読切小説
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新月の夜、暗闇を背に思うこと
 ドッペルゲンガーという魔物がいる。
 そのことを僕が知ったのは、今日の昼のことだった。
「今夜は新月だから、一つ面白い話をしてやるよ」
 ゴシップ好きのうちの店長が、客が少ない間の暇つぶしにと話し始めたのがきっかけだった。
「ドッペルゲンガーって聞いたことあるか。あいつら、女に振られた男のとこに現れて、理想の恋人になっちまうらしいぞ。それでよ、隣町のヘクサーの彼女、どうもドッペルゲンガーらしいんだ。何でそんなことが分かるかって? 俺、見たことあるんだよ。あいつの彼女にそっくりな女に、ヘクサーがあしらわれてんのをよ」
 そうして、そのヘクサーさんと彼女のエピソードやドッペルゲンガーの生態を話し始めた。
 そもそもヘクサーさんが誰か僕には分かりもしなかったのだが、こういった話が大好きな店長は僕が途中から適当に相槌を打っているだけになったのにも気付かずに、いきいきとして話し続けたのだった。
 いや、確かに僕は適当だったが、同僚のアランがかなり真剣に聞いていたから、店長はアランの反応に気をよくしていたのかもしれない。
 しかし、恋人が魔物のカップルの話など、魔物が居ることが当たり前のこの国ではありふれた話だった。
 ドッペルゲンガーの生態はともかく、ヘクサーさんと彼女の話は割とありきたりなものだったので、物思いにふける用事があったこともあり、僕はどうしても適当にならざるを得なかったのだ。
 参考までに恋人が魔物のカップルがどれくらい当たり前かというと、幼げな見た目をした魔女と、中年のおじさんといったカップルが仲よさげに歩いていても「仲がいいわね」以外誰も何も言わないようなところだというあたりで察して欲しい。
 ちなみに例に出したカップルはうちの店の常連の夫婦でとてもいい人達だということは、ちょっと怪しい例として出してしまった僕の罪悪感を減らすために明言しておく。「愛してるよ、ドロシー」「私もよ、ジョン」という惚気を、結婚から約二十年経った今でも恥ずかしげなく行える程度に仲がよいということも、ついでだから付け足しておく。
 ともあれ、店長の話だ。
 どうせ店長は、こんな珍しい魔物もいるんだぞという程度の話だったのだろう。
 人の知らないことを知っているという優越感に浸りたかったのだろう。とくにあの人はそういうのが好きだから、恐らく間違いない。
 ちなみに店長の思惑は成功したようで、アランなど「いいなあ、俺のとこにも来ないかな、そんな子」と、初めて聞いた驚きをひとしきり示した後に妄想の世界に入ってしまって大変だったくらいだ。
 何が大変だったのかというと、その妄想を僕に惜しげもなく、休憩が入るたびに語ってきたことだ。
 アランも話すなら店長に話せばいいものを。ゴシップ好きな上に仲人大好き人間なのだから、もしかしたらがあったかもしれないのに。高嶺の花に惚れてしかるのち振られればもしかしたら出会えたかもしれないのに。
 いや、さすがに店長も無理な相手は紹介しないだろうから、この展開は無理かもしれない。それどころか紹介してもらった子とアランがくっついてしまう可能性の方が大きい。
 それにしてもアランの妄想は迷惑きわまりなかった。物思いにふけるのに忙しかった僕には話を聞く余裕などまったくなかったのだ。
 いつもならばありえるはずのないミスもやらかしてしまった程度に余裕がなかったのだ。
 物思いの原因はもちろんドッペルゲンガーだ。
 ドッペルゲンガーのことと、僕の恋人アンジェリカのことを絡めて考えると、色々と思い当たるふしがあった。
 まずは、彼女と出会った時期だ。
 だいたい去年の今頃の話なのだが、僕はある女性に恋をしていた。
 相手は旅芸人の一座の女性で、その一座のスターだった。
 偶然この町でショーをやっているところを通りがけに見て、という典型的な一目惚れだった。
 話す機会もまるでなく、それどころか名前さえ知ることもできず彼女は去っていった。
 一方的な恋だった。
 アンジェリカと出会ったのはその直後だった。
 どうして話すことさえできなかったのか、どうして何もできなかったのかと、一方的な恋から失恋までの流れに僕が自己嫌悪に陥っている最中だった。
 アンジェリカは、僕が片思いをしていたその女性にそっくりだった。
 今度は機会を逃さないと考えてから今までの流れは、今回の話に関係ないうえに僕が頬をゆるめるだけなので省略する。
 とりあえず、そろそろ将来を考えたらどうだと、ゴシップ好き仲人好きそして世話好きな店長に小言を言われる程度には仲良くやっている。
 次に、アンジェリカはとても素晴らしい女性だということだ。
 店長がしょっちゅう「あんないい娘、お前の彼女じゃなかったら俺の息子の嫁にしたいくらいだ」と、だいたい一字一句違わず僕に言ってくる程、素敵な女性なのだ。
 いつもは柔らかく愛らしい笑顔で笑いかけてくれて、僕が落ち込んでいるときには一人で考えさせてくれた後に、まるで計ったようなタイミングで優しく抱擁してくれて、そして夜は、詳細は僕とアンジェリカだけの秘密だが、相性が最高だとしか思えなくてと、あげたらきりがないくらい、魅力あふれる女性なのだ。
 アンジェリカのような女性に惚れない男がいるわけがない。
 多分、世の中の男性の大半が同意してくれると思っている。
 こう思えるくらいに理想的な女性だ。
 ただ、不可解な行動が一つだけ、アンジェリカにはあった。
