そして出立へ
大事を取り、五日目は休むこととした。
今は必要ない道具を詰め直し、皮袋の水筒に水を詰める。
刀の手入れを始めた千鳥に、ギンはおもむろに尋ねた。
「チドリの故郷での話、聞かせて」
あまりにも脈絡がなくて、千鳥は目を丸くした。
だがギンは真面目な顔をしている。
「どうした、いきなり」
「話してくれるって言ったよね、最初」
そういえば、確かに言っていた。
千鳥はどう話したものかと思い、思いを馳せ、ふと全部正直に話してしまおうと思った。
「俺は異世界の人間だ」
その一言に、ギンは笑わなかった。
だったら話してやろうと、改めて思う。
「話に伝え聞くジパングってやつに近い国から来た。違うのは魔物がいないことと、もう少し文化レベルが先に進んだ、この世界からすれば未来の世界みたいなところ」
「……そこで剣術を?」
「そう。争いはなくなって、英雄もいなくなって、だから世界から必要がなくなり始めていた術だったけれど、俺はそれに魅入られた」
剣術に魅入られる。剣を強く思う。
千鳥の中にあった暴力的な衝動と、原初に存在する闘争の本能、もしくは才能を発見したことに対する欲望の発露か。
才能を持って剣を握り、時代錯誤にも実践剣術の修行に日夜明け暮れた。
「剣術の師匠と山籠りをして生きていたんだ。野山で一週間飲まず食わず生活したり、ひたすら山の中を駆け回ったり、サバイバルの技術を磨いたりしてたんだ。剣術に関係ないようなそれらは、全部自然の声を聞くための修行だって師匠は言った」
斬るものは全て自然にあり、声を聞いて何を斬るべきかわかる。
それが師匠が千鳥へ最も深く刻み付けた教えだ。
気づけばそれを手に入れていた千鳥の暴走は、そこから始まった。
「俺にも数年と修行を積んでそれがわかり始めて、取っ掛かりを掴んだら効果はすぐに出た。
まず木を斬り刻んで薪にした。師匠に刀をナタにするなって怒られた。
次に鹿を斬って糧にした。この時はすごく褒められて、嬉しかったんだ。
次に石を斬ってかまどを作った。この辺から師匠は俺のすることに口を挟まなくなった。
崖を斬って住処にした。霧を斬って道を作った。次第に斬れるものは増えていった。
雷を斬ろうとしたのは、そのすぐ後だ」
「最初に言ってたアレって、失敗したから、なの?」
「そうだ。ギンの雷を斬ろうとしたのは……リベンジ、なんだよ。俺の」
雨の降る山に真剣を携え、空を睨んでソレを待つ。
そしてそれを前にして、千鳥は獰猛に笑った。
ソレを最後に、千鳥はあの山に帰っていない。
「結果から言えば、その時の俺は失敗して生死の狭間をさまよった。そしてなんとか生き汚く舞い戻った俺は、剣を取り上げられたんだ。いわゆるその時代の、普通の生活ってのに放り込まれた」
「それって、幸せなんじゃないの? 千鳥は、どう思ったの?」
思うことは一つ。
「――死ぬほど退屈だった」
独り言ちる。
「比喩でなくおれはあの生活をした五ヶ月間、死に続けていた。周りは雑音だらけで、自然に耳を澄ますことなんて考えていない奴らばかりだったんだよ」
命が点滅するほどの環境も、せせらぎのように俺を導く声も、そして何より素早く俺を殺そうとするあの稲光りも。
あの地獄には存在していなかった。
耳をふさぎ、順応を拒否し、そして最後まで、あそこは千鳥の居場所にはならなかったのだ。
「だからある日俺は師匠の刀を盗んで、逃げ出した。逃げ出そうとした一歩目で、この世界に踏み込んで今や異世界の迷子だ。後悔や反省もあったけど、まあなんとかこの世界に慣れていこうと思った」
「じゃあ、こっちに来てからは?」
