第六話
ざざざ ざざざ ざざざ ざざざ。
ざざざ。 ざざざ。 ざざざ。 ざざざ。
夜深く静まり返った里に、多数の足音が響きはじめる。
足音の周りが、ぽっと明るくなる。
ざざざ ざざざ ざざざ ざざざ。
ざざざ。 ざざざ。 ざざざ。 ざざざ。
里を駆ける男たちはみな手に灯りを持っている。
御用。 御用。 御用。 御用。
御用提灯だ。
ざざざ ざざざ ざざざ ざざざ ー
足袋が道を踏みしめる音が夜の里路に響く。
足音を整然とそろえ、列を乱さず駆けていく。
男たちはみないちように、同じ指示を受けていた。
― 三姉妹のうち誰かが逃げ出したなら、追わなくても結構です。
どうせ本気で逃げられたら絶対に追いつけません。
行く場所は二つしかないでしょうから、追手を二手に分けます。
― 片一方は少人数で。軽装で結構です。
真っ先に勘介の家に向かいなさい。 声は立てぬように。
彼を押さえさえすれば、姉妹は手を出せないでしょうからね。
青い顔の同心からの指示。
いつものぶらぶらした調子でない、鋭い目つきと声。
― 勘介を押さえられなければ、そのまま谷へ。
十中八九、姉妹らとともにそこにいます。
いたならば、こちらに降れと命じなさい。
さもなくば里のものみなに累が及ぶと。
― 残り全員は、山へ向かいなさい。 あくまで静かに。
谷間向かって、三方から押しつつむように。
人の壁で谷を取り囲むのです。
ざざざ ざざざ ざざざ ざざざ 。
― 現れたのが人なら、そのまま押しつつんで召し取らえなさい。
魔物であれば手を出してはなりません。怪我人が増えるだけです。
おそらくその場に居るであろう、三姉妹たちに戦わせなさい。
― たとえ魔物が三姉妹の仲間であったとしても、
勘介を押さえさえすれば彼女らは逆らわないでしょう。
ただし風の力は使わせてはなりませんよ。
使われたら最後、何をされるかわかりませんからね。
― 彼女らが風の力を使った、勘介を見捨て魔物と手を組んだ、
逆に勘介が里を裏切った、そしてこちらに向けて牙をむいた。
その他、今まで申し上げたことでは手におえない事があったなら、呼子を吹きなさい。
姉妹にしろなんにしろ、魔物が関わることなら三度。 そうでないなら二度。
― 三度めの笛の音が聞こえたなら、奉行所にいるわたしがその場で早馬を出します。
そして与力殿とともにお目付役のもとへ駆けこみます。 すでに話は通してありますから。
くら さ
昏 い顔、冷めた声。
意気を上げるでも、せきたてるでもない。
とつとつ
ただ 訥 訥 と皆に命を下す。
― 相手が人だろうと魔物だろうと、この里でこれ以上の狼藉は許しません。
奉行所総出、必要とあらば公儀も巻きこみ、なんとしても片を付けるのです―
勘介が家にいないことを確認した一団は、その足でそのまま谷へと向かった。
そのころには多数の同心たちが、すでに山の半ばまで登っていた。
ざ ざ ざ ざ ざ ・・・
――――――――――――
「ソヨ!」
「カン、ちゃん・・・!」
倒れたソヨに、勘介が駆け寄った。
にじ
着物がずたずたに裂かれ、むき出しの地肌に血が 滲 んでいる。
「ごめんなさい、わたし・・・」
「いいんだ、これを着ろ」
裂かれた裾から白い太ももがのぞく。
その奥に真っ白いふくらみ。
さらに奥に、ひとすじの黒いくぼみ。
かわぎぬ
勘介は目をそらしながら、着こんでいた熊の 皮 衣 をばっとはぐってソヨにかぶせた。
「動くんじゃないぞ、伏せてるんだ」
「・・・ごめんね、カンちゃん・・・」
ソヨは勘介の熱がこもった皮衣をまとい、しっかりとくるまってその場で亀になった。
手のなかで小刀をしっかりと握りしめて。
普段は施術に使っている小刀だが、ただの小刀ではない。
風切りの太刀と同じく、権現さまにおさめられていた小刀だ。
普段から守り刀としていたそれは、風切りの太刀と同じく風を断つ。
かぜきり やいば
風 切 の 刃 。
無茶はするなと言われた。でも、姉たちを救いたい。
その想い一つで小刀を握りしめ、この谷へとやってきた。
風の力は使えなくとも、小刀を振るう分には沙汰にそむかぬはず。
下手人を捕らえさえすれば、沙汰もやむに違いない。
ぴ う う う う う う う う う っ !
