第八話
「ごめんよっ!」「失礼します」
坑道の入り口から、人影が飛び出した。
赤と白の姿。 ほのかに香る花の香り。
「こ、こら!待てっ!」
見張りは六尺棒を構え走りだした。
だが、無理して追えとは言われていない。
言われていたとしても、どうせとても追いつける相手ではない。
早々にあきらめ、谷へと向かっておっとり走った。
追手の足音があっというまに遠ざかっていく。
だが、姉妹たちの耳は、谷間にすでに大勢の人がいること。
山の下からも多数の人々がやってきつつあること。
けちょう
そして、谷間から、 怪 鳥 の声が止むことなく響いていることをつかんでいた。
「・・・ソヨ、勘介、無茶するなよ!」
「ハヤテ、お行きなさい。 山道ならあなたのほうが速い」
「おうっ! ・・・おっ?」
目前から複数の足音が聞こえてくる。
「こっちに、気づきやがった・・・?」
「・・・・・・・・・・」
しかし、その足音にもやはり聞き憶えがあった。
勘介よりも重く、枯れ葉を踏みしめる音。
「・・・シマキさん! ハヤテかあっ?!」
ごん
「おっ、 権 の字!」
ごんぞう
「 ・・・ 権 三 さん」
里の者の中で、特に大きいものが五人。
そのなかで、ひときわごつい男が声を返す。
上背はないが、肩幅は勘介よりさらに広い。四肢もさらに太い。
権三。 里から山に上がった人夫の長を務める男だ。
「宗二に話は聞きましたかい?」
「おう、切り裂き魔だろ?」
いづな
「・・・ 飯 綱 です」
「なんですって?」
シマキの声が高くなる。
聞きなれぬ声に皆が息をのむ。
「間違いないのですか?」
「俺にも、そうとしか思えねえ。 山の民が大騒ぎです。
そいつに、勘介さんと、ソヨちゃんが ― 」
「勘介とソヨが?! やられたのか?!」
「・・・はい」
ハヤテの大きな眼が、赤く吊り上がる、
シマキの長い髪が、ざわりと逆立つ。
獣の貌。
彼女らをよく知るはずの、屈強な男たちがたじろいだ。
「死んじゃいません、たぶん、ふたりとも浅手です」
その言葉にふたりの獣の氣が幾分やわらいだ。
しかし眼光は鋭さを増していた。
「・・・すぐ、行ってやってくだせえ」
「あたりきだっ!」
「あなたたちは?」
「あいつらを食い止めます」
ふもとから上がってくる足音は、いよいよ高くなってきている。
御用提灯の灯りがついに見え始めた。
「そろそろ来るころだと思ったんでね。
力自慢を集めて、こっそりこっちに来たんでさあ」
「食い止めるって・・・権、てめえ正気かよ?!
獄門台にでもあがりてえのかっ!」
「ぬかりはありませんって。 まかせてくだせえ」
「・・・お願いします、権三さん」
シマキの足がぱっと、木の葉を巻きあげた。
「姉さん?! ・・・くっ、無茶するなよ!」
たちまち離れていく姉を追い、ハヤテも山を蹴った。
「姐さんもなあっ!」
ざざざ ざざざ ざざざ ざざざ・・・
無数の足音が、白い砂利を踏んで上がってくる。
御用、御用、御用、御用。
黒く染めぬかれた文字をすかし、無数の灯りが揺れる。
ざざざ ざざざ ざざざ ざざざ・・・
ソヨが逃げた。勘介もいない。
ほぼ間違いなく谷間にいるのだろう。
そしてほぼ間違いなく、切り裂き魔と関係があるのだろう。
もしやすると、切り裂き魔そのものであるのかも ―
ざざざざざ。 ざざざざざ。
整然と歩を進める男たち。
その脇から藪を突き抜け、大男たちが飛び出してきた。
もろ手を上げて飛びかかってくる。
「なにやつ!」「御用だ! 御用―」
「おたすけぇぇぇぇっ!」
大の大人が泣きわめき鼻水たらしてすがりついてくる。
下帯を濡らしているやつまでいる。
「化けもんだあ! お、おっかねえだよおおっ!」
「たすけて! たすけてくんろ!!」
「ば、馬鹿! よせ、やめろ、汚いっ!!」
荒事慣れしている奉行所の者たちも、さすがにこれは面食らった。
思わず手にした提灯を取り落とす。
「あ、あぶねえっ! 山火事になっちまう!」
里の男らは大あわて?で御用提灯を踏み壊していく。
「こ、こら! やめんかっ! 御用だぞっ!」
「たすけてくれええええええ!」
「・・・あいつら、やるなあ」
シマキに追いついたハヤテは、あきれながらも
一本取られたような心もちでそうつぶやいた。
「権三さんたちが稼いでくれた時間、無駄にはできません」
「合点承知だぜ」
ハヤテがさらに速足で駆け、シマキを追い抜いていく。
谷間はもう目前。
姉妹の耳にはもう、怪鳥の声にかききえそうな、ふたりの声もとどいていた。
ぴ ぃ ぃ ぃ ぃ あ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ っ !
