゆっくりとした動きで……左の袖の中から一枚のカードを取り出す。
「やったー! 大正解!!」
手を万歳にして、大げさに喜ぶダイヤ。
「それじゃギャリーちゃん、へたっぴさんには、ペナルティだよ!」
ダイヤがテーブルを指で叩くと、高速でシャッフルされた捨札群からカードが一枚、ギャリーの手元に射出された。
その一枚と、消し損ねたカードも手札に加える。
ギャリーの現在の手札は、6枚(ここから婦人が1枚引くので、実際は5枚)。
「あと、次からはギャリーちゃんが親だよ! 頑張って、イカサマを摘発してね!」
満面の笑みのダイヤ。
ゲームはまだ、始まったばかりだ。
♦♦♦♦♦♦
ギャリーが新たに親となり、進行する『イカサマババ抜き』。摘発が成功したため、カードの巡りが逆回り、ギャリー→婦人→ダイヤ→男爵という順番になる。
確認のため言っておくが、ルール上、親はイカサマができない。つまり、手札のババを処分できない。そして、親でなくなるためには、誰かのイカサマを摘発するしかない……。仮に、このまま誰もイカサマをしなければ、ギャリーは永遠に親であり続けるということだ。
(が、それは在り得ない。手札の枚数を見るに、まだ誰もイカサマを成功させていない。ならば、場を巡っているババは、俺が今捨札から引き揚げたもの含めて全部で6枚……。全員の手札が減る程、ババの密度は濃くなっていく……)
ギャリーは、場のカードの行方すべてに神経を配りながら、思考を巡らせる。
そもそも、イカサマをしないならば親も子も勝つ確率は同じ。このゲームを『お気に入り』と呼ぶダイヤが、そんなことを許すとも思えなかった。
(ダイヤの今の手札は7枚。イカサマのタイミングは見逃さ――!?)
一瞬、目の錯覚かと思った。ダイヤの手札が……6枚になっている!
つい数瞬前までは、確かに7枚だったはずだ!
「どったのギャリーちゃん? じーっと見つめてきて。……あっ!? もしかしてアタシに見惚れてたとか!?」
いや〜ん、と笑いながら身をくねらせるダイヤ。
そんな彼女に、ギャリーは暗く響くような声音で問う。
「ダイヤ。手札の枚数を見せろ」
小さな胸の前で広げた手札は……確かに6枚! 間違いない、1枚減っている!
「……なるほどな」
「えへへへ。摘発しないんだ?」
「ああ。どうやって消したのか、分からないからな」
そう、親がイカサマを摘発するときは、その手段まで言い当てなくてはならない。それを間違えれば、親は動かず、さらにペナルティで手札追加。勝利はより遠のく。
「冷静だねー! でも、少し悠長じゃない?」
心配する様子のダイヤを鼻で笑い、続行を指示するギャリー。
(安い挑発……。そう乗せられてたまるか)
しかし、ギャリーはこの後すぐ、この決断を激しく後悔することになるのだった。
♦♦♦♦♦♦
手番が一周と少し回り、またギャリーの手番。
キャンドル男爵から引いた札は、あろうことかQ。親というカードを処分することのできない立場で、ババが手元に3枚は厳しい。
「ギャリーちゃ〜ん。いつまで親でいる気〜?」
ダイヤが退屈そうに声を上げた。
「もっとバンバン摘発しようよ〜」
不貞腐れたようにテーブルに突っ伏し、顔を伏せてぶーぶーと文句を垂れるダイヤ。もし、先ほどのイカサマで彼女を摘発できていたならば、格好のイカサマチャンスである。つまり、また露骨な挑発だ。
「やかましい。なら、まずはお前がイカサマをしろ」
ポット婦人にカードを引かせつつ、適当にあしらうギャリー。婦人が引いたのはQ。これは僥倖である。今の手番に増えてしまったババを労せず処分することができた。
「えー? もうしたじゃん」
ぐいん、とギャリーの意識の本体が、Qからダイヤに引き戻される。
口元に微かな笑みを浮かべるダイヤの手札は……5枚!
また、1枚減っている!
(莫迦な……)
ダイヤの動きは、ずっと目の端で追っていた。おかしな動きはしていなかったはずだ。たった今、Qを処分した瞬間も、油断して目を離すようなことはしなかった。
(つまり、これは……)
最早認めざるを得ない。ダイヤのイカサマの技量は、ギャリーの摘発の技量を超えている。目を離してしまったとか、気が散っていたとか、そういう次元ではない。ダイヤは一般的なゲームの動作さえできれば、バレずにイカサマが可能なのだ。仮に、ギャリーに直視されていようとも!
「いい顔してるね、ギャリーちゃん……」
ダイヤの纏う空気が一変した。
クスクスという、粘着質な嗤いが、耳に纏わりつく。
大気の温度が冷え、世界の明度が落ちたような錯覚を覚えた。
「教えてあげるよ。ギャリーちゃんの敗因はね……」
ダイヤはギャリーに見せつけるようにして、自分の手札を指で弾いてカウントする。
1、2、3、4、5枚。
それらを纏め、テーブル上で底をトントンと叩いてぴったり重なるように整えた後、テーブル上に裏向きに置く。
左手を背に回し、右手の指でカードのトップを弾くように叩く。
「アタシに、イカサマを許したこと♦」
もう一度、見せつけるようにカウンティング。
1、2、3、4、……4枚!
