連載小説
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クローバーの間:チェシャ猫の餌食(後編)
 卓上に公開された5枚目の失点札、11失点。
 それに対して提出された、両者のカードが開かれる。

 クローバー7。
 ギャリーは……ギャリーも7!
 バッティングだ!

♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣
【第5ゲーム終了時点の両者の失点状況】
クローバー:25失点
ギャリー:25失点

【第5ゲーム終了時点の両者の使用済手札】
クローバー
  4,5,7、10,A
ギャリー
  3,4,7、10,A
♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣

(なっ!?)
 驚きの到来と共に、下半身、子宮とそこに至る腔道に宿る熱が明らかに大きくなる。
「ンぐぅっ!」
 背を駆け上った甘い痺れに一瞬肩を震わせる。ポーカー・フェイスの口元が緩む。
 一瞬高鳴った鼓動を押さえつけ、一つ細い息を吐く。下半身の熱や、そこから広がる甘い痺れは継続しているが、既に常態は取り戻していた。
(ここでバッティング? カマをかけてまで、極端な札に誘導したつもりでしたが……)
 これにより、両者は同点のまま折り返しに突入。
 失点の大きさ的にも、ギャリーはもっと偏った手札……KとかQとか、そうでなければ5辺りを出してくると予想していたクローバーにとって、これは殆ど想定外の事態といえた。

「どうしたクローバー。顔色が悪いぞ」
 ギャリーに指摘され、反射的に頬に手を当てる。が、すぐにカマをかけられたと気が付き、一つ咳ばらいと共に暗い瞳で睨み返す。
「いや、失礼。まさか二度も連続でバッティングするとは思わなくて。これで互いに25失点。絶頂の半分の快感を得ていることになりますね」
 わざとにこやかな笑みで応答しつつ、ギャリーの様子を探る。特に快感を感じているような様子……例えば内腿をこすり合わせて落ち着きがないとか、そういう動作は見られない。クローバーとしては、下半身から広がってくるもじもじとした切ない感覚が気になって仕方がないのだが……ギャリーにはそういう感覚は無いのだろうか。
 足にピンと力を込め、下半身の疼きを押さえ込む。クローバーは極めて冷静な様子を装いつつ、
「続けましょう。六枚目、オープンします」
次なる失点札を捲った。

♣♣♣♣♣♣

(6枚目の失点札は……9ですか)
 公開されたその札は、本来中失点帯のカード。しかし、11と12が公開済みである今、それなりに価値のあるカードである。
 あいもかわらずギャリーは即決。一方、クローバーはカードに手を掛け心に生まれた疑心と戦っていた。
(前回、前々回と二度連続でバッティング……。そして『大体分かった』。まさか、ギャリー様は本当に回答に辿り着いている?)
 存在感を増した快感が集中力を散らそうとアプローチをかけてくるが、かぶりをふってそれを振り払う。
(落ち着きなさいクローバー。もし回答に辿り着いてるならば、ギリギリで私に勝てる札……7ではなく8を出すはず。バッティングは偶然の一致と考えるのが最も自然で合理的……)
 両者、手札を提出。そしてオープン。

 クローバーはJ。
 そしてギャリーは……またもや、ギャリーもJ!
 バッティング、三連続!

♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣
【第6ゲーム終了時点の両者の失点状況】
クローバー:34失点
ギャリー:34失点

【第6ゲーム終了時点の両者の使用済手札】
クローバー
  4,5,7、10,J,A
ギャリー
  3,4,7、10,J,A
♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣

「んおぉお!」
 喉から驚きの声が飛び出すより早く、灼けつくような快感が神経を駆けのぼった。
 驚声は嬌声に変わり、視界が一瞬ホワイトアウトする。弾ける意識の中、疑念が確信に変わる音がした。
(違う、偶然ではない! この男、既に回答に辿り着いている! 理由は分からないが、狙ってバッティングを仕掛けてきている!)

♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣
=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=
 クローバーの描くこのゲームの安定択。それは期待値を重視した戦術。
 1〜14までの失点札。相手がその点数に順じた強さの手札を出すと仮定し、相手に一方的に失点を与えられる場合の期待値を算出する。算出した期待値が大きい順に点数を並べると、以下のような並びになる。

7,8,6,9,5,10,4,11,3,12,2,13,1,14

この期待値の大きさに従って手札を出していくならば、失点札に対応する手札は以下のようになる(2とJOKERは立ち位置が特殊であるため、それぞれ1点、14点に対応させるものとする)。

得点札:提出手札
 7 : A
 8 : K
 6 : Q
 9 : J
 5 : 10
 10: 9
 4 : 8
 11: 7
 3 : 6
 12: 5
 2 : 4
 13: 3
 1 : 2
 14: JOKER

 勿論、この通り出せば勝てるわけではない。
 むしろ、相手が想定通り得点の高い順に手札を提出するのであれば、相手から押し付けられる失点札は14,13,12,11,10,1の合計61点。一方こちらから押し付ける失点札は14,9,8,7,6,5,4,3,2,1。合計59点。負けが確定してしまう。
 だがしかし、この『チェシャ猫の餌食』はどちらか一方の失点が52点に到達した時点で決着。点数札の平均点数は7.5点であることを考えれば、卓上の失点札の合計が52点を超えるのは平均して7枚目の失点札公開時点。7枚の内訳において、相手の得点源である10以上の失点札が4枚以上出公開される組み合わせは計456通り。14枚の失点札から7枚のカードを選出する組み合わせが3432通りあることを考えれば、その確率は約13.29%。裏を返せば、85%以上の確率で最初の7枚の内半分以上のカードを押し付けることができる計算になる。
 勿論、相手は思考する人間。想定通りの札を出してくれることの方が少ない。予想外の強手札により、掠め取られることも多い。
 しかし、それはそれで僥倖。9〜6の中位失点カードに厚くする都合上、掠め取られるのは5以下の下位カード。相手が不用意に上位カードを消耗するなら、10以上の高位カードをバッティング以上に持ち込みやすくなる。
 この理論は、華麗なる必勝理論ではない。
 絶対的な勝ち数を多くすることで、ゲームの展開を操作する様子見の理論。攻め時を探るための法なのだ。
=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=
♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣


(と、とにかく……バレているならバレているで、手の打ちようはあります……!)
 快感に震える肩を抱きかかえ、クローバーは心を静めようと荒い息を吐く。
「おい、どうしたクローバー。進行が難しいなら、俺が失点札を捲るが」
「いぃぃ、いえ! 私がやります!」
 震える声と、紅潮した顔。汗にしっとりと濡れ、乱れた前髪。クローバーが性的快感を覚えているのは誰が見ても明らかだが、当の本人はまだ隠せると信じて虚勢を張る。
 山札に手を伸ばしかけたギャリーから、殆ど奪うような形で失点札を一枚とり、テーブル中央に公開する。

 公開された7枚目の失点札は10。

(よ、よし。10失点に対応する手札は本来9。ならば、それよりも大きな札……10とJは使用済みですから、Qを提出しましょう)
 両者提出を確認し、カードをオープン。

 クローバーはQ。
 そしてギャリーは……9。
 クローバーの勝利。

♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣
【第7ゲーム終了時点の両者の失点状況】
クローバー:34失点
ギャリー:44失点

【第7ゲーム終了時点の両者の使用済手札】
クローバー
  4,5,7,10,J,Q,A
ギャリー
  3,4,7,9,10,J,A
♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣

(や、やった!)
 バッティングでもない、4ゲーム振りの勝利である。
 見れば、ギャリーは額に手を当て、微かに赤く染まった頬には一筋の汗が流れている。ようやく効いてきたらしい。
 クローバーは、明らかに熱を持ち湿る内股を擦り合わせながらも、少しだけ心の重りが外されるような感覚を覚えた。
(大丈夫、落ち着けば、そう不利な状況でもありません。ギャリー様は快感で判断力が鈍り始めているうえ、既に十分射程圏内。ロジックに忠実にいけば、勝てます、この勝負!)
 残る失点札は1,3,4,6,8,13,14。次のゲーム、8失点以上を押し付ければクローバーの勝利。一方、ギャリーがクローバーを仕留めるには最低でも二手かかる。
 体に走るゾクゾクとした感覚は、勝利の予感によるものか。はたまた腹の底で疼き渦巻く性感によるものか。
 ぴりぴりとした心地よい緊張感の中、次の……8枚目の失点札を捲る。


