第七話
じ じじ・・・
灯心の焦げる音が、静かに響く。
静かなふたつの息づかいが、かすかに届く。
狭い部屋の中は、それ以外には音ひとつない。
人の耳に捉えられる音は。
「何が、あったんだろうな」
「恐らく、切り裂き魔が現われたのでしょう」
坑道には、夜にもかかわらず多数の人夫が集められていた。
それが先ほどにわかにざわざわと騒ぎだし、いっせいに外へと出ていったのだ。
ハヤテの耳は、出ていった人夫たちの足音にそばだてられていた。
「谷間に向かってるみたいだな」
「・・・他にも、山を登ってる人たちがいます
「なんだって・・・?!」
シマキの耳は、ふもとの山道を踏みしめる多数の足音をとらえていた。
「奉行所かい?」
「おそらく」
「ソヨや勘介が、無茶してるんじゃないだろうな・・・」
そこを奉行所に捕らえられたら、よくても間違いなく所払い。
最悪の場合は・・・
「んっ?」
「・・・あら?」
姉妹の耳が、同時にひとつの足音を聞きつけた。
さっきほど出ていった大勢の人夫たち。
そっちの方向から誰かが、まっすぐにこの坑道に向かっている。
「だれかが戻ってきたのでしょうか」
「・・・ん? この音・・・」
聞き覚えがある。 ハヤテがよく聞く音だ。
音は入り口をくぐり、岩屋の前までやってきた。
「んぬぬぬぬぬっ・・・!」
岩戸の前で、くぐもった声がする。
ず、ずっと、わずかに岩が動いた。
「小天狗か?」
「ぜは、はっ、はいっ・・・!」
小天狗。ハヤテがつけたあだ名だ。
そうじ
名前は 宗 二 。 小柄な体のはしっこい男。
里の者の中で一番の速足の持ち主。
ましら
山の中を 猿 か天狗のように駆け抜ける。
その足はハヤテさえ、風の力を使わないと振り切ることができない。
「なにがあったんだ、いったい?!」
「お、親方が、切り裂き魔を捕まえろって・・・」
「なんだって?!」
「里の人らも山の連中も、全員人夫があつめられて・・・」
「それでいま、谷間へ向かっているのですか?」
「は、はい」
化け物騒ぎで水晶掘りもとどこおってしまっていたが、
問屋からの催促も厳しくなっていた。
これ以上化け物にびびっていてたまるかという面子もある。
及び腰の奉行所に頼らず自分たちの手で下手人を捕らえるため、
鉱夫が総出で駆り出されたのだ。
「それをお前が知らせに来てくれたのか」
「はい。 もし、ほんとの魔物だったら、
ねえ かしら
姐 さんたちじゃなきゃ手におえないって、里の 頭 が・・・」
「・・・そうでしたか」
「こ、これだけ開いてりゃ、姐さんたちなら、大丈夫だろ?
見張りは、外の入り口にいる。 はっ、早く・・・」
「わかった、待ってろ」
息の上がった宗二は一歩下がり、風となった姉妹が飛び出してくるのを待つ。
・・・・・・・・・・
出てこない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
まだ出てこない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なお出てこない。
なにかあったのだろうか?