「こっちに来てからは……想像通りだろうよ。それなりに荒く生きて、命を燃やすように生きていきたい。
馬鹿みたいにそう思って世界を行脚して、ここにたどり着いた」
全てを言い切って、思うことは一つ。
この世界に来て、よかったことはあった。
それだけだった。
「笑うか?」
「笑わない。けど呆れてる」
「馬鹿だろ?」
「馬鹿。すっごい馬鹿。死んじゃえ……嘘、死なないで」
ギンは少しだけ泣いた。
千鳥が投げやりにこの谷へ飛び込んだ理由を察したからだ。
雷を斬れば、目的を達すれば――戻れると思ったのだろう。
出来なければ、死んでもいいと思って彼は――
「泣くなよ……困る。ギンは泣き虫だな」
誰が泣かせていると思っているんだ。
そう言いたい気持ちを押さえ込んで、ギンはまた泣いた。
▼
谷の裾から歩いて地上に上がると、久しぶりの日の光が差し込んできた。
身体の末端まで広がるような優しい熱が身体をめぐり、上機嫌なギンの身体から紫電が散った。
「こっから一番近い街は、南に進んだ先にあるアーファだ」
「ハーピーの中継地だから知ってるよ。歩いていけば二日くらい?」
飛べば楽なんだけどとギンが呟いた。
千鳥の財産とも言える荷物を放置してもいいなら、一日も飛べば見えてくるはずだった。
ただギンは自分の便利を理由に人の荷物を捨てるのは気が引けたし、そもそも病み上がりで人一人を抱えて飛ぶのも少しだけ不安だった。
緊急時でなければ、その手段は取らないと二人で話し合ったのだ。
「どんな街なんだ、アーファは」
「ハーピー便の要所なんだけど、キマイラが治めてる街だからか……変な街なんだ」
魔導技術が異様に発達しているのだと、ギンは話す。
四つの人格を持ったキマイラはそれぞれが別分野の長であり、上水下水などのインフラ、魔石技術の一般普及、医療技術の発展、効率的な農業技術の四つがうまく噛み合った土地なのだと言う。
「水と食料が豊富にあって、病気を見る医者がいて、ついでに生活に便利な技術が溢れてるってわけか」
「しかも清潔。キマイラの領主は共通で綺麗好きらしいよ」
「さすが魔物娘、時代の先の先を行く奴らだ」
恐らく非常に住み心地のいい街なのだろう。
それでいて魔物の統治する地であるが故に税率は低い。
治安もいいだろうし美人もたくさん。活気にあふれるだろう。
税率が低いので外から商人もやってくるし、魔石技術の品は外資にもなる。
なるほど、考えれば考えるほど、効率的でいい街に聞こえる。
「ギンはどれくらいそこに居たんだ?」
「私はアーファじゃなくて、少し遠い集落からのお登りだよ。谷の向こう側、隣国の出身」
ギンの生まれた集落は、定住しない一族なのだと言う。
ハーピー種で集まって生活し、群れが一定数を超えたら分かれて暮らす。
そうして数を増やし、あちこちを飛び回りながら理想の男を探して番うのだとも。
「婿探しと住処探しの両得ってことか」
「そう。私たちはその中でも特に若い群れで、親離れしたばっかだから」
「うまいこと狙われてしまった、か」
仲間のことを心配してかギンの表情が暗くなる。
そんな彼女の頭を撫でて、安心させる。
千鳥の手の温かさに甘えるように、ギンは少しだけ声を漏らした。
「大丈夫。街に戻れば必ず探してやる」
「チドリは、優しいね」
「優しくなんかない。ただ、乗り掛かった船だからな」
ぶっきらぼうに言った千鳥の後ろを、ギンは少しだけ駆け足でついてく。
その日の道中は、平和だった。
――少なくとも、二人にとっては。
今は必要ない道具を詰め直し、皮袋の水筒に水を詰める。
