街と少女
堅牢な城壁に囲まれた宗教都市の内部は、煉瓦造りの建造物がずらりと居並んでいた。高さと幅と材質に均一性を持たせ、区画整理された道に乱れなく屋根が並ぶ様は主神教会の絶大な統制力を感じさせる。
通常、大都市への中継地点となる交易都市は雑多であることが普通だ。安定供給ができる建材に偏ることはあっても、建て方に大きさは多種多様。あえて揃える意味などないのだから当然にそうなるし、増設と改築を繰り返すうちにどこか歪になることは避けられない。圧倒的な需要から生まれる交易所なのだからそれが自然だろう。
だがここは宗教都市。主神をあがめる教徒たちの治める都市として相応しい景観を用意して然るべきだ、と管理者が徹底したのであろう。目に入る景色だけでも見事に統一されていた。磨き抜かれた石材に染みひとつない木材。それらは権威を見せつけるに十分な効果が見込めた。
ただ、普通の交易都市と同じ点もある。門を入ってすぐ先、たっぷりと幅を用意した道には人々の活気が溢れていた。道の端に広げた出店に交易品をずらりと並べ、集った商人たちがやいのやいのと商談を交わしているのだ。商業ルートの要所ともなればこうした光景はありふれている。
そんな中。
検問を越えた1人と1匹は、目的地の教会まで後少しというところで立ち往生していた。
案の定、人の社会に馴染みのない狼少女は街のあらゆるものへ子供のように吸い寄せられ、ヴォルフの腕を引っ張り回したのである。男より細い腕とは到底思えない、魔物の馬鹿げた牽引力に逆らえない人間は従う他なかった。
「なんだアレ!? すげーピカピカしてるぞ!?」
「ガラス細工だ。ぜったいに触るなよ」
「うまそーな匂いがする! 食えるのか!?」
「ガラスは食えない。あっちのは飴だ」
「やいてめえ! それよこせ!」
「待てやめろ子供に怒鳴るな! おい! そこの飴を売ってくれ!」
ちょっとしたパニックになりながらも衛兵を呼ぶ騒ぎになっていないのは、ヴォルフの献身とあからさまに田舎者な少女の態度が幸いしていた。
辺りの商人は珍しいものを見るように2人を眺めていて、商人についた護衛たち──おそらくヴォルフと同じ傭兵だろう──は苦笑している。兄妹に見えているならばまだいいが、外套を少女に貸し与えているせいでヴォルフは仕事着の鎧姿を晒してしまっていた。粗雑な布を一枚羽織っただけの狼少女はお世辞にも町娘とは呼べないので、制御のできない女奴隷を連れ回している情けない傭兵という不名誉な肩書が目に浮かぶようである。手入れをしていない荒れ放題の格好であっても顔立ちだけは整った美少女っぷりは少しも薄れていないのがいっそ不運だ。遠巻きの視線がとにかく痛いヴォルフだった。
まだ日も高いこの時間は人通りも凄まじく、歩く度に誰かとぶつかる少女はかなり危なっかしい。避けられる筈なのに避けないのは、避けようと思ってもいないからだ。
「ぃてっ! おいそこのガキ! どこに目ぇつけてんだ!」
「すまない。お上りなんだ、勘弁してくれ」
「えッ、あ、おぉ……」
偶に食って掛かる輩もいるが、ヴォルフが間に入ればそそくさと去っていく。強面が功を奏したと言ったところか。子供のお守りをあてがわれたようで全く面白くない、間違ってはいないのがさらに腹立たしい。
「さっきから何やってんだ?」
気苦労も知らず、少女はあっけらかんとしている。ヴォルフはもはや、叱る気力も削がれていた
(ああくそ。甘く見てた)
もしかしたら。人化の魔法を使うくらいだし、人混みに紛れるくらいの分別はあるだろう、と期待していたのだ。門兵の前で躊躇なく肌をさらした時点で嫌な予感はしていたが、『普通』の振る舞いを何ひとつわかってない。羊の群れの中に狼を放し飼いにしているのと同じだ。しかし身内と偽って入場した手前、目を離すわけにはいかなかった。
なのでヴォルフは腹を決める。
「わかった、もういい。お前はなるべく喋るな」
「あぁん?」
「いいから。まず前を見て歩け、人にぶつかるな」
ひとまず少女を満足させればいいのだ。獣を手懐けるにはまず餌を与えることから。始めに相手の不満を埋め、徐々に警戒心を解かせ、次に少しずつこちらの思惑に誘導する。アメとムチの使い分けである。無論、手懐けられるなどと微塵も思ってはいないし、ムチが効くとも思っていないが、心構えとして的外れではない筈だ。
