連載小説
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その2
「いらない」
 時間にしてみれば一秒に満たなかったかも知れないが、僕にとってはようやく絞り出した声だった。動揺しているのだ、この上なく。
「そんなこと言っちゃ駄目だよ〜。授業はきちんと受けなくちゃ」
「余計な世話を焼くな。僕は僕の意思であの講義を放棄するんだ」
 声は震えていないだろうか、言動に矛盾はないだろうか。必死に取り繕う僕をよそに、変わらぬ笑顔の彼女が語る。
「あの授業だって評価に含まれるんだよ? 意地を張ったせいで評定に響いたらつまらないでしょ」
「生憎と僕の関心はそこじゃないんだ。評定程度、君に譲ってやる」
 半分嘘を吐いた。成績に興味がないのは本当だが、人に勝ちを譲るのは大嫌いだ。すると彼女は眉を曇らせ、
「それは残念。エデルくんと競い合うのは私の楽しみだったのに」
 と言った。あからさまなリップサービス、いつもなら鼻で笑うところだ。
 しかし、今ばかりは。あの光景がいまだ生々しく思い出される今ばかりは。死角から放たれた矢のように僕の不意を突き、言葉に込められた意味を考えさせられてしまう。
「じょ、冗談はよせ」
「いいえ? 意味のない冗談は申しませんわ」
 彼女はそれこそ冗談混じりに軽やかな笑みを見せる。僕の狼狽ぶりをあざ笑っているかのようだ。そう考えた時、屈辱に顔が熱くなった。思わず目を逸らす。不審に思われたかも知れない、そう思ったとき、場をすくい上げる鐘の音が鳴った。授業前の予鈴だ。彼女の視線が僕から外れる。
「あ、いけない。もうそんな時間だったのね」
「……先に行く。その不要な物は捨てておくんだな」
「い・や・です。エデルくんが要らないって言うなら……そうね。私が貰おうかな」
 核心を告げる台詞。今度こそ僕は限界だった。
「好きにしろ!」
 大声を上げ、逃げるように歩き出す。彼女がどんな顔をしているかだなんて確かめようとも思わない。これ以上なく無様な捨て台詞だった。



                    ×        ×        ×



 実技の時間。ぼんやり物思いにふけっていた僕を、隣の級友が小突いてきた。
「ね、呼ばれてるよ」
「え? あ、はい!」
 我に返り慌てて顔を上げた。周囲で怪訝そうな顔を並べた級友たちの先に、眉をひそめた教師がいる。
「どうしたねクラヴィッツ君。いつになく身が入ってないようだが?」
「いえ、何でもありません。もう一度お願いできますか?」
「ふむ? ……まあ良いでしょう。普段の勤勉ぶりに免じて不問としよう」
「ありがとうございます」
「それで、だ。例によって君とミス・マータとで実技の見本をして見せて欲しいのだが……構わないね? なに、やることはいつもと同じだよ」
――こんな時に限って、なんと間の悪い……。
 正直に言えば断りたかったが、既に皆の前で待機していたカレルの姿を見て、諦めた。ここで辞退したら余計な不信感を買ってしまう。普段通りに振舞わなければ。
「もちろんです、先生」
「うむ。では前に来なさい」
 視線を浴びながら前に出る。数歩の間を置いてカレルと相対した。彼女は腹が立つほどいつも通りだ。考えの読めない笑みでこちらを観察している。
 内心で苦々しく思っていると、教師が咳払いをした。
「さて。本日は静音魔法を応用した『発声を阻害する』魔法を教えよう。皆の中には既知の者もいるだろうな。そう。この魔法は対象の詠唱を邪魔することが可能だ。魔術師に絶大な効果を発揮する魔法だと言えるね。
 単純故に詠唱も短く使いやすいが、今言ったとおりこれは魔術師を無力化できる。それ故にアクセサリや解魔薬を始めとした様々な対応策が存在し、実戦でこれを成功させるのは困難を極めるだろう。
 しかし、だ。敵を知り己を知れば百戦危うからずと先人は言った。これをモノに出来んようでは対策も練れまい。
 球状、帯状、範囲型などと数種類のタイプが存在する魔法だが、今日はもっともスタンダードな個人に向けて放つ球状タイプのものを教えるとしよう。さて、ミス・マータ」
「はい」
「今から教える呪文をミスタ・クラヴィッツに向けて唱えてみなさい、光球が放てれば成功だ。