 公開された失点札は6。

(6、6……。6か……)
 昂りの切っ先が折られる感覚があった。
 今のクローバーにとって、ある意味最も来て欲しくなかったカードである。
(引いてしまったものは仕方がない……。どのみち状況は私の圧倒的有利。ここは……)
 脳内で数式を弾く。
(ここは弱札……3を切りましょう。残された失点札は1,3,4,8,13,14。失点40点となり13,14の射程に入ってしまうのは痛いですが、無理をして隙を作りたくない……。それに、8以上ならバッティングでもギャリー様を刺せる。あわよくばJOKER読みで2を出してくる可能性も……!)
 手札、提出。
 そしてオープン。

 クローバー、3。
 ギャリー、Q。
 ギャリーの勝利。

♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣
【第8ゲーム終了時点の両者の失点状況】
クローバー:40失点
ギャリー:44失点

【第8ゲーム終了時点の両者の使用済手札】
クローバー
  3,4,5,7,10,J,Q,A
ギャリー
  3,4,7,9,10,J,Q,A
♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣

(ん……くる……ッ!)
 目を瞑り、右手の甲を噛み、予期されていた快感の波を甘んじて受け入れる。びりびりとした甘い痺れるが四肢を駆け抜け反射し共振し、脳を侵して全身に浸透する。
「ふっ、ふぅー」
 火照る息を吐き、何でもない風に振舞う。
 が、首筋を流れる汗すら愛撫と紛うほど、全身の皮膚表面が敏感になっている。体勢を変えようとして肌に擦った服が、柔筆で撫でられるような快感を呼び起こした。
(分かっていたとはいえ、これは……! は、早く、勝負を決めなければ……!)
 クローバーは、ごくり、と唾をのんだ。
「そ、それ、では。次の札、捲りましょう」
 つい声が裏返ってしまったが、最早気にする余裕もない。
 震える指を山札に伸ばし、次の札を捲った。


 公開された失点札は、4。
(う……勝っても負けても、決着はまた次のゲーム……。ならばここは……9で勝負。ギャリー様の手札でコレを捌けるのは、Kか、虎の子のJOKERのみ。この二つどちらかを失えば、ギャリー様の決定力は大きく削がれる……!)
 失点と消耗を選ばせる地獄の二択。現実的に考えて、こちらに止めを刺せない以上ギャリーは失点という選択肢を選ばざるを得ないだろうが、ここで選ばせることが大切なのだ。桃色の快楽が理性を鈍らせるなかでも、体に染みついたゲームの基礎は判断を誤らない。
 両者、手札提出。そしてオープン。

 クローバーは9。
 一方ギャリーは……JOKER!
 クローバー敗北! 44対44、同点にもつれ込む!

♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣
【第9ゲーム終了時点の両者の失点状況】
クローバー:44失点
ギャリー:44失点

【第9ゲーム終了時点の両者の使用済手札】
クローバー
  3,4,5,7,9,10,J,Q,A
ギャリー
  3,4,7,9,10,J,Q,A,JOKER
♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣=♣

「んなっ!?」
 反射的に、椅子を蹴って立ち上がる。それと同時に、ゲーム始まって以来最大の快感も全身を駆け巡った。
 驚きで緩んだ精神的セーフティーの隙を突き、桃色の波動が全身の性感帯を撫で、筋肉を収縮させる。
「ん、いひぃい!!」
 立ち上がった勢いのまま、弓なりに仰け反るクローバー。
 今の今まで、緊張によって押さえつけやり過ごしていた快感を、始めてありのまま受け止めてしまう。全身の汗腺から発情フェロモンが噴き出し、雌の匂いが自らの鼻をくすぐる。
 クレバスから溢れ出た愛液が一筋、白い太腿を伝い落ちた。
 天を仰ぎ、びくびくと体を震わせるが……まだ絶頂はしていない! この空間にかけられた魔法が、それを許さないのだ。
(にゃ、にゃんでぇ……)
 桃色に濁る意識の中、ノイズのように疑問符がちらつく。
(今、JOKERを切るのは確実に悪手……。勝ち筋を大きく狭める手のはず……)
 全身の筋肉が緊張と弛緩を繰り返し、痙攣という名の甘い金縛りに襲われるクローバー。