はぐれないよう、掴まれた腕を振り払い、ヴォルフは少女の手をしっかりと握った。すると少女は興味深げにヴォルフを見上げる。目元がニヤついている。
「なんだ。よーやくその気になったかよ」
「なにがだ」
「とぼけるなよ、スケベ♥」
ニマニマ笑う顔が似合っているのは性根まで捻くれているせいだろう。言い返したい思いをぐっと堪え、ヴォルフは少女に目を合わせる。
「今はお前の好きにしろ。ダメなときは止めるが、好きにさせてやる」
「お? やけに素直じゃねえの」
「日が落ち始めるまでだ。この手も決して離すな。従わなかったら宿屋には泊まらない。即刻ここを出る。そうなったらベッドは止めだ。野宿するぞ」
握った手に力を込める。ヴォルフよりひと回りも小さな手は簡単に砕けそうに思えた。
「へっ」
息を吐く少女。次の瞬間、握り返された力は骨を砕きそうなほど、張り合うのも馬鹿馬鹿しくなるほど強大だった。試すような顔でこちらを覗き込んでくる少女と目が合う。
「……っ」
内心の焦りを悟られないよう、ヴォルフは必死に無表情を貫く。その努力が伝わったのか呆れたのか、少女は不意に力を緩めて頷いた。
「わーったよ」
「よし」
そうしてヴォルフは少女の赴くまま、その溢れんばかりの食欲と好奇心を順調に消化させていった。
○
エスコートを初めてから数刻が過ぎた頃。必死の甲斐あってか、少女の動くペースは目に見えて落ちていた。飽きっぽい性格が表に出てきたのだ。
(よし。読み通りだ)
少女が欠伸したのを見逃さず、ヴォルフは内心で安堵する。日が落ち始めるまでと制限は設けたがそれはあくまでも目安であって、早めに切り上げられるならそれに越したことはない。あとは適当に宿屋にでも放り込んでおけば完了だ。
(さて、と)
宿屋の看板を探して通りに目を凝らす。
すると何やら、通りの一角に人だかりが出来ていた。周囲の喧噪と異なる空気を感じ取り、群がる人の中心に視線を向ける。
(あれは……芸人か?)
壇上に乗っているのは旅芸人たちだった。打楽器の刻むリズムに合わせ、長布を腰に巻いた踊り子たちが踊っている。流れるようなステップにつられた腕布と腰布は、肢体にまとわりつきながら軽やかに宙を舞い、透けるほど薄い生地の向こうには艶めかしい肉体が躍動感たっぷりに揺れていた。
踊り子は全員が女性で、身につけた衣装は動きやすさと人目を惹くことを重視した軽装備だ。男共が漏れなく見とれるのも無理はない。日の高い時間のおかげか、扇情的な格好で踊る彼女たちには男に媚びた様子はないが、それでも性を煽る要素は十分にある。
(妙だな。こんな街にどうして……?)
工芸品や嗜好品を扱う商人はまだしも、芸を生業とする芸人たちが積極的に来るような街ではない。あくまでここは宗教都市。大衆娯楽とはある程度の距離をとっていた筈だし、こういった芸モノは厳しい検閲を受けて当然である。ここにいるからには許可証をとっているのだろうが、特別な旅芸座ということなのか。
そうして物思いに耽ったのがよくなかった。ヴォルフがふと気を抜いた瞬間、彼の手を振り払った狼少女が猫のようなすばしっこさで人混みに突っ込んでいってしまったのである。
「っしまった!?」
気づいた時にはもう遅い。大衆の隙間をスルスルと巧みに潜り抜けた少女は、あろうことか、軽やかな体捌きで壇上に躍り出てしまった。ふんわりとした跳躍で、羽が舞い落ちたかのように音も無く板を踏み降り立った姿はあまりにも自然すぎ、注視していなければ芸の仕掛けの一環だと勘違いしてしまいそうなほどだった。
しかし突然の参入者に驚いた芸人たちの手が止まり、観客の視線が異物たる少女に向けられる。声が止み踊りが止み音が止み、とまどいの沈黙。その全てが一人の少女に集約される。
それらを一身に受け止めた少女は得意げな顔で宣言した。
「オレもやるッ!」
言うが早いか、少女はヴォルフの貸した外套をビリビリと引き裂いた。そのままでは動きにくいからなのだろうが、貸した服を勝手に捨てられた事といい、あんまりな仕打ちにヴォルフは声も出ない。
(脱ぐなとは言ったが、破いても同じだバカ!)
