「だりぃ。わざわざ時間ずらしてまで体育やらせるかね」
　火曜日の朝。
　とある高校の体育館の隅に腰掛けたクラスメートが、隣に座る男子生徒にぼやいた。
　学校では連日の熱波を受けた対策で、体育の授業を日照のまだマシな午前に移して実施させていた。とはいえ太陽光を直接食らっては意味なかろうと室内バスケが選ばれたので、徐々に熱がこもってきてダラケ気味である。体育教師も程よく休みをとらせる為か、チーム分けで試合を組んでいた。
「ああ」
　声を掛けられた龍馬は力なく応じる
　今の龍馬とクラスメートらは合法サボリタイム。無論、真面目に試合観戦などする訳がない。男子共がやり合う向こうのコートで、可憐な女子チームの雄姿を眺められる位置に陣取っていた。
「うわ、ぷるんぷるん揺れたわ。見た？」
「うん」
　応える龍馬は心ここにあらずといった様子。その反応にクラスメートは口を尖らせる。
「んだおい、つまんねえ態度。昨日何かあったんか？」
「おー。……え、なに？」
「昨日だよ。ひとっことも喋らねえし黙って帰りやがるし。どうかしたんかと思ったわ」
「あー……」
　昨日どころか。
　ついさっきまでセックスしてたんだわ、などと言えるわけもなく。龍馬は頭を振って煩悩を振り払った。油断すると意識を持っていかれるのだ。
　通常、人間の脳は24時間の記憶を7割忘れて整理する。だがインキュバスとなった龍馬の脳は土曜13時から今朝6時まで65時間もの出来事を鮮明に覚えていた。彼女とどう愛し合ってどう求めあってどう鳴かしてどう鳴かされたか。片時も離れず突き込んだ膣の感触から舐めとった汗の味、飲まされた唾の喉ごしまですべて思い出せてしまう。
　人外としての驚異的な回復力で表面上は何事もなかったかのように見えるが、龍馬自身はまだ、彼女の爪が腕を背中を引っ掻いているような気がして仕方がない。それ故に、いきなり日常生活に放り込まれても現実感がなかった。
「何もねえよ」
「そうかあ？」
「あれ、最近でたゲームにハマってさ。徹夜してやってんの」
「あーね。好きだねお前も」
　他愛ない言葉を交わしていても、彼女の顔が、声が、匂いが、ひどく恋しい。どれだけ深く交わろうと、いや深く交わったからこそ、彼女の存在感がどんどん増していく。
　もはや彼女なくしては生きられないという確信を抱いて、龍馬は目を閉じた。


　○


「お前ほどの生徒を呼びだすことになるとはな」
　火曜日の昼。
　とある女子高の一角に設けられた生徒指導室なる一室で、ストライプのスーツに黒タイツを履いた女教師が嘆息する。椅子に腰かけ長い脚を組んだ姿は非常にセクシーだがそれに鼻を伸ばす生徒はここには存在しない。
　沈痛な面持ちで教師と向かい合う尾瀬桜羅がいるのみだった。
「申し訳ありません」
　教師の溜息に、桜羅は頭を深々と下げて謝罪した。
　彼女が身を包んでいるのはこの女子校の制服で、あの夜に身に着けていた制服とはまた違う。白いブラウスには肩から袖に掛けてラインが入っており、チェックではなく無地のスカートを履いていた。潜入活動の都合で近隣の学校の制服はすべて組織から支給されているが、今の彼女が袖を通しているのは彼女本来の制服だ。
「別に謝罪しろというわけではない。この場では教師と生徒。無断欠席という事実に対してはケジメをつけねばならんだけだ。
　と言っても呼び出したのは小言のためじゃない、他への示しをつけるためだ。ここには"私たち"以外の生徒もいるからな」
　あっけらかんと告げる教師に桜羅は怪訝な顔を浮かべた。
「処罰は……？」
「あるわけなかろう。愛する男との睦言はすべてに優先する。基本中の基本だ」
「はぁ」
「時間も予定も全て忘れて愛し合う……。実に良い。羨ましいくらいだぞ」
　教師はニヤリと笑い、桜羅は静かに赤面する。首に手を当てたのは無意識だった。
「時間を潰しがてら初体験の感想を訊きたいところだな。最初はタガが外れやすいものだが、こうまで乱れるケースは中々ない」
「いえ。私は……」
　言葉を濁す桜羅に教師は鷹揚に頷いた。
「分かっているとも。普通は嬉々として語りたがるものだが、お前のように慎ましいのも悪くない。
　何も言わなくていいぞ。どうせ私の目からは逃げられんしな」
　少し前のめりになり、顎に手を当てまじまじと桜羅を見つめる女教師。すべてを見通すかのような視線に桜羅は身を固くした。
　何を隠そう、この女教師は過激派魔物勢力を抑える組織に属し、桜羅を始めとする構成員を養成する立場にあるダークエルフなのだ。調教を得意とする種族性と経験に裏付けられた観察眼は、未だ発展途上の桜羅など容易く見破るであろう。
　案の定と言うべきか。ものの数秒で、女教師は目を半月に歪めた嗜虐的な笑みで舌なめずりした。心なしか息が荒い。
「ふっふふ♥」
　教師は何も言わない。言わないことが、むしろ桜羅を辱めると踏んでいるのだ。それは見事に当たっていた。
　身体の隅々までを彼に捧げた桜羅の肢体は次第に熱を帯び、徐々に汗が滲んでくる。彼の口で延々と舐められた首元が、彼の指で執拗に摘ままれた乳首が、彼のモノで散々に耕された膣がじくじく疼く。
　もじもじとスカートの中で太ももを擦る桜羅に、教師はさらに息を荒くした。豊かな乳房を抑え込んだ胸元を引っ張り風を送る。
「いかんなムラついて仕方がない。オナっていいか？　夫(ペット)の張り型は常に持ち歩いてるんだ」
「……ケジメはどこに？」
　そうして肉欲だけ煽られたまま、桜羅の昼休みが過ぎていく。


