連載小説
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街へ
 けたたましい馬の嘶きが聞こえたかと思えば、がらがらと喧しい車輪の音が幾重にも響く。多くの馬車が行き交う街道は騒音に満ちていた。山道を切り拓いて造られたその街道は道幅が十分でなく、それなりに大きな荷台を牽いた馬車だと一度に3つ通るのがやっとだ。ゆえに歩行者は隅に追いやられ、舞い上がる土埃に紛れるようにして進むしかなかった。
 そんな中、黒い外套を身に纏った男が黙々と歩いている。使い古した背嚢を気だるげに背負い、一歩進むたびにカチャカチャと鎧の擦れる音がした。腰に差した剣から見るに騎士か傭兵と言ったところだろうか。そんな風体とは似合わず、男の顔はすらりと上品な優男のものだった。筆を持てば画家、楽器を持てば吟遊詩人、白馬に跨ればどこぞの貴族と見られるであろう整った顔立ちは、まかりちがっても荒事を生業とする風には見えない。しかし、そんな柔い印象をがらりと変えるのは男の目だ。きつくつり上がった目尻に瞳よりも白目の占める割合の広い眼球、射るような鋭さを放つ眼光は油断無く周囲に向けられている。その物騒な三白眼こそが、彼が真っ当な旅人でないことを示していると言えた。
 男の名はヴォルフ。各地を渡り歩く傭兵である。彼は今、ある依頼書を手に街道先の都市へ向かっているところだった。
 その都市は山岳を開墾して築かれたもので、北部の大都市と南部一帯の小さな山村らとの中継拠点である。歴史は古く、主神教の司教たちが代々治めている宗教都市でもあった。
 ヴォルフが受けた依頼もその主神教徒から下されたものだ。彼は無宗教だが、金になる仕事はいちもにもなく引き受ける性分であった。頼るあてのない根無し草の彼は、金の力を嫌というほど知っている。
(清貧を尊ぶ筈の教会が、まあ随分とため込んだもんだ)
 依頼書に記された額面を思い出し、ヴォルフは皮肉げに口元を吊り上げるがすぐに引き締め、黙々と歩を進めた。半刻もすれば都市が見えてくる頃合いだ。

 ガサっ

 その時、脇の茂みが揺れた。音にすれば微かなものだったが、彼の耳は確かに音を拾っている。途端、無表情だったヴォルフの顔が不快げに歪んだ。音の正体を知っているのである。
 急に足を止めたヴォルフの後ろでは、同じく徒歩の行商人が怪訝な顔で彼を窺っている。その視線を感じ取ったヴォルフは立ち止まり続けるわけにもいかないと、ゆっくり脇道へ踏み込んでいった。
 催しでもしたのだろう、と行商人は特に気に留めるでもなくヴォルフを追い抜き歩いていく。行商人の去っていく背中をヴォルフはじっと見つめていた。やがて周囲に人影がなくなる頃を見計らい、彼は茂みの中へ身を隠す。
 街道から少し離れた林の中で、ヴォルフは苛立ち混じりに口を開いた。
「おい。いい加減、俺につきまとうのは止めろ」
 すると、彼の頭上の枝がガサガサと揺れた。舞い落ちる葉に紛れて黒い蓑虫が下りてくる。両手で抱えられるくらいの大きさだ。