 対するミスタ・クラヴィッツは抵抗の魔法を唱えたまえ。以前やった通りにね。覚えているだろう?」
「はい。覚えています」
「よろしい。ではやってみたまえ」
 教師が彼女になにやら教え、3歩下がった。手のひらを見せ、僕らを促す。
 視線が交差する。僕は不愉快そうにカレルを睨みつけた。
 対するカレルは涼しい顔で受け止めてくる。全くもって気に入らない。魔法に抵抗したら反撃してやろうか。今回の発声阻害魔法なら既に修得済みだ。教師には叱られるだろうが彼女に恥をかかせられればそれでいい……そんな馬鹿げたことを考えてしまうくらい、僕の心は荒んでいた。
 彼女が杖を構える。必ずしも杖を必要としない魔法だが、指向性を安定させるために使うのだろう。
 反対に僕は素手で構えた。前に習った魔法は全方位バリアのようなものだから、杖は必要ない。もちろん局所に絞るタイプの抵抗魔法も知っているが、授業で習ったことに留めておくのが教師への礼儀だろう。筆記ならともかくこれは実技なのだから。
 彼女が杖を振りかざし、詠唱した。僕も合わせて詠唱する。
 と、彼女が唱え終わる瞬間、悪寒がぞわりと背筋を昇った。
 肌がひりつく感覚、これは魔力の急上昇だ。まるで大魔法を放つかのような質量で、彼女は静寂の魔法を放ってきた。特大級の光球が真っしぐらに僕へ向かってくる。
 慌てて僕も魔力を込めた。
 だが相性が良くない。彼女は一点集中、対して僕は全方位だ。魔力の総量に差はなくても厚みが違う。2つの魔力が重なったとき、僕はガラスを打ち割られるような感触を覚えた。
 抵抗魔法を突破した光球は僕の身体に直撃し、後方へと吹き飛ばした。受け身を取る間もなく地面を転がる。痛みはあまりないが、喉の異物感がひどい。なるほど、不快な魔法だ。
「だ、大丈夫かね!? ミスタ・クラヴィッツ!」
 泡を食った教師が声を掛けてくる。僕は平気ですと答えたかったが、案の定声がでない。と、教師に先んじて駆け寄ってくる影があった。カレルだ。
「ご、ごめんなさい! 私ったら思わず……!」
 腰を曲げて謝罪してくる。加減を間違えた、とでも言いたいのだろうか。彼女ほどの使い手が?
 ありえない。
 僕は確信していた。あの狙ったようなタイミング、彼女は故意に魔力を込めてきたのだ。
 血が熱を持ち、彼女への敵愾心がふつふつと湧き上がる。皆の前で恥をかかせるとは上等じゃないか。お前は僕を敵に回したぞ。いやそれは前々からか。
 当の彼女は教師に向かって何事かを話している。教師は呆気にとられた顔でコクンと頷いた。放心してるようだが、安牌だと思った組み合わせがトチったのだから仕方あるまい。
 彼女は僕に手を差し伸べる。
「医務室に解魔薬があるそうです。取りに行きましょう」
 ふざけるな、お前が行け。
 なんて応えることも出来ない。差し出された手には気づかないフリをして、彼女を威嚇するつもりで勢いづけて立ち上がった。が、不意にバカバカしくなった。ここでやり合って何になる? 魔法も口も使えない今、僕の方から手を出したらそれこそ恥だ。
 僕は静かに手を払って見せた。『一人で行く』というアピールだったが、彼女はずいと先を歩き出す。急だったので肩をつかむことも出来なかった。呼び止めることも出来ないので、仕方なくついて行く。なんと思い通りに動かない女だろう、言葉が戻ったらどんなに罵ってやろうか。



                    ×        ×        ×



 少しして、僕らは医務室の中に居た。医務員は常駐の筈だったがちょうど席を外していたようで部屋に入れなかったのだが、彼女が事情を話して鍵を借りてきたのだ。無論、目付係を言い渡されのであろう若い女教師も引っ付いて来た。しかしこいつが実に妙なやつで、やってきた途端舐めるような視線を僕に向けてきたかと思うと、遠慮なく言葉を放ってきた。
「アナタがエデルくん? 噂はかねがね聞いてるわ、カレルちゃんと並ぶほどの成績なんですってね。ご両親も鼻が高いでしょう」
「……」
 両親は5年前、隣国との戦争の煽りを受けて亡くなった。高名な研究者だった2人の悲報はそれなりに騒がれた筈だが、教師の中でまだ知らない者がいたとはな。もしや新任か?
