連載小説
[TOP][目次]
旅人とヘルハウンドの話(後篇)
すぐ近くに、開けた空間を見つけた。
適当に枯木を集めて山を作ったところをヘルハウンドがひと吹きすると、一瞬にして焚火が出来上がった。
暖かい。やはり火は偉大である。
私は商品として持ち歩いていた保存用の黒パンを軽く火であぶり、二人に振舞った。
もともとは格安で譲るという約束であったが、どうやら助けてもらったようであったし、とても金をとる気分にはなれなかった。
男は何としても金を払うと譲らなかったが、私は金はいいから二人の話をもっと聞かせてくれと頼んだ。
「僕たち二人の……話?」
「ああ、さっき話してくれた温泉宿の話、大変面白かった。よければ他にもいろいろ聞かせてほしいんだ。なんといっても人に育てられた魔物と、人間の夫婦だ。馴れ初めとか、育ての親との話とか……いろいろと他で聞けない話があるんじゃないかい?」
「そうだなぁ……」
男はパンをちぎりながら、ちらりとヘルハウンドを見る。彼女はもう夕飯を終えたらしく、焚火の隣で丸くなり、うつらうつらしている。いじらしいことに、その尻尾は男のすねにくるりと巻き付いていた。
「僕たちを育ててくれた孤児院は教会に併設されたものでね。僕たちの父さん……育ての親は神父だった」
「神父!!」男の話は語り出しから驚愕を余儀なくされるものだった。「教団の人間が魔物を育てたのか!?」
男は私の反応が予想通りであったことが嬉しかったのだろうか。絶やさぬ笑顔をさらににっこりと歪めた。
「ああ、確かに父さんは教団よりの人間だった。でも大変寛大で理性的で、自分の理解できないものを理解しようと努力する人だった。」
男は続けた。
男とヘルハウンドが拾われたのは、教会裏手の墓地だったという。
ある年の冬、早朝に神父が掃除のため外に出ると、墓地の方から赤ん坊の泣き声がする。
神父が慌てて墓地に向かうと、二人の男女の赤ん坊が小さな籠に入れて捨てられていたという。
よくよく見てみれば女の子の方は人間ではなく、犬の魔物、ヘルハウンドであった。
その証拠に、人間ではありえないほど体温が高かったという。
男の子の方は人間であったが、冬の夜を乗り切れたのはヘルハウンドの赤ん坊に暖められたおかげだと考えた神父は、人間の子もヘルハウンドの子も、平等に愛し育てることに決めたという。

「これが僕らの馴れ初めだね」
男がにこやかに笑う。そして、また一切れ、パンを口に入れる。
「僕たちが結婚すると告げた時、父さんは少しだけ悲しそうな顔をして言ったよ。『もしお前たちが夫婦となるならば、それは教団の敵になるということだ』ってね。だから僕たちに、教団の手の届かない安全な土地に逃げるようにいったのさ。そこで静かに平和に暮らせってね」
夫婦となれば、二人はいずれ子をなす。魔物と人間の間に生まれる子供は常に魔物だ。魔物が勢力を増すことを、教団側の人間としてみすみす見逃すことはできないのだろう。なにより、そうなれば彼らを教団の手から庇いだてすることはできくなる。
「……いい人だな」
「ああ、本当に。旅立つ時も、新婚旅行のつもりで行ってくるようにって見送ってくれたよ」
「そうだったのか……。ハネムーンの邪魔をして悪かったな」
冗談めかして言うと、男は声を出して笑った。
「まさか、こんな話ができる相手に出会えるとは思わなかったよ」
私もつられて、頬が緩む。焚火の日が少し小さくなったような気がしたので、手近な枯れ枝を火にくべた。
「でも、ほんとに彼女は大丈夫なのかい? 北の火山地帯は豪雪地域だろう?」
火山といえど、ヘルハウンドには厳しい環境なのではないか。私はずっと疑問に思っていたことを彼に尋ねた。
「それについては、別段問題ないんじゃないかな? 確かにヘルハウンドは火山に生息してる魔物だけど、墓地や魔界で暮らすものもいるし……うちのなんて、雪が見れると聞いて大はしゃぎだったよ」
「本当に?」
「ああ、そもそもこいつはあまり暑いのが得意じゃないんだ。犬なのに猫舌だし、夏バテはするし……昔、一度だけ孤児院に雪が降ったときなんてそれはもう――熱ィ!!」
男が悲鳴と共に、足を上げる。見ると、すねの辺りが赤くなっている。男の足元で、赤熱したヘルハウンドの尻尾が左右に振れた。
「なんだ、まだ起きてたのか……」
男はひいひい言いながら自分の足をさすっている。
私はふと気が付いたように空を見る。鬱蒼とした木々に切り取られた夜空に月は見えないが、星の位置で随分と夜が更けてきていることがわかる。
「明日も早いし、そろそろ寝よう。交代で見張りに立たないとな」