「・・・姐さん?」
岩の隙間から覗いてみる。
向こう側で何か、白いものが ―
「覗くんじゃねえっ!!」
なにかがすっ飛んできた。
「わてっ?!」
額にまともにつぶてをうけて小天狗がひっくりかえる。
直後、隙間から赤い半纏が出てきた。
「さあ小天狗! こいつを引っ張り出しな!」
「こ、これ・・・ 姐さんの?」
「あたしら着てるもんまでは風にできないんだよ!」
「え、えええっ?!」
「丸めてまとめて置いとけ!」
さらにつっかけ、頭巾、腹掛け、股引き。
そして・・・
「こ、腰巻・・・」
さらっとした木綿の手触り、ハヤテの熱。
ほんの、ほんのわずか、ハヤテの匂いがするように思える。
宗二はそれをふるえる手で押しいただいた。
「これもお願いします」
今度は白い布が出てきた。 シマキの着物。
震える指でなんとかそれを受け取る。
小袖、襦袢、帯、足袋、下駄。
そして、腰巻。
受け取るたびに隙間の向こう側に、何やら白いものがちらちらと見える。
顔が熱くなる。汗まで噴き出てきた。
「置いたか?! 混ぜるんじゃねえぞ!」
「ひゃっ、ひゃい!」
「後ろ向いて離れてろ!」
ひ ゅ る っ ―
くるりと振り返ったとたん、後ろで風が巻いた。
「もういいぜ、小天狗」
振り戻ると、白い着物、赤い半纏。
かまいたち
そこにはいつもの 鎌 鼬 姉妹がいた。
「ありがとうございました、宗二さん」
「い、いいってことですよ。 すぐ、谷間へ向かってください」
「おうよ」
「姐さんたちなら、案内はいらないですよね。 ハヤテさん、これを」
「あん? こいつあ・・・」
宗二はふところから刀を取りだして、ハヤテに渡した。
長さは二尺ほど。風切りの太刀と鏡写しの、錦の拵え鎌鼬の柄。
風切りの太刀と対になる刀。
かぜきり こ だ ち
風 切 の 小 太 刀 。
「姐さんの刀です、悪いと思ったけど、権現さんから失敬して、持ってきておいたんです」
「・・・気が利くぜ。 でかした、小天狗」
「ど、どうか頼んます・・・ はああ・・・」
一気にしゃべって息が上がり、ぺたりと腰をついた。
その目の前に、ハヤテの顔が来た。
桜色のくちびるを、ぴっと立てた人差し指で押さえている。
― う、うるさかったか? しつこかったかな・・・
そう思った瞬間、ひりつく額につっと、何かが触れた。
ハヤテのくちびるに触れていた指だ。
― ありがとよ、小天狗。
さっきからのぼせあがっていた宗二は、これをとどめにはじけとんだ。
さかしまにひっくり返った彼は頭をしたたかに岩壁にぶつけ、
当分起きあがることができなかった。
切り裂き魔が荒れ狂う谷間。
そのまわりから黒山の人だかりが現われた。
谷間の出口、両側から、人、人、人。
― 万事、休すか。
ソヨがここにいること自体すでに沙汰破り。
その上下手人も挙げられず、奉行所に捕らえられてしまったら ―
「な、なんだあいつら?!」
「ソ、ソヨちゃん! 勘介の旦那!」
聞いたことのある声だ。
「ふたりとも血まみれだ!」
「切り裂き魔だあっ!」
そこにいたのはたくましい体つきの人夫たちだった。
どうやら山の民であるらしい。
山に住まい里に下りず、山仕事を生業とする者たち。
「ふたりを助けっぞ!」「おうっ!!」
どうやら最悪の事態だけは免れたらしい。
山の民も、姉妹が守ってきた『権現さま』を篤く崇拝している。
ソヨたちが手荒な目に合うことは・・・
ぴいいいい!! あああああ!!
一難去ってまた一難。
幾たびになったかわからぬ怪鳥の襲撃。
「きゃあっ!」
「ソヨ、伏せろっ!」
ぴゃあああああっ!
ズシャ バシュ!