「お前、街に行くのか?」

 見れば蓑の中には顔がある。よくよく見ると逆さまの少女の顔だと分かった。黒い蓑虫に見えたのは逆さに垂れ下がった少女の髪の毛らしい。ろくに手も櫛も入れてない、あちこち跳ねた無造作な長髪だ。
 頭上から急にぶら下がり少女が現れてもヴォルフは驚かない。むしろ如何にも面倒そうに溜息を吐いた。
「質問で返すな。俺は『ついてくるな』と言っているんだが」
「知るか。どこ行こうがオレの勝手だろ」
「このガキ……口ばかり悪くなりやがって」
 もう何度目になるか分からないやり取りにヴォルフは肩を落とす。この口の悪い少女はひと月も前からヴォルフの後をついて来ていた。ヴォルフの向かう先々について回り、あれこれちょっかいを掛けてくるのである。
 少女は逆さまにのばした体勢を起こすと、ふっと枝から身を踊らせ四つ足で地面に降り立った。まるで猫のような体捌きだ。
 あどけない顔つきにそぐわぬシャープな目が印象的な美少女だった。野生的な魅力というには余りに獣じみた動作で、ニヤリと笑う口元には犬歯が覗く。
 獣じみているのはそれだけではなかった。伸びるに任せた不揃いの髪の頂上にはフサフサの獣耳が生え、土を踏む四肢はごわごわとした獣毛が覆っている。引き締まった腰元からは豊かな毛をたくわえた尻尾がしゅるりと伸び、手足の先端には硬質な獣爪が生え揃っているも、肩口からヘソを下って膝に至るまでの肢体にはつるりと毛が生えておらず、艶めかしい筋肉質な肌が露わになっていた。しかし胸と局部だけは、爪と同質の硬い外皮が女性的な急所を覆い隠している。
 黒曜石のような暗褐色の肌と闇夜に溶け込む黒髪の中、柘榴と同じ紅い瞳が妖しく輝く様はまさしく異形と呼ぶに相応しい存在感を放っていた。
 少女はヘルハウンドと呼称される魔物娘である。もっとも魔物の知識に疎いヴォルフにとっては『狼の魔物だろう』程度の認識でしかなかったが。
 可憐な顔つきにそぐわぬ野郎口調に呆れているヴォルフのことなど気にも止めず、少女は自分の質問を繰り返す。どこまでも身勝手な態度を崩さないのだった。
「で? お前、この先の街に行くんだろ?」
「……ああ、そうだ。言っておくがお前は入れないぞ」
 ヴォルフの目指す街は高い壁に囲まれた、いわゆる城塞型都市だ。東西南北に設けられた門は厳しい検閲を越えなければくぐれず、そもそも許可証がなければ審査すら受けられない。宗教都市、反魔物領ならではの閉鎖的な処置である。本来であればヴォルフのような素性の知れない傭兵には許可証が下りることもない。
 それだけ逼迫した依頼状況ということなのだが、もちろんそれが少女に伝わる筈もなく。都市警備の厳重さを教えたところで理解出来るかも怪しいところだ。
「いいねえ。ベッドで寝るのは好きだぜ」
 キシシッと愉快そうに笑う始末だ。今日はどうやら大人しくついてくる腹積もりらしいが、どこで手のひらを返すか油断ならない。それでも普段からすればだいぶ落ち着いている方なのだが。ただ今回ばかりはその身勝手を許すわけにはいかなかった。
 ヴォルフとしては少女が警備にとっ捕まろうが警備をはっ倒そうが構う気はないのだが、そのとき問題になるのは己の立ち位置である。無関係を貫けるならまだしも、少女がヴォルフを呼ぼうものなら事情を問われるのは避けられない。そうなれば後ろ手に縄を巻かれる羽目になるだろう。とは言え依頼を諦めるには報酬が魅力的に過ぎ、かと言って少女を連れと偽って連れ込むのは無理があり過ぎた。
 ヴォルフは改めて少女の厄介さに頭を抱える。どうにかしてここで追い返さなくては安心して依頼に臨むことが出来ない。あくまで少女の機嫌を損なわない方向で解決策を講じねば。
「あー、お前はここらにいろ。大人しくしてたら好物を持ってきてやる」
