谷の主の事情
千鳥が目を覚ましたのは――本人の自覚は無いが――それから二日後のことだった。
気づけば彼は草が敷き詰められた寝床に寝かされており、うたた寝する谷の主は水で濡らした自分の羽根を千鳥の額に当てていてくれた。
寝起きではっきりとしない意識で、千鳥は改めて主を見る。
美しい青い羽毛に覆われたハーピー種の少女だが、どうにもひどい怪我を負っている。
左の羽根を支える骨の部分には雑な添え木がしてあるし、ところどころ血が乾いたような跡がある。
見える限りだが、右の腹部と左脚の太ももには衣服を破いて作ったと覚しい包帯が巻かれていた。太ももの方は包帯がずれていて、そこから銃創のような傷が見える。
治療用に破いたため露わになっている身体のあちこちには、小さな擦り傷や切り傷、打撲痕も見える。
左眼も布で覆われているが、そちらはしっかりと治療されてはいなさそうだ。
おそらく地上で傷を負い、谷底で動きが取れなくなっていたんだろう。
「キレイな顔だ……」
それだけ傷つき、醜くされていても目を奪われる。
軋む身体を押して起き上がった千鳥は、ハーピーを代わりにそこに寝かし付けて谷の底へ蹴落としたバックパックを探しに行くことにした。
自分も傷を負っているが彼女はこれだけの重症だ。放置しておくのはさすがにまずい。
せめて清潔にして傷薬でも塗っておかなければ、最低限の気休めにもならない。
幸いにして、バックパックは大した被害もなく谷底へ転がってきていた。
十分ほど歩いたところに転がっていたので、抱えて持ち帰る。
元の寝床に戻れば、ハーピーが起き出していた。
「起きたか、谷の主」
「……うるさい」
ぶっきらぼうに返された声は、まだ幼さが残っている。
取り付く島もなさそうだと思った千鳥は、無言でバックパックをどっさりと地面に放り、蓋を開けて中身を取り出す。
取り出すのはまず包帯と傷薬の軟膏、治療魔法を封じた符を数枚。
「何してるの?」
「手当の準備だ。君の傷は、かなり酷い」
飲み水として持ち込んでいたビンも取り出したが、そちらはヒビが入っていて空になっていた。道理で荷物が濡れているわけだ。
「なあ、水は無いか。綺麗なやつがいい」
ハーピーは無言で指を刺した。そちらには谷の崩れた壁面があり、そこから水が湧き出していた。
衛生面で心配があるため、千鳥は追加で鍋と携帯燃料を取り出して煮沸をすることにした。火打石で火をつけようとするが、それより前に近づいてきたハーピーが紫電で火花を散らして火をつけてしまった。
「凄いな」
ハーピーは無言で火のそばに座る。
千鳥はハーピーに向き合う。
「傷を見せてくれないか?」
「……」
「お礼だ。看病してくれただろう?」
そっぽを向いてしまうハーピーだが、火の側から動くことはしなかった。
千鳥が手を見せてと言うと、そろりとそれに従う。
骨折はしたが綺麗に折れているその患部に治療符を貼り付けてきちんと添え木をやり直す。
腹と足の銃創は弾丸が綺麗に貫通していたために一安心し、とりあえず沸かした湯で濡らした清潔な布で汚れとこびりついた血の跡を拭い、持っていた酒で消毒をしつつ傷薬と治療符で治療し包帯を巻く。
問題は眼だった。
ここまでの刀傷は縫合しないとうまく治らない。だが目に素人の縫合なんてやって助かるわけが無い。
「仕方ない、アレを使うか」
次に千鳥がバックパックから取り出したのは小瓶に入ったスライム状の液体だ。
前に珍しい治療薬として行商が売っていた、キングスライムの一部だった。
二つ買って一つは自分で前に使った。治りはすごく早く、驚くほど綺麗に傷は治ったが、デメリットもある。
「キングスライムの治療薬だ。これで傷を覆う。魔力も含まれているらしいから、魔物の治療には特に効くはずだ。だが……蠢めくから死ぬほど痛い。覚悟しておけ」
「……う、わかった」
手の平にスライムを垂らすと、意思を持つようにふるふると震えながら一塊になる。