その後、見張りの順番を決めて、私たちは順番に眠りについた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

深夜、私は何かの気配を察知し、目を覚ました。
首だけを動かし、隣を見る。
男とヘルハウンドが――いない。
焚火の周りには私一人が寝転んでいるだけだ。見張り役の姿もない。
私の意識が、警戒と共に急激に目を覚ます。
たった今目を覚ましたとは思えないほど俊敏な動きで起き上がり、改めて周囲を探る。
と、藪の向こうがほんのりと明るく照らされていることに気が付いた。
私は音を立てず忍び寄り、灯りの正体を覗き見る――。

藪の向こうには、男とヘルハウンドがいた。
最初、ヘルハウンドが何か別の生き物――外敵に当たる何かを取り押さえているのかと思った。
目を凝らして、それがまぐわいであると気が付いたとき、私は体がかっと熱くなるのを感じた。
恥ずかしながら、まだ若かった私は男女の営みなど興味はあれど、まだ知る由もなかったのである。

仰向けに寝そべった男の上に、ヘルハウンドが所謂おすわりのような体勢で跨っている。
そして、その黒い体躯をリズミカルに上下に動かし、男もそれに合わせるように腰を突き上げている。
ヘルハウンドの体が跳ねるたび、その豊満な乳房と豊かな体毛が揺れる。
二人と私の隠れている藪の間にはそこそこの距離がある。とはいえ、昼間のヘルハウンドならば、とうに私の存在に気が付いていただろう。だがしかし、今は目前の愛の行為に夢中であるのか、気が付いている様子はない。
だがこの距離からでも、彼女の発する確かな熱を感じることができた。
ヘルハウンドは、常に火照るその身と肉欲を持て余すというが、その熱はこれほどの物なのか――。
それはまさしく、獣の交わりであった。
「あぁ、そこっ、そこぉ!」
しっとりと濡れた艶めかしい声が、夜の森に響く。
空気を伝わる熱が、少しだけ強くなる。ヘルハウンドの体から発せられる火の気がさらに強くなった。
彼女自身が光源となっているため、火の気が強まるほど、その痴態は隠されることなく闇の中によりはっきりと浮かび上がる。
もっちりと柔らかく、張りのある黒い肌。その肌をつーっと流れる玉のような汗。
ふさふさとした黒い体毛は火の気のせいか、その先端が赤熱したように赤く輝いている。

男がぐうっと苦しそうな声を上げると、ヘルハウンドは腰を動かすのはやめ、男の上半身に倒れこんだ。
おすわりの体勢から伏せのような体制に変わり、体を重ねる。そして、男の顔をぺろぺろと舐め始めた。
男もそれに応じる。一見、飼い主とそれにじゃれつく大型犬のような微笑ましいスキンシップであるが、それは徐々にディープキスへと変わっていく。
男の手がヘルハウンドの乳房に伸びる。手が触れた瞬間、ヘルハウンドの体が見てわかるほどにびくんと跳ねた。
男の指がそのピンクの乳頭をこね始めると、ヘルハウンドのキスが徐々におざなりになっていく。
とうとう首をもたげ、うっとりとした目つきで虚空を見る。口元はだらしなく開き、だらんと垂れ下がった舌からは涎が滴り、男の首筋に掛かる。
本来は黒い頬を赤く染め、昼間の凛々しい姿とはかけ離れたその顔は、まさに雌犬というにふさわしいものだった。