「フォーリオ先生、エデルくんのご両親は……」
「……あ、ごめんなさい私ったら余計なことを。でも環境に流されずに頑張ってきたのね、偉いわ。アナタ、とってもいい男よ」
「……?」
 なんだ、口説かれてるのか? 美人に言われて悪い気はしないがこいつは状況をわかっているのだろうか。
「先生」
 諭すような口調でカレルが言うと、フォーリオとやらは笑って手を振り、きびすを返した。
「さ、早く薬をお飲みなさい。実技の先生には私から言っておくから、多少"ゆっくり"してても大丈夫だからね」
 そう言い捨てるとなぜか部屋を出ていった。監視とは何だったのか。呆気にとられていると、目の前に小瓶が差し出される。
「とにかく薬飲まないと。その魔法、喉が気持ち悪いでしょう?」
 小瓶を受け取りラベルを見る。なるほど、確かに解魔薬だ。しかし僕は立ち上がり、薬棚を調べ始めた。
「あ、ひどい。信用してないの?」
 その通りだよ。ここまでは我慢していたが、あの妙ちきりんな教師が目付係の役目を放棄した時点で確信した。これは意図的に作られた状況だ。それに乗ってやる道理はない。
 やがて同じラベルの小瓶を見つけ、迷わず手に取り飲み干した。喉の異物感が溶けて消える。
「……むう」
 唸るカレルをよそに喉の具合を確かめる。よし、治った。
「感謝する」
 認めるべきところを認められないのは愚か者だ。危険薬も取り扱うような魔法学園の医務室の鍵を借りるなど、カレルでなければ不可能だったろう。無論、彼女が原因なことも忘れてはいないが。
「……どういたしまして」
「詳しい事情は聞かない。それが感謝の証だ」
 恐らくは僕を嵌めようとしたのだろう。理由は……確かではないが、予測できないでもない。だから僕はなるたけ早く離脱すべしと考えていた。
 僕にはまだやるべきことがあるのだ。ここでややこしい事態に巻き込まれてはいけない。
「待って。感謝の証だったら、他に欲しいものがあるの」
「聞けないな。僕も暇じゃない」
 耳を傾けるな、これは悪魔の囁き。堕落の声。知識の申し子たるクラヴィッツ家には相応しくない。
 僕は一直線に扉を目指した。するといつの間にか彼女が進路上に割り込んでいる。こいつ、いつ立ち上がった?