丸めた背中の上を刃の暴風が吹きすぎていく。
傷が痛いというより熱い。 傷口を吹き抜ける風が冷たい。
いづな
「 飯 綱 だ ! 」
人夫たちが叫ぶ。
屈強な男たちが、恐れおののいている。
「飯綱だ、飯綱さまだ!」
「ひい、ひええええっ!」
わざ
飯綱とは鎌鼬のそれを含めた「見えない刃で人を斬り裂く 業 」を指す言葉。
その名はその業をあやつるという神からきている。
山のふもとに里ができる前、シマキらも産まれておらぬころからの言い伝え。
魔物にも人にも見えぬ刃を振るう山の神。
山に住む人々はその神を今でも敬い、いまでもその怒りを恐れていた。
「山の神様がお怒りだ!」
「山を削っちまったから! だから嫌だったんだ!」
「バチかぶっちまったんだあ! お、お助けぇ!」
神威を目の前にして、さしものたくましい山男たちもおびえ震えた。
やま
水晶掘りで山を荒らすことに 疚 しさがあったこともあるだろう。
同じく山に住まうシマキたち三人が、疑われることになった理由の一つでもある。
「・・・山の神様の怒りなら、ソヨが斬られるわけないだろうが」
「カンちゃん・・・ 血が・・・」
「大丈夫だ」
強がったわけではない。
骨まで届くような傷はひとつもなく、肉もほとんど裂けていない。
大げさに血が出ているだけで、そこまでの怪我ではないようだ。
しかしこれは小山のような勘介のからだだからこそだ。
ソヨがまた、刃のえじきになったなら・・・
「ん痛っ!」
腕の傷がちくりと痛んだ。
「カンちゃん!」
「あ、ああ、ごめん。 ちょっとちくっときただけだ」
「ちくっと?」
「ああ、ここの、腕のところ」
「・・・・・・・・・・・・」
ソヨは勘介の腕に真一文字にはしる傷をじっと見つめた。
怪我人の手当てをしているときの目になっている。
彼女は手にしていた小刀を構え、勘介にたずねた。
「痛いの、ここ?」
「んっ、ああ、そこだ」
「カンちゃん、ちょっとごめんね」
「・・・おう」
ソヨは勘介の腕の傷の端に、つっと横向きに刃を入れる。
傷が十文字に開いた。 だが、ソヨのつけた傷には痛みがない。
「・・・んっ」
ソヨがその切れ目に口をつけた。
唇をすぼめ、ぴたりと肌にあてる。
ちゅ、ちゅっと傷口を吸い上げはじめた。
「ん、ん、ん・・・」
「・・・・・・・・・」
うず
傷に 疼 きを覚えながら、ソヨの手当てを見守る。
ソヨの口が離れた。
「ぷっ」
小さな手のひらをひろげ、その上に勘介の血を吐き出す。
そこには。
「・・・なに、これ」
「・・・ ・・・ ・・・ ・・・」
勘介は、ソヨの手のひらを凝視している。
彼女が吐き出したもの、それは。
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
狭い岩戸。 谷間に吹きこむ風。 笛の音。
水晶。 採掘。 きらきらと光る砂利。
・・・ ・・・ くそったれ。
「・・・カン、ちゃん?」
「ふざけやがって」
「え?」
「こんなことか、こんなことかよ」
握りしめた拳が震える。
噛みしめた歯がきしむ。
― こんなことのせいで、みんな・・・!
ぴゃああああああああああっ!!
「・・・きゃ・・・!」
再び襲い来る怪鳥。
目の前で風が渦巻き、二人に迫る。
しかし勘介は、臆せずその前に立ちはだかった。
「驚かせやがって、こんちくしょうっ!!」
皮衣でくるんだソヨを抱きかかえ、昂然と勘介は言い放つ。
「もうネタはあがってんだよ、このニセ鎌鼬がっ!!」
「え、えっ?」
「ソヨ、じっとしてろっ!」
「きゃああ?!」
勘介はソヨを、くるんだ毛皮ごと思い切り放り上げた。
「受け取れーーーっ!」
その気合に圧された山の民が、へっぴり腰でソヨを抱きとめる。
谷底にひとり残った勘介は、上着を脱ぎ捨てた。
「皆、見るんだあっ!」
怪鳥の叫びもかききえる、山を揺らす声。
「これが下手人だ! 切り裂き魔の正体だっ!!」
勘介は地面に突き立てた大太刀には目もくれず。
もろはだ
諸 膚 を脱いだまま。
竜巻に飛びこんだ。
バ ッ !!
ちしぶき
月に照らされた白い谷に、鮮やかな 血飛沫 が舞う。
「カンちゃぁぁぁぁぁんっ!!」
17/10/04 19:15更新 / 一太郎
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