籠の鳥
「はぁ〜……」
とある反魔領の町のとある家の二階にて。
死んだ瞳で、窓から空を見つめている少女が一人。彼女の顔や腕など、全身のいたるところに、小さな青痣がいくつも散見された。
「鳥はいいなぁ……。空を自由に飛べる。それに比べてわたしは……」
彼女の言うとおり、空には飛ぶ鳥の影が舞っていた。窓を開けて指を差し出すと、その群れの中の一羽が、彼女の指に止まる。
「わたしは籠の鳥。あなた達とは違って、大空には羽ばたけないの……」
寂しそうな瞳を向けて、鳥に語りかける彼女。その口調もどこか冴えず、声も通らない。
「ごめんね、湿っぽい話をして……。さ、お食べ」
ポケットから一切れのパンを取り出し、それを千切って与える。鳥がそれを美味しそうに食べるのを見て、彼女の顔が安らいだ。
と、彼女が鳥と遊んでいると、突然扉を乱暴に叩く音が聞こえた。
「シエル、シエル!」
「はっ!」
怒号のような声で呼ぶ女声。それに驚き、鳥は飛び去ってしまった。シエルは部屋の隅で頭を抱えてかがみ、身体を縮ませて振るえる。
彼女の恐怖に追い打ちをかけるかのように、しびれを切らした女によってドアは蹴破られた。
「買い物に行ってきな! 寄り道するんじゃないよ!」
彼女は震えながら、女を見つめている。
「聞こえないのかい? ほら、とっとと行きな! あたしだってね、あんたを好きで引き取ったわけじゃないんだよ!」
有無を言わさずシエルは部屋から、そして家からも引きずり出された。そのあとで、乱暴に財布と鞄を投げつけられ、閉め出されることとなった。
命じられた買い物に行くため、市場へと向かうシエル。その近くの路地で、少女達の噂話が聞こえてきた。
「ねえねえ、知ってる? たまに緑の箱が出てくるんだって」
「へえ、そうなの?」
「そこに願いを書いて入れたら、願いが叶うんだって」
まるで花の蜜に吸い寄せられる蝶がごとく、少女たちの話を聴こうとシエルは近づく。買い物を持ったまま。
「でも、その願いが叶った女の子は、例外なく町から姿を消してるんだって」
「えーっ!? うそー!?」
他愛もない噂話で盛り上がる少女たちは、一通り話してから別れ、それぞれの家へ向かって歩き出す。噂話を聴くことに夢中になっていたシエルは、この時になってようやく日が落ちかけていることに気が付いた。
――いけない、買い物の途中だった!
少しでも遅れて帰ってきたら、継母に怒られる。彼女は用を済ませるべく、市場へと急いだ。
幾度も買い物に行かされている彼女は、いつも使っている抜け道である路地へ入ろうとする。その路地は子ども一人が通れるくらいの狭さで、大人が入れないため安全な場所でもある。
と、路地に入ろうとした瞬間、彼女はあるものを見つけた。
「これは……」
緑の箱。先程の少女達の噂話に上っていたそれと思しきものが、彼女の目前にあった。しかもご丁寧に、薄い緑の紙と、黒いペンまで添えられて。
――すぐ終わるし、本当かどうか試してみるか。
彼女は何かに導かれるかのように緑の箱に歩み寄る。そして紙を一枚千切り、願いを書く。そのペン使いにはためらいがなく、願いをあっという間に書き終えた。そして、紙を箱に投げ入れ、彼女は買い物へと戻ったのであった。
買い物を終えた彼女が帰宅するころには、日が西に傾いていた。彼女は恐る恐る、家の扉を開ける。
「ただいま……」
帰りが遅いことを不審に思った継母は、怒気を含んだ口調でシエルに問いかけた。
「シエル。どこかで寄り道していたんじゃないだろうね?」
「いや、別に……」
彼女は半身を隠したまま、はぐらかして答える。
「まあいいか。今度こんなことがあったら、ただじゃおかないよ!」
継母はこれ以上問い詰めず、シエルから買い物袋をひったくって台所へと姿を消した。その場をうまくやり過ごしたシエルは、ほっと胸をなでおろす。