「授業に戻るつもり? 焦らなくてもいいってフォーリオ先生も言ってたじゃない」
「知ったことか。一秒だってここにはいられない」
「それは私がいるから?」
「他に何がある」
「わ。ひどいなぁ」ケラケラと笑う彼女。
 今日だけで彼女への見方は大いに変わった。以前は目の上のたんこぶ、今は絶対に関わりたくないヤツ。その根幹は、僕が彼女に少なからぬ恐れを抱いているということだ。理解できないものは恐怖でしかない。
 だからもっと早く気づくべきだった。今の状況が、いかに差し迫ったものであったかを。
「そこをどくんだ」
「いやです。ここを通るには条件があります」
「何をバカな」
 一笑にふして通り抜けようとするが、彼女は巧みに動いて譲らない。繰り返す内に苛立ちが募る。
「おい! いい加減に、」
 詰め寄ると、彼女は僕の胸に手を当ててきた。男女の力の差は明らかに思われたが、予想外に力が強くて面食らう。
「条件、なんだと思う?」
「な、なんだ」
「キス」
「……は?」
「キスして。感謝のあかしに」
 彼女の突飛な提案に僕の思考は一瞬麻痺したが、すぐ我に返った。
「何をバカな。口づけは一生を誓い合った男女が交わすものだ。そんなみだりに交わすものじゃない!」
「あ、キスは神聖なものって考え? エデルくんは主神教徒だったっけ?」
「な、」
 再び言葉に詰まる。なんだその言い方は。それじゃあまるで、まるで――
 あの現場を見てしまった時に連想したものを思い出す。まさか本当に。
「カレル。君は魔物なのか!?」
「へ? 違うよ? 人間だよ私」
 人間だったら人間だったでかなり倒錯した嗜好の持ち主ということになるが、それはこの際置いておく。
 考えてみれば、僕はカレルの言葉の真偽を確かめる術などもってない。なら結論を急ぐのは愚かな行為だ。
「……魔に堕ちたわけじゃないのなら、どんな了見でそんなことが言える? 君の家は主神を信仰していたろう」
「ん〜、確かにお父様もお兄様たちも熱心な主神教徒だけど、私はそこまでじゃないよ? 振りでも見せておかないと、何かとうるさいじゃない」
「呆れるしかないな。学園きっての才女がこうもいい加減な女だったとは」
「あは。幻滅したならごめんね、でもエデルくんには正直でいようって決めちゃったんだ」
「……何故だ」
 いやな予感が頭をよぎる。怪訝な視線を向ける僕に、カレルは照れくさそうな表情を浮かべた。
「も〜鈍いなぁ。つまり、こういうこと!」
 カレルは懐へ手を忍ばせると、あの箱を取り出した。なんと言うことだろう、まさかまだ持ち歩いているとは。他のヤツに見咎められる危険を考えていないのか?
 僕が呆気にとられていると、彼女は中身を取り出し、あろうことか僕の口に押しつけてきた。自分がさんざ舐め回した、僕のオカリナを。
「んなぐっ!」
 驚きの声をあげようとした僕の口は不本意なことに、まるで示し合わせたみたいにオカリナをくわえてしまった。吹き口が埋まり、オカリナから音が漏れ出る。何という屈辱。生涯に渡りかねない屈辱を、よもや1日に2度も、しかも同じ相手から食らうとは。
「わかるかな、これ。私エキスとか入っちゃったりしてるわけなんだけど。もしかして見てたりしたり?」
「っ!」
「あはは、図星かぁ。恥ずかしいなあもう」
 頬を赤く染めながらも右手は楽器を手放さない。どころかぐりぐりひねって押しつけてくる。僕は腕を掴んで引き剥がそうとするが、彼女はニッコリ笑って動かない。馬鹿力め。それでも女か。
 堪らず僕は後退する。焦って妙な足取りになり、身体がのけぞった。瞬間、彼女が全体重を僕に乗せる。狙いすましたタイミング。果たして僕は倒れ込んだ。背後で待ちかまえていたベッドの上に。
「もぐぁ!?」
 バカな、こんな筈では!
 慌てて身をよじる、しかし一動作早く彼女が上に跳ね乗ってきた。彼女は僕の腰隣に両膝をつき、体を曲げて顔を寄せる。右手はオカリナ、左手は僕の肩だ。
「ふふ。いい位置♪」
「むぐぐぐッ!」
「これ誘ってるでしょ完璧に。いけないんだぁ♪」
「んんんっ!?」
 逆レイプ。その昔、あり余った性欲に任せてその手の本を読み漁った時代に目にした言葉を思い出す。陵辱されてしまうのか? 僕が? こんな女に?
 ――ふざけるな!