そのまま饅頭のような大きさのスライムの塊が出来るが、ハーピーはそれを見て少し待って欲しいと言った。
息を整えるように深呼吸をした彼女は、初めて千鳥と眼を合わせて喋る。
「たぶん……雷を抑えられないと思う」
「ああ、大丈夫だ。我慢する」
互いに頷き合い、体勢を整えた。
千鳥は布を巻きつけた左腕をハーピーの口元に寄せ、右手のスライムをそっと彼女の顔に寄せる。
ハーピーの方は骨折していない右の羽根を千鳥に巻きつけて抱きつくような姿勢を取り、差し出された左腕を恐る恐る咥える。
千鳥のカウントでそっとスライムがハーピーの左眼に押し付けられた。
「――!」
声にならない悲鳴が溢れ出し、布越しに千鳥の左腕へハーピーの歯が食い込む。
胴に回った腕にも力が入るが、大して痛くは無い。
問題は数秒後にやってくる。
スライムが積極的に動き出し、ハーピーが痛みの限界を超えていく。
驚くほどの力で噛まれると同時に、彼女が帯電しその刺激が伝わってくる。
その刹那、一気に解放された雷が千鳥を貫いた。
走る痛みと、同時に彼女を助けたいという強い思いが湧き上がる。
彼女は怯えている。何かに追われてこの谷底に立てこもった。
羽根が折れて逃げられなかったのだろう。そうして神経を張り詰めさせていた。
衝動のような何かに、雷が火をつけた。
千鳥は思う。絶対にこの子を連れて、地上に戻るのだと。
「っ、頑張れ……! すぐに良くなる! 君は俺が守ってやるから……!」
「っ、つ、っ……ぁ」
ビクビクと痙攣しながら、彼女の放電が止まった。
千鳥はそっと力を抜き、彼女をそっと振りほどいて寝かせる。
気絶してしまったハーピーは、安らかな顔で寝息を立てていた。
眼の傷は後できちんとした治療は必要だが、これで二晩もあれば彼女は飛べる程度には回復するだろう。
そのためにすべきこと。治療の次は食料だ。
干し肉と、保存のきく芋や野菜を取り出して、千鳥は静かに料理の準備を始めた。
▼
簡単にだが塩味の強い干し肉のスープを用意し煮込みながら、千鳥は流星刀の拵えを修理し始める。
今まで使っていた刀は、バックパックごと谷底に落とした衝撃で曲がってしまっていた。
なのでその拵えを流星刀の方に移し替えている。
その作業が順調に終わり、柄紐を結んでいる途中で、ハーピーは眼を覚ます。
「起きたか、谷の主」
「……その呼び方、やめて」
不機嫌そうに千鳥を睨む彼女に、首をすくめながら彼は言う。
「わかったよ、ハーピー」
「ハーピーでもない。私は亜種、サンダーバードのギンだよ」
「いい名前だな、ギン」
千鳥は刀をそっと後ろに置くと、鍋の蓋を開いた。
酷く簡単なものではあったが、それでも匂いギンの腹がくぅと鳴いた。
「まずは手を洗ってからだ」
「ッ、そこまで意地汚く――っつ……!」
腹の傷に響くのか、大声を中断して呻く。
千鳥はギンを支えて立たせると、湧き水に連れて行った。
途中、憮然としながらも彼女が何事かを呟き、千鳥が少しだけ笑って怒られるという一幕はあったが、とにはかくにも食事である。
「おいしぃ……」
ため息を吐きながら、ギンは羽根の先で器用にスプーンを握ってスープを貪るように胃に納めていく。
温かい食事に少しだけにじんだ涙が、彼女の頬を伝った。
「今まで、谷底で食料はどうしてたんだ?」
「谷底に生えてる小さな木の実と、雷で落とした鳥食べてた。二週間か、もう少しくらい」
鳥を食べていたのかと驚いてギンを見てしまい、千鳥は睨まれる。
だが大事なのは生き残ることで、贅沢も言っていられなかったのだろう。
「ゆっくり食わないと吐くぞ」
「大丈夫、たぶん。今は食べた先から魔力になっちゃうから」
「……そういうもんか、魔物って」
普通は二週間も遭難していきなり大量に物を食えば、胃が受け付けないものだ。千鳥は修行中に一度だけその経験があった。
それも解決してしまえる魔物とは便利な生き物だと、そう思ってしまうのも当然だ。
「おいしかった……」
