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没落少年貴族の冒険 その4
「お尋ね者のエミール・シェルドンだ! 捕まえろ!」
 客席の誰かが叫んだ。

 それとほぼ同時に、客席後方の扉が勢いよく開き、楔帷子を纏った男達が会場になだれ込んでくる。統一のとれた動きに、槍と軽装の統一規格の装備。人身売買市場を取り仕切るごろつきどもではない。彼らと、彼らを利用せんとする顧客達を取り締まる、町の衛兵である。

 さらにそれらと同じ瞬間、ステージ上にてスポットライトに照らされるエミール少年の足元から、影の蔦が四方に向けて飛び出した。影の蔦は一瞬薄く鋭利な菖蒲の葉のように変形し、捩れしなる様に回転して、少年を捕える鉄の格子を切断する。

 突如会場を襲撃した三つの異常事態。
 あるものは客席からの叫び声に咄嗟に反応し、それは真かとエミール少年の顔を観察しようする。
 あるものは突然後方に現れた衛兵に驚き、顔を隠すように庇いながら、どこか脱出口はないかと会場を闇雲に走り回る。
 あるものは檻を切断した影の蔦に生命の危険を感じ、半狂乱になりながら後方の扉を目指す。

 彼らは皆人身売買の関係者であり、衛兵にとっては逮捕の対象である。
 前門の魔物、後門の衛兵。
 進むもの、戻るもの、立ち止まるもの、逃げ出そうとするもの。
 混乱する群衆は会場の中心でぶつかり合う。罵倒、懇願、その他諸々の悲鳴が混ざり合い地下空間に反響し、ぐわんぐわんという怪音が響く。
 そんな中、エミール少年は先ほど見た人影をしきりに探していた。
 仮面の上からだが、確かにメイドのアリーシャに見えた! シェルドン家を告発し、没落へと導いた張本人! 何故、彼女がここにいる!? 彼女は領内の、決して裕福ではない家庭に育った村娘ではなかったのか!? なのに、なぜこの貴族の集会に、美しいドレスを纏ってここにいる!?
 
「坊ちゃま、お逃げください!!」

 ミーファが影から飛び出し、エミール少年の手を引っ張る。。
 はっとして目の前を見れば、何人かの貴族がエミール少年を捕えようとステージにかぶりつき、既に足を掛けている者もいる。
 仮面から覗く彼らの目には、例外なく確かな敵意、そしてそれ以上の焦りが宿っていた。

 影の蔦が伸び、ステージに足を掛けていた男を下の混乱の渦中へと叩き込む。
 エミール少年は既に残骸と化した檻を抜け、ステージの裏手へと駆けだした。

 そこには哀れな『商品』たちが入れられた檻が並ぶが、見張りのごろつき達の姿がない。既に逃げ出したのだろう。
 すれ違いざま、ミーファは影を伸ばして子供たちを捕える檻を切断した。
 が、ミーファもエミール少年も、今は他人に気を遣う余裕はない。
 二人は振り返りもせず、ただただ雑踏から遠ざかることだけを考え、目の前の闇に向けて疾走した。

 ☆

 エミール少年は、暗く湿った地下道をひたすら走った。
 背後からは、常に誰かが自分を追う声がする。
 追われているという焦りで頭に血が上り、足を動かす以外のことを考えるという発想が出てこない。思考に靄がかかるが、足の裏の感覚だけは驚くほど鋭敏になっている。
 だがそれでも逃げきれない!
 自分を呼ぶ声が徐々に大きくなる。そしていよいよ誰かに腕をつかまれた。体勢を崩す。重力の向きが変わり、浮遊感が身体を包む。一秒が何十倍にも間延びする。
 
「坊ちゃま!」
 固い地面の感触を覚悟したエミール少年だが、何者かが彼をふわりと受け止めた。
 ミーファである。所謂お姫様だっこの形で彼を抱き上げ、ふわふわと浮遊する。
「追っ手は撒きましたわ」
 気が付けば、背後に自分を追う光は無く、罵声も遥か遠くのものが反響し周囲に響くばかり。
 背後で自分を呼ぶ声は、すぐ後ろのミーファのものだったのだ。少年はなんだか急に恥ずかしくなり、ミーファに地面に下してくれと頼んだ。
 
「坊ちゃま、念話符はお持ちですか?」
 そう問われて懐を漁ってみるが、どこにも魔導符がない。
「落としたみたい」
 少年は青くなって答える。
 ミーファが目をつぶり、小さな声で詩を口ずさむ。活性化した魔力により、彼女の身体が微かに紫色の光を帯びはじめたが、すぐに詠唱を止め、首を小さく横に振った。
「やはり、サラは念話の範囲外ですわ。とりあえず、外を目指しましょう。この暗い通路は、ごろつきどもの庭ですもの」