「ぐぅごおおおおおッ!!」
「わっわっわあ!」
 ありったけの力で抵抗する。そうだ、両手はまだ使える。僕ごとコイツを持ち上げてしまえば――、
「いい加減諦めなよ〜。『縛り上げて』!」
 彼女が呪文を唱えた。すると彼女の手首から淡く発光する紐がするすると伸びてきて、僕の左手首に絡みつきながら余った部分を右手首にも伸ばしてきた。寝転んだ体制では腕を逃がすことも叶わず、あっさり両手首に回ってしまう。途端、輪を象った紐は縮み出した。ゆっくり、力強く。
 僕は紐の収縮に逆らうが、同じ力を延々と加え続けられる筈もなく、息をついた隙に紐はどんどん短くなっていく。やがて腰の裏で、両手首をぴったり付けた状態で縛られた。
 くそ、口さえ使えればこんな紐吹き飛ばしてやるのに!
 身体を弓なりに反ったりして、なおも抵抗する僕を彼女は楽しげに見おろしている。
「ねえ、もう8割方詰んだと思うんだけど。諦めないの?」
 その選択肢をとることは絶対にない。最後の一瞬まで抵抗してやる。
「さ、最後の一瞬……」
 そこで頬を赤らめるな! 今更清純ぶったって遅いんだよ!
「あはは……いざやると思ったら緊張しちゃうね。魔物だったらスムーズにやれちゃうんだろうけどさ」
 その一言に僕はハッとした。そうだ、コイツは自分のことを人間だと言った。ならば、何故こうも破廉恥な状況に落とし込んだのかという疑問が沸いてくる。
「『なんでこんな事を?』って感じ?」
 考えを読まれた。気分のいいものじゃないが、この状況では抗議することも難しい。
「ん〜、そこは答えにくいなぁ。強いていうなら楽しそうだから、とか」
 少なくとも僕は楽しくないが、これはそういうことではなさそうだ。楽しそう、か。深い意味はないのだろう、ずいぶん享楽的だ。やはり痴女か。
「ち、痴女て。失礼しちゃうなぁ。私はもっとこう、良い感じの……知識欲的な?」
 人を押し倒して得る知識などない。っていうかさっきから口を動かしていないのに会話が成り立ってしまっているんだが、なんだこれは。読心術の達人でもあるまいし……。
 まさか魔法か?
「正解。テレキネスっていうらしいよ。先生に教わったんだ」
 見れば、彼女の空いた手が僕の頭にかざされている。
 テレキネス、一方通行の読心魔法。信じられない、それはずいぶん昔に教会によって淘汰された禁呪だ。文献だってろくに残ってないぞ。先生とやらはさっきお前についてきた教師のことか?
「そうそう。フォーリオ先生は魔物なんだ。魔力で擬態して潜入中ってわけ。驚いた?」
 さっきから驚き続きでその程度じゃ気にもならないさ。
 しかしなるほど、魔物なら禁呪を扱えても不思議じゃないが……これほどの魔法学校に、魔力で素性を誤魔化せるほどの使い手とは恐れ入った。それを知ってなお師事しているお前の気は知れないがな。
「だって面白かったんだもの。
 私はずっと、刺激が欲しかったんだ。勉強だけじゃ分からない、世界のいろんな事。先生は私にいろんな事を教えてくれたわ。魔王が作ろうとしてる世界、魔物と暮らしていく世界……とっても面白そうでしょう? 興味、湧かない?」
 ……理解できないな。僕には本と、今の日常で十分だ。
「ふふ♪ 誤魔化してもダメだよ、テレキネスでエデル君の気持ちは筒抜け。アナタはもっと知りたい筈だわ。本を読むだけじゃわからないこと、いっぱい」
 彼女の目が僕を写し込む。見透かされているのか、僕は。
「テレキネスを覚える前から分かってたけどね。アナタと私、少しずつ似てるんだ」
 勝手なことを言うな。
「ホントだよ」
 そう言ってはにかむ彼女に、僕はなにも言えなかった。口が塞がっているからとかじゃなくて、彼女がとても嬉しそうだったから。あまりに屈託のない笑顔に、僕は呆然と見入ってしまったのだ。
「さて。緊張もほぐれたところで、始めようか♪」
 彼女がパチンとウインクをかました時、我に返った。そして状況を思い出す。そういえば逆レイプの真っ最中だった。
