読切小説
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欲しいものは
 アマゾネスの部族の朝は早い。

「頭をっ、冷やしてこい!」

 高い女の叫び声、鈍い打撃音、窓を覆う草のすだれを引きちぎる音、家畜が驚き騒ぐ声。
 日の常となった早朝の騒ぎで、このアマゾネスの部族の朝は始まる。

 五月蠅いねぇ。
 思い、家畜が騒ぐ音を聞きながら、私は身を起こす。
 周囲はまだ暗く、窓を見れば、すだれの向こうに薄い夜明けの空が透けて見えた。
 こんな時間に騒ぐ連中に呆れながら、私は窓から首を出し、騒ぎの方向へと視線を向ける。
 せっかくこんな朝早くに叩き起こされたのだ、少しぐらい楽しまなくては。

「何をする、殺す気かッ!」

 家畜小屋の中、窓用のすだれを頭にかぶり、藁の上に倒れたまま叫ぶのは黒髪の青年だ。
 この部族に連れてこられたばかりの青年は、東国人特有の幼さを感じさせる顔を怒りに染めて起き上がる。

『命の恩人に殺されるなんて、笑い話にもならんぞッ!』

 彼は、おそらく東国のものであろう聞きなれない言葉で毒づき、軽い身のこなしで家畜小屋の柵を越え、正面に見える木造の家、すだれが根元からちぎれて無くなっている窓へと飛び込んだ。

 朝っぱらから元気だね、全く。
 朝が弱い身としては羨ましい限りだ。
 まぁ、仮に強くなっても、あんな無駄遣いはしないだろうが。
 仮に使うとしたら、やはり、朝のまぐわりだろうか。
 あの剛直をいぢめながら起こしたら、彼はどんな喘ぎ声を上げるだろうか。
 ………。
 後で試そう。そう心に誓っていると、肩に温かい物が乗った。

「……おはよう。良い朝、では無いな。時間的に」

 振り向いた先、半開きの瞼をこすりながら寝起きの声で言うのは私の夫だ。
 ほれ、と毛皮を手渡す彼に、私は苦笑しながら前に目線を戻し、

「何だ起きたのか。目論見が一瞬で御破算たぁ、今日はついてないね」
「そりゃ御愁傷さまだ。どうせ下関係の思いつきだろう? 喜んでおくよ」
「全く、ついてないねぇ我が夫よ」
「ありがたいことに、ってこら足を踏むな足をっ!」

 馬鹿な事言うからだよ、全く。
 呟いて、私は視線を騒ぎのほうへと戻す。

「死んでないだろう!」
「お前は阿呆か!? 死にかけた!」

 騒音。木造の家の中、一組の男女の罵声と肉を打つ音が断続的に響き、
 しばらくして先程青年が投げ出されて飛び込んだ窓から、今度は女性がゆるやかに放り出された。
 アマゾネスだ。青くなり始めた早朝の空の下、褐色の肌と右頭部から伸びる角を乗せた銀髪が美しい放物線を描く。

 華麗な飛びっぷりだぁね、我が友よ。
 親友と互いに呼び合う友の美しい飛行を冷やかし半分で見守っていると、彼女は空中で模様が描かれた豊満で美しい曲線を描く身体を猫のようにしならせ、音も立てずに砂上に着地。
 鋭利な、しかし冷たさを感じさせない端正な顔を獲物を見つけた猛禽類のように更に鋭くしながら疾走、窓の中へと飛び込んだ。

「誰が阿呆かっ!」
「お前以外に誰がいるっ!?」
「貴様だ戯けがっ、少しは男らしくなったらどうだ!」
「なろうとしている!」
「少しは言う事を聞かんかッ!」
「聞いている!」
「意地っ張り!」
「五月蠅い!」

 この騒ぎは夫を持った女の通過儀礼みたいなものだ。
 夫を持つことで成人した女は、最初に連れ込んだ男を教育、私達の流儀に馴染ませる。
 連れ込んだばかりの男は、どうにも基本的に自分が強いと勘違いしている者ばかりで、毎度毎度、このような騒ぎが様々な場所、様々な時に行われ、そのたびに私達は傷つけない程度の実力行使や、その場で犯すことで、ゆっくりと男を教育するのだ。
 数年前の自分もそうだった。
 微笑ましく思いながら周囲を見れば、夜明け直前という早い時間だというのに他の家から皆が眠たそうに出てきている。
 決まって早朝に一回喧嘩を行う友人の生活についてこれない皆に、私は苦笑を送る。

「……。」

 すぐ横で聞こえた吐息の音。
 その音に驚いて横を見れば、夫が小さく苦笑を浮かべている。
 見慣れた表情だったはずなのに、何故かこの時の表情は妙に記憶に残った。
 視線に気づいたのか、彼は私に目配せを一つ送り、家へと踵を返したのだった。





