連載小説
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千鳥という少年
旅にはもう、慣れた。
そもそもこういうその日暮らしのような生活というのは、嫌いじゃなかった。
時代錯誤な剣術少年だった尾時千鳥は、この異世界に迷い込んでようやく世界と噛み合った。
思い出すのは師匠と呼んだ自称剣豪の老人と共に山籠りをした記憶。
楽しい楽しくないではない。あの時の千鳥は、生きていると感じることが出来た。
彼にとって生きるとはそういうことだ。
命を糧にして、自分の手の届く範囲で生きていく。
生きるということへの強烈な憧れは、二十年も生きていない彼を老成させた。

「よう兄ちゃん、一人旅かい?」
「ああそうだよ。おっさんは商人か」
「見ての通りさ。なんか買ってくかい?」

後ろからゆっくりと迫った馬車から、御者台に座る男が声をかけてきた。
よくある話だ。だが心地いい。
旅の道具で足りなくなっているものと思い返し、保存食が少し心もとないと思ってそれを要求する。
「おーい」と商人が馬車に声をかけると、そこからタヌキの耳が生えた女がうろんげに干し肉の包みを持って出てくる。
金を渡しながら千鳥は笑う。

「奥さん?」
「そうさ。商売仲間でもある」
「魔物だよね」
「刑部狸のサイいいます。お見かけになったならよろしゅう」

魔物だ。
千鳥の世界にはいない、女性しかいない固有の生き物の総称。
生き物、と表現していいのか。全てが人型で人と番い、人と子を成す。
もはやそれは人ではないかと千鳥は思ったが、その種に対する差別も理解できる。
どうせ魔物がいなければ人間同士で差別が生まれる。大して変わらないのだ、人の愚かさは。

「若いんだな、兄ちゃん。ちょっと気付かなかった」

商売がそう言った。
やはり己はくたびれているだろうかと落ち込む千鳥だが、苦笑するに留める。

「その腰のもんは、カタナか?」
「安物だけど、前に別の刑部狸から買ったもんだよ。こっちが使い慣れてる」

千鳥の荷物は、けっこうな重装備だ。
背中には大きなバックパックを背負い、ベルトには小銭入れの袋と小物入れのケースをぶら下げ、左の腰にはカタナが一振りと短剣が二本下げられている。
バックパックにはもう一振りカタナが括り付けられていて、見るからに武芸者のような様相だった。

「リザードマンかなんか探してるのかい?」
「まさか。ただ当て所なく……風の吹くまま気の向くままってね」
「にしちゃ結構な武装で。傭兵の真似事は流行らねぇぞ?」
「だろうね。俺はただ……何ていうか」

考える。言葉にする。

「誰より苛烈に、生きていたい」

刹那的に、弾けるように。
死を前にして笑いながら生きて、熾烈な生き方をしたい。

「命知らずだね、あんた」
「師匠からよく叱られたもんさ」

唐突にそれならと、刑部狸が声を上げた。

「危険な土地に興味あらへんですか?」

驚いてそちらを向くと、彼女は紙にペンを走らせている。

「どうです?」
「サイ、あそこはやめとけ。危険すぎる」

妻を諌める商人だったが、刑部狸の方は変わらぬすまし顔。
しかし視線は千鳥を試すようだった。

「聞いても?」
「おいやめとけあんた、あそこはシャレにならない!」

商人を無視して刑部狸に視線を送れば、彼女は紙を二枚差し出した。

「ここから一日北東に歩いたところに、最近雷の谷呼ばれるようになった土地があります。数週間前から原因不明の稲光りが四六時中谷底から登っていくもんで、つけられた俗称なんやけど……」
「稲光り、ね」
「あそこは上空の気流が乱れとって、最近ハーピーの配達が滞り始めとります。小国が密集するこの土地で、そんな事態が起きればどうなるか……」

紙の一枚は地図だった。
なるほど確かに、雷の谷は国境付近にある空路の要というわけだ。
そこ以外の空路が使えないというのであれば、あとは山を迂回する陸路しかない。
これでは情勢に即応するのは難しいだろう。

「もう一つの紙はウチの依頼書です。解決したら報酬を用意しとくんで、商人ギルドにそれを出せばええです」
「乗った。やってみるよ」
「いや待て、バカ。悪いことは言わないからやめておけ!」

千鳥は紙を見て三秒考え、それを懐に入れる。

「やめろ、死にに行く気か?」
「まさか。少し観光がてら雷の谷とやらを見て、なんとか出来そうだったら報酬も頂く。無理そうだったら素直に尻尾巻いて逃げるさ」

それにと言いながら、千鳥は足を止めて進路を反転した。
向かう先は北東。道なりに戻るのが近道だ。

「一度、雷を斬ってみたかった」
「……兄ちゃん、頭大丈夫か?」

正気を疑われても仕方ないだろうと思うが、それでもやってみたいと思ってしまった。
千鳥は自分の名前の元になった刀の逸話に憧れて、剣術に夢中になったのだから。
千鳥とは雷切。雷を切ったとされる雷神の刀。
雷が降りしきるというならば、斬らずにはいられない。そう思ったのだ。



なるほど雷の谷とはよく言ったものだと、千鳥は目の前の光景に見とれた。
天に昇る雷光が爆音を立てながら、天に昇っていく。
絶え間なく稲光りが弾けているわけではない。一つ一つの合間は一分から三分ほどの隙間が空く。
だが不定期で、しかも強力だ。