「そりゃよかったよ。その調子なら、四日も養生すれば上に戻れるだろ」
見立てを言うと、ギンはほころばせていた表情を強張らせる。
「追われているんだな?」
「……うん。魔物狩り」
この辺りは小国が入り乱れている。
反魔物国家の魔物狩りの集団が国境を超えて、彼女を襲ったのか。
「仲間と一緒にいるところを襲われて、飛べなくなったから囮になるつもりで雷出してたんだ。でもいつまで待っても助けが来なくて……みんな、大丈夫かな」
「……君は俺が安全なところまで連れて行く。あとのことはそれからだ」
気休めは口にしなかった。
千鳥は嘘がつけない質だし、ギンの方が現状をよく理解しているのがわかっているからだ。
慰めは救いにはならない。
ふと、顔を上げたギンが千鳥を見た。
「チドリはなんでここに来たの?」
当然の疑問だ。
雷登りしきるこの谷底に、命知らずにも飛び込んだ男。
もしかすれば仲間の救援かと、ギンは思った。藁にもすがる思いだったろう。
「雷を、斬れると思ったから来た」
「……あたまだいじょーぶ?」
「子供の頃からの憧れなんだよ、ほっとけ」
まあ、正気であれば雷を斬るという発想が出ない。
サンダーバードという魔物であるギンは、雷の疾さを知っているから尚更だ。
にもかかわらず平然とそんなことを言う千鳥は、理解の範疇外だ。
「俺の名前、千鳥は刀の名前なんだ。その昔、雷を斬ったという伝説を持つ剣士が持っていた刀で、別名を雷切という。その伝説を知った俺は、その剣士に憧れて刀を握ったんだ」
「それで、雷を斬ってここまで降りてきたの?」
「そうさ。手応えはあった」
静かに手を握って言う千鳥を理解できず、ギンは乾いたような声で「よかったね」と言ったきり、次の言葉を発さなかった。
その日はその会話を最後にして、二人とも寝床についた。
ギンはその日、何度も寝ていたにもかかわらず夢も見ずにぐっすりと眠る。
二週間ぶりの安らぎが、彼女を癒した。
気づけば彼は草が敷き詰められた寝床に寝かされており、うたた寝する谷の主は水で濡らした自分の羽根を千鳥の額に当てていてくれた。
寝起きではっきりとしない意識で、千鳥は改めて主を見る。
美しい青い羽毛に覆われたハーピー種の少女だが、どうにもひどい怪我を負っている。
左の羽根を支える骨の部分には雑な添え木がしてあるし、ところどころ血が乾いたような跡がある。
見える限りだが、右の腹部と左脚の太ももには衣服を破いて作ったと覚しい包帯が巻かれていた。太ももの方は包帯がずれていて、そこから銃創のような傷が見える。
治療用に破いたため露わになっている身体のあちこちには、小さな擦り傷や切り傷、打撲痕も見える。
左眼も布で覆われているが、そちらはしっかりと治療されてはいなさそうだ。
おそらく地上で傷を負い、谷底で動きが取れなくなっていたんだろう。
「キレイな顔だ……」
それだけ傷つき、醜くされていても目を奪われる。
軋む身体を押して起き上がった千鳥は、ハーピーを代わりにそこに寝かし付けて谷の底へ蹴落としたバックパックを探しに行くことにした。
自分も傷を負っているが彼女はこれだけの重症だ。放置しておくのはさすがにまずい。
せめて清潔にして傷薬でも塗っておかなければ、最低限の気休めにもならない。
幸いにして、バックパックは大した被害もなく谷底へ転がってきていた。
十分ほど歩いたところに転がっていたので、抱えて持ち帰る。
元の寝床に戻れば、ハーピーが起き出していた。
「起きたか、谷の主」
「……うるさい」
ぶっきらぼうに返された声は、まだ幼さが残っている。
取り付く島もなさそうだと思った千鳥は、無言でバックパックをどっさりと地面に放り、蓋を開けて中身を取り出す。
取り出すのはまず包帯と傷薬の軟膏、治療魔法を封じた符を数枚。
「何してるの?」
「手当の準備だ。君の傷は、かなり酷い」
飲み水として持ち込んでいたビンも取り出したが、そちらはヒビが入っていて空になっていた。道理で荷物が濡れているわけだ。