「や、やだなぁ逆レイプだなんて。もっと優しくしたげるよ? だからエデル君も優しくしてくれると嬉しいな」
 優しいかとかの問題じゃない、双方が合意してないことが問題なんだ。っていうか、さっきの話じゃこの状況を持ってきた理由がまるで分からない。
「ん〜、説明するのは難しいよ。思春期の性欲とか先生の言う女の喜びとかエデルくんへの恋心とか魔物らしさへの興味とか、色々あるからさ♪」
 おい、説明できてるぞ。
「そんな単純じゃないってこと。気持ちはやっぱり……行動で示さなきゃね」
 カレルはおもむろに、先ほど僕に差し出してきた小瓶を開けると、ひと息で中身を口に含んだ。
 瞬間。彼女は僕の口からオカリナを取り去ると同時にもう片手で僕の頭をホールドした。
 瞬間。僕は1音節の詠唱で発動できる魔法を唱えようとした。
 勝負は一瞬。
 軍配はカレルにあがった。歯がぶつからんばかりの勢いで僕らの唇は合体し、僕は詠唱を遮られる。
「んむッ!?」
「んむぁっは♪」
 易々と唇を越え、カレルの舌が入ってくる。詠唱の為に口を開けていたことが裏目に出た。んじゅるんじゅると、流れ込む液体に任せて彼女の舌がうごめくものだから堪らない。しかも仰向けの体勢で液体をすんなり飲めるわけもなく、何度かせき込むのだけれど、彼女は意に介した風もなく口を離そうとしない。
 息苦しい。喉が熱い。吸い付くなちくしょう。まずいぞ、この液体は――、
「むっぷぅ♪」
 ちゅぽん、と音をならしてカレルが離れるが、その時僕の意識はぶどう酒を飲んだ時のように朦朧としていた。息苦しかったせいもあるが、それだけじゃない。全身が強烈な痺れに包まれて動かせない。飲まされた薬は、痺れ茸の成分がふんだんに盛り込まれていたのだ。やはりあの時飲まなくて正解だった……今飲まされては意味がないが。
「ふぇへへ。しひれるへほう? わはひほふへいはほ?」
 僕がせき込んだときに少量吸い込んだらしいカレルがこの調子なのだ。大半を飲まされた僕の身体の状態は言うまでもあるまい。
 言葉を上げることすら叶わない僕を満足そうに見下ろすと、彼女は胸元から錠薬らしきものを取り出し、かみ砕いた。解毒薬……用意のいいことだな。
「あーあー、うん。今のは痺れ茸のエキスが入ってたんだ。身体に害はないし、しばらくすれば治るから心配しないでね」
 心配でしかないよ。治ったときには僕の身体は汚されているかもしれんのだ。
「だーいじょうぶ。男の子の貞操なんて今時流行らないから♪ あ、そういえば童貞じゃなきゃイヤって魔物もいるらしいよ。世界って広いよね」
 知ったところでどうしろと言うのだ。
「さて。まずは脱ぎ脱ぎしましょうね〜」
 しゅるしゅると腰巻きの結び目をほどかれる。
 身じろぎすらままならず、唯一できる抵抗は「ああ」とか「うう」とか呻くことだけだ。痺れていても触覚が伝わってくるのは果たして幸運なのだろうか。
 等身大の着せかえ人形と化した僕は、やがて上半身は剥かれ、下半身は下穿きのみにされる。男としての尊厳はもはやない。だが、僕のプライドはまだ折れてはいなかった。ぎらつく視線を向けた先で、彼女はまじまじと、一張羅の僕を見つめている。
「……意外と鍛えてるんだね」
 頬を赤らめながら言われた。
「想像よりも逞しくってびっくり。……触るね?」
 おずおずと、彼女の小さな手が僕の胸板に触れる。ひんやりとした感触にぴくりと筋肉が反応し、おっかなびっくりの手の平がさわさわと表面をなぞった。
「硬い……これが男の子の……」
 何を感心しているのかと思ったが、そういえばカレルは一応、箱入り娘で通ってきたのだ。異性との接触など数えるほどしかなかったのだろう。
 だが、身内に兄がいるくせにこの初々しすぎる反応はなんなのだ。さっきはキスまでしてのけただろうに。
 こんな調子で本当に最後までいけるのか――と呆れたとき、ひらめきが駆け抜けた。
 稚拙な彼女の誘惑に負けず、合体できない状態を維持し続ければ、やがて誰かしらがここにやってくる。そうなれば彼女も手が出せまい。すなわち僕の勝ちだ!
