連載小説
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没落少年貴族の冒険 その3
 ラージマウスは、ネズミに似た特徴を多く持つ獣人の一種である。
 主に洞窟や廃墟を好んで住処とするが、整備の行き届いていない古い下水など、人間の生活圏のすぐ側に生息することもある。
 文明が行き届いた大都市など、人間の絶対優位を保てる環境ならば彼女らを過剰に恐れる必要は無いが、スラムなどの人の力が弱い場所では注意が必要である。
 ラージマウスはその体内ため込んだ魔力を、噛みつくことで対象に注入することが出来る。
 抵抗力の弱い子供などがこの魔力注入を受けると、発熱の後ラージマウスに姿を変えてしまう。
 サラも、そのようにしてラージマウスと化したものの一匹であった。

 ☆

 闇に紛れて路地を駆ける二つの人影。言わずもがな、サラとエミール少年である。二人はボロのローブで頭と顔をすっぽりと覆い、満月が雲間に隠れるタイミングに合わせて通りを渡った。
「ここまでくれば大丈夫です」サラがふうと息をつく。
「あの建物が会場の入り口です」サラが指差す先には、少し古い以外は何の変哲もない一般家屋。本当にあんなところが闇のパーティの会場なのか、甚だ信じがたい。
『本当に大丈夫なんですの?』
 既にエミール少年の影に潜り込んだミーファの声が、二人の脳裏に響く。
「大丈夫ですって。姉御も心配性だなぁ」
 サラはそういうと、ポケットから何か魔法陣が描かれた札を取り出した。
≪こいつの調子も良好。失敗する要素はいまんところないし、失敗してもリカバリの効く作戦じゃあないですか≫
 サラが札に語り掛けると、エミール少年の脳裏に彼女の声が響く。これはミーファが計画に合わせて作成した、通信用の魔導符である。ミーファの念話魔法に比べ通信射程が遥かに長く、さらにこれならば魔法の使えないもの同士でも会話が可能である。長時間連絡の取れない状態に陥る本作戦に置いては、これが作戦成功の鍵となる。

「それじゃ、覚悟できました?」
 サラの問いかけに、エミール少年がこくりと頷く。サラがニカっと歯を見せて笑った。

 彼女は麻縄を使い、実に鮮やかな手際でエミール少年の両手首を背面で縛る。
 ローブの下にはゴミ捨て場から拾ってきたボロきれを一枚体に巻いているだけなので、どう見ても悪党に捕まった家なき子である。
 サラは満足そうに頷き、エミール少年にきつくないか確認する。

 そして、次に雲が月を隠したとき、二人はいよいよ会場へと向かった。

 ☆

 サラが玄関の扉をリズムよく数度叩くと、中から男の怒号が響いた。
 サラは動じる様子もなく、今度は別のリズムで扉を叩く。
 すると、扉が開いて中から陰気な顔をした老人が現れた。サラが老人に、何か小さな木彫りの駒のようなものを手渡す。彼は何を言うでもなくサラとエミール少年を家に上げ、薄暗い炊事場に通す。老人が炊事場の床をめくると、その奥に地下へと続く石造りの階段が現れた。
 二人が階段に入ると、老人が「そこでしばし待て」とだけ言って、大きな音と共に隠し扉を閉じた。サラが持っていた蝋燭に火を灯し、視界を確保する。暗く、狭く、黴臭い通路だ。石造りの壁は冷たく、何故かしっとりと濡れている。壁も、床も、天井も黒色の石造りで出来ているため、蝋燭の光がどこまで届いていて、何処からが光届かぬ闇なのか、距離感が掴めない。
「驚きました?」サラ曰く、ここも彼女の隠れ家と同じく、古い時代の何らかの地下施設であるとの事だった。
「この町の地下には、こういう古い時代の通路やらが蜘蛛の巣みたいに張り巡らされてるんです。衛兵だってその全容は把握しきれてません。立体的で曲線の多い構造の上、あちこちに埋まった金属や過去の遺物が方位磁石や探索魔法を妨害するから、地図すらまともにつくれない。歩きなれた奴じゃないと、出られなくなりますよ」

