連載小説
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その1
 僕にとって思いもよらぬことだったのだが、長きに渡って僕を苦しめ続けた学園一の才女、カレル・ニャバ・マータの正体は魔物であったらしい。らしい、という曖昧な言い方は許して欲しい。僕だって信じがたいことなのだ。
 何故なら彼女は名家の息女、その生活は潔癖に完璧に管理されていて、魔物化などという堕落の代名詞とは縁のない世界を生きていた筈なのだから。行き帰りに馬車を使うのは当たり前、学園では常に教師たちが目を光らせ、ネズミ一匹とて彼女に寄りつかせない。その生家は教団の騎士団と関わりが深く、父親は元団長、兄たちもこぞって騎士団入りという徹底ぶり。万一魔物の影があろうものなら、あらゆる手段をもって潰すことが出来るだろう。
 だが、こんな途方もない仮説でも、当て推量以上に説得力はあるのだと言い切れる。なんたってこんな――

 誰もいない教室で、ひとり他人のオカリナに舌を這わせる彼女を見れば。



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 衝撃的光景を目の当たりにして些か動揺を禁じ得ない僕の心身を落ち着かせる為に、ここに至るまでの話をしよう。
 先ほどまで僕は、我が魂の学び舎『クラーク魔法大学校』において全くもって不要だと断じられる"音楽"の講義を受けていた。何故不要なのかは、勘の良い諸兄には分かることだろう。
 そう、この音楽講義は未成年の情操教育の一環などと称して、半ば無理矢理にカリキュラムに加えられている講義なのだ。だから魔法とはまるで関係ない、くだらない吟遊や聖歌をイヤと言うほど教え込まれる。いや、もしかすれば関連性を見いだすことも出来るのかも知れないが、少なくとも僕には無駄としか思えなかった。これなら高速詠唱の練習でもした方が百倍マシだ。
 極めつけは、楽器演奏。魔術講義に必要な教材を買う為の金で、個々の楽器――我がクラスはオカリナだった――を揃えるという愚策を強制した上に、面白くも何ともない曲を吹けと言うのだ。これには我慢強さに定評のある僕でも我慢ならなかった。
 下らない、全くもって下らない。オカリナが上手く吹けたとして魔法が繰り出せるのか? よしんば旋律に魔力をのせたとして、果たして有用な効果が出せるのか? 諸々の説明を行わずただ楽器を演奏せよという講義内容に、僕の堪忍袋はついに弾け飛んだ。
 時は金なり。けだし至言である。
 僕は講義の終了と共に自分のオカリナを手入れもそこそこにケースへ戻し、そのままゴミ箱へ放り投げた。短いモラトリアムを思えば当然の帰結、賢明な人なら誰だってそうする。僕だってそうする。
 名前も覚えてない級友が「あれだけ下手なら仕方ない」と憐れみの声を掛けてきたが、僕からすればそんなことは問題ではない。むしろ薬にも毒にもならない、非生産的な講義に時間を掛けさせられる方がよっぽど哀れだ。僕は後悔することなく、音楽教室を後にした。もう二度と来ることはあるまい。
 ……そう思っていたのだが、暇つぶしにと携帯していた魔導教本を机に入れっぱなしだったことに気づき、マヌケにもとって返すことになった。
 そこでこの現場に出くわすこととなる。



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 カレルのぽってりとした唇から伸びた紅色の舌は始めチロチロと、オカリナの吹き口辺りをさ迷うだけだった。それがやがて吹き口の山なりに沿って這うようになり、ついには肉厚な舌腹で触れるまでになる。メロォっと特別いやらしく、執拗に舐める動きだ。舌の動きは場所を変え角度を変え、オカリナの吹き口全体を舐めていく。興奮しているのか、苦しげな呼吸を繰り返していた。
「はっ…ぴち……ぴちゃ……はぁッ……ぴちゅ……ちゅぴゅ……ぢゅるるるるるるッ!」
 やがて控え目だった水音に、別の音が混じった。啜っているのだ、吹き口をくわえて、持ち主と彼女のが混ざり合った唾液を。
「んっ……っふぅ……ぢゅる、ぢゅるぢゅるぢゅろろろ、ぴちゃぴちゃ……は、はァ……!」
 もどかしそうに荒い呼吸を繰り返しながらカレルの動きは段々と激しくなっていく。すると不意に、左手をオカリナから手放した。その手はテラテラと濡れている……唾液が、オカリナの穴から溢れたのだろう。よほどの量が注がれているらしい。彼女は熱っぽい視線でその手を見つめていた。やがてゆっくりと手を下へ――、
「ッ!?」
 瞬間、僕は弾かれたように目を逸らした。部屋の中からは彼女の、押さえ気味ではあるが、確かな艶声が聞こえてくる。
 その時の僕は意外にも冷静だった。衝撃が大きすぎて感性が麻痺していたのかも知れない。まるで犬同士が致している現場を目撃してしまったかのような気まずさだけがあり、劣情などは微塵も感じなかった。
 見る者が見ればシチュエーション的にもヴィジュアル的にも、股間をたぎらせずにはいられないのかも知れない。だが生憎と僕はその手の嗜好と縁がなく、思春期特有の香ばしい性欲も日々の手入れで発散済みだった。暴走の恐れは限りなく低い。
 いや違う、そんなことは問題じゃない。見つかったらトラブルに見舞われるのは明らかだ。一も二もなく回れ右。これが正解。
 僕は迅速に教室を後にした。持てる技能を総動員して、静かに、確実に、物音ひとつ立てずにだ。もしかするとこれは彼女の弱みで、もしかすると今までの仕返しをするチャンスなのかも知れないけれど、こんなことを利用する気はまるで無かった。しょうもないことで勝ちを譲られては堪らない。彼女には正々堂々、実力で勝ってやるのだ。
 そろそろと歩きながら時折振り返る。気配はない。
 今更になって、覗き紛いの行為に罪悪感がふつふつと沸いてきた。見たくて見たわけでもないのに、理不尽な話だ。
「なんだって言うんだ」
 独り言を呟き、廊下の角を曲がった。