「待った! イカサマだ!」
ギャリーは殆ど脊髄反射で、声高に叫んだ。
もはや体面もへったくれもない。なんでもいいから、もう一度ダイヤを親に戻さねば。彼女のイカサマを封じなければ、最早勝ちの目は無い。
「ふふふ。好きだなぁ、そういう手段を選ばない感じ。でも、イカサマしたって宣言だけじゃダメだよ? あたしがどのタイミングで、どうやってカードを隠したか、宣言してよねギャリーちゃん!」
ダイヤは愉悦の笑みを浮かべ、楽しそうに喉を鳴らす。『絶対に見破られることはない』そう確信しているのだ。
(はっきり言って、今回も全く見えなかった。だが、的ぐらいは絞れる)
焦らず、思考を巡らせる。
(ぱっと思いつくのは3つ。カードを整えた時、左手を背に回した時、伏せたカードの背を叩いた時。手の中に隠したか、または高速で弾くなりして卓上から消したか……)
勘と呼ぶには余りにもお粗末な空想。だが、予備動作すら分からなかった前々回、気付きさえしなかった前回のイカサマと比べれば、遥かにマシと言える。そして何より……。
(カードを痛めてはいけないルールがある以上、カードを弾いたり曲げたりするイカサマはリスキー。ならば!)
「左手を後ろに回したタイミングだ。手の中にカードを隠し、そのまま卓上から排除した」
「うんうん、カードを消すなら現実的な線だよね。……カードを消すならね」
ぞわり、と背に寒いものが走った。
根本的な間違いを犯したことを、直感的に理解する。
ダイヤの指がゆっくりと動き……手にした4枚のカードの、その後ろから、5枚目のカードが出現する。
そう、まだカウントされていなかった、5枚目のカード!
ぐらり。世界が歪んでいく。
周囲から暗黒が押し寄せてきて、視界が狭まる。
悪魔が嗤う幻聴が聞こえる。
否、それはダイヤの嗤い声だ。
「あははははははははは!! ギャリーちゃんのうっかり屋さん! ダメだよぉ、確認も無しに、イカサマなんて! ペナルティ、手札一枚追加だね!」
捨て札群が竜巻の如くシャッフルされ、その中からカードが一枚、ギャリーの手元に射出される。
「ダメだよギャリーちゃん。目が閉じてる」
地の底から響くような、驚くほど暗い声音。
ダイヤの小さな体から、どす黒い瘴気が溢れ出した。
「顔の目じゃないよ。見えないものを見て、あやふやな予感を確信に変える、ギャンブラーならすべからく見開いているべきもう1つの目……。それが閉じてる。だから見誤る。勝負師四枚札の半分を下した力ってのは、そんなものなの?」
吸い込まれそうな、赤い瞳。重力が増していく。氷の腕に心臓を鷲掴みにされるような感覚。呼吸が出来ない――。
「なーんてね! 勝敗なんて関係ないよぉ。楽しく遊ぼ!」
ぱっと、瘴気が霧散した。
呼吸が、できる。
ギャリーは深く息を吸い込むと、自分の額を拭った。じっとりと、嫌な汗で濡れている。
周囲の森には、光や、鳥の囀りが戻ってきていた。
「えへへー。ゲームなんだから、楽しまないと! あ、紅茶おかわりする?」
そう言って天真爛漫に笑うダイヤは、先程までとは別人のようだ。年相応の少女のようにしか見えない。
「いや、結構。まだあるから」
ギャリーはそう言って、自分のカップに口を付ける。湯気を立てていたはずの紅茶は、いつの間にかすっかり冷めてしまっていた。
♦♦♦♦♦♦
(ふふふふふ。意外としぶとい……楽しいなぁ)
ダイヤは、踊りだしたくなるようなうきうきとした気持ちで、紅茶を一口啜った。
目の前の男はポーカーフェイスを装ってはいるが、内心動揺しているのがまるわかりだ。スペードのバカや間抜けなクローバーならいざ知らず、このダイヤ様の目は誤魔化せない。
(この圧力の中で表面だけでも平静を保っていられるなんて、大した胆力……。でもでも、もう少しだよ。心がギィギィ軋む音が聞こえるよ……!)
ジョーカーからこの賭け勝負の話をされたときは、正直面倒くさいと感じた。だから、ギャリーが最初にスペードの間を選んだときは、面倒ごとに巻き込まれずに済んだと思った。だが今は違う。目の前の男は、四枚札の半分を下し、今も心折れずに自分の前に立っている。こんな上玉はそうそうない。是非、自分のモノにしたい。
少女の笑顔の下で、ダイヤは姦計を巡らせる。
先程の摘発ミス。あれに引っかかったということは、ギャリーは自分のイカサマを目で追う事すら不可能ということ。ならば、いくらでも料理のしようはある。
(イカサマ、心理戦、どちらもアタシの領分。その両方がシステムに深く関わるこのゲームにおいて、アタシに敗北の文字はない……。でも、油断はしないよ。あらゆる手段をもってして、まずはその闘志を叩き折る……!)
常に全力を出すことが勝負の礼儀。
自分がそれを貫く限り、ギャリーには万に一つも希望はない。
ダイヤの心に、勝負師の、悪魔の嗤いが浮かんだ。
17/04/23 01:20更新 / 万事休ス
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