「朝、いやまだ夜だったな。東の山の向こうに薄っすらと青い空が見えるような時間だ。
 そんな時間に、あいつが何をやっていたと思う? 鍛練だぞ!? いや、ただの鍛練なら別にいい。たるんだ男など私の好みではないからな。だが、しかし、だ。私があいつを拾った時に預かった武器まで持ち出しての本格的な鍛練となれば話は別だっ!」

 夜。私の元気な友人が酒瓶を片手に、私と夫の愛の巣へと来襲してきていた。
 まぁ、嫌ではない。彼女の話に付き合うのは楽しいし、あの青年を娶る前の堅苦しく糞真面目なだけだった彼女と、今の彼女を比較するのも中々微笑ましくて良い。
 後は、だ。アイツがこれに慣れてくれれば完璧なんだがねぇ。
 熱中して私もことも目に入っていないであろう友人から目を離し、私は後方、距離を置いて、一人のんびりと茶なんぞをすすっている夫へと目線を向ける。
 数年前、人間の村を襲った際に狩り、ゆっくりと教育した男だ。面倒見がよく、さっぱりとした気前の良い男なのだが、どうにも気が弱い、というか私以外のアマゾネス達と関わろうとしない。閨では中々に反抗してくれるのだが、地に足がつくと途端に駄目になってしまうのだろうか、友人などで同族が来ると私を盾にすぐに距離を置いてしまう。

「聞いているのか!?」

 ちと、放置しすぎたか。
 既に酔いで顔を赤くして、私は目が据わっている友人に向き直りながら鎮まるようにジェスチャーをして、自分の分の酒に口をつける。
 安酒だ。味を楽しむのではなく、量を飲んで酔うための酒。
 どうにも朝の事がよほど腹に据えかねているらしい。
 まぁ、気持ちは解らんでもない。戦士である私達にとって、夫は愛し守るべき存在だ。
 その守るべき存在が、最も自分に近いところに居て、何度も叩きのめして力の差を示した相手がなお戦う意思を見せるというのは、これ以上は無い。文字通り、これ以上無い屈辱だ。
 ただ、彼女の夫はこの部族に来てから日も浅いし、時間をかけてゆっくりと教育していくのが一番なんだと思うんだが、

「最近は家事をする時に文句も言わなくなったし、閨の時も大分素直になってきたのに、何なんだ一体……」

 さて、どう切り出そうかね?
 思い、頭の中にいくつか単語を並べたところで横に動きが来た。
 夫だ。

「……ぇ?」

 あんまりにも予想外の光景に硬直する私をよそに、彼はどこから引っ張り出したのか、新しい酒瓶を机の上に置きながら、朝と同じ苦笑を小さく浮かべて、ゆっくりと口を開いた。

「それは、しょうがないな」

 僅かな間があった。
 一秒にも満たない沈黙。それを切り裂いたのは、すぐ近くで響いた破砕音だった。

 机が破裂した。

「私を侮辱する気か貴様ァっ!」

 友人の声は叫びというよりも獣の咆哮だ。
 彼女は机を粉砕した拳を開き、止める間もなく夫の胸倉を掴んだ。
 私はとっさに回収した酒瓶を握り、見守る。
 止める気はない。友人は加減知らずの阿呆ではないし、彼の言葉に、私も納得はできない。
 獣のような、としか形容しようのない友人の視線を前に、しかし私の夫は苦笑のまま表情を崩さずに、

「お前さんの夫さん、確か東国の出だったな。まぁ、俺も詳しくは知らないけども、体つきは農民って感じじゃないし、こんな大陸のど真ん中まで来たって事は多分傭兵だろ。
 お前さん、あいつが行き倒れているところを拾ったんだろ? 向こうの傭兵はただでさえ義理がたいって有名だ。それが命を救われたとあれば、そりゃ鍛えもするだろうさ。」

 少なくとも、私達を侮辱する気は無いらしい。
 私は友人が夫の胸倉から手を離すのを見ながら、いつの間にか緊張していた身体から力が抜けるのを感じる。
 彼は締められて赤くなった部分を擦りながら、まっすぐに友人の目を見て、続ける。

「というか、だ。惚れた女が日常的に狩りに行って手傷負って帰ってくるんだぞ? そんな環境でずっと指加えてみてるだけ、なんてことが出来る男は、よほどの根性無しか貴族ぐらいだろ、多分。」

 言う夫に、友人は興奮した息を抑え、ゆっくりと大きく吐いた。
 そして浮かべるのは苦笑。自嘲が強く混じった苦い笑いだ。

「彼は私に惚れてはいないだろう。……でないとあんなに反抗する理由が解らん」

 言って、彼女は肩を落とす。
 ゆっくりと吐かれる彼女の息が、やがて自嘲の笑いに変わる直前
 夫は小さく、朝に見たものと同じ苦笑を浮かべた。
 ここでようやく解った。これは親が子供に向ける苦笑と同じだ。
 自分が当然と思っていることを相手が理解していない時の、微笑ましさが混ざった苦笑。
 