その日の夜。
シエルの傷や痣は増えていた。食べるのが遅いだの、もっと食べたいと言っただので、食事の後に殴られ続けた結果である。痛みのせいか、寝つけない。継母が起きるかもしれないので、うめき声の一つも我慢しなくてはならない状況だった。
「よ〜んだ?」
ベッドで横になっているシエルの上から、不意にテンションの高い声が聞こえた。彼女は覚えず、ベッドから飛び起きてしまう。
「静かにして。おばさんにばれちゃう」
声の主は、ぺろっと舌を出して、シエルに詫びた。顔を隠しているものの身長は低いことから、少女であることがうかがえる。時折、目深にかぶったフードから、緑の髪や緑の瞳が覗く。
「ごめんね。これ、あげりゅ」
少女が手渡したのは、黒い羽根をあしらった羽飾り。羽は妖しい光沢を放っており、美しささえ感じさせるものであった。
シエルは魅入ってしまう。
「あなたがほんとにねがいをかなえたいとおもうなら、それをつければいいにょ。これをつけたら、あなたはとりしゃんみたいにしょらをとべるにょ」
シエルの表情が少し明るくなったところで、フードの少女は先程までの軽い雰囲気から一変、今度は神妙な面持ちになって語り始めた。
「だけど……これをつけたらさいご、あなたはたいじなものをなくすことになるわ。そのいみは、わかるわね?」
突如変わった少女の雰囲気。フードから覗く瞳も、突然蛇のそれのように細くなる。気圧されたシエルはただ、頷くしかなかった。
「つかうかどうかはあなたしだい。じゃあね〜、みゅふ♪」
「あっ、ちょっと……!」
シエルは再び軽い雰囲気をまとったフードの少女を引き留めようとするが、部屋中が突如眩い光に包まれる。その光が消えてシエルが視界を取り戻したころには、少女は忽然と姿を消していた。
「……夢、なの?」
しかし、先ほどシエルが遭遇した出来事が夢でないことが、あるものによって証明された。
「あ……」
手元にあったのは羽飾り。確かに、件の少女から渡されたものと同じものである。彼女はそれをじっと見つめた後、机の引き出しにしまった。継母に見つからぬように。
羽飾りを手に入れてから数日が経つも、彼女の生活はより苦しくなっていた。
家はおろか、部屋からも出ることは許されず、窓からただ空をぼーっと見る生活が続いていた。食事もまともに与えられず、彼女は日に日にやせ細っていき、頬もこけて胴にもあばらが浮き彫りになっていた。
シエルは時折、羽飾りをじっと見つめる。これをつけたら、彼女は鳥のように大空へと舞い上がることができるであろう。しかし、どうしても踏み切れない理由が、彼女にはあった。
――だいじなものをなくすことになる。
羽飾りをつけようとするたび、あの少女の言葉が、何度も頭を揺らす。
彼女が思案していると、怒号が聞こえた。
「シエル! シエル!!」
「ひっ!」
「聞こえないのかい、シエル!」
突如、扉の向こうから刃物が生えてきた。
「全く、呼んでるのになんで開けないのさ!」
そこには、刃物を持った継母の姿が。彼女は刃物に恐れをなし、物を言えなくなった。
「シエル! おまえ、昨日誰と話していたんだい?」
継母の問いかけに、シエルは首を振り、両手で羽飾りを覆い隠す。
「一体何を持ってるんだい。あたしによこしな!」
両手で何かを隠していることが継母の気に障り、継母に迫られる。羽飾りを脅し取ろうとしたことを察したシエルは、何もないと言わんばかりに首を振る。
「何だい、あたしに逆らうとでも言うのかい! だったら、あんたの両親と同じ所へ行かせてあげるよ!」
継母はとんでもないことを口走りながら刃物を振りかざし、シエルに斬りかかる。
――この人が、父さんと母さんを! そしてわたしも殺そうとしてるんだ! 死にたくない!
