ばっきんちょきん
俺と妹の間には罰金貯金というものが存在している。
この罰金貯金、例えば靴下を脱ぎっぱなしにしていたとか、漫画を巻数順に戻さなかったとか、ごくごく些細なことを違反行為と規定して。
違反者は共有の貯金箱に一回五百円を入れなければならないという、せせこましくも恐ろしいルールである。
始めたのはもう結構前。まだまだバイトもできない年齢の時は、貴重な小遣いを持っていかれてはたまらない(貯金はたまるのだが)と気を使っていたのだが。
財力にいくらか余裕ができるようになったら心に隙が生まれてしまったのか、あれよあれよと俺の稼いだ五百円玉たちは貯金箱に吸い取られていき。
そしてどうやら、今日という日にも貴重な五百円玉たちは。
「むふふー……なぁなぁ、お兄ちゃん♪」
俺の手から儚くも旅立ってしまうらしい。
「……何をニヤニヤしてやがる」
布団の上でくつろいでいた俺の前にやって来たのは、刑部狸の妹。
いかにも狸といった丸尻尾をパタパタクルクルと回し、何かを両手に持って背中に隠しているその様子は見るからに機嫌が良い。
そして大概、コイツの機嫌の良いのは俺にとって悪いことの方が多く、警戒の意味を込めてヤツを睨みつけてやるのだが。
「もぉ、そないなこと聞かへんでも分かるやんなー♪ はい、罰金ごひゃくえーん♪」
そう言ってヤツはこちらの目の前に、カエルの貯金箱――通称『パポ吉』を差し出した。
「おい待て、今日は洗濯物も畳んでるし部屋のゴミだって捨ててあるだろ」
反論をする俺の目の前で、しかし、ヤツの丸尻尾はまるで指を振るようにピコピコピコ。
ついでにそのリズムに合わせて、ご丁寧にチッチッチとヤツは舌を鳴らしており。
ついでに可愛らしくて憎たらしい笑顔から、フフンと鼻を鳴らしてから。
「テレビのリモコン片付けへんかったやろ? ウチ、結構探したんやでー?」
「ぐっ……わ、忘れてた……」
自分の手抜かりを突き付けられて、俺はぐぅの音を情けなくも漏らす。
そう言えばリモコン、ソファーの方に放ったままだったけ……なんて頭の片隅で小さく後悔しつつ、自分の財布をゴソゴソと漁り。
都合良く存在していた五百円玉をパポ吉の中へと投入した。
「ほら、五百円」
「むふふ、まいどありー♪」
チャリン、と小気味のいい音を立てて消えていく五百円玉。
くそぅ、その五百円玉があれば贅沢にコンビニのビッグモンブランが買えたのに……。
「……何をまだニヤニヤしてやがる」
歯ぎしりをしている俺の傍から退かない妹。
嫌な予感しかしないと思ったところ、俺のシックスセンスは正しくお仕事をされているようで。
「もぉ、お兄ちゃんったら鈍ちんやなぁ。はい、またまた罰金ごひゃくえーん♪」
パポ吉が再び俺の目の前に差し出された。
「待て待てさっきお前五百円を徴収したばっかりじゃないか」
「お菓子の補充せえへんかったやろー? ウチが買って来て籠に入れておいたんやで?」
「うぐぐっ……」
またもや手抜かりを指摘されてしまっては言い訳の余地は無い。我らが兄妹の間でお菓子の補充忘れは立派なルール違反なのだ。
泣く泣く俺は財布に隠れていた五百円玉をもう一枚摘み上げ、パポ吉の背中に押し込める。
「くそっ、もってけドロボーダヌキ!」
「むふふー、まいどありー♪ お兄ちゃんったらホンマに太っ腹やなぁ♪」
合計千円が一瞬で消えた。これだけあればコンビニでホットスナックにジュースと漫画雑誌一冊ぐらいは買えて、それは至福の時を過ごせたことだろう。
後悔って後に悔やむって書くんだよな、とちょっと涙目になって財布をしまう俺に、だけども一向に部屋から立ち退く気配がないヤツの姿。どうしよ、FXで有り金溶かした人の顔みたいになりそう。
「……ねえ、まだ何かあるの? もう許してくれない?」
「お菓子代、半分こ」
「………………………………」
むべなるかな、俺は黙って財布を開いた。