谷間に響く怪鳥の声。
先ほどから止むことなく啼き続けている。
ぴ ゅ ぅ ぅ う う う う う う う っ !
白く輝く谷間の中央で風が渦巻いている。
その中心に勘介はいた。
バオオオオオオオッ!
ズ! ビッ! ザ!
「・・・むっ」
耳を聾する風の音。 おのれを刃が斬り裂く音。
勘介の巨体がえぐられ、肉がそがれていく。
風の外にいたさきほどまでとはわけが違う。
渦巻く風の中に飛びこんだ彼を、四方八方から凶刃が襲った。
ギュゴゴゴゴゴ!
ザク ゾブ ビュッ!
見えない刃はむき出しの肌を突き、刺し、えぐりつづける。
しかし勘介はおのれの血を風で巻き上げながら、不敵に笑った。
― もっと突け、刺せ、えぐり入れ。 もっと、もっとだ。
それがお前の命取りになるんだ。
旋風が鮮血をはらみ、白い岩肌に朱い華が散っていく。
獰猛な風はぱっくり開いた傷口から、容赦なく血を吸い上げていった。
ぃ ぃ ぃ ぃ ぃ ぃ ぃ ...
風の音が遠くなっていく。
風の勢いが止んだのではない。
遠く離れていっているのは、勘介のほうだ。
ぃ ぃ ぃ ぃ . . .
深手ではないとはいえ、あまりの出血の多さ。
さしもの勘介の肉体も限界が来ていた。
音が消えていく。 目の前が暗くなる ―
「うわ?!」
「なんだ?!」
「そこをどきゃあがれっ!!」
谷間の上から声が聞こえた。 聞きなれぬ男らの声と。
― ようやく来たか。
「ハヤテお姉ちゃん!」
「 勘 介 ぇぇぇぇっ!! 」
南側の岩壁からソヨの声を背に受け、ハヤテが駆け下りてきた。
そこを固めていた親方と子飼いの人夫らは、
ハヤテが投げつけた金輪に足を取られもんどりうって倒れている。
シュバババババッ!
目の前で勘介が、見えない刃に切り刻まれている。
刃はハヤテの目にさえ見えない。 しかし風の流れは見えた。
し ゃ っ !!
獣の声を上げ一閃した風切の小太刀が、勘介を襲う風を振り払った。
ぴ い い ・・・
逆巻く風が散り、舞い上がった血がはらはらと落ちる。
降りしきる自分の血を浴びながら、勘介はくずおれた。
「しっかりしろ、勘介!」
舞い散る血を浴びながらハヤテが駆け寄る。
大きなからだのふところにもぐりこむ。
「大丈夫か、逃げるぞ!」
「来、る、ぞ・・・!」
背負おうとした勘介の体がのしかかってきた。
次の瞬間、肉を裂く音が、熱い胸板を通して聞こえてきた。
ビ シ ュ ッ !
「・・・むっ」
「勘介?!」
風を斬ったのに、刃が飛んできた。
その刃から、勘介が身を呈しておのれを守った。
立てもせぬ身でそれをした勘介に、ハヤテは哀しい怒りをぶつける。
「バカ野郎っ! なんてことしてやがる!」
「ソヨは・・・ 無事だ・・・」
「・・・このっ、バカ!」
勘介はにやりと笑い、がくんとこうべを垂れた。。
どくどくと血が流れ、ハヤテの半纏が昏い赤に染まる。
「誰か! 誰か、勘介を引っ張り上げてやってくれ!」
さすがに風の力を使わずに、この体を谷から引き上げることはできない。
谷の出入り口は遠く、しかもあの風が吹き出してくる。
ハヤテは声を限りに助けを求めた。
「う、あ・・・」「ひっ・・・」
「みんな、お願い! カンちゃんを助けてようっ!」
「い、飯綱さまが・・・ 怒ってらっしゃる・・・」
山の者も里の者も、親分の子飼いの者も、みな動けない。
見えざる風の刃が、谷の上にいる自分たちにも突きつけられているように思えていた。
「この玉無し野郎どもっ!」
「ハヤテお姉ちゃん、うしろ!」
ぴ ゅ あ あ あ あ あ っ !