　○


「じゃあまた明日」
「あ、おい！」
　火曜日の放課後。
　クラスメートの呼び声を振り切って教室を抜け出た龍馬は勢いそのままに下駄箱を通り抜け、校門を飛び出す。
　陽が長いこの頃、外はまだ明るく汗ばむほどの気温だ。それでも龍馬は足早に、汗をかくのも構わず急ぐ。目指す場所は決まっていた。
「ちょっといいかな」
　その時、自分の家とは反対方向に歩き出した龍馬を呼び止める声があった。そんなのには見向きもせず駆けだしたい精神であったものの、立ち塞がるように立たれては足を止めざるを得ず、不満を訴えるように龍馬は相手を睨んだ。
「急ぎたいところをごめんね」
　声の主は毛先を切り揃えた日本人形のような髪型の少女だった。夕日に染められた景色の中で少女の髪もシャツも綺麗に朱く染まっている。まじまじと見つめて、髪が真っ白なことに気づいた。色素の薄い瞳とひどく希薄な存在感に、只者ではないと理解する。
　龍馬の緊張を察したのか、少女はクックと喉を鳴らして笑う。
「そう身構えないで欲しいな、私は当たり前のことを告げに来ただけさ。君には帰るべき家があるだろう？誤魔化すのもそろそろ限界なんで、ここらでご家族に顔を見せてあげてくれないかってね」
「あっ」
「忘れてたかー。あれだけヤってれば無理ないけど、流石に薄情じゃないかい？」
　龍馬は内心で頷くが、自分でも驚くくらい淡白な心情だった。もうあらゆるものが彼女よりも下なのだ。
「死んでも優先したいモノは私も覚えがあるし、応援したいのはやまやまなんだ。
　でも君の日常はもう終わる。家族との時間は大事にすべきだよ」
「……はい」
「そう悲観しないでくれ。いずれ別れはくる。二度と会えないって訳じゃないんだ、孫の顔が見せられるよう励むといい」
「分かりました」
　素直に頷いて踵を返す龍馬である。
　少女はひらひらと手を振り見送った後、ふーむと唸った。
「人畜無害っぽいけど。あれで鬼畜攻めもこなすとは奥深いね」
　今日一日、友人を尋問し倒して得た情報と比べながら独り言ちる少女であった。