と、突然男がヘルハウンドの体をぐっと抱き寄せ、耳元で何かを呟いた。
空気が、かっと熱くなった。周囲の気温が明らかに上昇した。ヘルハウンドの体から発せられる光も、まぶしいほどに強くなる。黒い体毛の中に、赤く揺らめく光が混じり始める。
男が上半身を起こし、片手でヘルハウンドの頭を抱える。ヘルハウンドも、男の上半身に身を預けるように寄りかかる。
そして、二人はまた腰を打ち付け始める。
先ほどよりも大きく、早く、激しく。ヘルハウンドが、何かを言おうとするが、言葉にならず、くぐもった獣の声のようなものを発する。
男もそれに何か答えたようだが、ここからではよく聞こえない。
ヘルハウンドが、その身を悶えさせ、仰け反りそうになる。が、それを男がしっかりと抱き止める。
どんどん周囲の熱が増していく。光も強くなっていく。
いよいよ見ていられなくなり、私は反射的に目を逸らした。

――――。

周囲が途端に暗くなる。空気の熱が拡散していき、夜の森が本来の静けさを取り戻していく。
二人の行為が、終わったのだ。暗闇に目が慣れず、よく見えないが、おそらく二人は今重なるようにしばてているのだろう。
と、冷静さを取り戻した私にある思考が駆け抜ける。
(二人が戻ってくる――。)
まだ交易都市までは道のりがあるのだ。ここで覗いていたことがばれれば、残りの旅路を気まずい思いと共に歩むことになる。
それは大変にまずい。
私は急いでもとの位置に戻り、寝たふりをする。二人はなかなか戻ってこなかったが、時間がたつほど私の中の安心感も大きくなっていった。
そして、私はいつの間にか本当の眠りに落ちていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

次の日の朝、男になぜ見張りに起こしてくれなかったのかと問いただすと、夕飯のパンの礼だ、と返してきた。
男の顔には昨日はなかった火傷跡があった。男は見張り中にうっかり焚火で焼いてしまったと言っていたので、深く詮索することはしなかった。
首筋に噛跡が残っていたが、私が覗いていた間、ヘルハウンドが首に噛みついた様子はなかった。もしかしたらあの後、二回戦があったのかもしれない。

私たちは朝食をとりながら、今日の予定について話した。
酒場で聞いた話ならば、今日の中天をまわったあたりで、交易都市につくはずである。
一晩ぐっすり休み英気を養った我々は(少なくとも私は)、意気揚々と残りの旅路を進めた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

しばし歩みを進めると、道端に看板が現れた。
「この先新道」
空を見上げると、まだ日は中天にも達していない。
旧街道を抜ければすぐに交易都市に着くという話だったので、予定よりもずいぶん早い到着である。
我々は、手を合わせて喜んだ。

男がヘルハウンドに、鎖と口枷をつける。
昨日本人たちから聞いた通り、これらは事情を知らぬ人が騒ぎを起こさないようにするための措置だ。
装着が完了し、さあ出発しようと一歩踏み出した瞬間、何者かが我々三人を取り囲む。

子供のような体躯。その体と不釣り合いに巨大な得物。そしてなにより彼女らが魔物であることを証明する、頭に生えた二本の角。
ゴブリンの群れである。
その中の、ひときわ大きな棍棒と角と乳房を持つ――おそらくホブゴブリンだろう、が一歩前に進み出る。
が、どうしたことかすぐに一歩後ろに下がって、後に控えるゴブリン達となにか相談事をしている。
(何してるんだろう?)
私は小声で男に囁きかけた。
(おそらく、ヘルハウンドが本当に無力化されているのかどうか、話してるんじゃないかな?)
その時、ヘルハウンドが尻尾を鞭のようにしならせ、男のすねを数度叩いた。
(こいつら、昨日僕らを追けていた奴ららしい。何かの植物で体臭を隠してるせいで、今日は接近されるまで気が付けなかったみたいだ)
これには、昨日聞いたどの話よりも驚いたかもしれない。この男とヘルハウンドは、これほどまでのレベルで互いに通じ合っているのだ。
(てことは、鎖と口枷でヘルハウンドが無力化されるまで待ってたってことか)
なんとも、油断ならない奴らである。ゴブリンとてここまで知恵が回る群れは珍しいのではあるまいか。
まあ実際は鎖も口枷もただの飾りであり、ヘルハウンドは一切無力化されていないのだが、それを初見で見抜けというのはさすがに酷であろう。