あの風だ。ハヤテは音がした方向へ。
風が吹き込む谷の入口へと身を躍らせた。
駆けながら、小太刀の鞘を払う。
薄い刃が月の光をなめ、白くきらめく。
「好きにさせるかよっ!」
「お姉ちゃん、気をつけて! その風、斬っても斬れないの!」
風の流れはすでに見えている。
ハヤテは小太刀を逆手にかまえ、
吹きつける風をえぐり払った。
ぴ ゃ あ ・・・
風が勢いを失った。
しかし続けざまに刃が飛んでくる。
ハヤテは飛びのき伏せた。
ん ぼ っ。
「うえっ!?」
飛んできたのは砂ぼこりだった。
ハヤテの顔を打ち、口に、目に入る。
「うえ、ぺっぺ。 口の中に・・・」
砂利?
「・・・なにっ?」
風を斬ってもなお、飛んでくる刃。
風を斬っても、風に飛ばされたものの勢いは消えない。
ここは水晶の鉱場。
ということは ―
「そういうことかよ、このまがいもんがっ! さんざ迷惑かけやがって!」
ぴゃうううううっ ぴいああああっ!
悪態をついたそばから、次々と風が吹きあがってくる。
目の前の岩の切れ間から、怪鳥たちが飛び出でてくるようだ。
しゃ! しゅっ!
そのことごとくを切り払うハヤテ。
しかし風は止まず、あとからあとから吹きつけてくる。
「くそ、きりがねえ!」
ハヤテはちらと、背後の勘介に目をやった。
「・・・ ・・・ ・・・」
ぴくとも動かない。 からだのおもてを、血筋がはい流れている。
足元の白い砂利が赤く染まり始めている。
一刻も早く助けなければならない。 しかし ―
― この風さえ、止められれば。
・・・あれなら。
ハヤテは勘介の傍らに突き立てられた太刀に目をやった。
月の光と鮮血を受けて輝く、風切の太刀。
― あれなら、このくそったれの風を止められる。
でもあれは『あたしには』使えない・・・!
― 姉さん、早く―!
し ゅ る っ 。
「う、うひゃあ?」「なんだこれ?!」
五色の糸が男たちにからみつき、しばりあげる。
シマキの帯紐だ。
「く っ、き、切れねえ?!」「あ、あっしたちまで・・・」
シマキがほどき投げつけたそれは、谷間をふさぐ男たちをたちまちからめとった。
親方の子飼いの人夫を、まわりの里の者ごと。
か細いその紐は、人夫たちの満身の力でも切れなかった。
ごめん
「・・・御 免」
シマキは男らの脇を駆け抜ける。
そしてその勢いのまま、谷間にとびこんだ。
刹那。
「・・・ ・・・ ・・・」
ぴゃうっ! ぴぃあっ!
「くっ! このっ!!」
血に染まり倒れ伏す勘介。
小太刀を手に風を食い止めるハヤテ。
そして。
― 水晶の刃。
ハヤテにもソヨにも見えなかった刃。
それを、シマキの眼だけは捉えていた。
あたりに散らばる無数の刃。
ざ わ っ 。
シマキはすべてを理解した。
切り裂き魔の正体。 勘介の容態。
いま、しなければならぬこと。
・・・ ひ ゅ う 。
そのとき、刻が凍りついた。
ひ ょ お ・・・
すべてが凍りついたように動かない。
勘介も、谷の上の男たちも、ソヨも。
小太刀を振るうハヤテも。
舞い散るほこりも木の葉も、空にぴたり縫い付けられている。
ながめ
これは、シマキの 眺 望 。
すべてのものが止まった中、シマキの肉体だけが動く。
・・・ し ゅ る っ 。
空を舞うシマキの体が、着物から抜けいでた。
白い着物よりなお白い、白皙の肌。
着物はシマキが着ていたその形のまま、
その場で凍りついていた。
・・・ ざ わ っ
着物から抜けたシマキの体が速さを増す。
空を斬るように駆ける。
白い肌が、青い毛におおわれていく。
し ゅ ぱ っ !
砂ひとつ散らさず谷底に降り立ったシマキは、地をなめるように駆ける。
その体はすでに、女体の姿をした青い獣と化していた。
しょく
耳がとがり、牙が覗く。 眼は赤く、 蝕 の月のように暗くかがやいている。
ず ざ っ !
勘介のそばを走り抜け、風切の太刀を引き抜いた。
おのれの体躯と同じほどあるそれを手にし、
なおもその身は速さを増してゆく。
し ゅ た ぱ っ !
