旅人とヘルハウンドの話(前篇)
私がその奇妙な男と彼の「相棒」に出会ったのは、商人として独り立ちをして丁度三年が過ぎた頃のことだった。
当時、私はまだ商売というものが分かっておらず、町の水が合わないと言っては所を変え、各地を放浪しながらその日暮らしを続けていた(これらの経験は、結果的に大変貴重な財産となったが……)。
あの日、私はもっと大きな町で商売をするため、昼食がてら街道沿いにある酒場で情報収集をしていた。
結果、私の目指す交易都市はここから街道沿いに三日歩いた場所にあること、今朝方それなりの規模の商隊がその交易都市に向けて出発したこと、旧街道を抜ければ交易都市まで一日と半日で到着すること、そして旧街道は深い森を抜ける非常に危険な道のりであり、特殊な事情があるか、よほど腕に自信があるもの以外は絶対に通らないことが分かった。
まだ若かった私は、既に出発した商隊よりも先に交易都市に到着する方法はないかと思案していた。
先に商売を始めればそれだけ多く利益が出る、と安直に考えていたのだ。
一銭にもならないような頭脳労働をしている私の背後で、店の扉が開く気配がした。
店員のキャっという小さな悲鳴、ざわつく店内。
振り返ると、店の入り口には軽装の旅人らしき男と、あれは……ワーウルフ? いや、あの黒い皮膚と体毛、燃えるような赤い瞳、そしてこの距離でも感じる微かな熱気は……まさかヘルハウンド?
「入店しても大丈夫かな?」
男は店内の様子など意に介さぬように、店員に呼びかけた。
いきなり中に入らぬあたり、こういった状況に慣れているのだろう。よく見ると、ヘルハウンドには宝石で装飾された首輪がつけてあり、そこから伸びる鎖はしっかりと旅人に握られている。
だが、ヘルハウンドの放つ威圧感の前に、その鎖はひどくか細く弱々しいものに見えた。
男の問いに対して、店員が急いで店の裏に駆け込む。
すぐに店長らしき男が飛び出してきて、男と二言三言、言葉を交わした。
結局、男はヘルハウンドと共に、店の角にある席へ通された。
店内は大変静かになった。誰もが息をのみ、男とその物騒なツレに注意を向けている。
男は痩せ形で色が白く、女のような顔つきで、正直ヘルハウンドの制御ができるようには全く見えない。
問題のヘルハウンドは男の足元でくるりと丸くなって、大人しく地面に伏せている。先ほどから吠え声ひとつあげないと思ったら、なるほど口枷を嵌めているのか。
恐る恐る注文の品を運んできた店長に、男が問いかけた。
「店長さん、ここから交易都市に行くのにはどうすりゃいいんだい?」
私はぎょっとした。この男も私と同じ都市を目指しているのだ。
こんな物騒な奴らと一緒に歩くのはごめんだ。先に行かせるか? しかしそれでは到着がさらに遅れる。
店長が、あせあせと先ほど私が聞いたような話を男にもする。
その時、私の脳内にある考えが浮かんだ。
(彼らと共に旧街道を抜けてはどうか?)