「お前を、斬ってやる」

谷の斜面はまるで断崖に近い。
千鳥は荷物を置きベルトごと武器を外し、バックパックにくくりつけられていた刀を鞘から抜いて淵に立つ。
こちらの刀は安物ではない。千鳥が向こうから持ち込んでしまった、唯一の品。
師匠にとっての家宝であった流星刀と呼ばれる現代の名刀だ。

「っ、ふぅっ!」

稲光りの一筋が前方を駆け抜けた。
目を焼かれそうな光と平衡感覚すら奪い取る暴力的な爆音。
大気の爆発は千鳥の身体をぎしりぎしりと締め付ける。
だがそれだけ。側雷は無いし千鳥自身へのいくらかの帯電も感じられない。
自然現象では無い。それを確信した。
バックパックを先に谷底へ蹴り落とし、千鳥は気合を入れた。

「よしっ……!」

握った刀の柄がみしりと音を立て、大上段に構えた刀身が太陽を反射して光る。
流星刀は通常の刀よりも重い。大上段にしていられる時間はそう長く無い。
だから千鳥は崖を滑るようにして、大地を踏み締めながらも谷底へ向かうことにした。
瞬間、谷底から悪意のような威圧感が押し寄せる。
毛穴が開いて汗が噴き出し呼吸が乱れた。
体勢が崩れて上体が逸れると、さっきまで頭があった部分を雷が一閃していった。
していった、とは言うがもはや五感は意味を為さなかった。
爆風と爆音、そして強烈な光。熱風まで加わって死が近づいてくる。
その瞬間に、千鳥の中にあったのは手の内の柄と、そして自らの内にある魂のようなものだけだ。
肉体は無い。雑念は無い。敵はなく、不利はなく有利もなく、目の前には斬るべきものがあると、それだけを感じた。
明鏡止水。
刹那の間隙に、千鳥は何かに追われるように刀を振った。

「――あ」

何かを斬った、そんな気がした。

――雷に、俺の声は届いただろうか。

千鳥の中から何もかもが消えた。



目を覚ましたとき、千鳥はまず焼け焦げた服と拵えが弾け飛んだ刀を認識した。
暗闇が彼を覆い尽くしていた。
何があるとも知れない闇は、雷の光の影響か余計に暗く思えた。
まず自身の無事よりも先に、手ごたえを確認する。
斬った、そう感じた。
何を斬ったのかはわからない。ただ、酷く軽くて重い何かを斬った。
きっと斬れた。そう思って笑った。

「く、ふふふっ……あっははは!」

狂ってしまったのかと自分でも思うが、それでも千鳥は笑う。
そうかそうか、俺は雷を斬れたのかと。そう思えば自分がおかしくて仕方なかった。
笑いながら立とうとすると、筋肉がひきつけを起こしたように痙攣してよろける。
まだ痺れている。ついでに火傷で肌も突っ張っている。
動くたびに身体がみしみし軋むように、壊れていく感じがわかる。

「あぁ、いけね。これは死んだか」

かの雷切の雷神とうたわれた侍も、雷を斬って半身不随になったと聞く。
さすがに無事ではすまないか。これで人生終わりか。
それでもおかしさは溢れ、呵々と笑う。
人の住めない谷底で、雷を斬って死に絶えた男がいる。それだけで酷く愉快だった。

「………」

息遣いが、聴こえた。
自分のものでは無い気配がそこにいる。
笑いを収めながら、千鳥は柄が消えた刀を握り締めて気配を探る。

「雷の谷の主と見受ける。俺は尾時千鳥、聴こえているなら話をしよう。今の俺は酷く愉快で、一人でいたら笑い死にしそうなんだ」

言ってから、自分がおかしなことを言ったと思ってまた笑う。
ここの主は明確な知性がある。
魔物か魔法使いか、意思があることには違い無い。
あの殺気はきっと、知性ある存在の外敵への反応だ。

「話がしたい。気に入らなければ殺せばいい。だが、俺は雷を斬った男だ、さっき斬った。易々とは死なないし、殺すのはもったいなく無いか?」
「………」

頭がおかしくなった気分だ。
狂人のように刀を振りかざして、解ける警戒なんてあるわけが無い。
それでもにこやかに、狂笑しながらも声をかけた。

「俺の故郷の話も聞いて欲しいくらいだ。何、今のおれは気狂いみたいなもんだ。戯言を言っても笑ってくれていいぞ」

気配から戸惑いを感じる。
この変人奇人をどう扱っていいのかわからないんだろう。

「主よ、もし少しでも俺に興味を持ったなら姿を見せてくれ。そうで無いなら……見殺しにすればいい」

最後にそれだけ言って、千鳥は膝をついて派手に倒れた。
身体が限界だった、ただそれだけ。
もう死にかけの身体で立っていただけ、驚異的というものだ。

「……っ」

気配が動く。
暗がりから青い羽根が見えた。
千鳥が見たのは紫電を纏うハーピー種の魔物の姿。
彼女は酷く傷つき、羽根や身体のあちこちに傷がある。
顔まで見上げると、その左眼は刀傷のようなもので潰れていた。
この谷底で襲撃者に怯え、立てこもるように傷を癒していたのだ。
怯えるような彼女を見て、千鳥は小さく呟いた。

「なんだ、キレイな子じゃないか……」

それっきり、今度は本当に。
千鳥は意識を失った。
15/10/10 18:27更新 / 硬質
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ボーイミーツガール

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