待ち受けるソヨの前に、吹きつける一陣の風。
かまいたち はや
なりは小さいが 鎌 鼬 。 風の流れを見ぬき、風よりも 疾 く刃を振るう。
― ひ ゅ っ !
あやま
甲高い音を立て逆巻く風を、ソヨは狙い 過 たず、小刀で切り裂いた。
ぴ う う う ぅ ぅ ぅ ・・・
渦巻く風はふたつに裂かれ、その勢いを失い散っていく。
しかしソヨは戸惑っていた。
― だれも、いない・・・?
そこには風しかなかった。 ソヨの耳と肌がそれをつかんでいた。
谷の中にも外にも、そして風のなかにも、人も魔物もいない。
その次の刹那。
じ ゃ っ !
着物に、肌に何かが触れる。
外気の冷たさ。 熱く濡れる感触。
そして焼けつく痛みを順に感じる。
「きゃああああっ!」
ソヨの目にさえとまらぬ刃がソヨの全身に襲いかかる。
― 斬ったのに?! なに、この風 ―
もんどりうって倒れてしまったところに第二陣の風。
ザ ッ ! ビ ッ ! バ シ ュ ッ !
逃れようと体を起こしたところを、切り裂く間もなく竜巻に飲まれる。
鎌鼬の目にも見えない敵。
鎌鼬の目にも見えない刃が、体中を切り刻む。
「いやああああっ!」
痛みと恐怖に、気が遠くなる。
「ソヨ!」
その気をつなぎとめたのは勘介の声だった。
「さあ来いっ、切り裂き魔!」
「カンちゃん、気をつけて! この風、変なの!」
「おうっ!」
太い声で答え、ずらりと太刀から鞘を払う。
意外と軽い、しかし野太く分厚い刃。
月の光を浴び、ぎらりと光る。
「離れてろ、ソヨ!」
ぴ い い い い い あ あ あ あ あ !
第三陣の風。 今までよりもさらに高い怪鳥の叫び。
柄をしかと握りしめ、目前で渦巻くその風に、気合一閃太刀を振り下ろす。
「えあああああああっ!」
ソヨの刃ほど疾くはない。
れっぱく
しかし満身の力と 裂 帛 の気合をこめた一太刀。
岩をも唐竹割りにせんほどの斬撃が、渦巻く風を唐竹割りにとらえる。
・・・ ぴ ゃ う っ 。
重く剛い一振りを受け、怪鳥の風が散りとんだ。
勘介の剣では、とても鎌鼬をとらえることなどできはしない。
けれど鎌鼬が乗る風を切り払うことはできる。
風を切り足を止められれば―
シ ュ バ !
そう思った次の瞬間、固い風に襲われた。
無数の何かが肌を突く。
シ ャ ッ ! ジ ャ ッ !
触れた場所が切り裂かれる。 着物も肌もぱっくりと口を開く。
― 見えない刃。
「あうっ!」
背後のからソヨの苦鳴。
くるまっていた熊皮が豪風を浴びめくれあがっている。
無数の刃がむき出しの肌を容赦なく斬りつけた。
ピシュ! シュパ!
「う! くっ!」
白く丸まったからだから、押し殺した声が漏れる。
勘介はとっさに剣を地面に突き立て、ソヨに覆いかぶさった。
「ソヨっ!」
大きく厚い体が、熊皮ごとソヨのからだをくるむ。
その直後。
ぴ ゃ あ あ あ あ あ あ っ !
再び怪鳥の声がおどりかかる。
シ ュ バ バ バ バ バ !
勘介の背中を無数の刃が襲った。
まるで獰猛な魔鳥が、人をついばみ喰らうかのように。
・・・ ざ っ !
その時、人影が現われた。
ひとりやふたりではない。
ざ ざざっ ざざっ!
無数の人影が闇の中から現れる。
谷の入り口から砂利を踏んで。
谷の両側から茂みを揺らして。
・・・ ざ あ っ 。
またたくまに、小さな谷間を人の壁が覆っていった。
17/10/03 20:23更新 / 一太郎
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