「いくら?」
「んーっと、税込627円で……313.5円やね」
「じゃあ315円。お釣りはお駄賃代わりのサービスだ」
「えー? お駄賃言うんなら千円札ぐらい出してーやー」
「お前それはないだろここまでのやり取りで1時間のバイト代が軽く飛んだぞ泣くぞお兄ちゃん泣いちゃうぞ」
「泣くぐらいなんやったら少しはだぁらしない所を直せばええのに」
「うるちゃいやい」
ぐぅの音も出ない正論を言われて、子供染みたことしか言えない俺。
そんな情けない兄のことをクスクス笑いながら、ヤツは千円分の体重を増したパポ吉を頭上に掲げてから、嬉しそうに頬ずりを繰り返していた。
「むふふー♪ パポ吉ぃ、随分と重とーなったなー♪」
「おのれ、懐を痛めてパポ吉を迎えたのも俺ならパポ吉をそこまで育てたのも俺だぞ」
「そんなんパポ吉のパッパならポンと養育費は出してくれんとー」
「まったく、調子の良い……」
倹約家なために、養育費を支出することなく専業主婦としてパポ吉を育てているヤツをため息交じりに見ていると。
ヤツは嬉しそうな表情から、次第に夢見る女の子のように、うっすらと頬を赤くして。
パポ吉のことを、それから、その先の遠くの何かを見つめていた。
「……あとどれくらいで、いっぱいになるんかな?」
待ち遠しいけど、でも決して焦ってる様子はない。ただただ、期待と喜びの声。
「……おかげさまで、そんなに遠くはなさそうだぞ」
「うん……!」
俺の返答に、ヤツは幸せに目をギュッと瞑って、パポ吉を胸に抱きしめた。
その様子が素直に可愛らしいのと、ヤツがそうまで喜ぶ理由がどうにも気恥ずかしくなって、思わず俺は片手で顔を覆ってしまって。
「あー……嬉しそうにしやがって……」
「嬉しいに決まっとるやんっ! だって、この貯金は――」
だって、そうだ。
この貯金は。
俺たち兄妹にとって、本当に大切な――
「――二人の結婚指環代……やもんね?」
おしまい♪
この罰金貯金、例えば靴下を脱ぎっぱなしにしていたとか、漫画を巻数順に戻さなかったとか、ごくごく些細なことを違反行為と規定して。
違反者は共有の貯金箱に一回五百円を入れなければならないという、せせこましくも恐ろしいルールである。
始めたのはもう結構前。まだまだバイトもできない年齢の時は、貴重な小遣いを持っていかれてはたまらない(貯金はたまるのだが)と気を使っていたのだが。
財力にいくらか余裕ができるようになったら心に隙が生まれてしまったのか、あれよあれよと俺の稼いだ五百円玉たちは貯金箱に吸い取られていき。
そしてどうやら、今日という日にも貴重な五百円玉たちは。
「むふふー……なぁなぁ、お兄ちゃん♪」
俺の手から儚くも旅立ってしまうらしい。
「……何をニヤニヤしてやがる」
布団の上でくつろいでいた俺の前にやって来たのは、刑部狸の妹。
いかにも狸といった丸尻尾をパタパタクルクルと回し、何かを両手に持って背中に隠しているその様子は見るからに機嫌が良い。
そして大概、コイツの機嫌の良いのは俺にとって悪いことの方が多く、警戒の意味を込めてヤツを睨みつけてやるのだが。
「もぉ、そないなこと聞かへんでも分かるやんなー♪ はい、罰金ごひゃくえーん♪」
そう言ってヤツはこちらの目の前に、カエルの貯金箱――通称『パポ吉』を差し出した。
「おい待て、今日は洗濯物も畳んでるし部屋のゴミだって捨ててあるだろ」
反論をする俺の目の前で、しかし、ヤツの丸尻尾はまるで指を振るようにピコピコピコ。
ついでにそのリズムに合わせて、ご丁寧にチッチッチとヤツは舌を鳴らしており。
ついでに可愛らしくて憎たらしい笑顔から、フフンと鼻を鳴らしてから。
「テレビのリモコン片付けへんかったやろ? ウチ、結構探したんやでー?」
「ぐっ……わ、忘れてた……」
自分の手抜かりを突き付けられて、俺はぐぅの音を情けなくも漏らす。