その凶刃が彼女に向かって振り下ろされる寸前、覚悟を決めたシエルは髪飾りをつけた。すると眩い光を放ち、彼女の体がみるみる変化していく。
「何だ? 何が起こっているんだい!?」
眩い光の中で、シエルは感じていた。自らの体に走る電流、満ちる魔力を。そして、身体、特に四肢の変化を。
光が消えたころには、弱弱しかったシエルの姿はなく、彼女の面影を残した漆黒の鳥娘が一人。その肢体は起伏が少ないながらも、艶めかしさを感じさせるものに変化していた。肉付きの悪さなどはどこにもなく、腕はたくましく美しい翼を得て、膝から下は鳥と同じ鉤爪となった。
「はははは……とうとう姿を現したか、化け物! お前を突き出せば、教団から報酬がたんまりもらえるんだよ! 飛んで火に入るなんとやらってやつさ!」
目の色を変え、シエルに再び斬りかかる継母。シエルは恐れることなく翼をはためかせ、窓に向かって飛ぶ。あたかも、最初から飛び方を知っていたかのように。振り下ろされた刃物はすんでのところでシエルに届かず、空を斬る。シエルは全く意に介さず、そのまま窓を抜けた。
「ふ、ふふふふ。ふははははは! お前はこの街では生きていけない! せいぜい野垂れ死にな、悪魔の子め!」
継母の高笑いをよそに、シエルは窓を抜け、そのまま遠くへと飛び去って行った。街の人々から向けられる視線、聴こえてくるどよめきや怒号も意に介さず、彼女はひたすら翼をはためかせ、どこを目指すでもなく飛んでいく。まっすぐ、ただまっすぐ。
――飛んでる! わたし、空を飛んでるんだ! ああ、空を飛ぶってなんて気持ちいいんだろう!
飛んでいる彼女の表情は、家の中に縛られていた時と違い、晴れやかであった。まるで、彼女が憧れていた雲一つない青空、彼女の名と同じ青空のように。風も彼女の心を後押しするかのように吹き込み、心の中の澱みをすべて吹き飛ばしてしまった。
町を抜けてしがらみを完全に断ち切ったことにより、心身ともに軽くなった彼女は、しばらく空を飛ぶ自由を享受した後、はるか離れた山中の洞穴に降り立ち、一時羽を休める。
「うぅ……」
平穏も束の間、形容できない疼きが突然彼女に襲い掛かった。しばらく休むも、足の爪で強く枝を握りしめ、彼女はズボンごと下穿きをずらして、恐る恐る翼の爪を秘所に添わせた。
「あっ……ひゃわん!」
秘所に触れた途端、鋭い嬌声を上げ、身体は大きく跳ねる。そのせいで身体が前に傾くが、素早く翼をはためかせたことにより、転倒を免れた。
しかし、いじくるごとに徐々に体が快楽に慣れ、秘所もこなれていき、最終的には全身でもって快楽を享受できるまでに至った。現在、彼女の秘所は止めどなく涎を垂らし、挿入の瞬間を今か今かと待ち受けるかのように口を開閉させている。
そして、彼女が指を入れたその瞬間――
「あっ、ひぃぃぃっ!」
絶頂に達した彼女は、体を大きく反り、秘所から滝のような愛液を滴らせた。身体の疼きは消え、今にも、はるか上空に舞い上がりそうなほど、彼女はこれ以上ない解放感に浸っていた。その表情はまさに快楽を貪る娼婦。愛液と同時に、甘美な匂いが股間から溢れる。しばらくして快楽の滝が止まると、濡れそぼった手を恐る恐る舐めてみた。これまでの人生で感じたことのない甘さが舌根まで抜け、身体が熱っていく。
甘い匂いと味、そして熱に浮かされ、彼女は更なる快楽を求める。彼女の命の泉から甘い蜜をもっと溢れさせ、吸わんと、指の動きを加速させた。
「なんだよ、騒がしいな……。それに匂うし……」
痴態をさらしていると、洞穴の向こうから抗議の声が聞こえてきた。彼女は我に返り、ずらしていた服を慌ててもとに戻す。
抗議してきたのは、腹が膨らんだブラックハーピー。鋭い眼光で睨みつけてきたが、それはすぐに柔和な眼差しに変わった。
「おっ、なんだ仲間か。それにしても見ない顔だな……」
「仲間?」
「見てみなよ、あたしとあんたの両翼を」
ブラックハーピーに言われるがまま、彼女は両腕、もとい両翼を見比べる。そこでようやく、自らが得た翼が漆黒であることに気が付いた。話している相手も同じく、漆黒の翼をもっている。
「あたし達、仲間意識が強いからね」