今思えば、よくもまぁこんな考えを巡らせる余裕があったと思う。
男が食事を済ませ、ごちそうさまと言って店を出ていくその時まで、私は自分の度胸と相談をしていた。
男が見えなくなって一呼吸置いてから、私は跳ねるように席を立ち、店を出た。
私からの申し入れに、男は少し戸惑った様子だったが、元より旧街道を往くつもりだったらしく、すぐに承諾してくれた。
交易都市につくまで、食料や薬草など入用の物があった場合、格安で譲って欲しいという条件付きではあったが。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
旧街道の入り口はすぐに見つけることができた。
酒場からいくらも歩かぬ所に、「この先旧街道。進むべからず」との看板が立ててあったからだ。
なるほど長らく整備されていないのだろう。一応敷石は敷いてあるようだがところどころ欠けているうえ、隙間から背の低い雑草が生えている。
旧街道に入って少し歩き、新道から見えなくなった頃、男がヘルハウンドの口枷を外した。
「おい大丈夫なのか!?」
私が訪ねると、男ではなくヘルハウンドの方が答えた。
「大丈夫も何も、そんなもんただの飾りだ」
ニッと笑うように、鋭い犬歯を見せつける。
「これをつけていると、余計な騒ぎが起きないんだよ」
男が困ったように笑い、「これもね」といって手の中の鎖をじゃらじゃらと揺らした。
男が手慣れた手つきで首輪から鎖を外すのを、私は引きつった笑みで眺めていた。
道すがら、この物騒な二人組は自分たちの身の上について話してくれた。
男とヘルハウンドは夫婦であること。
二人は元々捨て子であり、同じ孤児院で育てられたこと。
以前住んでいた土地にいられなくなったので、二人で暮らせる土地を目指して旅をしていること。
「それなら南に行った方がいいんじゃないかい? これから向かう交易都市は北の通用門だぜ?」
今はまだ秋口といえる時期であるため涼しい程度の気候であるが、この辺りは冬に雪が降る。ヘルハウンドには辛かろう。
「いや、町に着いたらそのまま交易船に乗って、もっと北の火山地帯まで行きたいと思っている」「そんでそこで温泉宿を経営して、二人でのんびり暮らすのさ」
私は開いた口が塞がらなかった。あまりに突拍子もない話である。
本来ヘルハウンドは火山地帯などの暑い地帯に生息する魔物であり、自身も火の属性を身に宿している。火山地帯以外にも墓場や魔界にも姿を見せること、さらにはその黒い体毛や荒い気性から「死」を強く連想させ、冥界の神が生み出した番犬とも言われている。
そんなヘルハウンドが雪国の温泉宿? 白銀の雪原に遊ぶ漆黒の獣人。体が冷えたら温泉に入って温まり――いや、さっき温泉宿を経営すると言っていた。となると女将か? 温泉の本場ジパングでは、女将はキモノなる美しい柄の入った布を体に巻き、客をもてなすという。彼女の黒髪ならばきっと絵になるのであろうが、いかんせん想像もつかない。
余程顔に出ていたのか、男がクスクスと笑いだす。
「驚くのも無理はない。だが当てもなく適当なことを言っている訳ではないんだよ」
ヘルハウンドが続けて話す。
「この話は元々、アタシ等の親父からの提案なのさ。孤児院を出ることが決まった時、行く当てがないのは辛かろうと、遠くの知り合いと連絡を取ってくれた。その知り合いってのがこれから向かう温泉宿を経営してる老夫婦だ。子供がいなくて、後継ぎを探していたらしい。若い夫婦が養子になって店を継いでくれるなら、魔物であろうと大歓迎……ってわけさ」
「実際、ありがたい話だったよ。彼女は魔物ではあるが、孤児院という環境で人間に育てられた。普通の魔物のように野生で生きていく力はない以上、僕らは二人で人里で暮らすしかない。その点、これから向かう土地は風土柄か昔から人間と魔物が協力して暮らしているらしいからうってつけだ」
男は本当に運が良かった、父さんには足を向けて寝れないと言って、また笑った。この男は本当によく笑う。
「しかし、そうなると急ぐ旅だな」私は日の位置を確かめる。少しだが日が西に傾き始めている。この季節はここからすぐに日が落ちる。
「冬になると、流氷が来る。そうなると交易船は動けない。春まで立ち往生することになるぞ」