「なあ、水は無いか。綺麗なやつがいい」
ハーピーは無言で指を刺した。そちらには谷の崩れた壁面があり、そこから水が湧き出していた。
衛生面で心配があるため、千鳥は追加で鍋と携帯燃料を取り出して煮沸をすることにした。火打石で火をつけようとするが、それより前に近づいてきたハーピーが紫電で火花を散らして火をつけてしまった。
「凄いな」
ハーピーは無言で火のそばに座る。
千鳥はハーピーに向き合う。
「傷を見せてくれないか?」
「……」
「お礼だ。看病してくれただろう?」
そっぽを向いてしまうハーピーだが、火の側から動くことはしなかった。
千鳥が手を見せてと言うと、そろりとそれに従う。
骨折はしたが綺麗に折れているその患部に治療符を貼り付けてきちんと添え木をやり直す。
腹と足の銃創は弾丸が綺麗に貫通していたために一安心し、とりあえず沸かした湯で濡らした清潔な布で汚れとこびりついた血の跡を拭い、持っていた酒で消毒をしつつ傷薬と治療符で治療し包帯を巻く。
問題は眼だった。
ここまでの刀傷は縫合しないとうまく治らない。だが目に素人の縫合なんてやって助かるわけが無い。
「仕方ない、アレを使うか」
次に千鳥がバックパックから取り出したのは小瓶に入ったスライム状の液体だ。
前に珍しい治療薬として行商が売っていた、キングスライムの一部だった。
二つ買って一つは自分で前に使った。治りはすごく早く、驚くほど綺麗に傷は治ったが、デメリットもある。
「キングスライムの治療薬だ。これで傷を覆う。魔力も含まれているらしいから、魔物の治療には特に効くはずだ。だが……蠢めくから死ぬほど痛い。覚悟しておけ」
「……う、わかった」
手の平にスライムを垂らすと、意思を持つようにふるふると震えながら一塊になる。
そのまま饅頭のような大きさのスライムの塊が出来るが、ハーピーはそれを見て少し待って欲しいと言った。
息を整えるように深呼吸をした彼女は、初めて千鳥と眼を合わせて喋る。
「たぶん……雷を抑えられないと思う」
「ああ、大丈夫だ。我慢する」
互いに頷き合い、体勢を整えた。
千鳥は布を巻きつけた左腕をハーピーの口元に寄せ、右手のスライムをそっと彼女の顔に寄せる。
ハーピーの方は骨折していない右の羽根を千鳥に巻きつけて抱きつくような姿勢を取り、差し出された左腕を恐る恐る咥える。
千鳥のカウントでそっとスライムがハーピーの左眼に押し付けられた。
「――!」
声にならない悲鳴が溢れ出し、布越しに千鳥の左腕へハーピーの歯が食い込む。
胴に回った腕にも力が入るが、大して痛くは無い。
問題は数秒後にやってくる。
スライムが積極的に動き出し、ハーピーが痛みの限界を超えていく。
驚くほどの力で噛まれると同時に、彼女が帯電しその刺激が伝わってくる。
その刹那、一気に解放された雷が千鳥を貫いた。
走る痛みと、同時に彼女を助けたいという強い思いが湧き上がる。
彼女は怯えている。何かに追われてこの谷底に立てこもった。
羽根が折れて逃げられなかったのだろう。そうして神経を張り詰めさせていた。
衝動のような何かに、雷が火をつけた。
千鳥は思う。絶対にこの子を連れて、地上に戻るのだと。
「っ、頑張れ……! すぐに良くなる! 君は俺が守ってやるから……!」
「っ、つ、っ……ぁ」
ビクビクと痙攣しながら、彼女の放電が止まった。
千鳥はそっと力を抜き、彼女をそっと振りほどいて寝かせる。
気絶してしまったハーピーは、安らかな顔で寝息を立てていた。
眼の傷は後できちんとした治療は必要だが、これで二晩もあれば彼女は飛べる程度には回復するだろう。
そのためにすべきこと。治療の次は食料だ。
干し肉と、保存のきく芋や野菜を取り出して、千鳥は静かに料理の準備を始めた。
▼
簡単にだが塩味の強い干し肉のスープを用意し煮込みながら、千鳥は流星刀の拵えを修理し始める。
今まで使っていた刀は、バックパックごと谷底に落とした衝撃で曲がってしまっていた。