　○


「待って」
　火曜日の夕方。
　各方面からの質問につぐ質問からようやく逃げ帰れた桜羅が自宅マンションの玄関をくぐった矢先、珍しく起きていた管理人の堂磨に呼び止められる。
　何事かと身を固くすると、抱えるほどの紙袋を手渡された。
「差し入れ。です」
「あ、ありがとう」
　礼を述べて受け取る。
　桜羅よりもずっと低い小柄な体型は、高身長かつ巨乳の桜羅には気をつけなければ見落としてしまう域だった。年齢は不詳だが顔立ちの幼さと立場とのギャップは奇妙な緊張を与える。
　加えて先日の、というか今朝までの一件で迷惑を掛けたことも後ろめたかった。
「……その、この前はすまない」
「んー。仕事なので」
　ふるふると首を振り、堂磨は眠たげな目で桜羅を見上げる。
「お引越しは、する？」
「え？」
「ずっとセックスしたいなら。いいとこ知ってるよ」
「っ、結構だッ！」
　あっけらかんとした態度で告げる堂磨に桜羅は足早に逃げた。その手の話題はもう沢山。同級生からも同僚からも教官からも延々と弄られたのだ。
　それに今夜も。
（――彼が来る）
　スマホでのやり取りを何度も読み返しながら階段を上って廊下を進み、自室のドアを開けると、もわっ♥とした熱気が肌を撫でた。エアコンのタイマーをかけ忘れたから熱がこもっている、だけではもちろんない。生半可な換気では入れ替えられないほど部屋中に雌と雄の匂いが沁みついてしまっているのだ。
「ふっ……っく♥」
　腰の震えをどうにか抑え、扇風機をつけて空気を掻き回す。彼が来る前に自分を慰めてしまうことだけは避けたかった。
　部屋中の窓という窓を開け放った後、管理人から受け取った紙袋をひっくり返す。中身は2つだった。
「これは……？」
　ひとつはラベルのない箱。箱の中を確かめると平たいパウチが10個ほど入っている。
「コンドームか」
　メーカーロゴや製品情報が無いのを見るに組織で用意したものだろう。なるほど、最初からこの事態になることを読んでいたということか。こそばゆい。だが今更不要なものだ。
「……それと」
　もうひとつは折りたたまれた衣服。それが何であるかはすぐに分かった。
　添えられていたメモには見慣れた筆跡でこう書かれている。

『愛すべき娘へ
　記念に贈ります。幸せになりなさい』


　○　○　○


　火曜日の夜。
　ふっふとリズミカルに息を吐きながら石段をせっせと踏み上がる。炙るような太陽光は身を潜め気温は多少下がったが、もったりとした湿度は相変わらず。息をするごとに不快な熱気が内側に入ってきて体温は一向に下がらない。
　マンションを訪れた際、通路脇にエレベーターがあると可愛らしい女の子が教えてくれたが、俺はあえて階段を選んだ。
　大した動機ではないのだが、「6」という数字を目にした時、感慨深くなって足を止めてしまった。
（あの時は逃げたんだったな）
　見知らぬ部屋で目覚め、混乱したまま外に出て、階段で彼女と鉢合わせ。パンイチで逃げたのが土曜の朝の出来事。
　ひどく濃密な時間を過ごした今となっては、ずいぶん前の出来事のような気がしている。話では絶倫だけでなく長命にも変異しているそうだから、この価値観もいずれ変わっていくのだろう。それはもうどうしようもないのだ。
　背負ったリュックサックの肩ひもを軽く持ち上げ、熱のこもった背中を外気に晒した。それなりに膨らんではいるが衣類がほとんどなので見た目ほどの重さはない。これから外泊を増やすにあたって必要なものを幾つか入れてきたので、次回以降は手ぶらで来れるだろう。
　放課後。
　謎の、おそらくは桜羅さんと近しい少女の言葉を受け、俺は帰宅した。
　母と妹に声を掛けると変なものを見る目で見られたが特に怪しまれる様子はなかったし、仕事から帰ってきた父も同じ態度だった。夕食を囲んで言葉を交わしても、長男が3日間居なくなっていたという事実には全く触れられなかった。
　不気味なくらい、彼女たちはこの現代社会で巧みに隠れ住んでいるのだ。恐怖がないと言ったら嘘になるが、どのみち俺も同じ立場。もう腹はくくっている。
　廊下を進み彼女の部屋の前に立つ。中でごそごそと動く気配を感じられるのは鋭敏になった五感のおかげだろう。
　手汗を拭い、ポケットの中の合鍵を握りしめた。
（なんて言おう。気持ち的には『ただいま』だけど『お邪魔します』のが合ってるよな……っつか普通に汗かいちゃったしなんで階段つかってんだ俺は）
　女子の部屋の鍵を開ける行為はかなりの緊張感がある。いくらセックスしてようが精神的にはまだまだ青二才なのだと思い知った。
　だがもう後戻りはできない。
　する気もない。
　深呼吸。鍵穴にカギを差し込む。捻る。開錠の音を聞く。鍵を抜く。しまう。ドアノブを握る。引く。
　ひとつひとつの動作を点検するみたいにゆっくり進めて、俺は中に入った。
「お、お邪魔します……！」
　ドアを開けた瞬間にすん、と匂いを確かめてしまったのは別に下世話な感情からではない。昨日の残り香がまだあることに気づいてしまったせいだ。僅かに酸っぱくて甘たるい彼女の体臭。気分も息子もぐんぐん上向きになる。
　廊下には誰もいない。いないが。
（う、わ、）
　奥の部屋。
　俺と彼女が散々に交わったあの居間から漂ってくる威圧感が尋常ではない。脱いだ靴を揃えるのも億劫で、ふらふらと廊下を進めば匂いはますます濃くなっていく。
　あの夢みたいな時間がまたやってくるのだ。
　彼女を求めて、彼女に求められて、生の実感と喜びを浴びるように感じられたあの時間が。
　期待を込めて扉を開けるとそこには。