我々の前に鬱蒼とした森が現れる。緑の薄闇から、名も知れぬ動物たちの鳴声が聞こえてくる。今までの日が差す街道とは明らかに異なる雰囲気。これが酒場で聞いた魔物の棲む森だろう。
私は男とヘルハウンドに訪ねた。
「どうする。これから森に入ると、この中で夜を越すことになるぞ」
男はこれに笑顔で答える。
「君の言う通り、急ぎの旅だ」
「構うことはねぇ、何か出てきたらアタシが相手してやんよ!」
ヘルハウンドの体毛が、一瞬赤く揺らめいた。
私は男と目で合図をする。
かくして、三人は薄暗い森へと足を踏み入れたのだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
森に入ってどれくらいたったか、辺りは既に人の目が用をなす世界ではなく、頭上には星空が浮かんでいた。
もしヘルハウンドがいなかったら、私と男は既に闇に喰われていただろう。
ヘルハウンドはずいぶんと夜目が利くらしく、我々に僅かに先行してすいすいと進んでいく。
暗くなって分かったのだが、彼女の体毛は常に微かな火の気を帯びているようだ。
彼女の放つ温かな光が、森の中に伸びる廃れた街道を照らし出す。焚火とまではいかないが、ランタンよりもずっと明るい。
当初、魔物絵ある彼女に感じていた警戒心や恐怖心はすっかり氷解し、私はむしろ安心感さえ覚えていた。
突然、先行する彼女が足を止める。そして、所謂「おすわり」の姿勢でぴたりと動かなくなる。
不安になった私が声を掛けようとすると、男が身振りでそれを静止すした。
みると、ヘルハウンドは耳だけを忙しなくに四方に動かし、あたりの様子を探っているようだった。
と、突然天を仰ぎ――長い長い、遠吠えを上げた。
森中の木々に声が反響しているのだろうか。声を上げている本人が目の前にいるというのに、四方八方から声が聞こえてきて、まるで遠吠えの主たちに取り囲まれているような、そんな錯覚を覚える。
本能的な恐怖が私を支配し、体が金縛りにあったように動かない。
そしてもう一度。遠吠え――。
誰かが私の肩をぽんと叩く。
私はハッと我に返った。足が動く。金縛りが、解けた。
「大丈夫かい?」
目の前には心配そうにほほ笑む、男の顔。
「ヘルハウンドの遠吠えは、慣れない人は精神に来るからね。歩けるかい?」
「あぁ……」
私は情けないことに、少し足元がおぼつかなかった。
ヘルハウンドは、そんな私に目線をやることもなく、暗闇を睨み付けていた。明らかに何かを警戒している。
「今、周囲に何かいたな」
私は一瞬、先ほどの金縛り状態に戻りそうになった。ヘルハウンドがいてくれることで若干の安心感を覚えていたが、ここは魔物の潜む夜の森なのだ。いかに安心感があろうと、安全であることは、決してない。
「アタシの遠吠えですっかりビビっちまったみたいだから、大した奴らじゃねえだろうな。でも油断は禁物だ。商人の兄さんもあんまり歩ける感じじゃないし、適当に場所を探して朝まで休むとしようぜ」
私は、ぎこちなく、頷いた。
当時、私はまだ商売というものが分かっておらず、町の水が合わないと言っては所を変え、各地を放浪しながらその日暮らしを続けていた(これらの経験は、結果的に大変貴重な財産となったが……)。
あの日、私はもっと大きな町で商売をするため、昼食がてら街道沿いにある酒場で情報収集をしていた。
結果、私の目指す交易都市はここから街道沿いに三日歩いた場所にあること、今朝方それなりの規模の商隊がその交易都市に向けて出発したこと、旧街道を抜ければ交易都市まで一日と半日で到着すること、そして旧街道は深い森を抜ける非常に危険な道のりであり、特殊な事情があるか、よほど腕に自信があるもの以外は絶対に通らないことが分かった。
まだ若かった私は、既に出発した商隊よりも先に交易都市に到着する方法はないかと思案していた。
先に商売を始めればそれだけ多く利益が出る、と安直に考えていたのだ。
一銭にもならないような頭脳労働をしている私の背後で、店の扉が開く気配がした。
店員のキャっという小さな悲鳴、ざわつく店内。
振り返ると、店の入り口には軽装の旅人らしき男と、あれは……ワーウルフ? いや、あの黒い皮膚と体毛、燃えるような赤い瞳、そしてこの距離でも感じる微かな熱気は……まさかヘルハウンド?