そうこうしているうちに、ホブゴブリンと二匹のゴブリンが進み出てくる。
彼女らは武器を構えると、ヘルハウンドににじり寄る。
恐らくは厄介な奴を先に倒してしまおうという考えなのだろう。
ヘルハウンドは獰猛なことで有名な魔物でもある。ゴブリンなどに負けるわけもないのだが、彼女は人間に育てられた個体である。若干の緊張が、私の背を伝う。
一呼吸置いた次の瞬間、ホブゴブリン達がヘルハウンドに飛び掛かる。ヘルハウンドが体勢を落とし、その目が太陽のように赤く輝く。男が「伏せて!」と私を地面に押し倒す。
ヘルハウンドが咆哮と共に一瞬光に包まれる。
圧倒的な熱が放射され、小さな爆発が起こったと思った。視界が奪われる。

次に目が光を取り戻したとき、ホブゴブリン達は飛び掛かろうとした恰好のままで固まっていた。
その手に握られていた棍棒は、持ち手より先が消し炭となって吹き飛んでいる。
ホブゴブリン達が、信じられないといった様子で自分の手と消えた棍棒を見比べる。
ヘルハウンドが、ワン、と吠えた。
我に返ったゴブリン達は、まさに蜘蛛の子を散らすように、我先にと森の中へと逃げていった。

地面に倒れこんだ私たちは、のっそりと起き上がる。
「お疲れ様」
男がヘルハウンドの頭をなでる。ヘルハウンドが得意げに言い放つ。
「なんだいあいつら。昨日脅かしてやったのに性懲りもなく襲ってくるから少しは根性があるのかと思ったら、結局ただのヘタレじゃないか」
私たちは三人で大笑いした。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

あの後少し進んだが新道に出ることはなく、結局新道にたどり着いたのは、日が中天をまわった頃だった。
先の咆哮でヘルハウンドの口枷と鎖が消し炭になってしまったので、男が予備のセットを取り出す。
このように道具を駄目にしてしまうことは、よくあるらしい。あれらの拘束具は本当にただの飾りだったという訳だ。

男が装着作業を行っている間、私はぽつりと話しを始めた。
「恐らく最初の『この先新道』って看板も、ゴブリンが設置した罠だったんだろうな」
あの看板を見て旅人が油断したところを、一気に襲撃するのだろう。本当に油断ならない奴らだった。
「今回、私が助かったのは君たち二人のおかげだ。一緒に旅をできてよかった」
男は拘束具装着を終え、立ち上がって言った。
「なに、こっちも色々と話せて楽しかった。それに、君みたいな人がいると思うと、孤児院の外でも上手くやっていける気がしてきたよ」
足元で、ヘルハウンドが肯定するように尻尾を振る。
私たちは、もう視認できる位置にある交易都市に向かっていった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

その後、男は船着場に、私は市場に向かうと言って別れた。
結局、私はここでも商売が上手くいかず、すぐに場所を移してしまうことになる。
その後、男とヘルハウンドと会うことはなかったが、何年も経ってからヘルハウンドが女将をやっている温泉宿の話を耳にした。
噂では一種の名物女将になってるらしい。
今度、時間を作って久しぶりに会いに行ってみるつもりだ。
手土産に、対火の魔法の掛かった鎖と口枷を持って行ってやろうと思う。
もしかしたら彼らにはもう必要は無いかもしれないが、きっと昔話に花が咲くだろうからね。
14/12/20 17:06更新 / 万事休ス
戻る 次へ

■作者メッセージ
初めまして。万事休スと申します。
筆を執りましたら予想以上に話が長くなってしまい、お読み頂いた方は本当にありがとうございました。
本当に長くなってしましましたので、前篇後篇に分けて投稿させていただきました。そしてその割には魔物娘成分が少ない……orz。
小生、人様に作品をお見せするのはこれが初めてとなります。
批判でも何でもよいので、ご意見いただけますと大変うれしいです。
何卒、よろしくお願いいたします。

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33