なのでその拵えを流星刀の方に移し替えている。
その作業が順調に終わり、柄紐を結んでいる途中で、ハーピーは眼を覚ます。
「起きたか、谷の主」
「……その呼び方、やめて」
不機嫌そうに千鳥を睨む彼女に、首をすくめながら彼は言う。
「わかったよ、ハーピー」
「ハーピーでもない。私は亜種、サンダーバードのギンだよ」
「いい名前だな、ギン」
千鳥は刀をそっと後ろに置くと、鍋の蓋を開いた。
酷く簡単なものではあったが、それでも匂いギンの腹がくぅと鳴いた。
「まずは手を洗ってからだ」
「ッ、そこまで意地汚く――っつ……!」
腹の傷に響くのか、大声を中断して呻く。
千鳥はギンを支えて立たせると、湧き水に連れて行った。
途中、憮然としながらも彼女が何事かを呟き、千鳥が少しだけ笑って怒られるという一幕はあったが、とにはかくにも食事である。
「おいしぃ……」
ため息を吐きながら、ギンは羽根の先で器用にスプーンを握ってスープを貪るように胃に納めていく。
温かい食事に少しだけにじんだ涙が、彼女の頬を伝った。
「今まで、谷底で食料はどうしてたんだ?」
「谷底に生えてる小さな木の実と、雷で落とした鳥食べてた。二週間か、もう少しくらい」
鳥を食べていたのかと驚いてギンを見てしまい、千鳥は睨まれる。
だが大事なのは生き残ることで、贅沢も言っていられなかったのだろう。
「ゆっくり食わないと吐くぞ」
「大丈夫、たぶん。今は食べた先から魔力になっちゃうから」
「……そういうもんか、魔物って」
普通は二週間も遭難していきなり大量に物を食えば、胃が受け付けないものだ。千鳥は修行中に一度だけその経験があった。
それも解決してしまえる魔物とは便利な生き物だと、そう思ってしまうのも当然だ。
「おいしかった……」
「そりゃよかったよ。その調子なら、四日も養生すれば上に戻れるだろ」
見立てを言うと、ギンはほころばせていた表情を強張らせる。
「追われているんだな?」
「……うん。魔物狩り」
この辺りは小国が入り乱れている。
反魔物国家の魔物狩りの集団が国境を超えて、彼女を襲ったのか。
「仲間と一緒にいるところを襲われて、飛べなくなったから囮になるつもりで雷出してたんだ。でもいつまで待っても助けが来なくて……みんな、大丈夫かな」
「……君は俺が安全なところまで連れて行く。あとのことはそれからだ」
気休めは口にしなかった。
千鳥は嘘がつけない質だし、ギンの方が現状をよく理解しているのがわかっているからだ。
慰めは救いにはならない。
ふと、顔を上げたギンが千鳥を見た。
「チドリはなんでここに来たの?」
当然の疑問だ。
雷登りしきるこの谷底に、命知らずにも飛び込んだ男。
もしかすれば仲間の救援かと、ギンは思った。藁にもすがる思いだったろう。
「雷を、斬れると思ったから来た」
「……あたまだいじょーぶ?」
「子供の頃からの憧れなんだよ、ほっとけ」
まあ、正気であれば雷を斬るという発想が出ない。
サンダーバードという魔物であるギンは、雷の疾さを知っているから尚更だ。
にもかかわらず平然とそんなことを言う千鳥は、理解の範疇外だ。
「俺の名前、千鳥は刀の名前なんだ。その昔、雷を斬ったという伝説を持つ剣士が持っていた刀で、別名を雷切という。その伝説を知った俺は、その剣士に憧れて刀を握ったんだ」
「それで、雷を斬ってここまで降りてきたの?」
「そうさ。手応えはあった」
静かに手を握って言う千鳥を理解できず、ギンは乾いたような声で「よかったね」と言ったきり、次の言葉を発さなかった。
その日はその会話を最後にして、二人とも寝床についた。
ギンはその日、何度も寝ていたにもかかわらず夢も見ずにぐっすりと眠る。
二週間ぶりの安らぎが、彼女を癒した。
15/10/11 03:03更新 / 硬質
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