 その姿を見かねてか、ギャリーが進行を取って代わる。
「さてと、次の失点札、捲らせてもらうぜ」
 若干苦しそうな様子で、山札に手を伸ばすギャリー。オープンした札を確認すると、その口元に微かな笑みを浮かべる。
「残念だったなクローバー。ここから先は、俺のゲームに付き合ってもらう」
 そういって場に公開した失点札は……8。
 クローバーが二回に渡り待ちわびたカードだ。
「お、おりぇのゲーム……? な、なにをぉ……」
 クローバーは、呂律の回らないなりに視線だけは刃物のように鋭く……保ったつもりでギャリーを睨む。
「クローバー。お前は所謂『データ至上主義者』のようだな。安定感に優れ、俺たち勝負師の間でも常に一定の支持を集めるタイプ……。だが数字遊びはここで仕舞いだ」
 そう言って、テーブルに並べられた提出済みの手札群を指し示すギャリー。
 釣られて札群に目を落とし――クローバーは決定的な間違いに気が付く。
(あぁ、あああぁぁ!!)

 現在、両者の使用済手札は以下の通り。
クローバー
  3,4,5,7、9,10,J,Q,A
ギャリー
  3,4,7、9,10,J,Q,A,JOKER

 つまり、互いに残っている手札は以下のようになる。
クローバー
  JOKER,K,8,6,2
ギャリー
  K,8,6,5,2

(JOKERを除いた上位三枚が同一。そして、それより下は私が2、ギャリー様が5……。これは、私が四回の勝負の内に、どうやってJOKERを通すかというゲーム!)

 今場に出ている8の失点札。
 ギャリーの選択肢はそれに対しKを出すか2を出すか。
 クローバーはそれを読み、JOKERを出すかKを出すか選択しなくてはならない。
 JOKERを出したとき、ギャリーの手がKであればクローバーの勝利だが、2であれば倍付けカウンターによりクローバーの敗北。
 一方、Kを出せば最低でもバッティングだが、同点のまま勝負は継続。K→8→6と手札の大きさは下がっていき、最後にギャリーは5or2、クローバーはJOKERor2の選択を迫られる。
(勝ち筋を狭めたなんて、とんでもない! むしろ、択に持ち込まれてしまった!)
 もはや、期待値による理論は機能しない。
 ここから先は、クローバーが最も苦手とする単純な読みと選択の勝負だ。
(い、いや、大丈夫、大丈夫……。四回ある二択勝負、ギャリー様は一度でも読み負ければ敗北なのに対し、私は三回まで猶予がある! 単純計算で、私が敗ける確率は1/16……。これは、圧倒的に私に有利な賭け!)
「最後は勝負師らしく、ギャンブルといこうぜ」
「にょ……、のぞむ、ところでしゅ……!」
 限界に近い快感に震える手で、クローバーは最初のカードを提出した。


 第10ゲーム、失点札8。
 クローバー:K
 ギャリー:K
 52対52。同点に付き延長戦に突入。
 絶頂処理は一時保留。


 第11ゲーム、失点札3。
 クローバー:8
 ギャリー:8
 55対55。同点に付き続行。


 第12ゲーム、失点札13。
 クローバー:6
 ギャリー:6
 68対68。同点に付き続行。


(か、かか、勝てない! 何故!?)
 この間、僅か40秒。
 クローバーとしては、与えられた機会を活かしきったつもりであった。だが、それでもギャリーは、まるでクローバーの手札を覗き見ているかのように、的確にカード選択をしてくる。
(さ、さては、私がJOKERを出し渋っていると……相手のミスを待つ性格だと考えての選択ですね! 確かに、確率と期待値を信仰する私には、リスクが釣り合わない決断を避けるきらいがある……。ならば、次の提出札は意表を突いてJOKER! K→8→6ときて、これは予想できないでしょう!)

