白猫の日常
ボクが毛づくろいにいそしんでいると、若い男の奇声が聞こえてきた。
なんとなく気になったボクは毛づくろいをやめてそっちの様子を見る。
道着姿の男が二人、木刀を構えて睨み合っていた。片方はウチの爺様だから、さっき変な高い声を出していたのはもう一人の方だろう。若い男の方は木刀を上に、確か上段とかいう名前の構えをして、ウチの爺様を必死に威嚇している。だけど爺様は涼しい顔をしていた。
なんだ、いつもの通りか。ボクは急速に興味を失う。
だってこの後の展開は決まっている。若い男が動き始めた瞬間に、爺様が一撃決めておしまいだ。
ほら、今だってものの見事に木刀を弾き飛ばされた。
若い男たち、爺様は弟子とか言ってたか、そいつらはあと6人くらい居るけど、爺様が強すぎてそいつらも同じようなことになる。爺様より強いって言ったら……居ないわけじゃないけど、ここに頻繁に来る人間だったらボクは一人くらいしか知らない。別にボクには関係ないことだけど。誰が強かろうが関係ない。だけどボクは退屈なこの時間があんまり好きじゃない。
爺様の弟子たちよ、せいぜい頑張ってくれたまえ。その間ボクは退屈に苦しんでおくから。毛づくろいしたり、うとうとしたりしていればいつか終わるはずだから。
どこか遊びに出てもいいぞと爺様は言ってくれるんだけど、あいにくとボクはあんまり外が好きじゃない。ボクは変わり者なんだ。
どれくらいかって言うと、同じネコマタにも「あんたみたいなヤツ見たことない」って評判なくらいに変わってるんだ。外に出たがらなかったり、自分のことをボクって言ったり、アレが枯れ果てた爺様のとこに好き好んでいる辺りが変わってると。そんなのボクの勝手だから、好きにさせてほしい。
そんなわけでボクは道場の隅っこでじっとしている。ここに居るのは便利なんだ。ちょっとどたばたしてうるさいけど、それ以外はゆっくりできるし、稽古が終わったら弟子たちがボクを撫でに来るから爺様が暇になったことがわかるし。お陰で寝てても起きるし。
ほら、今もうとうとしてたら稽古が終わって撫でに来た。
うっすらと目を開けると、ボクは二人がかりで撫で回されていた。せいぜい撫で回してボクの毛皮の感触を楽しむといいさ。頭と背中までは許すから。
「おい、お前らいつまで油売ってんだ。早く片付けるぞ」
「ちぇー。せっかちだなあ。それじゃシロ、また今度な」
ボクの名前を言って、男二人は笑顔で手を振りながら去っていった。
それからまたしばらくして、やっとボクと爺様だけになる。
「お疲れ様」
「やれやれ、この年になると若いのの相手はつかれるわい」
「そんな事言って。やめる気なんてさらさらないくせに」
ボクが返すと、爺様は大きく笑った。ちなみにボクがネコマタなのはとうの昔にバレていて、皆知っている。
もちろんさっきまでの2人もボクがネコマタだと知っていて撫で回している。あいつらが面白いのは、ボクが人の姿になると、今度は恥ずかしがって寄っても来ないことだ。
「とりあえず、お茶でも飲むかい、爺様」
「お願いしようかの、シロ」
分かったよ。そう言ってボクは人に化けて、道場の裏にある自宅の台所へ向かう。そして爺様お気に入りのお茶を淹れて、爺様が居間まで帰ってきた頃合いを見計らって持っていく。
これもいつものことだ。
道場での稽古が終わった後にボクがお茶をいれて、爺様と一緒に居間でくつろぐ。ボクのくつろぎ方はだいたい道場の時と変わらない。ただ、居る場所は爺様の膝の上だ。
ボクの一番好きな時間だ。
爺様の傍はすごく居心地がいい。気分によっては猫の姿で丸まったり、人の姿で膝枕してもらったりしている。そのまま頬ずりしたり、色々甘えて一日の残り時間を過ごす。この辺りも、仲間のネコマタに言うと驚かれる。「何でその後押し倒したりしないの?」って。ボクはそんな気分にならないんだ。そういう気持いいことが嫌いなわけじゃないけど、そういうことをするよりもこうやっているのがいいんだ。だから、たまに爺様が「ワシみたいな老いぼれのところより、若いののところへ行ったほうがいいんじゃないか」なんて言うと、たとえそれが冗談でもでイラっとくる。別の人のところに行くくらいなら、爺様に若返りの薬飲ませて押し倒すよ。