勢いをまったく削がぬまま、岩壁へと駆ける。
そしてそのまま岩壁にとりつき、壁面を駆けた。
一糸も纏わぬその体が、風さえ振り切り壁を伝い走る。
― 斬 る 。
シマキの四肢から大きな刃が伸びはじめた。
手首から、そして足首から。
手にした大太刀より長く、そして厚い刃が。
谷間の入り口がみるみる迫る。
― 伏 せ な さ い 。
その声が届いたのか、
ハヤテの体がのろのろと下がり始める。
しなやかに伸びる足が壁を蹴った。
び ゅ ん 。 び ゅ ん ・・・
壁を蹴りつけたシマキは空にその身をひるがえし、
きりきりと回り始めた。
その手にした太刀、四肢から生えたあわせて五枚の刃とともに。
び ゅ る る る る る る る ・・・!
シマキの体と刃は大きな風車となって、凍った刻のなかを飛ぶ。
風の吹き出し口へと一息に。
しまき
― 抜 け ば 花 散 る 風 巻 の 刃 。
柄を握る手に力が込められた。
鍔に描かれた鎌鼬が跳ねる。
― 悪 し き 風 の 喉 笛 を 。
五枚の刃は、谷間の入口へ。 そびえたつ岩の壁へと。
そこから吹きだす、凍てついた風を斬り抜けて ―
か さば
― 掻 き 捌 け っ!
ク ワ ア ァ ー ー ー ー ー ン !!
おおとり
鳳 の鳴き声のような音が、谷間に響き渡った。
「・・・お?」「あ、あれ・・・」
高らかな鳴き声に己を取り戻したように、人夫たちが谷の中の様子をうかがう。
倒れ伏す勘介の傍らに、シマキが座っている。
ハヤテが谷間の入り口で伏せている。
「ね、姉さん。 間に合ったか・・・」
ギ ギッ ギ ・・・
ハヤテの頭上から、なにか軋む音が聞こえた。
「や、やべっ!」
跳ね飛びすっ飛んで逃げる。
シマキの姿は、その肢体も振るった刃も、ハヤテの目でさえ捉えられなかった。
それでも、シマキが何をしたのかは察しがつく。
ギギギ ゴゴゴ ズズズッ ・・・
山が崩れるような音が耳を聾する。
谷の外で立ちつくしていた坑夫もすっとんで逃げた。
ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ
そびえ立っていた岩戸。
その片側がぱっくりと削がれ、滑り落ちていく。
・・・ ド ォ ォ ォ ォ ン !
その音は山並みを揺るがせ、里にまで届いた。
ぴ ・・・ ぷ ・・・・
わずかに開いた隙間から、細い風の音が聞こえる。
怪鳥の断末魔のうめき。
「・・・やったか」
轟音と衝撃で気を取り戻した勘介が、眼を開いた。
なにやら、なつかしい匂いと肌触りに包まれている。
「勘介さん」
いつもの声。 だが、不安に震えている。
安心させてやらねば。
勘介はその身を起こした。
「・・・横になっていてください。 体に障ります」
そこには、いつもの白い着物を着たシマキがいた。
だがその着衣は乱れ、はだけている。
帯がゆるみ、襟がずれ、裾が開いている。
白い素肌がむき出しになっていた。
「・・・これ、おまえの、か」
勘介はおのれに白布がかぶせられていたこと。
それがシマキの襦袢であったことに気が付いた。
「無茶、して、すまん」
「・・・・・・まったく、です」
シマキは勘介ににじり寄った。
着物をなおそうともせず。
はだけた着物から覗く乳房を、太ももを。
蒼い茂みを隠そうともせず。
「あれほど、無茶をするなと、言ったのに」
「・・・すまん。 だが、たぶん、大丈夫だ」
そこまで言って、勘介の体からふっと力が抜けた。
倒れかかる勘介の頭を、シマキは太ももと茂みで受け止めた。
― 俺を、救護所へ、運べ。
― 勘介さん。
― 下手人は、おれの、からだの中だ ―
こわ
シマキは勘介の 強 い髪を撫ぜた。
勘介はシマキの肌のにおいを嗅いだ。
ふたりはお互いが、初めて出会った日のことを思い返していた。
白い袖につつまれ、その上でほほ笑む白面の顔。
手のなかで力強くむずかる、赤ら顔のやや子。
ざ ざ ざ ざ ・・・
谷の両側からからようやく、男たちが谷間へと滑り降りてきた。
権三らとともに、奉行所の追手も谷へ降りていく。
シマキは着物をなおし、勘介の大きなからだを抱き上げた。
「この方のお手当てを。 ・・・お願いいたします」
勘介の体を包む白い布が、ところどころ血に染まっている。
赤く光る眼の前に、追手らは飲まれた。
ふたりの傍らに突き立てられていた大ぶりの太刀が、
月と谷間の白さを、ふたりの姿をその身に映していた。
17/10/05 21:20更新 / 一太郎
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