 暗い通路を彷徨いながら、エミール少年は念話符を落としてしまったことをひたすらに誤った。だがミーファは特に気にも留めていないようで、「どうせ何かしらで失敗するだろうとは思っておりましたわ」と諦め半分笑い半分で答えた。そして「これであのネズミ女を八つ裂きにする口実が出来ましたわね。合流したらどうしてやりましょうか」と、さも楽しそうに話すのだった。

 ☆

「ところで」
 どれくらい歩いたか、二人の口数も少なくなってきたころ、少年がふと口を開いた。
 エミール少年は、ミーファにメイドのアリーシャを見たことを話そうか迷っていた。だが、こんなところにアリーシャがいるはずがない。時間の経過と共に記憶も曖昧になり、考えれば考えるほど、自分の見間違いではないかという気持ちが大きくなっていった。
 そうして、結局少年は、あれは自分の見間違いであるという事で納得することにして、全く別のことを口に出した。
「あの衛兵さんたちは、声を上げた貴族の人が呼んだのかな?」
 声を上げた貴族というのは、客席で「捕まえろ!」と叫んだ人物のことである。
「まさか!」と、ミーファが鼻で笑うように言った。
「最初に声を上げた男は、真っ先に衛兵に縛り上げられていましたわ。おそらく、別ルートでこの人身売買パーティのことを知ったんでしょう」
 そうして、彼女は少し厳しい口調で続けた。
「坊ちゃま。今、追っ手は三種類います。ごろつき、衛兵、貴族の三つです。当然ですが、ごろつきは坊ちゃまのことは二の次です。衛兵から逃げる方が大事ですからね。次に衛兵は、当然指名手配中の坊ちゃまを捕まえるのも仕事なので追ってくるでしょうが、今回の彼らの仕事はあくまで人身売買の摘発です。売人とその顧客の逮捕が優先ですし、恐らく坊ちゃまが今回売りに出されていること自体、彼らは知りもしないでしょう。貴族たちは、ごろつきや衛兵ほど体を鍛えていませんので、直接の脅威度は低いです。さらに、混乱に乗じてごろつきに身ぐるみを剥がされるかもしれないことを考えれば、彼らは衛兵とごろつき、双方から逃げなくてはなりません。しかし、彼らは坊ちゃまに顔を見られました。あの仮面では顔を隠しきれないことは、彼らも分かっているでしょう。彼らは、よってたかって攻撃し、貴族の地位から蹴落とした相手に、人身売買の顧客であったという弱みを握られたことになるのです。恐らく、何よりも優先して坊ちゃまを捕えに来ます」
 そうして、一拍置いて力強く言った。
「この三勢力、全ての目をかいくぐり、この町を脱出しましょう。坊ちゃまの御身は、使い魔・ミーファがこの身に代えてお守りします。奥様に、サバトの魔女に誓いましょう」

 ☆

 程なくして、二人は天井から微かに光が漏れる箇所を見つけた。どうやら組まれた石に隙間が出来ているようだ。
 外はもう日が昇っているのだろうか。
 ミーファが影の蔦を伸ばすと、天井の一部がゴトリと動いた。そのまま石を押し上げると、外への脱出口が開いた。
 外はまだ夜だ。光が漏れていたのは街灯の真下だったからに過ぎない。だが二人はこれにより、無事に地上への脱出を果たした。
 まずはミーファが外に出て安全を確認し、蔦でエミール少年を引き上げる。
 
 月の位置から察するに、既に0時はまわっているようだ。
 闇に紛れて、この町を抜け出せれば都合がいい。
 しかし、二人が地上に出た場所は入り組んだ裏通りの一角であり、現在地どころか方角も分からない。
 闇雲に歩き回るのもいいが、如何に夜とはいえ地上は地下よりも見通しが効く。そんなことをすればすぐに見つかってしまう。
 やはり一度どこかに隠れ、朝になってから人ごみに紛れての移動した方が安全か? いや、しかし――。

 そんなことを考えていると、ミーファが突如何かから庇うようにエミール少年の前に出た。
 彼女の目は通りの向こうを睨んでおり、明らかに何かを警戒している。
「坊ちゃま、見えますか?」
 彼女の視線の先を見ると、遠くの街灯の下に、一人の女性らしき人影が佇んでいるようだ。
 ドレスの裾が夜風に揺れ、はたはたとはためいている。
「先程までは誰も居ませんでした。このような時間に、ご婦人が一人裏通りを往くのもおかしな話です。私の側から離れぬように」
 ミーファの背後で、エミール少年も佇むそれの正体を見極めようと目を凝らす。
 はためく布地は美しい蒼。街灯の光を反射しているのか、キラキラと輝いている。金装飾だろうか?
 少年は、つい最近どこかでこのドレスを見た気がした。
 そう、人ごみの中、その時は薄ら暗い場所で見たから、スポットライトの様な街灯の下にある今とは印象が少し違うが、間違いない、同じ衣装だ。
 ――会場で見た、アリーシャの服――。
 そして彼はもう一つ、妙なことに気が付いた。
 あの人影、一向に動かない。ミーファはあれが突然現れたと言っていた。だが何故それから動かない? こちらを警戒しているのか? だがしかし、それならば何故明かりの下に入った?