一回、爺様の弟子の一人とくっつけと言われた時は本気で怒って、爺様の顔をひっかき傷だらけにした。それ依頼、ボクの「嫁入り」の話は一切なくなったからいいんだけど。うん、ひっかいたことはすっごく申し訳ないけど、これでよかったんだ、絶対。
これで爺様と存分に甘い時間を楽しめるんだから。
「のう、シロや」
人の姿で甘えていると、爺様がボクの髪を優しく撫でてくれた。
「お前が居てくれて、ワシはすごく幸せじゃ」
「何さ、変なこと言っちゃって」
「いやなに、戯言じゃよ。こうまで幸せじゃと、いつ死んでもええと思えてしまうわい」
「……やだよ?」
ボクは思わず、爺様の着物の裾をつかんだ。
「相変わらずシロは甘えん坊じゃのう。子猫のときから変わらんわい」
爺様はけらけらと大きく笑った。からかったつもりなのだろうが、自分自身の年を考えて欲しい。洒落にならない。
「死なせてなんてやるもんか。爺様にはずっとボクの面倒見てもらうんだから」
「老いぼれに鞭を打たんといてほしいのう……」
「ボクみたいな可愛い女の子と一緒に居られるんだよ、それくらい頑張ってよ」
対抗意識を燃やしてからかい返してみようとするが、正直、爺様は伊達に年を食ってないので笑い飛ばされて終わってしまう。悲しい限りだ。思わずふくれてしまうが、撫でられているうちにどうでもよくなる。ボクは爺様の前ではすごく単純だ。
「大丈夫じゃよ。あと十年は頼まれてもくたばってやらんわい」
「やだ、せめて二十年」
「……仕方ないの。頑張るわい」
冗談のやりとりとはわかっていても、そんな爺様の言葉がとても嬉しい。ボクはうれしさの余り、全力で頬ずりしてしまう。
「大好き、爺様」
こうやって甘えているうちに眠くなって、気づくと布団をかけられて寝ているのがボクの日常だ。
狭い世界だと、他の猫――ただの猫も、ネコマタも言うだろう。
だけど、ボクはこの狭い世界が大好きだ。
なんとなく気になったボクは毛づくろいをやめてそっちの様子を見る。
道着姿の男が二人、木刀を構えて睨み合っていた。片方はウチの爺様だから、さっき変な高い声を出していたのはもう一人の方だろう。若い男の方は木刀を上に、確か上段とかいう名前の構えをして、ウチの爺様を必死に威嚇している。だけど爺様は涼しい顔をしていた。
なんだ、いつもの通りか。ボクは急速に興味を失う。
だってこの後の展開は決まっている。若い男が動き始めた瞬間に、爺様が一撃決めておしまいだ。
ほら、今だってものの見事に木刀を弾き飛ばされた。
若い男たち、爺様は弟子とか言ってたか、そいつらはあと6人くらい居るけど、爺様が強すぎてそいつらも同じようなことになる。爺様より強いって言ったら……居ないわけじゃないけど、ここに頻繁に来る人間だったらボクは一人くらいしか知らない。別にボクには関係ないことだけど。誰が強かろうが関係ない。だけどボクは退屈なこの時間があんまり好きじゃない。
爺様の弟子たちよ、せいぜい頑張ってくれたまえ。その間ボクは退屈に苦しんでおくから。毛づくろいしたり、うとうとしたりしていればいつか終わるはずだから。
どこか遊びに出てもいいぞと爺様は言ってくれるんだけど、あいにくとボクはあんまり外が好きじゃない。ボクは変わり者なんだ。
どれくらいかって言うと、同じネコマタにも「あんたみたいなヤツ見たことない」って評判なくらいに変わってるんだ。外に出たがらなかったり、自分のことをボクって言ったり、アレが枯れ果てた爺様のとこに好き好んでいる辺りが変わってると。そんなのボクの勝手だから、好きにさせてほしい。
そんなわけでボクは道場の隅っこでじっとしている。ここに居るのは便利なんだ。ちょっとどたばたしてうるさいけど、それ以外はゆっくりできるし、稽古が終わったら弟子たちがボクを撫でに来るから爺様が暇になったことがわかるし。お陰で寝てても起きるし。
ほら、今もうとうとしてたら稽古が終わって撫でに来た。