外套の下は裸同然。懸念した通り、えぐいほどに深いスリットが鼠径部のギリギリまで見えていた。観客たちも突如現れた少女の煽情的な姿に息を呑む。
そうこうするうちに破いた生地で胸や腰を縛り、即席の踊り子衣装に服を変えた少女は、楽器を握った楽団員たちに向き直るとおもむろに脚を振り下ろした。
タタタンッ
踏み鳴らした音が響き渡る。その音を起点にして、少女は次々にステップを繰り出した。驚くべきことにそのリズムは、先ほど旅芸人たちが刻んでいたものと寸分違わぬものだった。思い切りの良いキレと足取りは、恵まれた肉体と天性のセンスが生み出す芸術か。ピンと伸ばした手指の先から足指まで、ひとつとして乱れがない。荒い気性からは想像もつかないほど繊細な動きと、床を踏み抜くのではないかというほどの力強いステップが見事に同居している。
極めつけは、楽しくて仕方がないと言わんばかりの晴れやかな笑顔。作り笑顔を張り付けたわけではない、本心から楽しんでいる無邪気な姿をみて、心を動かされない人間はいなかった。
「おら! 来いよ!」
歯を見せて笑う少女の声に、踊り子たちは互いに顔を見合わせ頷くと、対抗するように踊りを再開し始めた。そうなれば演奏者たちも心得たもので、彼女たちの踊りに音楽を合わせていく。固まっていた観客にもそのノリが伝染したのか、突然の参入者をも称えるように騒ぎ始めた。
手拍子。足踏み。歓声。
ヴォルフはそれらの光景を端から眺める。動くに動けないのは自分がどうすべきか決めきれないからだった。
今や少女は場の中心にあり、連れ出すのは至難の業。盛り上がった観客をかきわけるなら自分も目立たざるを得ないし、身内と偽って街に入った手前、無視して場を離れることもできない。ただただ呆然と、目の前で繰り広げられる光景に圧倒されるほかなかった。
ただ、その態度は呆れではなく。
「……あんな顔もするのか」
少女の笑顔を見る視線には、別な感情が混じっていた。
通常、大都市への中継地点となる交易都市は雑多であることが普通だ。安定供給ができる建材に偏ることはあっても、建て方に大きさは多種多様。あえて揃える意味などないのだから当然にそうなるし、増設と改築を繰り返すうちにどこか歪になることは避けられない。圧倒的な需要から生まれる交易所なのだからそれが自然だろう。
だがここは宗教都市。主神をあがめる教徒たちの治める都市として相応しい景観を用意して然るべきだ、と管理者が徹底したのであろう。目に入る景色だけでも見事に統一されていた。磨き抜かれた石材に染みひとつない木材。それらは権威を見せつけるに十分な効果が見込めた。
ただ、普通の交易都市と同じ点もある。門を入ってすぐ先、たっぷりと幅を用意した道には人々の活気が溢れていた。道の端に広げた出店に交易品をずらりと並べ、集った商人たちがやいのやいのと商談を交わしているのだ。商業ルートの要所ともなればこうした光景はありふれている。
そんな中。
検問を越えた1人と1匹は、目的地の教会まで後少しというところで立ち往生していた。
案の定、人の社会に馴染みのない狼少女は街のあらゆるものへ子供のように吸い寄せられ、ヴォルフの腕を引っ張り回したのである。男より細い腕とは到底思えない、魔物の馬鹿げた牽引力に逆らえない人間は従う他なかった。
「なんだアレ!? すげーピカピカしてるぞ!?」
「ガラス細工だ。ぜったいに触るなよ」
「うまそーな匂いがする! 食えるのか!?」
「ガラスは食えない。あっちのは飴だ」
「やいてめえ! それよこせ!」
「待てやめろ子供に怒鳴るな! おい! そこの飴を売ってくれ!」
ちょっとしたパニックになりながらも衛兵を呼ぶ騒ぎになっていないのは、ヴォルフの献身とあからさまに田舎者な少女の態度が幸いしていた。