 そうと決まれば素数を数えよう。冷静に、心を乱さずにいれば間違いは起きない。
 紳士たれ、エデル・クラヴィッツ!
「っとと、ごめん。夢中になっちゃった」
 誰に謝ってるのかわからないな。そのまま犬を愛でるように撫で続けていたって僕は一向に構わないぞ?
 余裕を取り戻しつつある僕をよそに、彼女はうんと頷いて宣言した。
「じゃあ、いよいよ本番だ!」
 そんな気合いを入れるもんじゃないだろ。
 再び呆れる僕を尻目に、ゆっくりと、彼女はベッドの上から床に降り立つ。
 そうしてひと度深呼吸すると、「よし!」と呟いて自分の服の裾に手をかけた。
 ばっと腕を持ち上げると、上着の陰から肌着が姿を現す。気合いを入れた為かその動きは迅速で、袖を抜き、くるりと丸めた上着を空いた椅子に放り投げた。国で有数の貴族の娘の振舞いとは思えない。いや、着替えのほとんどを使用人に任せているような貴族なら、珍しくもないかもな。
 腰の結び目を解き、やたらとボリューム感のるスカートを下せば、眩しいほど健康的な太腿が露わになる。靴下を脱ごうと片足を上げた彼女の姿がひどく扇情的で、知らず僕は唾を飲み込んでいた。
 そうして彼女は下着一枚になる。いや二枚か。
 素肌をほんのり赤く染め、羞恥に俯く彼女の様子に僕の目は釘付けだった。良家らしく仕立ては良くても色気のない下着だが、メリハリのついた身体が発する"いやらしさ"をほんの僅かに抑えるくらいの効果はあった筈だ。
 内側からしっかりと布地を押し上げている胸、上下に短く走った形のよいヘソ、腰骨から急勾配を描き出すほどのくっきりした尻、そして何より、わき腹から腰にかけてのくびれ。
 それら全てが合わさり構成する、挑発的な肢体が僕の理性をガリガリ削ってくる。異性への免疫が低いのは僕も同じだった。
「どう、かな。変じゃない?」
 おい、上目づかいは反則だぞッ?!
 カレルが初めて見せた、男に媚を売る仕草に、僕の中の何かが大いに揺さぶられた。例えるなら固く閉ざした城門を破られた気分。なんてことだ……自分にこんな弱点があっただなんて。
 起き上がる分身を止めることができない。同級生の刺激的な姿を前に、僕はなす術をもたなかった。
 全身が痺れている癖に、一か所に血が集まってゆくだなんてどういう理屈だ。性欲が肉体を凌駕したとでもいうのか。
「あっ……」
 カレルが小さく息を飲み、下半身に痛いほどの視線を感じた。――父さん、母さん。情けない息子でごめんなさい。
「……これなら、ダイジョブかな」
 彼女は胸元に手を突っ込み、一粒大の何かを取り出した。ハハッ、あんな使い方ができるなんて便利なものだ。
 指でつまんだその何かを、顔の近くに持ってくる。
 なんだこれは……黒い……種か? 朝顔の種よりもはるかに大きいが、こんな種は見たこともない。
「これはね、魔力の塊。先生が作ってくださったの」
 魔力の塊だって? どういうことだ。これからはなんの魔力も感じないぞ。
「手に持ったり出来るのはね、余すことなく体内で吸収されるように特別な処理を施してるからなの。錠薬みたいなものかな。魔力は感じないのは、そういう技術に長けた機関が開発したからだってさ。魔物ってすごいよね、私たちよりずっと先を行ってるんだ」
 生憎と、カレルの説明を最後まで聞く余裕はなかった。僕の認識は『体内で〜』の下りで止まっている。
 やばい、嫌な予感しかしない。
「その目はわかっちゃったって感じかな。そうです。今からエデルくんには、これを飲んでもらいます」
 どういうつもりだ……! なんだってこんな回りくどいことをッ!