うっすらと目を開けると、ボクは二人がかりで撫で回されていた。せいぜい撫で回してボクの毛皮の感触を楽しむといいさ。頭と背中までは許すから。
「おい、お前らいつまで油売ってんだ。早く片付けるぞ」
「ちぇー。せっかちだなあ。それじゃシロ、また今度な」
ボクの名前を言って、男二人は笑顔で手を振りながら去っていった。
それからまたしばらくして、やっとボクと爺様だけになる。
「お疲れ様」
「やれやれ、この年になると若いのの相手はつかれるわい」
「そんな事言って。やめる気なんてさらさらないくせに」
ボクが返すと、爺様は大きく笑った。ちなみにボクがネコマタなのはとうの昔にバレていて、皆知っている。
もちろんさっきまでの2人もボクがネコマタだと知っていて撫で回している。あいつらが面白いのは、ボクが人の姿になると、今度は恥ずかしがって寄っても来ないことだ。
「とりあえず、お茶でも飲むかい、爺様」
「お願いしようかの、シロ」
分かったよ。そう言ってボクは人に化けて、道場の裏にある自宅の台所へ向かう。そして爺様お気に入りのお茶を淹れて、爺様が居間まで帰ってきた頃合いを見計らって持っていく。
これもいつものことだ。
道場での稽古が終わった後にボクがお茶をいれて、爺様と一緒に居間でくつろぐ。ボクのくつろぎ方はだいたい道場の時と変わらない。ただ、居る場所は爺様の膝の上だ。
ボクの一番好きな時間だ。
爺様の傍はすごく居心地がいい。気分によっては猫の姿で丸まったり、人の姿で膝枕してもらったりしている。そのまま頬ずりしたり、色々甘えて一日の残り時間を過ごす。この辺りも、仲間のネコマタに言うと驚かれる。「何でその後押し倒したりしないの?」って。ボクはそんな気分にならないんだ。そういう気持いいことが嫌いなわけじゃないけど、そういうことをするよりもこうやっているのがいいんだ。だから、たまに爺様が「ワシみたいな老いぼれのところより、若いののところへ行ったほうがいいんじゃないか」なんて言うと、たとえそれが冗談でもでイラっとくる。別の人のところに行くくらいなら、爺様に若返りの薬飲ませて押し倒すよ。
一回、爺様の弟子の一人とくっつけと言われた時は本気で怒って、爺様の顔をひっかき傷だらけにした。それ依頼、ボクの「嫁入り」の話は一切なくなったからいいんだけど。うん、ひっかいたことはすっごく申し訳ないけど、これでよかったんだ、絶対。
これで爺様と存分に甘い時間を楽しめるんだから。
「のう、シロや」
人の姿で甘えていると、爺様がボクの髪を優しく撫でてくれた。
「お前が居てくれて、ワシはすごく幸せじゃ」
「何さ、変なこと言っちゃって」
「いやなに、戯言じゃよ。こうまで幸せじゃと、いつ死んでもええと思えてしまうわい」
「……やだよ?」
ボクは思わず、爺様の着物の裾をつかんだ。
「相変わらずシロは甘えん坊じゃのう。子猫のときから変わらんわい」
爺様はけらけらと大きく笑った。からかったつもりなのだろうが、自分自身の年を考えて欲しい。洒落にならない。
「死なせてなんてやるもんか。爺様にはずっとボクの面倒見てもらうんだから」
「老いぼれに鞭を打たんといてほしいのう……」
「ボクみたいな可愛い女の子と一緒に居られるんだよ、それくらい頑張ってよ」
対抗意識を燃やしてからかい返してみようとするが、正直、爺様は伊達に年を食ってないので笑い飛ばされて終わってしまう。悲しい限りだ。思わずふくれてしまうが、撫でられているうちにどうでもよくなる。ボクは爺様の前ではすごく単純だ。
「大丈夫じゃよ。あと十年は頼まれてもくたばってやらんわい」
「やだ、せめて二十年」
「……仕方ないの。頑張るわい」
冗談のやりとりとはわかっていても、そんな爺様の言葉がとても嬉しい。ボクはうれしさの余り、全力で頬ずりしてしまう。
「大好き、爺様」
こうやって甘えているうちに眠くなって、気づくと布団をかけられて寝ているのがボクの日常だ。
狭い世界だと、他の猫――ただの猫も、ネコマタも言うだろう。
だけど、ボクはこの狭い世界が大好きだ。
11/09/24 16:15更新 / みら