辺りの商人は珍しいものを見るように2人を眺めていて、商人についた護衛たち──おそらくヴォルフと同じ傭兵だろう──は苦笑している。兄妹に見えているならばまだいいが、外套を少女に貸し与えているせいでヴォルフは仕事着の鎧姿を晒してしまっていた。粗雑な布を一枚羽織っただけの狼少女はお世辞にも町娘とは呼べないので、制御のできない女奴隷を連れ回している情けない傭兵という不名誉な肩書が目に浮かぶようである。手入れをしていない荒れ放題の格好であっても顔立ちだけは整った美少女っぷりは少しも薄れていないのがいっそ不運だ。遠巻きの視線がとにかく痛いヴォルフだった。
まだ日も高いこの時間は人通りも凄まじく、歩く度に誰かとぶつかる少女はかなり危なっかしい。避けられる筈なのに避けないのは、避けようと思ってもいないからだ。
「ぃてっ! おいそこのガキ! どこに目ぇつけてんだ!」
「すまない。お上りなんだ、勘弁してくれ」
「えッ、あ、おぉ……」
偶に食って掛かる輩もいるが、ヴォルフが間に入ればそそくさと去っていく。強面が功を奏したと言ったところか。子供のお守りをあてがわれたようで全く面白くない、間違ってはいないのがさらに腹立たしい。
「さっきから何やってんだ?」
気苦労も知らず、少女はあっけらかんとしている。ヴォルフはもはや、叱る気力も削がれていた
(ああくそ。甘く見てた)
もしかしたら。人化の魔法を使うくらいだし、人混みに紛れるくらいの分別はあるだろう、と期待していたのだ。門兵の前で躊躇なく肌をさらした時点で嫌な予感はしていたが、『普通』の振る舞いを何ひとつわかってない。羊の群れの中に狼を放し飼いにしているのと同じだ。しかし身内と偽って入場した手前、目を離すわけにはいかなかった。
なのでヴォルフは腹を決める。
「わかった、もういい。お前はなるべく喋るな」
「あぁん?」
「いいから。まず前を見て歩け、人にぶつかるな」
ひとまず少女を満足させればいいのだ。獣を手懐けるにはまず餌を与えることから。始めに相手の不満を埋め、徐々に警戒心を解かせ、次に少しずつこちらの思惑に誘導する。アメとムチの使い分けである。無論、手懐けられるなどと微塵も思ってはいないし、ムチが効くとも思っていないが、心構えとして的外れではない筈だ。
はぐれないよう、掴まれた腕を振り払い、ヴォルフは少女の手をしっかりと握った。すると少女は興味深げにヴォルフを見上げる。目元がニヤついている。
「なんだ。よーやくその気になったかよ」
「なにがだ」
「とぼけるなよ、スケベ♥」
ニマニマ笑う顔が似合っているのは性根まで捻くれているせいだろう。言い返したい思いをぐっと堪え、ヴォルフは少女に目を合わせる。
「今はお前の好きにしろ。ダメなときは止めるが、好きにさせてやる」
「お? やけに素直じゃねえの」
「日が落ち始めるまでだ。この手も決して離すな。従わなかったら宿屋には泊まらない。即刻ここを出る。そうなったらベッドは止めだ。野宿するぞ」
握った手に力を込める。ヴォルフよりひと回りも小さな手は簡単に砕けそうに思えた。
「へっ」
息を吐く少女。次の瞬間、握り返された力は骨を砕きそうなほど、張り合うのも馬鹿馬鹿しくなるほど強大だった。試すような顔でこちらを覗き込んでくる少女と目が合う。
「……っ」
内心の焦りを悟られないよう、ヴォルフは必死に無表情を貫く。その努力が伝わったのか呆れたのか、少女は不意に力を緩めて頷いた。
「わーったよ」
「よし」
そうしてヴォルフは少女の赴くまま、その溢れんばかりの食欲と好奇心を順調に消化させていった。
○
エスコートを初めてから数刻が過ぎた頃。必死の甲斐あってか、少女の動くペースは目に見えて落ちていた。飽きっぽい性格が表に出てきたのだ。
(よし。読み通りだ)
少女が欠伸したのを見逃さず、ヴォルフは内心で安堵する。日が落ち始めるまでと制限は設けたがそれはあくまでも目安であって、早めに切り上げられるならそれに越したことはない。あとは適当に宿屋にでも放り込んでおけば完了だ。
(さて、と)
宿屋の看板を探して通りに目を凝らす。
すると何やら、通りの一角に人だかりが出来ていた。周囲の喧噪と異なる空気を感じ取り、群がる人の中心に視線を向ける。
(あれは……芸人か?)