 そうこう言っているうちに、暗闇の奥から二人の厳つい男が現れた。一応身なりは整えているようだが、姿勢や顔つきに品がなく、一目で堅気でないことがわかる。
「おう、『どぶさらい』じゃねぇか。仕入れは間に合ったのかい」
 男の片方が、にやついてサラに語り掛ける。
「ほぉ! こいつは上玉だぜ! 何処から攫ってきたんだ?」
 もう一人の男が、エミール少年を見て歓声を上げる。
 サラはその問いに答えようとして、声が出ないことに気が付いた。ミーファの掛けた魔法のせいで、嘘が吐けないのだ。
「どうかしたか?」
 様子のおかしいサラを見て、ごろつき二人が怪訝そうに尋ねる。
 エミール少年の影に潜むミーファが異常に気が付き、即座に魔法を解く。
 サラの言葉が、自由になった。
「あ、あぁ、捕まえた場所ね。一応企業秘密なんだけど、まあ裏通りに迷い込んだところを捕まえたんだ。」
 サラが、エミール少年の美しい顔を男たちに見せつけるように、その小さな顎をぐいっと持ち上げる。
「どうだ、絵画から飛び出してきたみてぇな上玉だろ? アタイも一発味見してやろうかさんざん悩んだけど、お手付きはしてねぇぜ。商品だからな。名前は頑なに言わねぇから分からねぇが、どこかの貴族サマのガキと言っても差支えないだろうぜ」
『魔法を解いたのは、あくまで一時的な措置でしてよ。演技なのは分かりますが、あまり調子に乗らないように』サラの脳裏に、咎めるような声が響く。
 ごろつき達はサラの言葉にうんうんと頷き、「何はともあれ、出品者デビューおめっとさん」と彼女の背を叩いた。
 そして、二人を通路の奥、暗闇の先にある人身競売の会場へと案内し始めた。

 ☆
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 その後、男たちはサラを出品者席に、エミール少年(とミーファ)を商品置き場に、それぞれ連れて行った。

 巨大な地下空間に特設された人身競売の会場。ステージや舞台裏などがそれっぽい造りになっている点からして、ここは元から地下の劇場かなにかだったのかもしれない。
 そこで繰り広げられる光景を目の当たりにし、エミール少年の心はなにか黒い靄のようなものに包まれていた。

「さあ、紳士淑女方、お次の商品はこちら! なんと双子の女の子! しかも一卵性です! こちらはセットでの販売となります!」
 点滅する蛍光色の光球が浮遊し、壁には金色のラメの入った派手な布が掛けられ、趣味が悪いほどに軽快な音楽が流れるステージに、鉄の首輪を付けられた二人の幼い子供が引きずり出される。二人の頬には殴られたような痣があり、目は虚ろで常に下を向いている。
 薄暗い客席からブーイングが上がる。「傷がついてるぞ!」「珍しいのに、もったいない!」「せっかくの双子なのに、跡が残って顔に差が出たらどうするんだ!」
 めかしこんだ司会の男目がけて、ステージにグラスやら何やらが投げ込まれる。
 エミール少年の位置からはよく見えないが、客席は相当荒れているようだった。
「お客様方、落ち着いて、落ち着いて……。こちらは、二人合わせて150万からになります!」
 司会の男は卑屈な笑みでその場を誤魔化し、開始の値段を告げる。「160!」「165!」と会場から声が上がる。