「そうなの……?」
「ああ。この山には、あたし達ブラックハーピーがいっぱい住んでるんだよ。それでね……」
ブラックハーピーは、自らが持っているあらゆる知識を、シエルに授けた。住んでいるこの山のこと、ブラックハーピーという種族のことといった一般的な知識から、彼女がもうすぐ母親になるといった自らに近しいことまで――
シエルはそのすべてを、興味深げに聞いていた。名も知らぬブラックハーピーの話を。
「おっと、話しすぎたね。あたしはレン。あんた、名前は?」
「シエル……」
「シエル……いい名前じゃないか。親はどこにいるんだい?」
軽く自己紹介をした後、何気なく会話するブラックハーピーのレンだが、シエルはおぞましいものを聞いた表情をし、目に涙をためる。
「親……いないの」
「そっか……」
シエルの答えを聞いたレンは、悔恨の色を見せるとともに感づいた。この娘は、親の愛情を知らずに育ってきたのだと。
しばらく思案した後、ある提案をした。
「そうだなぁ……あたし達があんたの面倒見るよ!」
シエルは不安げな表情をして、首を傾げた。継母の一件があるため、素直に喜べない。
「ん? どうしたんだい?」
「叩かない……? 捨てようとしない……?」
「ああ、殴らないし、捨てないさね。あんたは仲間だから」
継母に与えられ続けた恐怖を思い出して怯えるシエル。それに対して快く、優しく、親として迎え入れようとするレン。
「よろしく……お願いします」
レンの温情が伝わり、シエルはレンのもとに身を寄せることにした。レンの方も、シエルを抱きしめて答える。
この時をもって、彼女はブラックハーピーの集落、家族の一員となった。彼女は初めて、親がいる温もりを知ることになったのだが、これはしばらく先の話である。
とある反魔領の町のとある家の二階にて。
死んだ瞳で、窓から空を見つめている少女が一人。彼女の顔や腕など、全身のいたるところに、小さな青痣がいくつも散見された。
「鳥はいいなぁ……。空を自由に飛べる。それに比べてわたしは……」
彼女の言うとおり、空には飛ぶ鳥の影が舞っていた。窓を開けて指を差し出すと、その群れの中の一羽が、彼女の指に止まる。
「わたしは籠の鳥。あなた達とは違って、大空には羽ばたけないの……」
寂しそうな瞳を向けて、鳥に語りかける彼女。その口調もどこか冴えず、声も通らない。
「ごめんね、湿っぽい話をして……。さ、お食べ」
ポケットから一切れのパンを取り出し、それを千切って与える。鳥がそれを美味しそうに食べるのを見て、彼女の顔が安らいだ。
と、彼女が鳥と遊んでいると、突然扉を乱暴に叩く音が聞こえた。
「シエル、シエル!」
「はっ!」
怒号のような声で呼ぶ女声。それに驚き、鳥は飛び去ってしまった。シエルは部屋の隅で頭を抱えてかがみ、身体を縮ませて振るえる。
彼女の恐怖に追い打ちをかけるかのように、しびれを切らした女によってドアは蹴破られた。
「買い物に行ってきな! 寄り道するんじゃないよ!」
彼女は震えながら、女を見つめている。
「聞こえないのかい? ほら、とっとと行きな! あたしだってね、あんたを好きで引き取ったわけじゃないんだよ!」
有無を言わさずシエルは部屋から、そして家からも引きずり出された。そのあとで、乱暴に財布と鞄を投げつけられ、閉め出されることとなった。
命じられた買い物に行くため、市場へと向かうシエル。その近くの路地で、少女達の噂話が聞こえてきた。
「ねえねえ、知ってる? たまに緑の箱が出てくるんだって」
「へえ、そうなの?」
「そこに願いを書いて入れたら、願いが叶うんだって」
まるで花の蜜に吸い寄せられる蝶がごとく、少女たちの話を聴こうとシエルは近づく。買い物を持ったまま。
「でも、その願いが叶った女の子は、例外なく町から姿を消してるんだって」
「えーっ!? うそー!?」
他愛もない噂話で盛り上がる少女たちは、一通り話してから別れ、それぞれの家へ向かって歩き出す。噂話を聴くことに夢中になっていたシエルは、この時になってようやく日が落ちかけていることに気が付いた。
――いけない、買い物の途中だった!