刀の手入れを始めた千鳥に、ギンはおもむろに尋ねた。
「チドリの故郷での話、聞かせて」
あまりにも脈絡がなくて、千鳥は目を丸くした。
だがギンは真面目な顔をしている。
「どうした、いきなり」
「話してくれるって言ったよね、最初」
そういえば、確かに言っていた。
千鳥はどう話したものかと思い、思いを馳せ、ふと全部正直に話してしまおうと思った。
「俺は異世界の人間だ」
その一言に、ギンは笑わなかった。
だったら話してやろうと、改めて思う。
「話に伝え聞くジパングってやつに近い国から来た。違うのは魔物がいないことと、もう少し文化レベルが先に進んだ、この世界からすれば未来の世界みたいなところ」
「……そこで剣術を?」
「そう。争いはなくなって、英雄もいなくなって、だから世界から必要がなくなり始めていた術だったけれど、俺はそれに魅入られた」
剣術に魅入られる。剣を強く思う。
千鳥の中にあった暴力的な衝動と、原初に存在する闘争の本能、もしくは才能を発見したことに対する欲望の発露か。
才能を持って剣を握り、時代錯誤にも実践剣術の修行に日夜明け暮れた。
「剣術の師匠と山籠りをして生きていたんだ。野山で一週間飲まず食わず生活したり、ひたすら山の中を駆け回ったり、サバイバルの技術を磨いたりしてたんだ。剣術に関係ないようなそれらは、全部自然の声を聞くための修行だって師匠は言った」
斬るものは全て自然にあり、声を聞いて何を斬るべきかわかる。
それが師匠が千鳥へ最も深く刻み付けた教えだ。
気づけばそれを手に入れていた千鳥の暴走は、そこから始まった。
「俺にも数年と修行を積んでそれがわかり始めて、取っ掛かりを掴んだら効果はすぐに出た。
まず木を斬り刻んで薪にした。師匠に刀をナタにするなって怒られた。
次に鹿を斬って糧にした。この時はすごく褒められて、嬉しかったんだ。
次に石を斬ってかまどを作った。この辺から師匠は俺のすることに口を挟まなくなった。
崖を斬って住処にした。霧を斬って道を作った。次第に斬れるものは増えていった。
雷を斬ろうとしたのは、そのすぐ後だ」
「最初に言ってたアレって、失敗したから、なの?」
「そうだ。ギンの雷を斬ろうとしたのは……リベンジ、なんだよ。俺の」
雨の降る山に真剣を携え、空を睨んでソレを待つ。
そしてそれを前にして、千鳥は獰猛に笑った。
ソレを最後に、千鳥はあの山に帰っていない。
「結果から言えば、その時の俺は失敗して生死の狭間をさまよった。そしてなんとか生き汚く舞い戻った俺は、剣を取り上げられたんだ。いわゆるその時代の、普通の生活ってのに放り込まれた」
「それって、幸せなんじゃないの? 千鳥は、どう思ったの?」
思うことは一つ。
「――死ぬほど退屈だった」
独り言ちる。
「比喩でなくおれはあの生活をした五ヶ月間、死に続けていた。周りは雑音だらけで、自然に耳を澄ますことなんて考えていない奴らばかりだったんだよ」
命が点滅するほどの環境も、せせらぎのように俺を導く声も、そして何より素早く俺を殺そうとするあの稲光りも。
あの地獄には存在していなかった。
耳をふさぎ、順応を拒否し、そして最後まで、あそこは千鳥の居場所にはならなかったのだ。
「だからある日俺は師匠の刀を盗んで、逃げ出した。逃げ出そうとした一歩目で、この世界に踏み込んで今や異世界の迷子だ。後悔や反省もあったけど、まあなんとかこの世界に慣れていこうと思った」
「じゃあ、こっちに来てからは?」
「こっちに来てからは……想像通りだろうよ。それなりに荒く生きて、命を燃やすように生きていきたい。