「久しぶりだなぁベッド。あれを味わったら野宿がバカらしいったらありゃしねえ」
「聞け」
「聞かねーよ。食いたいもんは好きに食う、寝たいときは好きに寝る。オレに指図すんな」
「ちっ……」
 説得できるような相手じゃないことは分かりきっていたが、聞く耳すら持たないとは。文字通り話にならない。
 ヴォルフはひとまず方針を切り替え、少女に事情を説明しておくことにした。何も言わないよりはマシだろうという消極的な判断だ。
「ならせめてこれだけは覚えとけ。これから行く街はお前みたいな魔物がご法度なんだ」
「あ? ごはっと?」
「お断りってことだよ。見つかったら殺されるぞ」
「ハッ! 誰が誰を殺すって? 出来るもんならやってみろっての」
 案の定、不敵な態度で胸を張る少女だ。凶悪な質量を誇る胸部にヴォルフの視線が吸い寄せられそうになるが、どうにか堪える。
「お前じゃない。最悪俺が殺されるんだ」
 反魔物領で魔物と通じてる人間だと知れ渡れば、人相書きからの斬首刑待った無しである。
(そんなつまらない終わり方は真っ平ごめんだ)
 ヴォルフの思いは切実なものだった。
「それも無理だぜ」
 すると少女は変わらぬ調子で、けれど僅かに口元を引き結んで断言する。
「お前はオレのもんだからな」
「ま、……まだそんなこと言ってるのか」
 ヴォルフは思わず言葉に詰まった。
 この少女は事あるごとにヴォルフの所有権を主張してくるのである。ひねた性格の少女の、ある意味で真っ直ぐなアピールにヴォルフは手を焼いていた。子供じみた言い分であることは違いないのだが。
「と言うよりお前、やっぱり分かってないじゃないか」
 少女がついてくるからヴォルフが危なくなるというのに、少女がいればヴォルフが大丈夫とはどういうわけか。何とも珍妙なロジックである。
 しかし実際のところ少女の実力は疑いようもない。2人の痛烈な出会いと共に確かな証拠としてヴォルフの身体に刻まれているからだ。こうも好き勝手に振る舞われているというのにヴォルフが少女を邪険にし切れないのは彼女の力で命を救われている為だった。だが今回ばかりは話が別だ。
「一度よく考えろ。これから行くところはどういうところだ?」
「魔物がダメなんだろ? で、ついでに魔物と近しいやつもダメってわけだ」
「そうだ。お前が見つかったらお前と、ついでに俺が狙われる。だからお前は来るな。そういう話をしているんだ」
「オレが見つからなきゃいい話じゃねえか」
「それが出来れば苦労しない。頭はともかく、足の爪は隠せんだろうが」
 呆れ口調で諭すと少女はむっとした顔で睨んできた。瞬間、ヴォルフは嫌な予感を覚えて身構える。
(まずい、つい油断した。こいつの機嫌を損ねるのが一番厄介なんだ。下手を打てば今日中に街まで行けなくなる……)
 こっそり剣の柄を握り締めながら内心冷や汗を掻くヴォルフだったが、そんな彼を尻目に少女は天を仰いだ。目を瞑って何かに集中している。膝を折り、喉を晒した無防備な姿にヴォルフは虚を突かれた。
 少女がぶるりと全身を震わせたその時、ヴォルフの目に信じられない光景が飛び込んでくる。なんと少女の威圧的な爪がしゅんと引っ込み、四肢を覆っていた豊かな毛がはらりと抜け落ちたではないか。またたきする間に少女の全身は漆黒の肌で占められ、獣耳はすっかり消え去り、獣手のあった場所には人間と同じ五指が現れていた。胸と局部を覆うものはそのままだが尻が丸出しである。
 もう一度ぶるりと身体を震わせると、少女は得意げに笑った。
「ばーか。出来ねえっていつ言ったよ」
 魔物の姿の時より随分と妖しさの抜けた瞳は、傍目からは人間にしか見えない。
 開いた口が塞がらないとは、まさしく今のヴォルフを指す言葉だった。
  