少しでも遅れて帰ってきたら、継母に怒られる。彼女は用を済ませるべく、市場へと急いだ。
幾度も買い物に行かされている彼女は、いつも使っている抜け道である路地へ入ろうとする。その路地は子ども一人が通れるくらいの狭さで、大人が入れないため安全な場所でもある。
と、路地に入ろうとした瞬間、彼女はあるものを見つけた。
「これは……」
緑の箱。先程の少女達の噂話に上っていたそれと思しきものが、彼女の目前にあった。しかもご丁寧に、薄い緑の紙と、黒いペンまで添えられて。
――すぐ終わるし、本当かどうか試してみるか。
彼女は何かに導かれるかのように緑の箱に歩み寄る。そして紙を一枚千切り、願いを書く。そのペン使いにはためらいがなく、願いをあっという間に書き終えた。そして、紙を箱に投げ入れ、彼女は買い物へと戻ったのであった。
買い物を終えた彼女が帰宅するころには、日が西に傾いていた。彼女は恐る恐る、家の扉を開ける。
「ただいま……」
帰りが遅いことを不審に思った継母は、怒気を含んだ口調でシエルに問いかけた。
「シエル。どこかで寄り道していたんじゃないだろうね?」
「いや、別に……」
彼女は半身を隠したまま、はぐらかして答える。
「まあいいか。今度こんなことがあったら、ただじゃおかないよ!」
継母はこれ以上問い詰めず、シエルから買い物袋をひったくって台所へと姿を消した。その場をうまくやり過ごしたシエルは、ほっと胸をなでおろす。
その日の夜。
シエルの傷や痣は増えていた。食べるのが遅いだの、もっと食べたいと言っただので、食事の後に殴られ続けた結果である。痛みのせいか、寝つけない。継母が起きるかもしれないので、うめき声の一つも我慢しなくてはならない状況だった。
「よ〜んだ?」
ベッドで横になっているシエルの上から、不意にテンションの高い声が聞こえた。彼女は覚えず、ベッドから飛び起きてしまう。
「静かにして。おばさんにばれちゃう」
声の主は、ぺろっと舌を出して、シエルに詫びた。顔を隠しているものの身長は低いことから、少女であることがうかがえる。時折、目深にかぶったフードから、緑の髪や緑の瞳が覗く。
「ごめんね。これ、あげりゅ」
少女が手渡したのは、黒い羽根をあしらった羽飾り。羽は妖しい光沢を放っており、美しささえ感じさせるものであった。
シエルは魅入ってしまう。
「あなたがほんとにねがいをかなえたいとおもうなら、それをつければいいにょ。これをつけたら、あなたはとりしゃんみたいにしょらをとべるにょ」
シエルの表情が少し明るくなったところで、フードの少女は先程までの軽い雰囲気から一変、今度は神妙な面持ちになって語り始めた。
「だけど……これをつけたらさいご、あなたはたいじなものをなくすことになるわ。そのいみは、わかるわね?」
突如変わった少女の雰囲気。フードから覗く瞳も、突然蛇のそれのように細くなる。気圧されたシエルはただ、頷くしかなかった。
「つかうかどうかはあなたしだい。じゃあね〜、みゅふ♪」
「あっ、ちょっと……!」
シエルは再び軽い雰囲気をまとったフードの少女を引き留めようとするが、部屋中が突如眩い光に包まれる。その光が消えてシエルが視界を取り戻したころには、少女は忽然と姿を消していた。
「……夢、なの?」
しかし、先ほどシエルが遭遇した出来事が夢でないことが、あるものによって証明された。
「あ……」