馬鹿みたいにそう思って世界を行脚して、ここにたどり着いた」
全てを言い切って、思うことは一つ。
この世界に来て、よかったことはあった。
それだけだった。
「笑うか?」
「笑わない。けど呆れてる」
「馬鹿だろ?」
「馬鹿。すっごい馬鹿。死んじゃえ……嘘、死なないで」
ギンは少しだけ泣いた。
千鳥が投げやりにこの谷へ飛び込んだ理由を察したからだ。
雷を斬れば、目的を達すれば――戻れると思ったのだろう。
出来なければ、死んでもいいと思って彼は――
「泣くなよ……困る。ギンは泣き虫だな」
誰が泣かせていると思っているんだ。
そう言いたい気持ちを押さえ込んで、ギンはまた泣いた。
▼
谷の裾から歩いて地上に上がると、久しぶりの日の光が差し込んできた。
身体の末端まで広がるような優しい熱が身体をめぐり、上機嫌なギンの身体から紫電が散った。
「こっから一番近い街は、南に進んだ先にあるアーファだ」
「ハーピーの中継地だから知ってるよ。歩いていけば二日くらい?」
飛べば楽なんだけどとギンが呟いた。
千鳥の財産とも言える荷物を放置してもいいなら、一日も飛べば見えてくるはずだった。
ただギンは自分の便利を理由に人の荷物を捨てるのは気が引けたし、そもそも病み上がりで人一人を抱えて飛ぶのも少しだけ不安だった。
緊急時でなければ、その手段は取らないと二人で話し合ったのだ。
「どんな街なんだ、アーファは」
「ハーピー便の要所なんだけど、キマイラが治めてる街だからか……変な街なんだ」
魔導技術が異様に発達しているのだと、ギンは話す。
四つの人格を持ったキマイラはそれぞれが別分野の長であり、上水下水などのインフラ、魔石技術の一般普及、医療技術の発展、効率的な農業技術の四つがうまく噛み合った土地なのだと言う。
「水と食料が豊富にあって、病気を見る医者がいて、ついでに生活に便利な技術が溢れてるってわけか」
「しかも清潔。キマイラの領主は共通で綺麗好きらしいよ」
「さすが魔物娘、時代の先の先を行く奴らだ」
恐らく非常に住み心地のいい街なのだろう。
それでいて魔物の統治する地であるが故に税率は低い。
治安もいいだろうし美人もたくさん。活気にあふれるだろう。
税率が低いので外から商人もやってくるし、魔石技術の品は外資にもなる。
なるほど、考えれば考えるほど、効率的でいい街に聞こえる。
「ギンはどれくらいそこに居たんだ?」
「私はアーファじゃなくて、少し遠い集落からのお登りだよ。谷の向こう側、隣国の出身」
ギンの生まれた集落は、定住しない一族なのだと言う。
ハーピー種で集まって生活し、群れが一定数を超えたら分かれて暮らす。
そうして数を増やし、あちこちを飛び回りながら理想の男を探して番うのだとも。
「婿探しと住処探しの両得ってことか」
「そう。私たちはその中でも特に若い群れで、親離れしたばっかだから」
「うまいこと狙われてしまった、か」
仲間のことを心配してかギンの表情が暗くなる。
そんな彼女の頭を撫でて、安心させる。
千鳥の手の温かさに甘えるように、ギンは少しだけ声を漏らした。
「大丈夫。街に戻れば必ず探してやる」
「チドリは、優しいね」
「優しくなんかない。ただ、乗り掛かった船だからな」
ぶっきらぼうに言った千鳥の後ろを、ギンは少しだけ駆け足でついてく。
その日の道中は、平和だった。
――少なくとも、二人にとっては。
15/10/18 00:05更新 / 硬質
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