壇上に乗っているのは旅芸人たちだった。打楽器の刻むリズムに合わせ、長布を腰に巻いた踊り子たちが踊っている。流れるようなステップにつられた腕布と腰布は、肢体にまとわりつきながら軽やかに宙を舞い、透けるほど薄い生地の向こうには艶めかしい肉体が躍動感たっぷりに揺れていた。
踊り子は全員が女性で、身につけた衣装は動きやすさと人目を惹くことを重視した軽装備だ。男共が漏れなく見とれるのも無理はない。日の高い時間のおかげか、扇情的な格好で踊る彼女たちには男に媚びた様子はないが、それでも性を煽る要素は十分にある。
(妙だな。こんな街にどうして……?)
工芸品や嗜好品を扱う商人はまだしも、芸を生業とする芸人たちが積極的に来るような街ではない。あくまでここは宗教都市。大衆娯楽とはある程度の距離をとっていた筈だし、こういった芸モノは厳しい検閲を受けて当然である。ここにいるからには許可証をとっているのだろうが、特別な旅芸座ということなのか。
そうして物思いに耽ったのがよくなかった。ヴォルフがふと気を抜いた瞬間、彼の手を振り払った狼少女が猫のようなすばしっこさで人混みに突っ込んでいってしまったのである。
「っしまった!?」
気づいた時にはもう遅い。大衆の隙間をスルスルと巧みに潜り抜けた少女は、あろうことか、軽やかな体捌きで壇上に躍り出てしまった。ふんわりとした跳躍で、羽が舞い落ちたかのように音も無く板を踏み降り立った姿はあまりにも自然すぎ、注視していなければ芸の仕掛けの一環だと勘違いしてしまいそうなほどだった。
しかし突然の参入者に驚いた芸人たちの手が止まり、観客の視線が異物たる少女に向けられる。声が止み踊りが止み音が止み、とまどいの沈黙。その全てが一人の少女に集約される。
それらを一身に受け止めた少女は得意げな顔で宣言した。
「オレもやるッ!」
言うが早いか、少女はヴォルフの貸した外套をビリビリと引き裂いた。そのままでは動きにくいからなのだろうが、貸した服を勝手に捨てられた事といい、あんまりな仕打ちにヴォルフは声も出ない。
(脱ぐなとは言ったが、破いても同じだバカ!)
外套の下は裸同然。懸念した通り、えぐいほどに深いスリットが鼠径部のギリギリまで見えていた。観客たちも突如現れた少女の煽情的な姿に息を呑む。
そうこうするうちに破いた生地で胸や腰を縛り、即席の踊り子衣装に服を変えた少女は、楽器を握った楽団員たちに向き直るとおもむろに脚を振り下ろした。
タタタンッ
踏み鳴らした音が響き渡る。その音を起点にして、少女は次々にステップを繰り出した。驚くべきことにそのリズムは、先ほど旅芸人たちが刻んでいたものと寸分違わぬものだった。思い切りの良いキレと足取りは、恵まれた肉体と天性のセンスが生み出す芸術か。ピンと伸ばした手指の先から足指まで、ひとつとして乱れがない。荒い気性からは想像もつかないほど繊細な動きと、床を踏み抜くのではないかというほどの力強いステップが見事に同居している。
極めつけは、楽しくて仕方がないと言わんばかりの晴れやかな笑顔。作り笑顔を張り付けたわけではない、本心から楽しんでいる無邪気な姿をみて、心を動かされない人間はいなかった。
「おら! 来いよ!」
歯を見せて笑う少女の声に、踊り子たちは互いに顔を見合わせ頷くと、対抗するように踊りを再開し始めた。そうなれば演奏者たちも心得たもので、彼女たちの踊りに音楽を合わせていく。固まっていた観客にもそのノリが伝染したのか、突然の参入者をも称えるように騒ぎ始めた。
手拍子。足踏み。歓声。
ヴォルフはそれらの光景を端から眺める。動くに動けないのは自分がどうすべきか決めきれないからだった。
今や少女は場の中心にあり、連れ出すのは至難の業。盛り上がった観客をかきわけるなら自分も目立たざるを得ないし、身内と偽って街に入った手前、無視して場を離れることもできない。ただただ呆然と、目の前で繰り広げられる光景に圧倒されるほかなかった。
ただ、その態度は呆れではなく。
「……あんな顔もするのか」
少女の笑顔を見る視線には、別な感情が混じっていた。
24/08/14 19:45更新 / カイワレ大根
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