手元にあったのは羽飾り。確かに、件の少女から渡されたものと同じものである。彼女はそれをじっと見つめた後、机の引き出しにしまった。継母に見つからぬように。
羽飾りを手に入れてから数日が経つも、彼女の生活はより苦しくなっていた。
家はおろか、部屋からも出ることは許されず、窓からただ空をぼーっと見る生活が続いていた。食事もまともに与えられず、彼女は日に日にやせ細っていき、頬もこけて胴にもあばらが浮き彫りになっていた。
シエルは時折、羽飾りをじっと見つめる。これをつけたら、彼女は鳥のように大空へと舞い上がることができるであろう。しかし、どうしても踏み切れない理由が、彼女にはあった。
――だいじなものをなくすことになる。
羽飾りをつけようとするたび、あの少女の言葉が、何度も頭を揺らす。
彼女が思案していると、怒号が聞こえた。
「シエル! シエル!!」
「ひっ!」
「聞こえないのかい、シエル!」
突如、扉の向こうから刃物が生えてきた。
「全く、呼んでるのになんで開けないのさ!」
そこには、刃物を持った継母の姿が。彼女は刃物に恐れをなし、物を言えなくなった。
「シエル! おまえ、昨日誰と話していたんだい?」
継母の問いかけに、シエルは首を振り、両手で羽飾りを覆い隠す。
「一体何を持ってるんだい。あたしによこしな!」
両手で何かを隠していることが継母の気に障り、継母に迫られる。羽飾りを脅し取ろうとしたことを察したシエルは、何もないと言わんばかりに首を振る。
「何だい、あたしに逆らうとでも言うのかい! だったら、あんたの両親と同じ所へ行かせてあげるよ!」
継母はとんでもないことを口走りながら刃物を振りかざし、シエルに斬りかかる。
――この人が、父さんと母さんを! そしてわたしも殺そうとしてるんだ! 死にたくない!
その凶刃が彼女に向かって振り下ろされる寸前、覚悟を決めたシエルは髪飾りをつけた。すると眩い光を放ち、彼女の体がみるみる変化していく。
「何だ? 何が起こっているんだい!?」
眩い光の中で、シエルは感じていた。自らの体に走る電流、満ちる魔力を。そして、身体、特に四肢の変化を。
光が消えたころには、弱弱しかったシエルの姿はなく、彼女の面影を残した漆黒の鳥娘が一人。その肢体は起伏が少ないながらも、艶めかしさを感じさせるものに変化していた。肉付きの悪さなどはどこにもなく、腕はたくましく美しい翼を得て、膝から下は鳥と同じ鉤爪となった。
「はははは……とうとう姿を現したか、化け物! お前を突き出せば、教団から報酬がたんまりもらえるんだよ! 飛んで火に入るなんとやらってやつさ!」
目の色を変え、シエルに再び斬りかかる継母。シエルは恐れることなく翼をはためかせ、窓に向かって飛ぶ。あたかも、最初から飛び方を知っていたかのように。振り下ろされた刃物はすんでのところでシエルに届かず、空を斬る。シエルは全く意に介さず、そのまま窓を抜けた。
「ふ、ふふふふ。ふははははは! お前はこの街では生きていけない! せいぜい野垂れ死にな、悪魔の子め!」
継母の高笑いをよそに、シエルは窓を抜け、そのまま遠くへと飛び去って行った。街の人々から向けられる視線、聴こえてくるどよめきや怒号も意に介さず、彼女はひたすら翼をはためかせ、どこを目指すでもなく飛んでいく。まっすぐ、ただまっすぐ。
――飛んでる! わたし、空を飛んでるんだ! ああ、空を飛ぶってなんて気持ちいいんだろう!