 第13ゲーム、失点札は14。
 ここで悩む素振りを見せると、札の方向性を変えたことを悟られかねない。即決で、JOKERの札を提出する。
 一方ギャリーは、ぴたりと動作を止め、そんなクローバーの眼を真っ直ぐに見つめた。
「ど、どうしたのです、かぁ……? はやく、札を、提出しなしゃいぃ……!」
 イキたくてもイけない。そんなギリギリの状態で踏み留まることを強制されたクローバー。彼女は震える声で、ギャリーに決断を迫る。
 その懇願を受け、ギャリーは無言で手札を提出した。
「ょよし。では、オープンンッ……!」
 震える指でカードを捲ろうとしたとき、膣がこぽりと愛液を噴き出し、「きゅうっ」と身を竦めてしまう。

「クローバー。お前、JOKERを出しただろう」
 頭上から浴びせかけられた言葉。
「ふぇ……?」
 一瞬、その意味が理解できず、とぼけた声が喉から飛び出す。

 そんなクローバーの眼前で、ギャリーはゆっくりと手札をオープンする。
 その札は……2!
 最強の札JOKERに唯一対抗できる、最弱のカード!
 体の火照りが高まる一方で、クローバーは脳だけが急激に冷えていく。
「な……なな…………!」
 何故。その二文字を忘れてしまったかのように、口から言葉が出てこない。
「すべて顔に書いてあるぜ、クローバー」
 そう言われて、クローバーは反射的にギャリーの方を見る。その感情を感じさせない瞳に、自分の顔が映っていた。
 とろりと淫蕩に蕩けた眼差し。緩みきり、締まりなく涎を垂らす口元。紅潮した頬は微かに蒸気を纏い、オスを誘うフェロモンを効率よく周囲に振り撒いている。
 自分は感情が顔に出ないと思っていたが、とんでもない。そこにあったのは、原始的な快楽だけを求め狂う一匹の雌の顔だ。
「お前の選択肢は二つ……。JOKERを出すか、2を出すか。仮に2で負けた場合、その失点合計は82点。一方、JOKERで負けた場合は96点……。
 計算高く……且つこんなゲームを好き好んでやるお前なら、勝っても負けても美味しい方、つまりJOKERを選ぶ。自覚の有無に関わらずな」
 ギャリーは「答え合わせだ」と言ってクローバーのカードをオープンする。

 その札は、予言通りJOKER。

 JOKERで2に負けたため、特殊ルール2に則り失点倍付け!
 クローバー、失点96点!
 96対68。点数差が生まれたことにより、クローバー、大敗!!

「あ、あああ、あアァーー!!」
 体の芯で、巨大な何かが渦巻いていく。正気を疑う程に巨大なそれは、あまりにも純粋で原始的な、性の快楽。
 まるで体の中で湯でも沸かされているかのような湿った熱が、全身を包む。眼鏡は曇り、白い肌は茹蛸のように赤く変色していく。
 かつてない絶頂の予感に震えるクローバーを尻目に、ギャリーは無言で席を立ち部屋を出ていこうとする。
「ま、待ちなさいっ! ギャリー・トランプマン!」
 ギャリーを追い席を立つクローバー。だが、足腰がガクガクと痙攣しそのまま床に崩れ落ちた。
 自分を負かした男の背が、遠ざかっていくのが分かった。
 目の奥で桃色の火花が散り、全身の感覚器官がかつてないほど鋭敏になる。世界の音が遠ざかり、籠るような耳鳴りが周囲を支配する。
「勝って……勝ってどうするのですっ……! その先にあるの、ハァッ……死地への帰還ですよ!?」
「まっ……負けなさいィ! ほかの……誰でもないっ……アッ、アアッ……あなた自身のために!!」
 辛うじて繋ぎ止めた意識の中、去ってゆく男の背に投げた言葉。果たしてその声が届いたのか、クローバーには確かめる術が無かった。
 桃色に泡立つ膨大な快楽の波が、いよいよ彼女の中に溢れ出す。絶頂のその先、生物の感覚を超えた、絶頂の、限界の先へ。クローバーの意識は果てしないほどに落ちていく。




「ンあ、ォアァアアアァ! い、ヤァッ、らッ、らめぇ! らめれしゅぅぅぅ! んもぉ゛お゛お゛ぉぉ、イッて、イッてるのにぃいいィッ! これ、いぃいいイちゅまれちゅじゅくにょぉおお!?」


♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥♠♣♦♥


【鏡の間】

 ギャリーがクローバーの扉から戻ってくると、鏡の間は闇に閉ざされていた。
「ジョーカー?」
 不審に思い、警戒の姿勢で部屋の主の名を呼ぶ。
「いやはや、御見逸れしました」
 背後から耳を撫でる芝居がかった口調に、素早く身を翻す。
 闇の中、ぼんやりと浮かび上がる人型の上半身は、他でもないジョーカーのものだ。
その姿を確認し、ふっと緊張の糸が緩む。それと同時に、まず疑問が口をついて出た。
「おい、なんの真似だこりゃ? まさかパジャマパーティーでもやろうってんじゃないだろうな」
「失礼しました。照明が落ちているのは……まあ、こちらの都合でございます。私の半身が闇に溶けているのは、折角なので演出にと。女王様の御膝元において、可笑しきことは正しきこと。退屈は、常に悪なのです」
 そう言うと、ジョーカーの上半身は黒い水に落ちた水彩画のように闇に溶けていく。最後には、何かを嘲り皮肉るような笑みだけが、闇に浮かぶように取り残された。
「それで、お教えください。クローバー撃破の秘訣とは?」
「……秘訣も何も、セオリーに則っただけだ。ああいう頭でっかちとは、飽きる程戦ってきたからな。
 基本的に緩急の無い安定したゲーム運びを得意とし、特に格下に対しては目を見張る勝率を叩き出す連中だが……総じて自分有利のジャンケンに弱い。病的なまでに確率的リスクを避ける一方、心理的リスクを軽視するからな。選択肢さえ絞れば、途端に手が読み易くなる」
「成る程成る程。流石はわたくしの見込んだ勝負師(ギャンブラー)。女王様も、大満足極まれり、といった様子でございますよ」
 奇怪なる『猫のない嗤い』は闇の中を滑り、踊るような動きでギャリーの周囲をくるくると廻る。
「おい。遊んでないで、次の扉を出せ。ダイヤかハートだろう」
 嗤い声が弾け、揺らぎと共にジョーカーの姿が再臨する。
「失礼しました。嘲りはチェシャ猫の本能のようなものでございます」そう言ってパチンと指を鳴らせば、闇の中にダイヤの意匠が施された扉が出現した。
「失礼ついでで恐縮ですが、次はダイヤの間でお願い致します。事情により、只今ハートの間への立ち入りを制限させていただいております故、ご了承ください」
 深々と頭を下げるジョーカーを半ば無視し、扉に手を伸ばすギャリー。どちらが先でも関係ない。どちらから倒すか、というだけの話だ。
 指先が、扉に触れる。
 瞬間、何かが吸い付くような感触。
 直感が走り反射的に手を引くが、もう遅い。
 扉の表面の一部が蛇のように伸び上がり、既にギャリーの四肢に絡みついていた。獲物を感知した食虫植物の如く無慈悲に、そして声を上げる間もない程俊敏に、扉の先、闇の底へとギャリーを引きずり込む。

 高速で移動する、心臓が浮き上がるような感覚。風きり音に紛れ、遥か後方から微かにジョーカーの声が聞こえる。

「ダイヤは四枚札の中で最も狡猾。その目は人の心を覗き、常に死角を探している……。六本目の指に用心を」

17/04/23 01:23更新 / 万事休ス
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■作者メッセージ
お久しぶりです。万事休スです。

大変、大変長らくお待たせいたしました。
何故こんなにも遅くなったかと言いますと……語るにも語り尽せぬ事情により、筆者のIQが著しく低下。併せて文章力も落ちるところまで落ち、構成、テンポに至るまでまったく納得のいくものが作れていなかったのが原因です。

まあ、途中で稚作白澤先生の続きを書こうとしていたのが主な原因な気もしますが。
ギャグアニメを見るとギャグSSが書きたくなります。


実際、本エピソードは
@全13回もあるゲームをテンポ良く捌く。
A直接接触の無いエロ描写。
と二つの大きな課題があり、相当な難産になりました。
推敲を重ねてなんとか読めるレベルになったと思ったので投稿しましたが……ご意見、ご感想、アドバイス、ここが分かりにくい読みにくいなど、感想欄にてご指摘いただけますと、大変勉強になります。

皆様のご感想、いつも糧に支えに有難く頂戴しております。今後とも、何卒よろしくお願い致します。


次回へ続く。

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