そう言えばリモコン、ソファーの方に放ったままだったけ……なんて頭の片隅で小さく後悔しつつ、自分の財布をゴソゴソと漁り。
都合良く存在していた五百円玉をパポ吉の中へと投入した。
「ほら、五百円」
「むふふ、まいどありー♪」
チャリン、と小気味のいい音を立てて消えていく五百円玉。
くそぅ、その五百円玉があれば贅沢にコンビニのビッグモンブランが買えたのに……。
「……何をまだニヤニヤしてやがる」
歯ぎしりをしている俺の傍から退かない妹。
嫌な予感しかしないと思ったところ、俺のシックスセンスは正しくお仕事をされているようで。
「もぉ、お兄ちゃんったら鈍ちんやなぁ。はい、またまた罰金ごひゃくえーん♪」
パポ吉が再び俺の目の前に差し出された。
「待て待てさっきお前五百円を徴収したばっかりじゃないか」
「お菓子の補充せえへんかったやろー? ウチが買って来て籠に入れておいたんやで?」
「うぐぐっ……」
またもや手抜かりを指摘されてしまっては言い訳の余地は無い。我らが兄妹の間でお菓子の補充忘れは立派なルール違反なのだ。
泣く泣く俺は財布に隠れていた五百円玉をもう一枚摘み上げ、パポ吉の背中に押し込める。
「くそっ、もってけドロボーダヌキ!」
「むふふー、まいどありー♪ お兄ちゃんったらホンマに太っ腹やなぁ♪」
合計千円が一瞬で消えた。これだけあればコンビニでホットスナックにジュースと漫画雑誌一冊ぐらいは買えて、それは至福の時を過ごせたことだろう。
後悔って後に悔やむって書くんだよな、とちょっと涙目になって財布をしまう俺に、だけども一向に部屋から立ち退く気配がないヤツの姿。どうしよ、FXで有り金溶かした人の顔みたいになりそう。
「……ねえ、まだ何かあるの? もう許してくれない?」
「お菓子代、半分こ」
「………………………………」
むべなるかな、俺は黙って財布を開いた。
「いくら?」
「んーっと、税込627円で……313.5円やね」
「じゃあ315円。お釣りはお駄賃代わりのサービスだ」
「えー? お駄賃言うんなら千円札ぐらい出してーやー」
「お前それはないだろここまでのやり取りで1時間のバイト代が軽く飛んだぞ泣くぞお兄ちゃん泣いちゃうぞ」
「泣くぐらいなんやったら少しはだぁらしない所を直せばええのに」
「うるちゃいやい」
ぐぅの音も出ない正論を言われて、子供染みたことしか言えない俺。
そんな情けない兄のことをクスクス笑いながら、ヤツは千円分の体重を増したパポ吉を頭上に掲げてから、嬉しそうに頬ずりを繰り返していた。
「むふふー♪ パポ吉ぃ、随分と重とーなったなー♪」
「おのれ、懐を痛めてパポ吉を迎えたのも俺ならパポ吉をそこまで育てたのも俺だぞ」
「そんなんパポ吉のパッパならポンと養育費は出してくれんとー」
「まったく、調子の良い……」
倹約家なために、養育費を支出することなく専業主婦としてパポ吉を育てているヤツをため息交じりに見ていると。
ヤツは嬉しそうな表情から、次第に夢見る女の子のように、うっすらと頬を赤くして。
パポ吉のことを、それから、その先の遠くの何かを見つめていた。
「……あとどれくらいで、いっぱいになるんかな?」
待ち遠しいけど、でも決して焦ってる様子はない。ただただ、期待と喜びの声。
「……おかげさまで、そんなに遠くはなさそうだぞ」
「うん……!」
俺の返答に、ヤツは幸せに目をギュッと瞑って、パポ吉を胸に抱きしめた。
その様子が素直に可愛らしいのと、ヤツがそうまで喜ぶ理由がどうにも気恥ずかしくなって、思わず俺は片手で顔を覆ってしまって。
「あー……嬉しそうにしやがって……」
「嬉しいに決まっとるやんっ! だって、この貯金は――」
だって、そうだ。
この貯金は。
俺たち兄妹にとって、本当に大切な――
「――二人の結婚指環代……やもんね?」
おしまい♪
20/06/26 19:38更新 / まわりちゃん