  ○

 その日、東門の警備を務める衛士は男女の2人組が近づいてくるのを目にした。鎧をつけた旅装の男と、黒い外套を羽織った少女である。徒歩の入場者の担当である衛士は2人を呼び止めた。
「止まれ! 許可証の確認をさせてもらう!」
 宗教都市の警備は教会直下の聖騎士団が行っており、衛士の彼もまた騎士団の所属であった。騎士団の象徴である聖十字の意匠が施された鎧姿は訪れるものを威圧する。だがこのとき衛士は、抜き身の刃のように鋭い男の目つきに思わずたじろいだ。許可証の多くは商人に渡っているから男のような旅人が来ることは珍しいのだ。
「失礼。もしやヴォルフ・ウォーレンか?」
 衛士は記憶を辿り、騎士団員に通達されていた傭兵の名前を口にした。数日以内に訪れるということと教えられた特徴が一致している。
「ああ、そうだ」
 低い声で肯定した男が胸元から許可証を取り出す。それを確認した衛士は、男の後ろで興味深げに門を見上げている少女に目を移した。
「話は聞いている。だが、連れがいるとは聞いていないぞ」
「妹だ。南部の村に嫁いでたんだがな、久々に寄ったら『街を見たい』と言い出して聞かんのだ。追い返したつもりだったんだがこっそりついて来ていた」
「……」
 妹と聞いて衛士は眉をひそめる。ヴォルフの髪は銀で肌は褐色なのに対し、少女の髪は黒で肌は見たこともない黒色だ。はっきり言って似ていない。
(……だが、何だ。目つきは似ているな)
 そもそも興味深げに城壁を見上げて瞳を輝かせているような、無邪気そのものの少女を警戒する必要もないかと衛士は思い直す。
 ふと、少女がこちらに気づいて微笑み返してきた。不意打ちに衛士は顔を赤らめ、慌てて視線を引っ込める。
「あ、きょ、許可証はあるのか?」
「ない。だが今から帰すのは物騒でね。宿屋にでも放り込んでおきたいんだが」
「うむ……なるほど」
「なんなら牢屋にぶち込んでおけばいい、一人で村に帰すよりはずっとマシだ。兄の言うことを聞かなかった罰としても丁度いい――痛ってて!」
 少女の伸ばした手がヴォルフの耳をひっつかみ、ぎりぎりとねじった。痛みに悶えるヴォルフへ少女は拗ねたように口元を尖らせている。その仲睦まじい様に、傭兵は思わず吹き出してしまった。
「はっはっは! 何もそこまでする必要はあるまい。商人であれば許可できんが、観光客程度ならば融通も利く。装備は確認させてもらうが構わんな?」
「もちろんだ。おい」
 傭兵の一言で解放されたヴォルフが、赤くなった耳を押さえながら少女に言う。少女はひとたび頷いて、躊躇いもなく外套を捲りあげた。
「ぶっ!?」
 はたして、衛士は我が目を疑った。黒い外套の下から現れたのはまたしても黒……の、艶めかしい素肌だったのである。少女は外套の下に服らしい服を全く身につけておらず、小さな鎧のようなもので急所を隠しただけだった。まだ暖かい時期とはいえ良識をもった人間の格好ではない。鼠蹊部の筋に目を奪われた衛士は、扇情的な姿にも関わらず一切の羞恥心を示さない少女に戦慄した。
(嫁いでいるのではないのか!?)
 首まで真っ赤に染めながら衛士は目を逸らしてヴォルフを見やる。その視線には全力で説明を要求したい思いが詰まっていた。対してヴォルフは、少女の艶姿に動揺した様もみせずに答える。
「こいつの嫁ぎ先ではこういう恰好が普通さ。南の山村にもいろいろあってね、年中蒸し暑くって雨もキツいとこなんだ。服はをなるべく着ないのが一般的だ」
「そ、そうなのか……?」
 ちらりと少女を見て、再び目を逸らす衛士。不思議そうな顔でこちらを見てくる少女の顔と過激な姿のギャップにいろいろと堪えられなかった。
「そ、そもそも、ここで脱ぐ必要はない! あの扉から入れば検査官がいる……!」
 何とか職務を全うせんと、必要なことだけ言い残して衛士は道の脇に下がる。ヴォルフは軽く頷いて歩きだし、少女もそれに続いた。
 衛士は心を落ち着かせようと深呼吸していたが、何とはなしに2人の後ろ姿を目で追ってまたしても噴きだした。正面から見たら刺激的な下着くらいに思えた少女の後ろ姿は、全裸にしか見えなかったのである。強烈な映像が瞼に焼き付いた彼は今日の晩ベッドに潜り込むまで得も言われぬ衝動に悩まされることとなった。
 少女が扉をくぐった時、ヴォルフは真顔で彼女に振り返る。
「おい。俺がさっき渡した服はどうした?」
「あんなん捨てた。ごわごわして気持ち悪いじゃんか」
「……その外套はもう脱ぐな。決して」
 実に困難な方法を選んでしまったと早くも後悔するヴォルフである。
15/01/16 20:09更新 / カイワレ大根
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■作者メッセージ
ひさびさの執筆です。
おかしな点があったら申し訳ありません。

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