 雲が立ち込め、月を隠した。
 その時、エミール少年の脳裏に猛烈に嫌な予感が到来した。虫の知らせというものか、脳を不快物質が染め上げる。ミーファは尻尾の毛を逆立て、まだ遠くの人影を警戒している。
「ミーファ! あれ囮!」
 少年が叫ぶ。ミーファははっと振り返り、少年の足元から影が湧く。上空から、風を切る音。
 少年を包み込むようにして急遽成長した影は、上から到来した何かを弾き飛ばした。
 軌道をそらされた何かが、地面に刺さる。上空で、何かが風を切り移動する気配。
 
 少年は地面に突き刺さったものを見た。
 これを何と表現すればいいのか。四つ羽のブーメランの様な形状の、薄く小さい金属製の刃。その刃は水でも血でもない液体が塗り込まれ、ヌラヌラと怪しく輝いている。
 少年はこれを知っていた。昔、屋敷によく出入りしていた旅商人が、これを見せてくれたことがある。彼は世界中を旅しており、旅先で体験した様々な冒険譚と共に商品を売り込む妙な商法を得意としていた。
 彼の話を思い出す。確かこれはジパング地方の伝統的な暗器。他の暗器に比べ殺傷能力に劣るが、携帯性に優れる。欠点を補うために刃に毒を塗りこむ場合もあり、名前は確か――そう、シュリケン。

 今度は正面の暗闇から、一発二発三発四発と立て続けに手裏剣が飛んでくる。
 ミーファが蔦を巧みに操りそれらを弾き返すも、捌ききれずに一発が彼女の二の腕に命中してしまう。
「ぐっ!」
 掠っただけだが、すっぱりと腕に切れ込みが出来た。
 ミーファは元より人工種族、いわゆる魔法生物としての性質を持つため出血こそしないが、傷から紫色の煙のようなものが立ち昇る。体内の魔力が漏れ出ているのだ。
 間髪入れず、背後の暗闇から何者かがミーファに躍りかかってきた。
 影の蔦を二本、素早く伸ばして身を守るも、その一撃は疾く、重く、ぐぐっと押し込まれてしまう。
「ミーファ!」
 エミール少年は足元の手裏剣を拾い上げ、突如現れた凶賊へと投げつけた。
 凶賊は地を蹴り、ひらりと宙に舞い上がる。
 その時、立ち込めていた雲が切れ、そこから月が顔を覗かせた。

 月明かりに照らされ、建物の上に降り立った凶賊の姿が浮き上がる。
 女だ。黒装束に身を包み、長い黒髪を後ろで結って一つに纏め、口元を布で隠している。
「……やはり人造種族。毒は効果が薄いようですね」
 黒装束の女が、恐ろしいほど感情を感じさせない、冷たい声で言い放つ。
「ですがエミール様はそうはいきますまい。手裏剣に塗り込んであるのは経皮性の麻痺毒。即効性故、もう体が動かなくなり始めているのでは?」
 女の言う通りであった。エミール少年は既に四肢の先端の感覚が薄くなっており、バランスを欠いた彼は地に倒れ伏した。
 何とか首だけを動かし、黒装束の女の顔を見る。暗いうえに、口元を隠しているので素顔ははっきり分からない。
 だがこの声、声色を変えているが間違いない。
「ありーしゃ……」
 絞り出すようにして、喉を出た声。
 ミーファがはっとして黒装束の女を見やる。
 女はさして動揺するでもなく、淡々と返した。
「まさかこのような形で再会するとは思ってもおりませんでした。エミール様」
 あっけらかんと肯定した彼女に、ミーファが尻尾どころか髪の毛まで逆立てて激しく威嚇する。
 黒装束改めアリーシャは、そんなことは全く意に介する様子もなく、腰に下げた刀を引き抜き左手に逆手に構える。
 すると、彼女の腰の辺りから先端に矢尻のついた紐のようなものがしゅるしゅると伸びてきて、鎌首をもたげた蛇のような構えを取る。あれはなんだ? 魔法武器だろうか?

 何かに気が付いたのか、ミーファがはっと息を飲む。
「坊ちゃま、いけません! あれはクノイチですわ!」

 闇に佇むクノイチから、確かな殺気が放たれる。
「直接手は下すなとの命令でしたが、やはり止めが刺されるまでは監視を続けるべきでした。エミール様、今ここで、お命頂戴致します」
15/03/16 23:08更新 / 万事休ス
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■作者メッセージ
その5に続く

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