『ひどいものですわね』
 影の中のミーファが、直接心に語り掛けてくる。
 エミール少年は今、ステージの端、垂幕で隠されて客席からは見えないようになっている空間で、ほかの『商品』と一緒に檻に入れられていた。
 檻の中には自分よりもまだずっと幼い子供から、殆どサラと同い年に見える様な者、そして人間以外にもハーピーやリザードマンの子供など、様々な『商品』がいれられていた。だが、彼らに共通しているのは、誰一人として声を発しないことだ。『商品』達は例外なく死んだように虚ろ目をして、体中に傷がある。

「では180万で落札という事で、おめでとうございます!」
 司会がよく通る声で叫ぶ。結局、双子の値段はさして吊り上がらず、200万にも届かなかったようだ。
 
 檻の中から、新たな『商品』がステージへと運ばれていく。
 そうして次々と人がいなくなっていき、遂にエミール少年の番が来た。

 ☆

 観客席の後方、壁に開いた覗き窓の奥に、出品者席がある。
 客席やステージと異なり、特にこれといった装飾もされておらず、ごつごつとした石壁が剝き出しの、かび臭い、小汚い部屋。だがしかしそれも順当だろう。この部屋にたむろするのは、人攫いを生業とするならず者ばかり。煌びやかさとはまさに対極の世界を生きる者たちである。
 その中において、魔物とはいえ年頃の少女であるサラはひときわ異彩を放っていた。
 彼女は覗き穴からステージを食い入るように見つめ、その時をまだかまだかと待つ。
 
「さあ皆さま。お待たせいたしました……。いよいよ本日の目玉商品です!」
 来た! ステージに、目隠し用の布を被せた小さな檻が運ばれてくる。
「入手経路をお教えすることは出来ませんが、ある筋によればさる貴族の隠し子とも、とある王国の王子が下賤の女と恋に落ち、密会の末に産ませた子とも言われております」
 会場がざわざわという喧噪で波打つ。それと呼応するように、彼女の胸の内も期待と不安が押しては引いてでせめぎ合う。
 司会の男が、檻に掛けられた目隠し布に手を掛ける。
「それではご覧いただきましょう! 非常に質の良い状態で仕入れました! 体には傷一つありません! どこの絵画から抜け出てきたのか、栗毛の天使! お値段は200万から!」
 目隠しの布がはためくように剥ぎ取られる。
 檻の中には、サラの予想通りエミール少年。
 会場がおお、と湧き上がる。
 だがそれと重なるように、ざわざわという不穏な声色も湧き上がった。
 意外な展開に、サラは動揺した。最初、先程180万で落札された双子に比べ、値段設定が高すぎたのかと思った。だがどうもブーイングという感じでもない。様子がおかしい。一部の客が混乱しているというか、何か慌てふためいているように見える。さらに、その不穏な喧噪は、客から客へ、徐々に伝播しているようにも見える。
『ちょっと! これはどういうことですの!』
 脳に直接、電撃の様なミーファの怒号が響く。
「い、いや、姉御! アタイにも何がなんだかさっぱりで! 今日は上客揃いって聞いてたのに!」
『そういうことじゃございません!』
 再度、鋭い声。
『だって、この人たち、……』
 客席で、誰かが何かを叫んだ。
 不穏な喧噪が、どっと会場を包む。
 ミーファが何かを叫んだが、それを聞く前に念話が途切れる。それと同時に出品者席へ通じる扉が勢いよく開いた。
「おい! 全員逃げろ!」
 血相を変えた男が部屋に飛び込んでくる。そしてまさに鬼気迫るを絵にかいた様子で叫んだ。
「衛士隊がここを嗅ぎつけやがった! もうすぐにそこに来てる!」

 ☆

 時系列をほんの少しだけ戻す。
 舞台裏からお呼びがかかったエミール少年は、目隠し用の布を掛けられた滑車付きの檻に入れられ、ステージへと運ばれた。
 司会の男がなにやら中身のない、やたらと装飾後の多い売り文句を叫び始める。
 それが自分について言っているのだと思うと、エミール少年は顔から火が出るほど恥ずかしい気分になった。