「入店しても大丈夫かな?」
男は店内の様子など意に介さぬように、店員に呼びかけた。
いきなり中に入らぬあたり、こういった状況に慣れているのだろう。よく見ると、ヘルハウンドには宝石で装飾された首輪がつけてあり、そこから伸びる鎖はしっかりと旅人に握られている。
だが、ヘルハウンドの放つ威圧感の前に、その鎖はひどくか細く弱々しいものに見えた。
男の問いに対して、店員が急いで店の裏に駆け込む。
すぐに店長らしき男が飛び出してきて、男と二言三言、言葉を交わした。
結局、男はヘルハウンドと共に、店の角にある席へ通された。
店内は大変静かになった。誰もが息をのみ、男とその物騒なツレに注意を向けている。
男は痩せ形で色が白く、女のような顔つきで、正直ヘルハウンドの制御ができるようには全く見えない。
問題のヘルハウンドは男の足元でくるりと丸くなって、大人しく地面に伏せている。先ほどから吠え声ひとつあげないと思ったら、なるほど口枷を嵌めているのか。
恐る恐る注文の品を運んできた店長に、男が問いかけた。
「店長さん、ここから交易都市に行くのにはどうすりゃいいんだい?」
私はぎょっとした。この男も私と同じ都市を目指しているのだ。
こんな物騒な奴らと一緒に歩くのはごめんだ。先に行かせるか? しかしそれでは到着がさらに遅れる。
店長が、あせあせと先ほど私が聞いたような話を男にもする。
その時、私の脳内にある考えが浮かんだ。
(彼らと共に旧街道を抜けてはどうか?)
今思えば、よくもまぁこんな考えを巡らせる余裕があったと思う。
男が食事を済ませ、ごちそうさまと言って店を出ていくその時まで、私は自分の度胸と相談をしていた。
男が見えなくなって一呼吸置いてから、私は跳ねるように席を立ち、店を出た。
私からの申し入れに、男は少し戸惑った様子だったが、元より旧街道を往くつもりだったらしく、すぐに承諾してくれた。
交易都市につくまで、食料や薬草など入用の物があった場合、格安で譲って欲しいという条件付きではあったが。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
旧街道の入り口はすぐに見つけることができた。
酒場からいくらも歩かぬ所に、「この先旧街道。進むべからず」との看板が立ててあったからだ。
なるほど長らく整備されていないのだろう。一応敷石は敷いてあるようだがところどころ欠けているうえ、隙間から背の低い雑草が生えている。
旧街道に入って少し歩き、新道から見えなくなった頃、男がヘルハウンドの口枷を外した。
「おい大丈夫なのか!?」
私が訪ねると、男ではなくヘルハウンドの方が答えた。
「大丈夫も何も、そんなもんただの飾りだ」
ニッと笑うように、鋭い犬歯を見せつける。
「これをつけていると、余計な騒ぎが起きないんだよ」
男が困ったように笑い、「これもね」といって手の中の鎖をじゃらじゃらと揺らした。
男が手慣れた手つきで首輪から鎖を外すのを、私は引きつった笑みで眺めていた。
道すがら、この物騒な二人組は自分たちの身の上について話してくれた。
男とヘルハウンドは夫婦であること。
二人は元々捨て子であり、同じ孤児院で育てられたこと。
以前住んでいた土地にいられなくなったので、二人で暮らせる土地を目指して旅をしていること。
「それなら南に行った方がいいんじゃないかい? これから向かう交易都市は北の通用門だぜ?」
今はまだ秋口といえる時期であるため涼しい程度の気候であるが、この辺りは冬に雪が降る。ヘルハウンドには辛かろう。
「いや、町に着いたらそのまま交易船に乗って、もっと北の火山地帯まで行きたいと思っている」「そんでそこで温泉宿を経営して、二人でのんびり暮らすのさ」
私は開いた口が塞がらなかった。あまりに突拍子もない話である。
本来ヘルハウンドは火山地帯などの暑い地帯に生息する魔物であり、自身も火の属性を身に宿している。火山地帯以外にも墓場や魔界にも姿を見せること、さらにはその黒い体毛や荒い気性から「死」を強く連想させ、冥界の神が生み出した番犬とも言われている。
そんなヘルハウンドが雪国の温泉宿? 白銀の雪原に遊ぶ漆黒の獣人。体が冷えたら温泉に入って温まり――いや、さっき温泉宿を経営すると言っていた。となると女将か? 温泉の本場ジパングでは、女将はキモノなる美しい柄の入った布を体に巻き、客をもてなすという。彼女の黒髪ならばきっと絵になるのであろうが、いかんせん想像もつかない。