「――来たか」

　腰に手を当ててコスプレイヤーみたいな決めポーズをとった桜羅さんが居た。
　獣耳獣手獣足の人外スタイル。
　ミルクチョコレートみたいに滑らかな褐色肌に良く映える金髪には斑模様が浮かんでいて、首と肩を覆うように白い獣毛が生えている。右手には妙に禍々しい釘バットみたいなのを握っていて、左手首には民族意匠みたいな――何なのかエスニックみたいな――仮面をつけている。
　衣装はひと言で言って卑猥だ。
　首より下、胸元を伝ってヘソを通り越し股下ギリギリまで開けっ広げた大胆衣装は、もはや服とは呼べまい。正しく紐である。首元から乳首までの急所は獣毛で隠してはいるが、上から紐で締め付けている分だけいやらしさが増している。
　そして股間を隠すのは、紐に留め具で付けられた前垂れのみだった。美しいくびれや骨盤の広い巨尻をまったく隠せておらず、むしろ強調するみたいな布面積である。
「その恰好は……？」
「私の種族の伝統装束だ。私たちはこれで男を狩り、我らが神への贄とする」
　言って、右手の得物を軽々と振ってみせる。小枝みたいに振っているが、ビュオッという風切り音はひどく鈍く、木製バットに石を打ち付けたみたいな見た目通りの重量がありそうだった。というかそれ、どこかで見たような覚えが、
「初めて会った時、こいつでお前を両断した」
「まじで？」
　両断て。明らかに打撃武器なんですけがどうやって切ったんですかね。いや訊かないけど。ってか贄とか神とかすごく物騒な気配。
「それがこの事態の起こりだったわけだが……要らん説明だな。
　お前には、私のすべてを見てもらいたかった。私だけがお前を知っているのは不公平だろう？」
「あ、……とっ」
　咄嗟に礼を述べようとしたが、桜羅さんの目を見て止めた。彼女は礼が欲しいわけじゃなくて、あるがままの自分を見て欲しいと思っている。そこに打算なんてものは欠片もない。
　そして彼女の思念を感じた俺は荷物を下ろして服を脱いだ。いきなりのことで少し恥ずかしいが、今更彼女の前で躊躇うことなんて何もない。
　薄暗い部屋の中で、ひとりの魔物とひとりの人間が相対する。
「これが私。それがお前。こちらの事しか知らない私は、お前たちと違うのが怖かった。正体を明かした時にどんな目で見られるか、想像して震えていた」
「綺麗だよ。とても」
「ふん。言葉にする前に態度で示したらどうだ」
　桜羅さんはくるりと後ろを向くと、軽く伸びをしてみせた。美しい背筋に目を奪われながら、丸出しのお尻に顔を埋めたいのを必死にこらえて、後ろからそっと抱きしめた。既に隆々と勃起している肉竿が彼女の割れ目に挟まれる。
「――っん♥　どうした、もうガチガチじゃないか♥　入れてもいないのに無駄撃ちする気か？♥」
「昼間からずっと我慢してたんだ、いくら出しても問題ないよ。また一晩中愛してやる」
「ああ……♥　時間制限も悪くないな、どちらが多くイったか競争といくか♥」
「イカせたかじゃなくて？」
「同じようなものだろう。絶頂をカウントするアプリが作られてて、試用して欲しいと言われた。謝礼は出るぞ」
「審査通らなそう。それたぶん、回数とかバレるやつだけどいいの？」
「匿名性が保たれれば問題ない。ぶっ通しでやり続けたのが妙に評判になってしまってな……」
「ちょっとまって？　そっちで俺達どんなことになってんの？」


　そうしてまた2人の夜が更けていく。
　今度はもう少し穏やかな夜になりそうだった。

■作者メッセージ
完結でございます。
ここまでお読み下さりありがとうございました。