「見た目ちっちゃいけど、これにはすごい魔力が籠もってるの。だからエデルくんは魔物……インキュバスになる。でもそれだけじゃ収まらない魔力がエデルくんを蝕んで、もう訳わかんなくなっちゃうくらいエッチしたくなるんだって。……私がこんな格好してたら、きっと襲っちゃうね♪」
 嬉しそうにほほ笑む彼女に、動揺に暴れまわっていた心臓が、別の意味でどきりと跳ねる。
 何故だ。
 無理矢理押し倒され、腕を縛られ、痺れ薬を飲まされ、あげくの果てには人外に変えられようとしているというのに……。
 なぜ僕は、彼女を憎からず思ってしまっているのだろう。
 以前感じていたような苛立ちや、今日浴びた屈辱に燃え立つ気持ちは、間違いなく僕の中にある。
 だが、それでも、彼女を全力で押しのけようとする気迫が湧いてこない。
 あまつさえ、このまま流されてしまっても良いだなんて思ってしまう始末だ。
 何てことだ、生娘の色香に惑わされた程度で情けない。
 僕はこの程度の男だったのか?
 自身の心情に絶望しつつある僕の正面で、カレルは焦点がぶれつつある目で虚空を見つめている。熱い吐息を零して肩を抱き、ぶるりと腰をくねらせた。
「ありったけエッチしたら、エデルくんはふと我に返るの……。取り返しのつかないことをしてしまった、って後悔しちゃうね。その後はどうすると思う? きっとエデルくんのことだもの、責任を取ろうとするに決まってる。なにせ、私の処女を奪ったんだから」
 ぬけぬけとよく言う。
 つまり彼女は、僕が彼女を汚したという結果を求めているのだ。
 婚姻前の貴族の娘の処女がどんな意味を持つかはいうまでもない。もし事実が発覚すれば、僕はもちろんのこと、彼女も只では済まないだろう。
 そうまでして彼女が求めているもの。おそらくそれは……、
「困ったら先生を頼るといいよ。きっと上手いこと逃がして下さるわ。まあ、エデルくんなら大丈夫だと思ってるけど♪」
 おどけるように笑い、ぎしりと、カレルはベッドに片膝を掛けた。手がのばされ、僕の頬を優しく包み込む。

「私をさらってね、王子様」

 ゆっくりと身体が倒され、互いの肌が重なり合った。
 触れる箇所から、驚くほどの熱が生まれていく。足から、股から、腰から、腹から、胸から、そして口から。
 僕の右胸に押しつぶされている乳房の奥から、彼女の鼓動がはっきりと感じられる。彼女の左胸には、僕の鼓動が届いているのだろうか。
 長い長いキス。吸い付くのでも舌を這わせるでもない、唇と唇を重ねるだけの口づけ。
 でも僕は、実に情けないことに、今までになく興奮していた。彼女も同様に興奮しているのが伝わってきて、快感への期待が累乗的に高まっていく。やがて唇は離れたが、寂しさよりも次のステップに進むことに喜びを覚えてしまう。
 ああ、もう、どうでもいい。
 何も言わない彼女はとろけた顔でふにゃりと微笑むと、僕の口元に例の種を押し込んだ。
 痺れた口は何の抵抗もなくそれを含む。異物の侵入に喉は痙攣を起こして吐き出そうとするのだが、勢いが足りず、むしろ徐々に奥へ奥へと導いてしまう。
 熱いものを飲み込んだときのように僕の感覚は種の位置を捉えていた。
 やがて奥に至る。
 消化が始まる。

 そうして僕の、人間としての生は終わりを告げた。
14/07/07 23:00更新 / カイワレ大根
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■作者メッセージ
次から濡れ場。がんばります

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