「どこの絵画から抜け出てきたのか、栗毛の天使! お値段は200万から!」
 ばっと檻に掛けられた布が剥ぎ取られる。
 先程までいた薄暗いステージ裏に目が慣れていたから、強力なスポットライトに目が眩む。
 ざわざわと渦巻く人の声。まだ完全には視力が戻らないが、眼下にたくさんの人の気配を感じることが出来た。

――ああ、僕、こういうの苦手だな――
 エミール少年は幼い頃より両親から溺愛され、蝶よ花よと育てられてきた。半ば外界から隔絶された空間で育てられたが故に彼の顔を知るものは少なく、今出回っている手配書にも似顔絵の類は描かれていない程であった。だが、そんな彼でも人前に姿を現さなくてはならないときがある。
 しかし、それも当然である。彼も子供とはいえ貴族の端くれであり、出るところには出なくてはならない。そういう生まれなのだ。

 領民の人達の前ならいい。みんな優しくて、いつも心から笑顔だから。収穫の時期など、父と母と共に彼らの農作業の手伝いをするのは、大変だけど結構好きだ。日々の苦労が言葉通り実になって、皆とても嬉しそうだ。
 だが年に一度に父と共に参加する貴族達の舞踏会。あれは駄目だ。自分が言うのもなんだが、貴族というのはとても好きにはなれない。表情はニコニコしているが、心の底では全く別の顔をしている。ぎらぎらと光る眼で相手の価値を天秤にかけ、心中で姦計を謀り、世に憚る。騙し騙され、心は荒み痩せこけて、美しいのは衣装だけ。そう、ちょうど目の前の客のような感じで――。

 明るさに、目が慣れてきた。

 ステージよりも一段低いところにある客席は、所謂立食パーティの会場のような感じで、いくつも設置してある丸テーブルには料理や飲み物が置かれており、客はそれを囲うように立っている。
 彼らの服装は正に豪華絢爛といった感じであり、肖像画に映えそうな煌びやかな色彩が目につく。加えて、彼らは皆装飾された仮面を付けている。

『ちょっと! これはどういうことですの!』
 サラに向けらているのであろうミーファの怒鳴り声が、脳内に響く。
 だが、既にエミール少年の意識は目前の群衆へと向いており、二人の会話が頭に入ってこない。

 彼らが付けている仮面は目だけを隠すもの。この手のものは髪も耳も鼻も口も丸出しで、装飾に拘っただけの所謂お遊び、ファッションのためのものであり、本気で正体を隠すためのものではない。顔を覚えられるのは防げても、知った顔なら仮面の上から見分けることができる。実際、彼はいくつか見知った顔を見つけることが出来た。
 そんな中に、彼はある女性の顔を見た気がした。自分たちを告発し、父を牢に、母を鏡に閉じ込め、自らをこのような境遇に追いやるきっかけを作った張本人。シェルドン家とサバトの関係を密告した若いメイド……名はアリーシャ。金の装飾が施された蒼い衣装が、その長い黒髪とよく合っており、派手ながらも周囲に比べれば多少落ち着いた印象。信じられないものを見た、といった具合にぽかんと口を開けてこちらを見ていた。その傍らには同じく煌びやかな格好の男が立っていて、彼女の肩を抱いていた。彼もどこかで見たことがあるが、名前が思い出せない。エミール少年は自分の見たものが信じられず、もう一度よく見ようとした。

『だって、この人たち、全員貴族じゃないですか!』

 客席の誰かが叫んだ。
「お尋ね者のエミール・シェルドンだ! 捕まえろ!」

 エミール少年の顔を知るものは少なく、出回っている手配書にも似顔絵の類は描かれていない。だが、ごく一部とはいえ彼の顔を知るものも存在する。
 ごく一部とは、それ即ち彼と同じ貴族のことであった。
15/03/15 01:53更新 / 万事休ス
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■作者メッセージ
その4に続く。

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