飛んでいる彼女の表情は、家の中に縛られていた時と違い、晴れやかであった。まるで、彼女が憧れていた雲一つない青空、彼女の名と同じ青空のように。風も彼女の心を後押しするかのように吹き込み、心の中の澱みをすべて吹き飛ばしてしまった。
町を抜けてしがらみを完全に断ち切ったことにより、心身ともに軽くなった彼女は、しばらく空を飛ぶ自由を享受した後、はるか離れた山中の洞穴に降り立ち、一時羽を休める。
「うぅ……」
平穏も束の間、形容できない疼きが突然彼女に襲い掛かった。しばらく休むも、足の爪で強く枝を握りしめ、彼女はズボンごと下穿きをずらして、恐る恐る翼の爪を秘所に添わせた。
「あっ……ひゃわん!」
秘所に触れた途端、鋭い嬌声を上げ、身体は大きく跳ねる。そのせいで身体が前に傾くが、素早く翼をはためかせたことにより、転倒を免れた。
しかし、いじくるごとに徐々に体が快楽に慣れ、秘所もこなれていき、最終的には全身でもって快楽を享受できるまでに至った。現在、彼女の秘所は止めどなく涎を垂らし、挿入の瞬間を今か今かと待ち受けるかのように口を開閉させている。
そして、彼女が指を入れたその瞬間――
「あっ、ひぃぃぃっ!」
絶頂に達した彼女は、体を大きく反り、秘所から滝のような愛液を滴らせた。身体の疼きは消え、今にも、はるか上空に舞い上がりそうなほど、彼女はこれ以上ない解放感に浸っていた。その表情はまさに快楽を貪る娼婦。愛液と同時に、甘美な匂いが股間から溢れる。しばらくして快楽の滝が止まると、濡れそぼった手を恐る恐る舐めてみた。これまでの人生で感じたことのない甘さが舌根まで抜け、身体が熱っていく。
甘い匂いと味、そして熱に浮かされ、彼女は更なる快楽を求める。彼女の命の泉から甘い蜜をもっと溢れさせ、吸わんと、指の動きを加速させた。
「なんだよ、騒がしいな……。それに匂うし……」
痴態をさらしていると、洞穴の向こうから抗議の声が聞こえてきた。彼女は我に返り、ずらしていた服を慌ててもとに戻す。
抗議してきたのは、腹が膨らんだブラックハーピー。鋭い眼光で睨みつけてきたが、それはすぐに柔和な眼差しに変わった。
「おっ、なんだ仲間か。それにしても見ない顔だな……」
「仲間?」
「見てみなよ、あたしとあんたの両翼を」
ブラックハーピーに言われるがまま、彼女は両腕、もとい両翼を見比べる。そこでようやく、自らが得た翼が漆黒であることに気が付いた。話している相手も同じく、漆黒の翼をもっている。
「あたし達、仲間意識が強いからね」
「そうなの……?」
「ああ。この山には、あたし達ブラックハーピーがいっぱい住んでるんだよ。それでね……」
ブラックハーピーは、自らが持っているあらゆる知識を、シエルに授けた。住んでいるこの山のこと、ブラックハーピーという種族のことといった一般的な知識から、彼女がもうすぐ母親になるといった自らに近しいことまで――
シエルはそのすべてを、興味深げに聞いていた。名も知らぬブラックハーピーの話を。
「おっと、話しすぎたね。あたしはレン。あんた、名前は?」
「シエル……」
「シエル……いい名前じゃないか。親はどこにいるんだい?」
軽く自己紹介をした後、何気なく会話するブラックハーピーのレンだが、シエルはおぞましいものを聞いた表情をし、目に涙をためる。
「親……いないの」
「そっか……」
シエルの答えを聞いたレンは、悔恨の色を見せるとともに感づいた。この娘は、親の愛情を知らずに育ってきたのだと。
しばらく思案した後、ある提案をした。
「そうだなぁ……あたし達があんたの面倒見るよ!」
シエルは不安げな表情をして、首を傾げた。継母の一件があるため、素直に喜べない。
「ん? どうしたんだい?」
「叩かない……? 捨てようとしない……?」
「ああ、殴らないし、捨てないさね。あんたは仲間だから」
継母に与えられ続けた恐怖を思い出して怯えるシエル。それに対して快く、優しく、親として迎え入れようとするレン。
「よろしく……お願いします」
レンの温情が伝わり、シエルはレンのもとに身を寄せることにした。レンの方も、シエルを抱きしめて答える。
この時をもって、彼女はブラックハーピーの集落、家族の一員となった。彼女は初めて、親がいる温もりを知ることになったのだが、これはしばらく先の話である。
12/05/08 22:56更新 / 緑の