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 カレル・ニャバ・マータ。品行方正成績優秀、才能に恵まれ家柄に恵まれ環境に恵まれ、人生イージーモードを闊歩する女。その器量は飛びきりで、きめ細かく瑞々しい肌、朝日の煌めく湖畔のように碧い瞳、背に掛かる程度に伸びた赤みがかった髪は夕日のように鮮やかだ。いっそ近寄りがたいレベルの美人だが、彼女の纏う空気はそれを感じさせない。違和感なく周囲に溶け込み、まるで何でもない風に談笑する。そりゃあ、庶民出が混じる学び舎で貴族貴族するような頭の悪いヤツではないが、それにしたって普段の庶民然とした態度はどうだ。下らない世間話に興じたり愚にも付かないいたずらを仕掛けたりと、およそ名家のお嬢様に似つかわしくない振る舞いを平然と行う。その態度が、己を安売りしているようで気に入らない。
 それでいて時折ゾッとするほど美しい振る舞いをみせるのだから始末におけなかった。僕は――実に屈辱的なことに――彼女の次点に位置する成績の持ち主だが、偶にどうしようもない虚しさに駆られることがある。あんな怖いもの知らずな超人女と自分を比べることが馬鹿馬鹿しくなってしまうのだ。そんなこと、知識の蓄積には何の役にも立たないと言うのに。
(って、何を考えてるんだ僕は)
 いつになく彼女のことを考えてしまっていた。頭を振って思考をリセットする。彼女の存在など僕には何の意味も持たない。僕は僕らしくあればそれでいいじゃないか。
 いくらあんな姿を見たからといったって――、
「駄目だ、思い出すな」
 自分に言い聞かせるように呟く。
 今更ながらなんと目に毒な光景を目撃してしまったのだろう。神聖な学び舎に全く似つかわしくない。淫猥。下品。忘れるに限る。
(こういう時こそ本を読むのだ)
 無意味な思考を投げ捨て、鞄の中を漁った。持ち歩いてる本は音楽教室に置き忘れたもの以外にも沢山ある。
 知識を得るには好奇心、つまりは貪欲さが一番の妙薬だ。それこそ僕は月終わりまでに四十もの本を読破することを自分に架している。中古の安上がりな本や譲り受けた本ばかりを仕入れているから出費はそれほどでもないし、気に入った本以外は売り払っているからかさばる心配もない。昼休憩、級友たちが下らない談笑に励む中、僕は己の世界に浸っていく。この瞬間が堪らないのだ。
 誰の為でもない、僕だけの時間が過ぎて行く。


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 気が付けば休憩時間の終了を告げる鐘が鳴っていた。跳ねるように頭を上げる。
「もう終わりか」
 集中していると時間の流れが早い。あれほどうるさかった級友たちは軒並み姿を消していた。次の授業は実戦魔法だからグラウンドに向かったのだろう。僕ももたもたしてる暇はない。手早く荷物をまとめると廊下に出る。
 と、その時。
 視界の先、廊下の角から人影が現れた。あの赤髪、カレルだ。
 本を読んで心を落ち着けていたことが幸いしたか、僕は比較的落ち着いて彼女を見れた。脳裏にあの爛れた姿がちらつくのだけはどうしようもないが。
 彼女は別段、僕を見てはいなかった。いつも通り、何を考えてるのか分からない微笑を浮かべている。
 ――ただすれ違えば良い。簡単なことだろ?
 自分に言い聞かせながら歩く。彼女の方は見ずに正面だけを向いて。
 これでいい。何事もなくやり過ごせる。そう安堵しかけた。
 瞬間。
 視界の端にチラついた彼女の手に気を取られてしまった。そこに握られた物が何なのか理解した途端、僕の呼吸が止まる。心臓が雄叫びをあげて跳ね上がる。
 彼女の手には僕が捨てたオカリナのケースがあったのだ。見間違える筈がない、ご丁寧にイニシャルまで彫られているのだから。
 だが、僕が驚いたのは彼女がそれを持っていたことでは無かった。だってそれは十分予想できることだ。あれだけの執着心というか直接的な興味関心を傾けていたのだし、持ち帰ることは十二分にあり得たろう。
 僕が驚いたのは、彼女がそれをこれ見よがしに持っていたこと。ケースその物を裸で持ち歩くだなんて、見つけて下さいと言わんばかりじゃないか。それとも何か? まさか君はそれを――、
「エデルくん」
 視線がケースへ釘づけになっていた。名を呼ばれ、僕は顔を上げる。そこには彼女の普段通りの笑みがあった。
 僕に向けてケースが差し出される。
「これ。駄目じゃない、落としちゃ」
 予感的中。さいあくだ。
14/07/07 22:59更新 / カイワレ大根
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■作者メッセージ
お読みいただきありがとうございました。
初投稿ゆえ、おかしなところがありましたらご教授願います。
全5話あたりを想定してますが、短く収めるかも知れません。
楽しんでいただければ幸いです。

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