「いんや、惚れてるね。あいつ、連れてこられた当初は容赦なくお前さんをぶん殴ってたよな? 毎度毎度、喧嘩のたびにお前さんは腹に青痣を作ってたよな?」

 今思えば大したもんだよな、あいつ。と小さく笑う彼に対して、友人は幾度も全力の拳を受けたであろう腹へ、今は彼から殴られることもなくなった腹へと視線を向け、

「……それは、あいつが力の差を思い知ったからだ」
「思い知ったんなら、反抗なんてしなくなるだろうさ」

 沈黙。腹に手を添えて黙る友人に、夫は小さく笑いながら

「あんたは狭量になりすぎ、あいつは説明不足。まぁ、なんだ。解決したいなら、ここでウダウダ言ってるよりは、二人でゆっくりと話したほうが良いだろ」
「狭量、だろうか」
「少なくとも、あんたの夫はそう感じてるんだろうさ」

 考え込むように俯いた友人の肩を軽くたたいて、夫は口を開き、しかしふと何かを思い出したように止まってから、にやりと人の悪い笑みを浮かべ、ちらりと私へと視線を送る。

「うまく話ができないからって、肉体言語だーとか言いながら閨に突入すんなよ?」
「する訳があるか」
「あるんだな、これが。例を上げると俺の嫁とか」

―――後で泣かすからな。

 驚く友人と、にんまりと笑ったままの夫の目線から目をそらしながら、私は硬く心に誓う。
 第一、その言い方では語弊がある。
 私は単に、彼にあんまりにも話が通じないから、おもいっきり犯して黙らせただけだ。
 思っているうちに、夫と友人の会話はどんどんと進んでいく。
 気がつけば、友人がすぐに家に帰り、彼女の夫と話をする、という流れになっていた。





「上手くいったら、今度飲みに来た時に教えてくれよ?」
「う、うむ。」
「んじゃ、頑張って」
「……助言、感謝する。それと、軽率だった。すまない。」

 滅多に聞けない友人の謝罪と感謝の声と一緒に閉まった扉、その向こうにある背中をドア越しに見送ってから、私の夫は腰を抜かしたかのように、その場に座り込んだ。

「……ふいぃ…」

 情けない声を出しながら脱力する姿に、ああ、いつもの彼だ。と心の中で呟いて苦笑する。

「根性無しだねぇ」
「うっさい。こっちは、いつ自分の首が折られるかと戦々恐々だったんだ」

 友人の怒気を平然と受け止めていた笑顔はどこに消えたのか、彼はへろへろと情けない表情で目線を合わせ、ゆっくりと立ち上がる。

「そんな目で見てたのかい?」
「……腕ぐらいなら平然と折るだろ、お前ら」
「二本あるから片方ぐらい良いじゃないか」
「阿呆か」

 ふらふらと歩きながら言って、彼はベットに倒れこむ。
 丁度良い。
 思い、私は倒れこむ夫を背中から抱きしめる。
 低い唸り声を上げる彼の肩に顔を寄せ、問う。

「あんたも私のために何かしないとって思うのかい?」
「……そりゃまぁ、お前さんの夫だしな」

 おや、解ってるだろうに、そういう逃げ方するのかい。
 だが駄目だ。逃がす気なんてない。泣かすと、先程決めたばかりなのだから。

「義務感だけ?」

 意地の悪い質問だ。相手がこちらの求める言葉を理解しているから、なおさら。

「……俺が腹割って話せるのはお前だけだ」
「どういう意味?」

 寄せている頬が熱い。真横で苦虫を噛み潰したような表情をしているであろう彼を想像しながら、小さく笑う。
 あぁ、きっと私は今とても他には見せれない顔をしているだろう。

「……言わなきゃ駄目か?」
「言わないと解らないしねぇ」

 ほれほれ、観念しなさいな。

「愛してる。もう他の女なんて考えられない。死ぬまで離さん」
「こんな事、言われたのは初めてだねぇ」
「……毎度毎度、張り倒されて上に乗られるし、気がつけばそんな事を言うような仲じゃなくなってるし。言うタイミングが無い」
「下でも良いだろうに」
「良くない」
「意地っ張りだねぇ」
「うるせ」

 ふわふわと気持ちが浮いているのを感じながら、愛しい夫を抱きしめる。
 そのまま二人でベットに転がり、彼を上にして私は寝転がる。
 そう言えばこんな体勢も初めてだったか。そんな事を思いながら私は手を伸ばす。
 ね、ほら、早く―――。



 次の日、私が目を覚ましたのは、太陽が真上にまで昇った後だった。

10/04/06 02:25更新 / ○もち。

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