 彼女は、新月の夜だけどこかに行ってしまうのだ。「新月の夜だけは、友達とお酒ありでガールズトークに花を咲かせたいの」ということらしかった。
 実を言うと最初の方はあんまり信じられずに何度か浮気を疑ったこともあった。
 しかし、僕が浮気を疑っているとそのたびにアンジェリカは察して、それだけはありえないとか、寂しい思いをさせてごめんなさいとかとでも言いたげに色々と、例えば僕の大好物を作ってくれたり、いつも以上に甘えてきたりとしてくれたので、今では全く疑っていない。
 秘密にしたいことも当然あるよなと、今日まではそう割り切っていたくらいだ。
 もう一つの心当たりがなければ、これからもそう思っていただろう。
 今夜も多分、ああ、新月だからまた友達と話しているんだろうなと思って早く寝ていただろう。
 今のように椅子に座って月がなく星ばかりの夜空を窓越しに見上げることもなければ、ランプをつけて、昼から続く長い長い物思いにふけることもなかっただろう。
 背後から、部屋の隅やドアの影から人の気配を感じることがなかったならば、何も思いはしなかっただろう。
 最大の気がかりは、この気配だった。
 新月の日はきまって、背後に淋しげに僕を見つける気配を感じるのだ。
 日が落ちた後はずっと、ただ淋しげに僕を見つめ続けるのだ。
 これを僕は、アンジェリカが居なくて寂しいがゆえの錯覚だと思っていた。
 だが、今日の話を聞いて、錯覚ではないと確信した。
 新月の夜、一時的に魔力を失ったドッペルゲンガーは姿を隠すが、愛する人から離れたくなくて恋人の傍に隠れている。愛を失うのを恐れているからだ。この言葉が、僕に色々と考えさせた。
 そして導かれた結果は、抱えたまま居られるものではなかった。
「そこに居るんだろう、アンジェリカ」
 背を向けたまま僕が呼びかけると、気配に変化があった。なんとなく慌てているような気がする。
「大丈夫だよ。分かってるから」
 おいでと言ってみたが、やはり話通り臆病らしく、出てくるのをためらっているようだった。
 ためらっているなら、今はそれでもいい。
 言いたいことを言うだけだ。
「僕は知ってしまったんだよ。君が人間ではないことを。君が僕のために嘘をついていてくれたことを」
 僕は知ってしまったんだ。僕が知っていたアンジェリカは僕の理想を映し出す鏡だったことを。
 僕は気づいてしまったんだ。僕が見ていたアンジェリカは僕の理想を演じるために嘘をついていたことを。
 僕は分かってしまったんだ。本当のアンジェリカは僕を喜ばせるために自身をを殺していたことを。
 その事実が、そして、アンジェリカにそういうことをさせていた自分自身が、たまらなく腹立たしかった。
 そのことに今まで全く気づかなかったことが悔しかった。
 そして何より、その嘘がたまらなく愛しく思えた。
 優しい嘘をついてまで僕を愛してくれたアンジェリカが、これ以上ないほど愛おしかった。
「そして知っているかい。僕が好きなのはアンジェリカなんだよ」
 たとえそれがドッペルゲンガーの生き方だからであっても、僕はその嘘に救われたし、幸せになれたという事実は変わりはしない。
 愛しあったという事実も消えはしない。
 だけど僕は、一方的な幸せなど欲しくない。
 愛しい人に自分自身を殺させてまでして幸せになりたくない。
「僕の知っていたアンジェリカが偽りだとか、今の君はアンジェリカじゃないとか、そんなことは言わせないし、言ったところで聞かないよ。僕が結構頑固なのは、アンジェリカが一番知ってるよね?」
 呼びかけてみるが、やはり返事はない。僕は息を吸った。
「僕は、アンジェリカを愛しています。たとえ姿形が変わっても、本当のアンジェリカが僕の知っているアンジェリカから程遠くても、僕は僕を愛してくれるアンジェリカが大好きです。だから、今度は僕の方から愛させてください」
 物陰から「うぅ」と、困り果てたようなうめき声が漏れた。
 それは昨日までの僕の知っていたアンジェリカの明朗そうな声とは程遠い、落ち着いた少女の声だった。
 だが、昨日までのアンジェリカが困り果てた時に出す声に、よく似ていた。
「僕を、信じてくれ」
 一緒に幸せになってくれ。僕は心で叫んだ。
 僕は思い切って振り返る。
 そこには闇に溶けそうなほど黒い格好をした少女が居た。
 それがアンジェリカなのだと理解するのに、時間も言葉も必要なかった。
「おいで、アンジェリカ」
 僕が腕を広げると、アンジェリカは目に涙を溜め、僕に抱きついた。「ごめんね、嘘つかせて」と謝ると、アンジェリカは僕の胸の中で泣き出した。
 それがとても愛おしくて、僕は力いっぱいアンジェリカを抱きしめた。
「もう、離さないからね」
 アンジェリカは僕の胸に顔を埋めたまま頷いて返した。
 なんとも言えない安堵感が、僕の胸いっぱいに広がった。
 その後、アンジェリカはずっと泣き続け、僕はずっと抱きしめ続け、いつの間にか二人とも意識を失い、眠りこけてしまった。
 そうして迎えた朝、目を覚ました僕の腕の中には、僕のアンジェリカが黒尽くめの少女のまま、寝息を立てていた。
 店長やアランになんて説明しようか。そんなことを考えながら、僕はアンジェリカの頭を撫でてみる。自然と頬が緩んだ。
 今の間はやぼな事なんて考えないで、ただ、この天使みたいな寝顔に見とれるだけでいいか。
11/05/20 23:09更新 / みら

■作者メッセージ
遅筆とか書いておきながら、たった2日で2本目。
……こう、怪電波を受信してしまったんです。

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