余程顔に出ていたのか、男がクスクスと笑いだす。
「驚くのも無理はない。だが当てもなく適当なことを言っている訳ではないんだよ」
ヘルハウンドが続けて話す。
「この話は元々、アタシ等の親父からの提案なのさ。孤児院を出ることが決まった時、行く当てがないのは辛かろうと、遠くの知り合いと連絡を取ってくれた。その知り合いってのがこれから向かう温泉宿を経営してる老夫婦だ。子供がいなくて、後継ぎを探していたらしい。若い夫婦が養子になって店を継いでくれるなら、魔物であろうと大歓迎……ってわけさ」
「実際、ありがたい話だったよ。彼女は魔物ではあるが、孤児院という環境で人間に育てられた。普通の魔物のように野生で生きていく力はない以上、僕らは二人で人里で暮らすしかない。その点、これから向かう土地は風土柄か昔から人間と魔物が協力して暮らしているらしいからうってつけだ」
男は本当に運が良かった、父さんには足を向けて寝れないと言って、また笑った。この男は本当によく笑う。
「しかし、そうなると急ぐ旅だな」私は日の位置を確かめる。少しだが日が西に傾き始めている。この季節はここからすぐに日が落ちる。
「冬になると、流氷が来る。そうなると交易船は動けない。春まで立ち往生することになるぞ」
我々の前に鬱蒼とした森が現れる。緑の薄闇から、名も知れぬ動物たちの鳴声が聞こえてくる。今までの日が差す街道とは明らかに異なる雰囲気。これが酒場で聞いた魔物の棲む森だろう。
私は男とヘルハウンドに訪ねた。
「どうする。これから森に入ると、この中で夜を越すことになるぞ」
男はこれに笑顔で答える。
「君の言う通り、急ぎの旅だ」
「構うことはねぇ、何か出てきたらアタシが相手してやんよ!」
ヘルハウンドの体毛が、一瞬赤く揺らめいた。
私は男と目で合図をする。
かくして、三人は薄暗い森へと足を踏み入れたのだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
森に入ってどれくらいたったか、辺りは既に人の目が用をなす世界ではなく、頭上には星空が浮かんでいた。
もしヘルハウンドがいなかったら、私と男は既に闇に喰われていただろう。
ヘルハウンドはずいぶんと夜目が利くらしく、我々に僅かに先行してすいすいと進んでいく。
暗くなって分かったのだが、彼女の体毛は常に微かな火の気を帯びているようだ。
彼女の放つ温かな光が、森の中に伸びる廃れた街道を照らし出す。焚火とまではいかないが、ランタンよりもずっと明るい。
当初、魔物絵ある彼女に感じていた警戒心や恐怖心はすっかり氷解し、私はむしろ安心感さえ覚えていた。
突然、先行する彼女が足を止める。そして、所謂「おすわり」の姿勢でぴたりと動かなくなる。
不安になった私が声を掛けようとすると、男が身振りでそれを静止すした。
みると、ヘルハウンドは耳だけを忙しなくに四方に動かし、あたりの様子を探っているようだった。
と、突然天を仰ぎ――長い長い、遠吠えを上げた。
森中の木々に声が反響しているのだろうか。声を上げている本人が目の前にいるというのに、四方八方から声が聞こえてきて、まるで遠吠えの主たちに取り囲まれているような、そんな錯覚を覚える。
本能的な恐怖が私を支配し、体が金縛りにあったように動かない。
そしてもう一度。遠吠え――。
誰かが私の肩をぽんと叩く。
私はハッと我に返った。足が動く。金縛りが、解けた。
「大丈夫かい?」
目の前には心配そうにほほ笑む、男の顔。
「ヘルハウンドの遠吠えは、慣れない人は精神に来るからね。歩けるかい?」
「あぁ……」
私は情けないことに、少し足元がおぼつかなかった。
ヘルハウンドは、そんな私に目線をやることもなく、暗闇を睨み付けていた。明らかに何かを警戒している。
「今、周囲に何かいたな」
私は一瞬、先ほどの金縛り状態に戻りそうになった。ヘルハウンドがいてくれることで若干の安心感を覚えていたが、ここは魔物の潜む夜の森なのだ。いかに安心感があろうと、安全であることは、決してない。
「アタシの遠吠えですっかりビビっちまったみたいだから、大した奴らじゃねえだろうな。でも油断は禁物だ。商人の兄さんもあんまり歩ける感じじゃないし、適当に場所を探して朝まで休むとしようぜ」
私は、ぎこちなく、頷いた。
14/12/20 17:03更新 / 万事休ス
戻る
次へ